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江戸の妖怪文化|百物語・妖怪画・本所七不思議

暗い路地から貸本、草双紙、芝居小屋へ――怪異が都市文化になる

江戸の妖怪文化
百物語・妖怪画・本所七不思議

31体の妖怪

この特集の要点

江戸の妖怪文化は、江戸の町で起きた怪談だけを指しません。百物語の遊び、鳥山石燕の妖怪画集、黄表紙や草双紙、見世物、歌舞伎、そして本所七不思議のような地域伝承が互いに影響し、怪異を名前と姿のある存在として広めました。古い説話の再編集、都市生活から生まれた噂、絵師の創作、舞台上の幽霊を分けて見ると、妖怪が恐怖だけでなく、知識、風刺、商品、娯楽になった江戸の想像力が見えてきます。

江戸で、妖怪は「出会うもの」から「選んで見るもの」へ

怪異は江戸時代より前から語られていました。しかし木版印刷と都市の読者層が広がると、離れた土地や古い書物の怪異を、一冊の中で見比べられるようになります。名前の横に姿があり、次の頁には別の妖怪がいる。妖怪は夜道で偶然出会うだけでなく、買い、借り、集め、好きな一体を選ぶ対象にもなりました。

本特集でいう「江戸」は二つの意味をもちます。一つは本所や四谷など江戸の町に結びつく怪談、もう一つは江戸時代の出版・絵画・芝居が形づくった妖怪文化です。両者を混ぜずに往復することで、都市の暮らしとメディアが怪異をどう変えたかをたどります。

灯を一つずつ消す――百物語と青行燈

百物語は怪談を語るたびに灯を消し、最後に怪異が現れると恐れられた集団の遊びです。青行燈はその終わりに現れる怪異として知られますが、現在よく見る鬼女の姿は鳥山石燕の図像によって強く定着しました。暗くなる部屋、語り手の声、聞き手の想像が共同で恐怖を作ります。

江戸の怪談は、実話か創作かの二択ではありません。古い説話、聞き書き、土地の噂、書き手の脚色が重なり、読まれるたびに新しい姿を得ました。

鳥山石燕の妖怪画集――名と姿を並べる

鳥山石燕は『画図百鬼夜行』から『今昔画図続百鬼』『今昔百鬼拾遺』『画図百器徒然袋』まで、古典・絵巻・口承・言葉遊びを横断して多数の妖怪を描きました。ぬらりひょん、輪入道、目目連、煙々羅、百々目鬼など、今日の標準像に大きな影響を与えた存在も少なくありません。

石燕の絵を「江戸の人々が実際に同じ姿を目撃した記録」と読むのは誤りです。古い名を再解釈したもの、絵巻の図像を名づけたもの、漢籍や和歌を踏まえた創作的妖怪が混在します。絵師の知識と機知まで含めて一次資料を読む必要があります。

屋敷の内側――天井、障子、古道具

都市の家には、見えない場所と使い古した物が増えます。天井嘗は天井をなめて染みを残す怪、天井下りは頭上から降りる女、目目連は破れ障子の穴を無数の目へ変えます。蓑草鞋、袋狢、唐傘小僧のような器物怪は、衣類や道具の形を残したまま動き出します。

『画図百器徒然袋』では、古道具に魂が宿るという素朴な説明だけでなく、器物の形、漢籍、語呂、古歌が複雑に組み合わされます。付喪神は江戸のリサイクル道徳をそのまま絵にしたもの、という一言では収まりません。

黄表紙が育てた愛嬌――豆腐小僧

豆腐小僧は大きな笠をかぶり、盆に豆腐を載せた小僧として黄表紙や錦絵に現れます。恐ろしい由来が先にあったというより、出版物の中で扱いやすい道化役として広まった面が強い妖怪です。ろくろ首や唐傘小僧も、短い場面で正体が伝わる明快な輪郭をもち、絵入り本の楽しさと相性がよくありました。

「昔の妖怪はすべて怖かったが現代にかわいくなった」という単純な歴史ではありません。江戸の時点ですでに、恐怖、笑い、見立て、商品性は同じ頁に共存していました。

本所七不思議――都市の場所に根を下ろす怪談

本所七不思議は、現在の墨田区周辺に語られた怪談群です。置行堀、足洗邸、片葉の葦、狸囃子などが知られますが、実際には「七」を超える話があり、組み合わせも資料ごとに異なります。墨田区の公式解説も、置行堀と片葉の葦以外は一定しないと説明しています。

堀、蕎麦屋、武家屋敷、寺社、鐘の音といった具体的な都市空間があるため、怪談は地図とともに歩けます。江戸の地名が変わっても、地域の記憶を現在へつなぐ力があります。

音だけがついてくる――送り拍子木、送り提灯

送り提灯や送り拍子木は、夜道を進む人の後ろから光や音がついてくる怪異です。灯りのない蕎麦屋、落葉しない椎、津軽の太鼓も、異常そのものは小さく見えます。しかし日々の商い、季節、時刻を決めるはずの音や灯が規則を外れた瞬間、町の秩序は不気味になります。

