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鬼、河童、天狗、雪女――時代を越えて名を残す日本の異形

有名な妖怪
日本を代表する妖怪・鬼・怪異

54体の妖怪

要点

日本で有名な妖怪には、鬼、河童、天狗、九尾の狐、雪女、座敷童子、ろくろ首、ぬらりひょんなどがいます。本特集では人気順位ではなく、古典、地域伝承、妖怪画、近現代文化を通じて広く知られるようになった代表的な妖怪を紹介します。

日本で有名な妖怪とは

日本で有名な妖怪として、まず名前が挙がるのは鬼、河童、天狗、九尾の狐、雪女、座敷童子などです。ただし、これらを同じ時代、同じ土地に生まれた一つの種族と考えることはできません。鬼は宗教や説話、年中行事に姿を変えながら現れ、河童と天狗には各地で異なる呼び名と性格があり、雪女は雪国の自然と暮らしの中で語られてきました。『日本妖怪大事典』のような総合事典を開いても、それぞれの妖怪は異なる原典、土地、時代を背負っています。

本特集は知名度を数値で競わせるランキングではありません。長い年月にわたって語り継がれたこと、複数の地域に異伝があること、絵巻や妖怪画によって忘れがたい姿を得たこと、漫画、アニメ、映画、学校の怪談、インターネットを通じて新たな世代にも共有されたこと。そうした「名が広がる道筋」を手がかりに、日本を代表する妖怪と怪異を選びました。同じ名前でも土地によって姿や行いが変わる例は多く、国際日本文化研究センター「怪異・妖怪伝承データベース」で確かめられる地域差も、この国の妖怪文化を豊かにする大切な一部です。

鬼、河童、天狗――誰もが名を知る定番

鬼、河童、天狗は、特定の一冊や一地方だけに収まらない広がりをもっています。鬼は地獄の獄卒、山の異人、退治される怪物、節分で追われる災厄など、場面ごとに役割を変えます。河童は川や淵の危険を人の姿へ映し、天狗は山の霊威、仏道への慢心、空を飛ぶ異能を重ねてきました。いずれも一つの決まった設定ではなく、各地の語りが積み重なって「誰もが知る姿」になった妖怪です。

雪女と座敷童子も、自然と家という身近な場所から全国へ名を広げました。柳田國男の『遠野物語』には河童や座敷童子を含む遠野の怪異が記され、土地に根ざした語りが書物を通して多くの読者へ渡った過程をうかがえます。ろくろ首は伸びる首という一目で伝わる異形をもち、ぬらりひょんは絵画、図鑑、後世の物語を重ねる中で印象を変えてきました。

一目で分かる姿――妖怪画が残した顔

名前だけで姿を思い浮かべられることは、妖怪が広く知られる大きな力です。一本足の傘に目と舌がつくからかさ小僧、顔の造作だけが消えたのっぺらぼう、老いた猫が異能を得る猫又、燃える車輪に顔が浮かぶ輪入道。説明が短くても輪郭が立ち上がる妖怪は、絵本、玩具、舞台、映像へ姿を移しやすく、世代を越えて記憶されてきました。

江戸期には、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』をはじめとする画集が、さまざまな怪異を名と図像で見比べる楽しみを広げました。先行する絵巻、地域の口承、絵師の見立てが重なり、目目連や垢嘗のような日常の隙間に潜むものまで、妖怪は「見て覚える」存在になります。付喪神は単一の妖怪名ではなく、古い器物が霊性を帯びるという大きな考え方であり、からかさ小僧のような器物妖怪を理解する入口でもあります。

酒呑童子、玉藻前、大嶽丸――物語を背負う大妖怪

酒呑童子、玉藻前、大嶽丸、鵺、土蜘蛛は、姿の奇抜さだけでなく、武将、陰陽師、宮廷、山岳信仰、退治譚と結びついた長い物語によって名を残しました。酒呑童子をめぐる『大江山絵詞』では、山中に構えた鬼の館と源頼光一行の計略が大きな物語として描かれます。玉藻前は宮廷の美女と九尾の狐を結び、鵺は正体の見えない声と複数の獣を合わせた姿によって、人の理解を越える恐怖を表しました。

牛鬼と海坊主は、海辺や淵、夜の海という人の力が及ばない場所に巨大な身体を与えます。一方、がしゃどくろは古代から同じ名で伝わった妖怪ではなく、巨大骸骨という現在の像が昭和中期の怪奇メディアで形づくられ、歌川国芳の骸骨図と後に結びついた存在です。「少年少女雑誌の怪奇記事とネタ元」がたどる成立史は、有名な妖怪にも古い伝承と近現代の創作が混在していることを教えてくれます。

山、家、水辺――土地に根を張る妖怪

山姥は山の脅威と恵み、産女は出産と死、絡新婦は滝や淵と蜘蛛、濡女は海辺や水際の危険を、人に近い姿で語ります。犬神は家や一族にまつわる信仰と畏れを背負い、鎌鼬は突然できた傷を風の仕業として説明します。木霊は森に響く声や古木の霊性を、枕返しは眠りの間に起きる小さな異変を形にしたものです。

これらは全国どこでも同じ姿をしているわけではありません。産女が亡くなった母の霊として語られる土地もあれば、子を守る存在として祀られる例もあります。犬神の伝承圏、山姥の性格、濡女の身体も地域によって異なります。名が有名になるほど一つの姿にまとめられがちですが、各地に残る異伝を読み比べると、妖怪の本体はむしろ土地ごとの差異にあることが見えてきます。

音、気配、しぐさ――短い話が名を残す

妖怪は壮大な退治譚がなくても、人が一度聞けば覚える動きによって名を残します。小豆洗いは水辺で小豆を研ぐ音を響かせ、ベトベトさんは夜道を歩く人の後ろから足音だけでついてきます。見越入道と大入道は見上げるほど大きくなり、一つ目小僧は幼い僧形と一眼という簡潔な姿で人を驚かせます。豆腐小僧は豆腐を載せた盆を運ぶだけの、害よりも愛嬌が勝る妖怪です。

火車は葬送の場から亡骸を奪い、船幽霊は柄杓で船へ水を入れると語られます。短い話の中に「どこで出会うか」「何をされるか」「どう逃れるか」が揃っているため、聞き手は場面をすぐに想像できます。有名さは必ずしも物語の長さではなく、名前、音、姿、動作が一つに結びつく強さからも生まれます。

地域の名から全国の名へ

一反木綿、子泣き爺、砂かけ婆、ぬりかべは、それぞれ地域の語りや採集記録をもつ一方、20世紀以降の妖怪図鑑、漫画、アニメなどを通じて、土地を越えて共有される姿を得ました。白沢、雷獣、件のように古い文献や図像をもつものも、展覧会、出版、映像、インターネットで繰り返し紹介されるたびに、新しい世代の「知っている妖怪」になります。総合事典にまとめられた多様な原典と異伝は、現在の知名度が長い記録と再解釈の上に成り立つことを示します。

不知火と人魂は、正体のある生物というより、夜に見える光へ名前と意味を与えた怪異です。アマビエは、1846年に肥後の海から現れ、疫病を予言して自らの姿を写すよう告げたとする一枚の瓦版に姿が残ります。残された記録が少なくても、後世に再発見され、社会の記憶と結び直されることで、妖怪の名が再び広がることがあります。

口裂け女から八尺様へ――現代に生まれる怪異

妖怪は古典の中だけにいるわけではありません。口裂け女は1970年代末、子どもたちの噂が地域を越えて広がり、当時の週刊誌にも取り上げられました。テケテケのように学校や鉄道を舞台とする話は、常光徹『学校の怪談』など、近現代の口承を集める書籍を通して読み継がれています。古い地誌や絵巻を原典としなくても、恐怖の場面と対処法が人から人へ渡ることで、怪異は共有の輪郭を得ます。

八尺様は2008年の匿名掲示板への投稿を起点として知られ、クネクネも初期のウェブ怪談が掲示板へ転載される中で姿を広げました。匿名投稿として残る記録は、作者や土地が明確な古典とは異なる、ネット時代の伝わり方そのものを映しています。これらを古い妖怪と同じ由来だと扱うべきではありませんが、「語られるたびに細部が変わり、それでも名が残る」という働きは、古くからの口承と地続きです。

有名さの向こうにある、土地と原典へ

広く知られた妖怪ほど、親しみやすい一つの姿の陰に、異なる土地、古い呼び名、怖さ、信仰、後世の脚色が隠れています。名前を知って終わるのではなく、気になった妖怪のページを開き、いつ、どこで、誰が語ったのかまでたどると、日本の怪異は「有名なキャラクターの一覧」から、人々が自然、死、家、社会の変化と向き合ってきた文化史へ変わります。

