逢魔時
おうまがとき
百魅生ずる薄闇刻・逢魔時
逢魔時は、日の暮れに差しかかる薄闇の頃を指す言葉で、黄昏時と重なる。人の顔が判然としない境目の時間で、魔や妖怪に遭いやすいと畏れられ、小児を外に出さぬ戒めが語られた。鳥山石燕は「百魅の生ずる時」と注し、柳田国男も化け物への警戒を含む古義に言及する。地方には同義・近義の呼称が諸説ある。
『今昔画図続百鬼』(こんじゃくがずぞくひゃっき)は、安永8年(1779年)に刊行された鳥山石燕の妖怪画集で、『画図百鬼夜行』の続編にあたる。前作は名称と図のみだったが、本作からは妖怪ごとに短い解説や賛が添えられるようになった。構成は「雨・晦・明」の三巻で、逢魔時から日の出までの時の移ろいを意識した構図が特徴。酒呑童子・般若・鵺など芸能で知られる妖怪のほか、説話集や『和漢三才図会』から引用した題材、中国由来の妖怪も描かれている。また典拠が不明なものも多く、石燕独自の創作性が強く表れた作品とされる。
52体の妖怪が収録されています
おうまがとき
百魅生ずる薄闇刻・逢魔時
逢魔時は、日の暮れに差しかかる薄闇の頃を指す言葉で、黄昏時と重なる。人の顔が判然としない境目の時間で、魔や妖怪に遭いやすいと畏れられ、小児を外に出さぬ戒めが語られた。鳥山石燕は「百魅の生ずる時」と注し、柳田国男も化け物への警戒を含む古義に言及する。地方には同義・近義の呼称が諸説ある。
おに
角と虎皮褌の鬼
鬼は、頭に角を生やし、口に牙を持ち、虎の皮の褌をまとう異形として描かれる、日本の怪異の代表的な総称である。語源は目に見えぬものを意味する「隠(おぬ・おん)」に由来するとされ、本来は形を持たぬ邪気や死霊を指したと考えられている。仏教が伝わると地獄で亡者を責める牛頭・馬頭や夜叉・羅刹のイメージが重なり、さらに陰陽道で北東を鬼の出入りする鬼門(丑寅)とする観念が結びついて、牛の角と虎の皮という現在の像が成立したと説かれる。地獄の獄卒、節分で追われる邪鬼、山に棲む酒呑童子型の大鬼まで、性格も役割も多層的で、恐怖と畏怖の両面を担う存在である。
さんせい
山中片足の塩盗み・山精
山精(さんせい)は、中国の山地に棲むと伝えられる一本足の山の怪で、寺島良安『和漢三才図会』が中国の諸書を引いて紹介する。身の丈は一尺、あるいは三〜四尺と異説があり、一本きりの足は踵が前後逆に付くという。山中の小屋に現れて塩を盗み、蟹や蛙を好んで食らう。夜に人を犯すが、「魃」の名を唱えれば退くとされ、日本では鳥山石燕がその姿を描いて妖怪画の系譜に取り込んだ。
すいこ
幼児大の鱗甲・水虎
水虎(すいこ)は、もともと中国の本草書に記された水棲の怪である。幼児ほどの体に堅い鱗(うろこ)をまとい、秋には砂の上に甲(こう)をさらすという。虎に似た頭や、膝(ひざ)、鋭い爪に特徴をもつと解された。明の『本草綱目』が広く知られるきっかけで、その記述はさらに古い地誌『襄沔記(じょうべんき)』にさかのぼる。日本へは江戸期に書物を通じて伝わり、しばしば河童と重ねられたが、学者たちは河童とは「相似て同じからず」――よく似ているが別の獣だ――として区別して記録した。
さとり
心を読む山中の獣・覚
覚(さとり)は、人の心を読むと伝えられる山の妖怪。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』は「飛騨美濃の深山に玃(かく)あり、山人呼んで覚と名づく」と記し、色黒く毛深く、人語をよく解して相手の心中を察するが、あえて人を害さず、人がこれを殺そうとすれば先んじてその意を悟り逃げ去ると述べる。猿に似た獣の姿で描かれ、心を見透かす不気味さゆえに、山中で出会うことを忌まれた。
はしひめ
宇治橋鉄輪の鬼女・橋姫
