妖怪総覧
全145体の妖怪を完全収録
あ行の妖怪 (46体)
弘化三年四月中旬、肥後国の海上に現れたと伝わる予言の妖怪。夜ごと海中より光を放ち、役人の前に姿を見せ、自らをアマビエと名乗った。諸国の豊作が六年続く一方で疫病が流行する旨を告げ、その災厄に際しては自身の姿を写した絵を人々に見せよと言い残し、海へ戻ったという。瓦版一種の記録のみが知られ、詳細は不詳。
鹿児島県に伝わる怪異で、長さ一反ほど、幅は三寸前後の木綿の布が夕暮れから夜分にかけて空をひらひら舞い、人の顔や首に巻きつき息を詰まらせるとされる。姿は布切れ同然で、声も出さず音も立てないという。『大隅肝属郡方言集』(野村伝四・柳田國男)に名がみえ、土地では子どもへの戒めとして語られた。正体は不要となった布が怪異化したものとも、風の妖と見る説もある。
一本だたらは、一つ目で一本足の姿をとるとされる山の怪で、紀伊の熊野や奈良の伯母ヶ峰などで語られる。雪上に大きな単跡を残すことで知られ、姿を見た者は少ないともいう。出現日は十二月二十日の「果ての二十日」に限るとする説が著名で、この日は山入りを忌む。鍛冶やたたらとの関連、隻眼の鍛冶神の零落とする解釈も伝えられる。
以津真天は人間の声で「いつまで…」と不気味に鳴き、聞いた者に死を予兆する怪鳥。古くから「この声を聞けば三日以内に命を落とす」と伝えられ、恐れられてきた。
古い風呂屋や荒れた屋敷の風呂場に現れるとされる妖怪。長い舌を垂らした童子の姿に描かれることが多く、夜更けに忍び入り、桶や壁にこびり付いた垢や水垢、黴を舐め取る。人に直接危害を加える話は少ないが、出現そのものが不浄の兆しと受け取られ、風呂場を清潔に保つ戒めと結び付けられてきた。別名に垢舐・垢ねぶりがある。
大入道は各地に伝わる巨大な入道姿、あるいは影法師のような巨体の怪異。名称は大きな僧を指すが、実際は僧形に限らず巨人状や不定形の影として現れる例もある。見上げるほどの大きさで迫り、睨まれた者が卒倒・病を得ると恐れられる。正体は不詳とされることが多いが、狐・狸・鼬・獺などの動物や石塔が化けたとする説も各地に見える。
徳島県三好郡三庄村毛田に伝わる化け狸の怪。吉野川の青石瀬で夜更けに舟を停めると現れ、巨大な煙管を差し出して煙草を所望する。煙管一杯に詰め切れば害はないが、量は常識外れに多く、用意が足りぬと舟を転覆させたり怪異を起こすという。水辺で人を脅かす狸の一類型で、旅人・船頭への戒めとして語られた。
大百足は巨大な百足の妖怪で、甲は硬く刃や矢をはね返すという。体は山を幾重にも巻くほど長大で、脚は火のように赤く輝き、毒牙は甲冑をも噛み砕くと畏れられた。水神たる大蛇・龍と対立し、湖沼や山野に現れては争ったと伝えられる。百足は勇猛不退の象徴とされ、武家や商人から吉兆としても意識されたが、その実体は各地で異同が多く詳細は不詳である。
『古事記』では天佐具売、『日本書紀』では天探女と表記される女神。天若日子(天稚彦)に付き従う存在として登場し、雉の鳴女を不吉と告げた逸話で知られる。巫的な吉凶判断に関わる性格を持つと解され、天邪鬼の原像とする民俗学的見解がある。天津神か国神かは史料により扱いが分かれ、神格の位置づけが特異とされる。
天逆毎は、江戸期の博物誌『和漢三才図会』に引かれる「ある書」に見える怪神。素戔嗚が体内の猛気を吐き出したものが形を得て生じたと説かれる。人に似て獣相、高い鼻・長い耳と牙をもつ。気性は激しく、意に反すれば荒れ狂い、強き神すら遠くへ投げる力を備える。物事を逆に言い做す性向が強く、天邪鬼との連関が語られる。
天邪鬼は、人の心を測って逆らい、言行を反転させてからかう小鬼として知られる。仏教図像では四天王や執金剛神に踏み伏せられる悪鬼として描かれ、心の煩悩の象徴と解される。神話説話では天探女や天稚彦に関わる名が引かれ、古い神格や巫の性格が民間で小鬼像へと縮小・転化したとみられる。地方により声まね、山中の反響、巨体譚など多様に語られる。
平安中期の陰陽師として史料に名が見える人物。賀茂氏の門下で天文・暦・卜占を修め、宮廷で祓や反閇を奉仕したと記される。花山・一条両天皇や藤原道長の信任を得た記事が日記史料に残る。やがて天文博士を兼ね、安倍氏(土御門家)による陰陽道の家伝確立に繋がった。後世、術者としての逸話が増幅し、妖異退治や式神使いの典型像として語られる。
川辺や沢で夜更けに小豆を洗う音を立て、「ショキショキ」「ザクザク」と響かせる妖怪。人家近くの水音に紛れて現れ、姿は小柄で老成、時に子どもの姿ともいう。脅かすよりは気配で人をたぶらかし、足を滑らせさせる怪異として語られる。江戸期の奇談や絵巻にも見え、数を正確に数える性質を伴う例が知られる。
後神は、人の背後に現れて後ろ髪を引くとされる怪異。鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に一つ目の女の姿で描かれ、ためらい・心残りを擬人化したものと解される。臆病者や優柔不断な者に付きまとい、踏み切れぬ心を増幅させる存在として語られる。語呂と観念の結びつきが強く、民間では臆病神の一類として位置づけられる。
応声虫は、中国の説話や本草書に見える怪虫・奇病の名で、日本の説話集・随筆にも記録がある。体内に虫が入り、本人が語らずとも腹中から問いに応じる声が返るとされる。日本では腹に口状のできものが生じ、言葉をまねるうえ、食物を欲するともいう。本草の記述では雷丸や藍の服用が効くとされ、虫は体外へ出ると伝えられる。実在の寄生虫譚と結び付けて語られる例が多い。
怨霊は、非業の死や深い恨みを抱いた人の霊、または強い怨念をもつ生霊が祟りをなす存在を指す。古代から中世にかけては、疫病・天変・政変などの災厄の原因とみなされ、御霊として社寺に祀り鎮める信仰が広く行われた。個別の名をもつ歴史上の人物が忌むべき力と畏敬を併せ持つ例が多く、恐れと祭祀が表裏一体で語られてきた。
