沖縄の妖怪は、本土とはまったく別の系図に立っている。仏教の地獄絵や神道の祓いに彩られた本土の妖怪に対し、ここ琉球の霊性は、海の彼方の他界ニライカナイから神が来訪し、森の御嶽(うたき)に降り、女たち ── ノロやユタ ── が神と死者の声を媒介する世界だ。四百五十年つづいた琉球王国が独自に育てたこの信仰の地平では、亜熱帯のガジュマルの古木と、珊瑚礁に囲まれた海こそが、霊の住処になる。
民俗学者・柳田國男が晩年の『海上の道』で、稲も椰子の実も宝貝も、日本文化は南の海を渡って来たと説いたとき、その入口に置かれたのもまた、この島々だった。沖縄を辺境とみるのではなく、日本のいちばん古い記憶が露出した場所とみる ── そんなまなざしで、本島から、やんばるの森へ、そして宮古・八重山の離島へと、琉球の神と妖怪をたずねていきたい。
海の彼方から ── 創世神と来訪神
琉球の神話は、海からはじまる。

阿摩美久
阿摩美久(アマミキヨ、アマミク)は、琉球の国土と島々を造ったとされる開闢の神である。海の彼方の他界ニライカナイから渡り来て島々をかたちづくり、人を住まわせ、聖地である御嶽をひらいたと伝わる。対となる男神シネリキヨとともに語られることもあり、両神が日の神の命を受けて国土と人とを生んだとも、阿摩美久一神が創世を担ったとも、文献によって伝えが分かれる。沖縄の信仰世界の最上位に立つ存在であり、ニライカナイから来訪する神キンマモンや、御嶽にあらわれる女神と連なる琉球神道の神統譜の根に位置する。
詳しく見る海の彼方ニライカナイから渡り来て、島々をかたちづくり、七つの御嶽をひらいたと伝わる開闢の神が、阿摩美久(アマミキヨ)である。その名は、首里王府が編んだ古歌謡集『おもろさうし』(1531-1623)[1]に、また琉球初の正史『中山世鑑』(1650)[2]に記される。『おもろさうし』では、あまみきよと対の男神しねりきよの二神が日の神に命じられて国土と人を生んだとうたわれ、『中山世鑑』では阿摩美久一神の創世として語られる ── 二神創世と一神創世のあいだに揺れがあるのは、この出典の違いによる。琉球の他界観には、海の彼方・海底のニライカナイと、天空のオボツカグラという二つの系があり、アマミキヨはその両方を行き来して、天の神の命を地上にもたらす媒介者でもあった。創世神でありながら、本土の伊邪那岐・伊邪那美のように神々を生み連ねる系譜の祖となるのではなく、あくまで「島を造り、御嶽をひらき、人を住まわせた」開拓神としてとどまる点に、琉球神話の独自性がある。アマミキヨは海の聖地・久高島(くだかじま)に最初に降り立ったと伝わり、国頭の安須森御嶽(あすむいうたき)をはじめとする御嶽をひらいた。アマミキヨが最初に降り立ったとされる久高島は、いまも琉球随一の聖地で、かつては十二年に一度、午年に「イザイホー」という神事が行われ、島で生まれ育った女性が神女(ナンチュ)になった(一九七八年を最後に後継者不足で途絶している)。安須森御嶽・斎場御嶽・首里の真玉森御嶽など、王国の聖地とされた御嶽の多くが、このアマミキヨ創世神話に起源を結びつけている。後世、国王が東方の聖地を巡拝する「東御廻り(あがりうまーい)」も、この来訪と国土創成の伝承を地理になぞるものであり、斎場御嶽から海上の久高島を遥拝する聖地の配置そのものが、神話を地に刻んでいる。
海の彼方から来て厄を祓い、豊穣をもたらす ── この「来訪神」の観念は、創世神話のなかだけでなく、いまも各地の祭りのなかに生々しく生きている。神は常にこの世にいるのではなく、年に一度、海や地の底の他界から「訪れる」ものだという感覚である。ニライカナイから来訪する最高神キンマモン(君真物)[3]は、最高位の神女・聞得大君(きこえおおぎみ)に憑いて顕現すると伝わる。十七世紀初めの『琉球神道記』は、天から降りる「キライカナイのキンマンモン」と、海から上る「オボツカグラのキンマンモン」という陰陽二つの相を記しており、この神が天と海の双方から来訪する両義的な存在であったことをうかがわせる。