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海の妖怪一覧|船・磯・深海に現れる日本の怪異

黒い海面、底の見えない淵、濡れた髪、沖に連なる怪火

海の妖怪一覧
船・磯・深海に現れる日本の怪異

27体の妖怪

この特集の要点

海の妖怪には、沖合に立つ海坊主、船を沈めようとする船幽霊、磯辺に現れる磯女・濡女、巨大な磯撫でや赤えい、沖に無数の光が連なる不知火、海から予言を告げるアマビエ・神社姫などがいます。同じ「海の妖怪」でも、海難死者、自然現象、巨大魚、漂着する知らせ、龍宮や海神の信仰では成立が異なります。海を一つの暗い怪物として扱わず、どこで、誰が、何を恐れたのかを分けて見ることが重要です。

海の妖怪は、岸からの距離で姿を変える

陸から見た海は一枚の水面ですが、船人や漁師にとっては、磯、浜、沖、潮目、海底、島影がそれぞれ異なる場所です。足場のない沖では黒い影が海坊主となり、死者の記憶は船幽霊となり、磯では長い髪の女や巨大魚が現れます。遠くの灯、潮の音、漂着物も、海から届く知らせとして語られました。

本特集では、水に関係する存在を無差別に集めません。河童のような川の妖怪は別にし、海岸・海上・海中・島・龍宮に物語の中心がある怪異を選びました。海神や女神を妖怪と同一視せず、信仰と怪談がどこで接するかも区別します。

沖の黒い影――海坊主と海座頭

海坊主は、夜の海から巨大な黒い頭や僧形が立ち上がる怪異です。船を壊す、柄杓を求める、問いに答えなければ沈めるなど話は地域と資料で異なり、決まった一つの姿だけが原型ではありません。海座頭も海上に現れる盲目の琵琶法師姿で、静かな海と異様な人物像を重ねます。

遠い波、鯨、雲、夜の島影は、距離を測りにくい海で人のようにも巨大な怪物のようにも見えます。見間違いで片づけるのではなく、船上で正体を確かめられない不安がどのように物語化されたかを見る必要があります。

柄杓を求める死者――船幽霊

船幽霊は、海難で死んだ者の霊が船へ近づき、柄杓を借りて水を入れ、船を沈めると語られる怪異です。底を抜いた柄杓を渡すという対処法もよく知られますが、出現する日、姿、呼び名は各地で異なります。海で亡くなった者を弔うことと、同じ災難を避ける知恵が、一つの遭遇譚に重なっています。

アヤカシは海上怪異や船幽霊を指す総称として使われることがあり、常に一種類の生物を意味するわけではありません。舞首のように海面へ首が現れる話も、死者の争いや海の記憶を可視化します。

磯と浜に立つ女――磯女、濡女、薄負婆

磯女は西日本を中心に、海辺へ長い髪の女性として現れる水怪です。姿や人を襲う方法は地域差が大きく、特定の一枚絵を全国共通の原型にできません。濡女も濡れた髪と女性の顔、蛇のような身体で水際に現れ、牛鬼と組み合わせて語られる場合があります。

海辺の女性怪異には、漂着死体、産育、境界の禁忌、夜の浜を歩く危険など複数の背景があります。女性だから危険なのではなく、人が海と陸の境を越える瞬間を、見覚えのある人影が不穏に変えるのです。

島と見まがう海獣――磯撫で、赤えい、化け鯨

磯撫では巨大な尾で人や船を海へさらうとされ、赤えいは背を島と誤って上陸するほど巨大な魚として語られます。牛鬼や栄螺鬼は、実在の動物の角、殻、脚を組み替え、海辺にふさわしい異形へ変えます。化け鯨は骨だけの鯨が雨夜に現れ、その周囲を見慣れない魚や鳥が取り巻くという山陰の伝承です。