歌舞伎の幽霊――お岩とお菊

お岩は鶴屋南北『東海道四谷怪談』によって強烈な舞台像を得ました。お菊の皿屋敷譚には姫路の播州皿屋敷、江戸を舞台にする番町皿屋敷など複数の系統があります。二人とも「江戸で実際に同じ姿の妖怪がいた」とするより、事件の噂、既存の説話、作者の脚色、演技と舞台装置が作った幽霊像として見るべきです。

芝居は幽霊の顔、髪、衣装、登場の仕方を観客の記憶へ刻みました。怪談が場所だけでなく、上演される身体と視覚効果によって広がったことを示します。

風刺と言葉遊び――怪異は町を映す

馬鹿を文字どおり馬と鹿へ組み合わせたような馬鹿、信仰と噂を映す麦殿大明神、便所の禁忌を担うがんばり入道。江戸の妖怪は、古い恐怖を保存するだけでなく、言葉、流行、職業、都市の癖を映す風刺装置でもありました。

下の「収録妖怪」には、江戸の町に根ざす怪談と、江戸時代の出版・芝居が形づくった妖怪をともに収めています。どの作品・土地から来た像なのかを確認しながら、恐怖と笑いが同居する都市文化を歩いてみてください。

更新: 2026/7/16
江戸の妖怪江戸時代百物語妖怪画本所七不思議鳥山石燕日本の怪談

収録妖怪

31体の妖怪が収録されています

この妖怪たちのアートカードも見つかります

全 55 枚のカード — 浮世絵、現代日本…

青行燈

青行燈

珍しい

あおあんどん

鳥山石燕『百鬼夜行拾遺』の青行燈

住居・器物出自不詳

青行燈(あおあんどん)は、百物語に使われた青紙の行燈と、鳥山石燕が描いた異形とが結びついて生まれた近世の版本妖怪である。名称付きの姿を確実にたどれる早い例は、安永10年(1781)序の『百鬼夜行拾遺』中之巻「霧」にある。題簽には『今昔百鬼拾遺』、序題には『百鬼拾遺』とも記され、同じ作品が複数の名で伝わっている。 現存する1781年の画面では、見開き右頁が「青行燈」、左頁が「雨女」である。青行燈の頁には、前面の枠が外れた角行燈と、その背後から正面を見つめる長髪の人物が描かれる。頭には二本の角のような突起があり、歯は暗く表される。床には箱、紙、櫛や簪を思わせる細い品々が散るが、詞書はそれらの持主や用途を説明しない。雨女は隣に置かれた別の妖怪であり、二者が同時に現れたという物語はない。 石燕の詞書が描くのは、百話目を語り終えたあとの完全な闇ではない。灯が消えそうになったかと思えば再び明るくなり、影が揺らめくように暗く見える時、青行燈というものが現れることがある、と伝える。続いて、昔から百物語をする者は青い紙で行燈を張ると述べ、暗い夜に鬼を語れば怪が至るという戒めで結ぶ。百話目、最後の灯心、必ず現れるという条件は書かれていない。 青紙の行燈を使う仕掛けは、石燕が初めて考えたものではなかった。浅井了意『伽婢子』巻13「怪を語れば怪至る」は寛文6年(1666)に刊行され、一基の行燈を青紙で張り、その中に百筋の灯心をともし、一話ごとに一本を取り去る方法を記している。会が進むほど座中は暗くなり、青紙を透かす光も変わっていく。しかし、この物語は百話へ届く前に異変が起こり、角ある人物も「青行燈」という妖怪名も登場しない。『伽婢子』は百物語の道具立てを知る前史であって、青行燈そのものを描いた資料ではない。 百物語には一つの決まった結末もなかった。九十九話付近で怪異が起きる話、百話を終えてから異変が起きる話、怪物と思ったものが人の脚や犬だと分かって笑いに変わる話、最後まで語って思いがけない利益を得る話までが、近世の作品には並んでいる。したがって、昔の人が必ず九十九話で止めたとも、百話目には必ず青行燈が出たともいえない。怪談の座は恐怖だけでなく、勇気比べ、機知、笑い、書物を最後まで読ませる仕掛けでもあった。 石燕の頁は、性格、目的、被害、攻撃、弱点、退治法を語らない。後世の辞典や創作は、その空白から、百物語の終局を見守る鬼女、恐怖を集める存在、怪談を裁く者という像を育てた。近世の妖怪画が現代の小説や物語へ繰り返し取り込まれてきたことは、青行燈が一枚の版画を越えて強い人格を獲得した過程を考える手掛かりになる。 それでも、石燕の青行燈を不気味にしているのは、激しい攻撃や派手な呪力ではない。消えそうで消えない油火、青紙を透かす光、動いて見える影、乱れた日用品、行燈の後ろで静かにこちらを見る顔である。何が起きるのかを説明し切らない一頁だからこそ、見る者は灯の揺らぎの向こうへ、自分自身の怪談を続けてしまう。

