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酒呑童子(しゅてんどうじ)

基本説明

酒呑童子は、都から人々をさらう鬼王と、勅命を受けて山へ入る武者たちの対決を描く、中世の鬼退治物語の中心人物である。物語は一条天皇の時代に置かれ、実在した武将・源頼光や藤原保昌を登場させるが、平安時代の同時代記録ではない。逸翁美術館所蔵の重要文化財『大江山絵詞』は、南北朝時代・14世紀に制作された、現存する大江山系最古の絵巻である。平安の舞台と中世の作品成立を分けて読むことで、物語をそのまま史実の盗賊討伐へ置き換えず、後世の人々が平安武者と鬼王を通して描いた世界として捉えられる。

名前の表記も一つではない。『大江山絵詞』は主に「酒天童子」と書き、童子自身が、酒を深く愛するため眷属から酒天童子という異名で呼ばれると語る。ほかにも「酒伝童子」「酒顛童子(酒顚童子)」などの表記があり、現在は「酒呑童子」が広く用いられている。「童子」という語だけから、特定の年齢、髪型、僧としての身分を決めることはできない。能『大江山』では少年姿の前シテが定着する一方、『大江山絵詞』の昼の姿は一丈ほどもある、威厳を備えた人物として描かれる。

物語は大きく、鬼王の居所を大江山とする系統と、近江国伊吹山とする系統に分けられる。サントリー美術館所蔵『酒伝童子絵巻』は大永2年(1522)に制作された、伊吹山系の現存最古例とされる。二つの系統は山名だけを置き換えた同じ物語ではなく、伝本によって人物の配置、酒の名、鬼王の姿や来歴にも異同が生じる。そのため、大江山、伊吹山、越後、老ノ坂の話を、一人の酒呑童子がたどった確定的な生涯としてつなぐことはできない。

大江山系最古の本文では、都で人の失踪が続き、安倍晴明の占いが大江山の鬼王を指す。勅命を受けるのは頼光と保昌の両将であり、郎等を伴って山へ向かう。後世によく知られる「頼光と四天王」だけの物語へ縮めてしまうと、古い伝本の構成が見えなくなる。一行は山中で出会った神仏の化現から山伏の装束と特別な酒を授かり、鬼城へ入り、童子の宴に加わる。鬼王は昼には一丈ほどの童子形へ変じ、威厳と知恵深さを示すが、夜には五丈ほどの鬼身となる。頭と胴は赤、左足は黒、右手は黄、右足は白、左手は青く、十五の眼と五本の角を現す。酒に酔って眠ったところを神仏の化現に押さえられ、頼光・保昌主従に首を斬られるが、その首はなお空を飛び、頼光の三重の兜へ食いつく。

酒呑童子は、酒に酔って倒されるだけの単純な悪鬼ではない。華麗な鬼城の主人として客を迎え、自らの流転を語る一方、捕らえた人々を食料にする。客を遇する礼と残忍さ、知性と巨大な鬼身、敗北と飛ぶ首が、同じ物語の中に並んでいる。能、御伽草子、絵巻、版本、浄瑠璃や歌舞伎は、それぞれ異なる酒呑童子像を広めてきた鳥山石燕も安永8年(1779)刊『今昔画図続百鬼』に「酒顛童子」を描き、酔って横たわる童子と鬼たちを妖怪画集の一頁へ収めている。酒呑童子は一つの姿に固定された怪物ではなく、伝本、芸能、土地の記憶によって繰り返し語り直されてきた、日本を代表する鬼王の一人なのである。

民話・伝承

『大江山絵詞』の物語は、よく治まる都へ説明しがたい欠落が生じるところから始まる。身分の高い家の姫君や北方、局の女房から町の者まで、人々が相次いで姿を消し、洛中洛外に嘆きが満ちる。陰陽の術に通じる晴明が召され、都の西北にある大江山の鬼王の仕業で、このままでは国中の人が失われると占う。ここで狙われるのは「宮中の女房」だけではなく、都と地方の貴賤に及ぶ。物語は個人の誘拐事件を、王権と国土を揺るがす危機へ広げる。

朝廷は武者を集めるが、姿も声も定かでない鬼神は人力だけで戦いにくいと議論になる。そこで摂津守源頼光と丹後守藤原保昌へ勅命が下る。最古系では二人が並ぶ大将として郎等を伴うが、郎等の名には校本間の異同も見られる。後世、物語の中心が頼光と「頼光四天王」へ集まるにつれて保昌の位置は小さくなるが、古い形を説明する時に彼を消すことはできない。

