基本説明
河童は、川や池、沼などの水辺に棲むとされる、日本でもっとも名高い妖怪の一つである。背丈は四、五歳の子どもほどで、頭の上に水をたたえた皿(さら)をいただき、背に甲羅、口は嘴(くちばし)、手足には水かきをもつ。体は緑や赤がかった色で、生臭いともいう。この頭の皿こそが力の源で、皿の水がこぼれたり乾いたりすると、たちまち力を失うと信じられてきた[1]。それゆえ、河童に深くお辞儀を返させて皿の水をこぼさせ、捕らえるという知恵も語り継がれた。
河童には、人や馬を水へ引きずり込んで命を奪う恐ろしい一面と、約束を固く守り、相撲を好み、ときに接骨の妙薬を伝える律儀な一面とがある。全国に広く分布し、土地ごとにガラッパ、メドチ、エンコウ、ヒョウスベなど、八十をこえる呼び名をもつ。日本の妖怪のなかでも、これほど深く地域に根を張った存在は珍しい。
民話・伝承
河童が人を水に引き込むのは、「尻子玉(しりこだま)」を抜くためだと語られる。尻の中にあると想像された玉で、これを抜かれると人は腑抜けになり、命を落とすという。水死体の肛門がゆるんで開くさまが、何かを抜き取られた跡のように見えたことから生まれた想像だとも考えられている。河童は人の肝(きも)も好むとされた。
河童をめぐる伝承で全国にもっとも広く分布するのが「駒引き(こまひき)」の話である。河童が川辺の馬や牛を水に引き込もうとして、逆に引きずり出されて捕らえられ、命乞いに詫び証文(わびしょうもん)を書いたり、接骨の秘術や妙薬を伝えたりする、という筋立てだ。播磨の『西播怪談実記』[2](1754)などにこの話があり、福岡の千眼寺には溺死者を出さないと誓った河童の証文が、各地の旧家には河童伝授と称する接骨薬が伝わる。民俗学者の柳田國男は『山島民譚集』[3](1914)で、この駒引き伝説を全国から集めて整理している。
好物のきゅうりにも由来がある。もともと水神に初物の瓜を供える習俗があり、それを河童が受け継いだものと考えられている。六月の決まった日に初物のきゅうりをまず河童へ供えてからでないと人は口にできない、という土地や、家族の名を書いたきゅうりを川に流して水難を避ける「きゅうり封じ」も各地にあった。きゅうりの輪切りの断面が祇園の神(牛頭天王)の紋に似るので魔除けになるともいい、寿司の「河童巻」の名もこの好物にちなむ。
河童の記録は古い。『日本書紀』[4]仁徳天皇の条には、堤の工事を妨げる川の神「河伯(かわのかみ)」が見え、これが神の威を失って河童へ零落したものとも解される。江戸時代には『和漢三才図会』[5](1712)が「かわたろう」として詳しく図示し、古賀侗庵の『水虎考略』[6](1820)は各地の河童を「水虎」として考証した。絵では鳥山石燕が『画図百鬼夜行』[7]に河童を描き、佐賀の酒蔵などには「河童のミイラ」と称する異形の標本も伝わる。近代では、牛久沼のほとりで河童を描き続けた画家・小川芋銭が「河童の芋銭」と呼ばれた。
コレクション収録
この妖怪は以下のコレクションに収録されています:
徹底解説
河童とは、実は一匹の決まった妖怪の名ではない。川や池に棲む水の霊を、日本じゅうがそれぞれの言葉で呼んできた、その総称にほかならない。南九州ではガラッパ、東北ではメドチ、四国ではエンコウ、中部ではカワランベ、近畿ではガタロ、九州ではヒョウスベ――土地ごとに名も姿も少しずつ違い、その数は八十をこえるとも言われる。猿に近いもの、毛深いもの、群れをなすもの。だが、どれも「水辺にいて、頭の皿に水をたたえ、人や馬を引く」という芯を分かちもつ。河童とは、いわば全国の水の霊が寄り集まった大きな一族の、共通の呼び名なのである。
これほど多彩な変種を一本に束ねているのが、民俗学の見立てである。柳田國男や折口信夫は、河童をもともと水をつかさどる神(水神)だったものが、信仰の衰えとともに妖怪へ零落した姿だと考えた[3]。駒引きの伝説で河童がきまって馬や牛を水へ引こうとするのも、もとは水神に馬牛を捧げて豊作を祈った祭りの記憶ではないか――石田英一郎は『河童駒引考』[8](1948)で、この馬と水神の結びつきをユーラシア各地の神話と比べてみせた。水をつかさどる神だからこそ、河童は田に水を引き、魚を恵み、接骨の妙薬まで伝える一方で、人を溺れさせ、尻子玉を抜く。恵みと祟りの両面は、零落した水神の表と裏なのである。
