蜃気楼
しんきろう
蜃の吐く楼閣・蜃気楼
蜃気楼は、海辺や砂浜の遠景に楼台や宮殿のごとき影像が浮かぶ現象を、古来「蜃(おおはまぐり)」が気を吐いて成す妖しとして捉えた呼称。『史記』の記述が知られ、日本では絵画や説話を通じて蜃の吐息が景を映すとされた。実見は越中の海岸や干潟など各地に伝わり、海上に浮ぶ城郭の幻視として語られる。
『今昔百鬼拾遺』は、江戸時代の妖怪絵師・鳥山石燕が1781年に刊行した妖怪画集で、「百鬼」シリーズの中では後期にあたる一冊です。 『画図百鬼夜行』『今昔画図続百鬼』につづく作品で、タイトルどおり、それまで描ききれなかった妖怪たちを“拾い集める”ような位置づけになっています。 本作の特徴は、妖怪の絵に短い文章や詞書が添えられているところ。 絵だけで見せる『画図百鬼夜行』とは少し違い、妖怪の来歴やイメージを想像しながら楽しめる構成になっています。 登場する妖怪たちは実にさまざまで、『和漢三才図会』などの古い書物をもとにしたものもあれば、能や歌舞伎といった芸能の世界でおなじみの題材も登場します。その一方で、「これは石燕の創作だろうな」と思わせる妖怪も多く、伝承と想像力が自然に混ざり合っているのも本作の面白さです。 「雲・霧・雨」の三巻構成とされますが、現存が確認されているのは「雨」の巻のみで、全体像はいまだはっきりしていません。彩色本が存在していたことも知られており、当時どのような姿で読まれていたのかを想像するのも、この本の楽しみ方のひとつです。 妖怪を“怖いもの”としてではなく、“眺めて、考えて、楽しむ存在”として描いた石燕らしさがよく表れた一冊と言えるでしょう。
47体の妖怪が収録されています
しんきろう
蜃の吐く楼閣・蜃気楼
蜃気楼は、海辺や砂浜の遠景に楼台や宮殿のごとき影像が浮かぶ現象を、古来「蜃(おおはまぐり)」が気を吐いて成す妖しとして捉えた呼称。『史記』の記述が知られ、日本では絵画や説話を通じて蜃の吐息が景を映すとされた。実見は越中の海岸や干潟など各地に伝わり、海上に浮ぶ城郭の幻視として語られる。
しょくいん
山海経北方の蛇身神・燭陰
燭陰は『山海経』に見える北方の神格で、人面に蛇身を有し、目を開けば昼、閉じれば夜となると記される。息を吹けば冬、呼べば夏となるなど、昼夜と季節の推移を司る存在として描かれる。日本には古代より同書が伝来し、近世の妖怪図巻にも異国神として紹介された。詳細な性行や祭祀は日本側史料では不詳。
にんめんじゅ
人面花の異木・人面樹
人面樹は、人の首のような花をつけるとされる樹木の怪。鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に描かれ、『和漢三才図会』が『三才図会』から引く異国記事を典拠とする。花は言葉を解さず、問いかけると笑みを返すという。笑い続けると花は萎み落つとされ、日本各地の在地伝承というより書誌的な博物学的怪説として知られる。
はんごんこう
煙に亡き影・反魂香
焚くと煙の中に死者の姿が現れると伝えられる香。中国の故事に淵源を持ち、日本では江戸期の読本や浄瑠璃・歌舞伎、落語の題材として広まった。実在の薬物というより霊験譚に現れる象徴的な香で、亡者の影を一時見せる作用が語られる。陰陽師の秘薬とされる設定もあるが、実在性は疑問視される。
ほうこう
老樹に宿る人面犬・彭侯
中国の説話に見える木の精で、老樹に宿る霊的存在。『捜神記』に、人顔の犬のごとき姿で樟の大木から血を流して現れたと記される。日本では江戸期の博物誌や妖怪絵巻に中国妖として紹介され、木魅・木霊の一種と理解された。山中の反響現象を起こす木霊観と結びつき、山彦像の淵源とも論じられる。
とうだいき
