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画図百鬼夜行|鳥山石燕が描いた妖怪画集

行列をほどき、一頁に一体――妖怪を見比べる本の誕生

画図百鬼夜行
鳥山石燕が描いた妖怪画集

48体の妖怪

この特集の要点

『画図百鬼夜行』は、鳥山石燕が安永五年(1776)に刊行した妖怪画集です。前篇陰・前篇陽・前篇風の三巻からなり、妖怪の行列を連続場面として描く従来の百鬼夜行絵巻とは異なり、基本的に一頁へ一体ずつ名と姿を示します。木魅、天狗、河童、猫また、雪女、ぬらりひょんなど、古典・説話・先行する妖怪絵巻の図像を石燕が選び直した作品で、後世の妖怪図鑑と標準像に大きな影響を与えました。ただし、多くの頁には詳しい物語説明がなく、現在知られる性格のすべてが石燕の本に書かれているわけではありません。

百鬼の行列を、一体ずつの頁へ分ける

百鬼夜行は本来、夜の都を多数の異形が進む光景として絵巻に描かれてきました。鳥山石燕の『画図百鬼夜行』は、その名を受け継ぎながら、行列を一体ずつ切り分けます。頁をめくるたびに名前と姿が現れ、読者は妖怪を比較し、覚え、好きな一体を選べるようになりました。

国立国会図書館の公式解説が位置づけるとおり、本作はのちに『今昔画図続百鬼』『今昔百鬼拾遺』『百鬼徒然袋』へ続く石燕妖怪画集の第一作です。本ページでは、現在のキャラクター設定を原典へ逆投影せず、図像と短い詞書から読める範囲を確かめます。

1776年、陰・陽・風の三巻

『画図百鬼夜行』は安永五年(1776)刊。前篇陰・前篇陽・前篇風の三巻構成です。「前篇」と記され、奥付には後編の予告がありますが、その名の後編は刊行されず、三年後の『今昔画図続百鬼』が実質的な続作となりました。

国文学研究資料館公開本『画図百鬼夜行』を見ると、絵と名を中心にした簡潔な頁が続きます。後続作のような長めの解説は少なく、余白と姿そのものが読者の想像へ委ねられています。

陰――山、獣、水辺の古い気配

最初の巻は木魅、天狗、幽谷響、山姥、山童から始まり、犬神、猫また、河童、獺、垢嘗、狸、鎌鼬、網剪へ進みます。山の反響や古木の気配、身近な動物の変化、水辺の危険が、固有の輪郭を得て並びます。

犬神と白児のように一図へ複数の名が添えられた頁もあります。また狐火は火の現象として収録されますが、現在の当サイトでは九尾狐の種プロフィールと分け、独立項目の整備を待っています。収録数をカード数だけで数えない理由です。

陽――怪火、家、死者

陽の巻では、絡新婦、鼬、叢原火、釣瓶火、ふらり火、姥ヶ火、火車と、動物・怪火が続きます。その後、家鳴、産女、海座頭、野寺坊、高女、手の目、鉄鼠、黒塚、ろくろ首、逆柱、枕返し、雪女、生霊、死霊、幽霊が並び、住居の異変から死者の像まで射程が広がります。

生霊・死霊・幽霊を別の構図で示した点は、姿の似た霊を状況と関係から見分ける試みでもあります。石燕以前の説話を踏まえるものと、絵師が図像を整理したものを分けて読む必要があります。

風――名は分かるが、物語の少ない異形

風の巻には、見越、しょうけら、ひょうすべ、わいら、おとろし、塗仏、濡女、ぬらりひょん、元興寺、苧うに、青坊主、赤舌、ぬっぺふほふ、牛鬼、うわんが並びます。現在よく知られるぬらりひょんの「妖怪総大将」という性格は、石燕の頁に詳しく書かれているわけではありません。

わいらやおとろしのように、名と姿が残る一方、行動や土地の伝承がほとんど示されない妖怪もいます。空白があったからこそ、後世の作家や絵師が新しい物語を重ねました。

石燕は妖怪を「発明」したのか

本作には、河童や天狗のように広い伝承をもつ存在、古今百物語評判など先行書に見える怪異、百怪図巻や化物づくし系絵巻の図像を参照したものが混在します。石燕がすべてを無から作ったわけでも、各地の口承をそのまま写しただけでもありません。選び、名づけ、配置し、筆致を統一する編集こそが作品の力です。

収録妖怪一覧の読み方

下の「収録妖怪」は、原作に名があるもののうち、YOKAI.JPで独立プロフィールが整っている存在を、原作順に一種一件で収録しています。旧データにあった木魅・天狗・山姥・猫また・濡女の地域別バージョン重複は除きました。白児、鼬、狐火、死霊は本文で原作収録を明記し、独立プロフィール整備後に追加できる構造にしています。

まず一枚の図を見てから個別ページへ進み、原典に書かれたことと後世に付け加えられた性格を見比べてみてください。

更新: 2026/7/16
画図百鬼夜行鳥山石燕妖怪画江戸時代妖怪図鑑百鬼夜行原典

収録妖怪

48体の妖怪が収録されています

この妖怪たちのアートカードも見つかります

全 87 枚のカード — 浮世絵、現代日本…

木霊

木霊

名妖

こだま

老樹に応える・木霊

山野の怪東京都沖縄県

木霊(こだま)は、樹木に宿るとされる精霊で、その精が宿った樹そのものを指すこともある。古信仰では百年以上の年輪を重ねた老樹に神霊がこもると考えられ、山や谷で声を投げると遅れて同じ声が返る「山彦(やまびこ)」の現象も、木霊が応えるものと捉えられた。源を辿れば木の神格の余映であり、『古事記』では木の神とされる久々能智神(ククノチ)を木霊と解する見方があり、平安期の辞書『和名類聚抄』には樹神の和名として「古多万(こだま)」の語が記される。一方『源氏物語』には「鬼か神か狐か木魂か」「木魂の鬼や」とあって、当時すでに木霊を妖怪に近いものと見る感覚があったことがうかがえる。外見はごく普通の樹木と変わらないが、不思議な力を帯び、不用意に伐ろうとすれば祟るとされた。鳥山石燕は『画図百鬼夜行』に「木魅」と題し、百年を経た木に神が宿って姿を現すとして、老木の傍らに立つ老いた男女の姿を描いている。「木霊」「木魂」「谺」などと表記され、音の反響を指す「こだま」と樹の精を指す「こだま」は同じ語に重なり合い、自然の声と樹木の魂が一体に捉えられてきた。

天狗

天狗

伝説

てんぐ

天狗とは何か――類型と図像の総論

山野の怪京都府滋賀県

天狗は、日本の山岳に棲むとされる妖怪にして神格的存在であり、修験道の山伏と分かちがたく結びついてきた山の主である。その姿には大きく二つの系統がある。ひとつは赤ら顔に高い鼻、山伏の装束をまとい羽団扇と一本歯の高下駄を具えた鼻高天狗、いまひとつは鴉のくちばしと翼をもつ烏天狗で、さらにその下に木の葉天狗・木っ端天狗といった下位の眷属が連なる。古くは鳶(とび)のごとき鳥の姿で観念されたものが、中世を通じて長鼻の山伏像へと固まっていった。 天狗は仏法を妨げる魔でありながら、調伏されれば仏法を護る護法神に転じる――この両義性が天狗の本質である。慢心した高僧が堕ちて天狗になるという観念は、仏教の説く「天狗道」と結びつき、鎌倉末の絵巻にも風刺として描かれた。一方、山岳信仰のなかでは山の守護者・武芸と法力の達人として畏敬され、修行者を試し、あるいは導く存在とされた。京都の鞍馬山や愛宕山をはじめ、諸国の霊山にはそれぞれの大天狗が座すと伝えられ、近世の『天狗経』はその総数を四十八に数え上げている。