そして、古来このキンマモンと同一の神とみなされてきたのが、海と太陽をつかさどる女神・君手摩(きみてずり)である。神の名なのか祭祀の所作の名なのか、学説は分かれるが、いずれもニライカナイから来訪して王国を守護する神格として崇められてきた。宮古島の島尻では、全身に泥を塗り蔓草をまとったパーントゥが、親(ウヤ)・中(ナカ)・子(フファ)の三体のパーントゥが、ンマリガー(産まれ泉)の底の泥を全身に塗り、住民や新築の家、新生児になすりつけて厄を祓う。泥をつけられるのは災厄を祓われた証で、晴れ着が汚れても人々は喜んで受け入れたという。野原(のばる)地区では、女性や子供が中心の別のかたちのパーントゥが伝わる。これは国の重要無形民俗文化財であり、二〇一八年にユネスコ無形文化遺産「来訪神」に登録された、沖縄県で唯一の存在だ。八重山では、全身を蔓草で覆ったアカマタ・クロマタが、地底の他界から豊年祭に訪れる。西表島の古見や新城島、小浜島、石垣島の宮良で行われるこの祭は、資格を持つ者だけが関わる秘祭で、撮影も口外も固く禁じられ、その全貌はいまも外に出ない。八重山には、旅人の姿で訪れて豊作と長寿を告げるマユンガナシ、笑う弥勒の面をつけて豊年祭を練り歩くミルクといった来訪神もいる。年に一度、海や山の彼方から異形の神が村を訪れ、福をもたらして帰る ── この来訪神の祭は、ニライカナイ信仰がもっとも目に見えるかたちをとった瞬間であり、本土の節分の鬼や、なまはげとも遠く響き合いながら、沖縄では「福を持って来る神」として迎えられてきた。
樹と森の精 ── キジムナーとブナガヤ
海が神の道なら、樹は精霊の住処である。

キジムナー
キジムナーは沖縄本島·奄美諸島周辺で語り継がれる樹木の精霊である。 ガジュマル (沖縄方言「がじゅまる」、 学名 Ficus microcarpa) の古木に宿るとされ、 三、 四歳の幼児ほどの背丈に全身赤毛、 顔も赤く染まった姿で人前に現れると伝えられる。 大宜味村喜如嘉ではブナガヤ、 その他の地域ではブナガイ、 ブナンガヤー、 ミチバタ、 ハンダンミー、 アカガンダー等と呼ばれ、 一見複数の妖怪に見えるが、 民俗学的には同一系譜の存在と整理される。 漁業を得意とし人間と共同で大漁をもたらすが、 魚の左目だけを食べて残りを返す独特の食習を持つ。 タコ·鶏·屁を極度に嫌い、 ガジュマルの樹を伐られると恨みを抱いて一生離れないとされる。 八重山諸島ではキジムナー伝承が確認されず、 沖縄本島文化圏に固有の精霊である。
詳しく見るガジュマルの古木に宿るとされるキジムナーは、赤い髪をした子供の姿で、漁師と友になって大漁をもたらすと伝わる。だが魚の左目ばかりを好んで食べ、タコを極端に嫌い、宿り木を傷つけたり約束を破った者には容赦なく祟るという。夜の海に漂う火の玉として目撃されることもある。妖怪というより、森と海のあわいに棲む精霊であり、人と対等に付き合い、気まぐれに富をもたらし、裏切れば牙をむく ── その距離感が、沖縄の自然観をよく映している。なぜタコを嫌うのか、なぜ左目を好むのかは語られぬまま、ただ「そういうもの」として伝えられてきた ── 理屈で割り切れぬところにこそ、精霊の精霊たるゆえんがある。水木しげるもこのキジムナーに惹かれ、その住むガジュマルの古木を「妖怪の居そうな木だ」と評してスケッチを残し、作品に描いて全国に知らしめた。
沖縄本島北部、深い照葉樹林の広がるやんばるには、キジムナーと近縁のブナガヤが棲む。赤い髪の子供の姿はキジムナーに似るが、ブナガヤは古木そのものというより、森や川そのものに宿る精霊とされ、とりわけ火(ブナガヤ火)を扱う点に特徴がある。夜の山あいに灯のように現れるブナガヤ火を見に行く「アラミ」と呼ばれる肝試しめいた風習もあったと伝わる。大宜味村はこの赤毛の精霊を「ブナガヤの里」の象徴として掲げ、村おこしのイメージキャラクターにもしている ── かつて畏れられた森の精が、いまは村の誇りとして迎えられているのである。