一行は神仏へ祈願し、武装して山へ入る。深山で白髪の翁、山伏、老僧、若僧に出会うと、彼らは武者の姿のままでは鬼王に会えないと教え、柿衣、袈裟、頭巾を与える。一行は甲冑を荷に隠し、山伏の姿になって境界を越える。この人物たちは討伐後、それぞれ神仏との関係を明かして消える。物語における勝利は武力だけでなく、勅命、祈願、変装、神仏の直接介入を重ねて成立する。

岩穴の先で、一行は血の付いた衣を洗う老女に会う。老女は鬼王が仮に童子の姿へ変じ、都から公卿や殿上人の姫君、北方、貴賤の人々を捕らえて食べると語る。鬼城は八足の門を構え、瑠璃や水精のように輝く山と地に囲まれる。牢には法華経を読む少年、女房、さらに日本だけでなく異国の人々まで捕らえられ、庭には四季の草木、人を鮨にする桶、古い死骸と新しい死骸が並ぶ。美しい仙境、仏法の守護、人食いの地獄が同じ空間に重なる。

酒呑童子はすぐに赤鬼として現れない。一丈ほどの童子形で、色々の小袖、白袴、香の水干を着て、女房に円座や脇息を運ばせる。眼差しと立居振舞には威厳があり、知恵深く見える。客がどこから来たかを尋ね、自分は酒を深く愛するため眷属から酒天童子と呼ばれると話す。さらに、伝教大師に旧居を追われ、近江の山を経て流転し、仁明天皇の嘉祥2年頃から大江山に住むようになったという身の上を語る。これは鬼王自身の主張として物語内に置かれた来歴であり、歴史年表の実証ではない。

客と主人は酒を交わす。頼光が「童子なら児であろうから先に杯を」と譲ると、童子は笑って三杯飲む。一行は神仏の化現が用意した酒を出す。校合された大江山系最古の本文では「死筒の酒」と記され、現在広く知られる「神便鬼毒酒」という名は用いられていない伊吹山系では「神変鬼毒酒」御伽草子系などの後世の流布では「神便鬼毒酒」という表記が見られ、人には薬、鬼には毒となる特別な酒として知られるようになった。呼称の違いも、物語が伝え直された跡なのである。

夜、童子は堅い鉄石の室へ入り、女房に手足をさすらせて眠る。昼の姿は仮の形で、夜には本体を現す。身長は五丈ほど、頭と胴は赤く、左足は黒、右手は黄、右足は白、左手は青、眼は十五、角は五本と記される。神仏の化現が手足を押さえ、頼光・保昌と郎等が首を落とす。首は天へ飛び、頼光が三重に重ねて被った兜へ食いつく。綱と公時が左右の眼をえぐるとようやく動きを止め、兜は二枚まで噛み破られていた。したがって、勝利を「毒酒一本」や「特定の刀一本」の効果へ縮めることはできない。

救出された人々と首を伴い、一行は都へ凱旋する。『大江山絵詞』では首を大路に渡して見せた後、宇治の宝蔵へ納める。一方、現在の老ノ坂には、地蔵が穢れた首を都へ入れないよう止め、急に重くなった首をその場へ葬ったとする首塚伝承がある。首を老ノ坂へ埋める筋は最古絵巻にはなく、17世紀末以降の文献で確認される、後世の展開である。宇治宝蔵と首塚のどちらかを誤りとして消すのではなく、異なる時代に選ばれた二つの結末として読む必要がある。

伊吹山系では、池田中納言の娘の失踪、晴明の占い、三社の化現、兜と神変鬼毒酒などが語られ、酒呑童子の居所を近江国伊吹山とする。サントリー美術館所蔵『酒伝童子絵巻』は大永2年(1522)制作の重要文化財で、伊吹山系の現存最古例とされる。能『大江山』は少年姿の酒呑童子が身の上を語る場面を深め、後の御伽草子や絵巻は、各系統の筋や図像をさらに組み替えていった。