山彦

山彦

名妖

やまびこ

山中で声を返す・山彦

自然現象・自然霊長野県

山彦(やまびこ)は、山や谷で発した声や音が遅れて返る反響を、山の精や木霊が応じたものと捉えた怪。正体は自然の反響と理解されつつも、各地では山の神の眷属、木の霊、あるいは山中の怪として語り継がれた。鳥山石燕は『画図百鬼夜行』にこれを「幽谷響(やまびこ)」と題し、犬のような獣の姿で描いて、声の反響を一個の妖怪として視覚化した。呼びかけに同じ言葉で返す存在として、畏敬と警戒の対象となってきた。

山姥

山姥

伝説

やまんば

深山の老婆・山姥

山野の怪神奈川県

山姥(やまうば・やまんば)は、深山に棲むと伝えられる老女の姿をした怪。長い白髪を乱し、口が耳まで裂けた鬼婆として描かれる一方、山の幸を授け富をもたらす「山母」としても語られ、人を喰う恐ろしさと福徳を与える慈悲との二面を併せ持つ。鳥山石燕『画図百鬼夜行』や佐脇嵩之『百怪図巻』は、子を抱き、あるいは髪を振り乱した山中の老女としてその像を伝える。坂田金時(金太郎)の母とする近世の伝承でも知られ、単なる人喰いの鬼にとどまらない複雑な性格を帯びる。

山童

山童

名妖

やまわろ

西日本山中の童子・山童

山野の怪肥後国(現·熊本県芦北·球磨·天草) ── 河童が山入りした山童、九州山地に分布

山童(やまわろ)は、西日本の山地に伝わる妖怪で、河童が秋に山へ入った姿だと語られることが多い。子どもほどの背丈に長い脚、全身に細かな毛を生やし、人の言葉を解すという。『和漢三才図会』は、赤褐色の長い髪に丸顔、犬のように尖った耳をもち、鼻の上にただ一つの目をもつ姿を記している。山仕事をよく手伝う一方、相撲を好み、牛馬に悪戯をし、人家に上がりこんで湯に入るともいう。熊本では、大工の使う墨壺(すみつぼ)の墨線を嫌い、それを引いておけば近づかないと伝えられる。

犬神

犬神

伝説

いぬがみ

憑物筋の犬神

動物変化徳島県高知県

犬神は西日本を中心に分布する犬霊の憑き物で、狐憑き・管狐などと並ぶ強力な憑霊とされた。四国、とくに徳島・高知・愛媛などで本場視され、島根・山口から九州、薩南諸島や沖縄にも分布する。家筋に憑き続ける「犬神筋」の観念が強く、婚姻に際して家筋が調べられるなど、通婚忌避や差別と結びついた負の社会史を伴った。姿はハツカネズミほどの斑のある小獣とする説が主で、鼬状・蝙蝠状など地域差が大きい。

猫又

猫又

伝説

ねこまた

古猫変化の二股尾・猫又

動物変化栃木県

猫又(ねこまた)は、日本の妖怪のなかでも最も広く知られ、かつ最も複雑な変遷を辿った怪異の一つである。その姿は、歳月を経て巨大化した獣、あるいは尾が二股に裂けた怪猫として描写される。この妖怪の概念には二つの明確な系譜が存在し、一つは鎌倉期の文献に見える「山中に棲む恐ろしい猛獣としての猫又」、もう一つは江戸期以降に定着した「人家で長年飼われた老猫が化けた家妖としての猫又」である。日本の民俗信仰において、ネコは魔性や霊力を秘めた存在と見なされることが多く、その境界を越えた者への畏怖が、この二股の尾を持つ妖怪の姿に結実した。

河童

河童

伝説

かっぱ

川辺の皿頭・河童

河童は、川や池、沼などの水辺に棲むとされる、日本でもっとも名高い妖怪の一つである。背丈は四、五歳の子どもほどで、頭の上に水をたたえた皿(さら)をいただき、背に甲羅、口は嘴(くちばし)、手足には水かきをもつ。体は緑や赤がかった色で、生臭いともいう。この頭の皿こそが力の源で、皿の水がこぼれたり乾いたりすると、たちまち力を失うと信じられてきた。それゆえ、河童に深くお辞儀を返させて皿の水をこぼさせ、捕らえるという知恵も語り継がれた。 河童には、人や馬を水へ引きずり込んで命を奪う恐ろしい一面と、約束を固く守り、相撲を好み、ときに接骨の妙薬を伝える律儀な一面とがある。全国に広く分布し、土地ごとにガラッパ、メドチ、エンコウ、ヒョウスベなど、八十をこえる呼び名をもつ。日本の妖怪のなかでも、これほど深く地域に根を張った存在は珍しい。

カワウソ

カワウソ

名妖

かわうそ

夜道で火消す化け獺・カワウソ

動物変化高知県徳島県

カワウソ(獺)は川や沼に棲む獺が年を経て妖力を得たものと見なされ、人語を解し変化の術に長けるとされる動物変化である。漢字「獺」には捕えた魚を岸に並べる習性を祭祀になぞらえた「獺祭魚」の故事があり、古来この獣が人智に近い知恵をもつと感じられてきた背景をうかがわせる。室町期の国語辞書『下学集』(文安元年)には「獺老いて河童となる」との一文が見え、北陸・紀州・四国などではカワウソそのものを河童の一種として妖怪視する伝承が広く分布する。江戸期の本草書を引く『和漢三才図会』も獺の項に水辺の知略ある獣として性状を載せる。妖怪としてのカワウソは夜道で提灯の火を消し、美女や子ども、僧に化けて人を惑わすが、その変化はどこか抜けたところがあり、問答のずれや言葉の訛りから正体が露見する話型が各地に共通して残る。狐狸と並ぶ「化け獣」として恐れられる一方、間の抜けた応答ゆえに愛嬌ある妖怪として語られもした。

垢嘗

垢嘗

名妖

あかなめ

夜の風呂場に潜む垢嘗

住居・器物文献・絵巻発祥(『古今百物語評判』『画図百鬼夜行』)。在地伝承・出現地不詳

古い風呂屋や荒れた屋敷の湯殿に現れるとされる妖怪。ざんぎり頭の童子の姿に描かれ、長い舌を垂らし、足には鉤爪を備える。人の寝静まった夜更けに音もなく忍び入り、桶や板壁、簀の子、流しにこびり付いた垢や水垢、黴を、その長い舌で丹念に舐め取るという。人を襲い害をなすという筋立ては本来の伝承には乏しく、むしろ出現そのものが、手入れを怠った湯殿の不浄の兆しと受け取られた。垢を舐めるという即物的で生々しい所業ゆえに、おどろおどろしい恐怖よりも、どこか滑稽味を帯びた身近な怪として語られてきた。別名に垢舐・垢ねぶりがあり、文献によっては嬰児に似た姿とも記される。鳥山石燕『画図百鬼夜行』に描かれた長舌の怪童の図像が広く流布の基となったが、石燕本には詞書(解説文)が一切付かず、性質や由来は語られないまま、姿だけが先行して知られていった妖怪である。後世にはこの姿絵をもとに、湯殿を清潔に保つべしという生活上の戒めと結び付けて理解されるようになった。