この特集は代表的な妖怪を選んでいます。条件を付けずに全体を探したい場合は妖怪図鑑へ、投票による現在の人気を見たい場合は妖怪人気ランキングへ進んでください。

更新: 2026/7/16
有名な妖怪代表的な妖怪日本の妖怪妖怪一覧怪異

収録妖怪

54体の妖怪が収録されています

この妖怪たちのアートカードも見つかります

全 77 枚のカード — 浮世絵、現代日本…

鬼

伝説

おに

角と虎皮褌の鬼

鬼・巨怪京都府

鬼は、頭に角を生やし、口に牙を持ち、虎の皮の褌をまとう異形として描かれる、日本の怪異の代表的な総称である。語源は目に見えぬものを意味する「隠(おぬ・おん)」に由来するとされ、本来は形を持たぬ邪気や死霊を指したと考えられている。仏教が伝わると地獄で亡者を責める牛頭・馬頭や夜叉・羅刹のイメージが重なり、さらに陰陽道で北東を鬼の出入りする鬼門(丑寅)とする観念が結びついて、牛の角と虎の皮という現在の像が成立したと説かれる。地獄の獄卒、節分で追われる邪鬼、山に棲む酒呑童子型の大鬼まで、性格も役割も多層的で、恐怖と畏怖の両面を担う存在である。

節分、説話、仏教の地獄、祭礼まで多層に現れ、日本の「鬼」の原型を担う。

河童

河童

伝説

かっぱ

川辺の皿頭・河童

河童は、川や池、沼などの水辺に棲むとされる、日本でもっとも名高い妖怪の一つである。背丈は四、五歳の子どもほどで、頭の上に水をたたえた皿(さら)をいただき、背に甲羅、口は嘴(くちばし)、手足には水かきをもつ。体は緑や赤がかった色で、生臭いともいう。この頭の皿こそが力の源で、皿の水がこぼれたり乾いたりすると、たちまち力を失うと信じられてきた。それゆえ、河童に深くお辞儀を返させて皿の水をこぼさせ、捕らえるという知恵も語り継がれた。 河童には、人や馬を水へ引きずり込んで命を奪う恐ろしい一面と、約束を固く守り、相撲を好み、ときに接骨の妙薬を伝える律儀な一面とがある。全国に広く分布し、土地ごとにガラッパ、メドチ、エンコウ、ヒョウスベなど、八十をこえる呼び名をもつ。日本の妖怪のなかでも、これほど深く地域に根を張った存在は珍しい。

川や沼に棲み、相撲、尻子玉、薬の伝承など各地で異なる顔をもつ水の怪。

天狗

天狗

伝説

てんぐ

天狗とは何か――類型と図像の総論

山野の怪京都府滋賀県

天狗は、日本の山岳に棲むとされる妖怪にして神格的存在であり、修験道の山伏と分かちがたく結びついてきた山の主である。その姿には大きく二つの系統がある。ひとつは赤ら顔に高い鼻、山伏の装束をまとい羽団扇と一本歯の高下駄を具えた鼻高天狗、いまひとつは鴉のくちばしと翼をもつ烏天狗で、さらにその下に木の葉天狗・木っ端天狗といった下位の眷属が連なる。古くは鳶(とび)のごとき鳥の姿で観念されたものが、中世を通じて長鼻の山伏像へと固まっていった。 天狗は仏法を妨げる魔でありながら、調伏されれば仏法を護る護法神に転じる――この両義性が天狗の本質である。慢心した高僧が堕ちて天狗になるという観念は、仏教の説く「天狗道」と結びつき、鎌倉末の絵巻にも風刺として描かれた。一方、山岳信仰のなかでは山の守護者・武芸と法力の達人として畏敬され、修行者を試し、あるいは導く存在とされた。京都の鞍馬山や愛宕山をはじめ、諸国の霊山にはそれぞれの大天狗が座すと伝えられ、近世の『天狗経』はその総数を四十八に数え上げている。

山の霊威、山伏、飛翔の異能を重ね、古典から現代まで広く描かれる。

九尾の狐

九尾の狐

伝説

きゅうびのきつね

白面金毛の九尾狐

動物変化京都府栃木県

九尾の狐は、狐が長い年月を経て霊力を高め、尾を九つに分けたとされる妖狐である。ただし、その名は単に「尾の多い化け狐」を指すだけではない。日本の妖怪図像の中では、九尾の狐は狐信仰、稲荷信仰、狐憑き、王権を惑わす美女譚、そして玉藻前から殺生石へ至る物語を結びつける、もっとも大きな狐の像である。 源流をたどると、中国古典『山海経』南山経の青丘山に、狐に似て九つの尾を持ち、声は嬰児のようで人を食う獣が見える。ここでの九尾狐は怪物であると同時に、古代中国では太平の世に現れる瑞獣としても語られた。後代の中国・日本の文献は、この吉祥の狐と人を惑わす凶狐を重ね、九尾の狐を「めでたい神獣」と「国を傾ける妖狐」の両方に育てていった。 日本に入った狐の観念は、二つの方向へ広がる。一方には、稲荷大神の使いとして祀られ、田畑・商売・家内安全を守る白狐がある。伏見稲荷大社が語るように、稲荷信仰は奈良時代の和銅4年(711)に稲荷山へ神が鎮まったとする由緒を持ち、今も全国に約3万社といわれるほど広い信仰圏を持つ。もう一方には、人を化かし、人に憑き、家筋や土地に取りつく野狐・管狐・オサキ・飯綱の系統がある。九尾の狐は、この善狐と凶狐のあいだをまたぐ。神に近い白狐の高貴さを持ちながら、同時に人間社会の奥へ入り込み、権力そのものを揺るがす危うさを持つ。 とくに日本で九尾の狐を決定づけたのが、玉藻前と殺生石の物語である。玉藻前は、鳥羽院の寵愛を受けた絶世の美女として語られ、やがてその正体を狐と見破られて那須野へ逃れ、討たれた後に毒を放つ石になったとされる。ここで大切なのは、九尾の狐、玉藻前、殺生石が同じものではなく、物語上の段階を異にする点である。九尾の狐は本相、玉藻前は宮廷に現れた化身、殺生石は討たれた後の成れの果てである。この三段階が結びつくことで、狐はただ人を化かす動物ではなく、美、知、政治、死、鎮魂までを背負う大妖狐になった。

人に化ける狐から九尾の妖狐まで、知恵、美、畏れを一身に集める。

雪女

雪女

伝説

ゆきおんな

雪国の夜の白霊・雪女

自然現象・自然霊岩手県

雪深い夜、吹雪とともに現れる白衣の女の妖怪。色白で背が高く、白い裳裾を雪に引いて立ち、人に息を吹きかけて凍てつかせ、あるいは精を奪うとされる。雪そのものが化した精、または雪山で行き倒れた者の霊とも語られ、豪雪地帯を中心に本州各地へ広く伝わる。地域により雪女郎・雪女房・つらら女・しがま女房などと呼び名を変え、富山ではユキオン、愛媛吉田ではユキンバとも称される。雪国の畏れと美しさが結んだ、最も名高い雪の怪である。

吹雪の夜に白い女の姿で現れ、雪国の美しさと死の危険を象徴する。

座敷童子

座敷童子

伝説

ざしきわらし

岩手の家守る童・座敷童子

人妖・半人半妖岩手県青森県

座敷童子(ざしきわらし)は、岩手県をはじめとする東北地方に伝わる、旧家の奥座敷や土間に棲みつく子どもの姿の精霊(妖怪)である。多くは五、六歳ほどの童で、おかっぱ頭に赤いちゃんちゃんこを着た姿でふいに現れ、夜の廊下を走る足音や笑い声で気配を示す。座敷童子の最大の呪術的特徴は、その家の「運命(盛衰)」と直接結びついている点にある。座敷童子が棲みつき、その姿を見ることのできる家は富み栄えるが、ひとたび童子が去った家はたちまち没落し、最悪の場合は一家離散や死に絶えると固く信じられてきた。単なる子供の幽霊ではなく、福の神としての恵みと、畏怖すべき決定論的な力とを併せ持つ、家の守護神にして運命神である。

家に棲む童子として、目撃される幸運と去った後の衰退をめぐって語られる。

ろくろ首

ろくろ首

伝説

ろくろくび

飛頭蛮・抜け首(小泉八雲解釈版)

