百怪図巻|佐脇嵩之が描いた30体の妖怪絵巻

名のある異形が一体ずつ進む、石燕以前の彩色妖怪図鑑

百怪図巻
佐脇嵩之が描いた30体の妖怪絵巻

30体の妖怪

この特集の要点

『百怪図巻』は、佐脇嵩之が元文二年(1737)に描いた彩色の妖怪絵巻です。福岡市博物館の所蔵品解説では、奥書に狩野元信の原本を写したとの記述があり、名を添えた30体の妖怪が描かれます。見越入道、ぬらりひょん、河童、雪女、ろくろ首、猫またなどの図像は、後の鳥山石燕『画図百鬼夜行』と重なるものが多く、妖怪の行列を描く絵巻から、一体ずつを鑑賞する妖怪図鑑へ移る重要な作品です。

石燕より39年前、色彩の中に妖怪が並ぶ

『百怪図巻』は元文二年(1737)、佐脇嵩之が描いた長大な彩色絵巻です。によれば、奥書にはこの巻が狩野元信の原本を写したものだと記され、合計30体の妖怪に名が添えられています。ただし、その奥書の伝承をもって、現存しない原本の作者を断定することはできません。

妖怪たちは一つの事件を演じるのではなく、個別の姿を順に見せます。行列形式の百鬼夜行絵巻と、一頁一体の石燕妖怪画集の間にあるような構成が、本作の大きな魅力です。

巻物であり、妖怪図鑑でもある

絵巻は本来、右から左へ時間と空間を進めながら物語を見せます。『百怪図巻』では、背景を簡略化した空間に一体ずつ妖怪が現れ、それぞれの名が書かれます。見る人は巻を繰りながら姿を比較し、同じ系統の妖怪を覚えることができます。

には長い解説文がほとんどありません。したがって、現在の個別ページにある性格や物語をすべて本巻の詞書から読み取れるわけではなく、別の説話や後世の研究と分ける必要があります。

大きく見下ろすもの――見越入道、ぬらりひょん

巻頭の見越入道をはじめ、しょうけら、ひょうすべ、河童、濡女、元興寺、ぬらりひょんが続きます。人を見下ろす僧形、水辺の異形、名だけでは行動の分からない老人姿など、後世に有名となる妖怪が早くも明確な輪郭を得ています。

ぬらりひょんは後世に「妖怪の総大将」と呼ばれますが、本巻がその肩書を説明しているわけではありません。絵の人物像と後代の性格づけを分けて読む代表例です。

死、家、水辺――火車から塗仏へ

火車、産女、ぬっぺふほふ、おとろし、わいら、山彦、塗仏、苧うに、夢の精霊が並びます。死者を奪う獣、子を託す女、寺社や家の暗がりに現れる異形、声の反響まで、姿をもつ怪と現象に近い怪が同じ巻へ収められています。

色彩は毛、皮膚、衣、炎を見分けやすくし、妖怪ごとの質感を強めます。一方、背景が少ないため、どの土地に現れるかは絵だけでは分かりません。

山と家の境――山姥、犬神、ろくろ首

山姥、犬神、ろくろ首、山童、うわん、赤舌、牛鬼、ふらり火は、山野・家・水辺・怪火を横断します。絵巻の中では一つの世界を進む仲間のように見えても、それぞれの伝承地と成立は異なります。

一つ目、雪、霊、動物変化

後半には一つ目小僧、雪女、幽霊、猫また、野狐、髪切が描かれます。人の身体の一部を変えるもの、自然の白さを女性へ変えるもの、死者、長く生きた動物、髪を切る見えない力が、簡潔な形で区別されます。

鳥山石燕へ受け継がれた図像

1776年の『画図百鬼夜行』には、『百怪図巻』と名・姿の重なる妖怪が多数登場します。石燕は一体ずつを冊子の頁へ移し、筆致を整え、別の資料や怪火・霊魂も加えました。これは単純な複製ではなく、絵巻の図像を出版文化へ再編集する過程です。

旧コレクションには山姥と猫またが地域別バージョンで二重登録され、32体と表示されていました。今回、所蔵館が示す30体の構成に合わせ、一種一件へ校正しました。下の一覧は作品順で、各個別ページでは絵巻の図像と別系統の地域伝承を区別して確認できます。