唐土で頭に燭台・灯台鬼
灯台鬼は、頭上に燭台を載せ火を灯して立たされる「人間燭台」を指す説話上の存在。『平家物語』『源平盛衰記』『和漢三才図会』などに見え、遣唐使として渡航し消息を断った日本人が、異郷で声を奪われ入墨を施され、燭台持ちにされる筋で語られる。鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』では唐人風の装束で描かれ、その正体は人間と示される。孝子譚の文脈で知られる。
おしろいばばあ
雪夜の乞酒老女・白粉婆
顔に白粉を厚く塗り、破れ笠をかぶった老女の妖怪。雪道にも徳利を提げ杖を頼みに現れ、道行く者に酒を所望するという。人家の戸口に立ち、甘酒や清酒の匂いに惹かれて寄るとも言われる。応じれば祟らず、断れば夜更けまで戸を叩くなどの怪をなすとされ、寒村での冬季の戒めや来客応対の民俗観を映す存在として語られる。
じゃこつばばあ
蛇を纏う老婆・蛇骨婆
江戸期の絵師・鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に見える老女像の妖怪名。図像では大蛇を身にまとった老婆として描かれる。石燕は中国『山海経』にある巫咸国の「右に青蛇、左に赤蛇」を持つ人々の説話に言及しつつも、由来は「未詳」と注記する。近世には「老女」を卑罵的に指す語としても流通し、石燕がこれを妖怪化し図像化したと考えられる。
かげおんな
障子に映る月夜の影・影女
影女は、鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に描かれた女姿の怪異。物の怪の潜む家において、月光に照らされた女の影だけが障子に映るとされる。姿は影として現れるが、実体は定かでない。出現は夜、特に月明かりの強い折に多いと解され、家人に危害を加えるよりも、不気味な兆しとして語られることが多い。由来や正体については諸説あり、亡霊、家付きの怪、あるいは月影の怪とする見方があるが詳細は不詳。
けらけらおんな
塀越しの艶笑女霊・倩兮女
江戸の絵師・鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に描かれる女の妖怪。塀越しに口を大きく開け、けらけらと笑って人を惑わす姿で示される。石燕は中国の宋玉の故事を引き、艶笑で人心を乱した女の霊に擬している。具体の出没地や来歴は記されず、笑い声が不気味に響く女怪として後代に語り継がれた。
えんえんら
囲炉裏の薄羅煙・煙々羅
煙々羅(えんえんら、煙羅煙羅とも)は、鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』(安永十年・一七八一)に描かれた煙の妖怪である。賤しい家の蚊遣(かやり)の煙が立ちのぼり、もつれて怪しい姿を結んだものとされ、煙の中におぼろな顔影が浮かぶ画として表される。名の「羅」は「うすもの(薄物)」、すなわち目の粗い薄絹を指し、煙が薄絹のように風になびき破れやすいさまから名づけられたと石燕自身が註している。固有の説話や害・徳の伝承をもたず、絵と短い詞書によって輪郭を得た「絵姿先行」の妖怪であり、石燕の創作的造形性が色濃い一例とされる。のちに、ぼんやりと無心に煙を眺めうるような心の清い者にしかその姿は見えない、とする解釈も加えられたが、これは近代以降に付された理解で古典の典拠を欠く。形を定めず一時に姿を取る、という煙の性質そのものを妖怪化した、観念先行の造形といえる。
おぼろぐるま
朧夜に軋む車争い・朧車