狸

狸

一般

たぬき

七化けより一段上・狸の八変化

動物変化ほぼ日本全国に化け狸伝承、『日本書紀』陸奥国初出だが種全体は汎存在

狸(たぬき)は、日本の里山に棲むタヌキをもとにした動物変化の代表格である。現実のタヌキは食肉目イヌ科の哺乳類で、環境省の分布調査でも沖縄県など一部地域を除く広い範囲で生息が確認される。妖怪としての狸は、狐と並ぶ「人を化かす獣」として語られ、「狐七化け狸八化け」という諺が示すように、狐よりさらに一段多く化けるものともされた。古典では「狸」「狢」「貉」「猯」の語がしばしば混用され、『日本書紀』推古天皇三十五年の「陸奥国の狢が人に化けて歌った」記録は、化け狸・化け狢の早い例として引かれる。ただし、この「狢」を現代のタヌキと完全に同一視できるかは慎重に見る必要がある。 狸の魅力は、恐怖だけでなく愛嬌と諧謔を帯びる点にある。腹鼓、葉を頭にのせる変化、八畳敷きの陰嚢、茶釜や僧形への変化、酒や商売との結びつきなど、狸のイメージは古典説話、民間伝承、江戸の戯画、近代の観光文化をまたいで育った。鳥山石燕は『画図百鬼夜行』に狸を描き、近世の妖怪画のなかでこの獣変化を定着させた。四国・佐渡・淡路などには名のある狸の頭領譚が伝わり、近代以降は滋賀県甲賀市信楽町の信楽焼たぬきが、昭和天皇行幸時の御製と八相縁起を契機に商売繁盛の縁起物として全国に広まった。狸は古典の妖怪であると同時に、いまも店先や庭先で人を迎える、もっとも生活に近い妖怪の一つである。

鎌鼬

鎌鼬

伝説

かまいたち

風の傷から獣の姿へ――鎌鼬

自然現象・自然霊新潟県長野県

鎌鼬は、風が通り過ぎた後、刃物も見当たらないのに皮膚や肉が裂けているという不可解な出来事につけられた名である。現在確認できる名称例の古い層には北村季吟『山之井』(1648年)がある。詳しい散文では、浅井了意『伽婢子』(1666年)が、関八州を旅する人が旋風に巻かれ、腿を刃物で切ったように傷つけられた話を記す。しかし、この段階では襲撃者の姿を鼬として見たとは書かれず、三匹の役割分担もない。傷は大きく開いたのに痛みが強くなく、血も出なかったとされるが、後代には出血する型もあり、無血・無痛を全国共通の特徴とはできない。 江戸時代の人々は、この現象を一つの原因に定めていなかった。『古今百物語評判』(1686年)は越後新潟を題にしながら秋田や信濃へ話を広げ、北国の強い風と鬼魅の働きとして考える。十八世紀の節用集では「窮奇」「鎌馳」の字が「かまいたち」に結びつけられ、本草書では風狸などの獣類知識とも接続された。中国古典の窮奇は、風との関係を持つ記述がある一方、牛に似て人を食う獣ともされ、日本の鎌鼬と同じ姿ではない。近世日本の知識人が、風、疾走、獣という連想を利用して土地の怪異へ漢字と姿を与えたと考えるのが妥当である。 今日よく知られる鼬の姿を強く印象づけたのは、鳥山石燕『画図百鬼夜行』の「窮奇(かまいたち)」である。原版は1776年に刊行され、石燕は渦巻く風の中を走る一体の鼬状の獣を描いた。長い爪は鎌を思わせるが、画面にいるのは一体である。飛騨の採訪には、一人が倒し、一人が切り、一人が薬をつける三人の神が現れ、美濃にも同じ三役の異伝が記録される。三匹の鼬や三兄弟とは記されない。鎌鼬は、風、傷、神、鼬、鎌、漢籍の名、絵師の造形が、時代と土地ごとに重なって形成された怪異である。

網切

網切

稀少

あみきり

蚊帳を切る鋏手・網切

総称・汎称特定伝承地なし

網切(あみきり)は、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に「網剪」として描かれた妖怪である。鋏のような前肢を持ち、蟹や蠍を思わせる輪郭で水辺の生き物めいて見えるが、石燕の画中には詳しい詞書が添えられていない。そのため、網切は「古くから各地で語られた妖怪」というより、絵から性質を読み解かれてきた妖怪と見るほうが正確である。名は「網を切るもの」を直に思わせ、後世には蚊帳・漁網・干し網を夜のうちに裂く怪として説明されることが多い。一方で、佐脇嵩之『百怪図巻』やBYU所蔵『Bakemono no e』に見える髪切りは、鋏状の手で人の髪を切る妖怪として描かれる。網切はその髪切りと形や語感を響き合わせながら、「髪」ではなく「網」を断つものとして読まれてきた図像妖怪といえる。

絡新婦

絡新婦

伝説

じょろうぐも

女の姿と蜘蛛の糸――重なり合う絡新婦

動物変化静岡県宮城県

絡新婦(じょろうぐも)は、実在する蜘蛛の名、女に化ける蜘蛛を語る近世怪談、鳥山石燕の図像、各地の蜘蛛淵伝説が重なって知られる妖怪である。どこか一つの滝に棲む一人の美女を指すのではなく、時代と資料によって姿も行動も異なる。「絡新婦」は文字どおり「人を絡める新婦」という意味で作られた妖怪名ではない。『和漢三才図会』は「絡新婦」を「ちょろうくも」と読み、「俗に女郎蜘蛛という」と記す。漢籍・本草に遡る蜘蛛名と、日本語のジョロウグモという呼称が交差した表記なのである。 蜘蛛が女の姿で現れる話は、石燕以前から確認できる。延宝5年(1677)刊『宿直草』では、子を抱いた若い女を怪しんだ侍が斬りつけ、翌日、天井裏で刀傷を負った女郎蜘蛛と多数の人の骸を見つける。享保17年(1732)刊『太平百物語』では、作州高田の孫六が老女に招かれ、幻の屋敷で娘から結婚を迫られるが、逃げると自宅の縁側へ戻り、軒下の小さな女郎蜘蛛と大量の巣に気づく。孫六は食べられず、話の焦点は夢と幻にある。 鳥山石燕は安永5年(1776)初刊『画図百鬼夜行』で、長い髪と衣をまとう女体へ蜘蛛の脚を重ね、周囲に多数の小蜘蛛を配した姿を「絡新婦」と題した。小蜘蛛から糸、煙、炎のような線が伸びるが、説明の詞書はなく、琵琶を奏でる男誘いの場面でもない。国立国会図書館の文献調査でも、「美女が琵琶を聞かせて男を誘い、最後に食べる」という完全に一致する古典は確認されていない。 水辺の絡新婦像は、さらに別の伝承層を持つ。蜘蛛が人の足へ糸を掛け、人が糸を木へ移すと木が水中へ引き込まれる「蜘蛛淵」の話は全国に分布する。浄蓮の滝では、この糸掛け型と、落とした鉈を美女が返し、秘密を破った男が命を失う禁忌型が結合して、現在知られる女郎蜘蛛伝説になった。原典ごとの差を残すと、絡新婦は単なる誘惑者ではなく、小さな蜘蛛への油断、夢と現実の境、水辺の地形と危険、名と絵が伝承をまとめてゆく過程まで映す妖怪として見えてくる。