海獣の巨大さは、未知の生物への好奇心だけでなく、漁や捕鯨によって命を得る共同体が海の生命と結んだ緊張も背負います。

沖に連なる光――不知火と海上の音

不知火は、旧暦八月一日前後、有明海や八代海の沖に多数の光が見える現象として知られます。『日本書紀』景行紀の火国伝承と後世の呼称・説明は区別が必要ですが、海上の光を土地の記憶として語り継いだ重要な例です。現在は大気の屈折などから説明されますが、科学的説明が伝承の文化史を消すわけではありません。

虚空太鼓や浪小僧は、姿より音や波の動きで海の変化を知らせます。海の怪異は目に見える怪物だけでなく、航海や天候を読む感覚の物語でもあります。

海から来る予言――アマビエ、神社姫、ザン

アマビエは肥後の海から光とともに現れ、豊作と疫病を告げ、自分の姿を写すよう語ったとされます。神社姫も海から現れて疫病を予言する一方、姿や掲載資料はアマビエと同じではありません。沖縄に伝わるザンは人魚に近い海の存在で、津波や海の異変を知らせる話があります。

これらをすべて同じ「疫病退散の妖怪」に統合すると、成立した年代と地域が失われます。絵を写す行為、漂着する知らせ、海の異変という共通点と、各資料の違いを並べて読むことが大切です。

龍宮と海神――妖怪とは異なる海の主

龍神や市杵島姫命は、海や水を司る信仰上の神格で、海坊主や船幽霊と同じ意味での妖怪ではありません。龍女は龍宮・水界と人間界をつなぐ女性の異類として仏教説話や各地の水神譚に現れます。九頭龍も湖や水源の信仰と結びつき、海だけに限られません。

神、眷属、怪異、自然現象を分けることで、海をめぐる日本の想像力が妖怪だけでは完結しないことが見えてきます。

海の怪異を、土地と仕事から読む

同じ名前でも、漁村、港町、島、内海、外洋で語りは変わります。怪異・妖怪伝承データベースで採集地を確かめ、絵師の図像や後世の再話と分けて読むと、海の妖怪が単なるモンスターではなく、仕事、弔い、天候、土地の境界を記憶する存在だと分かります。

下の「収録妖怪」には、沖の影、船の死者、磯の女、巨大海獣、海上の光、予言獣、海神までを収めました。まず出現する場所を手がかりに、一体ずつ海の深さへ進んでみてください。

更新: 2026/7/17
海の妖怪水の妖怪日本の妖怪海坊主船幽霊不知火妖怪一覧

収録妖怪

27体の妖怪が収録されています

この妖怪たちのアートカードも見つかります

全 41 枚のカード — 浮世絵、現代日本…

海坊主

海坊主

伝説

うみぼうず

油貸せと囁く・海坊主

海坊主(うみぼうず)は、日本各地の沿岸部に伝わる海上の怪異で、とりわけ漁師の間で恐れられてきた。穏やかだった海面が突如盛り上がり、巨大な黒い影、あるいは禿げ頭の坊主の姿となって船の行く手に立ちはだかるとされる。全身が見えることは少なく、海上に頭や肩だけを突き出した姿で語られることが多い。夜の海や時化の最中に現れ、船を転覆させ、海底へ引きずり込むと信じられた。『和漢三才図会』(1712年)や『物類称呼』(1775年)など江戸期の文献にも、海上に立つ巨大な怪異の名がみえる。

夜の沖に巨大な黒い僧形や頭として立ち上がり、船を脅かす海上怪異。

船幽霊

船幽霊

名妖

ふなゆうれい

壇ノ浦の提子乞い・船幽霊

船幽霊(ふなゆうれい)は、水難で命を落とした者の霊が海上に現れる怪異である。船や亡霊、怪火、海坊主のような影など、その姿は地域や伝承によりさまざまに語られる。多くは時化の夜や霧のかかった晩に現れ、ひしゃくで船内へ海水を注ぎ込んで沈めようとする、あるいは進路を惑わせて座礁させるとされる。底を抜いたひしゃくを渡す、握り飯や灰を投げる、睨み据えるなど、地域ごとに異なる対処法が伝えられる。亡者船・ボウコ・アヤカシなどの呼称もある。鳥山石燕も『今昔画図続百鬼』に船幽霊を描いている。