樹に宿る木霊(こだま)、古い杓文字が化けた飯笥(みしげー)のような器物の怪も含め、沖縄では身のまわりのあらゆる自然と道具に霊が宿ると考えられてきた。古い杓文字や鍋蓋が年を経て化けるという飯笥(みしげー)のような器物の怪が語られるのも、道具にもいのちが宿るという感覚のあらわれだ。奄美のケンムン(現・鹿児島県)── 頭の皿、相撲好き、ガジュマルを宿とし魚の目を好み、タコを嫌うという、キジムナーとほとんど同型の精霊 ── も含め、これらは黒潮にのって南北に連なる「樹に棲む小さき者」の同祖的な系譜である。奄美は今でこそ鹿児島県だが、かつては琉球王国の版図にあり、霊性は地続きにつながっている。沖縄の精霊が、行政の境ではなく海流と植生の圏でひとつながりであることを、これらの妖怪は静かに物語っている。
海の予言と怪 ── ザン・ヨナタマ
島々をめぐる海には、人の生死を左右する怪が棲む。

ザン
ザンは琉球弧の海に棲むとされる人魚型の霊獣で、方言ではザヌ・ザノとも呼ばれる。その正体は実在の海獣ジュゴンだとされ、八重山から奄美にかけての海域で神の使いとして崇められてきた。美しい女の上半身に魚の下半身を備えた姿で語られることもあり、温和で人を害さない。漁師の網にかかると涙を流して命乞いをし、放してくれた者へは海の異変を告げて報いると伝わる。荒ぶる妖ではなく、人に災いを知らせ命を救う側に立つ、海の守り手としての性格が際立つ存在である。
詳しく見るジュゴンを神聖視した人魚ザンは、八重山の海に現れる。石垣島の野底村で漁師がザンを捕えると、ザンは涙を流して命乞いし、逃がしてもらった礼に「間もなく津波が来る、山へ逃げよ」と告げた。これを信じた野底の人々は山へ逃れて助かり、信じなかった隣村は津波に飲まれて壊滅したと伝わる ── これは一七七一年の明和の大津波の記憶を、海獣の予言譚へと昇華したものだ。ジュゴンは実在の海の獣で、琉球では「ザン」「ザヌ」と呼んで神の使いとされ、その肉は不老長寿の霊薬として珍重され、琉球王へ献上されたという。海草を食み、ときに海面に上半身をもたげるその姿が、人魚の伝説を生んだとも考えられる。沖縄近海のジュゴンは今や絶滅が危ぶまれるほど数を減らし、津波を告げて村を救った神の使いは、いまや人の手で守られる側にまわっている。
同じ津波の記憶でも、宮古の下地島に伝わるヨナタマ[4]は、ザンとはまったく対をなす。漁師がこの海霊を捕え、網の上で炙ろうとした晩、沖から「ヨナタマよ、なぜ帰らぬ」と呼ぶ声がした。ヨナタマは「火に炙られて動けぬ。津波を起こして迎えに来てくれ」と答え、その声を聞いた母子が伊良部島へ逃げた直後、大津波が下地島を飲み込んだ。漁師の家の陥没した跡が、今の「通り池」になったと伝わる。通り池はいまも下地島に残る二つの並んだ池で、地下で海とつながっている。郷土史家・稲村賢敷はヨナタマを「ヨナ(海)+タマ(精霊)」、すなわち海の精霊と解し、柳田國男も自伝『故郷七十年』のなかでこの海霊について書きとめている。炙られた怪が沖の仲間に助けを求め、その応答として津波が来る ── 自然の猛威を、海の生き物どうしの情のやりとりとして語るところに、島の人々の海への畏れと親しみがにじむ。救い手となるザンと、炙られて祟るヨナタマ ── 海の怪は、人の振る舞い次第で守り神にも災いにもなった。ザンとヨナタマがともに記憶する明和の大津波は、一七七一年、八重山・宮古を襲い、石垣島では一万人を超す死者を出したと伝わる未曾有の災害だった。津波で打ち上げられた巨岩「津波石」は今も海岸に点在し、その記憶が、海獣や海霊の予言という物語のかたちで語り継がれてきたのである。海辺にはまた、船尾の綱を伝って忍び込み、長い髪を相手にかぶせて血を吸う磯女(いそおんな)や、夜の海にぬめる黒い影として現れ人を引き込もうとする海坊主も語られた。
火と泥 ── 離島の怪と魔物
本島を離れ、宮古や八重山の島々へ渡ると、怪はいっそう土俗の色を濃くする。

片足ピンザ
