女妖怪|女性の姿で語られる妖怪・鬼女・女幽霊

雪女、産女、鬼女、口裂け女――女の姿をまとう怪異の系譜

女妖怪
女性の姿で語られる妖怪・鬼女・女幽霊

40体の妖怪

この特集の要点

「女妖怪」は古来の厳密な分類名ではありません。本特集では、雪女のように女性の姿で現れる妖怪、玉藻前や絡新婦のように狐や蜘蛛が女性に化ける怪異、清姫や橋姫のように女が鬼や蛇へ変じる物語、産女のように出産と死の境から現れるもの、お岩のような女幽霊、口裂け女など現代の都市伝説まで、女性の姿・名・境遇が物語の核となる存在を紹介します。

「女妖怪」という名の内側

雪女は雪と山の気配をまとい、絡新婦は蜘蛛の正体を女の姿に隠し、産女は出産と死の記憶を抱え、お岩は一つの怪談から幾度も舞台へよみがえります。いずれも女の姿で語られますが、同じ種族でも、同じ由来をもつ存在でもありません。のような総合事典でも、妖怪はそれぞれの原典や土地の伝承に即して整理されています。「女妖怪」は古くから定まった分類ではなく、互いに異なる怪異を、女の姿という視点から読み合わせるための現代的な括りです。

本特集では、女性の姿や名そのものが怪異の核となるもの、狐や蜘蛛が女性に化けるもの、女が鬼や蛇へ変じるもの、母・妻・老女・遊女・女房といった人物像が物語を動かすもの、そして女幽霊や都市伝説として語り継がれたものを収録しました。神格のみで語られる存在は原則として扱いませんが、天逆毎のように後世の妖怪文化の中で異形の存在として受容された例は含めています。土地ごとに同名異伝や姿の違いもあるため、を手がかりに、それぞれの成立と伝わり方を確かめています。

同じ「女の姿」、異なる成り立ち

雪女、産女、玉藻前、絡新婦は、よく知られた存在でありながら、その成り立ちは驚くほど異なります。雪女は雪国の自然と人里の境に立ち、産女は出産と死のはざまから現れます。玉藻前では狐が宮廷の美女に化け、絡新婦では蜘蛛が女の姿を借ります。外見の共通点だけでは見えない自然霊、死者、動物変化という系譜の違いが、女妖怪の多様さを最初に教えてくれます。

産女の姿は一つではありません。亡くなった妊産婦の霊として現れる話もあれば、通行人に赤子を抱かせる怪異、子を守る霊神として敬われる例もあります。月岡芳年が1865年の『和漢百物語』に描いた産女は、そうした多様な産女像が絵画に結晶した一例です。

人の身にひらく異界――首、口、鬼、蛇

ろくろ首や二口女では、見慣れた身体に伸びる首やもう一つの口が開き、日常の内側から怪異が姿を現します。一方、清姫や橋姫、黒塚、能の般若が語るのは、女が鬼や蛇へ変じていく物語です。そこには怒りや執着だけでなく、宗教的な因果、土地の記憶、演能や説話による長い脚色が折り重なっています。彼女たちを「嫉妬に狂った女」の一言で括れば、物語が生まれた時代も、後世の語りが女の感情をどのように怪異の姿へ置き換えてきたかも見えなくなります。

山、海、雨――風景の中に立つ女

山姥は山道で人を脅かす老女であると同時に、山の力を体現する者、子を育てる者として語られることがあります。磯女と濡女は海辺や水際に現れ、雨女は空模様の変化に人の姿を与えます。名に「女」をもつこと以上に、どこに現れ、誰と出会い、何をするのか。その違いをたどると、土地の風景そのものが怪異を生んできたことが分かります。

絵師が与えた、忘れがたい輪郭

江戸期の妖怪画集は、口承や文章の中にいた怪異へ、ひと目で見分けられる名と姿を与えました。は、その代表例です。高女の異様な背丈、骨女のむき出しの骨、影女の輪郭、倩兮女の笑い、毛倡妓の髪、青女房やお歯黒べったりの化粧と装束。並べてみると、女の身体や身支度をめぐる細部が、江戸の絵師によって怪異の徴へ変えられていく様子が見えてきます。

女幽霊と、生の境界を越える女

お岩、お菊、お露は、それぞれ特定の怪談や演劇から離せない女幽霊です。八百比丘尼は幽霊ではありませんが、人魚の肉によって人の寿命を越え、生者のまま人の時間から外れていきます。雪女や絡新婦とは成り立ちの異なるこれらの女性像を並べることで、「妖怪」と「幽霊」、人と異類を隔てる境界そのものが、時代と物語の中で揺れ動いてきたことが見えてきます。

噂が生んだ、現代の女怪

口裂け女とテケテケは、古い絵巻や地誌ではなく、学校や道路、駅を舞台に、口コミ、週刊誌、テレビ、インターネットといった近現代の回路を通って広まりました。目撃談が人から人へ渡るたびに姿や細部が変わる点では、各地の口承と地続きです。古典妖怪と同じ由来をもつわけではありませんが、この二者は、怪異が過去の遺物ではなく、都市とメディアの中で今も生まれ続けることを物語っています。

女の姿から、日本の怪異を読み直す

ここに並ぶものは、自然霊、動物変化、鬼、幽霊、付喪神、都市伝説まで、互いに異なる系譜をもちます。それらを「女妖怪」の一語で同じものにしてしまうのではなく、なぜ女の姿を与えられたのか、どの土地と時代に生まれ、何を恐れ、何を記憶しているのかを比べて読むこと。そのとき、女妖怪という緩やかな括りは、日本の怪異が女性の身体や家族、生、老い、欲望、死をどのように映してきたかを見渡す入口になります。

更新: 2026/7/15
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収録妖怪

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雪女

雪女

伝説

ゆきおんな

雪景と異伝の雪女

自然現象・自然霊新潟県東京都

雪女は、雪の夜、吹雪の山道、白く埋もれた村に、女性の姿をとって現れる怪異である。白衣の若い美女が冷たい息で人を凍らせる姿はよく知られているが、それだけが雪女ではない。長野県蓼科では、人に害をなさず、伐られた大木を夜のうちに谷へ渡して橋にする「積雪の霊女」として語られた。新潟県の記録では、真夜中の雪に血の点々が付いた足跡を残し、出会った者を殺す女となる。秋田では顔ののっぺりした女、群馬県昭和村では泣く子や寝ない子を連れて行くと母親が唱える雪夜の脅し、鳥取県若桜町では大雪に乗って現れる白い女である。同じ名の下に、無害な雪霊、恐ろしい遭遇者、子守の言葉、形だけが一瞬見えるものまでが並んでいる。 名称の歩みは、怪談集より早く俳諧の中に現れる。刊年を確認できる早い印刷例は、山本西武編『鷹筑波』(1642年)の句であり、その後も『毛吹草』『山之井』『崑山集』『増山井』などに「雪女」が重ねて詠まれた。雪景の白さや形を女へ見立てる言葉が、まず俳諧の機知を誘い、やがて怪異を指す名として輪郭を濃くしていったのである。 1685年刊『宗祇諸国物語』巻五は、越後の竹のそばに立つ、一丈ほどの若い白い女を描く。顔、髪、肌、単衣まで透き通るように白く、同行者は雪の精が形を変えたものだと説明する。題名に宗祇の名を掲げるものの、これは15世紀の連歌師が残した旅行記ではなく、宗祇の旅人像を借りて諸国の珍談を語る1685年の仮名草子である。 佐脇嵩之『百怪図巻』(1737年)と鳥山石燕『画図百鬼夜行』(1776年)は、雪女を名札のある一体の妖怪として画面に置いた。石燕の版面には「雪女」の名だけがあり、息で凍らせる、男を誘惑する、火に弱いといった説明はない。妖怪画は姿を共有しやすくしたが、後世の物語をすべて同時に与えたわけではなかった。 今日の代表的な物語は、小泉八雲が1904年の『Kwaidan』に収めた「Yuki-Onna」である。吹雪の渡し小屋で老樵茂作を白い息により凍死させた雪女は、若い巳之吉を見逃し、秘密を守るよう命じる。翌冬には旅の娘お雪として現れ、妻となり、十人の子を育てる。夫が禁じられた夜の記憶を語ると正体を明かすが、子どもたちのために夫の命を奪わず、白い霧となって去る。この婚姻、秘密、母としての情、破約と別離は「八雲のお雪」の物語を深く印象づけた一方、各地の雪女すべてに共通する性格ではない。 雪女という名の魅力は、一つの設定へ閉じないことにある。雪は道を消し、音を吸い、距離と形を変える。その雪を見た人々が、土地と時代に応じて、若い女、母、巨大な顔、揺れる影を見いだしてきた。その重なり全体が雪女である。