朧車は、江戸時代の画家・鳥山石燕が『今昔百鬼拾遺』に描いた牛車の怪。おぼろ夜に軋む車音とともに現れ、牛車の簾の位置に巨大な顔が嵌るように覗く姿で示される。由来は平安の「車争い」に伴う怨みの顕現と解され、宮中行事や加茂の祭礼にまつわる因縁と結び付けられる。百鬼夜行譚との関連も指摘され、器物怪の一類として位置づけられる。
あおあんどん
百物語の鬼女・青行燈
青行燈(あおあんどん)は、江戸時代に大流行した怪談会「百物語(ひゃくものがたり)」の終局に現れるとされる、極めて特殊な「儀礼的・心理的妖怪」である。青い紙を貼った行燈に百本の灯心(あるいは百本の蝋燭)を灯し、怪談を一つ語り終えるごとに一本ずつ火を消していく。そして、最後の百本目の火が消え、完全な暗闇が訪れた瞬間に現れる怪異の総称、あるいはその怪異そのものを指す。鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』において、黒髪に角を生やし、お歯黒を塗った凄惨な鬼女の姿として描かれたことで、その視覚的イメージが決定づけられた。特定の山や川に棲む自然発生的な妖怪とは異なり、人間の言葉(怪談)と恐怖心が集積し、言霊(ことだま)となって受肉した「都市伝説的なメタ妖怪」の先駆とも言える存在である。
あめおんな
雨夜に子を攫う雨女
雨を呼ぶ、あるいは雨と結びつけられる女性的な妖怪・霊的存在。鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に「雨女」の画題が見えるが、そこでは楚の宋玉「高唐賦」由来の朝雲暮雨を踏まえた風刺色が強く、妖怪としての具体像は明示されない。民間では雨の日に現れて子を攫うと恐れられる説や、旱魃に雨をもたらす霊として畏敬される見方が併存する。
こさめぼう
大峰葛城の雨夜僧・小雨坊
江戸期の絵師・鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に見える雨中の僧形の妖怪。石燕は「雨そぼふる夜、大みねかつらぎの山中に徘徊して斎料を乞う」と注し、修験の霊山で雨夜に現れ布施を求める存在として描く。図像以外の詳細な性状や起源は不詳で、地域固有の口承に直結する根拠は乏しいとされる。後世の解説では乞食僧的性格が強調されるが典拠は限定的。
がんぎこぞう
川岸で魚を捕る・岸涯小僧
江戸時代の絵師・鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に描かれる水辺の妖怪。全身に毛が生え、やすりのような歯を持ち、川岸で魚を獲る姿が示される。名称は「岸崖小僧」とも記されるが、古典や各地の民間伝承での確かな言及は乏しく、石燕の画図上の存在として知られる。河童類を想起させるが、同一視は慎重を要する。
あやかし
西海の海上怪火・アヤカシ
アヤカシは海上に現れる怪異・妖怪の総称。地方により指す実体は異なり、怪火、船幽霊、海上の幻影などを含む。長崎では海上の怪火、山口・佐賀では船を害する船幽霊を指す例がある。対馬では巨大な怪火が浜に現れ、沖では山の姿に化けて船路をさえぎるという。実在魚コバンザメへの俗信が結びつく地域もあり、海難や遭難の説明として語られた。
ひまむしにゅうどう
縁の下の油嘗め・火間虫入道
江戸期の絵師・鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に見える妖怪。縁の下から上半身を現し、行灯の油を嘗めて夜業を妨げる姿で描かれる。石燕は、生前に勤めを怠り閑を盗んで過ごした者の霊が、死後に「火間虫夜入道」となって灯の油を舐め、夜なべを邪魔すると記す。名は文字絵遊戯「ヘマムシヨ入道」との連関が指摘され、怠惰や横着への戒めを含意する解釈が一般的である。
せっしょうせき
那須の毒気石・殺生石