水神の名残は、季節のめぐりにも見える。西日本では、河童が秋の彼岸に山へ入って山童(やまわろ)となり、春の彼岸にまた川へ下りて河童に戻る、と広く語られる。春に山から里へ下りる田の神、秋に山へ帰る山の神――その去来の観念と、河童と山童の交替はぴたりと重なる。一族の変種どうしも、こうして互いに地続きにつながっている。
一族には、頭領の伝説まである。九州の球磨川には、九千匹もの眷属を率いて大陸から渡ってきた河童の大将「九千坊(くせんぼう)」の話が伝わる[9]。加藤清正の怒りを買って一帯を追われ、筑後川へ移って久留米の水天宮の眷属になったという。河童がただ一匹の化け物ではなく、川から川へと連なる一族として想像されていたことが、この親分伝説によく表れている。
河童ゆかりの土地は全国にある。岩手の遠野には河童が出るという「カッパ淵」があり、火事を頭の皿の水で消した功により、頭が皿の形をした「かっぱ狛犬」が常堅寺に据えられている[10]。茨城の牛久沼では、生涯河童を描いた画家・小川芋銭が「河童の芋銭」と呼ばれ、福岡の田主丸は「河童族発祥の地」を名のる。東京の合羽橋には、治水を進める商人を隅田川の河童が夜ごと助けたという伝説が残る。今も各地で河童祭が開かれ、酒の銘柄や町のマスコットにもなって、河童は日本でもっとも愛される水の妖怪でありつづけている。
妖怪設定
この区画は物語を楽しむための当サイト独自の設定です。史実・考証ではありません。
- 性格
- 好奇心旺盛で相撲を好み、約束は固く守る律儀者。いたずらと水難の影、そして水神であったころの名残をあわせもつ。
- 相性
- 水を愛し、好奇心と義理堅さをあわせ持つ人
- 能力・特技
- 水中を自在に泳ぐ相撲をとる怪力(皿の水が力の源)尻子玉を抜いて人馬を水へ引く接骨の妙薬を授ける
- 弱点
- 頭の皿の水がこぼれる・乾くと力を失う
- 深いお辞儀を返させ皿の水をこぼさせる
- きゅうりや祇園の紋を嫌う
- 生息地
- 川・池・沼, 春は里の川, 秋は山(山童となる)
出典・参考文献
10- 1
物類称呼 — 越谷吾山((方言辞書), 1775) [古典文献]河童の頭の皿に水を貯える時は力が強い、と記す。皿=力の源の近世の典拠。 - 2
西播怪談実記 — 春名忠成((怪談集), 1754) [古典文献]播磨佐用郡で河童の腕を斬り、河童が接骨薬を伝えたとする駒引き・妙薬譚。 - 3
山島民譚集 — 柳田國男 [研究]
- 4
日本書紀 — 舎人親王ほか((奈良時代の勅撰正史), 720) [古典文献] - 5
和漢三才図会 (寺島良安 1712) — 寺島良安(杏林堂, 1712) [古典文献] 参考資料
- 6
水虎考略 — 古賀侗庵((考証・図入り), 1820) [古典文献]河童を「水虎」とみなし各地の事例・図像を集成した江戸後期の考証書。 - 7
鳥山石燕『画図百鬼夜行』前篇陰之巻「絡新婦」 — 鳥山石燕(国立国会図書館デジタルコレクション, 安永5年(1776)初刊/文化2年(1805)求版本) [古典籍・一次図像]19コマ左頁に、女体へ蜘蛛脚を重ね、多数の小蜘蛛を配した「絡新婦」図がある。能力を説明する詞書や、琵琶を奏でる場面はない。 - 8
河童駒引考 — 石田英一郎(筑摩書房, 1948) [研究]馬・牛と水神の結びつきをユーラシア規模で比較。駒引き伝説を水神零落の所産と論じる。 - 9
本朝俗諺志 — 菊岡沾涼((江戸期の説話・俗信集), 1746) [古典文献]九州・球磨川に渡来した河童の大将「九千坊」の伝説などを載せるとされる江戸期の俗諺集。 - 10
遠野物語 — 柳田國男(聚精堂, 1910) [古典文献] 参考資料第18話前後に山口孫左衛門家の没落譚(童女退去→毒キノコで一家死亡)。座敷童子を世に広めた近代民俗の礎。
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下図は川辺の皿頭・河童の診断評価図です。各項目の値が高いほど、その特性が強く表されていることを示しています。