海難死者の霊が柄杓で船へ水を入れ、沈めようとすると語られる。

海座頭

海座頭

稀少

うみざとう

波上に立つ琵琶座頭・海座頭

水の怪石燕『画図百鬼夜行』、海上の盲僧、解説文なしの絵巻発祥

海座頭(うみざとう)は、江戸期の妖怪画にみえる海上の座頭(盲僧)の姿をとる妖怪である。鳥山石燕『画図百鬼夜行』や、熊本県八代の松井文庫が所蔵する『百鬼夜行絵巻』に描例があるが、いずれも解説文を欠き、性質や由来は明らかでない。琵琶と杖を携え、波の上に立つ姿が特徴で、海上に現れる怪異として海坊主に通じる像と解されることもあるが、詳細は不詳とされる。

海上に現れる座頭姿の怪で、琵琶法師の像と海の不安を重ねる。

海難法師

海難法師

珍しい

かいなんほうし

一月廿四日来る・海難法師

水の怪東京都

海難法師(かいなんほうし)は、伊豆諸島に伝わる水難死者の怨霊で、地元では「かんなんぼうし」ともいう。旧暦一月二十四日の夜、笠をかぶった僧の姿で沖から来訪し、その姿を見た者は気が狂う、あるいは同じ最期を迎えると畏れられた。この夜は外出を慎み、門口に籠をかぶせ、雨戸に柊やトベラの枝葉を挿す物忌みが行われる。発祥は江戸期の島役人にまつわる怨霊譚として語られる一方、地域により海から訪れる神とみなす来訪神的な解釈もみられる。

海難や航海の不安と結びつく僧形・人影の海上怪異。

海人

海人

珍しい

かいじん

水かき垂皮の海客・海人

水の怪長崎県

海人は、海中より現れる人に似た存在として、近世の博物誌や見聞記に記された。四肢の指の間に水かきがあり、全身の皮が垂れ下がって腰で袴のように見えるとされる。髪や眉、顎鬚を備える描写もあるが、人の言葉を話さず、人の食を受け付けないと伝わる。海から上げると長くは生きられず、数日のうちに絶えるとも記される。

海の主や異形を広く指す名称で、資料ごとに姿と性格が異なる。

アヤカシ

アヤカシ

名妖

あやかし

西海の海上怪火・アヤカシ

総称・汎称海上の怪異·船幽霊の総称、地域ごとに指す対象が異なる

アヤカシは海上に現れる怪異・妖怪の総称。地方により指す実体は異なり、怪火、船幽霊、海上の幻影などを含む。長崎では海上の怪火、山口・佐賀では船を害する船幽霊を指す例がある。対馬では巨大な怪火が浜に現れ、沖では山の姿に化けて船路をさえぎるという。実在魚コバンザメへの俗信が結びつく地域もあり、海難や遭難の説明として語られた。

海上怪異や船幽霊の総称として使われることがあり、単一の生物名ではない。

磯女

磯女

名妖

いそおんな

磯女 ── 艫綱を伝う海辺の怪

磯女(いそおんな)は、九州北西部の沿岸(天草・島原・対馬・加唐島ほか)に出没する女の海怪である。砂浜や磯辺、停泊中の舟に近づき、長い髪で人にまとわりついて血を吸うと伝えられる。上半身は美しい女に近いが、下半身は朧ろであるとも蛇状ともいい、背後から見れば岩にしか見えないとも語られる。名は土地により磯女子・濡女子・海女・海姫など多様で、凪の折に姿を見せ、水死者の怨霊と結び付けられる地域もある。同じ海辺の怪である牛鬼と対をなして現れるとする土地も伝わる。