雪と山の境に白い女の姿で現れ、吹雪の美しさと死の気配を同時にまとう。

産女

産女

名妖

うぶめ

渡し場で赤子を託す産女

霊・亡霊出産時・産後に亡くなった女性の霊/全国各地。中世『今昔物語集』に著名な早期例がある。

産女(うぶめ)は、出産の最中や産後まもなく亡くなった女性の霊が、赤子を抱く姿で現れるとされた日本の怪異である。多くの話では、夜の渡し場・橋・辻などで通行人を呼び止め、「この子を抱いてほしい」と頼む。受け取った赤子が急に重くなる、木の葉や石に変わる、最後まで抱き通した者が怪力や財を授かるなど、結末は土地と文献によって異なる。したがって産女は、ただ人を襲う悪霊ではない。出産で断たれた母子の縁、死者への恐れ、頼みを引き受ける者の勇気や慈悲を、一つの遭遇譚に集めた存在である。 現存する著名な早期例は、十二世紀前半ごろ成立した『今昔物語集』巻二十七第四十三話「頼光郎等平季武値産女語」である。源頼光が美濃守であった時、郎等の平季武が肝試しのため闇夜の渡しへ赴き、川中で女から赤子を託される。館へ持ち帰って袖を開くと、そこにあったのは少しの木の葉だった。説話の末尾は、産女を狐の変化とする説と、出産時に死んだ女の霊とする説を並べ、正体を一つに決めていない。この段階では、後世に有名となる血染めの腰巻や鳥の羽もまだ描かれていない。 一方、「姑獲鳥」と書いて「うぶめ」と読む表記には注意が要る。唐代の『酉陽雑俎』巻十六に見える夜行遊女は、羽毛を着れば鳥、脱げば女となり、人の子を取る中国の怪鳥である。赤子と産死者に関わる点から、日本の産女と重ねられたが、もとは別系統の存在だった。安井眞奈美の研究によれば、中国の姑獲鳥に日本語名を当てた林羅山は、寛永8年(1631年)の『新刊多識編』で初めて「姑獲鳥」を「うぶめ鳥」または鵺と明示した。日本の産女が「自分の赤子を人に託す母の霊」を核とするのに対し、中国の姑獲鳥は「他人の子を奪う鳥怪」を核とする。この違いを押さえると、産女という妖怪が中世説話、産死者供養、中国由来の怪鳥知識、近世の妖怪画を重ねながら形を変えたことが見えてくる。

出産と死、子を抱かせる行為、母の執念をめぐって各地に異伝をもつ。

玉藻前

玉藻前

伝説

たまものまえ

鳥羽院寵愛の九尾狐・玉藻前

動物変化京都府栃木県

玉藻前は、平安時代の末、鳥羽上皇に仕えたという絶世の美女である。その正体は九尾の狐とされるが、人としての玉藻前は何より、たぐいまれな美しさと深い学識をそなえた宮廷の女君として語られてきた。和歌や管弦はもちろん、仏教の経典から天竺・震旦(インド・中国)の故事まで、どんな問いにもよどみなく答え、宮廷の人々を驚かせたという。 「玉藻前」という名にも物語がある。ある夜、清涼殿での詩歌管弦の宴のさなか、一陣の風が灯火を吹き消すと、暗闇の中で彼女の身からまばゆい光が放たれ、あたりを昼のように照らした。玉のように光る藻、という意味で「玉藻前」と呼ばれるようになったと伝わる。それまでは藻女(みくずめ)と呼ばれていたともいう。やがて上皇の寵愛を一身に集めるが、上皇が原因の知れぬ病に倒れたことから、その正体が疑われていく。

宮廷女性の姿をとる九尾狐として、美女への変身と国家的危機を結ぶ。

絡新婦

絡新婦

伝説

じょろうぐも

女の姿と蜘蛛の糸――重なり合う絡新婦

動物変化静岡県宮城県

絡新婦(じょろうぐも)は、実在する蜘蛛の名、女に化ける蜘蛛を語る近世怪談、鳥山石燕の図像、各地の蜘蛛淵伝説が重なって知られる妖怪である。どこか一つの滝に棲む一人の美女を指すのではなく、時代と資料によって姿も行動も異なる。「絡新婦」は文字どおり「人を絡める新婦」という意味で作られた妖怪名ではない。『和漢三才図会』は「絡新婦」を「ちょろうくも」と読み、「俗に女郎蜘蛛という」と記す。漢籍・本草に遡る蜘蛛名と、日本語のジョロウグモという呼称が交差した表記なのである。 蜘蛛が女の姿で現れる話は、石燕以前から確認できる。延宝5年(1677)刊『宿直草』では、子を抱いた若い女を怪しんだ侍が斬りつけ、翌日、天井裏で刀傷を負った女郎蜘蛛と多数の人の骸を見つける。享保17年(1732)刊『太平百物語』では、作州高田の孫六が老女に招かれ、幻の屋敷で娘から結婚を迫られるが、逃げると自宅の縁側へ戻り、軒下の小さな女郎蜘蛛と大量の巣に気づく。孫六は食べられず、話の焦点は夢と幻にある。 鳥山石燕は安永5年(1776)初刊『画図百鬼夜行』で、長い髪と衣をまとう女体へ蜘蛛の脚を重ね、周囲に多数の小蜘蛛を配した姿を「絡新婦」と題した。小蜘蛛から糸、煙、炎のような線が伸びるが、説明の詞書はなく、琵琶を奏でる男誘いの場面でもない。国立国会図書館の文献調査でも、「美女が琵琶を聞かせて男を誘い、最後に食べる」という完全に一致する古典は確認されていない。 水辺の絡新婦像は、さらに別の伝承層を持つ。蜘蛛が人の足へ糸を掛け、人が糸を木へ移すと木が水中へ引き込まれる「蜘蛛淵」の話は全国に分布する。浄蓮の滝では、この糸掛け型と、落とした鉈を美女が返し、秘密を破った男が命を失う禁忌型が結合して、現在知られる女郎蜘蛛伝説になった。原典ごとの差を残すと、絡新婦は単なる誘惑者ではなく、小さな蜘蛛への油断、夢と現実の境、水辺の地形と危険、名と絵が伝承をまとめてゆく過程まで映す妖怪として見えてくる。