人妖・半人半妖日本全国 ── 特定地を持たない人里の怪

ろくろ首(ろくろくび)は、夜間、就寝中に首が異常に長く伸びる、あるいは胴体から完全に離れて空を飛び回るという、日本を代表する有名な妖怪である。現代では「ろくろ首=首が伸びる妖怪」というイメージが定着しているが、民俗学的には、首が胴体から離れて飛ぶ「抜け首」こそが本来の姿であるとされる。この原型は、古代中国の奇書『捜神記』などに記された「飛頭蛮(ひとうばん)」という異国の妖怪が日本に伝来したものである。 妖怪研究における最大の面白さは、なぜ「飛ぶ」から「伸びる」へ変化したかという点にある。江戸時代の絵巻物で、抜け首と胴体を繋ぐ「霊的な細い糸」が描かれた際、大衆がそれを「細長く伸びた首そのもの」だと視覚的に誤認したことが、「伸びるろくろ首」誕生の決定的な契機となったという説が有力である。伝承の多くにおいて、ろくろ首は生来の化け物ではなく、人間の女性が「離魂病(魂が肉体を抜け出す病)」や業(ごう)の深さゆえに無自覚のまま引き起こしてしまう悲劇的な怪異として語られている。

夜に首が伸びる、または頭が抜けて飛ぶという、忘れがたい身体変異の怪。

ぬらりひょん

ぬらりひょん

伝説

ぬらりひょん

妖怪総大将のぬらりひょん

人妖・半人半妖岡山県

ぬらりひょんは、後頭部が大きく伸びた禿げ頭の老人が、上品な着物や羽織をまとった姿で描かれる妖怪である。今日では「妖怪の総大将(妖怪の親玉)」として広く認知されているが、実はこの設定は昭和から平成にかけての創作やアニメ作品を通じて定着したものであり、古典の伝承に基づくものではない。元々は江戸時代の妖怪絵巻に名前と絵図だけが描かれ、長らく「何をするのか、どんな妖怪なのか、能力も正体も一切不明」というミステリアスな存在であった。一方で、岡山県の瀬戸内海沿岸(備讃灘)などには、海に浮かぶ正体不明の球状の妖怪(海坊主の一種)を「ぬうりひょん」と呼ぶ民間伝承が存在する。一般的には、江戸の絵師がこの滑稽な響きを持つ地方の妖怪の名前を、全く関係のない「謎の老人」の絵に当てはめたものが、現在のぬらりひょんのルーツであると考えられている。「どこの妖怪か」と問われれば、名前は岡山生まれ、姿は京都・江戸の絵師作というハイブリッドな成り立ちを持つ。時代と共に「正体不明の老人」から「他人の家に上がり込む図々しい妖怪」、そして「妖怪たちを統べる強大な首領」へと、メディアの変遷とともに最も劇的な出世と変化を遂げた稀有な妖怪である。

つかみどころのない姿が絵画、図鑑、後世の物語を経て広く知られた。

からかさ小僧

からかさ小僧

珍しい

からかさこぞう

夜道で跳ねる古傘・からかさ小僧

住居・器物日本各地 ── 古傘の付喪神、特定の発祥地を持たない

からかさ小僧(からかさこぞう)は、日本の妖怪を代表するポップアイコンであり、付喪神(器物の妖怪)の代名詞とも言える存在である。一つ目を大きく見開き、長い舌を垂らし、一本足に下駄を履いて跳ね回る姿が最も著名だが、このアイコン的な図像は民間伝承から自然発生したものではなく、近世江戸期の出版文化や玩具のなかで人為的に造形された。室町時代の『百鬼夜行絵巻』にも傘の妖怪は描かれているが、それは人型の鬼が閉じた傘を頭に被った姿であり、現在我々が知る一本足の造形とは異なる。江戸後期に至って草双紙、おもちゃ絵、お化けかるた、そして歌舞伎の舞台道具などを通じて「単眼・一本足」という特徴が固定化され、愛嬌のある滑稽な化け物として広く大衆に愛されるようになった。

一本足の傘に目と舌という簡潔な姿で、器物妖怪の代表格となった。

のっぺらぼう

のっぺらぼう

名妖

のっぺらぼう

紀伊国坂の顔なき怪・のっぺらぼう

人妖・半人半妖東京都

のっぺらぼうの核心は、「顔」という人間認識の最小単位が突然消えることにある。人の姿で立ち、泣く女や店の主人のように日常の役割をまといながら、振り向いた瞬間に目鼻口のない滑らかな面だけを見せるため、怪物の外見よりも「相手を人間だと信じた判断」が崩される。小泉八雲が『怪談』に収めた「むじな」では、赤坂紀伊国坂で顔のない女に遭遇した男が蕎麦屋へ逃げ込み、そこで店主まで同じ顔を見せる。この二段階の反復が、のっぺらぼうを単なる異形ではなく、安心できる場所を奪う怪異として際立たせている。 のっぺらぼうは独立した「種族」というより、ムジナ・狸・狐などの化ける獣が人を脅かす話型から析出した顔のない人型怪異である。村上健司『妖怪事典』では、狢や化け狸の伝承と接続しながら、夜道・坂道・水辺に現れる化け物として整理される。水木しげるの妖怪図鑑類は、この曖昧な化かしの型を「目鼻口を失った顔」という強烈な図像へまとめ、現代読者が即座に思い浮かべる姿を定着させた。つまりのっぺらぼうは、古い獣の化かしが近代怪談と視覚文化を経て、顔の喪失そのものを主題化した妖怪なのである。

顔の造作が突然消える一場面だけで、日常が崩れる恐怖を伝える。

猫又

猫又

伝説

ねこまた

古猫変化の二股尾・猫又

動物変化栃木県

猫又(ねこまた)は、日本の妖怪のなかでも最も広く知られ、かつ最も複雑な変遷を辿った怪異の一つである。その姿は、歳月を経て巨大化した獣、あるいは尾が二股に裂けた怪猫として描写される。この妖怪の概念には二つの明確な系譜が存在し、一つは鎌倉期の文献に見える「山中に棲む恐ろしい猛獣としての猫又」、もう一つは江戸期以降に定着した「人家で長年飼われた老猫が化けた家妖としての猫又」である。日本の民俗信仰において、ネコは魔性や霊力を秘めた存在と見なされることが多く、その境界を越えた者への畏怖が、この二股の尾を持つ妖怪の姿に結実した。

長く生きた猫が尾を分かち異能を得る、身近な動物変化の古典的存在。

化け猫

化け猫

伝説

ばけねこ

年経た飼い猫の化け猫

動物変化佐賀県徳島県

古い猫が年を経て妖力を得たとされる動物変化の一。人に化け、人語を話し、死者を操り、家に祟るなど多様な怪をなすとされ、しばしば尾の裂けた猫又と混同される。行灯の油を舐める所作は怪異の兆しと見なされ、尾の長い猫ほど化けやすいとの俗信もあった。近世には都市に暮らす身近な猫へ神秘性が投影され、版本・浮世絵・芝居を通じてその像が大きく広まった。

飼い猫が化けて人を惑わすという、多数の怪談と土地伝承をもつ。

付喪神

付喪神

伝説

つくもがみ

節分に変化した古道具衆・付喪神

住居・器物出自不詳

付喪神(つくもがみ)は、長く用いられた器物が人ならぬ姿と働きを得たものを指す名称である。今日では古い道具の妖怪全般をまとめる語として広く使われるが、古典での用例はそれほど多くない。名称を明記して物語の中心に据える代表資料は、室町時代に成立したとされる『付喪神絵巻』または『付喪神記』である。そこでは「神」と書かれていても、初めから人に福を授ける神格ではない。捨てた人間を怨み、都で人畜を襲う「妖物」として現れ、最後に仏道へ帰依する存在として描かれる。 絵巻の冒頭は、今は伝わらない『陰陽雑記』の説として、器物は「百年」を経ると精霊を得て人の心を誑かし、これを付喪神と呼ぶ、と記す。一方、「つくもがみ」という音には、老女の白髪をいう「九十九髪」が重なる。『伊勢物語』六十三段にも「百年に一年たらぬつくも髪」と詠まれ、老いと九十九を結びつける語であった。この二つが掛け合わされたため、百年と九十九年の説明が併存する。現代には「九十九神」と書く例もあるが、これは九十九髪との連想を見えやすくした異表記である。したがって、よく語られる「道具は満九十九年で必ず魂を得る」という厳密な年齢規則が古典に定められているわけではない。 変化後の姿にも一つの型はない。『付喪神絵巻』では男・女、老人・子供、魑魅魍魎、獣などへ姿を改め、絵では鍋、壺、杵、扇、数珠など元の器物を残しながら顔や手足を備えるものもいる。唐傘お化けや琴古主のような個別の器物妖怪を、後世に付喪神の一種として説明することはできるが、古い道具にまつわる怪異がすべて当初から「付喪神」と呼ばれていたわけではない。近年は、これを日本に一様に広がった古来の信仰とみなすより、絵巻・絵本・語りが物に生命を与えてきた文化史として捉える研究も進んでいる。