殺生石は、栃木県の那須湯本温泉のそばにある大きな溶岩塊で、近づいた生き物の命を奪う毒石として古くから恐れられてきた。一帯は火山の噴気地帯で、地面の割れ目から硫化水素や亜硫酸ガスといった有毒な火山ガスが絶えず噴き出している。これらのガスは空気より重く窪地にたまるため、そばに寄った鳥や虫、小さな獣が中毒で死んでしまう。生き物を殺す石、という意味で「殺生石」と呼ばれるようになった。 草木も生えない硫黄くさい荒れ地は「賽の河原」と呼ばれ、無数の地蔵が並ぶ。元禄2年(1689)にここを訪れた松尾芭蕉は『おくのほそ道』に、毒気のために蜂や蝶のたぐいが砂地の色も見えないほど折り重なって死んでいた、と書き残している。伝説では、この石は討たれた九尾の狐(玉藻前)の化身とされるが、その物語は別に詳しく語られる。
もりんじのかま
守鶴狸の尽きぬ釜・茂林寺の釜
群馬県館林市の曹洞宗寺院茂林寺に伝わる、湯の尽きぬ不思議な茶釜。寺伝では、開山大林正通に従って館林へ来た老僧守鶴が、その正体を古狸(縁起では狢)とされ、茶釜の奇瑞も守鶴の法力によるものと語られる。松浦静山の随筆『甲子夜話』など近世の文献にも守鶴の話が見え、俗に言う日本三大狸の一つに数えられる。茶釜から手足や顔を出して綱渡りや軽業を演じる現行の昔話像は、明治・大正期の巖谷小波がお伽噺に翻案して以降に広まったもので、寺伝の守鶴譚とは筋立てを異にする。
らじょうもんのおに
渡辺綱に腕斬らるる・羅城門鬼
平安京の正門・羅城門に巣食ったと語られる鬼。源頼光の家臣渡辺綱がただ一騎で確かめに赴き、激闘の末に鬼の片腕を斬り落としたとする説話で知られる。もっとも、原拠の『平家物語』剣巻では舞台は一条戻橋であり、これを羅城門へ移したのは室町後期の謡曲『羅生門』である。腕を奪い返しに来る後日譚は茨木童子の説話へと分化し、後世しばしば茨木童子と同一視された。鳥山石燕も『今昔百鬼拾遺』に羅城門の鬼を描く。
よなきいし
小夜中山の泣く石・夜泣き石
各地に伝わる、夜になると泣き声やうめきを発するとされる石の総称。石そのものが怪音を発する場合と、亡者の霊が宿って嘆くとされる場合がある。静岡県の小夜の中山の夜泣き石がよく知られ、母子の悲話と結び付く例が多い。一方、子の夜泣きを鎮める霊験石として祀られる型も見られ、石の霊性・祟りと鎮魂の観念が重なっている。
ばしょうのせい
大葉に宿る化女・芭蕉精
芭蕉の葉に宿る精霊、または老いた芭蕉の気が人の形をとったものと解される怪異。鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に図像があり、解説に唐土の説話と能・謡曲『芭蕉』への言及が見える。美女に化け僧を試す、夜道で行人を脅かすなどの話型が各地に伝わるが、直接の害は少ないとされる例も多い。
すずりのたましい
壇ノ浦の幻影・赤間硯の精
硯の魂(すずりのたましい)は、江戸時代の妖怪絵師・鳥山石燕がその画集『今昔百鬼拾遺(こんじゃくひゃっきしゅうい)』において創作した、極めて文学的でロマンチシズムに溢れる付喪神(器物の妖怪)である。人を脅かしたり危害を加えたりするような恐ろしい化け物ではなく、文房具に宿る記憶と、使用者の深い「文学への没入」が交差した瞬間にのみ現れる、美しくも悲しい幻影として描かれる。 この妖怪の最大の魅力は、石燕が仕掛けた天才的な「言葉遊び」と「歴史的背景」の融合にある。書道において、硯(すずり)の中で墨汁をためる低いくぼみの部分を「海(墨海)」と呼ぶ。石燕は、ある文人が愛用していた硯を、特に名品として知られる「赤間ヶ関(あかまがせき・現在の山口県下関市)産の石硯」であると設定した。