蜘蛛が女の姿を借りて人を誘う、美貌と捕食が一つになった動物変化の怪異。

ろくろ首

ろくろ首

伝説

ろくろくび

近世文献と飛頭伝承のろくろ首

人妖・半人半妖福井県熊本県

ろくろ首は、夜になると首が異様に長く伸びる妖怪として知られている。けれども、古い本を年代順に読むと、その姿は一つではない。頭が胴体から完全に離れて空を飛ぶ「抜け首」に近いもの、眠っている本人には夢としか思えないもの、頭と胴が細い筋でつながって見えるもの、そして長い首を自在に伸ばすものが、同じ「ろくろ首」という名の周りに集まっている。 現在確認できる早い語形候補は、俳諧集『鷹筑波』巻二に見える「ろくろ首」で、『日本国語大辞典』は1638年の用例として掲げている。ただし、同書には1642年とする現存書誌もあるため、絶対的な初出と断言するには原本の再確認が必要である。1648年『正章千句』には「轆轤頸」、1677年『諸国百物語』には「越前国府中ろくろ首」という題が確認できる。こうした早期例から、17世紀半ばから後半にかけて名称が広がっていたことが分かる。 越前を舞台にした『曾呂利物語』では、夜道で女の首に出会った男がそれを追い、首が家へ飛び込むと、眠っていた女は男に追われる恐ろしい夢を見たと語る。女は自分の妄念を恥じて仏道へ入るが、嫉妬で怪物になったとは書かれていない。ここでの怪異は、人間の心や魂が眠る身体を離れたような出来事である。 中国の『捜神記』には、夜に頭が飛び、明け方に胴へ戻る「落頭民」の女が登場する。『酉陽雑俎』の「飛頭獠子」は、首に赤い糸の輪のような痕を生じ、頭に翼をつけて飛び、蟹や蚯蚓を食べる。これらは日本の離頭型とよく似ているが、中国の伝承がそのまま日本妖怪へ変わったと証明されているわけではない。日本では漢籍の知識、怪談、絵本、滑稽な黄表紙が重なり、複数のろくろ首像が形作られていった。 1737年の『百怪図巻』は「ぬけくび」を描き、鳥山石燕は1776年初版の『画図百鬼夜行』で「飛頭蛮」に「ろくろくび」と読ませた。石燕の絵では、眠る女性の胴と浮かぶ頭が細い筋で結ばれる。こうした線が、やがて長い首として表されたと考える研究がある。1788年『狂言末広栄』では、恋い慕う女性の首が江戸から上方へ伸び、恐怖より笑いを生む。 小泉八雲が1904年の『怪談』に収めた「Rokuro-Kubi」は、長首の美女ではない。武士から僧となったKwairyōが甲斐の山中で、五人の首なしの身体と林を飛び回る五つの頭に出会い、一体の胴を動かして帰還を妨げ、襲ってきた頭と戦う。この作品の直接の原話は、十返舎一九『怪物輿論』巻四の一話である。赤い文字、胴を動かす対処、夜明けまでに限られた力は、この作品系統に属する要素である。

女性に限らない怪異だが、首が伸びる女性の説話と図像が広く定着した。

二口女

二口女

名妖

ふたくちおんな

後頭の蛇髪口・二口女

人妖・半人半妖千葉県東京都

二口女(ふたくちおんな)は、後頭部または項(うなじ)にもう一つの口をもつとされる女の妖怪。江戸後期の奇談集『絵本百物語』(桃山人夜話、天保十二年=一八四一年刊)の一図として広く知られ、編者桃山人(とうさんじん)の文に竹原春泉斎が挿絵を添えた。普段は長い黒髪で後ろの口を覆い、表向きは淑やかな女としてふるまうが、空腹になると後頭の口が二枚の唇をうごめかせて物を乞い、髪を蛇のように操って食物を口へ運ぶと描かれる。ただし髪を触手のごとく動かして食をむさぼる図像表現は本文には記されず、竹原春泉斎の絵による創意とされ、文と画の間には齟齬がある。人妖・半人半妖に分類され、外見は常人と変わらぬまま身体の一部に異形を宿す点に特徴がある。後ろの口は本人の意思とは無関係に飲食を求めて当人を苦しめ、悪行の報いとして身に生じた「奇病」「業病」として語られた。

女性の後頭部に第二の口が現れる、身体変異と家庭内の因果を結ぶ怪異。

山姥

山姥

伝説

やまんば

深山の老婆・山姥

山野の怪神奈川県

山姥(やまうば・やまんば)は、深山に棲むと伝えられる老女の姿をした怪。長い白髪を乱し、口が耳まで裂けた鬼婆として描かれる一方、山の幸を授け富をもたらす「山母」としても語られ、人を喰う恐ろしさと福徳を与える慈悲との二面を併せ持つ。鳥山石燕『画図百鬼夜行』や佐脇嵩之『百怪図巻』は、子を抱き、あるいは髪を振り乱した山中の老女としてその像を伝える。坂田金時(金太郎)の母とする近世の伝承でも知られ、単なる人喰いの鬼にとどまらない複雑な性格を帯びる。

山中の老女として恐れられながら、山の力や養育者の側面も帯びる。

鬼女

鬼女

珍しい

きじょ

情念極まり鬼に化す女・鬼女

鬼・巨怪日本各地の鬼女伝承を束ねる総称(個別は紅葉・黒塚・橋姫等の各項)

鬼女(きじょ)は、人の女が嫉妬・怨念・業(ごう)を契機に鬼へと化した姿を指す総称である。若く美しいまま鬼となった者を鬼女、老いさらばえた姿を鬼婆(おにばば)と呼び分けることが多い。古典説話から能・浄瑠璃・歌舞伎にいたるまで頻出する主題で、信濃戸隠の紅葉、奥州安達ヶ原の黒塚の鬼婆、鈴鹿山の鈴鹿御前などが代表として知られる。 鬼女像の核には、女の情念を鬼に転じさせる日本的な発想がある。嫉妬に狂った女が宇治の橋姫となり、裏切られた女が大蛇と化す安珍・清姫の物語のように、愛執と怨みが人を異形へ追いやる過程そのものが語りの主題とされた。能楽ではこの内面の変化を、嫉妬の初期を表す「生成(なまなり)」から完全な鬼相の「般若」「真蛇(しんじゃ)」へと至る面の段階で視覚化する。 人を惑わし、夜に旅人を襲い、孕婦(はらみおんな)や幼児を狙うといった伝承が各地に伝わるが、その背後には祟りや因果応報の観念が色濃い。鬼女譚は単なる怪異ではなく、抑圧された女の情念と、それを鬼として外部化する社会の眼差しとが交わる場として語り継がれてきた。

怨念や執着によって人の女が鬼へ変じる、数多くの説話を背負う女の鬼。

清姫

清姫

伝説

きよひめ

道成寺を焼く蛇女・清姫

人妖・半人半妖和歌山県

清姫は、紀伊国道成寺に伝わる安珍清姫伝説の蛇女である。熊野参詣の僧安珍に恋し、約束を破られたと思い定めると、日高川を越えて追い、蛇身となって道成寺の鐘に隠れた安珍を焼き殺す。道成寺はこの物語を延長6年(928)の出来事と伝え、11世紀の『法華験記』に記録され、のちに能・人形浄瑠璃・歌舞伎の「道成寺物」へ広がったと説明する。古い説話では女の名が固定されず、後代の寺社縁起・絵解き・舞台芸能を通じて「清姫」として定着した。妖怪としての清姫は、蛇神そのものではなく、人間の恋慕が嫉妬と執心に焼かれて蛇身へ変わる境界的存在であり、般若や橋姫と同じく、女の怨念が顔・身体・火を得て現れる代表的な鬼女である。

道成寺縁起で女性から蛇身へ変じ、安珍を追う変身譚の主人公。

橋姫

橋姫

名妖

はしひめ

宇治橋鉄輪の鬼女・橋姫

人妖・半人半妖京都府

橋姫(はしひめ)は、古い大橋を司る女神・鬼女として語られる存在で、水神・土地神の信仰と橋の境界をまもる観念が結びついて成立した。代表は山城国宇治川の宇治橋に祀られる橋姫で、ほかに摂津の長柄橋、近江の瀬田の唐橋にも橋姫の伝承がある。古来、橋はこの世とあの世、村と外界を分かつ境であり、そこに坐す女神は嫉妬深く一途とされ、橋の上で他の橋を褒めること、夫婦連れで渡ること、嫉妬や恋の歌を口ずさむことを忌む俗信が各地に伝わった。『古今和歌集』巻十四には「さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫」の一首が見え、独り寝で恋人を待つ女神の面影を伝える。中世以降はこの面影が一転し、嫉妬のあまり生きながら鬼と化す「生成(なまなり)」の鬼女像が語られて、橋を守る女神と人を呪う鬼女という二面を併せもつに至った。縁切り・縁結びの両方の霊験を説く信仰も、この二面性に根ざす。