古い器物が霊性を帯びるという、日本の器物妖怪を理解する中心概念。

輪入道

輪入道

名妖

わにゅうどう

燃ゆる車輪の入道顔・輪入道

住居・器物京都府

炎に包まれた牛車の車輪の中心に、憤怒の形相を浮かべた大入道の顔が現れる怪。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』はこれを片輪となって転がる火車輪として描き、見た者は魂を奪われると添える。石燕の解説には、戸口に「此所勝母の里」と書いた紙を貼れば近づけないとあり、これは『史記』鄒陽列伝で曽子が「母に勝つ」の名を嫌い里に入らなかった故事に由来する。京都・東洞院に現れたと伝える諸国百物語の怪に取材したもので、同じ説話から分かれた片輪車とは本来同一系統の異形とされる。

燃える車輪と巨大な顔を一体化した、江戸妖怪画の強烈な図像。

目目連

目目連

名妖

もくもくれん

障子一面の眼群・目目連

住居・器物出自不詳 (石燕等・障子一面の眼群・在地古伝なし)

鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に描かれる妖怪。荒れた家の障子一面に無数の目が現れ、じっと見返すとされる。石燕の画図では碁打ちの念が碁盤から家全体に及んだ旨が添えられ、障子という住居要素に宿る怪として示される。後世の妖怪事典でも創作色が指摘されるが、障子の文様や薄明かりが与える不気味さを象徴する存在として広く知られる。

破れ障子の穴が無数の目になる、家の内側に潜む視線の怪異。

垢嘗

垢嘗

名妖

あかなめ

夜の風呂場に潜む垢嘗

住居・器物文献・絵巻発祥(『古今百物語評判』『画図百鬼夜行』)。在地伝承・出現地不詳

古い風呂屋や荒れた屋敷の湯殿に現れるとされる妖怪。ざんぎり頭の童子の姿に描かれ、長い舌を垂らし、足には鉤爪を備える。人の寝静まった夜更けに音もなく忍び入り、桶や板壁、簀の子、流しにこびり付いた垢や水垢、黴を、その長い舌で丹念に舐め取るという。人を襲い害をなすという筋立ては本来の伝承には乏しく、むしろ出現そのものが、手入れを怠った湯殿の不浄の兆しと受け取られた。垢を舐めるという即物的で生々しい所業ゆえに、おどろおどろしい恐怖よりも、どこか滑稽味を帯びた身近な怪として語られてきた。別名に垢舐・垢ねぶりがあり、文献によっては嬰児に似た姿とも記される。鳥山石燕『画図百鬼夜行』に描かれた長舌の怪童の図像が広く流布の基となったが、石燕本には詞書(解説文)が一切付かず、性質や由来は語られないまま、姿だけが先行して知られていった妖怪である。後世にはこの姿絵をもとに、湯殿を清潔に保つべしという生活上の戒めと結び付けて理解されるようになった。

風呂場の垢をなめる姿で、不潔への戒めと生活空間の不気味さを結ぶ。

酒呑童子

酒呑童子

伝説

しゅてんどうじ

大江山の鬼総領・酒呑童子

人妖・半人半妖京都府滋賀県

平安期、都の周縁の山に拠って人を攫ったと伝わる鬼の頭領。豪飲を好み、名の「酒呑」もこれに由来するとされ、「童子」は稚児髷を結う若者・僧形の姿を指す呼称である。配下の鬼を率いて往来や宮中の女房を襲い、源頼光と四天王に討たれたと語られる。住処は丹波の大江山が著名だが、近江の伊吹山、山城の老の坂など諸伝がある。現存最古の説話を伝える『大江山絵詞』(香取本)では、その所在は陰陽師の占によって突き止められたとされ、鳥山石燕も『今昔画図続百鬼』に図像を残す。

大江山に鬼の一団を率いる頭領として、退治譚と絵巻を代表する大鬼。

玉藻前

玉藻前

伝説

たまものまえ

鳥羽院寵愛の九尾狐・玉藻前

動物変化京都府栃木県

玉藻前は、平安時代の末、鳥羽上皇に仕えたという絶世の美女である。その正体は九尾の狐とされるが、人としての玉藻前は何より、たぐいまれな美しさと深い学識をそなえた宮廷の女君として語られてきた。和歌や管弦はもちろん、仏教の経典から天竺・震旦(インド・中国)の故事まで、どんな問いにもよどみなく答え、宮廷の人々を驚かせたという。 「玉藻前」という名にも物語がある。ある夜、清涼殿での詩歌管弦の宴のさなか、一陣の風が灯火を吹き消すと、暗闇の中で彼女の身からまばゆい光が放たれ、あたりを昼のように照らした。玉のように光る藻、という意味で「玉藻前」と呼ばれるようになったと伝わる。それまでは藻女(みくずめ)と呼ばれていたともいう。やがて上皇の寵愛を一身に集めるが、上皇が原因の知れぬ病に倒れたことから、その正体が疑われていく。

宮廷の美女に化けた九尾の狐として、美貌、知略、国家的危機を結ぶ。

大嶽丸

大嶽丸

伝説

おおたけまる

鈴鹿山に籠もる鬼神魔王・大嶽丸

鬼・巨怪三重県京都府

大嶽丸(おおたけまる)は、伊勢国と近江国の境にある鈴鹿山・鈴鹿峠を根城にしたと語られる鬼神である。御伽草子・田村語りでは、都への貢物を奪い、黒雲・雷電・火の雨で軍勢を退ける大魔王として現れ、坂上田村麻呂をモデルにした田村丸と鈴鹿御前によって討たれる。物語上の田村丸は史実の征夷大将軍そのものではなく、中世の清水観音信仰・鈴鹿峠の境界信仰・東北の田村伝承が重なって生まれた英雄像である。大嶽丸は酒呑童子・玉藻前と並ぶ「三大妖怪」の一説にも挙げられ、討伐後の首や遺骸が宝物・縁起・塚の物語へ移されていく点に、中世的な「退治された大敵」の重みが残る。

鈴鹿山の難敵として、武勇、呪術、山の異界を背負う鬼神的存在。

鵺

伝説

ぬえ

源頼政の射落とした怪・鵺

動物変化京都府大阪府

鵺(ぬえ)は、頭は猿、胴は狸、手足は虎、尾は蛇という、複数の獣を合成したキメラ的な異形として知られる日本妖怪の代表格である。本来「鵺(鵼)」とは、夜に「ヒョー、ヒョー」と寂しげに鳴く実在の鳥(トラツグミ)の古名であり、平安時代にはその声が「不吉な凶兆」としてひどく忌み嫌われていた。『平家物語』において源頼政が退治した怪物は本来「名無しの怪物」であり、「鵺のように気味悪く鳴く」と記されていたに過ぎないが、後世の人々がその鳴き声の主の名を怪物そのものの名として誤用し、定着した。特定の形を持たぬ「音の怪異」が、時代を下るにつれて視覚的な「合成獣」へと変容していった、日本妖怪史における極めて特異で重要な存在である。

複数の獣を合わせた姿と夜の不気味な声で、正体不明の恐怖を形にする。

土蜘蛛

土蜘蛛

伝説

つちぐも

葛城山年経の蜘蛛・土蜘蛛

総称・汎称奈良県京都府

本来は古代、朝廷に従わなかった在地勢力を指す蔑称として正史に見える語で、『日本書紀』の神武・景行・神功の各紀や諸国の風土記逸文に名が見える。山野の岩屋・土窟に拠って抵抗した者たちを称し、生物の蜘蛛とは本来無関係であった。中世以降、この語が妖怪と結びつき、『土蜘蛛草紙』や謡曲で巨大な蜘蛛の化生として造型され、病臥する源頼光を糸で苦しめる怪として広く知られるようになった。鳥山石燕も『今昔画図続百鬼』に山中の蜘蛛として描く。

巨大な蜘蛛の怪物と討伐される異族像が重なり、武将の退治譚に名を残す。

牛鬼

牛鬼

伝説

うしおに

牛頭蜘蛛体の海鬼・牛鬼

動物変化愛媛県高知県

牛鬼(うしおに)は、主に西日本の海岸や淵、山間部に現れるとされる、日本妖怪の中でも屈指の獰猛さと霊格を持つ存在である。姿は「牛の頭に鬼の胴」あるいは「蜘蛛の胴体に牛の首」など多様な異形として描かれる。古くは平安時代の『枕草子』において「おそろしきもの」として名指しされており、古来より人々に深く畏怖されてきた。その本質は、無差別に人を喰らい毒気を撒き散らす「残忍な悪鬼・疫病神」としての顔と、祭礼において神輿を先導し悪魔祓いを行う「強力な守護神」としての顔という、極端な両義性(善悪の二面性)を併せ持つ点にある。文献上の怪異から、地域の民俗信仰・芸能の対象へと変遷を遂げた、民俗学的に極めて重要な妖怪である。