更新: 2026/7/18
百怪図巻佐脇嵩之妖怪絵巻江戸時代妖怪画鳥山石燕原典

収録妖怪

30体の妖怪が収録されています

この妖怪たちのアートカードも見つかります

全 62 枚のカード — 浮世絵、現代日本…

見越入道

見越入道

名妖

みこしにゅうどう

見上げて伸びる入道・見越入道

鬼・巨怪東京都埼玉県

夜道や坂の突き当たり、四つ辻、石橋、木の上などに現れる入道姿の怪異。見上げれば見上げるほど巨大化し、恐れに囚われた者を脅かす。対処は「見越した」「見抜いた」と唱える、あるいは落ち着いて頭から足へと見下ろすなどが知られる。正体は一定せず、『宿直草』ではタヌキの変化、福島県南会津郡檜枝岐村ではイタチ、信濃ではムジナとするなど、地域によって動物の化生説が伝わる。『宿直草』『煙霞綺談』『古今百物語評判』など江戸期の怪談・随筆にも見える著名な類型で、緋衣をまとい一丈に及ぶ姿を語る『煙霞綺談』のように大入道と重なる記述も多く、地方では両者を混同して伝える。

しやうけら

しやうけら

名妖

しょうけら

庚申待の天窓覗き・しょうけら

霊・亡霊『百怪図巻』『画図百鬼夜行』、庚申信仰、絵巻発祥

江戸期の妖怪絵巻『百怪図巻』『画図百鬼夜行』に描かれる妖怪。作中に解説はなく詳細不明だが、庚申待の民間信仰と関わりが指摘される。庚申の夜、人の体内の三尸が天へ昇り罪を告げるとされ、早寝は禍を招くと畏れられた。しょうけらはこの夜に害をなす存在、あるいは三尸そのものと解され、監視・懲罰の役割を帯びる像として理解されている。

へうすへ

へうすへ

珍しい

ひょうすべ

九州川辺の毛河童・へうすへ

へうすへ(ひょうすべ)は、九州各地に伝わる、水辺にかかわる毛深い妖怪である。河童と同類、あるいは近い仲間とされ、彼岸のころに川から山へと行き来するともいう。「ヒョーヒョー」と鳥のように鳴くことから、その名がついたと語られる。茄子(なす)を好み、初物の茄子を供える習俗が一部に残る。人家の風呂に忍び込んで湯を使い、あとの湯に体毛が大量に浮いていた、という話がよく知られ、その姿を見た者は熱病にかかるとも伝えられる。

河童

河童

伝説

かっぱ

川辺の皿頭・河童

河童は、川や池、沼などの水辺に棲むとされる、日本でもっとも名高い妖怪の一つである。背丈は四、五歳の子どもほどで、頭の上に水をたたえた皿(さら)をいただき、背に甲羅、口は嘴(くちばし)、手足には水かきをもつ。体は緑や赤がかった色で、生臭いともいう。この頭の皿こそが力の源で、皿の水がこぼれたり乾いたりすると、たちまち力を失うと信じられてきた。それゆえ、河童に深くお辞儀を返させて皿の水をこぼさせ、捕らえるという知恵も語り継がれた。 河童には、人や馬を水へ引きずり込んで命を奪う恐ろしい一面と、約束を固く守り、相撲を好み、ときに接骨の妙薬を伝える律儀な一面とがある。全国に広く分布し、土地ごとにガラッパ、メドチ、エンコウ、ヒョウスベなど、八十をこえる呼び名をもつ。日本の妖怪のなかでも、これほど深く地域に根を張った存在は珍しい。

濡女

濡女

名妖

ぬれおんな

磯浜の濡髪女・濡女

濡女(ぬれおんな)は海辺や川辺に現れる、蛇身に女の頭をもつ怪である。腰から下は鱗に覆われた長大な蛇体で、上半身は女、いつも濡れたままの黒髪を垂らし、その名もこの姿に由来する。鳥山石燕『画図百鬼夜行』は風の巻に、長い髪を水に浸した女面の蛇体としてこれを描き、絵巻系統の濡女像を定着させた。石燕に先立つ佐脇嵩之『百怪図巻』ら江戸前期の妖怪絵巻にも蛇体の女怪が見え、絵師の手を経て図像が受け継がれてきた経緯がうかがえる。西日本の海辺では、濡女が抱いた赤子を通りかかった人に押しつけ、受け取った途端それが重い石と化して動けなくする話型が語られ、牛鬼と組んで人を襲う異伝も伝わる。九州の磯女や濡女子(ぬれおなご)と近縁視され、ウミヘビの化身とする説もあるが、蛇体視は主に絵画資料からの解釈で、一次史料の裏づけは乏しいとされる。長い濡れ髪と水辺、抱き子で人を縛る性状が、西日本一帯の水の女怪に共通する核として語り継がれてきた。