赤間ヶ関は、単なる良質な硯石の産地であるというだけでなく、源平合戦の最終決戦であり、平家一門が幼い安徳天皇とともに悲劇的な最期を遂げた「壇ノ浦の戦い」の舞台そのものである。 ある静かな夜、文人がこの赤間硯で墨を擦りながら『平家物語』を読み、うたた寝をしてしまった。すると、硯の「海」に本物の波が立ち、墨汁の海原の中で源氏と平家の軍船が入り乱れ、壇ノ浦の激戦が数百年越しの幻影としてありありと再現されたという。これは、平家の血と無念が染み込んだ赤間の石が、墨という黒い海を通して過去の記憶を映し出したものであり、「硯の海」「赤間石の産地」「平家の滅亡」という三つの要素を完璧な美学で結びつけた、日本妖怪史屈指のポエティックな怪異である。
びょうぶのぞき
寝所覗きの屏風闚
江戸期の絵師・鳥山石燕が『今昔百鬼拾遺』に描いた妖怪。屏風の陰から人事を覗き見る存在とされ、七尺の屏風越しすら覗くと解説される。中国古典の故事に材を取った図像的創作との見解がある一方、寝所で長年秘事を見続けた屏風が変じた付喪神とする説もある。固有の名所伝承は乏しく、成立は絵画資料に負うところが大きい。
けうけげん
希有希見の毛獣・毛羽毛現
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』(安永10年・1781年)に描かれた、全身を長い毛に覆われた犬のような姿の怪。床下や軒先などの暗がりに蹲る図で表される。石燕の解説は名を「希有希見(けうけげん)」とも記し、めったに見られぬ稀有の存在であることを名義として示す。その姿の典拠として、石燕は中国の仙女「毛女(もうじょ)」を引く。毛女は『列仙伝』に見える秦の宮女で、秦の滅亡後に山へ逃れ松葉を食して百七十余年を生き、全身に毛を生やした仙人になったと伝わる。この毛女の故事になぞらえ、全身毛だらけの怪を「毛羽毛現」と名づけたものと解される。村上健司は、けうけげんは在地の民間伝承に基づくものではなく、石燕自身の創作と位置づけている。語呂合わせと漢籍の教養が結びついた、文人趣味の濃い妖怪である。
もくもくれん
障子一面の眼群・目目連
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に描かれる妖怪。荒れた家の障子一面に無数の目が現れ、じっと見返すとされる。石燕の画図では碁打ちの念が碁盤から家全体に及んだ旨が添えられ、障子という住居要素に宿る怪として示される。後世の妖怪事典でも創作色が指摘されるが、障子の文様や薄明かりが与える不気味さを象徴する存在として広く知られる。
きょうこつ
井戸底の浮上骨・狂骨
鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に描かれた骸骨の妖怪。白髪の生えた白骨が白衣をまとい、井戸の釣瓶に吊られて現れる姿で示され、「狂骨は井中の白骨なり」と注される。強い怨みを帯びる存在として解されるが、作中では性質・来歴の詳細は語られず、実在の口承名も確認されない。言葉遊びや諺・方言との関係が指摘される図像的創作とされる。
めくらべ
福原邸の髑髏集・目競
目競は、鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に描かれた妖怪で、名称自体は石燕の命名とされる。典拠は『平家物語』巻第五「物怪之沙汰」に見える平清盛の怪異譚で、福原の邸内に無数の髑髏が転がり動き、やがて巨大な髑髏となって清盛を睨みつけたと記す。清盛が睨み返すと怪は消えたとされ、集団の死霊・髑髏の幻視として解釈される。
うしろがみ
後ろ髪引く一つ目女・後神