橋姫(はしひめ)は、古い大橋を司る女神・鬼女として語られる存在で、水神・土地神の信仰と橋の境界をまもる観念が結びついて成立した。代表は山城国宇治川の宇治橋に祀られる橋姫で、ほかに摂津の長柄橋、近江の瀬田の唐橋にも橋姫の伝承がある。古来、橋はこの世とあの世、村と外界を分かつ境であり、そこに坐す女神は嫉妬深く一途とされ、橋の上で他の橋を褒めること、夫婦連れで渡ること、嫉妬や恋の歌を口ずさむことを忌む俗信が各地に伝わった。『古今和歌集』巻十四には「さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫」の一首が見え、独り寝で恋人を待つ女神の面影を伝える。中世以降はこの面影が一転し、嫉妬のあまり生きながら鬼と化す「生成(なまなり)」の鬼女像が語られて、橋を守る女神と人を呪う鬼女という二面を併せもつに至った。縁切り・縁結びの両方の霊験を説く信仰も、この二面性に根ざす。
はんにゃ
高貴なる生霊・白般若(六条御息所)
般若(はんにゃ)は、能で用いられる鬼女面の代表であり、同時に「嫉妬や怨念によって鬼女へ傾いた女性」の姿を指す言葉として広く知られる。単一の妖怪種族というより、能面・謡曲・中世説話が作り上げた情念の型である。the-NOH.comの能面データベースでは、般若は怨霊の面に分類され、女性の嫉妬・恨み・悲しみ・嘆きが融合した表情を持つ面として説明される。二本の角、金色を帯びた眼と歯、強くしかめた眉、硬く張った頬は、怒りだけでなく、怒りから抜け出せない苦しみを見せるための造形である。 「般若」は本来、仏教で悟りへ向かう智慧を意味する語である。その名が鬼女面に付く理由には複数の説があり、奈良の般若坊がこの面の造形を芸術化したという説、また鬼の面を打つには物事の真実を見抜く智慧が必要だったという説が伝えられる。このねじれが、般若という存在をただの恐ろしい面に留めていない。煩悩を断つはずの「智慧」の名を持つ面が、嫉妬・執着・愛憎に囚われた女性を表すからこそ、般若は人間の心が鬼へ変わる瞬間を強く印象づける。 英語圏ではHannya mask、Hannya demon、Japanese demon mask、hannya tattooといった検索語で知られるが、原義では「悪魔一般」ではなく、能において怨霊・鬼女を演じるための精密な仮面である。したがって般若を読むときは、面そのもの、舞台上の役柄、嫉妬で鬼女化する説話という三層を分ける必要がある。
てらつつき
守屋怨念の啄木鳥・寺つつき
寺つつきは、啄木鳥の姿をとり寺院の棟木や扉を嘴でつついて損なうとされる怪鳥。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれ、仏法を妨げる凶兆として語られる。物部守屋の怨霊が姿を変えたとも言われ、聖徳太子が建立した寺を狙うと伝えられる。正体はアカゲラに比定される説があり、音を立てて現れては忽然と消えるという。
にゅうないすずめ
清涼殿の供御食い・入内雀
平安中期の歌人・藤原実方の死後、その怨念もしくは霊が雀と化し、内裏の清涼殿に入り台盤の飯を食い尽くしたと伝えられる怪鳥。人々はこれを「入内雀」あるいは「実方雀」と呼び、内裏へ侵入する不吉の徴と畏れた。農作物を荒らす害も語られ、実方の京への執心と左遷の恨みが形を成したものとして記録される。
たまものまえ
鳥羽院寵愛の九尾狐・玉藻前
玉藻前は、平安時代の末、鳥羽上皇に仕えたという絶世の美女である。その正体は九尾の狐とされるが、人としての玉藻前は何より、たぐいまれな美しさと深い学識をそなえた宮廷の女君として語られてきた。和歌や管弦はもちろん、仏教の経典から天竺・震旦(インド・中国)の故事まで、どんな問いにもよどみなく答え、宮廷の人々を驚かせたという。 「玉藻前」という名にも物語がある。ある夜、清涼殿での詩歌管弦の宴のさなか、一陣の風が灯火を吹き消すと、暗闇の中で彼女の身からまばゆい光が放たれ、あたりを昼のように照らした。玉のように光る藻、という意味で「玉藻前」と呼ばれるようになったと伝わる。それまでは藻女(みくずめ)と呼ばれていたともいう。やがて上皇の寵愛を一身に集めるが、上皇が原因の知れぬ病に倒れたことから、その正体が疑われていく。
おさかべひめ
姫路天守の城神姫・長壁姫