元興寺の鬼

元興寺の鬼

名妖

がんごうじのおに

奈良元興寺の鐘楼鬼

霊・亡霊奈良県

元興寺の鬼(がんごうじのおに)、通称「がごぜ」は、奈良の元興寺の鐘楼に現れたと伝えられる霊鬼である。説話の核は『日本霊異記』上巻第三縁「雷の憙(よろこび)を得て生ま令めし子の強き力在る縁」に記される。敏達天皇の御代、雷神の申し子として生まれた怪力の童子が、夜ごと鐘楼で寺の童(わらべ)を取り殺す鬼を待ち受け、その髪をつかんで夜明けまで引きずり回し、ついに頭髪を引き剥がして撃退したという。逃げた鬼の血の跡を辿ると、生前から素行の悪かった寺の下男(しもおとこ)の墓に至り、その死霊が霊鬼と化していたことが知れた。剥ぎ取られた髪は寺の宝として伝えられ、童子はのちに得度出家して道場法師となったとされる。鳥山石燕『画図百鬼夜行』では、この怪を「元興寺」の題で僧形の鬼として描いており、寺名そのものが妖怪の名として図像化された珍しい例となっている。なお「鬼」とはいえ角ある悪鬼ではなく、寺に巣くう死霊(霊鬼)であり、これを退治する側に立つのが雷の子=のちの道場法師である点が、この説話の骨格をなす。

ぬらりひょん

ぬらりひょん

伝説

ぬらりひょん

妖怪総大将のぬらりひょん

人妖・半人半妖秋田県

ぬらりひょんは、大きくふくらんだ禿頭をもつ老人風の姿と、その名が江戸時代の妖怪図像に残る存在である。名の響きから「つかみどころのない大妖怪」を思い浮かべる人も多いが、古い資料がまず伝えるのは、詳しい来歴よりも、強く印象に残る姿と名である。元文2年(1737)の佐脇嵩之『百怪図巻』に描かれた名付きの人型は、制作年を確定できる現存図像の最古級にあたる。安永5年(1776)初刊の鳥山石燕『画図百鬼夜行』も、この老人風の図像を広く伝えた。 これらの図像は、ぬらりひょんの来歴や行動を細かく語らない。その余白に想像が入り、近代には「怪物の親玉」、児童向け図鑑では忙しい家へ上がり込む老人、さらに漫画・アニメでは一派を率いる首領という役割が育った。無言の絵から物語の中心人物へと変わってゆく過程そのものが、ぬらりひょんの大きな魅力である。 名称の歴史も単純ではない。『精選版日本国語大辞典』は、1679年の『西鶴五百韻』に副詞的な「ぬらりひょん」の用例を掲げ、名詞としての化物名には1797年頃の『俚言集覧』を挙げる。秋田には百鬼夜行の一員として名を記す地域資料があり、備讃瀬戸には姿の異なる海上怪異の報告もある。図像、地域資料、近現代受容という複数の層をたどると、同じ名が時代と媒体を越えて豊かな姿を得てきたことが見えてくる。

火車

火車

名妖

かしゃ

葬列を襲う化け猫・火車

霊・亡霊岩手県群馬県

葬式・葬列や墓場に現れ、棺や亡骸を奪うとされる妖怪。近世初期には地獄の獄卒や雷神の所為として語られ、黒雲や雷とともに死体をさらうとされた。語の本義は悪人を地獄へ運ぶ仏教の「火の車」に由来するが、のちに猫又伝承と習合し、老いた猫が火車となって遺骸を狙うとする説が広まった。善悪の応報に必ずしも限定されず、葬送の怪として全国で事例が報告される。対策として刃物・数珠・盛土や夜伽の見張りなどが伝わる。

産女

産女

名妖

うぶめ

渡し場で赤子を託す産女

霊・亡霊出産時・産後に亡くなった女性の霊/全国各地。中世『今昔物語集』に著名な早期例がある。

産女(うぶめ)は、出産の最中や産後まもなく亡くなった女性の霊が、赤子を抱く姿で現れるとされた日本の怪異である。多くの話では、夜の渡し場・橋・辻などで通行人を呼び止め、「この子を抱いてほしい」と頼む。受け取った赤子が急に重くなる、木の葉や石に変わる、最後まで抱き通した者が怪力や財を授かるなど、結末は土地と文献によって異なる。したがって産女は、ただ人を襲う悪霊ではない。出産で断たれた母子の縁、死者への恐れ、頼みを引き受ける者の勇気や慈悲を、一つの遭遇譚に集めた存在である。 現存する著名な早期例は、十二世紀前半ごろ成立した『今昔物語集』巻二十七第四十三話「頼光郎等平季武値産女語」である。源頼光が美濃守であった時、郎等の平季武が肝試しのため闇夜の渡しへ赴き、川中で女から赤子を託される。館へ持ち帰って袖を開くと、そこにあったのは少しの木の葉だった。説話の末尾は、産女を狐の変化とする説と、出産時に死んだ女の霊とする説を並べ、正体を一つに決めていない。この段階では、後世に有名となる血染めの腰巻や鳥の羽もまだ描かれていない。 一方、「姑獲鳥」と書いて「うぶめ」と読む表記には注意が要る。唐代の『酉陽雑俎』巻十六に見える夜行遊女は、羽毛を着れば鳥、脱げば女となり、人の子を取る中国の怪鳥である。赤子と産死者に関わる点から、日本の産女と重ねられたが、もとは別系統の存在だった。安井眞奈美の研究によれば、中国の姑獲鳥に日本語名を当てた林羅山は、寛永8年(1631年)の『新刊多識編』で初めて「姑獲鳥」を「うぶめ鳥」または鵺と明示した。日本の産女が「自分の赤子を人に託す母の霊」を核とするのに対し、中国の姑獲鳥は「他人の子を奪う鳥怪」を核とする。この違いを押さえると、産女という妖怪が中世説話、産死者供養、中国由来の怪鳥知識、近世の妖怪画を重ねながら形を変えたことが見えてくる。

