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今昔画図続百鬼|鳥山石燕が描く雨・晦・明の妖怪

名だけの図鑑から、典拠とことばを読む妖怪画集へ

今昔画図続百鬼
鳥山石燕が描く雨・晦・明の妖怪

47体の妖怪

この特集の要点

『今昔画図続百鬼』は、鳥山石燕が安永八年(1779)に刊行した『画図百鬼夜行』の続編です。雨・晦・明の三巻で夕闇から夜明けへ進み、前作より多くの妖怪に短い解説や賛を添えました。酒呑童子や玉藻前の物語、怪火や霊魂、中国由来の怪物、石燕の創意が同じ夜の流れに配置されています。このページでは、当サイトに独立項目のある47体を原作順に読めます。

1779年、妖怪に「読む言葉」が加わる

国立国会図書館の公式解説が示すとおり、『今昔画図続百鬼』は安永八年(1779)、『画図百鬼夜行』に続いて刊行されました。前作が名と図像を前面に出したのに対し、本作では多くの画目に短い詞書や賛が添えられます。

その言葉は、妖怪を一つの意味に固定する説明書ではありません。古典を引き、名の由来をほのめかし、ときには絵と言葉のずれで笑わせます。石燕の妖怪図鑑はここから、見る本であると同時に、典拠を探しながら読む本になります。

雨・晦・明――夕闇から日の出まで

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』は「雨」「晦」「明」の三巻から成ります。雨が景色を閉ざし、晦い夜が深まり、最後に明けていく。妖怪を分類表へ並べるのではなく、一夜の時間に沿って現れさせる構成です。

巻頭の逢魔時は、昼と夜の境がほどける時刻そのものです。そこから鬼、山精、水虎、覚へ進み、酒呑童子、橋姫、般若、寺つつき、入内雀、玉藻前、長壁姫、丑の刻参りへと、人外の獣から物語と芸能の主役までが連なります。

火が夜の輪郭を描く

不知火、古戦場火、青鷺火、提灯火、墓の火、火消婆、油赤子。中盤には、正体をつかめない光が続きます。火は明るさを与える一方で、戦死者、墓地、油、古い道具に残った記憶を浮かび上がらせます。

片輪車と輪入道は燃える車輪を共有しますが、同じ妖怪の別名と決めつけることはできません。陰摩羅鬼、火の玉、船幽霊、がんばり入道、雨降小僧、日和坊、青女房、毛倡妓、骨女も、死・天候・家の内外という異なる境界から現れます。

軍記、古典、異国の怪物

鵺と以津真天は軍記物語を想起させ、邪魅、魍魎、狢、野衾は輪郭の曖昧な怪異を名のある姿へ変えます。土蜘蛛や狒々には退治譚の気配があり、百々目鬼、震々、天井下、大禿、大首、ももんじい、金霊、天逆毎には、語の連想と石燕の造形力が強く働いています。

原典とカード一覧の違い

下の一覧は、当サイトで独立した解説を読める47項目です。旧一覧では片輪車と船幽霊の地域別バージョンが複数並び、同一の画目を別の収録妖怪のように数えていました。今回は一画目につき一つの代表ページへ整理し、旧一覧から漏れていた野衾を加えました。

原作にはこのほか、魃、皿数え、川赤子、古山茶の霊、野槌、骸骨も描かれています。これらは作品から除外したのではなく、現時点で独立した妖怪ページがないためカード化していません。画集の全体像を読むときは、カード数と原作の画目数を同一視しないことが大切です。

更新: 2026/7/18
今昔画図続百鬼鳥山石燕妖怪画集雨晦明江戸時代収録妖怪原典

収録妖怪

47体の妖怪が収録されています

この妖怪たちのアートカードも見つかります

全 59 枚のカード — 浮世絵、現代日本…

逢魔時

逢魔時

珍しい

おうまがとき

百魅の生ずる黄昏・逢魔時

自然現象・自然霊全国

逢魔時(おうまがとき)は、日が沈みきる前後の薄暗い夕暮れを、怪異に出会いやすい「悪い刻限」として名づけた言葉である。固有の姿や意志を持つ一体の妖怪ではなく、人の顔や遠くの物を見分けにくくなる昼夜の移り目そのものを指す。『精選版日本国語大辞典』は、暮れ方の薄暗い時刻、すなわち黄昏と定義する。「何時から何時まで」という固定時刻ではなく、日没時刻に従って季節と場所により移動する。江戸期に広く使われた不定時法も、夜明けと日暮れを基準に昼夜を分けていたため、逢魔時を一律に17~19時や18時と換算することはできない。 読みと表記には複数の層がある。辞書には大禍時・大魔時・逢魔時・王莽時が並び、おおまがとき、おおまがどき、おうまがとき、おおまどき等の語形が記録される。「大きな禍の時」と理解する大禍時に加え、「が」を助詞、「ま」を魔と捉えたことで大魔時や「魔に逢う」逢魔時の表記が生じたと説明される。林羅山は昼を前漢、夜を後漢、その間の黄昏を王莽の新朝へ比べる「王莽時」説を記し、鳥山石燕も後にこの旧説を紹介した。いずれか一つが古代から固定した唯一の字というより、先にあった音へ災い・魔・歴史上の人物を重ねた異表記として見る方が史料に即している。 黄昏時は夕暮れを広く指す中立的な語だが、逢魔時はそこへ災厄と怪異への警戒を重ねる点に特色がある。「誰そ彼」に由来する黄昏、「彼は誰」に由来するかわたれ時も、薄暗く相手を見定めにくい感覚を伝える。ただし、かわたれ時は夜明けにも夕暮れにも用い、現在は特に明け方を指すことが多いため、逢魔時と完全に同じではない。また、深夜の特定時刻である丑三つ時とも異なり、逢魔時の核心は「夜の最中」ではなく、昼から夜へ変わる短い境目にある。