牛角をもつ巨怪として海辺や淵に現れ、地域ごとに姿と性格を変える。

海坊主

海坊主

伝説

うみぼうず

油貸せと囁く・海坊主

海坊主(うみぼうず)は、日本各地の沿岸部に伝わる海上の怪異で、とりわけ漁師の間で恐れられてきた。穏やかだった海面が突如盛り上がり、巨大な黒い影、あるいは禿げ頭の坊主の姿となって船の行く手に立ちはだかるとされる。全身が見えることは少なく、海上に頭や肩だけを突き出した姿で語られることが多い。夜の海や時化の最中に現れ、船を転覆させ、海底へ引きずり込むと信じられた。『和漢三才図会』(1712年)や『物類称呼』(1775年)など江戸期の文献にも、海上に立つ巨大な怪異の名がみえる。

夜の海から巨大な黒い僧形が立ち上がる、航海の恐怖を凝縮した怪異。

がしゃどくろ

がしゃどくろ

伝説

がしゃどくろ

怨霊集合の大髑髏・がしゃどくろ(完全供養版)

霊・亡霊創作由来(昭和中期の創作妖怪・巨大髑髏像)

がしゃどくろは、夜の荒野に現れる巨大な骸骨妖怪として知られる。戦死者・餓死者・野垂れ死にした者の骨や怨念が寄り集まった姿と説明され、生者をつかみ、噛み砕き、血をすする怪物として語られることが多い。名は、骨がこすれ合う「がしゃがしゃ」という音、あるいは歯が鳴る「ガチガチ」という音の連想から理解され、「餓者髑髏」という漢字表記も後に当てられるようになった。 ただし、がしゃどくろは江戸以前から各地に伝わる古典妖怪ではない。現在知られる名称と基本設定は、昭和中期の児童向け怪奇メディアの中で形を得た現代妖怪である。研究書では、斎藤守弘が『別冊少女フレンド』1966年11月号「あなたのそばにいる日本の妖怪特集」で紹介した記事を初期例として整理し、その発想源に西洋の幽霊譚「グラミス城の黒い騎士」があったことを指摘している。その後、水木しげるや佐藤有文らの妖怪図像・児童書を通じて、がしゃどくろは一気に「日本の巨大骸骨妖怪」として定着した。 この妖怪の視覚イメージを決定づけたのが、歌川国芳の三枚続『相馬の古内裏』である。画面の巨大骸骨は非常に有名だが、国芳が描いたものは本来「がしゃどくろ」ではない。題材は山東京伝の読本『善知安方忠義伝』に連なる滝夜叉姫伝説で、滝夜叉姫が妖術で呼び出した骸骨が大宅太郎光国を脅かす場面である。つまり、がしゃどくろは「古い浮世絵に描かれた妖怪」ではなく、昭和の創作名と設定が、幕末の巨大骸骨図像と結びついて成立した妖怪である。その一方で、埋葬されない死者、無縁仏、餓鬼、髑髏が語る説話といった古い死者観とよく響き合うため、現代創作でありながら古典妖怪のような説得力を持った。

昭和期に名と像を得た巨大骸骨で、近現代に成立した有名妖怪の代表例。

山姥

山姥

伝説

やまんば

深山の老婆・山姥

山野の怪神奈川県

山姥(やまうば・やまんば)は、深山に棲むと伝えられる老女の姿をした怪。長い白髪を乱し、口が耳まで裂けた鬼婆として描かれる一方、山の幸を授け富をもたらす「山母」としても語られ、人を喰う恐ろしさと福徳を与える慈悲との二面を併せ持つ。鳥山石燕『画図百鬼夜行』や佐脇嵩之『百怪図巻』は、子を抱き、あるいは髪を振り乱した山中の老女としてその像を伝える。坂田金時(金太郎)の母とする近世の伝承でも知られ、単なる人喰いの鬼にとどまらない複雑な性格を帯びる。

山中の恐ろしい老女、山の主、養育者など相反する姿で語られる。

産女

産女

名妖

うぶめ

渡し場で赤子を託す産女

霊・亡霊出産時・産後に亡くなった女性の霊/全国各地。中世『今昔物語集』に著名な早期例がある。

産女(うぶめ)は、出産の最中や産後まもなく亡くなった女性の霊が、赤子を抱く姿で現れるとされた日本の怪異である。多くの話では、夜の渡し場・橋・辻などで通行人を呼び止め、「この子を抱いてほしい」と頼む。受け取った赤子が急に重くなる、木の葉や石に変わる、最後まで抱き通した者が怪力や財を授かるなど、結末は土地と文献によって異なる。したがって産女は、ただ人を襲う悪霊ではない。出産で断たれた母子の縁、死者への恐れ、頼みを引き受ける者の勇気や慈悲を、一つの遭遇譚に集めた存在である。 現存する著名な早期例は、十二世紀前半ごろ成立した『今昔物語集』巻二十七第四十三話「頼光郎等平季武値産女語」である。源頼光が美濃守であった時、郎等の平季武が肝試しのため闇夜の渡しへ赴き、川中で女から赤子を託される。館へ持ち帰って袖を開くと、そこにあったのは少しの木の葉だった。説話の末尾は、産女を狐の変化とする説と、出産時に死んだ女の霊とする説を並べ、正体を一つに決めていない。この段階では、後世に有名となる血染めの腰巻や鳥の羽もまだ描かれていない。 一方、「姑獲鳥」と書いて「うぶめ」と読む表記には注意が要る。唐代の『酉陽雑俎』巻十六に見える夜行遊女は、羽毛を着れば鳥、脱げば女となり、人の子を取る中国の怪鳥である。赤子と産死者に関わる点から、日本の産女と重ねられたが、もとは別系統の存在だった。安井眞奈美の研究によれば、中国の姑獲鳥に日本語名を当てた林羅山は、寛永8年(1631年)の『新刊多識編』で初めて「姑獲鳥」を「うぶめ鳥」または鵺と明示した。日本の産女が「自分の赤子を人に託す母の霊」を核とするのに対し、中国の姑獲鳥は「他人の子を奪う鳥怪」を核とする。この違いを押さえると、産女という妖怪が中世説話、産死者供養、中国由来の怪鳥知識、近世の妖怪画を重ねながら形を変えたことが見えてくる。

出産と死の境から現れ、赤子を抱かせる話や子を守る信仰へ枝分かれする。

絡新婦

絡新婦

伝説

じょろうぐも

滝壷の美女・絡新婦

動物変化静岡県長野県

絡新婦は大蜘蛛が美女に化けて人を誘うとされる妖怪で、「絡新婦」は本来の「女郎蜘蛛」に漢名を当てた熟字訓である。鳥山石燕『画図百鬼夜行』は火を吹く子蜘蛛を従える女の姿で描く。住処に人を誘い、糸で絡め取って弱らせ食らうとされ、滝や淵、山里の廃屋など水辺・人里の境界での怪異譚が多い。正体を見破られると天井裏や岩間へ逃れるという伝承が各地に伝わる。なお、源頼光が退治した大蜘蛛は『土蜘蛛草紙』に説く土蜘蛛で、絡新婦とは本来別系統の妖とされる。

蜘蛛が美しい女に化けて人を誘う、滝や淵に多くの異伝をもつ怪異。

濡女

濡女

名妖

ぬれおんな

磯浜の濡髪女・濡女

濡女(ぬれおんな)は海辺や川辺に現れる、蛇身に女の頭をもつ怪である。腰から下は鱗に覆われた長大な蛇体で、上半身は女、いつも濡れたままの黒髪を垂らし、その名もこの姿に由来する。鳥山石燕『画図百鬼夜行』は風の巻に、長い髪を水に浸した女面の蛇体としてこれを描き、絵巻系統の濡女像を定着させた。石燕に先立つ佐脇嵩之『百怪図巻』ら江戸前期の妖怪絵巻にも蛇体の女怪が見え、絵師の手を経て図像が受け継がれてきた経緯がうかがえる。西日本の海辺では、濡女が抱いた赤子を通りかかった人に押しつけ、受け取った途端それが重い石と化して動けなくする話型が語られ、牛鬼と組んで人を襲う異伝も伝わる。九州の磯女や濡女子(ぬれおなご)と近縁視され、ウミヘビの化身とする説もあるが、蛇体視は主に絵画資料からの解釈で、一次史料の裏づけは乏しいとされる。長い濡れ髪と水辺、抱き子で人を縛る性状が、西日本一帯の水の女怪に共通する核として語り継がれてきた。