ぬっぺふほふ

ぬっぺふほふ

名妖

ぬっぺふほふ

一頭身の皺肉塊・ぬっぺふほふ

総称・汎称江戸期絵巻発祥で筋立てある古説話を欠く肉塊妖。駿府城肉人や廃寺出没は昭和以降の付会で一次史料に乏しい

鳥山石燕の『画図百鬼夜行』(安永5年・1776年)や、佐脇嵩之の『百怪図巻』(元文2年・1737年)などの妖怪絵巻に描かれる、一頭身で皺だらけの肉塊のような妖怪。顔と体の区別が曖昧で、目・鼻・耳をはっきりと欠くものとして記される。石燕本では「ぬっぺふほふ」と表記されるが、先行・並行する諸絵巻では「ぬっぺっぽう」と出るのが本来で、両者の名は本来別系統だとする指摘もある。絵巻には名と図が示されるのみで解説の文を欠き、その性質や来歴は判然としない。名称の語感や姿の類似から、のっぺらぼうの古い形・一類として言及されることが多い。妖怪研究家の多田克己は、人に近づくときは姿を取り繕い、油断したところで醜い正体を現す「だまし」の怪としてその本質を読み解いている。

おとろし

おとろし

名妖

おとろし

前髪に顔覆う・おとろし

総称・汎称江戸期妖怪絵巻発祥の語呂先行の怪。鳥居上の図像から近代に意味が後付けされ、一次伝承の裏づけを欠く

江戸期の妖怪絵巻に見える、長い乱れ髪に全身を覆われ、前髪で顔を隠した毛むくじゃらの怪。佐脇嵩之『百怪図巻』や鳥山石燕『画図百鬼夜行』に描かれるが、図像のほかに説明文はなく、性質も由来も本来は不詳である。名称は資料ごとに揺れ、『百怪図巻』『化物絵巻』では「おとろし」、『化物づくし』では「おどろおどろ」、『百鬼夜行絵巻』では「毛一杯(けいっぱい)」と記される。多田克己は、『化物づくし』で「おとろ〱」と踊り字を用いた表記が「おとろし」と誤読されたものと指摘し、「おどろおどろし(気味が悪い)」と関西方言「おとろし(恐ろしい)」とは意味上の差が小さいとする。村上健司は、棘のように乱れた「棘髪(おどろがみ)」の語感も名に重なるとみる。怖さと乱れ髪の語感が幾重にも畳み込まれた、語呂先行の妖怪といえる。

わいら

わいら

珍しい

わいら

牛似の鉤爪獣・わいら

山野の怪茨城県

江戸期の妖怪絵巻に図像のみが伝わり、解説文をもたない謎めいた獣形の怪。佐脇嵩之『百怪図巻』(元文2年・1737年)をはじめとする「化物尽くし」系の絵巻に古く描かれ、のち鳥山石燕『画図百鬼夜行』(安永5年・1776年)の「陰」の巻にも収められた。肥えた牛のような巨躯の上半身に、前肢へ一本ずつ伸びる太く鋭い鉤爪を備え、地に這いつくばる姿で表される。いずれの絵巻でも下半身は土に没するか省かれ、全身像は判然としない。名の由来も性質も本文に記されず、しばしば隣の図「おとろし」と対をなして並べられることから、後世には恐怖そのものを形にした獣と解されることもある。ただし、これは図像の配置から想像された解釈にすぎず、近世の文献に確たる典拠を欠く点に注意を要する。読みは「わいら」のほか「わいわ」とも伝わるが、語義・名義ともに確定した説はなく、石燕も命名の由来をなにも語っていない。

山彦

山彦

名妖

やまびこ

山中で声を返す・山彦

自然現象・自然霊長野県

山彦(やまびこ)は、山や谷で発した声や音が遅れて返る反響を、山の精や木霊が応じたものと捉えた怪。正体は自然の反響と理解されつつも、各地では山の神の眷属、木の霊、あるいは山中の怪として語り継がれた。鳥山石燕は『画図百鬼夜行』にこれを「幽谷響(やまびこ)」と題し、犬のような獣の姿で描いて、声の反響を一個の妖怪として視覚化した。呼びかけに同じ言葉で返す存在として、畏敬と警戒の対象となってきた。