百物語の終わりに現れる怪異として、石燕が鬼女の姿に描いた。

百々目鬼

百々目鬼

名妖

どどめき

銭目の百々目鬼

人妖・半人半妖東京都栃木県

『今昔画図続百鬼』(安永8年・1779)に鳥山石燕が描いた、両腕に無数の目を生じた女の妖怪。石燕は詞書に「函関外史曰、百々目鬼は生れて手長く、つねに人の銭をぬすみしかば、その鳥目の精、腕に百々の目を生ず」の趣旨を記し、盗み癖のある女の腕に、盗んだ銭の精が目となって現れたものと説く。ここでいう「鳥目(ちょうもく)」は中央に方孔をうがつ銅銭の異称で、その四角い穴が鳥の目を思わせることに由来する語であり、石燕はこの語呂をそのまま妖怪の図像へ転じている。画面の女は乱れ髪を垂らし、袖からのぞく腕いちめんに大小の目がびっしりと開く異形に描かれ、表情には盗みの果ての業(ごう)がにじむ。詞書に掲げる典拠「函関外史」は同時代の他書にいっさい確認されず、実在の漢籍とは認めがたいため、石燕自身による戯れの仮託とみる説が有力とされる。名の「百々(どど)」もまた、各地に散在する「百目鬼」「百目木」「百目貫」といった地名表記(どどめき・どうめき)への連想から導かれた創作とみるのが通説で、銭の異名「鳥目」と地名の字面とを掛け合わせた、石燕一流の言葉遊びが造形の核にある。

腕に無数の目をもつ女として、貨幣と「鳥目」を重ねた石燕の妖怪。

骨女

骨女

稀少

ほねおんな

牡丹燈籠の白骨女・骨女

人妖・半人半妖明『剪燈新話』牡丹燈記が淵源、浅井了意『伽婢子』翻案、渡来

骨女は、鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれた骸骨の女。石燕は解説で、御伽草子系の怪談に見える、牡丹模様の提灯を携え逢瀬に通う女の骸骨を典拠とし、浅井了意『伽婢子』所収「牡丹燈籠」の女亡霊像に拠ると示す。美女に見まがう姿で男に近づき、実は白骨であるという怪異譚の図像化で、色恋と死の境が交錯する恐怖の象徴として知られる。

生前の面影で恋人へ通う白骨の女という、死者と愛の怪談。

ぬらりひょん

ぬらりひょん

伝説

ぬらりひょん

妖怪総大将のぬらりひょん

人妖・半人半妖秋田県

ぬらりひょんは、大きくふくらんだ禿頭をもつ老人風の姿と、その名が江戸時代の妖怪図像に残る存在である。名の響きから「つかみどころのない大妖怪」を思い浮かべる人も多いが、古い資料がまず伝えるのは、詳しい来歴よりも、強く印象に残る姿と名である。元文2年(1737)の佐脇嵩之『百怪図巻』に描かれた名付きの人型は、制作年を確定できる現存図像の最古級にあたる。安永5年(1776)初刊の鳥山石燕『画図百鬼夜行』も、この老人風の図像を広く伝えた。 これらの図像は、ぬらりひょんの来歴や行動を細かく語らない。その余白に想像が入り、近代には「怪物の親玉」、児童向け図鑑では忙しい家へ上がり込む老人、さらに漫画・アニメでは一派を率いる首領という役割が育った。無言の絵から物語の中心人物へと変わってゆく過程そのものが、ぬらりひょんの大きな魅力である。 名称の歴史も単純ではない。『精選版日本国語大辞典』は、1679年の『西鶴五百韻』に副詞的な「ぬらりひょん」の用例を掲げ、名詞としての化物名には1797年頃の『俚言集覧』を挙げる。秋田には百鬼夜行の一員として名を記す地域資料があり、備讃瀬戸には姿の異なる海上怪異の報告もある。図像、地域資料、近現代受容という複数の層をたどると、同じ名が時代と媒体を越えて豊かな姿を得てきたことが見えてくる。

江戸の妖怪画に姿を残し、後世に大きく性格づけられた妖怪。

輪入道

輪入道

名妖

わにゅうどう

燃ゆる車輪の入道顔・輪入道

住居・器物京都府

炎に包まれた牛車の車輪の中心に、憤怒の形相を浮かべた大入道の顔が現れる怪。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』はこれを片輪となって転がる火車輪として描き、見た者は魂を奪われると添える。石燕の解説には、戸口に「此所勝母の里」と書いた紙を貼れば近づけないとあり、これは『史記』鄒陽列伝で曽子が「母に勝つ」の名を嫌い里に入らなかった故事に由来する。京都・東洞院に現れたと伝える諸国百物語の怪に取材したもので、同じ説話から分かれた片輪車とは本来同一系統の異形とされる。

燃える車輪に顔がついた、石燕の図像が強烈な夜道の怪。

目目連

目目連

名妖

もくもくれん

障子一面の眼群・目目連

住居・器物出自不詳 (石燕等・障子一面の眼群・在地古伝なし)

鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に描かれる妖怪。荒れた家の障子一面に無数の目が現れ、じっと見返すとされる。石燕の画図では碁打ちの念が碁盤から家全体に及んだ旨が添えられ、障子という住居要素に宿る怪として示される。後世の妖怪事典でも創作色が指摘されるが、障子の文様や薄明かりが与える不気味さを象徴する存在として広く知られる。

破れ障子の穴を無数の目へ変える、住居と視線の妖怪。

煙々羅

煙々羅

名妖

えんえんら

囲炉裏の薄羅煙・煙々羅

住居・器物出自不詳 (絵姿先行・無形怪)

煙々羅(えんえんら、煙羅煙羅とも)は、鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』(安永十年・一七八一)に描かれた煙の妖怪である。賤しい家の蚊遣(かやり)の煙が立ちのぼり、もつれて怪しい姿を結んだものとされ、煙の中におぼろな顔影が浮かぶ画として表される。名の「羅」は「うすもの(薄物)」、すなわち目の粗い薄絹を指し、煙が薄絹のように風になびき破れやすいさまから名づけられたと石燕自身が註している。固有の説話や害・徳の伝承をもたず、絵と短い詞書によって輪郭を得た「絵姿先行」の妖怪であり、石燕の創作的造形性が色濃い一例とされる。のちに、ぼんやりと無心に煙を眺めうるような心の清い者にしかその姿は見えない、とする解釈も加えられたが、これは近代以降に付された理解で古典の典拠を欠く。形を定めず一時に姿を取る、という煙の性質そのものを妖怪化した、観念先行の造形といえる。

煙を人の姿に見立て、輪郭の定まらない気配を一体の妖怪にした。

天井嘗

天井嘗

名妖

てんじょうなめ

古家天井を嘗む・天井嘗

住居・器物石燕『百器徒然袋』、天井の器物妖怪、絵巻発祥

天井嘗は、鳥山石燕の『百器徒然袋』に描かれた、長い舌で天井をなめる妖怪。冬の寒さや灯の暗さをもたらすものとして示唆的に描かれ、『徒然草』第五十五段の文言が石燕の解説に引用される。室町期の百鬼夜行絵巻に見られる仰向けで舌を伸ばす怪を下敷きとし、後世には天井や柱のしみ・汚れをなめ跡と説明されることが多い。

天井をなめて染みを残すとされ、家の手入れと見えない頭上を怪異化する。

天井下り

天井下り

稀少

てんじょうくだり

天井より逆さの老女・天井下り

住居・器物石燕『今昔画図続百鬼』、天井から下がる老女、言葉遊び創作

鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』に描かれる家怪で、乱れ髪の醜い老女が天井から逆さにぶら下がる姿で示される。夜更けに天井より現れて人を驚かすが、直接の害は加えぬと解されることが多い。天井という境界から出入りする異界の存在と見る説、また当時の言い回し「天井を見せる」を踏まえた石燕の言葉遊びによる創作とする見解がある。

天井から女の姿が降り、屋敷の上下感覚を崩す怪。

蓑草鞋

蓑草鞋

稀少

みのわらじ

雪の竹林に出る農具・蓑草鞋

付喪神・骸怪石燕『百器徒然袋』、蓑·草鞋の付喪神、絵巻発祥

蓑草鞋は、江戸期の絵師・鳥山石燕の『百器徒然袋』に描かれた器物怪で、蓑を胴、草鞋を脚として鍬を担ぎ、雪の積もる竹林に現れる姿で示される。古びた農具・雨具が年を経て精霊を帯びる付喪神観に拠り、先行する『百鬼夜行絵巻』や『付喪神絵巻』に見られる蓑・草鞋の妖怪表現を継承した図像的合成と考えられる。文献上の行状は多く語られず、象徴的造形として伝わる。

蓑と草鞋が組み合わさった付喪神で、旅道具を生き物へ変える。

袋狢

袋狢

稀少

ふくろむじな

宿直袋を担ぐ・袋狢

付喪神・骸怪石燕『百器徒然袋』、宿直袋を担ぐ狢、絵巻発祥

江戸時代の絵師・鳥山石燕『百器徒然袋』に描かれた妖怪。宿直袋を担ぐ女姿のムジナとして表されるが、器物妖怪中心の同書の性格から、袋そのものが本体とも解される。諺「穴のむじなの直をする」(得ていない物の価値判断は難しい)への風刺が込められ、百鬼夜行絵巻に見える袋を負う女官風の像を典拠として意匠化されたと考えられる。