橋の守護的存在と嫉妬から鬼となる女性像が重なった境界の怪異。

骨女

骨女

稀少

ほねおんな

牡丹燈籠の白骨女・骨女

人妖・半人半妖明『剪燈新話』牡丹燈記が淵源、浅井了意『伽婢子』翻案、渡来

骨女は、鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれた骸骨の女。石燕は解説で、御伽草子系の怪談に見える、牡丹模様の提灯を携え逢瀬に通う女の骸骨を典拠とし、浅井了意『伽婢子』所収「牡丹燈籠」の女亡霊像に拠ると示す。美女に見まがう姿で男に近づき、実は白骨であるという怪異譚の図像化で、色恋と死の境が交錯する恐怖の象徴として知られる。

骸骨の正体を隠して女性の姿を見せる、生者と死者の境界を表す。

磯女

磯女

名妖

いそおんな

磯女 ── 艫綱を伝う海辺の怪

磯女(いそおんな)は、九州北西部の沿岸(天草・島原・対馬・加唐島ほか)に出没する女の海怪である。砂浜や磯辺、停泊中の舟に近づき、長い髪で人にまとわりついて血を吸うと伝えられる。上半身は美しい女に近いが、下半身は朧ろであるとも蛇状ともいい、背後から見れば岩にしか見えないとも語られる。名は土地により磯女子・濡女子・海女・海姫など多様で、凪の折に姿を見せ、水死者の怨霊と結び付けられる地域もある。同じ海辺の怪である牛鬼と対をなして現れるとする土地も伝わる。

西日本の海辺を中心に語られる、濡れ髪の女性姿をした水際の怪。

濡女

濡女

名妖

ぬれおんな

磯浜の濡髪女・濡女

濡女(ぬれおんな)は海辺や川辺に現れる、蛇身に女の頭をもつ怪である。腰から下は鱗に覆われた長大な蛇体で、上半身は女、いつも濡れたままの黒髪を垂らし、その名もこの姿に由来する。鳥山石燕『画図百鬼夜行』は風の巻に、長い髪を水に浸した女面の蛇体としてこれを描き、絵巻系統の濡女像を定着させた。石燕に先立つ佐脇嵩之『百怪図巻』ら江戸前期の妖怪絵巻にも蛇体の女怪が見え、絵師の手を経て図像が受け継がれてきた経緯がうかがえる。西日本の海辺では、濡女が抱いた赤子を通りかかった人に押しつけ、受け取った途端それが重い石と化して動けなくする話型が語られ、牛鬼と組んで人を襲う異伝も伝わる。九州の磯女や濡女子(ぬれおなご)と近縁視され、ウミヘビの化身とする説もあるが、蛇体視は主に絵画資料からの解釈で、一次史料の裏づけは乏しいとされる。長い濡れ髪と水辺、抱き子で人を縛る性状が、西日本一帯の水の女怪に共通する核として語り継がれてきた。

濡れた女性の頭部や蛇身など、地域によって姿と行動が変わる水の怪。

高女

高女

名妖

たかおんな

二階窓を覗く伸び女・高女

住居・器物石燕『画図百鬼夜行』、吉原遊女図像、画集発祥

鳥山石燕『画図百鬼夜行』に描かれる女妖。建物の二階ほどまで下半身を伸ばし、窓を覗きこむ姿で知られるが、原図に解説はなく正体や性質は不詳。後世には遊女屋の二階を脅かすなどの解釈が付されたが、史料上は絵画的提示が中心で、具体的な逸話や名称の由来は定まっていない。高所を窺う異形として象徴的に語られる。

異様に背を伸ばして家の内をのぞく、妖怪画ならではの不気味さを宿す女怪。

雨女

雨女

名妖

あめおんな

雨夜に子を攫う雨女

天候・災異長野県

雨を呼ぶ、あるいは雨と結びつけられる女性的な妖怪・霊的存在。鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に「雨女」の画題が見えるが、そこでは楚の宋玉「高唐賦」由来の朝雲暮雨を踏まえた風刺色が強く、妖怪としての具体像は明示されない。民間では雨の日に現れて子を攫うと恐れられる説や、旱魃に雨をもたらす霊として畏敬される見方が併存する。

雨を連れて現れる女として語られ、空模様に人の気配を重ねる。

影女

影女

珍しい

かげおんな

障子に映る月夜の影・影女

人妖・半人半妖出自不詳 (絵姿先行・月影の怪)

影女は、鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に描かれた女姿の怪異。物の怪の潜む家において、月光に照らされた女の影だけが障子に映るとされる。姿は影として現れるが、実体は定かでない。出現は夜、特に月明かりの強い折に多いと解され、家人に危害を加えるよりも、不気味な兆しとして語られることが多い。由来や正体については諸説あり、亡霊、家付きの怪、あるいは月影の怪とする見方があるが詳細は不詳。

障子や壁に女性の影だけが現れる、姿なき気配の怪。

倩兮女

倩兮女

稀少

けらけらおんな

塀越しの艶笑女霊・倩兮女

霊・亡霊出自不詳 (石燕等・塀越しの艶笑女霊・在地古伝なし)

江戸の絵師・鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に描かれる女の妖怪。塀越しに口を大きく開け、けらけらと笑って人を惑わす姿で示される。石燕は中国の宋玉の故事を引き、艶笑で人心を乱した女の霊に擬している。具体の出没地や来歴は記されず、笑い声が不気味に響く女怪として後代に語り継がれた。

巨大な女性が笑う姿で描かれ、声と身体の大きさが恐怖をつくる。

飛縁魔

飛縁魔

稀少

ひのえんま

色欲滅亡の妖女・飛縁魔

人妖・半人半妖『絵本百物語』由来の説話的寓意。特定の地名に結びつかない

江戸時代の奇談集『絵本百物語』に見える妖怪名。仏教的戒めから説かれ、女の色香に惑うことの愚を示す比喩として描かれる。見目は菩薩のごとく美しく、内は夜叉のごとく恐ろしいとされ、心を乱された男は家を失い、身を滅ぼすと戒められる。名称は「因縁に魔障が飛び来る」の意とも解され、丙午生まれの女性観への俗信とも結び付けて語られた。

美女の姿で人に近づき、色欲と死を結びつけて描かれた江戸期の妖女。

針女

針女

稀少

はりおなご

宇和島夜道の鉤髪女・針女

人妖・半人半妖愛媛県

針女は、愛媛県南部の宇和島地方に伝わるとされる、髪の先に鉤針のような鉤を備えた女の妖怪である。水木しげる記念館の水木しげるロード解説では、読みを「はりおなご」、出現地を「愛媛県宇和島地方」とし、美しい女の姿をしながら、ざんばら髪の先の鉤で男を引っかけて連れて行くものとして紹介される。人間とほとんど見分けのつかない姿で夜道に現れ、笑いかける、近づく、髪を振り乱すという順に怪異が開くため、怖さは異形そのものよりも、普通の出会いが一瞬で罠に変わるところにある。 針女の資料は多くない。水木しげるの『図説日本妖怪大全』は針女を妖怪辞典の一項として収め、国立国会図書館サーチで確認できる同書は、戦後の妖怪図鑑文化の中でこの名を広く流通させた資料である。一方で、『日本妖怪大事典』は、宇和島地方の「濡女子」と特徴が重なることから、水木が濡女子の性質を強調して「針女」と名づけた可能性を示す。したがって本頁では、針女を古典文献に古くから固定された大妖怪としてではなく、水木しげるの記述を通して輪郭が明確になった、南予の夜道型女性妖怪として扱う。