塗仏

塗仏

名妖

ぬりぼとけ

仏壇より出る垂目僧・塗仏

住居・器物出自不詳 (無詞書・絵姿先行型)

江戸期の妖怪絵巻に見える黒い僧形の怪。全身が墨を塗ったように黒く、両の眼球が飛び出して下方へ垂れ下がるという異形の貌で描かれる。背に長い髪のようなもの、あるいは魚の尾びれめいたものが添えられる作例もある。佐脇嵩之『百怪図巻』(元文2年・1737年)に先行作例があり、鳥山石燕『画図百鬼夜行』にも採られた。ただしいずれの資料にも詞書(解説文)が一切付かず、どのような妖怪を意図して描いたものかは本来不明である。石燕本では仏壇の内から這い出る構図で描かれ、これが「塗仏」の名を仏に重ねて理解させる手掛かりとなったが、仏壇を描き添えたのは石燕本のみで、その配置が石燕自身の連想によるものか、当時一般に共有された観念なのかは判然としない。後年は仏壇や仏具に宿る霊の怪、あるいは手入れを怠った仏壇への戒めと解されることもあるが、いずれも史料上の確証を欠く、絵姿が先行した妖怪である。

苧うに

苧うに

稀少

おうに

山の苧束毛の鬼女・苧うに

山野の怪石燕『画図百鬼夜行』、先行絵巻を写し苧うにと命名、創作

鳥山石燕『画図百鬼夜行』に描かれる毛むくじゃらの鬼女風の妖怪。口が耳まで裂け、全身の毛が束ねた苧(からむし・麻の繊維)を想起させることから名が付いたとされる。石燕の図には解説文がなく性質は不詳。先行する絵巻『百怪図巻』などに類似の図像(「わうわう」「うわんうわん」)があり、その系譜に連なる図像的妖怪として理解される。

夢のせいれい

夢のせいれい

珍しい

ゆめのせいれい

寝所に夢運ぶ・夢のせいれい

自然現象・自然霊民俗典拠なし、夢の精霊を想定した近現代創作

夢にまつわる精霊と解され、夜ごと人の寝所に近づき、吉凶を帯びた夢想をもたらす存在とされる。杖をつき手招く姿で描かれる例が伝わるが、具体の名や性格は一定せず、夢そのものの霊格化として語られることが多い。江戸期の絵巻に名が見えるとされるが、対応する図像は明定せず、記録も少なく由来は不詳。

山姥

山姥

伝説

やまんば

深山の老婆・山姥

山野の怪神奈川県

山姥(やまうば・やまんば)は、深山に棲むと伝えられる老女の姿をした怪。長い白髪を乱し、口が耳まで裂けた鬼婆として描かれる一方、山の幸を授け富をもたらす「山母」としても語られ、人を喰う恐ろしさと福徳を与える慈悲との二面を併せ持つ。鳥山石燕『画図百鬼夜行』や佐脇嵩之『百怪図巻』は、子を抱き、あるいは髪を振り乱した山中の老女としてその像を伝える。坂田金時(金太郎)の母とする近世の伝承でも知られ、単なる人喰いの鬼にとどまらない複雑な性格を帯びる。

犬神

犬神

伝説

いぬがみ

憑物筋の犬神

動物変化徳島県高知県

犬神は西日本を中心に分布する犬霊の憑き物で、狐憑き・管狐などと並ぶ強力な憑霊とされた。四国、とくに徳島・高知・愛媛などで本場視され、島根・山口から九州、薩南諸島や沖縄にも分布する。家筋に憑き続ける「犬神筋」の観念が強く、婚姻に際して家筋が調べられるなど、通婚忌避や差別と結びついた負の社会史を伴った。姿はハツカネズミほどの斑のある小獣とする説が主で、鼬状・蝙蝠状など地域差が大きい。