袋と狢を重ねた石燕の器物怪で、語呂と造形の遊びを示す。

からかさ小僧

からかさ小僧

一般

からかさこぞう

幕末に形づくられた一本足の傘怪

住居・器物奈良県

からかさ小僧は、紙を張った傘が顔や手足を得たように描かれる、日本を代表する器物妖怪である。現在広く知られるのは、開いた傘の中央に大きな一つ目があり、口から長い舌を出し、一本の脚で立つ姿だ。絵によっては左右に腕が伸び、脚に下駄を履く。しかし、この姿が古くから同じ名前、同じ物語とともに伝わってきたわけではない。史料を年代順に見ると、名前と図像が異なる媒体のなかで少しずつ重なり、現在の定型像がつくられたことがわかる。 名の歴史と姿の歴史は、同じ場所から始まらない。宝暦12年(1762)刊の奇談集『咡千里新語』には、奈良の興福寺にいる化物を列挙した箇所に「東花坊のからかさ」と記されている。ところが、そこには「小僧」という名も、一つ目、一本足、長い舌といった姿の説明もない。この一文は、傘にまつわる怪異の名が18世紀の印刷物に現れた証拠ではあるが、現在のからかさ小僧がそのまま記録された証拠ではない。 現在の姿へ近づく資料は幕末に現れる。安政4年(1857)の役者絵「写絵七化ノ内 とうふかひ 壱本足ノお化」には、閉じた傘のような胴から人の顔と両腕を出し、一本脚で立つ舞台扮装が描かれている。翌安政5年(1858)、歌川芳員『百種怪談妖物双六』の「鷺淵の一本足」では、一つ目の傘が一本脚で立ち、赤い舌を出している。画中名はいずれも「からかさ小僧」ではないが、現代の定型像へ通じる特徴を年代の確かな資料で確認できる早い実例である。 ただし、一つ目だけが古来の決まりだったわけではない。刊年未詳の歌川芳盛『しん板化物尽し』に描かれた傘妖怪は、二つの目、二本の腕、一本脚、下駄、長い舌を備えている。1857年の舞台型では閉じた傘のような胴から役者の顔と両腕が出ており、別のおもちゃ絵では傘そのものに顔が付く。現在では一つ目の姿がもっとも有名だが、古い図像には複数の型が並行していたのである。 からかさ小僧について確認できる古い記録は、まとまった物語よりも、化物の名を並べた一語、役者絵の役名、双六の一枠といった短いものが中心である。それらの短い記録だけからは、何をしたのか、なぜ現れたのかまではわからない。古傘が百年を経て必ず付喪神になる、人の顔を舐める、驚かすだけで害はない、灯りに弱いといった説明も、今回確認した古典資料からは裏づけられない。からかさ小僧は、長い説話によってではなく、歌舞伎、錦絵、双六、児童文化を通じ、ひと目で覚えられる姿によって広まった妖怪なのである。

傘に目・舌・一本足を与えた、江戸の絵入り文化と相性のよい器物怪。

豆腐小僧

豆腐小僧

珍しい

とうふこぞう

黄表紙が生んだ江戸の道化妖怪・豆腐小僧

人妖・半人半妖東京都

豆腐小僧(とうふこぞう)は、大きな笠をかぶった子どもの姿で、紅葉印の豆腐を一丁のせた盆を捧げ持って雨の夕暮れに現れる妖怪である。といっても人を襲うでも化かすでもなく、ただ豆腐を持って立っているだけという、妖怪らしからぬ間の抜けた愛嬌が身上で、江戸後期の人々に親しまれた。注目すべきは、その出自が古い民間伝承ではなく、江戸の出版文化そのものにある点だ。安永年間(一七七〇年代)、挿絵入りの娯楽本である黄表紙や草双紙の登場人物として突如あらわれ、初出は黄表紙『妖怪仕内評判記』とされる。妖怪研究者の京極夏彦・多田克己らは、豆腐小僧を、商品として人工的に作り出された「キャラクター妖怪」の早い例と位置づけている。すなわち豆腐小僧は、地方の闇から這い出てきた怪物ではなく、出版という都市の産業が生んだ、江戸生まれの妖怪なのである。