叢原火

叢原火

稀少

そうげんび

壬生寺の悪僧が燃える怨火・叢原火

霊・亡霊京都府

叢原火は、京都の壬生寺に結びつけて語られる僧の怪火で、鳥山石燕『画図百鬼夜行』に描かれた火の妖怪である。火の玉の中に苦しげな僧の顔が浮かぶ姿で知られ、名は宗源という僧に由来する「宗源火」とも書かれる。鳥山石燕『画図百鬼夜行』は、この怪火を単なる光ではなく、僧の顔を抱いた炎として視覚化した。伝承の核は、壬生寺の地蔵堂に仕えた僧宗源が寺の灯油や供物を盗み、死後に仏罰を受けて鬼火となったという因果譚にある。『新御伽婢子』を含む『江戸怪談集』の系統では、叢原火は自然現象の火ではなく、寺社の灯明を汚した罪が火として戻る姿と読める。怨霊、火、寺の境内が重なった京都らしい怪である。

釣瓶火

釣瓶火

珍しい

つるべび

樹上に下る怪火・釣瓶火

自然現象・自然霊京都府

釣瓶火は、夜道の樹上から井戸の釣瓶のように上下する怪火である。鳥山石燕『画図百鬼夜行』に図像が見え、京都西岡周辺で語られた「釣瓶おろし」の怪火を典拠とする解釈がある。四国・九州では木の精が青白い火球となって枝にぶら下がるとされ、炎は物を焼かず、時に人獣の顔が浮かぶという。山道に静かに現れる怪火の一種とみなされ、目撃譚が各地に伝わる。

ふらり火

ふらり火

稀少

ふらりび

無縁仏の炎鳥・ふらり火

自然現象・自然霊出自不詳 ── 鳥山石燕『画図百鬼夜行』の怪火

ふらり火は、江戸期の妖怪画に描かれた怪火で、炎に包まれた鳥の姿として示される。鳥山石燕『画図百鬼夜行』の画は顔がインド神話の迦楼羅を思わせ、佐脇嵩之『百怪図巻』や作者不詳『化物づくし』にも作例が見られる。いずれも解説文は乏しく性状は明確でない。一般には供養を受けぬ霊が彷徨い、火として顕れる現象と解され、異形の鳥面はその象徴的表現とされる。

姥ヶ火

姥ヶ火

名妖

うばがび

枚岡の油盗み怪火・姥ヶ火

自然現象・自然霊大阪府京都府

姥ヶ火は、雨夜などに現れる怪火で、主に河内国の枚岡や丹波国の保津川流域に伝承が残る。大きさ一尺ほどの火の玉として飛び、時に老女の顔や鳥の姿を見せると語られる。枚岡神社の灯油を盗んだ老女の祟りが怪火となったとされ、鳥山石燕『画図百鬼夜行』をはじめ古書や絵巻にも記録が見える。人の肩をかすめると不吉をもたらすという。

火車

火車

名妖

かしゃ

葬列を襲う化け猫・火車

霊・亡霊岩手県群馬県

葬式・葬列や墓場に現れ、棺や亡骸を奪うとされる妖怪。近世初期には地獄の獄卒や雷神の所為として語られ、黒雲や雷とともに死体をさらうとされた。語の本義は悪人を地獄へ運ぶ仏教の「火の車」に由来するが、のちに猫又伝承と習合し、老いた猫が火車となって遺骸を狙うとする説が広まった。善悪の応報に必ずしも限定されず、葬送の怪として全国で事例が報告される。対策として刃物・数珠・盛土や夜伽の見張りなどが伝わる。

家鳴

家鳴

名妖

やなり

家鳴る屋内の怪・家鳴

住居・器物石燕『画図百鬼夜行』、家鳴りの小鬼、汎在の音怪

家鳴は、家屋や家具が理由なくきしみ、震え、音を立てる怪異の総称。古くは竈や蔵、兵庫などでの異音・震動として記録され、不吉の兆しと受け取られた。絵巻では小鬼が家を揺する姿で擬人化されるが、伝承上は原因不詳として語られることが多い。地域により怨霊・獣霊・屋敷神の機嫌など解釈は分かれ、夜半から丑三つ時の発生が典型とされる。

産女

産女

名妖

うぶめ

渡し場で赤子を託す産女

霊・亡霊出産時・産後に亡くなった女性の霊/全国各地。中世『今昔物語集』に著名な早期例がある。

産女(うぶめ)は、出産の最中や産後まもなく亡くなった女性の霊が、赤子を抱く姿で現れるとされた日本の怪異である。多くの話では、夜の渡し場・橋・辻などで通行人を呼び止め、「この子を抱いてほしい」と頼む。受け取った赤子が急に重くなる、木の葉や石に変わる、最後まで抱き通した者が怪力や財を授かるなど、結末は土地と文献によって異なる。したがって産女は、ただ人を襲う悪霊ではない。出産で断たれた母子の縁、死者への恐れ、頼みを引き受ける者の勇気や慈悲を、一つの遭遇譚に集めた存在である。 現存する著名な早期例は、十二世紀前半ごろ成立した『今昔物語集』巻二十七第四十三話「頼光郎等平季武値産女語」である。源頼光が美濃守であった時、郎等の平季武が肝試しのため闇夜の渡しへ赴き、川中で女から赤子を託される。館へ持ち帰って袖を開くと、そこにあったのは少しの木の葉だった。説話の末尾は、産女を狐の変化とする説と、出産時に死んだ女の霊とする説を並べ、正体を一つに決めていない。この段階では、後世に有名となる血染めの腰巻や鳥の羽もまだ描かれていない。 一方、「姑獲鳥」と書いて「うぶめ」と読む表記には注意が要る。唐代の『酉陽雑俎』巻十六に見える夜行遊女は、羽毛を着れば鳥、脱げば女となり、人の子を取る中国の怪鳥である。赤子と産死者に関わる点から、日本の産女と重ねられたが、もとは別系統の存在だった。安井眞奈美の研究によれば、中国の姑獲鳥に日本語名を当てた林羅山は、寛永8年(1631年)の『新刊多識編』で初めて「姑獲鳥」を「うぶめ鳥」または鵺と明示した。日本の産女が「自分の赤子を人に託す母の霊」を核とするのに対し、中国の姑獲鳥は「他人の子を奪う鳥怪」を核とする。この違いを押さえると、産女という妖怪が中世説話、産死者供養、中国由来の怪鳥知識、近世の妖怪画を重ねながら形を変えたことが見えてくる。

海座頭

海座頭

稀少

うみざとう

波上に立つ琵琶座頭・海座頭

水の怪石燕『画図百鬼夜行』、海上の盲僧、解説文なしの絵巻発祥

海座頭(うみざとう)は、江戸期の妖怪画にみえる海上の座頭(盲僧)の姿をとる妖怪である。鳥山石燕『画図百鬼夜行』や、熊本県八代の松井文庫が所蔵する『百鬼夜行絵巻』に描例があるが、いずれも解説文を欠き、性質や由来は明らかでない。琵琶と杖を携え、波の上に立つ姿が特徴で、海上に現れる怪異として海坊主に通じる像と解されることもあるが、詳細は不詳とされる。