ろくろ首

ろくろ首

伝説

ろくろくび

近世文献と飛頭伝承のろくろ首

人妖・半人半妖福井県熊本県

ろくろ首は、夜になると首が異様に長く伸びる妖怪として知られている。けれども、古い本を年代順に読むと、その姿は一つではない。頭が胴体から完全に離れて空を飛ぶ「抜け首」に近いもの、眠っている本人には夢としか思えないもの、頭と胴が細い筋でつながって見えるもの、そして長い首を自在に伸ばすものが、同じ「ろくろ首」という名の周りに集まっている。 現在確認できる早い語形候補は、俳諧集『鷹筑波』巻二に見える「ろくろ首」で、『日本国語大辞典』は1638年の用例として掲げている。ただし、同書には1642年とする現存書誌もあるため、絶対的な初出と断言するには原本の再確認が必要である。1648年『正章千句』には「轆轤頸」、1677年『諸国百物語』には「越前国府中ろくろ首」という題が確認できる。こうした早期例から、17世紀半ばから後半にかけて名称が広がっていたことが分かる。 越前を舞台にした『曾呂利物語』では、夜道で女の首に出会った男がそれを追い、首が家へ飛び込むと、眠っていた女は男に追われる恐ろしい夢を見たと語る。女は自分の妄念を恥じて仏道へ入るが、嫉妬で怪物になったとは書かれていない。ここでの怪異は、人間の心や魂が眠る身体を離れたような出来事である。 中国の『捜神記』には、夜に頭が飛び、明け方に胴へ戻る「落頭民」の女が登場する。『酉陽雑俎』の「飛頭獠子」は、首に赤い糸の輪のような痕を生じ、頭に翼をつけて飛び、蟹や蚯蚓を食べる。これらは日本の離頭型とよく似ているが、中国の伝承がそのまま日本妖怪へ変わったと証明されているわけではない。日本では漢籍の知識、怪談、絵本、滑稽な黄表紙が重なり、複数のろくろ首像が形作られていった。 1737年の『百怪図巻』は「ぬけくび」を描き、鳥山石燕は1776年初版の『画図百鬼夜行』で「飛頭蛮」に「ろくろくび」と読ませた。石燕の絵では、眠る女性の胴と浮かぶ頭が細い筋で結ばれる。こうした線が、やがて長い首として表されたと考える研究がある。1788年『狂言末広栄』では、恋い慕う女性の首が江戸から上方へ伸び、恐怖より笑いを生む。 小泉八雲が1904年の『怪談』に収めた「Rokuro-Kubi」は、長首の美女ではない。武士から僧となったKwairyōが甲斐の山中で、五人の首なしの身体と林を飛び回る五つの頭に出会い、一体の胴を動かして帰還を妨げ、襲ってきた頭と戦う。この作品の直接の原話は、十返舎一九『怪物輿論』巻四の一話である。赤い文字、胴を動かす対処、夜明けまでに限られた力は、この作品系統に属する要素である。

山童

山童

名妖

やまわろ

西日本山中の童子・山童

山野の怪肥後国(現·熊本県芦北·球磨·天草) ── 河童が山入りした山童、九州山地に分布

山童(やまわろ)は、西日本の山地に伝わる妖怪で、河童が秋に山へ入った姿だと語られることが多い。子どもほどの背丈に長い脚、全身に細かな毛を生やし、人の言葉を解すという。『和漢三才図会』は、赤褐色の長い髪に丸顔、犬のように尖った耳をもち、鼻の上にただ一つの目をもつ姿を記している。山仕事をよく手伝う一方、相撲を好み、牛馬に悪戯をし、人家に上がりこんで湯に入るともいう。熊本では、大工の使う墨壺(すみつぼ)の墨線を嫌い、それを引いておけば近づかないと伝えられる。

うわん

うわん

名妖

うわん

廃屋でうわんと叫ぶ・うわん

住居・器物出自不詳 ── 江戸期妖怪絵巻にのみ見える廃屋の音怪

うわんは、江戸期の妖怪画に見られる正体未詳の妖怪。佐脇嵩之『百怪図巻』や鳥山石燕『画図百鬼夜行』に、鉄漿を付けた人物風の姿で両手を挙げ、声で脅かすように描かれる。解説文は付されず来歴は不明だが、屋敷の塀や廃屋の背景から「屋敷に出る怪」と解されることがある。三本指の描写は鬼性を示唆する説もあるが定説ではない。

赤舌

赤舌

名妖

あかした

水門上の黒雲大舌・赤舌

総称・汎称石燕『画図百鬼夜行』、六曜赤口の語呂、絵巻発祥

江戸期の絵巻や双六に見られる妖怪名。黒雲から毛深い顔と大きな舌、爪ある手がのぞく図が通例で、全身像や性質は記述不詳。鳥山石燕『画図百鬼夜行』では水門上に描かれるが解説は付かない。同時代の絵双六『十界双六』や『百鬼夜行絵巻』にも名が見え、近似の図様「赤口」も諸絵巻に描かれる。名称は陰陽道の赤舌神・赤舌日との関係が指摘されるが確証はない。

牛鬼

牛鬼

伝説

うしおに

牛頭蜘蛛体の海鬼・牛鬼

動物変化愛媛県高知県

牛鬼(うしおに)は、主に西日本の海岸や淵、山間部に現れるとされる、日本妖怪の中でも屈指の獰猛さと霊格を持つ存在である。姿は「牛の頭に鬼の胴」あるいは「蜘蛛の胴体に牛の首」など多様な異形として描かれる。古くは平安時代の『枕草子』において「おそろしきもの」として名指しされており、古来より人々に深く畏怖されてきた。その本質は、無差別に人を喰らい毒気を撒き散らす「残忍な悪鬼・疫病神」としての顔と、祭礼において神輿を先導し悪魔祓いを行う「強力な守護神」としての顔という、極端な両義性(善悪の二面性)を併せ持つ点にある。文献上の怪異から、地域の民俗信仰・芸能の対象へと変遷を遂げた、民俗学的に極めて重要な妖怪である。