鬼

鬼

伝説

おに

角と虎皮褌の鬼

鬼・巨怪京都府

鬼は、頭に角を生やし、口に牙を持ち、虎の皮の褌をまとう異形として描かれる、日本の怪異の代表的な総称である。語源は目に見えぬものを意味する「隠(おぬ・おん)」に由来するとされ、本来は形を持たぬ邪気や死霊を指したと考えられている。仏教が伝わると地獄で亡者を責める牛頭・馬頭や夜叉・羅刹のイメージが重なり、さらに陰陽道で北東を鬼の出入りする鬼門(丑寅)とする観念が結びついて、牛の角と虎の皮という現在の像が成立したと説かれる。地獄の獄卒、節分で追われる邪鬼、山に棲む酒呑童子型の大鬼まで、性格も役割も多層的で、恐怖と畏怖の両面を担う存在である。

山精

山精

稀少

さんせい

山中片足の塩盗み・山精

山野の怪中国『抱朴子』『玄中記』の片足の山の怪、渡来

山精(さんせい)は、中国の山地に棲むと伝えられる一本足の山の怪で、寺島良安『和漢三才図会』が中国の諸書を引いて紹介する。身の丈は一尺、あるいは三〜四尺と異説があり、一本きりの足は踵が前後逆に付くという。山中の小屋に現れて塩を盗み、蟹や蛙を好んで食らう。夜に人を犯すが、「魃」の名を唱えれば退くとされ、日本では鳥山石燕がその姿を描いて妖怪画の系譜に取り込んだ。

水虎

水虎

名妖

すいこ

幼児大の鱗甲・水虎

水の怪中国『襄沔記』『本草綱目』の水怪、河童の漢語別称、渡来

水虎(すいこ)は、もともと中国の本草書に記された水棲の怪である。幼児ほどの体に堅い鱗(うろこ)をまとい、秋には砂の上に甲(こう)をさらすという。虎に似た頭や、膝(ひざ)、鋭い爪に特徴をもつと解された。明の『本草綱目』が広く知られるきっかけで、その記述はさらに古い地誌『襄沔記(じょうべんき)』にさかのぼる。日本へは江戸期に書物を通じて伝わり、しばしば河童と重ねられたが、学者たちは河童とは「相似て同じからず」――よく似ているが別の獣だ――として区別して記録した。

覚

覚

名妖

さとり

心を読む山中の獣・覚

山野の怪岐阜県

覚(さとり)は、人の心を読むと伝えられる山の妖怪。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』は「飛騨美濃の深山に玃(かく)あり、山人呼んで覚と名づく」と記し、色黒く毛深く、人語をよく解して相手の心中を察するが、あえて人を害さず、人がこれを殺そうとすれば先んじてその意を悟り逃げ去ると述べる。猿に似た獣の姿で描かれ、心を見透かす不気味さゆえに、山中で出会うことを忌まれた。

酒呑童子

酒呑童子

伝説

しゅてんどうじ

大江山絵詞の鬼王・酒天童子

鬼・巨怪京都府滋賀県

酒呑童子は、都から人々をさらう鬼王と、勅命を受けて山へ入る武者たちの対決を描く、中世の鬼退治物語の中心人物である。物語は一条天皇の時代に置かれ、実在した武将・源頼光や藤原保昌を登場させるが、平安時代の同時代記録ではない。逸翁美術館所蔵の重要文化財『大江山絵詞』は、南北朝時代・14世紀に制作された、現存する大江山系最古の絵巻である。平安の舞台と中世の作品成立を分けて読むことで、物語をそのまま史実の盗賊討伐へ置き換えず、後世の人々が平安武者と鬼王を通して描いた世界として捉えられる。 名前の表記も一つではない。『大江山絵詞』は主に「酒天童子」と書き、童子自身が、酒を深く愛するため眷属から酒天童子という異名で呼ばれると語る。ほかにも「酒伝童子」「酒顛童子(酒顚童子)」などの表記があり、現在は「酒呑童子」が広く用いられている。「童子」という語だけから、特定の年齢、髪型、僧としての身分を決めることはできない。能『大江山』では少年姿の前シテが定着する一方、『大江山絵詞』の昼の姿は一丈ほどもある、威厳を備えた人物として描かれる。 物語は大きく、鬼王の居所を大江山とする系統と、近江国伊吹山とする系統に分けられる。サントリー美術館所蔵『酒伝童子絵巻』は大永2年(1522)に制作された、伊吹山系の現存最古例とされる。二つの系統は山名だけを置き換えた同じ物語ではなく、伝本によって人物の配置、酒の名、鬼王の姿や来歴にも異同が生じる。そのため、大江山、伊吹山、越後、老ノ坂の話を、一人の酒呑童子がたどった確定的な生涯としてつなぐことはできない。 大江山系最古の本文では、都で人の失踪が続き、安倍晴明の占いが大江山の鬼王を指す。勅命を受けるのは頼光と保昌の両将であり、郎等を伴って山へ向かう。後世によく知られる「頼光と四天王」だけの物語へ縮めてしまうと、古い伝本の構成が見えなくなる。一行は山中で出会った神仏の化現から山伏の装束と特別な酒を授かり、鬼城へ入り、童子の宴に加わる。鬼王は昼には一丈ほどの童子形へ変じ、威厳と知恵深さを示すが、夜には五丈ほどの鬼身となる。頭と胴は赤、左足は黒、右手は黄、右足は白、左手は青く、十五の眼と五本の角を現す。酒に酔って眠ったところを神仏の化現に押さえられ、頼光・保昌主従に首を斬られるが、その首はなお空を飛び、頼光の三重の兜へ食いつく。 酒呑童子は、酒に酔って倒されるだけの単純な悪鬼ではない。華麗な鬼城の主人として客を迎え、自らの流転を語る一方、捕らえた人々を食料にする。客を遇する礼と残忍さ、知性と巨大な鬼身、敗北と飛ぶ首が、同じ物語の中に並んでいる。能、御伽草子、絵巻、版本、浄瑠璃や歌舞伎は、それぞれ異なる酒呑童子像を広めてきた。鳥山石燕も安永8年(1779)刊『今昔画図続百鬼』に「酒顛童子」を描き、酔って横たわる童子と鬼たちを妖怪画集の一頁へ収めている。酒呑童子は一つの姿に固定された怪物ではなく、伝本、芸能、土地の記憶によって繰り返し語り直されてきた、日本を代表する鬼王の一人なのである。

