伝説
伝統妖怪

黒塚

くろづか

カテゴリ
鬼・巨怪
性格
表面は孤独な老婆、内には娘を殺した狂気と業の苦悩を抱える。
起源
安達ヶ原 (現·福島県二本松市安達ヶ原 = 旧·陸奥国安達郡) / 観世寺 (現·福島県二本松市安達ヶ原、旅僧·東光坊祐慶開基 727 年頃) / 黒塚 (鬼婆の墓と伝わる塚、観世寺境内)
  • 観世寺·黒塚 (安達ヶ原)(福島県 二本松市安達ヶ原)鬼婆退治伝承の本貫·727 年神亀 4 年開基·黒塚 (鬼婆墓) と岩屋現存
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基本説明

平安期に平兼盛『拾遺和歌集』 (1006)に「みちのくの安達ヶ原の黒塚に鬼籠れりと聞くはまことか」と詠まれて知名度が確立した、陸奥国安達ヶ原 (現·福島県二本松市) の鬼婆伝承。旅人を泊めては夜半に襲って肝を喰らう山中の老婆という妖怪型を最も典型的に体現する。中世室町期に観世小次郎が能『黒塚 (安達原)』として劇化し、江戸期に近松半二らが浄瑠璃·歌舞伎『奥州安達原』 (1762 年初演)として大成、現代まで上演されつづける日本鬼婆譚の代表である。主要伝承地は観世寺 (福島県二本松市安達ヶ原、727 年神亀 4 年開基) で、境内の黒塚は鬼婆の埋葬塚と伝わる。鬼婆の正体「岩手」が娘の肝を求めた末に実の娘を殺してしまう悲劇譚が後世に付加され、単純な怪物譚から人間悲劇に深化した。

民話・伝承

安達ヶ原·黒塚の鬼婆譚は平兼盛の和歌 ── 「みちのくの安達ヶ原の黒塚に鬼籠れりと聞くはまことか」 ── が『拾遺和歌集』 (1006、巻第九雑下) に収載されたことで文学史に登場した。これは平兼盛 (?-991、三十六歌仙) が陸奥守として下向した際に詠んだ伝聞型の和歌で、平安中期の都人にとって「みちのく」が異界·鬼の棲む地として観念されていた状況を示す。ただし兼盛和歌の段階では具体的説話はまだ伴っておらず、「黒塚という塚に鬼が籠もると聞く」という風聞の形である。

具体的説話化は中世観世寺縁起 (二本松市安達ヶ原)によると、神亀 4 年 (727 年) 頃、紀州熊野那智の旅僧·東光坊祐慶 (とうこうぼうゆうけい) が陸奥行脚の途中で安達ヶ原を通過した際、山中の小屋で一夜の宿を借りた老婆が留守中に「奥の間を覗くな」と禁じたにも関わらず祐慶が覗くと、累々たる人骨の山があった。老婆 = 人喰い鬼婆と悟った祐慶が必死に逃げると、鬼婆が出刃を翳して追走、観音像 (祐慶携帯) が空中に飛び、破魔の矢を放って鬼婆を退治したという。祐慶はその地に観世寺を開基し、鬼婆を黒塚に埋葬したと伝わる。観世寺は現在も福島県二本松市安達ヶ原に現存し、境内の黒塚 (鬼婆の墓) は史跡。

中世以降の劇化は段階的である。第一段階は観世小次郎信光 (1450-1516) 作と伝わる能『黒塚 (安達原)』で、五番目物 (鬼物) の代表曲として現代まで上演される。シテ (主役) は前場で「糸繰り女」として登場し、旅僧 (東光坊) と問答するうちに正体を現して鬼女と化す。「閨を覗くな」のタブー破りと観音菩薩の調伏で物語が締めくくられる構造は能の鬼物の祖型を成した。第二段階は江戸中期、近松半二·竹田治蔵·三好松洛らの合作浄瑠璃『奥州安達原』 (1762 年 9 月·竹本座初演)で、ここで初めて鬼婆に「岩手」 (いわて) という人格名と悲劇的背景が与えられた。岩手はかつて京都の公家に乳母として仕えていたが、主家の姫君の難病を治すには「妊婦の胎児の肝」が必要と告げられ、これを求めて陸奥へ下向。安達ヶ原の岩屋で旅人 (実は妊婦) を襲って胎児を取り出すと、死した妊婦が肌身離さず持っていた守袋を見て、それが幼少時に生き別れた実の娘だと判明する。これに発狂した岩手が以後·旅人を襲い続ける鬼婆と化したという物語構造は、単純な怪物譚を「母性·業·報い」の人間悲劇に変質させ、江戸庶民を強く打った。