西日本の海辺などに長い髪の女性として現れ、地域ごとに異伝が多い。

濡女

濡女

名妖

ぬれおんな

磯浜の濡髪女・濡女

濡女(ぬれおんな)は海辺や川辺に現れる、蛇身に女の頭をもつ怪である。腰から下は鱗に覆われた長大な蛇体で、上半身は女、いつも濡れたままの黒髪を垂らし、その名もこの姿に由来する。鳥山石燕『画図百鬼夜行』は風の巻に、長い髪を水に浸した女面の蛇体としてこれを描き、絵巻系統の濡女像を定着させた。石燕に先立つ佐脇嵩之『百怪図巻』ら江戸前期の妖怪絵巻にも蛇体の女怪が見え、絵師の手を経て図像が受け継がれてきた経緯がうかがえる。西日本の海辺では、濡女が抱いた赤子を通りかかった人に押しつけ、受け取った途端それが重い石と化して動けなくする話型が語られ、牛鬼と組んで人を襲う異伝も伝わる。九州の磯女や濡女子(ぬれおなご)と近縁視され、ウミヘビの化身とする説もあるが、蛇体視は主に絵画資料からの解釈で、一次史料の裏づけは乏しいとされる。長い濡れ髪と水辺、抱き子で人を縛る性状が、西日本一帯の水の女怪に共通する核として語り継がれてきた。

濡れ髪の女の顔と蛇身をもち、磯や川辺に現れる水際の怪。

臼負い婆

臼負い婆

珍しい

うすおいばば

佐渡宿根木の海老女・臼負い婆

水の怪新潟県

臼負い婆は、新潟県佐渡島・宿根木の海辺に現れたとされる海のあやかし。白い肌の老女の姿で水面に浮かび、両手を背に回して何かを背負う様子を見せては、再び海中へ消えるという。出現は数年に一度ほどで、当地では古くから目撃が語られるが、人を襲う害は特に伝えられない。同系の海女怪である磯女・濡女の類とみなされることが多い。

海辺へ現れる老婆姿の怪異として、沿岸の土地と結びつく。

ヨナタマ

ヨナタマ

稀少

よなたま

炙られて津波を呼ぶ海霊・ヨナタマ

水の怪沖縄県

ヨナタマは、宮古諸島の海に棲むとされる海の精霊である。ヨナイタマとも呼ばれ、「ヨナ」は海、「タマ」は霊を指すとされ、その名はそのまま海霊を意味すると解されている。人魚の姿、あるいは人の言葉を話す魚の姿で現れると伝わる。沖に仲間や母を持ち、捕えられて名を呼ばれると、その声に海の彼方から答えが返ってくるという。漁師が浜へ引き上げて網の上で炙ろうとしたことから、ヨナタマは仲間に救いを求め、ついには大津波を招いたと伝わる。海を畏れる島人の心と分かちがたく結び付き、宮古の浜辺で長く語り継がれてきた。

南西諸島の海と死者の気配に結びつく、地域固有の怪異。

舞首

舞首

名妖

まいくび

真鶴海の三首咬み合い・舞首

霊・亡霊神奈川県

舞首は、江戸期の奇談集『絵本百物語(桃山人夜話)』に記された真鶴の海にまつわる怨霊譚で、斬り落とされた三つの首がなおも咬み合い争い続け、夜は火を吹き、昼は海上に巴模様の波を起こすとされる。武士の確執や流罪・死罪に伴う怨念が首級となって漂い、渦と怪火を生む存在として語られ、土地の淵名「巴が淵」の由来譚とも結びつく。

争った者の首が海面へ現れると語られ、海と死者の記憶を結ぶ。

磯撫で

磯撫で

名妖

いそなで

北風の海に撫づる・磯撫で

水の怪佐賀県

磯撫では、西日本の沿岸に伝わる海の怪で、外見はサメに似るが尾びれに無数の細かい針を備えるとされる。北風が強い折に現れ、海面を撫でるように近づき、人目につかぬまま尾の針で船上の人を引っ掛け海中へ落とし、呑み込むという。江戸の奇談集『絵本百物語』や本草書に記載が見え、名は海面を撫でるような動き、あるいは人を襲うさまに由来すると伝える。船乗りにとって防ぎ難い災厄の象徴である。