橋姫

橋姫

名妖

はしひめ

宇治橋鉄輪の鬼女・橋姫

人妖・半人半妖京都府

橋姫(はしひめ)は、古い大橋を司る女神・鬼女として語られる存在で、水神・土地神の信仰と橋の境界をまもる観念が結びついて成立した。代表は山城国宇治川の宇治橋に祀られる橋姫で、ほかに摂津の長柄橋、近江の瀬田の唐橋にも橋姫の伝承がある。古来、橋はこの世とあの世、村と外界を分かつ境であり、そこに坐す女神は嫉妬深く一途とされ、橋の上で他の橋を褒めること、夫婦連れで渡ること、嫉妬や恋の歌を口ずさむことを忌む俗信が各地に伝わった。『古今和歌集』巻十四には「さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫」の一首が見え、独り寝で恋人を待つ女神の面影を伝える。中世以降はこの面影が一転し、嫉妬のあまり生きながら鬼と化す「生成(なまなり)」の鬼女像が語られて、橋を守る女神と人を呪う鬼女という二面を併せもつに至った。縁切り・縁結びの両方の霊験を説く信仰も、この二面性に根ざす。

般若

般若

名妖

はんにゃ

能『葵上』の白般若(六条御息所の鬼相)

鬼・巨怪

般若は、二本の角、金色に光る眼、牙、大きく裂けた口をもち、怒りのなかに悲哀を残す能の鬼女面である。能『葵上』『黒塚』『道成寺』に用いられる般若は、嫉妬や怨みで鬼となった女性、または女性の怨霊を舞台上に現すための面の型であり、雪女や河童のような一つの固有種の名称ではない。能楽協会は、般若を生霊・死霊を写す怨霊面の代表例として挙げる。 その表情は、怒りだけを造形したものではない。東京国立博物館所蔵の「近江打」般若の解説では、角、金色の眼、牙、裂けた口が怒りを示す一方、八の字の上瞼と額の乱れた毛描きには哀しみが含まれるとされる。鬼へ傾きながら人の面影を完全には失わないところに、般若面の怖さと痛ましさが同居する。 「般若」という語は本来、仏教の智慧を指す。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』の「般若」は、まず「経の名」と説明したうえで、鬼となった女を表す面名について、能『葵上』の「般若声」から転じたのではないかと「にや」と推し量る。般若坊の作に由来するという説は石燕の詞書には見えず、別に伝えられた面名由来説である。 般若が妖怪図鑑の一項目として読まれる根拠は、安永8年(1779)の『今昔画図続百鬼』で「般若」が独立した画題として掲載されたことにある。能の面が複数の役柄に掛けられるのに対し、石燕の本では鬼・橋姫・酒顛童子などと並ぶ一つの怪異名として示される。般若は、能面、鬼女役、江戸の妖怪画、現代の仮面図像という複数の層を行き来してきた文化的な怪異像である。

寺つつき

寺つつき

稀少

てらつつき

守屋怨念の啄木鳥・寺つつき

動物変化大阪府

寺つつきは、啄木鳥の姿をとり寺院の棟木や扉を嘴でつついて損なうとされる怪鳥。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれ、仏法を妨げる凶兆として語られる。物部守屋の怨霊が姿を変えたとも言われ、聖徳太子が建立した寺を狙うと伝えられる。正体はアカゲラに比定される説があり、音を立てて現れては忽然と消えるという。

入内雀

入内雀

珍しい

にゅうないすずめ

清涼殿の供御食い・入内雀

動物変化京都府

平安中期の歌人・藤原実方の死後、その怨念もしくは霊が雀と化し、内裏の清涼殿に入り台盤の飯を食い尽くしたと伝えられる怪鳥。人々はこれを「入内雀」あるいは「実方雀」と呼び、内裏へ侵入する不吉の徴と畏れた。農作物を荒らす害も語られ、実方の京への執心と左遷の恨みが形を成したものとして記録される。

玉藻前

玉藻前

伝説

たまものまえ

鳥羽院寵愛の九尾狐・玉藻前

動物変化京都府栃木県

玉藻前は、平安時代の末、鳥羽上皇に仕えたという絶世の美女である。その正体は九尾の狐とされるが、人としての玉藻前は何より、たぐいまれな美しさと深い学識をそなえた宮廷の女君として語られてきた。和歌や管弦はもちろん、仏教の経典から天竺・震旦(インド・中国)の故事まで、どんな問いにもよどみなく答え、宮廷の人々を驚かせたという。 「玉藻前」という名にも物語がある。ある夜、清涼殿での詩歌管弦の宴のさなか、一陣の風が灯火を吹き消すと、暗闇の中で彼女の身からまばゆい光が放たれ、あたりを昼のように照らした。玉のように光る藻、という意味で「玉藻前」と呼ばれるようになったと伝わる。それまでは藻女(みくずめ)と呼ばれていたともいう。やがて上皇の寵愛を一身に集めるが、上皇が原因の知れぬ病に倒れたことから、その正体が疑われていく。