雨夜に提灯のように往来すると伝えられる怪火。伊勢国での見聞として江戸後期の随筆『閑窓瑣談』や『諸州採薬記抄録』に記載がある。遭遇した者がうっかり近づくと流行病のような病を得て煩うとされ、出会った際は身を伏せ火が通り過ぎるのを待ち、機を見て逃れるのがよいという。高さは地上より一尺余りから三尺ほどを漂うと伝わる。
開発者の作業樹に棲む電脳の妖狐。静かな夜、更なる修正を急ぐ指先に寄り添い、誰も触れていない枝に変更加筆を忍ばせる。現れると同時に原因不明のエラーや衝突が連鎖し、履歴は綺麗なのに動かぬという矛盾を生む。人の焦りと自負を餌に、分岐を分岐で覆い隠すのが好物。
油坊は、寺社の灯油にまつわる咎を負った者の霊が怪火となって現れるとされる存在。滋賀県や京都府で伝承が見られ、比叡山の灯油を盗んだ僧が変化した火とも、油壺を抱える影法師の霊とも語られる。季節は晩春から夏の夜に多いとされ、寺の山門や山麓、池堤沿いに現出し、静かに飛び去る。名称は油に関わる罪過と執着に由来する。
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に描かれる煙の妖怪。名中の「羅」は薄布を指し、薄紗のごとくたなびく煙の精を表す。古来、囲炉裏や竈から立つ煙に気配を見た観念と結びつき、形を定めず漂う姿で示される。史料上は石燕の画による定着が主で、具体の害や徳は明示されず、煙そのものの化生として理解される。
江戸時代の本所南割下水付近に夜な夜な現れたとされる二八蕎麦の屋台にまつわる怪異。店主は決して姿を見せず、店先の行灯は常に消えているのに、誰かが火を点けると帰宅後に不幸が起こると畏れられた。逆に油が尽きず燃え続ける「消えずの行灯」とする伝えもある。狸の仕業とも噂され、本所七不思議の一つとして口碑に残る。
海や川辺に現れる恐ろしい妖怪。牛のような頭と蜘蛛や鬼に似た体を持ち、人を襲い喰らうと言われる。土地によって姿の伝承は異なるが、多くの場合「海辺で出会ってはならぬ存在」とされる。
夜更けに「甘酒はござらんか」と戸口をたたき歩く老女の姿で現れる妖怪。返答の有無や内容にかかわらず病をもたらすと恐れられ、戸口にスギの葉やナンテンの枝、トウガラシを吊すと避けられるとされた。江戸から東北各地に伝承があり、流行病の流布と結びつけて語られ、疱瘡神と同一視される説もある。冬の寒夜に巡る売り声と結び付く例が知られる。
生霊は、生きている人の魂が身体を離れてさまよう在り様を指す。強い怨みや恋慕、臨終間際の想いなどが契機となり、対象へ憑依して病や災いをもたらすと信じられた。平安期の貴族社会から近世の庶民信仰まで幅広く記録があり、自我の影身・影法師として現れる場合もある。意図せず離れる形のほか、呪詛により意識的に遣わす例も語られる。
江戸後期、越後国魚沼郡の山間に出没したと記録される怪しき獣。『北越雪譜』第2編巻4に「猿に似て猿に非ず」と記され、頭髪は長く背に垂れ、背丈は人より大きい。人を害すよりは食を乞い、時に荷を運ぶなど人の働きを助けたと伝わる。正体は明かでなく、山の精か稀なる獣の類と見なされ、織物産地の口碑にしばしば語られる。
顔に白粉を厚く塗り、破れ笠をかぶった老女の妖怪。雪道にも徳利を提げ杖を頼みに現れ、道行く者に酒を所望するという。人家の戸口に立ち、甘酒や清酒の匂いに惹かれて寄るとも言われる。応じれば祟らず、断れば夜更けまで戸を叩くなどの怪をなすとされ、寒村での冬季の戒めや来客応対の民俗観を映す存在として語られる。
磯女は九州各地の沿岸に出没する女の妖怪。砂浜や磯辺、停泊中の舟に近づき、長い髪で人にまとわりついて血を吸うと伝えられる。上半身は美女に近いが、下半身は朧ろであったり蛇状とされたり、背後からは岩に見えるともいう。名は土地により磯女子・濡女子・海女・海姫など多様。凪の折に姿を見せ、水死者の怨霊と結び付けられる地域もある。
江戸の絵師・鳥山石燕『画図百鬼夜行』に図像のみ登場する妖怪。蟹やさそりのような鋏を備えた姿で描かれるが、書内に解説はなく性質は不明とされる。先行絵巻に見える髪を切る妖怪「髪切り」との連想や、網と小型甲殻類の語呂による戯れからの創作と解する説がある。後世には蚊帳や漁網を切る存在として紹介されることが多いが、史料上の裏付けは限定的である。
平安期、酒呑童子の股肱とされる鬼。出生は摂津国(富松・茨木)説と越後国(古志郡軽井沢)説があり、幼少より異相・剛力を示したと伝わる。大江山の賊徒に加わり都を悩ませたが、源頼光一行の討伐で一味は壊滅、茨木童子は辛くも遁走したという。のち渡辺綱に腕を斬られ、化生してこれを奪い返した話が中世以降の説話・能狂言・歌舞伎に広く見える。
襟立衣は、僧が着用する襟の高い衣が年を経て妖となったものとされ、鳥山石燕『百器徒然袋』に図像が見られる。前に柄香炉を置き数珠を手に、立てるはずの襟が面部に垂れくちばし状となる姿で描かれる。石燕は「鞍馬山の僧正坊の襟立衣なるべし」と記し、天狗ゆかりの僧衣が精を得たものとの示唆を残すが、具体の事跡や語りは多く伝わらない。
赤足は、人の足もとにまとわりついて歩行を妨げるとされる怪異。姿を現す場合は赤い足のみが突き出すともいわれ、しばしば山道の辻や人けの少ない道で遭遇する。地方によっては実体を見せず、綿のようなものが足に絡み疲労や転倒を誘うとも伝わる。赤手児と対をなす、または同類とみなす説もある。
足の極端に長い「足長人」と、腕の極端に長い「手長人」を総称する異人譚。古代の地理志に見える長股・長臂の説を起原とし、『三才図会』および『和漢三才図会』に長脚・長臂として記載がある。海上では足長人が手長人を背負い、浅海で獲物を得るとされ、絵画題材としてもしばしば描かれた。日本では説話・戯画に取り入れられた。