黄表紙や錦絵で広まった豆腐を運ぶ小僧で、道化的な妖怪文化を代表する。

ろくろ首

ろくろ首

伝説

ろくろくび

近世文献と飛頭伝承のろくろ首

人妖・半人半妖福井県熊本県

ろくろ首は、夜になると首が異様に長く伸びる妖怪として知られている。けれども、古い本を年代順に読むと、その姿は一つではない。頭が胴体から完全に離れて空を飛ぶ「抜け首」に近いもの、眠っている本人には夢としか思えないもの、頭と胴が細い筋でつながって見えるもの、そして長い首を自在に伸ばすものが、同じ「ろくろ首」という名の周りに集まっている。 現在確認できる早い語形候補は、俳諧集『鷹筑波』巻二に見える「ろくろ首」で、『日本国語大辞典』は1638年の用例として掲げている。ただし、同書には1642年とする現存書誌もあるため、絶対的な初出と断言するには原本の再確認が必要である。1648年『正章千句』には「轆轤頸」、1677年『諸国百物語』には「越前国府中ろくろ首」という題が確認できる。こうした早期例から、17世紀半ばから後半にかけて名称が広がっていたことが分かる。 越前を舞台にした『曾呂利物語』では、夜道で女の首に出会った男がそれを追い、首が家へ飛び込むと、眠っていた女は男に追われる恐ろしい夢を見たと語る。女は自分の妄念を恥じて仏道へ入るが、嫉妬で怪物になったとは書かれていない。ここでの怪異は、人間の心や魂が眠る身体を離れたような出来事である。 中国の『捜神記』には、夜に頭が飛び、明け方に胴へ戻る「落頭民」の女が登場する。『酉陽雑俎』の「飛頭獠子」は、首に赤い糸の輪のような痕を生じ、頭に翼をつけて飛び、蟹や蚯蚓を食べる。これらは日本の離頭型とよく似ているが、中国の伝承がそのまま日本妖怪へ変わったと証明されているわけではない。日本では漢籍の知識、怪談、絵本、滑稽な黄表紙が重なり、複数のろくろ首像が形作られていった。 1737年の『百怪図巻』は「ぬけくび」を描き、鳥山石燕は1776年初版の『画図百鬼夜行』で「飛頭蛮」に「ろくろくび」と読ませた。石燕の絵では、眠る女性の胴と浮かぶ頭が細い筋で結ばれる。こうした線が、やがて長い首として表されたと考える研究がある。1788年『狂言末広栄』では、恋い慕う女性の首が江戸から上方へ伸び、恐怖より笑いを生む。 小泉八雲が1904年の『怪談』に収めた「Rokuro-Kubi」は、長首の美女ではない。武士から僧となったKwairyōが甲斐の山中で、五人の首なしの身体と林を飛び回る五つの頭に出会い、一体の胴を動かして帰還を妨げ、襲ってきた頭と戦う。この作品の直接の原話は、十返舎一九『怪物輿論』巻四の一話である。赤い文字、胴を動かす対処、夜明けまでに限られた力は、この作品系統に属する要素である。

首が伸びる女として草双紙や怪談で視覚的な驚きを生んだ。

毛羽毛現

毛羽毛現

名妖

けうけげん

希有希見の毛獣・毛羽毛現

総称・汎称石燕『今昔百鬼拾遺』、希有希見の語呂、絵巻発祥

鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』(安永10年・1781年)に描かれた、全身を長い毛に覆われた犬のような姿の怪。床下や軒先などの暗がりに蹲る図で表される。石燕の解説は名を「希有希見(けうけげん)」とも記し、めったに見られぬ稀有の存在であることを名義として示す。その姿の典拠として、石燕は中国の仙女「毛女(もうじょ)」を引く。毛女は『列仙伝』に見える秦の宮女で、秦の滅亡後に山へ逃れ松葉を食して百七十余年を生き、全身に毛を生やした仙人になったと伝わる。この毛女の故事になぞらえ、全身毛だらけの怪を「毛羽毛現」と名づけたものと解される。村上健司は、けうけげんは在地の民間伝承に基づくものではなく、石燕自身の創作と位置づけている。語呂合わせと漢籍の教養が結びついた、文人趣味の濃い妖怪である。

全身を毛に覆われた姿を石燕が描き、後世の妖怪像へ影響した。

置行堀

置行堀

珍しい

おいてけぼり

本所堀の魚奪い・置行堀

水の怪東京都

江戸・本所周辺の堀や水路で、釣果を持ち帰ろうとすると水中から「置いていけ」と声が響き、魚籠の魚が消えたり奪われたりする怪異をいう。本所七不思議の一つとして知られ、落語や絵双紙にも取り上げられた。正体は河童・狸・ムジナ・カワウソ・スッポンなど諸説あり、場所は錦糸堀・仙台堀・源森橋付近などと伝えられる。語義としての「置いてけぼり」の由来ともされる。

釣った魚を「置いてけ」と堀から呼ぶ、本所七不思議の代表譚。

足洗邸

足洗邸

珍しい

あしあらいやしき

本所七不思議の足洗邸

住居・器物東京都

江戸の本所で語られた本所七不思議の一つ。旗本屋敷の天井を突き破って剛毛の巨大な足が現れ、「足を洗え」と声が響く。従えば足は静かに引き、怠れば天井を踏み抜いて荒れ狂うという。足の正体は不詳で、屋敷の主が替わると怪異が止む話型や、女性が洗わねば収まらぬ異聞も伝わる。人を害すだけでなく、盗賊を踏みとどめる守護的側面も語られる。

巨大な足が屋敷へ降り、洗えと命じる本所の怪談。

片葉の葦

片葉の葦

珍しい

かたはのあし

本所七不思議の片葉葦

天候・災異東京都

江戸本所に伝わる「本所七不思議」の一つ。ある事件以後、堀端に群生する葦がなぜか片方の葉しか付けなくなったと語られる怪異で、植物の異変を通じて原因不明の祟りや怨念を示すものと解される。具体的な犯行や人物名が語られる型もあるが、伝承は時代や資料により差異があり、現象の由来は明言されないことが多い。