長壁姫

長壁姫

名妖

おさかべひめ

姫路天守の城神姫・長壁姫

人妖・半人半妖兵庫県

長壁姫(おさかべひめ)は、播磨国姫路城(兵庫県姫路市)の天守最上層に宿るとされる女の妖怪・城郭神で、小刑部姫(こおさかべひめ)・刑部姫・小坂部姫とも記される。城のある姫山(ひめやま)の地主神刑部大神(おさかべのおおかみ)の信仰を母胎とし、城の守護神でありながら人を退ける祟り神でもあるという両義的な性格を帯びる。江戸初期の怪談ではいまだ「姫」の像に定まらず、『諸国百物語』(延宝五年=一六七七年刊)では男女の別なく姿を変える城の化け物「城ばけ物」として描かれた。やがて『老媼茶話』や『甲子夜話』を経て、十二単をまとう高貴な女、あるいは老女の姿が定着していく。年に一度だけ城主と対面し、それ以外の者が天守へ上ることを嫌うと伝えられ、城主の行いに応じて吉凶をもたらすと畏れられた。その正体については、老いた狐の化身、姫山の地主神、築城のとき人柱となった女の変化、罪を得て世を去った高貴な姫君の霊など諸説が並び立ち、一つに定まらないところにこの妖怪の捉えどころのなさがある。

丑の刻参り

丑の刻参り

名妖

うしのこくまいり

丑三つ時の藁人形呪詛

霊・亡霊京都府

丑の刻(真夜中)に神社の御神木へ憎む相手を象った人形を打ちつけ、祟りを願う呪詛儀礼。江戸期に白装束・鉄輪にろうそく・一本歯下駄・鏡・五寸釘などの作法が整い、七日間通えば満願とされた。行為を見られると効力が失せる、黒牛に遭えば跨げば成就するなどの付会が伝わる。源流には古代の人形代呪術や陰陽道の形代祈祷が指摘される。

不知火

不知火

珍しい

しらぬい

八朔の沖の親火・不知火

不知火は九州沿岸、とくに八代海や有明海に現れるとされた怪火。旧暦八月一日(八朔)前後の風弱い夜、沖に親火が一、二つ生じ、左右に分かれて数を増し、数百から数千の火が横に連なるという。海面近くからは見えにくく、高所からよく見えるとされ、近づけば遠ざかるとも伝えられる。千灯籠・竜灯とも称され、出漁を忌む予兆として恐れられた。今日では蜃気楼に類する大気光学現象と解されている。

古戦場火

古戦場火

珍しい

こせんじょうび

血より立つ怨霊火・古戦場火

鬼・巨怪大阪府

古戦場火は、多くの死者を出した合戦地に群れて現れる鬼火。ふわりと漂い、数が多いと野面一帯を淡く照らすという。兵や馬の怨霊が発する火とされ、石燕『今昔画図続百鬼』には、地に滴った血より立つ火として描かれる。人に害をなすとの確かな伝えは少なく、遭遇者は念仏を唱えて立ち去ったとされる。

青鷺火

青鷺火

名妖

あおさぎび

夜光るゴイサギ・青鷺火

動物変化奈良県新潟県

夜間、サギの体が青白く光って見える怪異。別名は五位の火・五位の光。江戸期の画集や随筆に記録があり、月夜や雨夜にも目撃される。正体はゴイサギとされることが多く、飛翔時に青い火のように見え、人々を驚かせた。発光は水辺の付着物や羽毛の反射などと説明されることもあるが、地域では怪火として語り継がれる。

提灯火

提灯火

珍しい

ちょうちんび

田畦に浮かぶ怪火・提灯火

自然現象・自然霊徳島·兵庫·奈良等に分布する怪火、西日本中心、単一発祥地なし

提灯火は、田畦や川堤、墓所の近くに現れる鬼火の一種。提灯ほどの大きさの火が地上一メートル前後を漂い、人が近づくと消えるとされる。四国では狐や狸の仕業とみなされ、地域により名や性質の伝え方が異なる。夜道で連なって見えることがあり、怪死・熱病など不吉の前兆と結び付けられるが、実体は掴めず正体不詳とされる。

墓の火

墓の火

稀少

はかのひ

五輪塔の燐火・墓の火

自然現象・自然霊石燕『今昔画図続百鬼』、荒れた墓地の怪火、絵巻発祥

墓の火は、墓地や古い五輪塔の周囲に現れる怪火の一種。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』には、藪に囲まれ荒廃した墓所で、梵字の欠けた五輪塔に炎が燃え上がる姿が描かれる。梵字が欠けたため断たれるべき煩悩が炎となると解されることがある。近世の怪談では、屍体や墓から漏れた血や脂が燐火となって発する怪異として語られ、夜間にゆらめきながら漂うという。

火消婆

火消婆

稀少

ひけしばば

灯を吹き消す老女・火消婆

人妖・半人半妖石燕『今昔画図続百鬼』、灯火を消す老婆、創作

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれた、灯火を吹き消す老女の妖怪。提灯や行灯、蝋燭の火を遠くからふっと吹き消すとされ、陽気である火を忌む陰の存在として解釈される。実地の口承は乏しく、石燕の創作性が高いと論じられてきた。後世の書や絵本で名の揺れ(ふっ消し婆・吹消婆)が見られ、宴席や夜道の灯が不意に消える怪異と結び付けて語られる。

油赤子

油赤子

稀少

あぶらあかご

行灯油を嘗める油赤子

住居・器物滋賀県

江戸中期、鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれた妖怪。赤子の姿で行灯の油を嘗めるとされ、その由来は近江国大津で地蔵の油を盗んだ油売りが死後に怪火となったという俗信(『諸国里人談』『本朝故事因縁集』所載の油盗みの火)に求められる。石燕は怪火譚を踏まえ、油への執着を赤子像に託して描いたと解される。

片輪車

片輪車

珍しい

かたわぐるま

京東洞院の覗き戒め・片輪車

住居・器物京都府滋賀県

炎に包まれた牛車の片輪のみが夜道を轟と転がる怪で、車輪の中心に人の顔が現れると伝える。江戸前期の『諸国百物語』や『諸国里人談』に記録があり、見た者・覗いた者に災いが及ぶ、あるいは噂するだけでも祟ると畏れられた。中心の顔は男相・女相の両説があり、京都・近江などでの出現談が知られる。鳥山石燕が同じ説話から描いた輪入道とは本来同一系統の異形とされ、版本ごとの描写差により片輪車と輪入道へ分かれていったと考えられている。