野寺坊

野寺坊

珍しい

のでらぼう

荒寺の鐘守・野寺坊

人妖・半人半妖東京都

野寺坊は、鳥山石燕『画図百鬼夜行』前篇陽に描かれた、荒れた野寺に立つ僧形の妖怪である。画面には蔦の絡む鐘楼のかたわら、破れた黒衣をまとい、痩せた手を曲げてうずくまるような坊主姿が置かれる。名の「野寺」は人里から離れた寺、あるいは荒れて野に帰りつつある寺を思わせ、「坊」は僧形そのものを示す。石燕本の「野寺坊」には詳しい詞書がないため、どの寺の何者が化したのか、古い口承があったのかは確定しない。村上健司『妖怪事典』も、石燕の図像に由来する僧形妖怪として扱い、後世の解説はこの一枚の絵から広がったものと見るのが穏当である。その魅力は、退治譚の派手さではなく、無住となった寺、手入れされない鐘、僧の衣、草に沈む堂宇という、仏教的な空間が少しずつ日常から外れていく不安にある。青坊主や塗仏が僧形そのものの異様さを押し出すのに対し、野寺坊は場所の荒廃と僧の影を切り離せない。人の姿をしていながら、人の生活から外れた寺に縛られている点で、これは人妖であると同時に荒寺そのものの影でもある。野寺坊は、寺院の尊さと廃墟の寂しさが重なる場所に現れる、絵姿先行型の「荒寺の僧」である。

高女

高女

名妖

たかおんな

二階窓を覗く伸び女・高女

住居・器物石燕『画図百鬼夜行』、吉原遊女図像、画集発祥

鳥山石燕『画図百鬼夜行』に描かれる女妖。建物の二階ほどまで下半身を伸ばし、窓を覗きこむ姿で知られるが、原図に解説はなく正体や性質は不詳。後世には遊女屋の二階を脅かすなどの解釈が付されたが、史料上は絵画的提示が中心で、具体的な逸話や名称の由来は定まっていない。高所を窺う異形として象徴的に語られる。

手の目

手の目

珍しい

てのめ

両掌に眼ある座頭・手の目

山野の怪京都府

『画図百鬼夜行』(安永5年・1776)に鳥山石燕が描いた妖怪で、剃髪に琵琶を負う座頭(盲人)の姿をとりながら、両の眼が顔ではなく左右の手のひらに開いている。石燕は本図に詞書を付さず来歴を語らないため、その造形が何に拠るかは図そのものから直接たどることができない。画面は枯薄(かれすすき)の生い茂る荒野に月をあしらい、男はわずかに腰をかがめ、目を開いた両掌を前へ差し出して闇のなかを探るように描かれる。類似の図像は天保期の『百鬼夜行絵巻』(松井家本)に「手目坊主(てめぼうず)」として見え、佐脇嵩之系の『化物づくし』にも近い作例があり、石燕の手の目から派生したものとみられる。研究者の多田克己は、手のひらに目をもつ図像を、賭場のいかさまや欺きを見破る「手の内を見る」といった言葉遊び・縁起の視覚化として読み解いている。いずれにせよ手の目は、確かな口承の裏づけよりも、近世絵画の趣向と説話断片とが結びついて成った妖怪と位置づけられる。

鉄鼠

鉄鼠

珍しい

てっそ

三井寺の経食む大鼠・鉄鼠

霊・亡霊滋賀県

鉄鼠(てっそ)は、三井寺の僧・頼豪の怨念が化したと伝える鼠の妖怪で、経巻や仏像を食い破る無数の鼠の群れとして語られる。名そのものは江戸後期、鳥山石燕『画図百鬼夜行』(安永5年〔1776〕)が一匹の鼠を闇に据えて「鉄鼠」と画題を付したことに始まり、その賛は「頼豪の霊、鼠と化すと世にしる所也」と簡潔に由来を記す。古伝では頼豪鼠・三井寺鼠とも呼ばれ、固有の名というより、軍記が伝える怨霊化生の挿話に石燕が一語の画題を与えて結晶させた図像上の所産である。化生の鍵となるのは『太平記』巻十五の語で、頼豪の悪念が「石の身に鉄の牙」をもつ八万四千の鼠となって叡山を駆けたとする誇張的描写が、石燕の画題「鉄鼠」の直接の典拠とみられる。石燕は群れや破壊の場面ではなく、牙を剝いて経巻に取りつく一匹の鼠を静かに描き、集団の災厄を一個の象徴へ凝縮した。怨霊が人格から無数の小動物へ拡散し、鼠本来の齧歯習性がそのまま破壊力として読み替えられる発想は、個の怒りが集団の祟りへ転じる中世的怪異観を鮮やかに示す。妖怪としての鉄鼠は、怨霊の主体である頼豪と一体に語られながらも、図像としては「牙をもつ怪鼠」という視覚的形象に独立して結晶した点に固有の意義がある。

黒塚

黒塚

伝説

くろづか

安達ヶ原の悲劇·黒塚の鬼婆

鬼・巨怪福島県

平安期に平兼盛『拾遺和歌集』 (1006)に「みちのくの安達ヶ原の黒塚に鬼籠れりと聞くはまことか」と詠まれて知名度が確立した、陸奥国安達ヶ原 (現·福島県二本松市) の鬼婆伝承。旅人を泊めては夜半に襲って肝を喰らう山中の老婆という妖怪型を最も典型的に体現する。中世室町期に観世小次郎が能『黒塚 (安達原)』として劇化し、江戸期に近松半二らが浄瑠璃·歌舞伎『奥州安達原』 (1762 年初演)として大成、現代まで上演されつづける日本鬼婆譚の代表である。主要伝承地は観世寺 (福島県二本松市安達ヶ原、727 年神亀 4 年開基) で、境内の黒塚は鬼婆の埋葬塚と伝わる。鬼婆の正体「岩手」が娘の肝を求めた末に実の娘を殺してしまう悲劇譚が後世に付加され、単純な怪物譚から人間悲劇に深化した。

ろくろ首

ろくろ首

伝説

ろくろくび

近世文献と飛頭伝承のろくろ首

人妖・半人半妖福井県熊本県

ろくろ首は、夜になると首が異様に長く伸びる妖怪として知られている。けれども、古い本を年代順に読むと、その姿は一つではない。頭が胴体から完全に離れて空を飛ぶ「抜け首」に近いもの、眠っている本人には夢としか思えないもの、頭と胴が細い筋でつながって見えるもの、そして長い首を自在に伸ばすものが、同じ「ろくろ首」という名の周りに集まっている。 現在確認できる早い語形候補は、俳諧集『鷹筑波』巻二に見える「ろくろ首」で、『日本国語大辞典』は1638年の用例として掲げている。ただし、同書には1642年とする現存書誌もあるため、絶対的な初出と断言するには原本の再確認が必要である。1648年『正章千句』には「轆轤頸」、1677年『諸国百物語』には「越前国府中ろくろ首」という題が確認できる。こうした早期例から、17世紀半ばから後半にかけて名称が広がっていたことが分かる。 越前を舞台にした『曾呂利物語』では、夜道で女の首に出会った男がそれを追い、首が家へ飛び込むと、眠っていた女は男に追われる恐ろしい夢を見たと語る。女は自分の妄念を恥じて仏道へ入るが、嫉妬で怪物になったとは書かれていない。ここでの怪異は、人間の心や魂が眠る身体を離れたような出来事である。 中国の『捜神記』には、夜に頭が飛び、明け方に胴へ戻る「落頭民」の女が登場する。『酉陽雑俎』の「飛頭獠子」は、首に赤い糸の輪のような痕を生じ、頭に翼をつけて飛び、蟹や蚯蚓を食べる。これらは日本の離頭型とよく似ているが、中国の伝承がそのまま日本妖怪へ変わったと証明されているわけではない。日本では漢籍の知識、怪談、絵本、滑稽な黄表紙が重なり、複数のろくろ首像が形作られていった。 1737年の『百怪図巻』は「ぬけくび」を描き、鳥山石燕は1776年初版の『画図百鬼夜行』で「飛頭蛮」に「ろくろくび」と読ませた。石燕の絵では、眠る女性の胴と浮かぶ頭が細い筋で結ばれる。こうした線が、やがて長い首として表されたと考える研究がある。1788年『狂言末広栄』では、恋い慕う女性の首が江戸から上方へ伸び、恐怖より笑いを生む。 小泉八雲が1904年の『怪談』に収めた「Rokuro-Kubi」は、長首の美女ではない。武士から僧となったKwairyōが甲斐の山中で、五人の首なしの身体と林を飛び回る五つの頭に出会い、一体の胴を動かして帰還を妨げ、襲ってきた頭と戦う。この作品の直接の原話は、十返舎一九『怪物輿論』巻四の一話である。赤い文字、胴を動かす対処、夜明けまでに限られた力は、この作品系統に属する要素である。