濡れた女の顔と蛇の身体をもち、海辺や川岸で人を待ち受ける。

犬神

犬神

伝説

いぬがみ

憑物筋の犬神

動物変化徳島県高知県

犬神は西日本を中心に分布する犬霊の憑き物で、狐憑き・管狐などと並ぶ強力な憑霊とされた。四国、とくに徳島・高知・愛媛などで本場視され、島根・山口から九州、薩南諸島や沖縄にも分布する。家筋に憑き続ける「犬神筋」の観念が強く、婚姻に際して家筋が調べられるなど、通婚忌避や差別と結びついた負の社会史を伴った。姿はハツカネズミほどの斑のある小獣とする説が主で、鼬状・蝙蝠状など地域差が大きい。

犬の霊を使役する家筋への信仰と差別の記憶を背負う、複雑な憑きもの。

鎌鼬

鎌鼬

伝説

かまいたち

辻風に裂く鎌鼬

動物変化新潟県長野県

鎌鼬は、つむじ風(辻風)に乗って現れ、人の肌を刃物で払ったように切り裂くとされた怪で、雪深い信越・東北・北陸を中心に伝わる。切られた直後は痛みも出血も乏しい、あるいは後から痛みと血が出るなどと語られた。江戸期以降は鎌の爪を持つ鼬の姿で描かれ、鳥山石燕『画図百鬼夜行』では中国の怪獣「窮奇」の名に「かまいたち」の訓を当てている。冬の季語としても用いられる。

風の中で人を切るとされ、突然できた傷へ素早い獣の姿を与えた。

木霊

木霊

名妖

こだま

老樹に応える・木霊

山野の怪東京都沖縄県

木霊(こだま)は、樹木に宿るとされる精霊で、その精が宿った樹そのものを指すこともある。古信仰では百年以上の年輪を重ねた老樹に神霊がこもると考えられ、山や谷で声を投げると遅れて同じ声が返る「山彦(やまびこ)」の現象も、木霊が応えるものと捉えられた。源を辿れば木の神格の余映であり、『古事記』では木の神とされる久々能智神(ククノチ)を木霊と解する見方があり、平安期の辞書『和名類聚抄』には樹神の和名として「古多万(こだま)」の語が記される。一方『源氏物語』には「鬼か神か狐か木魂か」「木魂の鬼や」とあって、当時すでに木霊を妖怪に近いものと見る感覚があったことがうかがえる。外見はごく普通の樹木と変わらないが、不思議な力を帯び、不用意に伐ろうとすれば祟るとされた。鳥山石燕は『画図百鬼夜行』に「木魅」と題し、百年を経た木に神が宿って姿を現すとして、老木の傍らに立つ老いた男女の姿を描いている。「木霊」「木魂」「谺」などと表記され、音の反響を指す「こだま」と樹の精を指す「こだま」は同じ語に重なり合い、自然の声と樹木の魂が一体に捉えられてきた。

山に返る声や古木の霊性を、人に応える森の存在として語る。

枕返し

枕返し

珍しい

まくらがえし

夜の寝所で枕を返す・枕返し

住居・器物全国各地に類似伝承、石燕も地名を指定せず

夜更けに寝所へ現れ、枕をひっくり返したり、頭と足の向きを入れ替えるとされる怪異。江戸時代以降の記録に多く、姿は一定せず、童子や坊主、あるいは不詳とされる場合が多い。鳥山石燕『画図百鬼夜行』では小さな仁王風の像のように描かれる。枕を返されることは魂と身体の秩序が乱れる兆しとされ、かつては死や病と結びつく不吉として畏れられた。

眠っている間に枕の向きや位置を変え、寝室の日常を小さく乱す。

一つ目小僧

一つ目小僧

名妖

ひとつめこぞう

額の単眼坊主・一つ目小僧

山野の怪片目片足の山神信仰の零落、事八日俗信、全国分布

額の中央に大きな一つ目を据えた、坊主頭の童子の姿で現れる妖怪。人に害を加えるよりも、夜道や辻、空き屋敷などに不意に現れて「わっ」と人を驚かす程度の、比較的おとなしい部類に数えられ、からかさ小僧などと同様、ユーモラスに描かれることも多い。豆を嫌うとする俗信は、節分の豆まきや語呂合わせに由来するとみられ、これがのちに豆腐を好む像へ転じて、近世末以降「豆腐小僧」と重ねて語られるようにもなった。江戸の絵巻や随筆には一つ目の小坊主の怪が散見され、屋内の掛物に戯れる姿から、路傍にぬっと立つ姿までさまざまに記される。舌を長く垂らし、片手に番傘や盆を持つ図様は、同じく一つ目の妖怪である豆腐小僧と通じ合い、近世後期の黄表紙や錦絵では両者の像がしばしば重ね描きされた。一方で民俗学では、この愛嬌ある妖怪の背後に古い信仰の影が見いだされてきた。柳田國男は、一つ目という異形を単なる怪異とみず、かつて神に捧げられた者の片目を損なう古俗や、製鉄など特殊な生業の痕跡が、神の零落とともに妖怪へと姿を変えた残響として読み解いた。

一眼の小僧という明快な姿で、人を驚かせる妖怪として親しまれる。

見越入道

見越入道

名妖

みこしにゅうどう

見上げて伸びる入道・見越入道

鬼・巨怪東京都埼玉県

夜道や坂の突き当たり、四つ辻、石橋、木の上などに現れる入道姿の怪異。見上げれば見上げるほど巨大化し、恐れに囚われた者を脅かす。対処は「見越した」「見抜いた」と唱える、あるいは落ち着いて頭から足へと見下ろすなどが知られる。正体は一定せず、『宿直草』ではタヌキの変化、福島県南会津郡檜枝岐村ではイタチ、信濃ではムジナとするなど、地域によって動物の化生説が伝わる。『宿直草』『煙霞綺談』『古今百物語評判』など江戸期の怪談・随筆にも見える著名な類型で、緋衣をまとい一丈に及ぶ姿を語る『煙霞綺談』のように大入道と重なる記述も多く、地方では両者を混同して伝える。

見上げるほど背が伸び、視線を誘って人を脅かす夜道の入道。

大入道

大入道

名妖

おおにゅうどう

見上げて伸びる巨僧・大入道

鬼・巨怪三重県

大入道は各地に伝わる巨大な入道姿、あるいは影法師のような巨体の怪異。名称は大きな僧を指すが、実際は僧形に限らず巨人状や不定形の影として現れる例もある。見上げるほどの大きさで迫り、睨まれた者が卒倒・病を得ると恐れられる。正体は不詳とされることが多いが、狐・狸・鼬・獺などの動物や石塔が化けたとする説も各地に見える。見上げると伸び上がる見越入道とは性質が近く、地方ではしばしば両者が混同して語られる。三重県では諏訪神社の祭礼四日市祭で曳かれる「大入道」のからくり山車が知られ、首が伸縮する全高約9mの巨像として今に伝わる。

巨大な僧形という広い型をもち、各地の夜道や町に異なる話を残す。

小豆洗い

小豆洗い

名妖

あずきあらい

谷川夜更けの小豆洗い

霊・亡霊東京都茨城県

小豆洗い(あずきあらい)は、夜更けの川辺や沢で「ショキショキ」「ザクザク」「シャリシャリ」と小豆をとぐような音を響かせる、音を本体とする妖怪である。関東(茨城・東京檜原村・埼玉)、甲信越(山梨・長野・新潟)、中国地方(広島・山口・岡山・鳥取)を中心に全国へ分布し、土地ごとに小豆とぎ・小豆さらさら・小豆ごしゃごしゃ・砂洗いなど多彩な異名で呼ばれる。多くの伝承で姿は現れず、近づくと音だけがぴたりとやみ、音に気を取られた者が足を滑らせて川や谷へ落ちるとされる。まれに目撃される姿は、背の低い目の大きな法師、小坊主、老婆、童などと一定せず、地域差が著しい。大分県では「小豆洗おか、人取って喰おか」と唄いながら小豆をとぐという、無邪気な所作と人取りの恐怖を一句に同居させた文句が伝わり、この唄こそ小豆洗いの性格をよく示す。実体の見えにくい音の怪である点に最大の特徴があり、視覚より聴覚に訴える怪異として、水辺の危険を子どもに戒める民俗的機能を強く帯びている。