出生を語る地域伝承も後から広がる。日文研の怪異・妖怪伝承データベースに収録された1963年の採録は、国上寺の略縁起を引き、砂子塚の農家に生まれた子が国上寺の稚児となり、人を食べたことが露見して寺を去り、諸国を経て大江山へ移ったと伝える。現在の越後には外道丸が鬼となる経緯についてほかの異文も伝わるが、細部は一致せず、その成立年代も確定していない。燕市では酒呑童子伝説を行列や酒呑童子神社へ結び、恐怖の鬼を所願成就や縁結びの存在としても受け止めている。これは中世絵巻が隠していた唯一の幼年期ではなく、土地が後世に育て、現在まで継承してきた前日譚と信仰である。

こうして酒呑童子は、都を脅かす鬼王、神仏と武者に討たれる異類、客へ身の上を語る少年、山賊の首領へ合理化された大男、越後で出生を与えられた外道丸、祈願を受ける地域の象徴へ変わった。どの姿も同じ年代の事実ではない。物語が何を恐れ、誰を英雄とし、敗者へどの言葉を与え、土地がその首や出生をどう引き受けたかを順に読む時、酒呑童子は「酒好きの強い鬼」という一行を越え、日本の鬼の歴史を映す存在になる。

妖怪カード4

酒呑童子 を様々な画風のカードで

カード一覧

徹底解説

宴席から始まる鬼王の肖像

『大江山絵詞』の酒天童子は、角を振り立てて戦場へ現れるのではない。岩穴の先に構えた鬼城で、山伏姿の来客を迎える主人として姿を見せる。昼の姿は身長一丈ほど。色々の小袖に白袴、香の水干をまとい、女房に円座と脇息を運ばせ、その立居振舞は威厳があり知恵深く見えたと記される。華やかな衣装、整えられた席、控える女房たちは、彼が山中をさまよう孤独な鬼ではなく、多数の眷属と捕虜を抱える鬼城の主として描かれたことを示している。

童子は客の素性を問い、すぐに襲いかからず、自らの来歴を長く語る。伝教大師に旧居を追われ、近江の山々を経て大江山へ至ったという身の上話には、都の側から討たれる怪物が、自分の言葉で過去を語り直す時間が与えられている。物語は彼を残酷な人食いとして描きながら、同時に、記憶と誇りを持つ敗者の声も聞かせるのである。

右頁に衣を洗う女性と武者たち、左頁に童子姿の酒呑童子との対面を描く1889年の見開き
牧金之助編『大江山酒呑童子』第19画像
牧金之助編『大江山酒呑童子』、金寿堂、明治22年(1889)。右頁では山中で衣を洗う女性に武者たちが事情を尋ね、左頁では居館へ入った一行が童子姿の酒呑童子と対面する。物語の連続する場面を一つの見開きに収めた、明治期の挿絵入り通俗本。国立国会図書館所蔵。
牧金之助編『大江山酒呑童子』、金寿堂、明治22年(1889)、第19画像、国立国会図書館デジタルコレクション、PID 884664。Public Domain Mark 1.0。
著作権保護期間が満了した資料として公開されている画像を、出典を明示して掲載。

「酒天童子」という名を生む杯

酒天童子という名の由来も、宴席の会話の中で明かされる。本人は酒を深く愛するため、眷属が「酒天童子」という異名を付けたと話す。頼光は「童子」であるなら児であろうと持ち上げ、主人に先の杯を取らせる。童子はその言葉を面白がり、三杯を飲む。名乗り、客をもてなす礼、討伐側の駆け引きが、一つの杯のやり取りへ重なっている。

この場面で童子を倒すのは、日常の酒そのものではない。大江山系最古の本文では、神仏の化現が用意した酒を「死筒の酒」と記す伊吹山系の「神変鬼毒酒」御伽草子系などで知られる「神便鬼毒酒」とは、名前も伝本の層も異なる。酒好きという名の由来と、鬼を酔わせるために用意された特別な酒を分けて読むと、宴は単純な弱点の発見ではなく、主人の礼を逆用した策略の場として見えてくる。

昼の童子、
夜の五色鬼

昼の華麗な姿は、夜に現れる鬼身と強い対照をなす。眠りについた童子は、身長五丈ほどの本体を現す。頭と胴は赤、左足は黒、右手は黄、右足は白、左手は青く、十五の眼と五本の角を備える。全身が一色の赤鬼でも、左右対称の巨人でもない。身体の部位ごとに色が分かれ、眼と角の数も人の尺度から大きく外れている。