長壁姫(おさかべひめ)は、播磨国姫路城(兵庫県姫路市)の天守最上層に宿るとされる女の妖怪・城郭神で、小刑部姫(こおさかべひめ)・刑部姫・小坂部姫とも記される。城のある姫山(ひめやま)の地主神刑部大神(おさかべのおおかみ)の信仰を母胎とし、城の守護神でありながら人を退ける祟り神でもあるという両義的な性格を帯びる。江戸初期の怪談ではいまだ「姫」の像に定まらず、『諸国百物語』(延宝五年=一六七七年刊)では男女の別なく姿を変える城の化け物「城ばけ物」として描かれた。やがて『老媼茶話』や『甲子夜話』を経て、十二単をまとう高貴な女、あるいは老女の姿が定着していく。年に一度だけ城主と対面し、それ以外の者が天守へ上ることを嫌うと伝えられ、城主の行いに応じて吉凶をもたらすと畏れられた。その正体については、老いた狐の化身、姫山の地主神、築城のとき人柱となった女の変化、罪を得て世を去った高貴な姫君の霊など諸説が並び立ち、一つに定まらないところにこの妖怪の捉えどころのなさがある。
うしのこくまいり
丑三つ時の藁人形呪詛
丑の刻(真夜中)に神社の御神木へ憎む相手を象った人形を打ちつけ、祟りを願う呪詛儀礼。江戸期に白装束・鉄輪にろうそく・一本歯下駄・鏡・五寸釘などの作法が整い、七日間通えば満願とされた。行為を見られると効力が失せる、黒牛に遭えば跨げば成就するなどの付会が伝わる。源流には古代の人形代呪術や陰陽道の形代祈祷が指摘される。
こせんじょうび
血より立つ怨霊火・古戦場火
古戦場火は、多くの死者を出した合戦地に群れて現れる鬼火。ふわりと漂い、数が多いと野面一帯を淡く照らすという。兵や馬の怨霊が発する火とされ、石燕『今昔画図続百鬼』には、地に滴った血より立つ火として描かれる。人に害をなすとの確かな伝えは少なく、遭遇者は念仏を唱えて立ち去ったとされる。
ひけしばば
灯を吹き消す老女・火消婆
鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれた、灯火を吹き消す老女の妖怪。提灯や行灯、蝋燭の火を遠くからふっと吹き消すとされ、陽気である火を忌む陰の存在として解釈される。実地の口承は乏しく、石燕の創作性が高いと論じられてきた。後世の書や絵本で名の揺れ(ふっ消し婆・吹消婆)が見られ、宴席や夜道の灯が不意に消える怪異と結び付けて語られる。
あぶらあかご
行灯油を嘗める油赤子
江戸中期、鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれた妖怪。赤子の姿で行灯の油を嘗めるとされ、その由来は近江国大津で地蔵の油を盗んだ油売りが死後に怪火となったという俗信(『諸国里人談』『本朝故事因縁集』所載の油盗みの火)に求められる。石燕は怪火譚を踏まえ、油への執着を赤子像に託して描いたと解される。
わにゅうどう
燃ゆる車輪の入道顔・輪入道
炎に包まれた牛車の車輪の中心に、憤怒の形相を浮かべた大入道の顔が現れる怪。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』はこれを片輪となって転がる火車輪として描き、見た者は魂を奪われると添える。石燕の解説には、戸口に「此所勝母の里」と書いた紙を貼れば近づけないとあり、これは『史記』鄒陽列伝で曽子が「母に勝つ」の名を嫌い里に入らなかった故事に由来する。京都・東洞院に現れたと伝える諸国百物語の怪に取材したもので、同じ説話から分かれた片輪車とは本来同一系統の異形とされる。
おんもらき
屍気より生ずる怪鳥・陰摩羅鬼