輪入道

輪入道

名妖

わにゅうどう

燃ゆる車輪の入道顔・輪入道

住居・器物京都府

炎に包まれた牛車の車輪の中心に、憤怒の形相を浮かべた大入道の顔が現れる怪。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』はこれを片輪となって転がる火車輪として描き、見た者は魂を奪われると添える。石燕の解説には、戸口に「此所勝母の里」と書いた紙を貼れば近づけないとあり、これは『史記』鄒陽列伝で曽子が「母に勝つ」の名を嫌い里に入らなかった故事に由来する。京都・東洞院に現れたと伝える諸国百物語の怪に取材したもので、同じ説話から分かれた片輪車とは本来同一系統の異形とされる。

陰摩羅鬼

陰摩羅鬼

稀少

おんもらき

屍気より生ずる怪鳥・陰摩羅鬼

動物変化宋『清尊録』鄭州崔嗣復の死気から生じた鳥、渡来

陰摩羅鬼(おんもらき)は、新しい死体から立ちのぼる気が変じて生ずるとされる鳥形の妖怪で、その典拠は中国の古書に遡る。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』は雲気のたなびく堂内に羽を広げた怪鳥としてこれを描き、姿は鶴のごとく、全身黒く、眼は灯火のように赤く輝き、羽を震わせて甲高く鳴くと説く。石燕は仏典(大蔵経)に「新しき屍の気、陰摩羅鬼となる」と見える旨を踏まえ、死してまもない亡骸の気が凝って形をとったものと位置づけた。それゆえこの怪は、十分な供養を受けられぬ屍や、読経を怠った僧のもとに現れるとされ、寺院における死者供養と戒律の弛みを戒める象徴として理解された。名の由来には、仏道修行を妨げる魔物「摩羅(魔羅)」に「陰」「鬼」の字を添えて鬼魔の意を強めたとする説と、障害を意味する「陰摩」に「羅刹鬼」が混じったとする説とがあり、いずれも仏教的な悪鬼の連想を背負う。死と供養をめぐる仏教的観念が、鳥という具体的な形象へと結晶した怪異である。

人魂

人魂

名妖

ひとだま

夜空に漂う魂火・人魂

霊・亡霊死者の魂の火の玉、『万葉集』既出、全国共通

人魂は、夜間に空中を漂う小さな火の玉として目撃される霊的現象で、古くは「人の体から離れた魂」と解される。色は青白・橙・赤など諸説あり、尾を引いて低く漂うとされる。鬼火・狐火と混同されがちだが、人魂は人の魂の発光として語られ、死や生死の境に関わる前兆ともされる。『万葉集』をはじめ古典や近世の随筆・地方伝承に頻出し、近代以降も各地で目撃談が続く。

船幽霊

船幽霊

名妖

ふなゆうれい

壇ノ浦の提子乞い・船幽霊

船幽霊(ふなゆうれい)は、水難で命を落とした者の霊が海上に現れる怪異である。船や亡霊、怪火、海坊主のような影など、その姿は地域や伝承によりさまざまに語られる。多くは時化の夜や霧のかかった晩に現れ、ひしゃくで船内へ海水を注ぎ込んで沈めようとする、あるいは進路を惑わせて座礁させるとされる。底を抜いたひしゃくを渡す、握り飯や灰を投げる、睨み据えるなど、地域ごとに異なる対処法が伝えられる。亡者船・ボウコ・アヤカシなどの呼称もある。鳥山石燕も『今昔画図続百鬼』に船幽霊を描いている。

加牟波理入道

加牟波理入道

珍しい

がんばりにゅうどう

厠の入道・加牟波理入道

水の怪石燕『今昔画図続百鬼』、厠の妖怪、山都と便所神習合、全国の厠怪

厠に関わる俗信に見える入道姿の妖怪。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に口から鳥を吐く姿で描かれ、大晦日に「がんばり入道ほととぎす」と唱えると現れないと解説される。厠でホトトギスの声を聞くのは不吉とする信仰や、郭公の字と中国の厠神・郭登の連想が背景にあるとされ、各地で名称や所作が異なる伝承が残る。

雨降小僧

雨降小僧

珍しい

あめふりこぞう

雨師に仕う侍童・雨降小僧

住居・器物石燕『今昔画図続百鬼』、中国雨師の侍童設定、画集発祥

江戸時代の妖怪画集『今昔画図続百鬼』に見られる小僧姿の妖怪。中骨を抜いた和傘を頭に被り、提灯を手にする図で知られる。解説では雨の神「雨師」に仕える侍童に擬せられ、語呂を踏まえた言葉遊びも指摘される。黄表紙にも登場し、小間使いめいた役割で描かれることが多い。実在の土地伝承は乏しく、文献由来の性格が強い。

日和坊

日和坊

稀少

ひよりぼう

常陸晴天司る・日和坊

天候・災異茨城県

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれる晴天を司るとされた妖怪。晴の日に現れ、雨天時には姿を見せないと解説される。石燕の記述以外に確たる民間伝承の報告は少なく、実在の口承例は不詳とされる。てるてる坊主との関係が示唆されるが、起源と断定できる資料はない。名称は各地の「日和坊主」など天気祈願の語彙と関連づけて論じられる。

青女房

青女房

稀少

あおにょうぼう

古御所の女官姿・青女房

人妖・半人半妖石燕『今昔画図続百鬼』、荒御所の女官妖怪、絵巻発祥

江戸期の妖怪画に見られる女官風の妖怪。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』ではお歯黒をほどこした公家風の若い女房として、荒れた古御所に出ると解される。名は本来、宮中や貴族家に仕える若年で位の低い女官を指す通称で、固有の怪名ではない。諸本の百鬼夜行絵巻に同様の装束の女官像が描かれ、石燕がその図像に基づき「青女房」と銘したと考えられる。実体や由来は不詳。