この五色を特定の方位や五行へ結びつける説明は本文にない。しかし、人として客前へ出た昼の姿が、夜には色も眼も角も過剰な身体へほどける構成は、鬼王が人間の秩序へ完全には収まらないことを強く印象づける。能が少年と鬼の前後二役を舞台上で分け、後世の絵巻や浮世絵が大男や赤鬼を選び直したため、酒呑童子には一つだけの標準的な肖像が存在しない。

礼節と食人が同居する宮殿

鬼城の主人は客を座へ導き、話を聞き、杯を交わす。一方、その城には捕らえられた人々が閉じ込められ、庭には古い死骸と新しい死骸、人を鮨にする桶が置かれている。礼を知ることは慈悲深さを意味しない。酒天童子の宴は、洗練された宮廷的な振る舞いと、人を食料として扱う暴力が、同じ秩序の中に存在する場である。

山伏姿の一行を迎え入れたことも、単純な愚かさだけでは説明できない。童子は来訪者を問い、酒宴を取り仕切り、自分の領域の作法に従わせようとする。その主人としての自負が、一行に近づく機会を与え、最後には策略へ利用される。威厳、饒舌さ、支配者としての誇り、捕食者としての残忍さが切り離せないところに、この鬼王の複雑さがある。

女房たちの間に横たわる酒呑童子へ武者たちが近づく、1700年の絵巻の酒宴場面
狩野昌運筆『酒呑童子』第三巻・酒宴
狩野昌運筆『酒呑童子』第三巻、元禄13年(1700)。酒宴ののち、女房たちの間に横たわる酒呑童子へ、武者たちが近づく。宴から討伐へ移る緊張を、一続きの画面に描いた場面。フリーア美術館所蔵。
狩野昌運筆『酒呑童子』第三巻、元禄13年(1700)、Freer Gallery of Art, Smithsonian Institution, F1998.26.3。CC0。
Smithsonian InstitutionがCC0で公開している画像を掲載。

勝敗を決めた重なり合う条件

討伐は、一つの武器や一つの弱点だけで成し遂げられたのではない。勅命を受けた頼光と保昌は神仏へ祈り、山中で化現から山伏の装束と特別な酒を得る。武具を隠して鬼城へ入り、宴で正体を悟られず、童子が眠る夜を待つ。酔った鬼王の手足を神仏の化現が押さえ、頼光・保昌と郎等が同時に斬りかかる。武力、変装、酒、時間、神仏の介入がすべて揃って初めて、鬼王の首は落ちる。

それでも戦いは終わらない。斬られた首は空へ飛び、頼光が三重に重ねた兜へ食いつく。綱と公時が左右の眼をえぐり、ようやく動きを止めた時、兜は二枚まで噛み破られていた。首だけになっても敵へ食いつく結末は、敗北した鬼王の力を最後まで残す。討伐側の勝利を称えると同時に、勝者が神仏の助力と幾重もの備えを必要とした相手の強大さも示している。

武者たちが巨大な鬼身を取り囲み、上方に斬り離された首を描く1700年の絵巻場面
狩野昌運筆『酒呑童子』第三巻・退治
狩野昌運筆『酒呑童子』第三巻、元禄13年(1700)。武者たちが巨大な鬼身を取り囲み、その上方には斬り離された首が描かれる。胴を断ってもなお終わらない酒呑童子退治の凄絶さを伝える場面。フリーア美術館所蔵。
狩野昌運筆『酒呑童子』第三巻、元禄13年(1700)、Freer Gallery of Art, Smithsonian Institution, F1998.26.3。CC0。
Smithsonian InstitutionがCC0で公開している画像を掲載。

岩穴の向こうにある「鬼かくしの里」

大江山の鬼城は、現実の山城をそのまま写した地誌ではない。一行は山伏の装束で岩穴を抜け、その先にある「鬼かくしの里」へ入る。そこには輝く門、瑠璃や水精のような山と地、四季の草木が同時にある庭、捕虜を閉じ込める牢があり、日本だけでなく異国から来た人々まで囚われている。美しい仙境と人食いの地獄が、互いを打ち消さずに重なっている。

岩穴は、都の秩序から鬼王の秩序へ移る境界として働く。現在の大江山連峰は酒呑童子伝説を継承する代表的な土地だが、物語中の門、牢、寝所を現代地図上の一点へ割り当てることはできない。大江山とは山名であると同時に、都から見えないものを閉じ込め、異国や異類を一つの城へ集める物語上の異界なのである。