陰摩羅鬼(おんもらき)は、新しい死体から立ちのぼる気が変じて生ずるとされる鳥形の妖怪で、その典拠は中国の古書に遡る。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』は雲気のたなびく堂内に羽を広げた怪鳥としてこれを描き、姿は鶴のごとく、全身黒く、眼は灯火のように赤く輝き、羽を震わせて甲高く鳴くと説く。石燕は仏典(大蔵経)に「新しき屍の気、陰摩羅鬼となる」と見える旨を踏まえ、死してまもない亡骸の気が凝って形をとったものと位置づけた。それゆえこの怪は、十分な供養を受けられぬ屍や、読経を怠った僧のもとに現れるとされ、寺院における死者供養と戒律の弛みを戒める象徴として理解された。名の由来には、仏道修行を妨げる魔物「摩羅(魔羅)」に「陰」「鬼」の字を添えて鬼魔の意を強めたとする説と、障害を意味する「陰摩」に「羅刹鬼」が混じったとする説とがあり、いずれも仏教的な悪鬼の連想を背負う。死と供養をめぐる仏教的観念が、鳥という具体的な形象へと結晶した怪異である。
がんばりにゅうどう
厠の入道・加牟波理入道
厠に関わる俗信に見える入道姿の妖怪。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に口から鳥を吐く姿で描かれ、大晦日に「がんばり入道ほととぎす」と唱えると現れないと解説される。厠でホトトギスの声を聞くのは不吉とする信仰や、郭公の字と中国の厠神・郭登の連想が背景にあるとされ、各地で名称や所作が異なる伝承が残る。
あめふりこぞう
雨師に仕う侍童・雨降小僧
江戸時代の妖怪画集『今昔画図続百鬼』に見られる小僧姿の妖怪。中骨を抜いた和傘を頭に被り、提灯を手にする図で知られる。解説では雨の神「雨師」に仕える侍童に擬せられ、語呂を踏まえた言葉遊びも指摘される。黄表紙にも登場し、小間使いめいた役割で描かれることが多い。実在の土地伝承は乏しく、文献由来の性格が強い。
ほねおんな
牡丹燈籠の白骨女・骨女
骨女は、鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれた骸骨の女。石燕は解説で、御伽草子系の怪談に見える、牡丹模様の提灯を携え逢瀬に通う女の骸骨を典拠とし、浅井了意『伽婢子』所収「牡丹燈籠」の女亡霊像に拠ると示す。美女に見まがう姿で男に近づき、実は白骨であるという怪異譚の図像化で、色恋と死の境が交錯する恐怖の象徴として知られる。
ぬえ
源頼政の射落とした怪・鵺
鵺(ぬえ)は、頭は猿、胴は狸、手足は虎、尾は蛇という、複数の獣を合成したキメラ的な異形として知られる日本妖怪の代表格である。本来「鵺(鵼)」とは、夜に「ヒョー、ヒョー」と寂しげに鳴く実在の鳥(トラツグミ)の古名であり、平安時代にはその声が「不吉な凶兆」としてひどく忌み嫌われていた。『平家物語』において源頼政が退治した怪物は本来「名無しの怪物」であり、「鵺のように気味悪く鳴く」と記されていたに過ぎないが、後世の人々がその鳴き声の主の名を怪物そのものの名として誤用し、定着した。特定の形を持たぬ「音の怪異」が、時代を下るにつれて視覚的な「合成獣」へと変容していった、日本妖怪史における極めて特異で重要な存在である。
いつまで
いつまでと鳴く死告・以津真天
以津真天(いつまで)は、人の顔、曲がった嘴(くちばし)に並ぶ鋸(のこぎり)のような歯、蛇のごとき長い胴体、そして剣のように鋭い両足の蹴爪を持つ巨大な怪鳥である。翼を広げれば一丈六尺(約4.8メートル)にも及んだとされ、夜空から「いつまで、いつまで」と不気味な鳴き声を響かせて人々を慄かせる。 この妖怪の原拠は、軍記物語の最高峰『太平記』(14世紀成立)巻第十二「広有射怪鳥事」に記された名もなき「怪鳥」の挿話である。建武元年(1334年)の秋、疫病が蔓延し死者が相次ぐ平安京で、毎夜紫宸殿(京都御所)の上に飛来して不気味に鳴き声を上げたため、弓の名手であった隠岐次郎左衛門広有(おきのじろうざえもんひろあり)が見事射落としたと伝わる。 重要なのは、古典籍においてこの鳥は一貫して「怪鳥」としか呼ばれず、固有の名称を持たなかった点である。江戸時代になり、絵師の鳥山石燕が『今昔画図続百鬼』(1779年)の中で、その鳴き声に「以津真天」という漢字を当てて収録したことで、初めて一個の妖怪名として結晶した。現代の妖怪図鑑などでは、しばしば「戦乱や飢饉で放置された死体の傍らに現れ、『いつまで(野ざらしにしておくのか)』と訴えて鳴く」と解説されるが、この「死体」との直接的な結びつきは中世・近世の文献にはなく、疫病蔓延という『太平記』の時代背景を論理的に解釈し直した近代以降の後付けの解釈である。
