片輪車
一般
伝統妖怪

片輪車

かたわぐるま

性格

戒めを重んじ、覗き見や噂好きに容赦しない。言葉少なだが、発する一句は呪いにも訓戒にもなる。怒気は烈しいが、約を守る者には再び近づかない。

カテゴリ

怪火・付喪神系

起源

山城国・近江国ほか

基本説明

片輪車は、炎に包まれた牛車の片輪のみが夜道を走る怪異で、車輪の中心に人の顔が現れると伝えられる。江戸前期の怪談集や随筆に記録があり、見た者に災いが及ぶ、あるいは噂するだけでも祟ると畏れられた。姿は男相・女相の両説があり、京都・近江などでの出現談が知られる。同時代の絵画資料にも描かれ、輪入道との関係が論じられてきた。

民話・伝承

『諸国百物語』では京の東洞院で毎夜出没し、車輪の中心に恐ろしい男の顔が小児の足をくわえて現れ「我を見るより我が子を見よ」と叫び、家内の子に災いが及んだとする。『諸国里人談』では近江で女の乗る片輪車が徘徊し、覗き見た女が和歌を戸口に貼ると子を返したと伝える。津村淙庵『譚海』には信州異本があり、近江譚との相互影響が指摘される。

徹底解説

片輪車には2種類の異なる形態が確認されています。 それぞれ独特の特徴と性格を持ち、人々との関わり方も様々です。 以下に各形態の詳細をご紹介します。

滋賀県の片輪車

片輪車 滋賀県の片輪車

滋賀県の片輪車について詳しく説明すると、甲賀の山裾と湖風の通い路に出没するという片輪車の変種で、寛文の頃より村人に語り伝えられた。炎は篝火のように静かで、焦げた漆黒の輪がひとつ、夜の土塀沿いをかすめる。輪の中心には女の面が浮かび、眉目は凛として古雅、鬢は風に乱れず、口はわずかに笑むとも、嘲るにも似る。これが村の戸前を巡るとき、たちまち家々の灯は揺れ、寝静まる子の名を遠くから呼ぶ声がするという。もっとも畏れられたのは姿そのものより「見目」と「噂」で、夜半に扉の隙から覗き見る者、あるいは翌朝に面白半分で語る者に禍が及ぶ。禍は大仰ではなく、家内の子が忽然といなくなる、乳の出が止む、稲架の稲が片側だけ湿るなど、家の片端に欠けを生じさせる。これを里人は「片(かた)を奪う」と言い習わした。されどこの片輪車は無道の怪ではない。人の側が礼を尽くせば理に応ずる。ある夜、覗き見の罪を悔いて戸口に短歌を貼る女があり、片輪車は翌晩それを高らかに詠み返し、「やさしの者かな」と言って子を返したと伝える。ここに甲賀里返しの片輪車の本質がある。すなわち、夜の禁忌を破った者を諌め、言葉の力で秩序を繕う存在である。村境の道祖神や辻の祠の役目が薄れた折、代わって夜警のように現れ、出歩く者の足を引き留め、家々に戸締まりと沈黙の作法を思い起こさせる。顔が女相となるのは、子の出入りを司る産の神への古い畏れが重ねられたためとも、甲賀の里で女手が家を守る夜が多かったためとも言われる。輪そのものは古い牛車の片輪で、軸木の焦げ目に梵字めいた筋が走り、火は照らすが熱をもたらさぬ。もし人に姿を見透かされ、その名残を面白がって語られれば、片輪車は「所在がありがたし(所在が知れた)」としてその地を去る。ゆえに一度の出現で長逗留せず、噂が鎮まればまた路傍の闇に紛れる。輪入道との混同もあるが、本種は嘲笑よりも戒めに重きがあり、捕らえた子を必ず返すのを矜持とする。歌、祝詞、静かな戸口の祈りに敏く、人の言葉の端正さを好むため、近在では夜更けに声高に語らぬこと、戸の隙を作らぬこと、子の名を呼び交わさぬことが家伝として残った。こうして片輪車は、災いをもって礼を教え、礼によって災いを解く、甲賀里の陰なる守りと見なされてきた。

性格特徴については、慎み深くも誇り高い。約を重んじ、和歌や礼節に応える。覗き見や噂を忌み、理を逸した者には峻烈だが、悔悟には情けを示す。また、相性の良い人については、口を慎み約束を守る者、歌道や礼を解する者、夜道の作法を心得る者