首が残した二つの結末

『大江山絵詞』では、討たれた首は都へ運ばれ、人々に示された後、宇治の宝蔵へ納められる。王権に逆らった鬼王の身体は、消滅するのではなく、勝利の証拠として保管される。一方、老ノ坂では、首が急に重くなり、都へ入れられず、その場へ葬られたという首塚伝承が後世に育った。都の宝蔵へ収める結末と、都の境界で留める結末では、首が担う意味が異なる。

宇治の結末は鬼王を王権の管理下へ置き、老ノ坂の結末は、死後もなお都へ入れない力と穢れを土地に残す。どちらも同じ時代の出来事ではないが、斬首だけでは終わらない酒呑童子の存在感を受け継いでいる。身体を失った後も、首の行方が新たな伝承を生んだのである。

描かれるたびに変わった身体

後世の画像を読む時は、その制作年代を酒呑童子の身体へ添える必要がある。狩野昌運が1700年に描いた『酒呑童子』第三巻では、華麗な酒宴と巨大な鬼身の退治が、長大な色絵巻の中で展開する。これは14世紀の逸翁本そのものではなく、江戸時代に再構成された大江山物語の姿である。

鳥山石燕は安永8年(1779)刊『今昔画図続百鬼』で、酒に酔って横たわる「酒顛童子」と周囲の鬼たちを一頁にまとめた月岡芳年の慶応元年(1865)刊『和漢百物語』は、華やかな酒宴の主を描きながら、詞書に越後出生説を取り込む明治22年(1889)の『大江山酒呑童子』は、挿絵入りの通俗的な読み物として物語を新しい読者へ届けた

酒に酔って横たわる酒顛童子と、その周囲に集まる鬼たちを描いた鳥山石燕の図
鳥山石燕『今昔画図続百鬼』「酒顛童子」
鳥山石燕『今昔画図続百鬼』「酒顛童子」、安永8年(1779)。酒に酔って横たわる童子のそばに、酒器と眷属の鬼が描かれている。九州大学附属図書館所蔵。
鳥山石燕『今昔画図続百鬼』「酒顛童子」、安永8年(1779)、九州大学附属図書館所蔵。Public Domain Mark 1.0。原見開きから左頁を切り出し。
著作権保護期間が満了した資料として公開されている画像を、出典を明示して掲載。
原見開きから左頁を切り出し。
女房たちに囲まれて横たわる酒呑童子と、酒肴のそばにいる女性と小鬼を描いた1865年の錦絵
月岡芳年『和漢百物語』「酒呑童子」
月岡芳年『和漢百物語』「酒呑童子」、慶応元年(1865)。女房たちに囲まれて横たわる酒呑童子と、酒肴の傍らで向き合う女性と小鬼を、鮮烈な色彩で描く。中世絵巻の鬼王像を、幕末の錦絵が華やかな一枚絵へ作り替えた作品。国立国会図書館所蔵。
一魁斎芳年『和漢百物語』「酒呑童子」、慶応元年(1865)、国立国会図書館デジタルコレクション、PID 1311782。Public Domain Mark 1.0。作品主体を切り出し。
著作権保護期間が満了した資料として公開されている画像を、出典を明示して掲載。
作品主体を切り出し。

一丈の童子、五色十五眼五角の鬼身、少年姿の能役者、宴席の大男、酔って横たわる石燕の妖怪、越後の前日譚を背負う浮世絵。同じ名の下に異なる身体が並ぶことは、伝承の混乱ではない。酒呑童子が、それぞれの時代の恐怖、英雄像、娯楽、土地の記憶を受け止めながら生き延びてきた証拠なのである。

妖怪設定

この区画は物語を楽しむための当サイト独自の設定です。史実・考証ではありません。

妖怪タイプ
伝統妖怪
カテゴリ
鬼・巨怪
レアリティ
伝説
性格
威厳と知恵を備え、客を丁重に迎えて自らの流転を語る一方、捕らえた人々を食料にする残忍な鬼王。支配者としての誇りが強く、首を斬られた後も敵へ食いつく執念を見せる
相性
表面的な豪胆さだけに流されず、客礼と危険を同時に見抜き、勝者の英雄譚の中から敗者の声にも耳を傾けられる人とは、緊張を保ちながら長く言葉を交わせる
能力・特技
昼は一丈ほどの童子形へ変じ、夜は五丈ほどの鬼身を現す五色の身体、十五の眼、五本の角を備える多数の眷属を率い、鬼かくしの里の鬼城を支配する自らの身の上話では、大風や旱魃となって国土を害する斬られた首が空を飛び、頼光の三重の兜へ食いつく
弱点
固有の一般弱点は不詳。『大江山絵詞』では死筒の酒に酔い、眠ったところを神仏の化現に押さえられ、頼光・保昌主従に首を斬られる
生息地
大江山系では岩穴の先の「鬼かくしの里」にある鬼城。伊吹山系では近江国伊吹山を居所とする