先端が鉤状になった長い髪で人を捕らえる、髪を武器とする女怪。

お歯黒べったり

お歯黒べったり

稀少

おはぐろべったり

黒歯の花嫁面・お歯黒べったり

人妖・半人半妖東京都

お歯黒べったりは、花嫁や若い女の姿で現れ、顔を隠して近づいた者に、目も鼻もない白い顔と、黒く染まった歯だけが目立つ大きな口を見せる妖怪である。名の「お歯黒」は鉄漿で歯を黒く染める習俗を指し、「べったり」はその黒さが口もとに貼りつくように強調された語感を持つ。『絵本百物語』に見えるこの怪は、婚礼装束の美しさと、顔の欠落が一瞬で反転する視覚妖怪として読むとよい。 お歯黒そのものは、単なる怪異の印ではなく、婚姻・成人・身分・女性の装いと結びついた歴史的な化粧文化であった。原三正『お歯黒の研究』は、鉄漿を民俗・身体装飾の対象として扱う研究書であり、この妖怪を読むうえで、黒い歯がただ不気味なのではなく、かつては美と社会的成熟の記号でもあったことを思い出させる。お歯黒べったりの怖さは、その記号が過剰になり、顔のほかの部品を消してしまうところにある。 のっぺらぼうが「顔がない」恐怖を前面に出すなら、お歯黒べったりは「口だけがある」恐怖を押し出す。顔を隠した女に声をかける、あるいは美しい花嫁だと思って近づく。その期待がほどけた瞬間、目で見返す相手はいないのに、黒い口だけがこちらを飲み込むように笑う。美、婚姻、礼装、恥じらいといった社会的な記号が、無貌と黒歯の怪へ転じる。その落差こそが、この妖怪の核心である。 また、この妖怪は「未婚の女の恨み」といった説明だけへ閉じ込めるより、江戸後期の読者が共有していた化粧・婚礼・顔を見る礼法を、怪談絵本がどう反転させたかを見るほうが深く読める。黒い歯は本来、白い顔を引き立てる装いの一部でもあった。そこから目鼻を消し、黒歯の口だけを残すことで、お歯黒べったりは美の記号をそのまま恐怖の記号へ反転させている。

顔のない女性が黒い歯だけを見せる、婚礼装束とお歯黒の怪異。

毛倡妓

毛倡妓

名妖

けじょうろう

髪に顔覆われる遊女・毛倡妓

住居・器物石燕『今昔画図続百鬼』、吉原題材の風刺創作

江戸中期の絵師・鳥山石燕が『今昔画図続百鬼』(安永8年・1779年)に描いた、創作色の強い妖怪。名は「毛」と「倡妓(しょうぎ・遊女)」を重ねたもので、長い髪をぼうぼうに振り乱した遊女の姿をとり、顔じゅうが毛に覆われて目鼻も見えないように描かれる。石燕が遊里の闇を寓意した作とされ、固有の在地伝承は乏しく、もっぱら版本の絵と解説のなかに姿をとどめる。研究者の解釈は分かれ、日本文学者アダム・カバットは髪に隠れて顔が見えないのではなく、はじめから顔のない、のっぺらぼうの類とみる。一方妖怪研究家の多田克己は、これを江戸・吉原遊廓を風刺した石燕の創作と指摘する。中国の古書『投轄録』には紙銭を焼く煙の中に全身毛だらけの「毛女」が現れる話があり、毛深い造形の淵源として比較されることもある。

顔を長い髪で覆った遊女姿として、髪と見えない顔を怪異化する。

青女房

青女房

稀少

あおにょうぼう

古御所の女官姿・青女房

人妖・半人半妖石燕『今昔画図続百鬼』、荒御所の女官妖怪、絵巻発祥

江戸期の妖怪画に見られる女官風の妖怪。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』ではお歯黒をほどこした公家風の若い女房として、荒れた古御所に出ると解される。名は本来、宮中や貴族家に仕える若年で位の低い女官を指す通称で、固有の怪名ではない。諸本の百鬼夜行絵巻に同様の装束の女官像が描かれ、石燕がその図像に基づき「青女房」と銘したと考えられる。実体や由来は不詳。

荒れた御所に残る女房姿で、宮廷文化の衰退と執着を映す。

黒塚

黒塚

伝説

くろづか

安達ヶ原の悲劇·黒塚の鬼婆

鬼・巨怪福島県

平安期に平兼盛『拾遺和歌集』 (1006)に「みちのくの安達ヶ原の黒塚に鬼籠れりと聞くはまことか」と詠まれて知名度が確立した、陸奥国安達ヶ原 (現·福島県二本松市) の鬼婆伝承。旅人を泊めては夜半に襲って肝を喰らう山中の老婆という妖怪型を最も典型的に体現する。中世室町期に観世小次郎が能『黒塚 (安達原)』として劇化し、江戸期に近松半二らが浄瑠璃·歌舞伎『奥州安達原』 (1762 年初演)として大成、現代まで上演されつづける日本鬼婆譚の代表である。主要伝承地は観世寺 (福島県二本松市安達ヶ原、727 年神亀 4 年開基) で、境内の黒塚は鬼婆の埋葬塚と伝わる。鬼婆の正体「岩手」が娘の肝を求めた末に実の娘を殺してしまう悲劇譚が後世に付加され、単純な怪物譚から人間悲劇に深化した。

安達ヶ原の鬼婆として知られ、旅人を襲う老女と鬼の物語を担う。

葛の葉

葛の葉

伝説

くずのは

信太森に帰る狐母・葛の葉

動物変化大阪府

葛の葉は、信太森に棲む狐が人間の妻となり、やがて陰陽師安倍晴明の母として語られる化狐である。物語の核にあるのは、狐の変化譚でありながら、化けて人を欺く恐怖よりも、恩返し、夫婦、母子の別れを前面に置く点にある。信太森で助けられた狐が葛の葉という女に姿を変え、阿倍保名と結ばれ、童子丸を産むという筋は、近世の浄瑠璃・歌舞伎で「葛の葉狐」として大きく整えられた。国立国会図書館の書誌にも、信田妻裏見葛葉の題名を含む『芦屋道満大内鑑』系統が確認でき、葛の葉は単なる狐女房ではなく、晴明伝承を母の物語から照らす存在になっている。 葛の葉の特徴は、狐の霊力が家庭の内側で発揮されることである。九尾の狐や玉藻前が王権を揺るがす外向きの妖力をまといやすいのに対し、葛の葉は障子、産屋、童子の名、去り際の和歌といった生活の場面に宿る。正体が露見すると、狐は子を置いて森へ帰らざるを得ない。そこで残される「恋しくば尋ね来てみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」という歌は、葛の葉を恐ろしい怪物ではなく、境界を越えてしまった母として記憶させる。和泉市デジタルアーカイブ所蔵の『蘆屋道満大内鑑阿部保名葛の葉与勘平』も子別れの場面を伝え、葛の葉像が舞台と図像の双方で育てられたことを示している。 そのため葛の葉は、狐妖怪のなかでも「化ける能力」より「化けてまで守ろうとしたもの」を問わせる存在である。信太森という土地、安倍晴明という名、狐女房の昔話、そして歌舞伎・文楽の演目が重なり、彼女は妖怪でありながら、母性と異類婚姻の哀しみを背負う伝承人物として立ち上がる。

白狐が妻と母の姿をとる、別離と養育を描く狐女房譚の代表。

長壁姫

長壁姫

名妖

おさかべひめ

姫路天守の城神姫・長壁姫

人妖・半人半妖兵庫県

長壁姫(おさかべひめ)は、播磨国姫路城(兵庫県姫路市)の天守最上層に宿るとされる女の妖怪・城郭神で、小刑部姫(こおさかべひめ)・刑部姫・小坂部姫とも記される。城のある姫山(ひめやま)の地主神刑部大神(おさかべのおおかみ)の信仰を母胎とし、城の守護神でありながら人を退ける祟り神でもあるという両義的な性格を帯びる。江戸初期の怪談ではいまだ「姫」の像に定まらず、『諸国百物語』(延宝五年=一六七七年刊)では男女の別なく姿を変える城の化け物「城ばけ物」として描かれた。やがて『老媼茶話』や『甲子夜話』を経て、十二単をまとう高貴な女、あるいは老女の姿が定着していく。年に一度だけ城主と対面し、それ以外の者が天守へ上ることを嫌うと伝えられ、城主の行いに応じて吉凶をもたらすと畏れられた。その正体については、老いた狐の化身、姫山の地主神、築城のとき人柱となった女の変化、罪を得て世を去った高貴な姫君の霊など諸説が並び立ち、一つに定まらないところにこの妖怪の捉えどころのなさがある。