北風の海で巨大な尾を伸ばし、人や船をさらうとされる海獣。

赤えい

赤えい

名妖

あかえい

安房沖の島偽り・赤えい

水の怪千葉県

江戸後期の奇談集『絵本百物語』(天保12年)に「赤ゑいの魚」として記される巨大魚。背に砂が積もると海上へ浮かび、島と見まがう規模に達するという。船人が島と思い上陸・接近すると、身を沈めて荒波を起こし、船を破壊し人を呑む災いをもたらすとされた。海上での蜃気楼や漂流譚と結びつき、大海に稀ならずある怪異として語られる。

海上の島と見間違えるほど巨大な赤えいとして描かれる。

牛鬼

牛鬼

伝説

うしおに

牛頭蜘蛛体の海鬼・牛鬼

動物変化愛媛県高知県

牛鬼(うしおに)は、主に西日本の海岸や淵、山間部に現れるとされる、日本妖怪の中でも屈指の獰猛さと霊格を持つ存在である。姿は「牛の頭に鬼の胴」あるいは「蜘蛛の胴体に牛の首」など多様な異形として描かれる。古くは平安時代の『枕草子』において「おそろしきもの」として名指しされており、古来より人々に深く畏怖されてきた。その本質は、無差別に人を喰らい毒気を撒き散らす「残忍な悪鬼・疫病神」としての顔と、祭礼において神輿を先導し悪魔祓いを行う「強力な守護神」としての顔という、極端な両義性(善悪の二面性)を併せ持つ点にある。文献上の怪異から、地域の民俗信仰・芸能の対象へと変遷を遂げた、民俗学的に極めて重要な妖怪である。

海岸や淵に潜む牛の角を備えた異形で、地域によって姿が違う。

栄螺鬼

栄螺鬼

名妖

さざえおに

貝より変ずる海の鬼・栄螺鬼

動物変化石燕『百器徒然袋』、造化変化の創作、在地伝承なし

鳥山石燕『百器徒然袋』(天明4年・1784年)に描かれた、サザエ(栄螺)が歳を経て鬼と化した姿の付喪神。殻から人のような両腕を伸ばし、蓋の部分に眼を生やした奇怪な貝として表される。石燕の解説は「雀海中に入てはまぐりとなり、田鼠化して鶉となる」という『礼記』月令の変化譚を引く。雀が蛤に、野鼠が鶉に化すると古典が説くならば、サザエが鬼に化したとて不思議はない——という造化の妙への着想から生まれた、観念的・画題的な妖怪である。すなわち特定の土地に根ざした怪異というより、自然物が異形へ転ずる「変成」の理を可視化するための趣向であった。『百鬼夜行絵巻』の一部には、栄螺に似た妖が蛤の子の妖怪の手を引く図様も見え、海辺の貝類を擬人化した群像の系譜のなかに位置づけられる。

