九尾の狐
きゅうびのきつね
白面金毛の九尾狐
九尾の狐は、狐が長い年月を経て霊力を高め、尾を九つに分けたとされる妖狐である。ただし、その名は単に「尾の多い化け狐」を指すだけではない。日本の妖怪図像の中では、九尾の狐は狐信仰、稲荷信仰、狐憑き、王権を惑わす美女譚、そして玉藻前から殺生石へ至る物語を結びつける、もっとも大きな狐の像である。 源流をたどると、中国古典『山海経』南山経の青丘山に、狐に似て九つの尾を持ち、声は嬰児のようで人を食う獣が見える。ここでの九尾狐は怪物であると同時に、古代中国では太平の世に現れる瑞獣としても語られた。後代の中国・日本の文献は、この吉祥の狐と人を惑わす凶狐を重ね、九尾の狐を「めでたい神獣」と「国を傾ける妖狐」の両方に育てていった。 日本に入った狐の観念は、二つの方向へ広がる。一方には、稲荷大神の使いとして祀られ、田畑・商売・家内安全を守る白狐がある。伏見稲荷大社が語るように、稲荷信仰は奈良時代の和銅4年(711)に稲荷山へ神が鎮まったとする由緒を持ち、今も全国に約3万社といわれるほど広い信仰圏を持つ。もう一方には、人を化かし、人に憑き、家筋や土地に取りつく野狐・管狐・オサキ・飯綱の系統がある。九尾の狐は、この善狐と凶狐のあいだをまたぐ。神に近い白狐の高貴さを持ちながら、同時に人間社会の奥へ入り込み、権力そのものを揺るがす危うさを持つ。 とくに日本で九尾の狐を決定づけたのが、玉藻前と殺生石の物語である。玉藻前は、鳥羽院の寵愛を受けた絶世の美女として語られ、やがてその正体を狐と見破られて那須野へ逃れ、討たれた後に毒を放つ石になったとされる。ここで大切なのは、九尾の狐、玉藻前、殺生石が同じものではなく、物語上の段階を異にする点である。九尾の狐は本相、玉藻前は宮廷に現れた化身、殺生石は討たれた後の成れの果てである。この三段階が結びつくことで、狐はただ人を化かす動物ではなく、美、知、政治、死、鎮魂までを背負う大妖狐になった。