姫路城の天守に棲む姫として語られる、城郭を守る女性の怪異。

滝夜叉姫

滝夜叉姫

名妖

たきやしゃひめ

江戸後期文芸の妖術者・滝夜叉姫

人妖・半人半妖茨城県千葉県

滝夜叉姫(たきやしゃひめ)は、平将門の娘という系譜を背負い、江戸後期の読本・歌舞伎・浮世絵のなかで鮮明な姿を得た伝説的な女性妖術者である。今日よく知られる名と物語が平安時代の記録にそのまま現れるのではない。『今昔物語集』には平将行の第三女として出家し、地蔵を信仰する如蔵が登場する。その系譜は中世の『元亨釈書』で平将門の第三女へと組み替えられたが、この時点の如蔵はまだ反乱を率いる妖術者ではなかった。 大きな転機となったのが、文化3年(1806)刊の山東京伝『善知安方忠義伝』である。京伝は将門の遺児・平良門、如月尼、肉芝仙、蝦蟇の妖術、荒れた相馬内裏を一つの怪異譚に編み直した。この読本で如月尼は「滝夜刃姫」となり、良門らとともに将門再興の物語へ加わる。静かな宗教説話の女性が、敗者の記憶をまとう反乱の姫へ変わったのである。 舞台ではさらに別の姿が生まれた。天保7年(1836)初演の『忍夜恋曲者』では、滝夜叉姫は傾城如月に身を変えて大宅太郎光圀へ近づき、正体を現して妖術で争う。変装、誘惑、大蝦蟇、屋体崩しという歌舞伎ならではの見せ場が、妖術姫の華やかさと恐ろしさを強めていった。 その像を世界的に印象づけたのが、歌川国芳《相馬の古内裏》(1845~46年頃)である。原作で群れをなす骸骨を、国芳は御簾を破って迫る一体の巨大骸骨へ集約した。この骨は国芳の大胆な視覚表現であり、戦後に名づけられた「がしゃどくろ」と同時代の妖怪ではない。後世に両者が結びついた過程まで含めて見ると、滝夜叉姫は一つの固定した姿ではなく、説話、読本、舞台、錦絵が時代ごとに育ててきた妖術者だと分かる。

平将門の娘として妖術を操る、歴史人物と怪異表現が交差する女性像。

鈴鹿御前

鈴鹿御前

伝説

すずかごぜん

鈴鹿峠を守る天女・鈴鹿御前

人妖・半人半妖三重県京都府

鈴鹿御前(すずかごぜん)は、伊勢国と近江国の境にある鈴鹿山・鈴鹿峠に住む女神・天女・女盗賊・鬼女として語られる境界の女性霊である。鈴鹿姫、鈴鹿大明神、鈴鹿権現、鈴鹿神女とも呼ばれ、後世には鈴鹿山の立烏帽子と同一視された。室町以降の田村語りでは、坂上田村麻呂をモデルにした田村丸と結ばれ、大嶽丸などの鬼神退治を助ける存在となる。だが彼女は、英雄に救われるだけの姫ではない。峠を守る神、旅人を脅かした盗賊の記憶、天より降る女神の霊威を一身にまとい、山の鬼神に勝つための策を田村丸に授ける。鈴鹿御前とは、都と東国、神と鬼、守護と反逆のあいだに立つ、鈴鹿峠そのものの人格化である。

鬼女、天女、山の守護者など、作品によって立場が変わる鈴鹿峠の女性。

女天狗

女天狗

珍しい

おんなてんぐ

緋袴に翼の・女天狗

山野の怪東京都山梨県

女天狗は、天狗のうち女性とされる存在。長髪に眉墨・紅・白粉を施し、鉄漿で歯を染め、緋の袴や薄衣をまとう姿に描かれる一方、背に翼を持つとされる。古典には尼僧が堕して尼天狗となる話が見え、天狗世界に女性がいるかは史料で見解が分かれる。川天狗に女性的な像が語られる地域もあるが、詳細は不詳。

山岳の霊威を女の姿に託した、天狗の一形態。

般若

般若

名妖

はんにゃ

能『葵上』の白般若(六条御息所の鬼相)

鬼・巨怪

般若は、二本の角、金色に光る眼、牙、大きく裂けた口をもち、怒りのなかに悲哀を残す能の鬼女面である。能『葵上』『黒塚』『道成寺』に用いられる般若は、嫉妬や怨みで鬼となった女性、または女性の怨霊を舞台上に現すための面の型であり、雪女や河童のような一つの固有種の名称ではない。能楽協会は、般若を生霊・死霊を写す怨霊面の代表例として挙げる。 その表情は、怒りだけを造形したものではない。東京国立博物館所蔵の「近江打」般若の解説では、角、金色の眼、牙、裂けた口が怒りを示す一方、八の字の上瞼と額の乱れた毛描きには哀しみが含まれるとされる。鬼へ傾きながら人の面影を完全には失わないところに、般若面の怖さと痛ましさが同居する。 「般若」という語は本来、仏教の智慧を指す。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』の「般若」は、まず「経の名」と説明したうえで、鬼となった女を表す面名について、能『葵上』の「般若声」から転じたのではないかと「にや」と推し量る。般若坊の作に由来するという説は石燕の詞書には見えず、別に伝えられた面名由来説である。 般若が妖怪図鑑の一項目として読まれる根拠は、安永8年(1779)の『今昔画図続百鬼』で「般若」が独立した画題として掲載されたことにある。能の面が複数の役柄に掛けられるのに対し、石燕の本では鬼・橋姫・酒顛童子などと並ぶ一つの怪異名として示される。般若は、能面、鬼女役、江戸の妖怪画、現代の仮面図像という複数の層を行き来してきた文化的な怪異像である。

本来は能面の名だが、嫉妬と苦悩から鬼相となる女性像として広く定着した。

奪衣婆

奪衣婆

伝説

だつえば

三途の川の鬼婆·奪衣婆

霊・亡霊偽経発祥の三途の川の老婆、日本成立だが在地発祥地なし

奪衣婆は日本仏教·民間信仰における三途の川の鬼婆である。 死者が冥界へ渡る三途の川の岸辺に座し、 渡し賃の六文銭を持たぬ亡者から衣服を剥ぎ取る役割を担う。 剥がれた衣は対偶の鬼神·懸衣翁 (けんねおう) によって衣領樹 (えりょうじゅ) という大樹の枝に掛けられ、 その撓り具合で生前の業 (罪) の重さが計量される ── という極めて視覚的·計量的な冥界裁判装置である。 初出は日本で十二世紀末に成立した偽経『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経』 (略称『地蔵十王経』) で、 中国の原典『仏説閻羅王授記四衆逆修七往生浄土経』 を日本で改変したものに登場する。 鎌倉時代以降は説教·絵解の定番として広く普及し、 江戸期の正受院 (新宿) ·宗円寺等を本拠とする民間信仰、 「綿のおばば」 と呼ばれた咳止め霊験信仰、 嘉永二年 (1849 年) から幕末·明治期の錦絵題材化を経て大衆文化に深く根付いた。