以後·歌舞伎·浮世絵·浄瑠璃で何度も再上演·再描写され、月岡芳年『新形三十六怪撰』 (1889-1892) の「奥州安達がはらひとつ家の図」はこの題材の浮世絵頂点と評される。近代では福島県二本松市が観光資源として黒塚·観世寺·安達ヶ原を整備、現在は安達ヶ原ふるさと村·黒塚ハイキングコースとして公開されている。鬼婆型妖怪 (山姥·安達ヶ原系) の代表として、山姥 (やまんば、既存項目「yamambo」) と並ぶ日本の鬼婆譚二大柱を成し、とくに「タブー破り (見るな禁忌)」 + 「業の悲劇」という叙事構造で他の鬼婆譚を凌ぐ深さをもつ。

関連する妖怪

伝承の上で深く結びつく妖怪たち。

同類1

徹底解説

安達ヶ原·黒塚の鬼婆譚の文学史上の出発点は、平兼盛 (?-991、三十六歌仙·光孝天皇皇孫·赤染衛門の父) の和歌「みちのくの安達ヶ原の黒塚に鬼籠れりと聞くはまことか」 (『拾遺和歌集』巻第九雑下、1006 年成立、撰者·藤原公任) である。平兼盛は陸奥守として赴任した経験をもち、 この和歌は伝聞 (「鬼籠れりと聞く」) の形で詠まれている ── 平安中期の都人にとって「みちのく」 (陸奥) は異界·鬼が棲む辺境として観念されており、黒塚という具体地名と鬼の風聞が既に流布していたことを示す。ただし兼盛和歌の段階では具体的説話はまだ伴っていない。

具体的説話化は中世以降·観世寺 (二本松市安達ヶ原·真言宗豊山派) 縁起によると、神亀 4 年 (727 年) 頃、紀州熊野那智から陸奥行脚に出た旅僧·東光坊祐慶 (とうこうぼうゆうけい) が安達ヶ原を通過した際、日暮れて山中の岩屋小屋に一夜の宿を求めた。家主の老婆は「奥の間を覗いてはならぬ」と禁じて薪を取りに出かけた。祐慶が好奇心に駆られて覗くと、累々たる人骨の山があった。鬼婆と悟った祐慶が逃げ出すと、戻った老婆が鬼相を現して出刃を翳して追走、祐慶が必死に念じた携帯の如意輪観音像が空中に飛び上がって破魔の矢を放ち、鬼婆を退治した。祐慶はその地に観世寺を開基し、鬼婆を黒塚に埋葬したと伝わる。観世寺は現存し (福島県二本松市安達ヶ原 4-126)、境内に黒塚 (鬼婆の墓)·阿武隈川を臨む岩屋·宝物殿があり、年間多くの参詣者·観光客を集める。

中世·室町期に至り、この説話は能舞台で大成される。観世小次郎信光 (1450-1516、 観世座金春流の能作者) 作と伝わる能『黒塚 (安達原·あだちがはら)』は五番目物 (鬼物·切能) の代表曲で、 現代まで頻繁に上演される。 シテ (主役) は前場で「糸繰り女」として山中の岩屋に旅僧 (東光坊) を迎え入れ、「閨を覗くな」と禁じて薪取りに出る。 後場で旅僧が覗くと累々たる人骨があり、戻った女が鬼女と化して襲うが、観音菩薩の調伏で退治される。 「閨のタブー破り」と「観音菩薩による調伏」 という劇構造は、 能の鬼物の祖型を成し、 『紅葉狩』『鉄輪 (かなわ)』『道成寺』等の同系曲群に影響を与えた。

第二段階は江戸中期、 浄瑠璃·歌舞伎『奥州安達原』である。近松半二·竹田治蔵·三好松洛·八民平七·竹本三郎兵衛らの合作浄瑠璃『奥州安達原』 (1762 年 9 月、 大阪·竹本座初演) は全五段の人形浄瑠璃で、 翌 1763 年に歌舞伎化されて以来、 安達ヶ原·黒塚の鬼婆題材の決定版となった。 とくに三段目「袖萩祭文」 と四段目「一つ家 (黒塚)」 が現代まで頻繁に上演される。 ここで初めて鬼婆に「岩手」 (いわて) という人格名と悲劇的背景が与えられた。 岩手はかつて京都·公家の屋敷に乳母として仕えており、 主家·公卿の姫君の難病を治すには「妊婦の胎児の生き肝」が必要と医師に告げられて、 これを求めて陸奥へ下向、 安達ヶ原の岩屋に潜んで通行する妊婦を襲う鬼婆となった。 ある夜、 念願の妊婦旅人を出刃で襲って胎児を取り出した直後、 死した妊婦が肌身離さず持っていた守袋を発見し、 それが幼少時に生き別れた実の娘の遺品だと判明する。 自らの手で娘と孫を一度に殺した事実を悟った岩手は発狂し、 以後·安達ヶ原を通る旅人を見境なく襲い続ける純粋な鬼婆と化したという物語構造は、 単純な怪物譚を「母性·業·報い」 の人間悲劇に変質させ、 江戸庶民の涙を絞った。