毛倡妓

毛倡妓

名妖

けじょうろう

髪に顔覆われる遊女・毛倡妓

住居・器物石燕『今昔画図続百鬼』、吉原題材の風刺創作

江戸中期の絵師・鳥山石燕が『今昔画図続百鬼』(安永8年・1779年)に描いた、創作色の強い妖怪。名は「毛」と「倡妓(しょうぎ・遊女)」を重ねたもので、長い髪をぼうぼうに振り乱した遊女の姿をとり、顔じゅうが毛に覆われて目鼻も見えないように描かれる。石燕が遊里の闇を寓意した作とされ、固有の在地伝承は乏しく、もっぱら版本の絵と解説のなかに姿をとどめる。研究者の解釈は分かれ、日本文学者アダム・カバットは髪に隠れて顔が見えないのではなく、はじめから顔のない、のっぺらぼうの類とみる。一方妖怪研究家の多田克己は、これを江戸・吉原遊廓を風刺した石燕の創作と指摘する。中国の古書『投轄録』には紙銭を焼く煙の中に全身毛だらけの「毛女」が現れる話があり、毛深い造形の淵源として比較されることもある。

骨女

骨女

稀少

ほねおんな

牡丹燈籠の白骨女・骨女

人妖・半人半妖明『剪燈新話』牡丹燈記が淵源、浅井了意『伽婢子』翻案、渡来

骨女は、鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれた骸骨の女。石燕は解説で、御伽草子系の怪談に見える、牡丹模様の提灯を携え逢瀬に通う女の骸骨を典拠とし、浅井了意『伽婢子』所収「牡丹燈籠」の女亡霊像に拠ると示す。美女に見まがう姿で男に近づき、実は白骨であるという怪異譚の図像化で、色恋と死の境が交錯する恐怖の象徴として知られる。

鵺

鵺

伝説

ぬえ

『平家物語』・頼政退治譚の鵺

動物変化京都府大阪府

鵺(ぬえ)は、古代の鳥名と、中世の宮中怪異・武者説話、さらに能や妖怪画が重なってできた存在である。今日よく知られるのは、猿の頭、狸の胴、虎の手足、蛇の尾をもつ怪物が、夜の御所を覆う黒雲から現れ、源頼政に射落とされたという姿だろう。しかし、その姿だけを「鵺の本来の形」と決めることはできない。本文の系統によって身体の組み合わせは異なり、鵺という語そのものも、怪物より古く、鳴く鳥を指していた。 『古事記』上巻・八千矛神歌の「阿遅夜麻爾奴延波那伎奴」は、少なくとも古代に「ぬえ」という鳥名があったことを伝える。ここで語られているのは後世の合成獣ではない。現代の辞書ではトラツグミに比定されることが多いが、古い歌語を現代の生物分類へ一対一に押し込めるより、まず鳥の名として受け取るのがよい。 中世の説話では、鳥としての鵺と異形の怪物が、単純な前後関係ではなく並行して現れる。『十訓抄』第十「才芸を庶幾すべき事」10-56の頼政説話では、雨の夜に御殿上で鳴く鵺を「昼だにも小さき鳥」と考えて矢を放つ。一方、『頼政記』と刊年不明版『平家物語』を比較する国立公文書館資料には、黒雲の中から落ちた怪物の身体を猿・狸・虎・蛇などで語る伝えがある。鵺は、鳥の名、怪鳥、合成獣が早い時期から重なり合ってきた怪異なのである。 後代の受容は、この重なりをさらに深くした。能『鵺』では、退治された怪物が芦屋で自らを鵺の亡魂と名乗り、うつほ舟で流された不遇を語って僧の供養を求める。江戸後期以降の妖怪画や武者絵は、頼政、黒雲、複合した身体を何度も描き直した。鵺は一つの固定種ではなく、異なる本文、芸能、図像、地域伝承が一つの名へ集まり続けた存在として読むことができる。

以津真天

以津真天

名妖

いつまで

いつまでと鳴く死告・以津真天

動物変化京都府滋賀県

以津真天(いつまで)は、人の顔、曲がった嘴(くちばし)に並ぶ鋸(のこぎり)のような歯、蛇のごとき長い胴体、そして剣のように鋭い両足の蹴爪を持つ巨大な怪鳥である。翼を広げれば一丈六尺(約4.8メートル)にも及んだとされ、夜空から「いつまで、いつまで」と不気味な鳴き声を響かせて人々を慄かせる。 この妖怪の原拠は、軍記物語の最高峰『太平記』(14世紀成立)巻第十二「広有射怪鳥事」に記された名もなき「怪鳥」の挿話である。建武元年(1334年)の秋、疫病が蔓延し死者が相次ぐ平安京で、毎夜紫宸殿(京都御所)の上に飛来して不気味に鳴き声を上げたため、弓の名手であった隠岐次郎左衛門広有(おきのじろうざえもんひろあり)が見事射落としたと伝わる。 重要なのは、古典籍においてこの鳥は一貫して「怪鳥」としか呼ばれず、固有の名称を持たなかった点である。江戸時代になり、絵師の鳥山石燕が『今昔画図続百鬼』(1779年)の中で、その鳴き声に「以津真天」という漢字を当てて収録したことで、初めて一個の妖怪名として結晶した。現代の妖怪図鑑などでは、しばしば「戦乱や飢饉で放置された死体の傍らに現れ、『いつまで(野ざらしにしておくのか)』と訴えて鳴く」と解説されるが、この「死体」との直接的な結びつきは中世・近世の文献にはなく、疫病蔓延という『太平記』の時代背景を論理的に解釈し直した近代以降の後付けの解釈である。