本所の葦が片側だけ葉をつける理由を悲劇と怪異に結びつける。

狸囃子

狸囃子

珍しい

たぬきばやし

本所馬鹿囃子・狸囃子

山野の怪東京都

夜更けに、どこからともなく笛や太鼓の囃子が聞こえ、音を追えば逃げるように遠のいて所在の掴めない、音の怪異。江戸・本所では馬鹿囃子とも呼ばれ、本所七不思議の一つに数えられた。実体は確かめられず、風に乗った祭囃子の反響や重なりとする説もあるが、俗には狸の仕業と噂された。千葉県木更津市の證誠寺には、和尚と狸が囃子と腹鼓を競い合ったという狸囃子の伝説が伝わり、これを題材にした野口雨情の童謡で全国に知られるようになった。化けと腹鼓で人を化かす狸の代表として、俗に言う日本三大狸の一つにも挙げられる。

夜に囃子が聞こえても音源へたどり着けない、本所の音の怪異。

送り提灯

送り提灯

珍しい

おくりちょうちん

本所夜道の先導灯・送り提灯

山野の怪東京都

夜道で提灯を持たぬ者の前に、ゆらめく灯が現れて先導するように進む怪異。近づけばふっと消え、離れるとまた現れ、決して追いつけない。江戸の本所七不思議の一つに数えられ、同趣の「送り拍子木」や、小田原提灯が人を惑わす「提灯小僧」と同類視される。害をなすより、人を翻弄し道行きを乱す性質が語られる。

夜道の後ろから提灯の光がついてくる本所の怪異。

送り拍子木

送り拍子木

珍しい

おくりひょうしぎ

夜回りに従う拍子木・送り拍子木

住居・器物東京都

江戸・本所界隈で語られる「本所七不思議」の一つ。夜回りの者が拍子木を打ち「火の用心」と唱えながら巡回すると、打ち終えた後にも同じ調子の拍子木が背後から響き、あたかも見えぬ何者かが送り伴うという怪談。静かな町並みでの反響とみる説もあるが、雨夜に打たずとも音がした例が伝えられ、不可思議として語り継がれた。

姿のない拍子木の音が夜道の人を送るようについてくる。

燈無蕎麦

燈無蕎麦

珍しい

あかりなしそば

本所七不思議の燈無蕎麦

総称・汎称東京都

江戸時代の本所南割下水付近に夜な夜な現れたとされる二八蕎麦の屋台にまつわる怪異。店主は決して姿を見せず、店先の行灯は常に消えているのに、誰かが火を点けると帰宅後に不幸が起こると畏れられた。逆に油が尽きず燃え続ける「消えずの行灯」とする伝えもある。狸の仕業とも噂され、本所七不思議の一つとして口碑に残る。

夜でも灯をともさない蕎麦屋をめぐる、本所の商いと不安の怪談。

落葉なき椎

落葉なき椎

珍しい

おちばなきしい

本所七不思議の落葉なき椎

自然現象・自然霊東京都

江戸時代、本所にあった平戸新田藩松浦家上屋敷の庭に、四季を通じて一枚の葉も落とさないと噂された椎の古木があり、「本所七不思議」の一つとして語られた。常緑樹であっても落葉はあるはずなのに全く散らないことが怪とされ、屋敷の者は不吉を感じて遠ざかったという。現地との比定や実木の伝承は諸説あるが、詳細は不詳。

季節が来ても葉を落とさない椎をめぐる、本所の小さな異変。

津軽の太鼓

津軽の太鼓

珍しい

つがるのたいこ

本所七不思議の津軽太鼓

住居・器物東京都

江戸本所にあった弘前藩津軽越中守屋敷の火の見櫓で、板木ではなく太鼓が用いられたという怪談。本来火事を知らせるのは板木だが、この屋敷のみ太鼓が吊され、理由は不詳とされる。また板木を打つと太鼓の音が響くという異説も伝わる。本所七不思議に数えられることがあるが、怪異性が薄く除外される場合もある。

寺の鐘や太鼓の音をめぐる異変として、本所七不思議の異説に数えられる。

お岩

お岩

伝説

おいわ

四谷怪談のお岩

霊・亡霊東京都

お岩は、夫の裏切りによって毒を盛られ、顔が爛れて死に、凄まじい怨念で祟りをなす――そんな女の亡霊として、日本で最も広く知られる怪談の主人公である。だがこの像は、ほぼすべてが芝居の創作によって形づくられた。歌舞伎狂言『東海道四谷怪談』(四世鶴屋南北作、文政8年=1825年江戸中村座初演)で、初代尾上菊五郎の流れを汲む三代目尾上菊五郎が演じたお岩が、半面を腫れ崩した形相で髪を梳きながら息絶え、戸板に釘付けられた死骸となって漂着し、燃える提灯から抜け出て夫を責めさいなむ――この一連の見せ場が、怨霊お岩の原型である。重要なのは、その背後にいた実在の女性は、これとは正反対の人物だったと伝わる点だ。四谷左門町に屋敷を構えた御家人田宮家の妻お岩(田宮岩)は、信心深く夫婦仲も睦まじい貞女で、屋敷神の稲荷を篤く祀って傾いた家を再興した、むしろ縁起の良い女性だったとされる。彼女を祀る於岩稲荷(田宮稲荷)は、もとは「家が栄えた幸運の神」として参詣された。お岩という名は、史実の貞女と、南北が二百年後に造形した怨霊との、巨大な落差の上に立っている。