出典・参考文献

13
  1. 重要文化財『大江山絵詞』作者未詳(逸翁美術館所蔵, 南北朝時代(14世紀)) [所蔵館公式・絵巻]大江山系の現存最古作。南北朝時代・14世紀に制作され、詞書の欠失と絵の錯簡を含む。物語の平安時代設定と作品成立年代を区別する基礎資料。
  2. 『大江山絵詞(酒天童子絵巻)』の詞書釈文鈴木哲雄(『都留文科大学研究紀要』第91集, 2020) [校合釈文・研究論文]付属詞書、陽明文庫本、静嘉堂文庫写本を校合し、人物配置、酒天童子の名乗り、死筒の酒、昼夜の身体、斬首と宇治宝蔵の結末を確認できる。
  3. 重要文化財『酒伝童子絵巻』狩野元信ほか(サントリー美術館所蔵, 大永2年(1522)) [所蔵館公式・絵巻]北条氏綱の注文により制作された三巻絵巻。鬼王の居所を近江国伊吹山に置く伊吹山系の現存最古例とされる。
  4. 能楽百番『大江山』立命館大学アート・リサーチセンター(立命館大学ARC, 現在公開) [大学研究展示]1427年の演目記録、少年姿の前シテ、酒呑童子の身の上話と能から後世への影響を解説する。
  5. 『今昔画図続百鬼』「酒顛童子」鳥山石燕(九州大学附属図書館所蔵, 安永8年(1779)) [一次図像]九州大学所蔵本第5画像左頁の「酒顛童子」。酒に酔って横たわる童子と周囲の鬼を描く。別項目「逢魔時」ではない。
  6. 酒呑童子/大江山兵庫県立歴史博物館(兵庫県立歴史博物館, 現在公開) [公立博物館解説]伊吹山系の人物配置、神変鬼毒酒、兜、三社の化現など、伝存図様と物語構成を紹介する。
  7. 酒呑童子伝説立命館大学アート・リサーチセンター(立命館大学ARC, 現在公開) [大学研究展示]御伽草子系の物語骨格、神便鬼毒酒、後世に発達した茨木童子との関係などを整理する。
  8. 酒呑童子伝説の地域的展開コジューリナ・エレーナ(慶應義塾大学, 2014) [研究論文]最古大江山系の宇治宝蔵と、老ノ坂の首塚を含む後世の地域伝承を分けて検討する。
  9. 怪異・妖怪伝承データベース「酒呑童子」ID 0780388国際日本文化研究センター(国際日本文化研究センター, 1963年採録) [学術データベース]国上寺の略縁起を引き、越後の農家に生まれた子が国上寺の稚児となり、寺を去って大江山へ至る異文を収録する。
  10. 越後くがみ山酒呑童子行列燕市観光協会(燕市観光協会, 現在公開) [地域観光協会資料]外道丸、国上寺の稚児、鬼への変化、酒呑童子行列と酒呑童子神社をめぐる現在の地域伝承を紹介する。
  11. 狩野昌運筆『酒呑童子』第三巻狩野昌運(Freer Gallery of Art, Smithsonian Institution, F1998.26.3, 元禄13年(1700)) [博物館所蔵一次図像]江戸時代の色絵巻。酒宴、女房たち、巨大な鬼身の退治、飛ぶ首を長大な画面に描く。公開画像はCC0。
  12. 一魁斎芳年『和漢百物語』「酒呑童子」一魁斎芳年(月岡芳年)(国立国会図書館デジタルコレクション、PID 1311782, 慶応元年(1865)) [一次図像]華やかな酒宴の主として酒呑童子を描き、詞書に越後出生説を取り込む幕末の錦絵。
  13. 牧金之助編『大江山酒呑童子』牧金之助編(金寿堂、国立国会図書館デジタルコレクション、PID 884664, 明治22年(1889)) [近代版本・一次図像]挿絵入り通俗本。第19画像の見開きに、山中で衣を洗う女性と武者たち、居館で童子姿の酒呑童子と対面する場面を収める。

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