水辺で小豆を研ぐ音を響かせ、姿を見せずに人を不安にさせる。

ベトベトさん

ベトベトさん

名妖

べとべとさん

夜道に続く足音・ベトベトさん

山野の怪奈良県静岡県

ベトベトさんは、姿を見せずに足音だけで人の背後へ付き添う夜道の妖怪である。奈良県宇陀郡を中心に知られ、暗い道を歩いていると「べとべと」「ぺたぺた」と湿った足音が後ろから続くが、振り返っても誰もいない。恐ろしさは形の奇怪さではなく、足音の距離がいつまでも変わらないことにある。追いつくでも離れるでもなく、人の歩幅にぴたりと合うため、歩く者は自分の背後に見えない同行者を背負わされる。 ベトベトさんは、危害を加える妖怪というより、見えないものへ礼を尽くすことで通過できる境界の怪である。「ベトベトさん、お先へお越し」と声をかけて道を譲ると、足音が前へ移り、やがて消えるとされる。この作法は、恐怖を力で排除するのではなく、相手を存在として認め、道の順番を譲る民俗的な知恵を示す。水木しげるの図像化は丸く親しみやすい姿を与えたが、本来のベトベトさんは、夜道の音、湿った土、背後の空白から生まれる無形の気配である。 この妖怪は、可視化された近代妖怪キャラクターと、無形の民俗経験との距離が大きい。絵では小さな姿を得たが、伝承の中心はあくまで背後の足音である。だからベトベトさんを読むときは、姿を探すより、暗い道で自分の歩行音がもう一つ増える感覚を想像する必要がある。

夜道の後ろから足音だけでついてくる、気配そのものの妖怪。

豆腐小僧

豆腐小僧

珍しい

とうふこぞう

黄表紙が生んだ江戸の道化妖怪・豆腐小僧

人妖・半人半妖東京都

豆腐小僧(とうふこぞう)は、大きな笠をかぶった子どもの姿で、紅葉印の豆腐を一丁のせた盆を捧げ持って雨の夕暮れに現れる妖怪である。といっても人を襲うでも化かすでもなく、ただ豆腐を持って立っているだけという、妖怪らしからぬ間の抜けた愛嬌が身上で、江戸後期の人々に親しまれた。注目すべきは、その出自が古い民間伝承ではなく、江戸の出版文化そのものにある点だ。安永年間(一七七〇年代)、挿絵入りの娯楽本である黄表紙や草双紙の登場人物として突如あらわれ、初出は黄表紙『妖怪仕内評判記』とされる。妖怪研究者の京極夏彦・多田克己らは、豆腐小僧を、商品として人工的に作り出された「キャラクター妖怪」の早い例と位置づけている。すなわち豆腐小僧は、地方の闇から這い出てきた怪物ではなく、出版という都市の産業が生んだ、江戸生まれの妖怪なのである。

豆腐を載せた盆を運ぶ小僧姿で、江戸の黄表紙や絵画に愛嬌を残す。

火車

火車

名妖

かしゃ

葬列を襲う化け猫・火車

霊・亡霊岩手県群馬県

葬式・葬列や墓場に現れ、棺や亡骸を奪うとされる妖怪。近世初期には地獄の獄卒や雷神の所為として語られ、黒雲や雷とともに死体をさらうとされた。語の本義は悪人を地獄へ運ぶ仏教の「火の車」に由来するが、のちに猫又伝承と習合し、老いた猫が火車となって遺骸を狙うとする説が広まった。善悪の応報に必ずしも限定されず、葬送の怪として全国で事例が報告される。対策として刃物・数珠・盛土や夜伽の見張りなどが伝わる。

葬送の場から亡骸を奪うものとして、猫、火、車の像をまとった怪。

船幽霊

船幽霊

名妖

ふなゆうれい

壇ノ浦の提子乞い・船幽霊

船幽霊(ふなゆうれい)は、水難で命を落とした者の霊が海上に現れる怪異である。船や亡霊、怪火、海坊主のような影など、その姿は地域や伝承によりさまざまに語られる。多くは時化の夜や霧のかかった晩に現れ、ひしゃくで船内へ海水を注ぎ込んで沈めようとする、あるいは進路を惑わせて座礁させるとされる。底を抜いたひしゃくを渡す、握り飯や灰を投げる、睨み据えるなど、地域ごとに異なる対処法が伝えられる。亡者船・ボウコ・アヤカシなどの呼称もある。鳥山石燕も『今昔画図続百鬼』に船幽霊を描いている。

海で亡くなった者の霊が柄杓で船に水を入れ、沈めようとすると語られる。

一反木綿

一反木綿

名妖

いったんもめん

薩摩夜空の絞め布・一反木綿(民間伝承版)

住居・器物鹿児島県

一反木綿は、鹿児島県肝属郡高山町(現・肝付町高山地区)に伝わる白布の怪である。およそ一反(鯨尺で長さ約 10.6 m、幅約 30 cm)の白木綿が、夕暮れから夜分にかけて空をひらひらと舞い飛び、行きあう者の顔を覆い、首に巻きついて息を詰まらせ、ときには体ごと巻き取って攫うとされる。声も足音もなく闇のなかから降りてくる点に、この怪の怖さの核がある。江戸期の絵巻・絵本類には作例がなく、鳥山石燕『画図百鬼夜行』系にも採られていない、近代採集の地方妖怪である。文献上の初出は、柳田國男が雑誌 『民間伝承』に連載した「妖怪名彙」(1938 年 9 月) の短い記載で、その後 『大隅肝属郡方言集』(野村伝四・柳田編、1942) に「イッタンモンメン」の項として収められ、『綜合日本民俗語彙』(1955) および 『妖怪談義』(1956) に再録されて、はじめて広く参照される存在となる。長らく大隅一郡の局地的な怪に過ぎなかったが、1968 年放映の 水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』アニメ第 1 期 で鬼太郎ファミリーの一員として登場すると、顔と二本の腕を備えた親しみのある姿が普及し、現在では鳥取県境港市の妖怪人気投票でも上位を占めるなど、近代採集の素朴な怪が国民的キャラクターへと転じた稀有な例として知られる。

細長い木綿が夜空を飛び人に巻きつく、鹿児島から全国へ知られた妖怪。

子泣き爺

子泣き爺

伝説

こなきじじい

徳島山地の赤子泣き爺·子泣き爺

山野の怪徳島県

子泣き爺は徳島県三好郡 (旧三名村字平、 現·三好市) の山間部に伝わる妖怪で、 老人の姿をしながら山道で赤ん坊のような泣き声を発するとされる。 通行人がこれを哀れんで抱き上げると、 重さが次第に増して圧死させるという加害形式を持つ。 柳田國男『妖怪談義』(修道社、 1956 年) に取り上げられ、 四国全域に分布する「ゴギャ泣き」 「オキャアキャア」 等の赤子泣き怪と同系とされる。 柳田はこの「抱き上げると重くなる」 特性が「おばりよん (負ばりよん)」 「産女 (うぶめ)」 等の妊婦·赤子型怪と共通する事を指摘し、 後世の創作的接合の可能性を示唆した。 1968 年から水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』 のレギュラー脇役として全国知名度を獲得し、 現代日本で最も親しまれた在地伝承妖怪の一つとなった。

赤子のように泣き、抱くと石のように重くなるという徳島の伝承で知られる。

砂かけ婆

砂かけ婆

伝説

すなかけばばあ

姿なき砂の老婆·砂かけ婆

山野の怪奈良県

砂かけ婆は奈良県·兵庫県·滋賀県等に伝わる妖怪で、 神社の側·人通りの少ない森·竹薮·松の木の上等から通行人に砂を浴びせて驚かすとされる老婆姿の存在である。 柳田國男『妖怪談義』 (修道社、 1956 年) に「おばけのうちにスナカケババといふものあり、 人淋しき森のかげ、 神社のかげを通れば、 砂をバラバラふりかけておどろかすといふもの」 と記述され、 「その姿見たる人なし」 と特筆される。 柳田の友人·沢田四郎作 (医学博士) 著『大和昔譚』 が砂かけ婆についての直接の典拠である。 古典絵巻に図像が無く、 戦後の水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』 で和服老婆姿として全国的に定着するまでは、 姿形を持たない「音と砂のみの妖怪」 として伝承された珍しい存在である。

砂を浴びせる老婆の怪として、地域伝承と現代の妖怪文化をつなぐ。

ぬりかべ

ぬりかべ

名妖

ぬりかべ

九州夜道の見えぬ壁・ぬりかべ

総称・汎称福岡県大分県

夜道で行く手をふさぐ見えない壁として語られる妖怪。歩行者は突然進めなくなり、手探りしても平らな面に阻まれるように感じるという。多くは暫く立ち止まる、脇へそれる、棒で足元を払うなどすると解けるとされる。姿は本来定まらず、見えないもの、あるいはのっぺりした壁状と語られることが多い。人を食らうなどの害は乏しく、道迷いを起こす厄介者として恐れられた。水木しげるの作品で広まった長方形の壁の姿は、後世に定着した造形である。

夜道に見えない壁として立ちはだかり、進路を失わせる福岡の怪異。

白沢

白沢

神格

はくたく

万事を見通す瑞獣・白沢

神霊・神格中国 (『白沢図』由来・江戸期に辟邪図として流布)