逢魔時は、日の暮れに差しかかる薄闇の頃を指す言葉で、黄昏時と重なる。人の顔が判然としない境目の時間で、魔や妖怪に遭いやすいと畏れられ、小児を外に出さぬ戒めが語られた。鳥山石燕は「百魅の生ずる時」と注し、柳田国男も化け物への警戒を含む古義に言及する。地方には同義・近義の呼称が諸説ある。
鳥山石燕『百器徒然袋』に描かれる冠の妖怪。束帯をまとい笏を手にし、頭部が巻纓冠となる姿で示される。石燕は、「東都の城門に冠を掛け去った賢人」の故事を引きつつ、保身に固執して冠を手放さぬ邪な人物の影が宿るものとして示唆する。冠という権威の象徴が、道義を失った心に付くと妖となるという教訓的意匠が核にある。
姫路城の天守に宿ると伝えられる女性の妖怪・城郭神。江戸初期の怪談集では性別不定で多様な姿を示す城の化け物とされ、のちに「姫」の像が定着した。城の守護神と祟り神の両性を帯び、城主の行いに応じて吉凶をもたらすと畏れられた。正体は古狐、城の神、人柱の女、古い姫君の霊など諸説があり一定しない。小刑部姫・刑部姫とも呼ばれる。
陰摩羅鬼は、中国の古書に見える怪鳥で、新しい死体から立つ気が変じたものとされる。姿は鶴のごとく黒く、眼は灯火のように輝き、羽を震わせて甲高く鳴くという。日本でも江戸期の絵巻や説話に採録され、経文読誦を怠る僧のもとに現れたと語られる。充分な供養がなされぬ屍の気に関わる怪異として理解され、寺院での死者供養と戒律の怠りを戒める象徴となった。
伊予国松山に伝わる化け狸の総領。久万山の岩屋に棲み、松山城を守護したとされ、眷属は八百八匹に及ぶという。名の「刑部」は城主の先祖から下賜された称とされ、城下の人々や家臣に崇まれた。江戸後期の講談化で広く知られ、『松山騒動八百八狸物語』において神通力をもって怪異を起こす狸の頭領として描かれる。
雨を呼ぶ、あるいは雨と結びつけられる女性的な妖怪・霊的存在。鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に「雨女」の画題が見えるが、そこでは楚の宋玉「高唐賦」由来の朝雲暮雨を踏まえた風刺色が強く、妖怪としての具体像は明示されない。民間では雨の日に現れて子を攫うと恐れられる説や、旱魃に雨をもたらす霊として畏敬される見方が併存する。
江戸時代の妖怪画集『今昔画図続百鬼』に見られる小僧姿の妖怪。中骨を抜いた和傘を頭に被り、提灯を手にする図で知られる。解説では雨の神「雨師」に仕える侍童に擬せられ、語呂を踏まえた言葉遊びも指摘される。黄表紙にも登場し、小間使いめいた役割で描かれることが多い。実在の土地伝承は乏しく、文献由来の性格が強い。
江戸後期の鳥山石燕『百器徒然袋』(天明四年)に描かれた鏡の妖怪。丸鏡に妖しき顔が浮かび、古木の台に据わる姿で示される。石燕は照魔鏡の説話を引き、怪しきものの形を映す鏡に妖魔の影が移り住んで動き出したのではと記す。鏡そのものが年を経て霊性を帯びた付喪神として理解され、正体見破りの鏡観念と習合して語られる。
夜間、サギの体が青白く光って見える怪異。別名は五位の火・五位の光。江戸期の画集や随筆に記録があり、月夜や雨夜にも目撃される。正体はゴイサギとされることが多く、飛翔時に青い火のように見え、人々を驚かせた。発光は水辺の付着物や羽毛の反射などと説明されることもあるが、地域では怪火として語り継がれる。
江戸期の妖怪絵巻に描かれる精怪。衣をまとい、前脚を左右に広げ、眼球が上に突き出た馬の顔に鹿の割れ蹄を備える姿で表される。『百物語化絵絵巻』(18世紀後半)や尾田郷澄『百鬼夜行絵巻』、『化物尽絵巻』などに同姿の図が確認されるが、行状や由来の説明は付されない。語の「馬鹿」からの連想図像とみられるが、機能や害益は資料上不明である。
か行の妖怪 (23体)
古びた和傘が化けたとされる妖怪。一般には一つ目で長い舌を垂らし、一本足で跳ねる姿で描かれるが、二本足や腕を備える描写もある。室町期の百鬼夜行絵巻に傘の妖怪像が見られ、江戸以降は草双紙や浮世絵、かるた、舞台で定着した。実地の口承は乏しく、器物の妖怪の中でも図像を通じて著名になった代表的存在とされる。
がしゃどくろは、埋葬されず飢えや戦災で亡くなった者の怨念や骨が集まり、夜闇に現れる巨大な髑髏の妖怪とされる。がちがちと歯音を鳴らし彷徨い、人を掴み潰すと語られるが、古い民間伝承に直接の典拠は乏しい。昭和中期の児童書や娯楽作品で像が整い、巨大骸骨の図像は江戸の浮世絵に先行例があるが、同一の妖怪を指すものではない。
鳥山石燕『百器徒然袋』に描かれる化け猫。二股の尾を持つ猫が、囲炉裏用の道具である五徳を冠のように載せ、火吹き竹を手に火をあおぐ姿で表される。石燕は『徒然草』に見える「五徳の冠者」の語を踏まえ、器物の五徳と語を掛けた解説を添えた。室町期の『百鬼夜行絵巻』に見られる五徳を載せた妖怪像との連続性が指摘され、意匠の系譜上に位置づけられる。
傀儡子は、木偶(人形)や雑芸をもって諸国を渡り歩いた漂泊の芸能集団の呼称。平安期の記録に早く、弓馬や狩猟にも通じ、女は歌や遊芸に巧みであったとされる。のち寺社に所属する散所民として神事芸能や市庭で芸を行い、人形芝居・猿楽・神楽など後世の芸能に影響を与えた。女性は傀儡女とも呼ばれた。
小玉鼠は、秋田県北秋田郡のマタギに伝わる山中の怪。外見はハツカネズミやヤマネに似た小獣で、体は球状に近い。人に出会うと立ち止まり、みるみる膨張し、鉄砲のような轟音とともに破裂して肉片を散らすとされた(破裂せず大音響のみを発する説もある)。この出会いは山の神の怒りの兆しとされ、遭遇した猟師は直ちに猟をやめて山を退いた。
影女は、鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に描かれた女姿の怪異。物の怪の潜む家において、月光に照らされた女の影だけが障子に映るとされる。姿は影として現れるが、実体は定かでない。出現は夜、特に月明かりの強い折に多いと解され、家人に危害を加えるよりも、不気味な兆しとして語られることが多い。由来や正体については諸説あり、亡霊、家付きの怪、あるいは月影の怪とする見方があるが詳細は不詳。