三途川で死者の衣を奪う老女として、仏教的他界観を担う。

八百比丘尼

八百比丘尼

稀少

やおびくに

若狭から各地へ伝わる八百比丘尼

人妖・半人半妖福井県京都府

八百比丘尼(やおびくに)は、若狭を中心に日本各地で語られてきた、途方もなく長い時を生きる尼の伝説である。人魚の肉を食べた娘が老いにくくなり、出家して諸国を巡ったという話がよく知られる。しかし、残された史料をたどると、その姿も年齢も長寿の理由も、一つの物語には収まらない。 重要な早期記録は1449年の京都に現れる。『康富記』文安六年五月二十六日条は、若狭国から来た「白比丘尼」を二百余歳と記し、多くの人が見物したと伝える。同年の『臥雲日件録』七月二十六日条では、若州から来た尼が「八百歳老尼」と呼ばれ、洛中の人びとが銭を払って見物した。二つの記事に人魚肉の話はなく、都で評判になった長寿の尼の姿が前面にある。 人魚肉による長寿は、近世になると明瞭な物語として現れる。林羅山『本朝神社考』の都良香条では、父が山中の異人から得た人魚を持ち帰り、娘がその肉を食べて四百余歳になったという。父、異界、人魚、娘という連なりは後世の代表的な八百比丘尼譚を形づくったが、寿命はここでも八百歳に固定されていない。 八百比丘尼の名は、古木、寺、洞窟の由来にも結びついた。若狭小浜の空印寺前には入定を伝える霊窟があり、武蔵の慈眼寺には八百比丘尼が植えたという大榎の話が残る。長寿の尼は、一人の旅人であると同時に、遠く離れた土地が自らの古い風景を語るための名でもあった。中世・近世の主要史料に現れる八百比丘尼は亡霊ではなく、長寿への驚き、異界の食物への畏れ、漂泊する女性宗教者の記憶を重ねた伝説的人物である。

人魚の肉を食べて長命となる尼の伝説で、不死と女性の旅を描く。

お岩

お岩

伝説

おいわ

四谷怪談のお岩

霊・亡霊東京都

お岩は、夫の裏切りによって毒を盛られ、顔が爛れて死に、凄まじい怨念で祟りをなす――そんな女の亡霊として、日本で最も広く知られる怪談の主人公である。だがこの像は、ほぼすべてが芝居の創作によって形づくられた。歌舞伎狂言『東海道四谷怪談』(四世鶴屋南北作、文政8年=1825年江戸中村座初演)で、初代尾上菊五郎の流れを汲む三代目尾上菊五郎が演じたお岩が、半面を腫れ崩した形相で髪を梳きながら息絶え、戸板に釘付けられた死骸となって漂着し、燃える提灯から抜け出て夫を責めさいなむ――この一連の見せ場が、怨霊お岩の原型である。重要なのは、その背後にいた実在の女性は、これとは正反対の人物だったと伝わる点だ。四谷左門町に屋敷を構えた御家人田宮家の妻お岩(田宮岩)は、信心深く夫婦仲も睦まじい貞女で、屋敷神の稲荷を篤く祀って傾いた家を再興した、むしろ縁起の良い女性だったとされる。彼女を祀る於岩稲荷(田宮稲荷)は、もとは「家が栄えた幸運の神」として参詣された。お岩という名は、史実の貞女と、南北が二百年後に造形した怨霊との、巨大な落差の上に立っている。

『東海道四谷怪談』に結びつく女幽霊で、演劇を通じて怨霊像が定着した。

お菊

お菊

伝説

おきく

皿屋敷のお菊

霊・亡霊兵庫県東京都

お菊は、家宝の皿一枚をめぐる嫌疑から井戸に沈められ、夜ごと井戸の底で「一枚…二枚…」と皿を数える女の亡霊である。播磨・姫路を舞台とする『播州皿屋敷』系と、江戸・番町を舞台とする番町皿屋敷系という二大系統をもち、累(かさね)・お岩と並んで近世怪談の代表的な女性怨霊に数えられる。播州系では、室町期の小寺(細川)家を簒奪せんとする青山鉄山の陰謀のなか、家来の町坪弾四郎が家宝の唐絵の皿十枚のうち一枚を隠し、腰元お菊に罪を着せて責め殺し井戸へ投じる。番町系では、旗本青山主膳の屋敷で女中お菊が皿を割り、あるいは主人の言い寄りを拒んで斬られ、井戸に沈められる。いずれも欠けた皿を数える反復の怪が核心にあり、足りぬ一枚に至って絶叫する話型が共有される。姫路城本丸下にはお菊井戸が現存し、地名・社祠・虫の名にまで伝説が根を張る。

皿屋敷物語で皿を数え続ける女幽霊として知られる。

お露

お露

伝説

おつゆ

牡丹灯籠のお露

霊・亡霊中国『剪燈新話』牡丹燈記が原典、浅井了意·円朝が翻案

お露(おつゆ)は、怪談『牡丹灯籠』のヒロインとして語り継がれる女の幽霊である。旗本飯島平左衛門の娘で、医者山本志丈の手引きで知り合った浪人萩原新三郎に一目で恋い焦がれるが、再会も叶わぬまま恋の病で世を去ったとされる。死してなお想いを断ち切れず、毎夜牡丹の灯籠を提げた侍女お米(およね)を伴い、下駄の「カランコロン」という音を響かせて新三郎のもとへ通うという。その正体が死霊と知れたのち、新三郎は海音如来の札と金無垢の仏像で家を結界するが、隣家に住む伴蔵・お峰の夫婦が幽霊側に買収されて札を剥がし、新三郎はついに取り殺され、髑髏に抱きつかれた姿で白骨と化して発見されると語られる。生者の側ではなく死者の側に強く感情移入させる構成ゆえに、お露は「祟る幽霊」よりも「恋に殉じ、なお恋い続ける幽霊」として記憶され、四谷怪談のお岩、皿屋敷のお菊と並んで近世怪談を代表する女幽霊の一人に数えられる。

牡丹灯籠の物語で恋慕を抱えたまま現世へ通う女幽霊。

口裂け女

口裂け女

伝説

くちさけおんな

赤マスクの女・1979 年の口裂け女

人妖・半人半妖1978年岐阜発祥の現代都市伝説、在地聖地なし

口裂け女(くちさけおんな)は、1978-1979 年に岐阜県を発祥として全国に伝播した、戦後日本を代表する現代都市怪谈である。マスクで口元を覆った美しい女が夜道で子供を呼び止め、「私、キレイ?」と問うて、答えに応じてマスクを取り、耳まで裂けた口を見せて「これでもキレイ?」と重ねる ── 否定すれば鋏や出刃包丁で襲いかかる、という対話と襲撃のパターンを持つ。 初出は岐阜日日新聞 1979 年 1 月 26 日付コラム「編集余記」 とされ、 1979 年 3 月から週刊朝日・週刊新潮・週刊女性・女性自身等の全国誌が次々に取り上げ、同年 6 月には 週刊朝日 6 月 29 日号の平泉悦郎による大型特集「全国の小中学生を恐れさせる『口裂け女』風説の奇々怪々」 が掲載されてピークに達した。兵庫県姫路市では口裂け女に扮した模倣犯が銃刀法違反で逮捕され、福島県郡山市・神奈川県平塚市ではパトカーが出動し、北海道釧路市・埼玉県新座市で集団下校が実施されるなど、風説が現実の社会対応を引き起こした。江戸期の素朴な信仰や在地伝承から拾い上げられた怪ではなく、学習塾と全国誌が連動して半年で全国制覇するという、マスメディア時代の妖怪発生学を体現する稀有な事例である。 1990 年に 常光徹『学校の怪談』 が学術的に整理して以後、現代妖怪・都市伝説研究の代表事例として読まれ続けている。

マスクで口元を隠した女が問いかけとともに迫る、昭和の噂から全国へ広まった都市伝説。

テケテケ

テケテケ

名妖

てけてけ

校庭を駆ける半身の怪・テケテケ

霊・亡霊全国の学校怪談(出自不詳。1993~94年頃に名称が出版・映像で定着)