邪魅

邪魅

稀少

じゃみ

山林に満つる魔・邪魅

人妖・半人半妖中国の魑魅魍魎概念、晋『神仙傳』の魔物に連なる渡来

邪魅(じゃみ)は、鳥山石燕『今昔画図続百鬼』(安永八年=一七七九年刊)の「雨」の部に収められた妖怪である。図に添えられた石燕の注記は「邪魅は魑魅(ちみ)の類なり、妖邪(ようじゃ)の悪気なるべし」と簡潔に記すのみで、固有の物語や来歴をもつ怪というより、山林に満ちる邪悪の気、人を害する魔的な精の総称として観念的に提示されている。石燕の絵では、痩せ衰えた異形の鬼形が身をかがめて描かれ、個体としての性格づけは希薄で、瘴気(しょうき)・祟り・病といった目に見えぬ災厄の擬人化に近い。語の出自は日本固有の伝承ではなく、『春秋左氏伝』以来の漢籍で説かれる「魑魅魍魎(ちみもうりょう)」――山沢や木石の精気から生じ人に禍をなすとされた精怪の群――のうち「魅」の一字を取り、石燕が一個の図像へ再構成したものと解される。すなわち邪魅は、中国の文献世界で育まれた魔の観念が、江戸の妖怪画というメディアを介して日本の妖怪体系へ取り込まれた一例として位置づけられ、石燕一流の漢学的教養と造形意匠とが結び合った産物といえる。

魍魎

魍魎

名妖

もうりょう

水と屍に潜む怪・魍魎

水の怪漢籍『淮南子』『山海経』の罔両·罔象、渡来

魍魎は山川草木・石・墓所などに宿るもののけ、または水に由来する怪を指す総称。漢籍では罔両・罔象とも書かれ、赤黒い色で赤眼・長耳の童子状と記す例がある。日本では水神「みずは」と訓じられ、のちに魑魅と対に並べて用いられた。死者の肝や屍体を好むとされ、葬送の場に現れる怪異や屍体を奪う妖に比定されることがある。

ムジナ

ムジナ

名妖

むじな

夜道で人を惑わす・ムジナ

総称・汎称福島県千葉県

ムジナは本来アナグマ(穴熊)を指す語だが、地域や時代によってタヌキ・ハクビシンとも混称され、同定が一定しない獣の総称である。古くから人を化かす獣として狐・狸と並び称され、夜道で道や川を誤認させ、食物や場所の見え方を変える術に長けるという。文献上の初出は『日本書紀』推古天皇三十五年(627年)春二月の条で、「陸奥国に狢有り。人と化りて歌う」と記され、奈良時代以前から狢が人に化けるという観念が成立していたことを示す。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』にも「狢」が立項され、近世には狐狸とともに化かしの代表格として絵画・説話に頻出した。アナグマとタヌキは外見が似て同じ巣穴に同居することもあり、「同じ穴の狢」の語が生まれたほど、両者の区別はしばしば混乱した。

野衾

野衾

珍しい

のぶすま

顔を覆う山野の飛膜獣・野衾

動物変化東京都

野衾(のぶすま)は、夜の山野を滑空する獣怪で、名前こそ「衾」を含むが、佐渡・土佐に伝わる布の妖怪「衾」とは別系統である。近世の語彙では、野衾はムササビ・モモンガ類を指す名としても用いられ、前脚と後脚のあいだに張った飛膜で木から木へ移る小獣の印象が、妖怪像の核になっている。鳥山石燕は『今昔画図続百鬼』に野衾を掲げ、山野にひそむ飛膜の獣として図像化した。後世の妖怪事典では、夜道の旅人へ飛びかかり、顔や目鼻を覆って視界と息を奪うもの、あるいは人の生血を吸うものとして説明されることが多い。野衾を考えるうえで大切なのは、「布そのものが飛ぶ怪」ではなく「布のような膜を広げる野獣が怪異化したもの」と見る点である。既存の衾が夜具・白布の妖異であるのに対し、野衾は動物名・山野の畏れ・顔を覆う襲撃譚が重なって成立した、飛膜獣型の妖怪である。野鉄砲・百々爺・ももんがの語彙圏にも近く、山の小獣が人の顔へ落ちるという一点で、実在動物と妖怪の境をもっとも薄くする存在といえる。そのため地名も、特定の村落伝承へ狭く閉じず、江戸版本文化と山野の夜行獣観を重ねて読む必要がある。

土蜘蛛

土蜘蛛

伝説

つちぐも

葛城山年経の蜘蛛・土蜘蛛

総称・汎称奈良県京都府

本来は古代、朝廷に従わなかった在地勢力を指す蔑称として正史に見える語で、『日本書紀』の神武・景行・神功の各紀や諸国の風土記逸文に名が見える。山野の岩屋・土窟に拠って抵抗した者たちを称し、生物の蜘蛛とは本来無関係であった。中世以降、この語が妖怪と結びつき、『土蜘蛛草紙』や謡曲で巨大な蜘蛛の化生として造型され、病臥する源頼光を糸で苦しめる怪として広く知られるようになった。鳥山石燕も『今昔画図続百鬼』に山中の蜘蛛として描く。

狒々

狒々

名妖

ひひ

老猿化けの女攫い・狒々

動物変化長野県

狒々(ひひ)は山深くに棲むとされる大猿の怪で、年を経た老猿が化けたもの、あるいは猿を巨大にした異獣と考えられた。その像はもと中国の本草書に由来し、明の『本草綱目』は狒々を大陸西南の山に棲む獣とし、人に似た形で身の丈一丈余り、全身黒い毛に覆われ、人を見て笑うときはめくれ上がった上唇が目を覆うほどだと記す。さらに人語を解し、人の生死を予知し、その血を飲み、長い髪は鬘の材になるという。江戸期の百科『和漢三才図会』もこれを引いて狒々を載せ、怪力で人を襲い食らう獣として広く知られた。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』は黒毛の大猿として描く。日本では各地の山に怪力の狒々が現れて女や娘を攫い、村に生贄を求める猿神として語られ、これを退治する英雄譚が全国に分布する。名は笑い声に由来する説があり、「山で笑うもの」から「山童(やまわろ)」へ転じたとする語源説もあって、山の怪との混同も見られる。