栄螺が年を経て鬼となるとされ、貝の殻と海の異形を結ぶ。

化け鯨

化け鯨

名妖

ばけくじら

雨夜に浮かぶ骨だけの鯨・化け鯨

水の怪島根県

化け鯨は、雨夜の海上に白く巨大な鯨の影として現れ、近づくと肉も皮もない骨格だけの姿をあらわす海の妖怪である。隠岐沖の雨夜に現れた骨鯨の話では、漁師たちが鯨と思って船を出し、銛を投げても手応えがなく、やがてそれが骨だけの鯨であると知る。周囲には見慣れぬ魚が群れ、空には奇妙な鳥が飛び、海そのものが別の国へ変わったように揺らぐ。化け鯨は人を食う怪魚ではない。鯨を獲り、肉を分け、骨を残す沿岸社会の前に、獲られたはずの鯨が「骨のまま生きている」ものとして戻ってくる怪である。 この妖怪の輪郭は、近世の定番妖怪画集よりも、近現代の妖怪図鑑と水木しげるの図像記憶によって強く知られるようになった。水木しげる『図説日本妖怪大全』や『水木しげるの世界幻獣事典』は、化け鯨を骨だけの巨大な海獣として読者の前に置いた。鯨は海の恵みであり、同時に殺された巨大な生命でもある。だから化け鯨は、単なる怪物というより、捕鯨、漂着、供養、魚群の豊穣が一つに重なった姿である。銛が通じない骨鯨は、獲物であることをやめ、人間を見返す海の霊へ変わる。 同じ海の怪でも、化け鯨は船幽霊や海坊主とは働きが違う。船幽霊は死者の群れとして船に水を求め、海坊主は巨大な影として海面に立ち上がる。化け鯨は、かつて獲物であった動物の霊である。骨という姿は死を示すが、同時に、死んだものが共同体の記憶から消えないことも示す。隠岐・出雲の海に浮かぶ骨鯨は、海の恵みを受け取る人間に、感謝だけでなく畏れも必要だと告げる。

山陰の雨夜に骨だけの巨大な鯨が現れるとされる海の怪異。

不知火

不知火

珍しい

しらぬい

八朔の沖の親火・不知火

不知火は九州沿岸、とくに八代海や有明海に現れるとされた怪火。旧暦八月一日(八朔)前後の風弱い夜、沖に親火が一、二つ生じ、左右に分かれて数を増し、数百から数千の火が横に連なるという。海面近くからは見えにくく、高所からよく見えるとされ、近づけば遠ざかるとも伝えられる。千灯籠・竜灯とも称され、出漁を忌む予兆として恐れられた。今日では蜃気楼に類する大気光学現象と解されている。

八朔前後の沖に多数の灯が連なる現象で、火国の伝承と結びつく。

虚空太鼓

虚空太鼓

珍しい

こくうだいこ

周防大島六月の海鳴り・虚空太鼓

水の怪山口県

周防大島で六月頃、晴雨にかかわらずどこからともなく太鼓の連打が海上から響くとされる怪異。姿は見えず、浜や岬、入り江に反響して人々を驚かす。由来については、昔、芸人一座を乗せた船が時化に遭い、助けを求めて太鼓を打ちながら海に没したため、その音のみが季節になると甦ると語られる。音は夜間に多いが昼にも聞こえるという。

海上や空から太鼓のような音が響く、姿を見せない音の怪異。

波小僧

波小僧

珍しい

なみこぞう

遠州灘の天候告げ・波小僧

水の怪静岡県

遠江国一帯に伝わる水の妖怪で、遠州灘の海鳴と結びつけられる。行基が流した藁人形に由来するという説が知られ、波の響きで天候を告げる存在とされる。波音が南東から聞こえれば雨、南西なら晴れと伝えられ、漁撈や農事の目安となった。河童や海坊主と習合的に語られる場合もあるが、詳細な姿形は一定しない。