後神は、人の背後に現れて後ろ髪を引くとされる怪異。鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に一つ目の女の姿で描かれ、ためらい・心残りを擬人化したものと解される。臆病者や優柔不断な者に付きまとい、踏み切れぬ心を増幅させる存在として語られる。語呂と観念の結びつきが強く、民間では臆病神の一類として位置づけられる。
いやや
水面に老顔映す美女・否哉
江戸期の画家・鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に描かれた妖怪。後ろ姿は美女だが、水面には皺深い老人の顔が映る姿で示される。作中の付記で、中国の故事に見える虫「怪哉」に名をなぞらえて「否哉」と号したとされ、具体的性状は記されない。後世資料では「いやみ」「異爺味」などの名で取り上げられるが、伝承の実在性は不詳とされる。
たきれいおう
滝壺顕現の不動・滝霊王
江戸期の絵師・鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に見える名で、滝の中に現れる不動明王の相を描いたもの。石燕は「諸国の滝つぼよりあらはるる」と注し、青竜疏に拠り「一切の鬼魅諸障を伏す」と記す。実際には妖怪というより、滝に顕現する明王信仰の表象とみなされ、名称は石燕独自の題とされる。詳細な伝承は乏しく、地域的な異名・具体事例は不詳。
はくたく
万事を見通す瑞獣・白沢
白沢(はくたく)は、中国の古伝承に由来する瑞獣で、人語を解し天下の妖異・鬼神・病災のことごとくに通暁するとされる。麒麟や鳳凰と同じく、徳ある聖王の世にのみ姿を現す瑞祥の獣と位置づけられ、その口から授けられた知識を書き留めたのが妖怪除けの書『白沢図』であったと伝える。図像の典型は獅子に似た白い獣で、牛のような二本の角をもち、額や胴の側面に複数の眼を備える──鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』では頭部に三眼、左右の胴に各三眼を配した「九眼」の姿に描かれ、これが後世の日本の白沢像の基準となった。額の眼や全身の眼は、あらゆる妖異を見通す全知性の表象と解される。日本では江戸期にこの図そのものが辟邪(へきじゃ)の護符として流布し、旅の安全や病魔除け、さらには悪夢を食らうとされる獏(ばく)と並んで悪夢除けにも用いられた。重要なのは、白沢が妖怪を腕力で「退治する」獣ではなく、妖怪を知り尽くすことで人にその正体と防ぎ方を教える、知と分類の象徴としての神獣だという点である。すなわち未知の災いに名を与え、対処法を整理して人に手渡すところに本領があり、妖怪学の祖型ともいえる存在として尊ばれた。なお角や眼の数、獅子形か牛形かといった姿の細部は文献・絵師により差異があり、一定しない点には注意を要する。
どろたぼう
田を返せの泥田坊
泥田坊(どろたぼう)は、鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』(安永十年=一七八一年刊)の「雲」の巻に収められた妖怪である。荒れ果てた泥田のなかから上半身だけをぬっと現し、全身は泥のように黒く、顔には目が一つきり、両手の指は三本しかない異形の姿で描かれる。夜ごと田に湧き出ては「田を返せ、田を返せ」と恨めしげに叫ぶとされ、その声は田を売り払われた者の怨念のあらわれとして語られる。石燕は図に短い解説文を添えており、舞台を「北国(ほっこく)」とするほかは、土地に根ざした口承伝承や近世の他資料に対応する目撃譚はほとんど確認されない。すなわち泥田坊は、特定の事件記録というより、勤労によって田を守った先祖と、それを蕩尽した子孫という対比を一個の妖怪像に結晶させた、石燕の創作的色彩の濃い怪である。後世にはもっぱら、怠農・売田を戒める教訓的寓意として、また土地と労働への執着が死後にまで及ぶさまを示す象徴として紹介されてきた。一つ目で三本指という不完全な身体造形そのものが、田を奪われ人としての形を保てぬまでに崩れた執念の表現と読まれることもある。