主な能力・特技としては、片奪い(家の一部の機能・子の所在などを一時的に奪う)、言返し(戸口の和歌や祈りに応じ、災いを解く)、無熱の怪火(物を燃やさず照らす炎で気配のみ示す)、辻守り(村境や辻で夜更けの往来を阻む)などが挙げられます。

一方で弱点もあり、覗き見の発覚と噂の拡散により所在を悟られると、その地から退かねばならない, 戸口に貼られた端正な和歌・祝詞には理屈を返さねばならず、情にほだされやすいとされています。

主な生息地は近江国甲賀郡の村里周辺の夜道, 土塀沿いの辻・道祖神の傍らとされています。

下図は滋賀県の片輪車の診断評価図です。各項目の値が高いほど、その特性が強く表されていることを示しています。

滋賀県の片輪車についてさらに詳しい情報や診断結果については、こちらをご覧ください。

京都の片輪車

片輪車 京都の片輪車

京都の片輪車について詳しく説明すると、京の東洞院に出没したと伝わる片輪車のうち、特に言の葉をもって人心を戒める性を強く帯びた変種。延宝の頃、都人が夜歩きを好み、物見高く口さがなる風習を厭い、炎の輪ひとつとなって路上を横行する。姿は牛車の片輪のみ、檜の輻は煤けて赤く灼け、輪の中心には顎骨張った男の顔が据わる。眼は灯籠の火のごとく揺らぎ、歯は櫛の歯のように白く、しばしば小児の片足を噛み含んで現れる。出でて第一声に「我を見るより我が子を見よ」と吐くが、これは脅しの句であると同時に、家内を顧みよという直言で、応じて内に走れば未然に難を避ける例も稀にある。だが好奇の心で覗き見れば、噂が噂を呼ぶ前に、その家の幼子へ奇禍が及ぶ。片輪車が咥える足は、遠方の誰彼のものではなく、覗き見の家の子と縁付けられるのがこの変種の怖ろしさで、輪の火が門戸の隙より細く差し入り、寝間にいる子の脚気のごとく血を吸い、裂け目を作るという。口上片輪車は、輪入道と混同されやすいが、嘲笑や戯れよりも戒告を旨とし、声の一句が事の起こりと収まりを決する点で異なる。かつて東洞院沿いの女房が戸の隙より見たとき、輪は家前で止まり、顔は門戸に鼻先をつけ、句を吐いて去った。女房が急ぎ座敷に走れば、子はまだ浅手で、祈祷と湯薬で癒えた。以降、家々は落日の鐘よりのち、格子を固く閉し、内へ灯を低く掛け、口の端で怪を語らぬことを約した。これにより出没はやや減じたが、祭礼や物詣での賑わいが増す折にはまた現れ、行灯の影を踏むように転がり来る。口上片輪車は名指しの噂を何よりの餌とする。人が「かたわ車」と三度囁けば、輪の火はその家の軒端に舌を伸ばし、格子の隙を探る。ゆえに古老は名を避け、「片輪の火」「輪の声」と婉曲に語ったという。とはいえ、和歌や願文で門を固めれば、詞の力を尊ぶこの変種は足を止める。文言が子を思う情に満ち、句が整えば、輪は顔を歪めつつも咥えたものを落とし、火花だけを残して去る。噂を重ねる町では強く、言葉を慎み家を顧みる町では弱まるという、都人気質を映す怪異である。

性格特徴については、戒めを重んじ、覗き見や噂好きに容赦しない。言葉少なだが、発する一句は呪いにも訓戒にもなる。怒気は烈しいが、約を守る者には再び近づかない。また、相性の良い人については、夜更けに軽挙を慎む者、門戸を閉じ家内を顧みる者、古式の作法を尊ぶ者とは災いを避けやすい。噂を慎む僧侶・祈祷師とも衝突しにくい。

主な能力・特技としては、戒告の一句で家内に即座の災厄を結び付ける、火輪となって狭隙からも光と熱を差し入れる、名指しの噂を辿って現れる“呼び寄せ”、和歌や願文の調べを解し、詞に応じて災いを緩める、子の寝所を遠目に見抜く“家内見”などが挙げられます。

一方で弱点もあり、門口に貼られた整った和歌・願文に足を止める, 名を避け婉曲で語られると力を得にくい, 格子や障子の隙を封じる塗籠・濡れ紙で侵入が鈍るとされています。

主な生息地は山城国・京・東洞院通一帯, 御所に近い町家の路地, 物詣・祭礼の夜道とされています。

下図は京都の片輪車の診断評価図です。各項目の値が高いほど、その特性が強く表されていることを示しています。

京都の片輪車についてさらに詳しい情報や診断結果については、こちらをご覧ください。

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