数字ブロックに宿った学びの気が、画面時代に取り残された指先の記憶を呼び覚まして生まれた妖怪。子どもをからかい、答えを一桁ずらすなどの小技で混乱させるが、遊びのうちに量感や計算の感覚を身につけさせる。触れて重ねるほど形が変わり、数の意味を身体で理解させる現代の導き手。
山中の大樹や岩間に宿るとされる精。声を投げると遅れて返る現象を木霊の応答と捉え、やまびことも関連づけられる。古くは木の神格の余映として理解され、『古事記』の久々能智神と結び付けられる解釈や、『和名類聚抄』に木の神の和名「古多万」の記載がある。樹木の寿命や伐採に関わる祟りや瑞祥の徴とも語られてきた。
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に描かれた、全身毛むくじゃらで稀にしか見られぬとされる妖怪。作中解説では「希有希見」とも記し、その名義を示す。姿の形容として、体毛に覆われた「毛女」を引き合いに出すが、由来や性行について具体の記述は乏しい。後世には家の湿処に棲むとの説が流布するが、江戸期史料に確証はない。
奄美群島に伝わる妖怪で、古くは江戸末期の『南島雑話』に「水蝹(けんもん)」として見える。河童と通じる性質を持ち、頭頂の皿や相撲好きが語られる一方、ガジュマルに住む木の精としての面も強い。海と山を季節で行き来し、夜に光をともして漁をするともいう。古伝では人を助け無害とされるが、後世には祟りや悪戯も語られる。
海人は、海中より現れる人に似た存在として、近世の博物誌や見聞記に記された。四肢の指の間に水かきがあり、全身の皮が垂れ下がって腰で袴のように見えるとされる。髪や眉、顎鬚を備える描写もあるが、人の言葉を話さず、人の食を受け付けないと伝わる。海から上げると長くは生きられず、数日のうちに絶えるとも記される。
伊豆七島に伝わる水難死者の怨霊で、地元では「かんなんぼうし」ともいう。旧暦一月二十四日に、沖から盥や小舟に乗って来訪し、その姿を見た者は同様の最期を迎えると畏れられた。戸口に籠をかぶせ、柊やトベラを挿し、外出を慎む物忌みが行われる。発祥は江戸期の島役人や若者集団の海難に関わる怨霊譚として語られ、地域により来訪神的解釈もみられる。
玄武は四神の一つで北方を司る霊獣。しばしば亀と蛇が相交わる姿で表され、方位・季節(冬)・五行の黒と結び付く。中国古代の星宿信仰に由来し、日本には律令期以降に陰陽道や天文・風水思想とともに伝来。宮城の北辺を守護する象徴として城郭や社寺の配置・祭祀に取り入れられた。具体像は図像に拠るが、在地の民間伝承では神名より方位守護の観念が重んじられる。
江戸時代の文献に見える妖狐の階位の一つ。皆川淇園『有斐斎箚記』において、天狐・空狐・気狐・野狐の順に位が記され、空狐は上位に位置づけられる。姿は一般の狐と変わらぬとも、年を経て霊力が増し、幻術や人心への働きかけに長けるとされた。具体相や逸話は多く残らず、主に等級として言及される。
周防大島で六月頃、晴雨にかかわらずどこからともなく太鼓の連打が海上から響くとされる怪異。姿は見えず、浜や岬、入り江に反響して人々を驚かす。由来については、昔、芸人一座を乗せた船が時化に遭い、助けを求めて太鼓を打ちながら海に没したため、その音のみが季節になると甦ると語られる。音は夜間に多いが昼にも聞こえるという。
蟹が僧に化けて問答を仕掛けるとされる怪異。無住の寺や辺鄙な堂に夜更け現れ、禅問答めいた問いで住僧や旅僧を試す。正体を見破られると巨大な蟹となって逃げ去るか、退治されるという。甲斐国万力の長源寺伝説が著名で、石川県珠洲市や富山県小矢部市、福岡県福津市、岩手県一関市などにも類話がある。狂言『蟹山伏』との関連が指摘される。
金烏は、太陽の内に棲むと考えられた想像上の烏で、しばしば三本足の姿で表される。中国古典に「日中の烏」と見え、日本にも陰陽道や仏教絵画を通じて受容された。太陽そのものの異名として用いられることもあり、月に対する玉兎・蟾蜍と対概念をなす。描像では烏は黒く、背後の日輪が金朱で彩られることが多い。
金霊は金の気の具現、あるいは福徳を象徴する精の名で、善行に励む家に兆しとして現れると解された。江戸の絵巻では土蔵に金銀が満ちる図で示され、実体の怪異というより吉報の寓意とされる。一方の金玉は玉状または怪火として飛来し、家に迎えると家運が開けると語られるが、損なえば衰運を招くと戒められる。両者は混称される例があるが、性格づけはやや異なる。
提灯の中で泳いでいた金魚の魂が、祭りの夜の熱気とともに灯火と混ざり合い、妖怪に変じた存在。 小さな金魚の姿をした光の妖怪で、人をふんわり照らしながら夏の夜を漂う。
鎌鼬は、つむじ風に乗って現れるとされた怪で、人の肌を刃物で払ったように切り裂くと信じられた。遭った直後は痛みが乏しく出血もしない、または後から痛みと血が出るなどの伝えがある。江戸期以降は鎌の爪を持つイタチの姿で描かれ、現象そのものや風神・小妖の仕業など説明は地域により異なる。冬の季語としても用いられる。
餓鬼憑きは、旅人や山野を行く者が餓鬼に取り憑かれ、突如として激しい空腹と脱力に襲われる現象をいう。しばしば歩行不能となり、その場から一歩も進めなくなると伝える。口に少量の食べ物を入れることで解けるとされ、米一粒でもよいとする地域がある。仏教の餓鬼観と、行き倒れ・餓死者の怨霊観が習合した憑き物として各地に類例が見られる。
さ行の妖怪 (16体)
七人同行は讃岐に伝わる七人組の亡霊。人と同じ姿で一列に並び、夜道や四辻に現れるという。非業の死者の霊ともされ、行き逢えば災厄や病を招くと畏れられた。ふだんは目に見えないが、牛の股の間から覗くと姿を捉えられる、耳を自在に動かせる者には見えるなどの言い伝えがある。同類として四国各地の七人ミサキがしばしば引き合いに出される。