片足ピンザ(かたあしピンザ)は、宮古島に伝わるマジムン(魔物)の一種で、後ろ足が一本しかない山羊の妖怪。「ピンザ」は宮古方言で山羊を指す。夜、人通りの絶えた四つ角(ユマタ)に現れ、前足を「ガン」、後ろ足を「グリグリ」と鳴らしながら近づくと伝わる。そして突然ものすごい叫び声を上げ、行き合った人の頭上を一息に跳び越えるという。跳び越えられた者は魂(マブイ)を抜き取られ、正気を失う、あるいは命を落とすとされ、島の人々に長く恐れられてきた存在である。
詳しく見る宮古島の市街の四つ角、地元で「ガングリユマタ」と呼ばれる交差点には、後ろ足が一本しかない山羊の妖怪・片足ピンザが現れたと伝わる。「ピンザ」は宮古の言葉で山羊のこと。前足を「ガン」、後ろ足を「グリグリ」と鳴らしながら現れ、ものすごい叫び声をあげて人の頭上を跳び越える。跳び越えられた者は魂(マブイ)を抜かれ、狂うか死ぬとされた ── これは、動物のマジムンに股の下をくぐられると魂を奪われるという沖縄の禁忌の、もっとも鮮烈なかたちである。なぜ片足になったのかは、虐待された、食用に逃げた、着地に失敗したなど諸説が語られている。沖縄では魂を「マブイ」と呼び、強い衝撃や恐怖で「マブイが落ちる」と、放心し、熱を出し、衰えていくと信じられた。片足ピンザに跳び越えられた者がおかしくなるのも、このマブイを奪われたからだとされ、落ちた魂を呼び戻すには、ユタによる「マブイグミ」の儀式が必要だった。
沖縄では、人をおびやかす魔物を総じてマジムンと呼ぶ。「マジ(魔)+ムン(物)」、すなわち魔の物の意である。豚や赤子、牛や鶏といった身近な姿で夜道に現れ、人の股の下をくぐると魂を抜くとされ、だから動物にもマジムンにも決して股をくぐらせてはならない、という戒めが島じゅうに伝わる ── 沖縄の妖怪を語るうえで、この「股くぐり」の禁忌は欠かせない核である。赤子の姿で這い寄るアカングヮーマジムン、豚の姿のウワーグヮーマジムンなど、身近な家畜や生き物がマジムン化するのが沖縄の特徴だ。アカマター(赤又)は、ハブを捕食する全長二メートルにもなる実在の蛇で、その赤褐色の大蛇が妖怪化したものとされる。夜ごと美しい若者に化けて娘のもとへ通う ── 娘が若者の着物の裾に糸を通した針を刺しておき、翌朝その糸をたどると蛇の穴へ至った、という蛇婿入りの物語で知られる。通われた娘は蛇の子を孕むが、旧暦三月三日に浜へ下りて潮を踏み、その子を流して身を浄めた ── これが沖縄の年中行事「浜下り(はまうり)」の由来のひとつとして語られる。夜ごと通う異類の婿の正体を、針と糸で暴くという筋立ては、本土の三輪山伝説(大物主神の蛇身)とも同型の「蛇婿入り」譚だが、本土の蛇が神婚へと向かうのに対し、沖縄の赤又は祓いと年中行事へ着地する点に地域色がある。蛇を畏れつつ、その子を海へ還して災いを浄めるという発想は、海の彼方を生命の源とする南島の他界観とも響き合っている。憎しみを呪詛に変える生霊・イチジャマ、犬の霊を使う犬神のように、人の心から生まれる怪もある。浜下りは今も旧暦三月三日に行われる年中行事で、女性や子供が浜に出て潮干狩りや禊をする ── その起源に、蛇の子を流すアカマターの物語が結びついているのである。古い杓文字や鍋杓子が化けるミシゲーマジムン、葬具の龕(がん)が牛馬に化ける龕のマジムンなど、道具までもがマジムンになるとされ、夜の辻には人を惑わせて土や潮を食わせるものも出た。憎しみを呪詛に変える生霊・イチジャマ、犬の霊を使う犬神のように、人の心から生まれる怪もある。それらを鎮め、あるいは奪われた魂を呼び戻し、人の世へ送り返すのが、ユタの祈りだった。
ニライカナイの宇宙 ── 御嶽とノロ・ユタ
沖縄の妖怪を理解するには、その背後にある信仰の構造を知らねばならない。

琉球神道、あるいは御嶽信仰と呼ばれるこの体系は、開祖も教典も持たない。核にあるのは、海の彼方(あるいは海底)の他界ニライカナイ[5]である。そこから年の初めに神が訪れて豊穣をもたらし、年の終わりに帰る。生者の魂もそこから来て、死者の魂はそこへ去る。本土の「黄泉」や「常世」が地の底や山の彼方に置かれたのに対し、琉球の他界は水平の海の向こうにある ── この水平の他界観こそ、来訪神信仰やニライカナイ伝承の根にある。御嶽は、その神を迎える聖なる森であり、社殿も神像も置かず、木立や泉、香炉(うこーる)が据えられただけの空間に、神が降りるとされた。村ごとに御嶽があり、その奥には人が立ち入ってはならない「イビ」と呼ばれる最も神聖な場所がある。建物ではなく、自然そのものを聖域とするこのかたちは、本土の神社とは根本から異なる、琉球の祈りの原形である。