ふらり火

ふらり火

稀少

ふらりび

無縁仏の炎鳥・ふらり火

自然現象・自然霊出自不詳 ── 鳥山石燕『画図百鬼夜行』の怪火

ふらり火は、江戸期の妖怪画に描かれた怪火で、炎に包まれた鳥の姿として示される。鳥山石燕『画図百鬼夜行』の画は顔がインド神話の迦楼羅を思わせ、佐脇嵩之『百怪図巻』や作者不詳『化物づくし』にも作例が見られる。いずれも解説文は乏しく性状は明確でない。一般には供養を受けぬ霊が彷徨い、火として顕れる現象と解され、異形の鳥面はその象徴的表現とされる。

一つ目小僧

一つ目小僧

名妖

ひとつめこぞう

額の単眼坊主・一つ目小僧

山野の怪片目片足の山神信仰の零落、事八日俗信、全国分布

額の中央に大きな一つ目を据えた、坊主頭の童子の姿で現れる妖怪。人に害を加えるよりも、夜道や辻、空き屋敷などに不意に現れて「わっ」と人を驚かす程度の、比較的おとなしい部類に数えられ、からかさ小僧などと同様、ユーモラスに描かれることも多い。豆を嫌うとする俗信は、節分の豆まきや語呂合わせに由来するとみられ、これがのちに豆腐を好む像へ転じて、近世末以降「豆腐小僧」と重ねて語られるようにもなった。江戸の絵巻や随筆には一つ目の小坊主の怪が散見され、屋内の掛物に戯れる姿から、路傍にぬっと立つ姿までさまざまに記される。舌を長く垂らし、片手に番傘や盆を持つ図様は、同じく一つ目の妖怪である豆腐小僧と通じ合い、近世後期の黄表紙や錦絵では両者の像がしばしば重ね描きされた。一方で民俗学では、この愛嬌ある妖怪の背後に古い信仰の影が見いだされてきた。柳田國男は、一つ目という異形を単なる怪異とみず、かつて神に捧げられた者の片目を損なう古俗や、製鉄など特殊な生業の痕跡が、神の零落とともに妖怪へと姿を変えた残響として読み解いた。

雪女

雪女

伝説

ゆきおんな

雪景と異伝の雪女

自然現象・自然霊新潟県東京都

雪女は、雪の夜、吹雪の山道、白く埋もれた村に、女性の姿をとって現れる怪異である。白衣の若い美女が冷たい息で人を凍らせる姿はよく知られているが、それだけが雪女ではない。長野県蓼科では、人に害をなさず、伐られた大木を夜のうちに谷へ渡して橋にする「積雪の霊女」として語られた。新潟県の記録では、真夜中の雪に血の点々が付いた足跡を残し、出会った者を殺す女となる。秋田では顔ののっぺりした女、群馬県昭和村では泣く子や寝ない子を連れて行くと母親が唱える雪夜の脅し、鳥取県若桜町では大雪に乗って現れる白い女である。同じ名の下に、無害な雪霊、恐ろしい遭遇者、子守の言葉、形だけが一瞬見えるものまでが並んでいる。 名称の歩みは、怪談集より早く俳諧の中に現れる。刊年を確認できる早い印刷例は、山本西武編『鷹筑波』(1642年)の句であり、その後も『毛吹草』『山之井』『崑山集』『増山井』などに「雪女」が重ねて詠まれた。雪景の白さや形を女へ見立てる言葉が、まず俳諧の機知を誘い、やがて怪異を指す名として輪郭を濃くしていったのである。 1685年刊『宗祇諸国物語』巻五は、越後の竹のそばに立つ、一丈ほどの若い白い女を描く。顔、髪、肌、単衣まで透き通るように白く、同行者は雪の精が形を変えたものだと説明する。題名に宗祇の名を掲げるものの、これは15世紀の連歌師が残した旅行記ではなく、宗祇の旅人像を借りて諸国の珍談を語る1685年の仮名草子である。 佐脇嵩之『百怪図巻』(1737年)と鳥山石燕『画図百鬼夜行』(1776年)は、雪女を名札のある一体の妖怪として画面に置いた。石燕の版面には「雪女」の名だけがあり、息で凍らせる、男を誘惑する、火に弱いといった説明はない。妖怪画は姿を共有しやすくしたが、後世の物語をすべて同時に与えたわけではなかった。 今日の代表的な物語は、小泉八雲が1904年の『Kwaidan』に収めた「Yuki-Onna」である。吹雪の渡し小屋で老樵茂作を白い息により凍死させた雪女は、若い巳之吉を見逃し、秘密を守るよう命じる。翌冬には旅の娘お雪として現れ、妻となり、十人の子を育てる。夫が禁じられた夜の記憶を語ると正体を明かすが、子どもたちのために夫の命を奪わず、白い霧となって去る。この婚姻、秘密、母としての情、破約と別離は「八雲のお雪」の物語を深く印象づけた一方、各地の雪女すべてに共通する性格ではない。 雪女という名の魅力は、一つの設定へ閉じないことにある。雪は道を消し、音を吸い、距離と形を変える。その雪を見た人々が、土地と時代に応じて、若い女、母、巨大な顔、揺れる影を見いだしてきた。その重なり全体が雪女である。