三目八面は土佐国の申山に棲むと伝わる怪異で、名のとおり三つの目と八つの顔をもつとされた。森村へ向かう通行人を襲って食らったと語られる。姿は詳細不明だが、焼け死んだ遺骸が隣村にまたがるほど巨大であったという。土地では山鎮めの祀所と結び付き、鎮め石・鎮め所の名が残ると伝承される。
千疋狼は、夜道で人を追い詰めるオオカミの群れに関する説話類型。被害者は大木に登って難を逃れるが、群れは肩車のように身を重ねて梯子を作り樹上に迫る。届かぬと見るや親玉や異形を呼び寄せ、事態が一転するのが定型である。送り狼と並び狼譚の代表例とされ、各地で細部を異にしつつも「群れの連携」「呼び寄せられる怪」「夜間遭遇」の骨格が共有される。
奈良末から平安初にかけての皇族。光仁天皇の皇子、桓武天皇の同母弟。皇太子となるも、藤原種継暗殺事件への連坐で廃され、淡路へ流される途中に絶食の末に薨ず。のち疫病や飢饉、宮廷内の病死が続くと、その祟りとみなされ、崇道天皇の尊号を追贈されて鎮魂が進められた。御霊信仰の代表的存在として畏れ敬われる。
朱雀は四神の一つとして南方を司る霊鳥で、火や夏、赤色に結び付けられる。中国で成立した方位・五行思想の影響を受け、古代日本にも受容された。平安京の条坊制や社寺の造営では南域の守護象として言及され、朱雀門・朱雀大路の名に残る。図像は翼を広げた赤い鳥として表されるが、具体相は一定せず、神獣として尊崇の対象となった。
那須湯本温泉近くにある溶岩塊にまつわる怪石譚。周辺は硫化水素などの火山性ガスが噴き、古くから鳥獣が近づけば命を落とすと畏れられた。「殺生」は仏教の戒に由来し、石が毒気を放つと語られる。俳人松尾芭蕉が訪れ『おくのほそ道』にその景を記したことで広く知られ、名勝として伝承と景観が重ねられてきた。
第七十五代天皇。保元の乱後、讃岐国に配され、怨恨深く没し強力な御霊として畏れられた。配流地で写経供養に励むも受納されず、怨みを深めたという。没後は京中の変災や武家勃興と結び付けられ、社寺で御霊鎮めの祭祀が行われた。天狗化や夜叉の相を得たとする伝承も各地に伝わる。
泉南市・長慶寺に伝わる雌の大蛇で、多数の蛇を率いたとされる。寺近くの池に棲み、寺の守護存在として祀られた。文政年間の頃、旅の女に化けて住職・鐘山和尚に近づいたが、挙動を怪しまれ斬られる。臨終にあたり長慶寺を護ることを誓ったという。池は後に埋め立てられ現存しないが、蛇王信仰の一環として語り継がれる。
甲羅に人面のごとき文様を備える蟹で、讃岐の八島浦にゆかり深しとされる。俗説では、源義経に追討され滅んだ平家一門の怨霊が蟹に成り替わったものと語られ、「平家蟹」と総称される。実際には各地に同様の人面文様をもつ蟹が知られ、地元の名と結びつけられて伝承される。名称は土地呼称で、学術的分類とは異なる。
車の前照灯ガラスに宿った妖怪。夜道を走る車の強い光が人の目を惑わせ、そこに恐怖や焦りの心が映り込み妖怪化したといわれる。
鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれた妖怪で、注記に「邪魅は魑魅の類」とあり、山林に満ちる妖邪の悪気、または人を害する魔的存在の総称として示される。日本の固有伝承というより、中国の文献に見える観念的な魔物を図像化したものと解される。個体像は一定せず、瘴気や祟りと関わり、人に病や迷妄をもたらすとされた。
平安期の都周辺で人を攫う大鬼の頭領。豪飲を好み、配下の鬼とともに山中の館に拠って往来を襲ったとされる。名は酒好きに由来し、童子は僧形・若者姿を指す呼称。源頼光と四天王によって討伐され、首は切られても噛みついたと伝わる。住処は大江山・伊吹山・愛宕山など諸伝があり、陰陽師の占によって所在が定められたと語られる。
祭りの夜に遊ばれるヨーヨーに宿った現代の妖怪。光と影を操り、宙を舞うように人々の目を奪う。子どもたちの歓声や屋台の賑わいから力を得て、時に眩しく輝き、時に不思議な影を落とす。人々が楽しむ心を映し出す存在だが、遊びすぎて夢中になると、絡まった糸のように身動きが取れなくなるといわれている。
青竜は四神の一つとして東方を守護する霊獣。五行の「木」、五色の「青(蒼)」に配され、春の季節と結び付く。中国の星宿信仰に由来し、古代に日本へ伝来したのち、方位鎮護の観念や都市・陵墓の配置、社寺の守護意匠などに取り入れられた。瑞兆とされ、白虎・朱雀・玄武とともに一具として尊ばれる。
た行の妖怪 (14体)
和歌山県北山村で伝えられる、男「タメハチ」に憑いたとされる狐の総称。滝の絶壁を渡りきる妖力を示したと語られ、同地の断崖に残る筋状の跡をその証とする説がある。記録では蛇や修験者との競べ譚と混在し、主体が狐憑きの男であったとする言上も併存する。実在人物や年代は不詳で、地形伝承と憑き物観が結びついた逸話として位置づけられる。
志摩沿岸に伝わる海の怪異で、海に潜る者に瓜二つの姿で現れるとされる。曇天の日に遭いやすく、鉢巻の尻尾が不自然に長いのが見分けの印という。アワビを差し出したり、暗がりへ誘うことがあり、誘いに応ずると命を落とすと恐れられた。海女たちは五芒星と格子を染めた手拭いなどを身につけ、災い除けとした。実体は不詳とされ、海上労働の幻視とも語られる。
長年使われた器物に精霊が宿り、変化した存在。室町期の御伽草子系絵巻『付喪神絵巻』に語が見え、百年を経た道具が霊性を得て人心をまどわすとされる。「つくも」は九十九の意とも、老女の白髪「つくも髪」に通じ長寿を象徴する語と解される。姿は人・鬼・獣など多様に描かれ、荒ぶるが仏法に帰依して静まる筋立てが示される。
佐渡に伝わる化け狸の総大将。狢とも呼ばれ、蜃気楼や幻を用いて人を惑わし、木の葉を金に見せかけて買物をしたと語られる。自らの穴居に幻をかけ豪奢な屋敷に見せ、人を招いたともいう。一方で困窮者に金を貸し、借用書を置けば翌日には金が置かれたという話も伝わる。後に相川の二つ岩大明神として祀られ、信仰の対象となった。