逆柱

逆柱

名妖

さかばしら

上下逆の家鳴る柱・逆柱

住居・器物木材を逆さに立てる建築俗信、全国流布

木造建築で、樹木の根元側を上、梢側を下にして立てた柱を指す俗信上の怪異。逆に据えられた柱は夜更けに家鳴りや軋みを起こし、家運の衰えや火難を招くと忌避された。近世以来の怪異談や民俗記録に見え、柱そのものが祟る、あるいは葉の妖が現れるとも語られる。工匠は木の上下を重んじ、建前の禁忌として伝えた。

枕返し

枕返し

珍しい

まくらがえし

夜の寝所で枕を返す・枕返し

住居・器物全国各地に類似伝承、石燕も地名を指定せず

夜更けに寝所へ現れ、枕をひっくり返したり、頭と足の向きを入れ替えるとされる怪異。江戸時代以降の記録に多く、姿は一定せず、童子や坊主、あるいは不詳とされる場合が多い。鳥山石燕『画図百鬼夜行』では小さな仁王風の像のように描かれる。枕を返されることは魂と身体の秩序が乱れる兆しとされ、かつては死や病と結びつく不吉として畏れられた。

雪女

雪女

伝説

ゆきおんな

雪景と異伝の雪女

自然現象・自然霊新潟県東京都

雪女は、雪の夜、吹雪の山道、白く埋もれた村に、女性の姿をとって現れる怪異である。白衣の若い美女が冷たい息で人を凍らせる姿はよく知られているが、それだけが雪女ではない。長野県蓼科では、人に害をなさず、伐られた大木を夜のうちに谷へ渡して橋にする「積雪の霊女」として語られた。新潟県の記録では、真夜中の雪に血の点々が付いた足跡を残し、出会った者を殺す女となる。秋田では顔ののっぺりした女、群馬県昭和村では泣く子や寝ない子を連れて行くと母親が唱える雪夜の脅し、鳥取県若桜町では大雪に乗って現れる白い女である。同じ名の下に、無害な雪霊、恐ろしい遭遇者、子守の言葉、形だけが一瞬見えるものまでが並んでいる。 名称の歩みは、怪談集より早く俳諧の中に現れる。刊年を確認できる早い印刷例は、山本西武編『鷹筑波』(1642年)の句であり、その後も『毛吹草』『山之井』『崑山集』『増山井』などに「雪女」が重ねて詠まれた。雪景の白さや形を女へ見立てる言葉が、まず俳諧の機知を誘い、やがて怪異を指す名として輪郭を濃くしていったのである。 1685年刊『宗祇諸国物語』巻五は、越後の竹のそばに立つ、一丈ほどの若い白い女を描く。顔、髪、肌、単衣まで透き通るように白く、同行者は雪の精が形を変えたものだと説明する。題名に宗祇の名を掲げるものの、これは15世紀の連歌師が残した旅行記ではなく、宗祇の旅人像を借りて諸国の珍談を語る1685年の仮名草子である。 佐脇嵩之『百怪図巻』(1737年)と鳥山石燕『画図百鬼夜行』(1776年)は、雪女を名札のある一体の妖怪として画面に置いた。石燕の版面には「雪女」の名だけがあり、息で凍らせる、男を誘惑する、火に弱いといった説明はない。妖怪画は姿を共有しやすくしたが、後世の物語をすべて同時に与えたわけではなかった。 今日の代表的な物語は、小泉八雲が1904年の『Kwaidan』に収めた「Yuki-Onna」である。吹雪の渡し小屋で老樵茂作を白い息により凍死させた雪女は、若い巳之吉を見逃し、秘密を守るよう命じる。翌冬には旅の娘お雪として現れ、妻となり、十人の子を育てる。夫が禁じられた夜の記憶を語ると正体を明かすが、子どもたちのために夫の命を奪わず、白い霧となって去る。この婚姻、秘密、母としての情、破約と別離は「八雲のお雪」の物語を深く印象づけた一方、各地の雪女すべてに共通する性格ではない。 雪女という名の魅力は、一つの設定へ閉じないことにある。雪は道を消し、音を吸い、距離と形を変える。その雪を見た人々が、土地と時代に応じて、若い女、母、巨大な顔、揺れる影を見いだしてきた。その重なり全体が雪女である。

生霊

生霊

伝説

いきりょう

嫉妬離魂の生霊

霊・亡霊生きた人の魂が抜け祟る汎日本的観念、『源氏物語』六条御息所

生霊は、生きている人間の魂が肉体を離れてさまよい出る在り様、またその遊離した霊が他者に取り憑く現象をいう。死者の霊である死霊に対する語で、強い恨み・嫉妬・恋慕、あるいは臨終間際の念といった激しい情動が引き金となり、本人の意識を超えて魂が抜け出し、対象に病や災いをもたらすと信じられた。憑かれた側が床に臥して衰える一方、抜けた当人もまた茫然と気を失うとされ、加害と自失が同時に起こる点に、死霊とは異なる生霊独特の不気味さがある。 魂が身を離れるという離魂の観念は、自我の影身・影法師として現れる影の病の伝承とも重なる。意図せず情念に駆られて遊離する受動的な形のほか、丑の刻参りのように呪詛の作法を通じて魂を意識的に相手へ差し向ける能動的な形も語られた。平安貴族の物語から近世庶民の俗信、各地の方言伝承に至るまで記録の幅は広く、生者の心の闇がそのまま身を離れて他者を害するという、人の念の恐ろしさを映す観念として受け継がれてきた。

幽霊

幽霊

伝説

ゆうれい

柳下に立つ亡霊・幽霊

霊・亡霊死者の未練が現れる霊魂観、『日本霊異記』以来全国普及

幽霊は、死者の魂がこの世に留まって現れる存在の総称であり、成仏できぬまま現世への未練・怨み・弔いの不足を抱えた霊が出没するものとされる。墓所・枕辺・旧居・水辺などに姿を現し、声や面影をもって生者に訴えるという。仏事や供養を経て鎮まるとされる一方、強い情念を残した霊はなかなか去らず、怪異を長引かせると信じられてきた。 今日広く知られる「乱れ髪・白い経帷子・額の三角頭巾(額烏帽子)・力なく垂れた両手・腰から下が消えた足のない姿」という定型は、生まれながらの伝承ではなく、近世の演劇と絵画を通じて段階的に整えられた図像である。足のない幽霊像を始めたのは江戸中期の画家円山応挙(1733-1795)だとする俗説が根強いが、これは後世の付会で、土佐光起による足なき幽霊画の模写が伝わるなど元禄期には先行作例が確認でき、応挙の創始とは言いがたい。柳の下や夏の夜に現れるという連想もまた、芝居小屋と読本・浮世絵が育てた近世的な美意識である。