波や天候を読む物語に現れる小僧姿の海の怪。

アマビエ

アマビエ

伝説

あまびえ

弘化三年「肥後国海中の怪」のアマビヱ

水の怪熊本県

アマビエは、弘化三年四月中旬(西暦一八四六年)の年記を持つ一枚摺によって知られる、肥後国の海中から現れて未来を告げた異形の存在である。本文では「アマビヱ」と名乗り、資料自身は、土地の役人から江戸へ申し送られた報告の写しであると説明している。作者、絵師、版元、発行部数、肥後から江戸へ届くまでの詳しい経路は分からない。そのため、現地の役人が描いた原画や実在する行政文書と断定するのではなく、肥後国で起きたとされる怪異を図と文章で伝えた一枚物として読む必要がある。 物語は、肥後国の海中に毎夜「光物」が現れたことから始まる。土地の役人が見に行くと、図のような者が姿を現し、自らを海中に住むアマビヱと名乗った。そして「当年より六ヶ年之間、諸国豊作也、併、病流行」と告げ、早々に自分の姿を写して人々に見せるよう求め、海中へ戻ったという。四月資料に明記されているのは、諸国の豊作、病の流行、姿を写して見せるよう求めたことまでであり、絵を見た者が病を免れる、病が治るとは書かれていない。 挿絵には、左右へ長く垂れる髪または体毛のような線、菱形に近い眼、横へ突き出した嘴状の口、鱗を思わせる胴、下方へ三つに分かれた肢または鰭状の部分が描かれている。ただし、本文は容姿を「図の如き者」とするだけで、性別、年齢、体色、大きさ、魚・鳥・人のどれに属するかを説明しない。また、毎夜現れた「光物」とアマビヱの関係も明示されず、アマビエ自身が光を放ったとは断定できない。 同年五月の西高木家文書には、「アマヒエ」と記される書付と絵が一括で残り、書付の目録題は、姿の写を見れば流行病を患わないという内容を要約している。これは護符的な理解が近い時期の関連資料に現れたことを示すが、四月のアマビヱ資料との直接の写し関係や共通の底本は分かっていない。 アマビエは二十世紀末までの妖怪事典や研究ですでに紹介されていたが、二〇二〇年、新型コロナウイルス感染症への不安の中で広く描き直され、疫病退散の象徴となった。厚生労働省も感染拡大防止の啓発にアマビエを用いたが、これは超自然的な効力の認定ではなく、外出や密集を避けるといった現実の予防行動を伝えるための利用だった。

肥後の海から現れ、豊作と疫病を予言し、姿を写すよう告げたとされる。

神社姫

神社姫

珍しい

じんじゃひめ

肥前龍宮の使者・神社姫

水の怪佐賀県

江戸後期、肥前国の浜に出現したと伝わる予言獣的な人魚類。顔は人、体は魚で、腹は紅色、二本の角と三つ叉の剣形の尾を持つとされる。自らを「龍宮よりの使者・神社姫」と名乗り、豊作ののちに流行病「ころり」が広まると告げ、写し絵を見れば難を逃れ長寿を得ると宣した。『我衣』などに板行・写し絵の文言が記録され、護符として各家に掲げられた。

龍宮の使者として海から現れ、疫病を予言する姿が刷物に記された。

ザン

ザン

名妖

ざん

津波を告げる人魚・ザン

水の怪沖縄県

ザンは琉球弧の海に棲むとされる人魚型の霊獣で、方言ではザヌ・ザノとも呼ばれる。その正体は実在の海獣ジュゴンだとされ、八重山から奄美にかけての海域で神の使いとして崇められてきた。美しい女の上半身に魚の下半身を備えた姿で語られることもあり、温和で人を害さない。漁師の網にかかると涙を流して命乞いをし、放してくれた者へは海の異変を告げて報いると伝わる。荒ぶる妖ではなく、人に災いを知らせ命を救う側に立つ、海の守り手としての性格が際立つ存在である。

沖縄の海に伝わる人魚に近い存在で、津波などの異変を知らせる。

トモカヅキ

トモカヅキ

珍しい

ともちづき

志摩同体の海女・トモカヅキ

志摩沿岸に伝わる海の怪異で、海に潜る者に瓜二つの姿で現れるとされる。曇天の日に遭いやすく、鉢巻の尻尾が不自然に長いのが見分けの印という。アワビを差し出したり、暗がりへ誘うことがあり、誘いに応ずると命を落とすと恐れられた。海女たちは五芒星と格子を染めた手拭いなどを身につけ、災い除けとした。実体は不詳とされ、海上労働の幻視とも語られる。