じゃみ
山林に満つる魔・邪魅
邪魅(じゃみ)は、鳥山石燕『今昔画図続百鬼』(安永八年=一七七九年刊)の「雨」の部に収められた妖怪である。図に添えられた石燕の注記は「邪魅は魑魅(ちみ)の類なり、妖邪(ようじゃ)の悪気なるべし」と簡潔に記すのみで、固有の物語や来歴をもつ怪というより、山林に満ちる邪悪の気、人を害する魔的な精の総称として観念的に提示されている。石燕の絵では、痩せ衰えた異形の鬼形が身をかがめて描かれ、個体としての性格づけは希薄で、瘴気(しょうき)・祟り・病といった目に見えぬ災厄の擬人化に近い。語の出自は日本固有の伝承ではなく、『春秋左氏伝』以来の漢籍で説かれる「魑魅魍魎(ちみもうりょう)」――山沢や木石の精気から生じ人に禍をなすとされた精怪の群――のうち「魅」の一字を取り、石燕が一個の図像へ再構成したものと解される。すなわち邪魅は、中国の文献世界で育まれた魔の観念が、江戸の妖怪画というメディアを介して日本の妖怪体系へ取り込まれた一例として位置づけられ、石燕一流の漢学的教養と造形意匠とが結び合った産物といえる。
もうりょう
水と屍に潜む怪・魍魎
魍魎は山川草木・石・墓所などに宿るもののけ、または水に由来する怪を指す総称。漢籍では罔両・罔象とも書かれ、赤黒い色で赤眼・長耳の童子状と記す例がある。日本では水神「みずは」と訓じられ、のちに魑魅と対に並べて用いられた。死者の肝や屍体を好むとされ、葬送の場に現れる怪異や屍体を奪う妖に比定されることがある。
むじな
夜道で人を惑わす・ムジナ
ムジナは本来アナグマ(穴熊)を指す語だが、地域や時代によってタヌキ・ハクビシンとも混称され、同定が一定しない獣の総称である。古くから人を化かす獣として狐・狸と並び称され、夜道で道や川を誤認させ、食物や場所の見え方を変える術に長けるという。文献上の初出は『日本書紀』推古天皇三十五年(627年)春二月の条で、「陸奥国に狢有り。人と化りて歌う」と記され、奈良時代以前から狢が人に化けるという観念が成立していたことを示す。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』にも「狢」が立項され、近世には狐狸とともに化かしの代表格として絵画・説話に頻出した。アナグマとタヌキは外見が似て同じ巣穴に同居することもあり、「同じ穴の狢」の語が生まれたほど、両者の区別はしばしば混乱した。
どどめき
銭目の百々目鬼
『今昔画図続百鬼』(安永8年・1779)に鳥山石燕が描いた、両腕に無数の目を生じた女の妖怪。石燕は詞書に「函関外史曰、百々目鬼は生れて手長く、つねに人の銭をぬすみしかば、その鳥目の精、腕に百々の目を生ず」の趣旨を記し、盗み癖のある女の腕に、盗んだ銭の精が目となって現れたものと説く。ここでいう「鳥目(ちょうもく)」は中央に方孔をうがつ銅銭の異称で、その四角い穴が鳥の目を思わせることに由来する語であり、石燕はこの語呂をそのまま妖怪の図像へ転じている。画面の女は乱れ髪を垂らし、袖からのぞく腕いちめんに大小の目がびっしりと開く異形に描かれ、表情には盗みの果ての業(ごう)がにじむ。詞書に掲げる典拠「函関外史」は同時代の他書にいっさい確認されず、実在の漢籍とは認めがたいため、石燕自身による戯れの仮託とみる説が有力とされる。名の「百々(どど)」もまた、各地に散在する「百目鬼」「百目木」「百目貫」といった地名表記(どどめき・どうめき)への連想から導かれた創作とみるのが通説で、銭の異名「鳥目」と地名の字面とを掛け合わせた、石燕一流の言葉遊びが造形の核にある。
てんじょうくだり
天井より逆さの老女・天井下り
鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』に描かれる家怪で、乱れ髪の醜い老女が天井から逆さにぶら下がる姿で示される。夜更けに天井より現れて人を驚かすが、直接の害は加えぬと解されることが多い。天井という境界から出入りする異界の存在と見る説、また当時の言い回し「天井を見せる」を踏まえた石燕の言葉遊びによる創作とする見解がある。
おおかぶろ
菊文振袖の童形・大禿
大禿は、鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれた妖怪画上の存在。屏風より高い背丈、菊文の振袖、つるりとした頭を特徴とする。図に添えられた文は能「菊慈童」や「頭童歯豁」の語を踏まえ、長命の童や老衰の相貌を対置する寓意的表現で、遊里の禿(かむろ)や山寺の老僧を諷刺した作と解される。固有の怪異譚は乏しく、画題・比喩として流布した。
かなだま(および かねだま)
善行の家に来る・金霊
金霊は金の気の具現、あるいは福徳を象徴する精の名で、善行に励む家に兆しとして現れると解された。江戸の絵巻では土蔵に金銀が満ちる図で示され、実体の怪異というより吉報の寓意とされる。一方の金玉は玉状または怪火として飛来し、家に迎えると家運が開けると語られるが、損なえば衰運を招くと戒められる。両者は混称される例があるが、性格づけはやや異なる。
あまのざこ
素戔嗚の猛気・天逆毎
天逆毎(あまのざこ)は、江戸期の博物誌『和漢三才図会』巻四十四「治鳥付天狗・天魔雄」に引かれる「ある書」に見える怪神である。同書は、素戔嗚尊が体内に猛気の極まったものを抱え、これを吐き出したとき、その猛気が形を成して生じた女神が天逆毎であると説く。姿は人に似るが顔は獣のごとく、鼻が高く、耳が長く、口には牙を備える。気性は極めて荒く、意に逆らうものに遭えば荒れ狂い、いかに力ある神であっても千里の彼方へ投げ飛ばし、堅い刃物すら牙で噛み砕いたという。物事を悉くあべこべに言い做さねば気の済まぬ性向をもち、前を後ろ、左を右と言ったと伝え、ここから天邪鬼との連関がしばしば語られる。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』も天逆毎を図像化するが、その典拠は『和漢三才図会』に拠ると考えられている。
おおくび
雨夜空に漂うお歯黒・大首
空や家の戸口などに巨大な女の首が現れる怪異。お歯黒をほどこした既婚女性風の相貌で描かれることが多い。江戸中期の鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に図像があり、雨夜の空に漂う女の大首として知られる。石燕作例は風刺的創作とされるが、各地の奇談・随筆には巨大な女の首に遭遇した話が散見し、怨霊・執念、あるいは狐狸の化けたものとする解釈が記される。
ぶるぶる
襟元を凍らす震々
震々は、鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれた恐怖の兆しを人格化した妖怪。人が不意の畏れに襟元から寒気を覚え、首筋がぞっと粟立つのは、この震々が取り憑くためと解される。別名に臆病神・ぞぞ神が挙げられ、恐怖が身体感覚として現れる機微を示す象徴的存在として語られる。具体的な姿形や出自は明確でなく、概念化された「おそれ」の霊格に近い。
ももんじい
原野の病もたらす老爺・百々爺
江戸の妖怪画集『今昔画図続百鬼』に描かれる、杖をついた老爺の姿で野に現れる怪。石燕は正体を「未詳」としつつ、原野で老夫に化して通行人に近づき、遭遇者は病むと記した。名称は幼児語の「ももんが」「がごじ(がごし)」などの合成と解され、野衾や獣肉を指す語「ももんじい」との関連も論じられる。具体的能力や出自は伝承上明確でない。
はかのひ
五輪塔の燐火・墓の火
墓の火は、墓地や古い五輪塔の周囲に現れる怪火の一種。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』には、藪に囲まれ荒廃した墓所で、梵字の欠けた五輪塔に炎が燃え上がる姿が描かれる。梵字が欠けたため断たれるべき煩悩が炎となると解されることがある。近世の怪談では、屍体や墓から漏れた血や脂が燐火となって発する怪異として語られ、夜間にゆらめきながら漂うという。