見越入道

見越入道

名妖

みこしにゅうどう

見上げて伸びる入道・見越入道

鬼・巨怪東京都埼玉県

夜道や坂の突き当たり、四つ辻、石橋、木の上などに現れる入道姿の怪異。見上げれば見上げるほど巨大化し、恐れに囚われた者を脅かす。対処は「見越した」「見抜いた」と唱える、あるいは落ち着いて頭から足へと見下ろすなどが知られる。正体は一定せず、『宿直草』ではタヌキの変化、福島県南会津郡檜枝岐村ではイタチ、信濃ではムジナとするなど、地域によって動物の化生説が伝わる。『宿直草』『煙霞綺談』『古今百物語評判』など江戸期の怪談・随筆にも見える著名な類型で、緋衣をまとい一丈に及ぶ姿を語る『煙霞綺談』のように大入道と重なる記述も多く、地方では両者を混同して伝える。

しやうけら

しやうけら

名妖

しょうけら

庚申待の天窓覗き・しょうけら

霊・亡霊『百怪図巻』『画図百鬼夜行』、庚申信仰、絵巻発祥

江戸期の妖怪絵巻『百怪図巻』『画図百鬼夜行』に描かれる妖怪。作中に解説はなく詳細不明だが、庚申待の民間信仰と関わりが指摘される。庚申の夜、人の体内の三尸が天へ昇り罪を告げるとされ、早寝は禍を招くと畏れられた。しょうけらはこの夜に害をなす存在、あるいは三尸そのものと解され、監視・懲罰の役割を帯びる像として理解されている。

へうすへ

へうすへ

珍しい

ひょうすべ

九州川辺の毛河童・へうすへ

へうすへ(ひょうすべ)は、九州各地に伝わる、水辺にかかわる毛深い妖怪である。河童と同類、あるいは近い仲間とされ、彼岸のころに川から山へと行き来するともいう。「ヒョーヒョー」と鳥のように鳴くことから、その名がついたと語られる。茄子(なす)を好み、初物の茄子を供える習俗が一部に残る。人家の風呂に忍び込んで湯を使い、あとの湯に体毛が大量に浮いていた、という話がよく知られ、その姿を見た者は熱病にかかるとも伝えられる。

わいら

わいら

珍しい

わいら

牛似の鉤爪獣・わいら

山野の怪茨城県

江戸期の妖怪絵巻に図像のみが伝わり、解説文をもたない謎めいた獣形の怪。佐脇嵩之『百怪図巻』(元文2年・1737年)をはじめとする「化物尽くし」系の絵巻に古く描かれ、のち鳥山石燕『画図百鬼夜行』(安永5年・1776年)の「陰」の巻にも収められた。肥えた牛のような巨躯の上半身に、前肢へ一本ずつ伸びる太く鋭い鉤爪を備え、地に這いつくばる姿で表される。いずれの絵巻でも下半身は土に没するか省かれ、全身像は判然としない。名の由来も性質も本文に記されず、しばしば隣の図「おとろし」と対をなして並べられることから、後世には恐怖そのものを形にした獣と解されることもある。ただし、これは図像の配置から想像された解釈にすぎず、近世の文献に確たる典拠を欠く点に注意を要する。読みは「わいら」のほか「わいわ」とも伝わるが、語義・名義ともに確定した説はなく、石燕も命名の由来をなにも語っていない。

おとろし

おとろし

名妖

おとろし

前髪に顔覆う・おとろし

総称・汎称江戸期妖怪絵巻発祥の語呂先行の怪。鳥居上の図像から近代に意味が後付けされ、一次伝承の裏づけを欠く

江戸期の妖怪絵巻に見える、長い乱れ髪に全身を覆われ、前髪で顔を隠した毛むくじゃらの怪。佐脇嵩之『百怪図巻』や鳥山石燕『画図百鬼夜行』に描かれるが、図像のほかに説明文はなく、性質も由来も本来は不詳である。名称は資料ごとに揺れ、『百怪図巻』『化物絵巻』では「おとろし」、『化物づくし』では「おどろおどろ」、『百鬼夜行絵巻』では「毛一杯(けいっぱい)」と記される。多田克己は、『化物づくし』で「おとろ〱」と踊り字を用いた表記が「おとろし」と誤読されたものと指摘し、「おどろおどろし(気味が悪い)」と関西方言「おとろし(恐ろしい)」とは意味上の差が小さいとする。村上健司は、棘のように乱れた「棘髪(おどろがみ)」の語感も名に重なるとみる。怖さと乱れ髪の語感が幾重にも畳み込まれた、語呂先行の妖怪といえる。

塗仏

塗仏

名妖

ぬりぼとけ

仏壇より出る垂目僧・塗仏

住居・器物出自不詳 (無詞書・絵姿先行型)

江戸期の妖怪絵巻に見える黒い僧形の怪。全身が墨を塗ったように黒く、両の眼球が飛び出して下方へ垂れ下がるという異形の貌で描かれる。背に長い髪のようなもの、あるいは魚の尾びれめいたものが添えられる作例もある。佐脇嵩之『百怪図巻』(元文2年・1737年)に先行作例があり、鳥山石燕『画図百鬼夜行』にも採られた。ただしいずれの資料にも詞書(解説文)が一切付かず、どのような妖怪を意図して描いたものかは本来不明である。石燕本では仏壇の内から這い出る構図で描かれ、これが「塗仏」の名を仏に重ねて理解させる手掛かりとなったが、仏壇を描き添えたのは石燕本のみで、その配置が石燕自身の連想によるものか、当時一般に共有された観念なのかは判然としない。後年は仏壇や仏具に宿る霊の怪、あるいは手入れを怠った仏壇への戒めと解されることもあるが、いずれも史料上の確証を欠く、絵姿が先行した妖怪である。

濡女

濡女

名妖

ぬれおんな

磯浜の濡髪女・濡女

濡女(ぬれおんな)は海辺や川辺に現れる、蛇身に女の頭をもつ怪である。腰から下は鱗に覆われた長大な蛇体で、上半身は女、いつも濡れたままの黒髪を垂らし、その名もこの姿に由来する。鳥山石燕『画図百鬼夜行』は風の巻に、長い髪を水に浸した女面の蛇体としてこれを描き、絵巻系統の濡女像を定着させた。石燕に先立つ佐脇嵩之『百怪図巻』ら江戸前期の妖怪絵巻にも蛇体の女怪が見え、絵師の手を経て図像が受け継がれてきた経緯がうかがえる。西日本の海辺では、濡女が抱いた赤子を通りかかった人に押しつけ、受け取った途端それが重い石と化して動けなくする話型が語られ、牛鬼と組んで人を襲う異伝も伝わる。九州の磯女や濡女子(ぬれおなご)と近縁視され、ウミヘビの化身とする説もあるが、蛇体視は主に絵画資料からの解釈で、一次史料の裏づけは乏しいとされる。長い濡れ髪と水辺、抱き子で人を縛る性状が、西日本一帯の水の女怪に共通する核として語り継がれてきた。