放課後の校庭の端に、身体が半分しかない何かが見える。遠くにいたはずなのに、次の瞬間には地面を打つ音がすぐ近くまで来ている。テケテケは、上半分または下半分だけの身体で校庭や校舎を移動し、人を追う現代の学校怪談である。列車事故で下半身を失った若い女性が腕や肘で迫る姿は、いまや代表的なテケテケ像となった。一方、1994年のテレビドラマ「妖怪テケテケ」を書いた小中千昭が制作時に読んだ1993~94年頃の学校怪談本では、上半身だけのものも下半身だけのものも走り、老女である場合が多く、由来譚はなかったという。一人の事故死者の経歴より先に、「半分の身体が異様な音と速さで動く」という短く演じやすい場面があった。 「テケテケ」という名は、身体や腕が床・地面を打つ移動音から生じたと説明されることが多い。その周りには、鹿児島の「パタパタさん」、滋賀の「コトコトさん」、神奈川の「カタカタ」、さらに「ひじかけババア」「肘子さん」「肘かけ女」といった名が響く。身体の一部が反復音を立てて動く複数の話が、1990年代の出版と映像を通じて「テケテケ」の名へ集まっていったと考えられる。だから性別、年齢、欠けている側、出現場所、速度、危害の方法まで、語る学校と世代に応じて変わる。 「テケテケ」の名が出版物の中ではっきり姿を現すのは1993~94年頃である。それより早い気配も、後年の記憶の中に残る。2004年に寄せられた投稿は、1980年頃の沖縄で似た話を聞いたと振り返り、ある高校で教師から生徒へ伝えられた型は、1980年代末から1990年代初頭へ遡る可能性を持つ。ただし、それらは一つの駅や事故へ収束しない。いくつもの土地で記憶された半身の怪が、やがて同じ反復音の名で呼ばれるようになったのである。 地域の語りは、映画で知られる姿より自由である。2001年に報告された神戸市立六甲アイランド高校の話では、鏡の中のテケテケさんと目が合うと追われる。2022年の口承文芸研究に登場する高校の型では、テケテケは男性の上半身で、手や首を猛烈に回す一方、追跡速度は人間と同じと語られた。こうした矛盾は誤記ではなく、語り手の声、擬音、身振りによって恐怖と笑いを同時に生む学校怪談の技法でもある。 やがて半身の姿へ、鉄道事故で亡くなった女性の前日譚が重なった。さらに、遭遇から三日または72時間以内の死、正しい答えによる回避、鎌や鋸による切断が加わる。とくに「話を聞いた者のもとへ三日以内に来る」「問いへ答える」という規則は、カシマさん系の怪談で強く語られる仕組みである。半身と鉄道という近い像を介して、二つの怪談は互いの名前と規則を交換していった。 2009年公開の白石晃士監督『テケテケ』は、加古川の戦後鉄道自殺、カシマレイコ、遭遇後72時間という要素を一本の起源物語に統合した。映画が示した鮮烈な女性像は、その後の「テケテケらしさ」を大きく整えた。それでも怪談の奥では、「半分の身体が、名を発するような音を立てて追ってくる」という簡潔な場面が動き続ける。教室、鏡、廊下、線路、映像、ゲームへ移るたび、その半身は新しい姿と規則をまとってきた。

線路や学校を舞台に、下半身を失った女が腕だけで追ってくると語られる都市伝説。

七尋女房

七尋女房

珍しい

ななひろにょうぼう

出雲隠岐の巨女・七尋女房

人妖・半人半妖島根県鳥取県

七尋女房は、島根県東部および隠岐諸島、鳥取県伯耆地方に伝わる巨大な女の妖怪。名の「尋」は長さの単位で、身の丈または首が七尋に及ぶとされる。山道や海辺に現れて笑いかけたり、石を投げる、洗濯の所作を見せるなどして人を惑わす。地域により容貌や振る舞いは異なり、美貌の物乞いとされる例から、黒い歯と乱れ髪の怪女として語られる例まで幅がある。

並外れて背の高い女房の姿で現れ、見る者を圧する巨大な女怪。

天逆毎

天逆毎

名妖

あまのざこ

素戔嗚の猛気・天逆毎

神霊・神格『和漢三才図会』素戔嗚が吐いた猛気から生まれた神、高天原

天逆毎(あまのざこ)は、江戸期の博物誌『和漢三才図会』巻四十四「治鳥付天狗・天魔雄」に引かれる「ある書」に見える怪神である。同書は、素戔嗚尊が体内に猛気の極まったものを抱え、これを吐き出したとき、その猛気が形を成して生じた女神が天逆毎であると説く。姿は人に似るが顔は獣のごとく、鼻が高く、耳が長く、口には牙を備える。気性は極めて荒く、意に逆らうものに遭えば荒れ狂い、いかに力ある神であっても千里の彼方へ投げ飛ばし、堅い刃物すら牙で噛み砕いたという。物事を悉くあべこべに言い做さねば気の済まぬ性向をもち、前を後ろ、左を右と言ったと伝え、ここから天邪鬼との連関がしばしば語られる。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』も天逆毎を図像化するが、その典拠は『和漢三才図会』に拠ると考えられている。

荒ぶる異形の女神として語られ、神と妖怪の境をまたぐ強烈な存在。

文車妖妃

文車妖妃

稀少

ふぐるまようひ

積年恋文の女霊・文車妖妃

付喪神・骸怪鳥山石燕の画図による創作的妖怪。固有名の在地伝承を欠く。

鳥山石燕の『百器徒然袋』に描かれる妖怪。文を運ぶ車「文車」にちなみ、古い恋文に積もった執着・情念がかたちを得たものと解される。巻紙を手にした女性像として示され、徒然草第七十二段の「文車の文」を典拠に意匠化された創作的妖怪で、恋文と器物の霊性が結びついた付喪神的解釈が広く流布している。

積み重なった恋文から生じたとされ、器物と女性像を結ぶ付喪神。

鈴彦姫

鈴彦姫

稀少

すずひこひめ

神楽鈴を戴く女――鳥山石燕の鈴彦姫

住居・器物鳥山石燕『百器徒然袋』で名と姿を与えられた器物妖怪。百鬼夜行絵巻諸本の鈴持ち妖物と図像上の連続が見られるが、特定地域の出没談・口承は確認されない。

鈴彦姫(すずひこひめ)は、鳥山石燕が天明4年(1784)に刊行した『百器徒然袋』巻之下で、名と姿を与えた器物妖怪である。国立国会図書館が公開する文化2年(1805)の求版本では、4コマ左頁に、人の姿をした像が欄干越しに身を傾け、開いた扇を前へ差し出す。頭には小鈴と長い緒を思わせる形が幾重にも重なり、顔と祭具の境が曖昧になる。名に「姫」とあるものの、特定の姫君の亡霊、神社に祀られた神、地方で語られた女性怪異とする記録は確認できない。石燕の一図から始まる、図像先行の存在である。 石燕の詞書は、「かくれし神を出し奉らんとて岩戸のまへにて神楽を奏し給ひし天鈿女のいにしへもこひしく夢心におもひぬ」と記す。隠れた神を岩戸から導き出そうと神楽を奏した天鈿女の昔を、夢心に恋しく思うという趣向である。これは鈴彦姫の出生譚ではなく、絵に神話的な余韻を添える短い文章である。『古事記』の天岩戸段で天宇受売命が用いるのは笹葉と伏せた槽で、神楽鈴は本文に現れない。鈴彦姫を天鈿女命本人、その化身、または神話中の鈴が化けたものとすることはできない。 鈴を持つ妖物の図は、鈴彦姫以前の百鬼夜行絵巻諸本にも見いだせる。国立国会図書館所蔵の江戸中期写本には、鈴束を手にした鳥形の像がある。今井秀和は同系の像を「鈴を持った巫女姿の鶴」と説明する。ただし、その像に鈴彦姫という名はなく、石燕と同じ個体だとは証明されない。共通するのは巫女、鳥、鈴を組み合わせる視覚的な発想である。 鈴彦姫には、特定の出没地、人への害、授ける利益、性格、弱点、退治法を語る原典がない。付喪神と分類する場合も、百年を経た鈴が恨みで化けたという固有伝説を足してはならない。確かな輪郭は、鈴の形を身体へ組み込んだ女姿、開いた扇、天鈿女の昔を恋う詞書、そして後代の絵師が引用した図像にある。

神楽鈴を頭上に戴く女姿で、祭具に宿る霊性を鮮やかに形にした。