神と交わるのは、女たちだった。琉球王国は祭政一致の体制をとり、王の姉妹をはじめとする女性が、地域の祭祀を司る神女・ノロ(祝女)となった。その頂点に立つのが、国家最高の神女・聞得大君である。一方、土着の民間には、死者や祖霊の声を聞き、個人や家の相談に応じるシャーマン・ユタがいた。「医者半分、ユタ半分」という言葉が示すように、ユタは庶民の生死と病に深く関わったが、王府からはしばしば弾圧された。マジムンに奪われた魂(マブイ)を呼び戻す「マブイグミ」の儀式も、こうした女性祭司たちの領分である。最高神女・聞得大君の就任儀礼「お新下り(おあらおり)」は、王国最高の聖地・斎場御嶽で行われた。男子禁制のこの聖域で、聞得大君はキンマモンの霊力を身に受け、新たな王の治世を霊的に保証したと伝わる。神と王をつなぐのは女の力であり、村々のノロも、海の彼方の神を迎え、祖霊の声を取り次ぐのは女の役目だった。妖怪を畏れ、神を迎え、魂を繕う ── その作法のすべてが、女たちの手に委ねられていた。斎場御嶽(せーふぁうたき)や久高島といった聖地は、いまも沖縄の人々にとって生きた祈りの場でありつづけている。
渡り来る島 ── 妖怪が映す沖縄
こうした怪は、過去の遺物ではない。今日でも沖縄では、夜道で動物に股をくぐらせまいと身構え、家を建てれば災いを祓い、人がふさぎ込めば「マブイが落ちたのではないか」と案じる。キジムナーは観光や土産物のキャラクターとして親しまれ、各地に妖怪の語りを集めた本や怪談の催しがあり、シーサーが屋根の上から魔(マジムン)を払う。妖怪を畏れ、なだめ、ときに愛でるという暮らしの作法は、その形を少しずつ変えながら、今も島の日々のなかに息づいている。
琉球の妖怪を貫くのは、「渡来」と「他界」という二つの主題である。

阿摩美久は海を渡って島を生み、キンマモンやパーントゥ、アカマタ・クロマタはニライカナイから来訪して厄を祓う。ザンもヨナタマも、海の彼方からの津波の予兆を告げる。ガジュマルのキジムナー、やんばるのブナガヤは、亜熱帯の照葉樹林という南島ならではの環境が育んだ精霊だ。気根を垂らして大きく枝を広げるガジュマルの古木は、それ自体が異界への入口のような風格をもち、そこに赤い髪の子供が棲むという想像は、この樹を知る者にはごく自然に思える。雪も針葉樹林ももたぬこの島では、本土の山姥や雪女のかわりに、海と珊瑚と榕樹の精が、想像力の住人となった。本土の妖怪が仏教や陰陽道、武家の物語と結びついて展開していったのに対し、沖縄の怪は、独立王国の宗教と、海に開かれた地理のなかで、まったく異なる進化をとげた。

柳田國男は晩年、椰子の実が黒潮にのって本土へ流れ着くことに着想を得て、稲も、宝貝も、そして日本人の祖先そのものも、南の海を渡って北上してきたのではないかと『海上の道』に書いた。学術的には一つの仮説にすぎないが、もし日本文化の一部が南の海を渡って来たのだとすれば、この島々の神と妖怪は、ヤマトが忘れてしまった古い記憶を、最もよくとどめた存在なのかもしれない。海の彼方に他界を見、女が神を降ろし、樹に精霊が宿るという感覚は、本土の神道や仏教が覆いつくす前の、古層の信仰に通じている。マジムンに股をくぐらせまいと身構え、浜下りで蛇の子を流し、ブナガヤ火を見に山へ分け入り、ユタにマブイを繕ってもらう ── 沖縄の妖怪は、いまも人々の暮らしのすぐ隣で、海と森と祖霊の世界をつないでいる。それは、ヤマトとは違うもうひとつの日本の、いちばん深い層から響いてくる声であり、海の彼方を仰いで生きてきたこの島々の、いまも絶えぬ祈りのかたちなのである。