ぬらりひょん

ぬらりひょん

伝説

ぬらりひょん

妖怪総大将のぬらりひょん

人妖・半人半妖秋田県

ぬらりひょんは、大きくふくらんだ禿頭をもつ老人風の姿と、その名が江戸時代の妖怪図像に残る存在である。名の響きから「つかみどころのない大妖怪」を思い浮かべる人も多いが、古い資料がまず伝えるのは、詳しい来歴よりも、強く印象に残る姿と名である。元文2年(1737)の佐脇嵩之『百怪図巻』に描かれた名付きの人型は、制作年を確定できる現存図像の最古級にあたる。安永5年(1776)初刊の鳥山石燕『画図百鬼夜行』も、この老人風の図像を広く伝えた。 これらの図像は、ぬらりひょんの来歴や行動を細かく語らない。その余白に想像が入り、近代には「怪物の親玉」、児童向け図鑑では忙しい家へ上がり込む老人、さらに漫画・アニメでは一派を率いる首領という役割が育った。無言の絵から物語の中心人物へと変わってゆく過程そのものが、ぬらりひょんの大きな魅力である。 名称の歴史も単純ではない。『精選版日本国語大辞典』は、1679年の『西鶴五百韻』に副詞的な「ぬらりひょん」の用例を掲げ、名詞としての化物名には1797年頃の『俚言集覧』を挙げる。秋田には百鬼夜行の一員として名を記す地域資料があり、備讃瀬戸には姿の異なる海上怪異の報告もある。図像、地域資料、近現代受容という複数の層をたどると、同じ名が時代と媒体を越えて豊かな姿を得てきたことが見えてくる。

元興寺の鬼

元興寺の鬼

名妖

がんごうじのおに

奈良元興寺の鐘楼鬼

霊・亡霊奈良県

元興寺の鬼(がんごうじのおに)、通称「がごぜ」は、奈良の元興寺の鐘楼に現れたと伝えられる霊鬼である。説話の核は『日本霊異記』上巻第三縁「雷の憙(よろこび)を得て生ま令めし子の強き力在る縁」に記される。敏達天皇の御代、雷神の申し子として生まれた怪力の童子が、夜ごと鐘楼で寺の童(わらべ)を取り殺す鬼を待ち受け、その髪をつかんで夜明けまで引きずり回し、ついに頭髪を引き剥がして撃退したという。逃げた鬼の血の跡を辿ると、生前から素行の悪かった寺の下男(しもおとこ)の墓に至り、その死霊が霊鬼と化していたことが知れた。剥ぎ取られた髪は寺の宝として伝えられ、童子はのちに得度出家して道場法師となったとされる。鳥山石燕『画図百鬼夜行』では、この怪を「元興寺」の題で僧形の鬼として描いており、寺名そのものが妖怪の名として図像化された珍しい例となっている。なお「鬼」とはいえ角ある悪鬼ではなく、寺に巣くう死霊(霊鬼)であり、これを退治する側に立つのが雷の子=のちの道場法師である点が、この説話の骨格をなす。

苧うに

苧うに

稀少

おうに

山の苧束毛の鬼女・苧うに

山野の怪石燕『画図百鬼夜行』、先行絵巻を写し苧うにと命名、創作

鳥山石燕『画図百鬼夜行』に描かれる毛むくじゃらの鬼女風の妖怪。口が耳まで裂け、全身の毛が束ねた苧(からむし・麻の繊維)を想起させることから名が付いたとされる。石燕の図には解説文がなく性質は不詳。先行する絵巻『百怪図巻』などに類似の図像(「わうわう」「うわんうわん」)があり、その系譜に連なる図像的妖怪として理解される。

青坊主

青坊主

稀少

あおぼうず

山野の一つ目法師・青坊主

総称・汎称長野県

青坊主は各地で名が記録される妖怪の総称で、姿や性質は一定しない。大きな坊主姿、青い体色の法師、あるいは一つ目の法師として語られることが多い。鳥山石燕『画図百鬼夜行』は草庵のかたわらに立つ一つ目の法師として描くが解説文はなく、詳細は不明で、佐脇嵩之『百怪図巻』などの「目一つ坊」を原案とするとの指摘がある。「青」が未熟を意味することから、修行の足りぬ坊主を妖怪化したものとする説もある。動物の化身とされる例、山の神と結びつく例、子どもの戒めに用いられる例など、多様な伝承像を含む。

赤舌

赤舌

名妖

あかした

水門上の黒雲大舌・赤舌

総称・汎称石燕『画図百鬼夜行』、六曜赤口の語呂、絵巻発祥

江戸期の絵巻や双六に見られる妖怪名。黒雲から毛深い顔と大きな舌、爪ある手がのぞく図が通例で、全身像や性質は記述不詳。鳥山石燕『画図百鬼夜行』では水門上に描かれるが解説は付かない。同時代の絵双六『十界双六』や『百鬼夜行絵巻』にも名が見え、近似の図様「赤口」も諸絵巻に描かれる。名称は陰陽道の赤舌神・赤舌日との関係が指摘されるが確証はない。

ぬっぺふほふ

ぬっぺふほふ

名妖

ぬっぺふほふ

一頭身の皺肉塊・ぬっぺふほふ

総称・汎称江戸期絵巻発祥で筋立てある古説話を欠く肉塊妖。駿府城肉人や廃寺出没は昭和以降の付会で一次史料に乏しい

鳥山石燕の『画図百鬼夜行』(安永5年・1776年)や、佐脇嵩之の『百怪図巻』(元文2年・1737年)などの妖怪絵巻に描かれる、一頭身で皺だらけの肉塊のような妖怪。顔と体の区別が曖昧で、目・鼻・耳をはっきりと欠くものとして記される。石燕本では「ぬっぺふほふ」と表記されるが、先行・並行する諸絵巻では「ぬっぺっぽう」と出るのが本来で、両者の名は本来別系統だとする指摘もある。絵巻には名と図が示されるのみで解説の文を欠き、その性質や来歴は判然としない。名称の語感や姿の類似から、のっぺらぼうの古い形・一類として言及されることが多い。妖怪研究家の多田克己は、人に近づくときは姿を取り繕い、油断したところで醜い正体を現す「だまし」の怪としてその本質を読み解いている。

牛鬼

牛鬼

伝説

うしおに

牛頭蜘蛛体の海鬼・牛鬼

動物変化愛媛県高知県

牛鬼(うしおに)は、主に西日本の海岸や淵、山間部に現れるとされる、日本妖怪の中でも屈指の獰猛さと霊格を持つ存在である。姿は「牛の頭に鬼の胴」あるいは「蜘蛛の胴体に牛の首」など多様な異形として描かれる。古くは平安時代の『枕草子』において「おそろしきもの」として名指しされており、古来より人々に深く畏怖されてきた。その本質は、無差別に人を喰らい毒気を撒き散らす「残忍な悪鬼・疫病神」としての顔と、祭礼において神輿を先導し悪魔祓いを行う「強力な守護神」としての顔という、極端な両義性(善悪の二面性)を併せ持つ点にある。文献上の怪異から、地域の民俗信仰・芸能の対象へと変遷を遂げた、民俗学的に極めて重要な妖怪である。

うわん

うわん

名妖

うわん

廃屋でうわんと叫ぶ・うわん

住居・器物出自不詳 ── 江戸期妖怪絵巻にのみ見える廃屋の音怪

うわんは、江戸期の妖怪画に見られる正体未詳の妖怪。佐脇嵩之『百怪図巻』や鳥山石燕『画図百鬼夜行』に、鉄漿を付けた人物風の姿で両手を挙げ、声で脅かすように描かれる。解説文は付されず来歴は不明だが、屋敷の塀や廃屋の背景から「屋敷に出る怪」と解されることがある。三本指の描写は鬼性を示唆する説もあるが定説ではない。