海中で働く海女の前へ、自分と同じ姿で現れる危険な怪異。

龍神

龍神

神格

りゅうじん

嵐を鎮める水神・龍神

神霊・神格神奈川県京都府

龍神は、水・雨・海をつかさどる龍蛇形の神。日本固有の蛇=水神の信仰に、中国渡来の「龍」と仏教のナーガ(八大龍王)が幾重にも習合して成り立った複合的な神格である。記紀では海を治める綿津見神(海神)として現れ、『古事記』・『日本書紀』の山幸彦神話では、海神の娘豊玉姫が出産の折に和邇(わに)あるいは龍の正体を顕す。雨を呼び水を鎮める力ゆえ、旱魃には祈雨、洪水には止雨の神として全国の社に祀られ、潮を操る潮満珠・潮干珠や如意宝珠を握る姿で描かれる。海・湖・大河・淵をことごとく領分とする、水の最高神である。

海や水を司る神格で、妖怪とは区別しつつ龍宮信仰の中心として収録。

龍女

龍女

珍しい

りゅうじょ

水際の鱗ある女・龍女

水の怪日本各地 (水域に縁ある龍が女と化す)

龍女は水域に縁ある龍が女性の姿をとった存在とされ、川や湖、海辺、湧水などに現れるという。しばしば美貌の女として人前に現れ、人に恩を施す場合と畏れを抱かせる場合がある。天候や水量と関わり、祈雨・止雨の願いの対象となる説も見られる。姿は人と龍を行き来するとされ、正体は鱗や爪、香気などで察せられると語られる。

龍や水界の存在が女性として現れ、人間界と龍宮をつなぐ異類。

九頭竜

九頭竜

神格

くずりゅう

戸隠の九頭龍大神

神霊・神格長野県福井県

九頭竜(九頭龍)は九つの頭を備えた龍として語られる水神・龍神で、雨乞いと治水を司り、各地で土地の守護神として祀られる。その信仰の核には、もとは人に害をなす毒龍・荒ぶる龍が、法力ある修験者や高僧に調伏されて鬼性を捨て、善神へと転じるという転換の物語がある。戸隠(長野県)では修行者「学門(学問行者)」の法華経の功徳によって岩戸に封じられた九頭一尾の鬼が善神となり、地主神「九頭龍大神」として鎮まったと伝える。箱根(神奈川県)では奈良時代の万巻上人が芦ノ湖の毒龍を調伏し、九頭龍大神として湖の守護神に祀ったとされる。越前(福井県)では白山権現の縁起に結びつき、九頭の龍が尊像を頂いて泳ぎ着いた故事が川名「九頭竜川」の由来と語られる。歯痛平癒・縁結び・国家安泰など信仰の対象は地域ごとに広がりをもち、龍蛇を水の象徴とする日本の水神信仰の一典型をなす。

湖・水源・山岳の水神信仰と結びつく九頭の龍。海だけには限られない。

市杵島姫命

市杵島姫命

神格

いちきしまひめのみこと

海上を守る斎き島の女神·市杵島姫命

神霊・神格広島県福岡県

市杵島姫命 (イチキシマヒメノミコト) は宗像三女神 (田心姫命·湍津姫命·市杵島姫命) の一柱で、 世界遺産·厳島神社 (広島県廿日市市宮島町) の主祭神である。 『古事記』『日本書紀』 では天照大神と素戔嗚尊の誓約 (うけい) の段に登場し、 素戔嗚尊の十拳剣を天照大神が噛み砕いて吹き出した息の霧から生まれた三柱の女神の一柱とされる。 名の「イチキ」 は神に仕え斎き祀る「斎き島の姫」 を意味し、 海上·航海·水を司る女神である。 宗像三女神は北部九州·玄界灘の海上交通を守護する神として宗像大社 (福岡県宗像市) に祀られ、 その分霊が安芸·宮島の厳島神社に勧請されて瀬戸内海の海上守護神となった。 中世の神仏習合では水·財·芸能の共通性から仏教の弁才天と習合し、 「厳島大明神」 として崇敬された。 明治の神仏分離で弁財天 (大願寺) と市杵島姫命 (厳島神社) は別の神格に分けられたが、 美しき水の女神という性格は両者に共有され続けている。

海上交通や水と結びつく女神。妖怪ではなく海の信仰を示す神格。

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