古代、日本の朝廷に従わなかった在地勢力を指す蔑称として史料に見える語。山野に籠り岩屋・土窟を構えて抵抗した者たちを称し、『日本書紀』や各国風土記に名が見える。のち中世以降、能や絵巻で巨大な蜘蛛の妖怪として造型が進み、源頼光に討たれる物語で広く知られる。生物学上の蜘蛛とは本来無関係。
寺つつきは、啄木鳥の姿をとり寺院の棟木や扉を嘴でつついて損なうとされる怪鳥。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれ、仏法を妨げる凶兆として語られる。物部守屋の怨霊が姿を変えたとも言われ、聖徳太子が建立した寺を狙うと伝えられる。正体はアカゲラに比定される説があり、音を立てて現れては忽然と消えるという。
満月の面に現れる陰影を兎の姿と見なす伝承上の霊獣。古くは仏教絵画や説話により広まり、月天の象徴として描かれた。中国では不老不死の薬を搗く兎として、日本では餅を搗く兎として解されることが多い。絵画史料では中世から確認でき、江戸中期には餅搗き像が一般化したとされる。
夜空の秩序が乱れると現れるという、月食にまつわる現代妖怪。満ち欠けを食むふりをしながら、人々のスマホに残る月全食の写真だけを「通常の満月」に書き換え、記録と体験の齟齬を生む。さらに夢へ潜り込み、昼夜の境目を曖昧にして、就寝中にも突然の薄暗さや冷えを感じさせる。デジタル記憶への過信と天文イベントの消費化を戒め、目で見ることと記録することの断絶を映す影とされる。
鳥山石燕『百器徒然袋』に描かれた妖怪。猪口を頭にのせた虚無僧風の小鬼が箱から現れる図で知られ、解説では唐の玄宗の前に現れた墨の精の逸話を引き、同類の怪と示唆される。名の「暮露」は禅宗系の托鉢僧の呼称と虚無僧風姿、酒器の猪口を掛け合わせた語遊び的造形と解され、半僧半俗像の連想が強い。
平安末、鳥羽院に仕えた絶世の美女とされ、才色兼備で宮中に寵愛されたが、その正体は白面金毛の九尾の狐と伝えられる。やがて陰陽師により正体を見破られ逃走、関東へ落ち延びた後、下野国那須野で石となったと語られる。伝説の成立は室町前期以前とされ、『神明鏡』や御伽草子『玉藻の草子』などに見える。
満員電車のこもった空気を「どうにかしたい」という通勤者の願いから生まれた、風を司る小さな精。子どもの姿をとり、半透明の身体に小扇や小さな換気口を思わせる意匠を持つ。現代の都市生活で増した密閉空間の疲れや匂い、気まずさを和らげるため、車内に涼やかな風を通し、不快な臭気や重さを吸い取り清らかさを残す。人の振る舞いに敏感で、思いやりに応じて長く留まり、無作法には冷風で戒める。
な行の妖怪 (10体)
夜道で行く手をふさぐ見えない壁として知られる妖怪。歩行者は突然進めなくなり、手探りしても平らな面に阻まれるように感じる。多くは暫く立ち止まる、脇へそれる、地面を杖で叩くなどすると解けるとされる。姿は定まらず、見えないもの、あるいはのっぺりした壁状と語られることが多い。人を食らうなどの害は少なく、道迷いを起こす厄介者として恐れられた。
七尋女房は、島根県東部および隠岐諸島、鳥取県伯耆地方に伝わる巨大な女の妖怪。名の「尋」は長さの単位で、身の丈または首が七尋に及ぶとされる。山道や海辺に現れて笑いかけたり、石を投げる、洗濯の所作を見せるなどして人を惑わす。地域により容貌や振る舞いは異なり、美貌の物乞いとされる例から、黒い歯と乱れ髪の怪女として語られる例まで幅がある。
偽汽車は、蒸気機関車の普及期に各地で語られた怪異で、線路上に実在しない汽車が現れて走行し、直前で掻き消えるとされる。多くは狐や狸、ことに狢が汽車に化けて人を惑わすと解され、消失後に線路脇で獣の轢死体が見つかる筋立てが伴う。夜の山野に響く新奇な汽笛や走行音を、獣の仕業と受け止めた民俗的解釈が背景にあるとされる。
遠江国一帯に伝わる水の妖怪で、遠州灘の海鳴と結びつけられる。行基が流した藁人形に由来するという説が知られ、波の響きで天候を告げる存在とされる。波音が南東から聞こえれば雨、南西なら晴れと伝えられ、漁撈や農事の目安となった。河童や海坊主と習合的に語られる場合もあるが、詳細な姿形は一定しない。
猫又は、年老いた猫が尾を二股に分けて妖力を得た姿、または山中に棲む大猫の妖怪をいう。古記録や随筆に名が見え、火を噴く、言葉を解す、人に化けるなどの異能を持つとされた。家猫が長命・大柄になるほど化けやすいと畏れられ、夜更けの怪火や怪音の原因ともされた。山の猫又は人を襲う荒ぶる獣とされ、家由来は家内神的に扱われる例もある。
猫娘は、猫の所作や嗜好を示す女性に与えられた呼称で、近世の実見談・見世物記録・読本などに現れる。妖怪としての固定像は弱く、奇癖を有する人や見世物の呼び名として扱われる例が中心である。江戸・上方の見世物、読本『絵本小夜時雨』の奇女譚、雑記類の実録風記事などに名が見えるが、超自然的変化の存在としては位置づけられず、人の奇行に猫性をなぞらえた呼称と理解される。
紀伊半島の山中に伝わる妖怪。若い女に化け、人に近づいて肉や精気を吸うとされる。夜更けに提灯を手に山道を行く者へ「火を貸して」と近づき、提灯を奪って暗闇に紛れ食らいつくという。熊野や果無山の伝承が著名で、火種や火縄を携える戒めが語られる。記録には退散例もあり、山中での遇い方が教訓化されている。
長年用いられた鉄の釜に精が宿り、人の身に似た形をとると伝える付喪神。炊事の折に釜が発する鳴動や唸りを吉凶のしるしとみる信仰と結びつき、音色を占として解した古習に由来する名とされる。絵画資料では頭が釜の姿で描かれ、夜更けに現れては鳴音を立て、人心を試すと語られる。
鵺は『平家物語』に著名な記述がある怪異で、夜ごと宮中を悩ませたと伝えられる。猿の顔、狸の胴、虎の手足、尾は蛇と描写され、正体不明の鳴き声で人心を乱す。源頼政が矢で射落とし、家来が止めを刺したという筋が広く知られる。姿形の細部は時代や絵巻で差があり、正体の曖昧さ自体が特徴とされる。