どうじょうじのかね
紀伊安珍の蛇巻き鐘・道成寺鐘
道成寺縁起で知られる大梵鐘。僧・安珍が鐘内に隠れたところ、恋慕が怨念へ転じ蛇体となった女が巻き付き、炎熱で鐘を焼いたと語られる。伝承には、鐘が湯と化して僧を呑む能楽的描写と、消火され鐘が残存した縁起説が併存する。鳥山石燕は『今昔百鬼拾遺』で「道成寺鐘」としてこの異説を図示した。
てんぐつぶて
投擲者見えぬ礫・天狗礫
天狗礫は、出所不明の小石が空から降りかかる怪異の総称。投げた者が見当たらず、音や感触はあるのに石そのものが見えない、痕が残らないなどの特異性が語られる。天狗が戒めとして投げる、あるいは狐狸の仕業と解され、遭遇者が病を得る、不猟になるなどの俗信も伴う。鳥山石燕も図に取り上げ、江戸から北陸まで各地に記録が散見される。
こくりばばあ
庫裏に潜む墓荒し婆・古庫裏婆
江戸の絵師・鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に描かれる老婆の妖怪。寺院の庫裏に住みつき、檀家の供物や金銭を盗み、墓を荒らして髪を編み衣とし、皮をはいで死肉を喰らうと解説される。作中では猫を傍らに糸を撚る老女として表され、破戒や寺院風紀の頽れを風刺した作例とみなされることが多い。各地固有の口承は確実ではない。
かぜんぼう
京鳥部山の僧霊火・火前坊
火前坊は、鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に描かれた妖怪で、京都の葬送地として知られた鳥部山に現れる僧形の怪火とされる。炎と煙に包まれた乞食坊主の姿で表され、焚死往生を願い自ら火を放ったものの、未練などにより成仏できなかった僧の霊火と解釈されることが多い。史料上は石燕の画図が主で、名称・像容は後世の妖怪事典にも採録されている。
みのび
琵琶湖雨夜の蓑光・蓑火
蓑火は、梅雨時の夜などに琵琶湖を渡る舟上で、雨具の蓑に点々と現れる蛍状の怪火と伝えられる。熱さや燃え広がりはなく、蓑を脱ぎ捨てれば消えるが、手で払うと数を増し、星の瞬きのようにきらめくという。水死者の怨霊の化現とする説のほか、近代の見立てでは気体発光現象の一種とも解され、各地に類例が報告されている。
じゃたい
嫉妬女の毒蛇帯・蛇帯
蛇帯(じゃたい)は、鳥山石燕の妖怪画集 『今昔百鬼拾遺』(安永 10 年・1781) の中之巻「霧」に収められた、帯の妖怪である。同書は雲 (上之巻)・霧 (中之巻)・雨 (下之巻) という気象現象の三巻構成を取り、蛇帯はその中之巻「霧」で 12 番目、鬼一口の後に置かれて、続く小袖の手 (13)・機尋 (14) と共に、衣装と女性の怨念をめぐる妖怪三項が連続する位置に立つ。石燕の詞書は、中国西晋の張華撰 『博物志』 にあるとされる「人帯を藉(し)きて眠れば蛇を夢む」の俗信を起点に、「妬(ねた)める女の三重の帯は、七重にまはる毒蛇ともなりぬべし」と、嫉妬する女の帯ならばなおさら毒蛇化しうるという仮定の論理で展開する。結句は和歌の調子で「身はくちなはのいふかひもなし」と詠じ、自嘲的怨歌の余韻を残す。つまり蛇帯は、実在する在地伝承から拾い上げられた怪ではなく、漢籍の俗信に石燕が嫉妬の女性怨念モチーフを重ねて造形した、詞書と図像で完結する文人妖怪である。 多田克己『百鬼解読』(2002) が指摘するように、石燕中之巻「霧」にはこのように「衣装に憑く女の念」を主題化した項が密に並んでおり、蛇帯はその起点に置かれる。