ちょうちんび
田畦に浮かぶ怪火・提灯火
提灯火は、田畦や川堤、墓所の近くに現れる鬼火の一種。提灯ほどの大きさの火が地上一メートル前後を漂い、人が近づくと消えるとされる。四国では狐や狸の仕業とみなされ、地域により名や性質の伝え方が異なる。夜道で連なって見えることがあり、怪死・熱病など不吉の前兆と結び付けられるが、実体は掴めず正体不詳とされる。
ひとだま
夜空に漂う魂火・人魂
人魂は、夜間に空中を漂う小さな火の玉として目撃される霊的現象で、古くは「人の体から離れた魂」と解される。色は青白・橙・赤など諸説あり、尾を引いて低く漂うとされる。鬼火・狐火と混同されがちだが、人魂は人の魂の発光として語られ、死や生死の境に関わる前兆ともされる。『万葉集』をはじめ古典や近世の随筆・地方伝承に頻出し、近代以降も各地で目撃談が続く。
ひよりぼう
常陸晴天司る・日和坊
鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれる晴天を司るとされた妖怪。晴の日に現れ、雨天時には姿を見せないと解説される。石燕の記述以外に確たる民間伝承の報告は少なく、実在の口承例は不詳とされる。てるてる坊主との関係が示唆されるが、起源と断定できる資料はない。名称は各地の「日和坊主」など天気祈願の語彙と関連づけて論じられる。
ひひ
老猿化けの女攫い・狒々
狒々(ひひ)は山深くに棲むとされる大猿の怪で、年を経た老猿が化けたもの、あるいは猿を巨大にした異獣と考えられた。その像はもと中国の本草書に由来し、明の『本草綱目』は狒々を大陸西南の山に棲む獣とし、人に似た形で身の丈一丈余り、全身黒い毛に覆われ、人を見て笑うときはめくれ上がった上唇が目を覆うほどだと記す。さらに人語を解し、人の生死を予知し、その血を飲み、長い髪は鬘の材になるという。江戸期の百科『和漢三才図会』もこれを引いて狒々を載せ、怪力で人を襲い食らう獣として広く知られた。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』は黒毛の大猿として描く。日本では各地の山に怪力の狒々が現れて女や娘を攫い、村に生贄を求める猿神として語られ、これを退治する英雄譚が全国に分布する。名は笑い声に由来する説があり、「山で笑うもの」から「山童(やまわろ)」へ転じたとする語源説もあって、山の怪との混同も見られる。
あおにょうぼう
古御所の女官姿・青女房
江戸期の妖怪画に見られる女官風の妖怪。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』ではお歯黒をほどこした公家風の若い女房として、荒れた古御所に出ると解される。名は本来、宮中や貴族家に仕える若年で位の低い女官を指す通称で、固有の怪名ではない。諸本の百鬼夜行絵巻に同様の装束の女官像が描かれ、石燕がその図像に基づき「青女房」と銘したと考えられる。実体や由来は不詳。
けじょうろう
髪に顔覆われる遊女・毛倡妓
江戸中期の絵師・鳥山石燕が『今昔画図続百鬼』(安永8年・1779年)に描いた、創作色の強い妖怪。名は「毛」と「倡妓(しょうぎ・遊女)」を重ねたもので、長い髪をぼうぼうに振り乱した遊女の姿をとり、顔じゅうが毛に覆われて目鼻も見えないように描かれる。石燕が遊里の闇を寓意した作とされ、固有の在地伝承は乏しく、もっぱら版本の絵と解説のなかに姿をとどめる。研究者の解釈は分かれ、日本文学者アダム・カバットは髪に隠れて顔が見えないのではなく、はじめから顔のない、のっぺらぼうの類とみる。一方妖怪研究家の多田克己は、これを江戸・吉原遊廓を風刺した石燕の創作と指摘する。中国の古書『投轄録』には紙銭を焼く煙の中に全身毛だらけの「毛女」が現れる話があり、毛深い造形の淵源として比較されることもある。