浮世絵では月岡芳年『新形三十六怪撰』 (1889-1892) の「奥州安達がはらひとつ家の図」 が、 妊婦の胎児を取り出す鬼婆を生々しく描いて怪奇絵の頂点と評される。 葛飾北斎·歌川国芳らも同題材を残している。 近代では福島県二本松市が観光資源として黒塚·観世寺·安達ヶ原を体系的に整備し、 安達ヶ原ふるさと村 (1989 年開園)·黒塚ハイキングコース·観世寺宝物殿として公開、 年間多くの参詣·観光客を集める。 鬼婆型妖怪の代表として、 山姥 (やまんば、 山中に棲む鬼婆系の汎称) と並ぶ日本鬼婆譚の二大柱を成す ── 山姥は山岳信仰·山母神格に根を持つ汎日本的な存在で、 黒塚は陸奥の具体的な土地と人間悲劇に深く結びついた個別性の高い存在、 という対比で読まれる。 「タブー破り (見るな禁忌)」 + 「業の悲劇」 という叙事構造は他の鬼婆譚を質的に凌駕しており、 現代でも能·歌舞伎·浄瑠璃·絵本·漫画 (例: 諸星大二郎『妖怪ハンター』黒塚編) で繰り返し題材化される、 日本鬼婆譚の代表的存在である。

妖怪設定

この区画は物語を楽しむための当サイト独自の設定です。史実・考証ではありません。

性格
表面は孤独な老婆、内には娘を殺した狂気と業の苦悩を抱える。
相性
母性·業·悔悟をテーマとする祈願者と相性。妊婦は古来から黒塚への近接を避ける伝承。
能力・特技
出刃による殺戮夜間の山中での襲撃閨の禁忌設定 (見るな·覗くな)胎児の肝の摘出観音菩薩の破魔の矢にのみ調伏される弱点
弱点
観音菩薩 (とくに如意輪観音) の加持·破魔の矢で調伏される。業を悟って供養されると成仏可能とされる。
生息地
陸奥国安達ヶ原 (現·福島県二本松市)·観世寺·黒塚·近世以降は能舞台·歌舞伎舞台·浮世絵。

安達ヶ原の悲劇·黒塚の鬼婆についてさらに詳しい情報や診断結果については、こちらをご覧ください。

出典・参考文献

6
  1. 平兼盛 和歌『拾遺和歌集』 巻第九雑下平兼盛 / 撰者·藤原公任(伝統文献·伝承·観光, 1006) [古典文献·伝承·民俗]「みちのくの安達ヶ原の黒塚に鬼籠れりと聞くはまことか」 ── 黒塚伝承の文学史上の初出。 平兼盛は陸奥守経験者、 伝聞型の和歌。
  2. 能『黒塚 (安達原·あだちがはら)』観世小次郎信光(伝統文献·伝承·観光, 室町期 (15 世紀後半)) [古典文献·伝承·民俗]五番目物·鬼物代表曲。 シテは「糸繰り女」 として旅僧 (東光坊) を岩屋に迎え、 閨タブー破りで鬼相を現すが観音菩薩に調伏される。 能の鬼物の祖型。
  3. 人形浄瑠璃·歌舞伎『奥州安達原』近松半二·竹田治蔵·三好松洛·八民平七·竹本三郎兵衛 (合作)(伝統文献·伝承·観光, 1762) [古典文献]大阪竹本座初演の五段全本。 三段目「袖萩祭文」·四段目「一つ家 (黒塚)」が現代まで上演。 鬼婆に「岩手」 という人格と娘殺し悲劇の背景を初めて与えた決定版。
  4. 観世寺·黒塚由緒 (二本松市安達ヶ原)観世寺 (真言宗豊山派)(伝統文献·伝承·観光, 神亀 4 年 (727) 開基伝承~) [古典文献·伝承·民俗]紀州熊野那智の旅僧·東光坊祐慶が陸奥行脚中に鬼婆を退治した縁起。 祐慶開基の観世寺·境内の黒塚 (鬼婆墓) が現存。 福島県二本松市安達ヶ原。
  5. 鬼婆「岩手」 悲劇譚 (娘殺し)近松半二『奥州安達原』 四段目(伝統文献·伝承·観光, 1762) [古典文献·伝承·民俗]京都公家の乳母·岩手が主家の姫君の難病治療に妊婦胎児の生き肝を求めて陸奥に下向、 妊婦旅人を殺して胎児を取った直後に守袋から実の娘と判明、 発狂して鬼婆と化す業の譚。
  6. 安達ヶ原·黒塚現代観光資源化福島県二本松市·安達ヶ原ふるさと村(伝統文献·伝承·観光, 1989 年~) [古典文献·伝承·民俗]観世寺·黒塚·岩屋·安達ヶ原ふるさと村 (1989 開園) として現代観光地化。 県内外から能·歌舞伎·浮世絵題材の聖地として年間多数の参詣客。

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