おおざとう
雨夜の三味弾き座頭・大座頭
大座頭は、鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に描かれた座頭の妖怪像。やれた袴に木履、杖をつき、風雨の夜に大道を徘徊する姿で示される。問われると「いつも娼家で三味線を奏でる」と答えると記され、夜の市井で見られた座頭の職能者像が、異形視と風刺を帯びて妖怪化したものと解釈される。
はたひろ
布に宿る蛇身の恨・機尋
機尋は、鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に描かれた布の妖怪。機で織られた布にこもった怨念が蛇身となり、人を捜してさまよう姿として示される。作中解説では、外出して戻らぬ夫を恨みつつ機を織る女の情念が布を変じさせたとされる。実在の口承は確認されず、石燕の創意に基づく観念的怪として美術史的に位置づけられる。
こそでのて
袖口から伸ぶ白手・小袖の手
江戸中期の絵師・鳥山石燕が『今昔百鬼拾遺』(安永10年・1781年)に描いた怪で、同書の一図に数えられる。衣桁(いこう)に掛けられた豪奢な小袖の袖口から、白く細い女の手がすっと伸び出る姿で示され、絵には燭台と経巻が添えられて、供養の場であることが暗示される。亡き女が衣装や調度に残した未練・執着が形をとったものと解され、とりわけ身請けされぬまま苦界に没した遊女の、衣への思いを寓したものとされる。死者の衣服を寺に納めて供養する習俗や、形見・売却といった衣の行方をめぐる観念と結びつき、器物に魂が宿るという付喪神の発想を、衣類と死者の情念という主題のうえに展開した図像的妖怪である。遊女は「籠の鳥」「籠女(かごおんな)」とも呼ばれた身であり、その手が衣の袖から伸びるという趣向には、自由を購(あがな)えぬまま死んだ女の、満たされぬ願いの含意も読み取られている。背景には、華やかな小袖の下に沈む遊女の境涯への、石燕一流の風刺的なまなざしがある。
ふうり
風を起こす獣怪・風狸
風狸は中国の博物誌や志怪に見える獣妖の名で、日本でも江戸期の博物学・随筆に記載が散見される。外見は小猿・貂・狸・兎などに似すと諸説あり、尾が短く赤眼、黄緑や暗色で斑を有するともされる。風を起こして人畜を驚かす、または不意に現れて引っかき傷を負わせると語られるが、実在は不詳で地域や書により解釈が大きく異なる。
もみじがり
戸隠山の鬼女紅葉・紅葉狩
「紅葉狩(もみじがり)」は、信濃国戸隠山に巣くう鬼女紅葉(もみじ)を平維茂(たいらのこれもち、惟茂とも)が討つ物語として、中世以降の芸能・文芸に広く伝承された主題であり、その演目名でもある。室町後期の謡曲『紅葉狩』を起点に、近世の歌舞伎・浄瑠璃へと展開し、紅葉狩りに興じる美しい女たちが実は鬼女であり、武将が神仏の加護を得て正体を見破り討伐するという筋立てが定型化した。 この主題の魅力は、艶やかな酒宴と凄惨な鬼退治とが一曲のうちに反転する点にある。錦秋の山に遊ぶ高貴な美女が舞い、酒を勧め、武将を眠りに誘う前半の優雅さが、後半で牙を剥く鬼女の本性と鋭く対をなす。能では前シテの美女と後シテの鬼女を同一の演者が演じ分け、紅葉という名そのものが「美しさの下に潜む鬼」という両義性を体現する。 鬼女紅葉の像は、戸隠・鬼無里(きなさ)・別所温泉といった信濃各地の地域伝承と、能を頂点とする芸能作品とが互いに影響しあって形づくられた。土地では薬・手芸・文芸に長けた貴女として慕われる一方、中央の物語では討たれるべき鬼として描かれ、その落差が紅葉伝説の厚みを生んでいる。