幽霊

幽霊

伝説

ゆうれい

柳下に立つ亡霊・幽霊

霊・亡霊死者の未練が現れる霊魂観、『日本霊異記』以来全国普及

幽霊は、死者の魂がこの世に留まって現れる存在の総称であり、成仏できぬまま現世への未練・怨み・弔いの不足を抱えた霊が出没するものとされる。墓所・枕辺・旧居・水辺などに姿を現し、声や面影をもって生者に訴えるという。仏事や供養を経て鎮まるとされる一方、強い情念を残した霊はなかなか去らず、怪異を長引かせると信じられてきた。 今日広く知られる「乱れ髪・白い経帷子・額の三角頭巾(額烏帽子)・力なく垂れた両手・腰から下が消えた足のない姿」という定型は、生まれながらの伝承ではなく、近世の演劇と絵画を通じて段階的に整えられた図像である。足のない幽霊像を始めたのは江戸中期の画家円山応挙(1733-1795)だとする俗説が根強いが、これは後世の付会で、土佐光起による足なき幽霊画の模写が伝わるなど元禄期には先行作例が確認でき、応挙の創始とは言いがたい。柳の下や夏の夜に現れるという連想もまた、芝居小屋と読本・浮世絵が育てた近世的な美意識である。

猫又

猫又

伝説

ねこまた

古猫変化の二股尾・猫又

動物変化栃木県

猫又(ねこまた)は、日本の妖怪のなかでも最も広く知られ、かつ最も複雑な変遷を辿った怪異の一つである。その姿は、歳月を経て巨大化した獣、あるいは尾が二股に裂けた怪猫として描写される。この妖怪の概念には二つの明確な系譜が存在し、一つは鎌倉期の文献に見える「山中に棲む恐ろしい猛獣としての猫又」、もう一つは江戸期以降に定着した「人家で長年飼われた老猫が化けた家妖としての猫又」である。日本の民俗信仰において、ネコは魔性や霊力を秘めた存在と見なされることが多く、その境界を越えた者への畏怖が、この二股の尾を持つ妖怪の姿に結実した。

野狐

野狐

珍しい

やこ

九州群行の下位狐・野狐

動物変化中国道教の狐階位最下位、九州に野狐憑き信仰、概念は渡来

野狐(やこ・のぎつね)は、狐の妖怪のうち最も位の低いものとされ、稲荷神の使いとして敬われる白狐(善狐)の対極に置かれる。野山にすむふつうの狐が年を経て、人を化かしたり憑いたりするようになったもので、江戸時代の狐の位階(天狐・空狐・気狐・野狐)では一番下に数えられた。 上位の狐が姿をもたない霊的な存在とされるのに対し、野狐はただ一つ、目に見える肉の体をもつ狐とされる点に特徴がある。それだけ人の世界に近く、道に迷わせる、化けて驚かす、人に取り憑くといった、身近で具体的な悪さで知られてきた。「野干(やかん)」とも書かれるが、これはもともと仏教の経典でジャッカルを指した言葉が、日本で狐と取りちがえられたものである。

髪切り

髪切り

珍しい

かみきり

江戸夜の頭髪切り・髪切り

山野の怪三重県東京都

髪切り(かみきり)は、人の頭髪を本人に気づかせないまま切り落とす怪異で、黒髪切(くろかみきり)とも呼ばれる。単一の怪物名というより、近世都市で繰り返し報じられた「髪を切られる事件」と、妖怪絵巻に描かれた鋏手・長嘴の図像が重なって成立した名である。佐脇嵩之『百怪図巻』には、くちばしを突き出し、はさみ状の手で髪を断つ鳥虫めいた姿が描かれ、BYU所蔵『Bakemono no e』のKAMIKIRIにも同系の図像が見える。一方、説話・随筆では姿よりも被害の結果が先に立つ。『広文庫』所収の「髪切怪」は、『諸国里人談』が伝える伊勢国松坂・江戸紺屋町の事例や、大田南畝『半日閑話』の下谷・小日向の事例を引き、夜道や屋敷内で元結・髻を保ったまま髪だけが落ちる怪を集成している。髪切りは「髪そのものが妖となる」髪鬼とは異なり、また「網を切る」網切とも異なる。人の身体・身分・容貌に結びつく髪を、見えない何かが断つという都市怪談である。