百々目鬼

百々目鬼

名妖

どどめき

銭目の百々目鬼

人妖・半人半妖東京都栃木県

『今昔画図続百鬼』(安永8年・1779)に鳥山石燕が描いた、両腕に無数の目を生じた女の妖怪。石燕は詞書に「函関外史曰、百々目鬼は生れて手長く、つねに人の銭をぬすみしかば、その鳥目の精、腕に百々の目を生ず」の趣旨を記し、盗み癖のある女の腕に、盗んだ銭の精が目となって現れたものと説く。ここでいう「鳥目(ちょうもく)」は中央に方孔をうがつ銅銭の異称で、その四角い穴が鳥の目を思わせることに由来する語であり、石燕はこの語呂をそのまま妖怪の図像へ転じている。画面の女は乱れ髪を垂らし、袖からのぞく腕いちめんに大小の目がびっしりと開く異形に描かれ、表情には盗みの果ての業(ごう)がにじむ。詞書に掲げる典拠「函関外史」は同時代の他書にいっさい確認されず、実在の漢籍とは認めがたいため、石燕自身による戯れの仮託とみる説が有力とされる。名の「百々(どど)」もまた、各地に散在する「百目鬼」「百目木」「百目貫」といった地名表記(どどめき・どうめき)への連想から導かれた創作とみるのが通説で、銭の異名「鳥目」と地名の字面とを掛け合わせた、石燕一流の言葉遊びが造形の核にある。

震々

震々

珍しい

ぶるぶる

襟元を凍らす震々

霊・亡霊石燕『今昔画図続百鬼』、恐怖の身震いを擬人化した観念的妖怪、絵巻発祥

震々は、鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれた恐怖の兆しを人格化した妖怪。人が不意の畏れに襟元から寒気を覚え、首筋がぞっと粟立つのは、この震々が取り憑くためと解される。別名に臆病神・ぞぞ神が挙げられ、恐怖が身体感覚として現れる機微を示す象徴的存在として語られる。具体的な姿形や出自は明確でなく、概念化された「おそれ」の霊格に近い。

天井下り

天井下り

稀少

てんじょうくだり

天井より逆さの老女・天井下り

住居・器物石燕『今昔画図続百鬼』、天井から下がる老女、言葉遊び創作

鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』に描かれる家怪で、乱れ髪の醜い老女が天井から逆さにぶら下がる姿で示される。夜更けに天井より現れて人を驚かすが、直接の害は加えぬと解されることが多い。天井という境界から出入りする異界の存在と見る説、また当時の言い回し「天井を見せる」を踏まえた石燕の言葉遊びによる創作とする見解がある。

大禿

大禿

稀少

おおかぶろ

菊文振袖の童形・大禿

総称・汎称石燕『今昔画図続百鬼』、菊慈童を遊里の禿に見立てた風刺、創作

大禿は、鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれた妖怪画上の存在。屏風より高い背丈、菊文の振袖、つるりとした頭を特徴とする。図に添えられた文は能「菊慈童」や「頭童歯豁」の語を踏まえ、長命の童や老衰の相貌を対置する寓意的表現で、遊里の禿(かむろ)や山寺の老僧を諷刺した作と解される。固有の怪異譚は乏しく、画題・比喩として流布した。

大首

大首

名妖

おおくび

雨夜空に漂うお歯黒・大首

霊・亡霊石燕『今昔画図続百鬼』、破戒僧風刺、散在類話

空や家の戸口などに巨大な女の首が現れる怪異。お歯黒をほどこした既婚女性風の相貌で描かれることが多い。江戸中期の鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に図像があり、雨夜の空に漂う女の大首として知られる。石燕作例は風刺的創作とされるが、各地の奇談・随筆には巨大な女の首に遭遇した話が散見し、怨霊・執念、あるいは狐狸の化けたものとする解釈が記される。

百々爺

百々爺

稀少

ももんじい

原野の病もたらす老爺・百々爺

山野の怪石燕『今昔画図続百鬼』、原野の老人怪、由来未詳の創作

江戸の妖怪画集『今昔画図続百鬼』に描かれる、杖をついた老爺の姿で野に現れる怪。石燕は正体を「未詳」としつつ、原野で老夫に化して通行人に近づき、遭遇者は病むと記した。名称は幼児語の「ももんが」「がごじ(がごし)」などの合成と解され、野衾や獣肉を指す語「ももんじい」との関連も論じられる。具体的能力や出自は伝承上明確でない。

金霊(および金玉)

金霊(および金玉)

名妖

かなだま(および かねだま)

善行の家に来る・金霊

霊・亡霊石燕『今昔画図続百鬼』、金気精霊、文献発祥

金霊は金の気の具現、あるいは福徳を象徴する精の名で、善行に励む家に兆しとして現れると解された。江戸の絵巻では土蔵に金銀が満ちる図で示され、実体の怪異というより吉報の寓意とされる。一方の金玉は玉状または怪火として飛来し、家に迎えると家運が開けると語られるが、損なえば衰運を招くと戒められる。両者は混称される例があるが、性格づけはやや異なる。

天逆毎

天逆毎

名妖

あまのざこ

素戔嗚の猛気・天逆毎

神霊・神格『和漢三才図会』素戔嗚が吐いた猛気から生まれた神、高天原

天逆毎(あまのざこ)は、江戸期の博物誌『和漢三才図会』巻四十四「治鳥付天狗・天魔雄」に引かれる「ある書」に見える怪神である。同書は、素戔嗚尊が体内に猛気の極まったものを抱え、これを吐き出したとき、その猛気が形を成して生じた女神が天逆毎であると説く。姿は人に似るが顔は獣のごとく、鼻が高く、耳が長く、口には牙を備える。気性は極めて荒く、意に逆らうものに遭えば荒れ狂い、いかに力ある神であっても千里の彼方へ投げ飛ばし、堅い刃物すら牙で噛み砕いたという。物事を悉くあべこべに言い做さねば気の済まぬ性向をもち、前を後ろ、左を右と言ったと伝え、ここから天邪鬼との連関がしばしば語られる。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』も天逆毎を図像化するが、その典拠は『和漢三才図会』に拠ると考えられている。