は行の妖怪 (13体)
二口女は、後頭部に第二の口をもつとされる女の妖怪。普段は髪で口を隠すが、空腹になると髪が蛇のようにうねり、後ろ口が勝手に食物を求めて騒ぐという。『絵本百物語』(天保十二年刊)などの奇談に見られ、過度な倹約や隠し事への戒めとして語られる。外見は人の女と変わらず、うなじに鋭い歯と舌を備えるとされる。
古い猫が年を経て妖異を得たもの。人に化ける、言葉を話す、死者を操る、祟るなど多様な怪をなすとされ、猫又と混同されやすい。行灯の油を舐める所作は怪異の兆しとされ、尾の長い猫が化けやすいとの俗信もあった。都市の発展とともに身近な猫へ神秘性が投影され、江戸期の版本や絵画でその像が広まった。
封豨は『山海経』など中国の古書に見える怪獣名で、桑林と称される地に棲むと記される。日本固有の妖怪名ではないが、江戸期以降の博物誌・異国奇談の紹介を通じて名のみが知られ、異境の怪として受容された例がある。姿形や性質の細部は日本側資料では一定せず、主に名と出所のみが引用される存在である。
波山は伊予に伝わる怪鳥で、婆娑婆娑・犬鳳凰とも呼ばれる。赤い鶏冠を持ち、口から赤々とした火を吐くが、その火は狐火の類とされ熱を伴わず物を焼かない。山奥の竹薮に潜み、人前に出ることは稀だが、深夜に村里へ飛来して羽音を大きく立て、姿はすぐに掻き消えるという。人を驚かすが、実害は与えないとされる。江戸期の奇談集や図像に記述が見られる。
白虎は四神の一つとして西方を司る神獣で、白毛の猛虎として表される。陰陽五行では白と金・秋を象徴し、方位鎮護・結界の標識として信仰・図像化が進んだ。日本では古代律令期の天文・陰陽道受容とともに伝来し、キトラ古墳西壁や薬師寺金堂台座などに描かれる。星宿信仰や城郭・墓葬の方位守護と結びつき、護符・社寺装飾にも及んだ。
全身に多数の眼を有する妖怪。昼の強い光を嫌い、主に夜に現れるとされる。人の前に姿を見せると、その眼の一つが体から離れて追尾するという説が伝えられることがある。口部が眼で覆われている描写もあり、食性は不詳。近代以降の図像・書籍で広まり、名称・形態は江戸末から明治期に描かれた「百目」系の絵画および近現代の妖怪図鑑により定着した。
般若は女性の強い嫉妬や怨みが鬼形へ転じた姿を示す名で、能面「般若」によって広く知られる。額の角、裂けた口、金属光沢の面相が特徴とされ、哀しみと怒りが同居する相貌を持つ。能や説話では、生前の情念が成仏を妨げ、人を悩ます存在として語られるが、祈祷や回向によって鎮められるとされる。
水難で命を落とした者の霊が海上に現れる怪異。船や亡霊、怪火、海坊主状など姿は諸説ある。多くは夜の時化や霧の晩に現れ、ひしゃくで船内に海水を注ぎ込み沈めようとする、進路を惑わせ座礁させるなどと語られる。底の抜けたひしゃくを渡す、握り飯や灰を投げる、睨み据えるなど、地域ごとの対処法が伝えられる。亡者船、アヤカシなどの呼称もある。
『太平記』巻十六に名が見える、藤原千方に従った四体の鬼。金鬼は兵具を通さぬ堅躯、風鬼は烈風を起こし、水鬼は洪水を起こし、隠形鬼は姿気配を隠して奇襲するという。千方は四鬼を率いて朝廷に背いたが、討伐に赴いた紀朝雄の和歌により四鬼は退散し、千方は滅ぼされたと語られる。地方伝承では火鬼・土鬼を数える異説もある。
豊後河太郎は、九州の豊後地方に伝わる河童の一種。河や淵に住み、頭頂に水を湛える皿を持つ。体は毛に覆われ猿に似るが、くちばし状の口や甲羅を備えるとされる。相撲や水中での悪戯を好み、漁の獲物を奪う一方、約束を守れば用水や医療の知恵を授けるなど両義的な性質を持つ。皿の水が失われると力をなくすと信じられる。
家や人に取り付き、家運を傾けるとされる神。痩せた薄汚れの老姿、青ざめた顔で渋団扇を持つ像が知られる。怠惰や乱れを好み、倹約と勤労、清潔を嫌うと俗信される。押入れや座敷の隅に潜むと伝え、味噌を好むという説がある。追い払うよりも、礼を尽くして送る・改心して住み心地を悪くするなどの対処が説かれてきた。
江戸時代の奇談集『絵本百物語』に見える妖怪名。仏教的戒めから説かれ、女の色香に惑うことの愚を示す比喩として描かれる。見目は菩薩のごとく美しく、内は夜叉のごとく恐ろしいとされ、心を乱された男は家を失い、身を滅ぼすと戒められる。名称は「因縁に魔障が飛び来る」の意とも解され、丙午生まれの女性観への俗信とも結び付けて語られた。
馬骨は、朽ちた馬の骨が妖気を帯びて現れたとされる骸の妖怪。江戸期の絵巻『土佐お化け草紙』に描かれ、骨が衣をまとい歩く姿で知られる。恨みや無念を帯びるとも、埋葬や供養の不足が形を成したとも語られる。人を直接害するより、夜道に現れて驚かせ、畜生供養の大切さを示す存在として記録されることが多い。
ま行の妖怪 (8体)
「ももんがあ」は江戸期の絵本・版本に見られる怪異名で、夜分に家屋の二階や窓辺から現れて人を脅かすとされる。大きな眼と裂けた口を持つ姿、または白い肉塊に短い手足が生えた異形として描かれることがある。特定の由来や祀り方は伝わらず、名は驚かしの掛け声に通じ、姿形は本草・随筆・絵巻の図像により幅がある。
ムジナは主にアナグマを指す語で、地域や時代によりタヌキやハクビシンと混称されることがある。古くから人を化かす獣として語られ、夜道で道や川を誤認させ、食物や場所の見え方を変える術に長けるという。『日本書紀』に人に化けて歌った狢の記述があり、江戸以降は狐・狸と並ぶ化かしの代表格として絵画や説話に登場する。学術的同定は地域ごとに揺れがある。
妙多羅天は越後国(新潟)および出羽国(山形)で祀られる女神格の在地神で、子ども・善人の守護、悪霊退散、縁結びに通じると伝えられる。弥彦山縁起や地元の口承では、暴威を鎮めるため祠に勧請されて以降、雨をもたらし災厄を退く守護神として崇められた。名義は一定せず「妙多羅天女」とも称され、由来や属性には地域差が大きい。