『東海道四谷怪談』の舞台によって、江戸怪談を代表する幽霊像となった。

お菊

お菊

伝説

おきく

皿屋敷のお菊

霊・亡霊兵庫県東京都

お菊は、家宝の皿一枚をめぐる嫌疑から井戸に沈められ、夜ごと井戸の底で「一枚…二枚…」と皿を数える女の亡霊である。播磨・姫路を舞台とする『播州皿屋敷』系と、江戸・番町を舞台とする番町皿屋敷系という二大系統をもち、累(かさね)・お岩と並んで近世怪談の代表的な女性怨霊に数えられる。播州系では、室町期の小寺(細川)家を簒奪せんとする青山鉄山の陰謀のなか、家来の町坪弾四郎が家宝の唐絵の皿十枚のうち一枚を隠し、腰元お菊に罪を着せて責め殺し井戸へ投じる。番町系では、旗本青山主膳の屋敷で女中お菊が皿を割り、あるいは主人の言い寄りを拒んで斬られ、井戸に沈められる。いずれも欠けた皿を数える反復の怪が核心にあり、足りぬ一枚に至って絶叫する話型が共有される。姫路城本丸下にはお菊井戸が現存し、地名・社祠・虫の名にまで伝説が根を張る。

皿屋敷の複数系統に現れ、井戸と数える声で知られる女の幽霊。

火消婆

火消婆

稀少

ひけしばば

灯を吹き消す老女・火消婆

人妖・半人半妖石燕『今昔画図続百鬼』、灯火を消す老婆、創作

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれた、灯火を吹き消す老女の妖怪。提灯や行灯、蝋燭の火を遠くからふっと吹き消すとされ、陽気である火を忌む陰の存在として解釈される。実地の口承は乏しく、石燕の創作性が高いと論じられてきた。後世の書や絵本で名の揺れ(ふっ消し婆・吹消婆)が見られ、宴席や夜道の灯が不意に消える怪異と結び付けて語られる。

灯火を消して回る老婆として、都市の火と闇への不安を表す。

黒坊主

黒坊主

珍しい

くろぼうず

寝息吸う夜の坊主・黒坊主

総称・汎称神田·熊野·能美等に独立した別個の黒坊主伝承、単一発祥地なし

黒坊主は、黒い法師のような姿で現れるとされる名で、各地で伝承内容が異なる総称的な妖怪。明治の東京では寝所に現れて女性の寝息を吸う怪、熊野山中では背丈が伸びあがる巨怪、加賀では川辺に出没して逃げ去る影のようなものなどが記録される。大入道・海坊主などの別名としても用例があり、一定の実体像は定まらない。

黒い僧形の怪異として、夜の町と人物の影を重ねる。

麦殿大明神

麦殿大明神

神格

むぎどのだいみょうじん

江戸麻疹退散の神・麦殿大明神

神霊・神格江戸期はしか絵の麻疹除け呪い神、起源不明

麦殿大明神は、江戸時代に流行した麻疹を退散させる守護神として崇められ、麻疹絵に多く描かれた神格。麻疹を象徴する鬼を踏み伏せる姿が定型で、護符として家内に掲げられた。病除けの祈願とともに、養生法や食禁を添えた版画が流布し、恐れの対象である麻疹に対し心の拠り所を与えた。特定の社寺や系譜は不詳で、版元ごとに表現が異なる。

名と信仰の見立てに、江戸の噂や風刺の感覚が表れる。

馬鹿

馬鹿

珍しい

うましか

馬面に鹿蹄の絵巻怪・馬鹿

動物変化江戸後期絵巻発祥、馬+鹿の漢字見立ての語呂合わせ、在地伝承なし

江戸期の妖怪絵巻に描かれる精怪。衣をまとい、前脚を左右に広げ、眼球が上に突き出た馬の顔に鹿の割れ蹄を備える姿で表される。『百物語化絵絵巻』(18世紀後半)や尾田郷澄『百鬼夜行絵巻』、『化物尽絵巻』などに同姿の図が確認されるが、行状や由来の説明は付されない。語の「馬鹿」からの連想図像とみられるが、機能や害益は資料上不明である。

馬と鹿を一体化したような姿に、言葉を絵へ変える遊びが見える。

加牟波理入道

加牟波理入道

珍しい

がんばりにゅうどう

厠の入道・加牟波理入道

水の怪石燕『今昔画図続百鬼』、厠の妖怪、山都と便所神習合、全国の厠怪

厠に関わる俗信に見える入道姿の妖怪。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に口から鳥を吐く姿で描かれ、大晦日に「がんばり入道ほととぎす」と唱えると現れないと解説される。厠でホトトギスの声を聞くのは不吉とする信仰や、郭公の字と中国の厠神・郭登の連想が背景にあるとされ、各地で名称や所作が異なる伝承が残る。

便所の禁忌や年越しの俗信と結びつく入道姿の怪。