鳥山石燕『百器徒然袋』に描かれた行騰(むかばき)が化した付喪神。腰以下を覆う狩装束の毛皮が霊威を帯びて立ち上がる姿として示され、石燕は『曽我物語』の河津三郎の行騰に擬したが、復讐譚など具体の逸話は伝わらず由来は不詳。絵巻群にみえる行騰姿の妖怪像とも響き合う、器物怪異の一例。
夜道や坂の突き当たり、四つ辻、石橋、木の上などに現れる入道姿の怪異。見上げれば見上げるほど巨大化し、恐れに囚われた者を脅かす。対処は「見越した」「見抜いた」と唱える、あるいは落ち着いて見下ろすなどが知られる。正体は一定せず、タヌキ・キツネ・イタチ・ムジナなどの変化とする地域説がある。江戸期の怪談・随筆にも見える著名な類型。
江戸期の妖怪絵巻に描かれる姿名。短い毛が全身に密生し、横向きの上半身で口を突き出した姿として図示される。『化物尽絵巻』『化物絵巻』『百物語化絵絵巻』などに見られるが、行状や由来を記す詞書は付されず、性質は判然としない。名称は「身の毛たち」「身の毛よだつ」など表記が揺れ、絵画資料上の図像として伝わる例が中心である。
魍魎は山川草木・石・墓所などに宿るもののけ、または水に由来する怪を指す総称。漢籍では罔両・罔象とも書かれ、赤黒い色で赤眼・長耳の童子状と記す例がある。日本では水神「みずは」と訓じられ、のちに魑魅と対に並べて用いられた。死者の肝や屍体を好むとされ、葬送の場に現れる怪異や屍体を奪う妖に比定されることがある。
麦殿大明神は、江戸時代に流行した麻疹を退散させる守護神として崇められ、麻疹絵に多く描かれた神格。麻疹を象徴する鬼を踏み伏せる姿が定型で、護符として家内に掲げられた。病除けの祈願とともに、養生法や食禁を添えた版画が流布し、恐れの対象である麻疹に対し心の拠り所を与えた。特定の社寺や系譜は不詳で、版元ごとに表現が異なる。
や行の妖怪 (6体)
各地に伝わる、夜になると泣き声やうめきを発するとされる石の総称。石そのものが怪音を発する場合と、亡者の霊が宿って嘆くとされる場合がある。静岡県の小夜の中山の夜泣き石がよく知られ、母子の悲話と結び付く例が多い。一方、子の夜泣きを鎮める霊験石として祀られる型も見られ、石の霊性・祟りと鎮魂の観念が重なっている。
江戸中期の怪異譚『稲生物怪録』に登場する、妖怪どもを率いる頭領。寛延二年、三次の稲生平太郎に三十日にわたり怪を仕掛け、最後に四十歳ほどの武士姿で名乗った。自らを天狗や狐ではないと述べ、魔王の座を賭けた試みの一環として平太郎を試したという。諸本で名表記に揺れがあり、絵画では三眼の烏天狗風に描かれる例もあるが、その正体は定まらない。
疫病神は、人々に流行病や災厄をもたらすと畏れられた悪神。平安期以降、疫鬼観が受容され、貴族社会の怨霊・鬼神観と民間の病魔観が結びついて形成された。姿は通常は目に見えぬとされるが、夢・絵像・来訪者譚では鬼形や老人姿で表される。祭祀や護符、境のまつり、夏の祓などでその侵入を防ぎ送る民俗が各地に伝わる。
雪爺は、深い積雪の山中に現れる老人の姿をした雪の妖怪。吹雪の折に人の前へ現れて道を惑わせ、驚かせて迷わせるとされる。雪女や雪入道と同系とみなされることがあり、雪に関わる怪異の一形態として語られる。吹雪の山で果てた者の魂が転じたもの、あるいは雪の神格に連なる存在とする説があるが、詳細は不詳。
ら行の妖怪 (6体)
冷蔵庫に長年貼られた磁石飾りが、人々の記憶や食欲の気配を吸い取り、ある夜ふと目覚めてしまった付喪神。 持ち主が目を離すと、静かに位置を変え、買い置きの食材や約束事を忘れさせる。また時には夜更けに囁くような気配を放ち、無用な間食へと誘うとされる。 その姿はどこか可笑しく、家の中に潜む小悪魔的な存在として恐れられている。
夜空を裂く閃光の一部は、実は石ではなく、人の視線と噂を糧に飛ぶ妖である。高速飛翔の熱と空気摩擦を自らの力に転じ、街の上空で光尾を引きながら注目を集める現代の化生。ニュース速報やSNSの投稿が増えるほど勢いを増し、願い事や不安の言葉も養分にする。落下せず、都市の上空をかすめて消えるが、その残光は人心に「大きな出来事」を期待させる兆しとして刻まれる。
雷鳴とともに雲間より落ち来たり、樹上や田畑を駆け荒らすと畏れられた獣状の妖怪。毛は逆立ち、爪は鋭く、落雷の際に樹皮を裂く痕や焼痕をその跡とみなす地方もある。人の近くに落ちかかると気を奪われ、しばし呆然とするという。雷が収まると姿を消し、再び天へ昇るとされる。姿形は狐や狸に似る、鼬ほどの大きさなど諸説が伝わる。
龍女は水域に縁ある龍が女性の姿をとった存在とされ、川や湖、海辺、湧水などに現れるという。しばしば美貌の女として人前に現れ、人に恩を施す場合と畏れを抱かせる場合がある。天候や水量と関わり、祈雨・止雨の願いの対象となる説も見られる。姿は人と龍を行き来するとされ、正体は鱗や爪、香気などで察せられると語られる。
わ行の妖怪 (3体)
持ち物をよく忘れる人の心から生まれた妖怪。いつも小さなランドセルや風呂敷を背負っているが、中身は空っぽ。人の大事な物をこっそり隠し、「あれ、どこいったっけ?」と慌てる様子を見るのが大好き。
笑般若は、邪念にとらわれた女が変化した鬼女として絵画や口承に見られる妖怪。角と牙を持ち、面のように引きつった笑みを浮かべる相貌が特徴とされる。江戸の絵画では狂気めいた笑いとともに、果実や首級を思わせる不気味なモチーフが添えられることがある。信濃の伝承にも名が伝わるが、具体の逸話や出没状況は詳らかでない。
炎に包まれた牛車の車輪の中心に大入道の顔が現れる妖怪。見た者の魂を奪うとされ、戸口に「此所勝母の里」と書いた紙を貼れば近づけないと伝える。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に図像があり、車輪妖怪譚の一系譜として知られる。片輪車との関連が論じられ、同源説が有力視されている。