白沢(はくたく)は、中国の古伝承に由来する瑞獣で、人語を解し天下の妖異・鬼神・病災のことごとくに通暁するとされる。麒麟や鳳凰と同じく、徳ある聖王の世にのみ姿を現す瑞祥の獣と位置づけられ、その口から授けられた知識を書き留めたのが妖怪除けの書『白沢図』であったと伝える。図像の典型は獅子に似た白い獣で、牛のような二本の角をもち、額や胴の側面に複数の眼を備える──鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』では頭部に三眼、左右の胴に各三眼を配した「九眼」の姿に描かれ、これが後世の日本の白沢像の基準となった。額の眼や全身の眼は、あらゆる妖異を見通す全知性の表象と解される。日本では江戸期にこの図そのものが辟邪(へきじゃ)の護符として流布し、旅の安全や病魔除け、さらには悪夢を食らうとされる獏(ばく)と並んで悪夢除けにも用いられた。重要なのは、白沢が妖怪を腕力で「退治する」獣ではなく、妖怪を知り尽くすことで人にその正体と防ぎ方を教える、知と分類の象徴としての神獣だという点である。すなわち未知の災いに名を与え、対処法を整理して人に手渡すところに本領があり、妖怪学の祖型ともいえる存在として尊ばれた。なお角や眼の数、獅子形か牛形かといった姿の細部は文献・絵師により差異があり、一定しない点には注意を要する。

世の怪異に通じる霊獣として、知識、辟邪、図像の伝統をまとった。

雷獣

雷獣

伝説

らいじゅう

久慈雷鳴の獣・雷獣

動物変化茨城県秋田県

雷獣は、激しい雷雨や落雷とともに天から落ち来たると信じられた獣状の妖怪で、近世の各地に広く伝承された。姿は一定せず、曲亭馬琴『玄同放言』では狼に似て前脚二本・後脚四本、尾は二股に分かれた異形として図示される一方、駿河国の地誌『駿国雑誌』は高草山の雷獣を全長二尺ほどで「鼬に類し、また猫のようにも見える」と記すなど、狸・鼬・猫・狐に擬する諸説が並び立った。毛は灰色ないし黒みを帯び、日中は黄茶に輝くとも、体毛が長く獣臭いとも伝わり、地域ごとに大きさも鼠ほどから二尺五寸、因幡では「雷龍」と呼んで八尺に及ぶとするものまで振れ幅が大きい。共通して語られるのは鷲のごとく鋭い爪で、雷雲に乗って飛び、墜落の際にはその爪で樹皮を引き裂き、幹に焦げ跡や裂け目を残すという点である。落雷の近くにいた人は気を奪われて呆然となるとも伝えられ、その怪異は天候や雷神への畏れと結びついて理解された。雷が収まれば再び雲に乗って天へ帰るとされ、捕獲・飼育・見世物の記録も近世博物趣味のなかで数多く残された。

落雷とともに現れる獣として、雷という自然現象に身体を与えた。

件

名妖

くだん

天保丹後の予言獣・件

人妖・半人半妖京都府広島県

件は江戸後期に広く流布した半人半牛の予言獣。人の顔に牛の躯を備え、出現しては世情や豊凶を告げ、ほどなく死ぬとされる。天保年間の瓦版や版本に記載が見られ、出現地や容貌は諸説がある。絵像を掲げると厄除け・家内繁盛に効験ありとする触書もあるが、地域や史料により語り口は異なる。語句「件の如し」との直接関係は俗説とされる。

人面牛身で災厄を予言するとされ、近代の噂と戦争の記憶にも姿を現す。

不知火

不知火

珍しい

しらぬい

八朔の沖の親火・不知火

不知火は九州沿岸、とくに八代海や有明海に現れるとされた怪火。旧暦八月一日(八朔)前後の風弱い夜、沖に親火が一、二つ生じ、左右に分かれて数を増し、数百から数千の火が横に連なるという。海面近くからは見えにくく、高所からよく見えるとされ、近づけば遠ざかるとも伝えられる。千灯籠・竜灯とも称され、出漁を忌む予兆として恐れられた。今日では蜃気楼に類する大気光学現象と解されている。

八朔前後の海上に連なる光として、火国の名とともに伝えられる怪異。

人魂

人魂

名妖

ひとだま

夜空に漂う魂火・人魂

霊・亡霊死者の魂の火の玉、『万葉集』既出、全国共通

人魂は、夜間に空中を漂う小さな火の玉として目撃される霊的現象で、古くは「人の体から離れた魂」と解される。色は青白・橙・赤など諸説あり、尾を引いて低く漂うとされる。鬼火・狐火と混同されがちだが、人魂は人の魂の発光として語られ、死や生死の境に関わる前兆ともされる。『万葉集』をはじめ古典や近世の随筆・地方伝承に頻出し、近代以降も各地で目撃談が続く。

死者の魂が青白い火となって飛ぶという、広く共有された霊魂の像。

アマビエ

アマビエ

伝説

あまびえ

肥後沖の予言光霊・アマビエ

人妖・半人半妖熊本県

弘化3年(1846)4月中旬、肥後国の海中に現れたと伝わる予言の妖怪。その存在は京都大学附属図書館が所蔵する瓦版1点のみを原典とし、ほかに同時代の伝承や記録は確認されていない。瓦版によれば、毎夜光るものが海中に出て役人が赴くと怪が現れ、「私は海中に住む者、アマビヱ」と名乗り、当年より六年の間は諸国が豊作だが疫病も流行するゆえ「早々私を写し人々に見せ候え」と告げて海へ消えたという。本文は姿を「図の如く」とのみ記し、添えられた挿絵に長い髪・嘴・うろこ・三本の足(ひれ)をもつ姿を描く。

肥後の海から現れて疫病を予言したとする一枚の瓦版から、再び名を広げた。

口裂け女

口裂け女

伝説

くちさけおんな

赤マスクの女・1979 年の口裂け女

人妖・半人半妖1978年岐阜発祥の現代都市伝説、在地聖地なし

口裂け女(くちさけおんな)は、1978-1979 年に岐阜県を発祥として全国に伝播した、戦後日本を代表する現代都市怪谈である。マスクで口元を覆った美しい女が夜道で子供を呼び止め、「私、キレイ?」と問うて、答えに応じてマスクを取り、耳まで裂けた口を見せて「これでもキレイ?」と重ねる ── 否定すれば鋏や出刃包丁で襲いかかる、という対話と襲撃のパターンを持つ。 初出は岐阜日日新聞 1979 年 1 月 26 日付コラム「編集余記」 とされ、 1979 年 3 月から週刊朝日・週刊新潮・週刊女性・女性自身等の全国誌が次々に取り上げ、同年 6 月には 週刊朝日 6 月 29 日号の平泉悦郎による大型特集「全国の小中学生を恐れさせる『口裂け女』風説の奇々怪々」 が掲載されてピークに達した。兵庫県姫路市では口裂け女に扮した模倣犯が銃刀法違反で逮捕され、福島県郡山市・神奈川県平塚市ではパトカーが出動し、北海道釧路市・埼玉県新座市で集団下校が実施されるなど、風説が現実の社会対応を引き起こした。江戸期の素朴な信仰や在地伝承から拾い上げられた怪ではなく、学習塾と全国誌が連動して半年で全国制覇するという、マスメディア時代の妖怪発生学を体現する稀有な事例である。 1990 年に 常光徹『学校の怪談』 が学術的に整理して以後、現代妖怪・都市伝説研究の代表事例として読まれ続けている。

1970年代末に子どもたちの間で急速に広がり、全国的な都市伝説となった。

テケテケ

テケテケ

名妖

てけてけ

下半身を失い肘で這う女・テケテケ

霊・亡霊1990-2000年代の現代都市伝説、電車事故モチーフ

テケテケは、 1980-90年代に全国の子ども社会で広まった都市怪谈に登場する、 下半身を欠いた女性の亡霊である。 両腕で地面を這って移動する際の擬音「テケテケテケテケ」 がそのまま名前となった。 鉄道の踏切や駅構内·学校近辺に出没し、 出会った者を追いかけ、 鎌や鋸で下半身を切断して同類にすると語られる。 発祥地については北海道(旭川·室蘭·札幌)、 兵庫県加古川、 沖縄など複数の説が並存し、 確定的な起源はない。 明確に文献化されるのは1980年代以降の学校怪谈ブームの中で、 常光徹『学校の怪談』(講談社KK文庫、1990) や同期の児童誌怪谈特集に類話が収録される。 2009年公開の白石晃士監督『テケテケ』『テケテケ2』(同日公開) で映画化され、 戦後鉄道事故と都市怪谈を結びつけた現代日本ホラーの代表作の一つとして定着した。

下半身を失った姿で地面を進む、学校や鉄道を舞台に語られる現代怪談。

八尺様

八尺様

伝説

はっしゃくさま

二·四メートルの白い女・八尺様

霊・亡霊2008年2ちゃんねる発祥のネット怪談

八尺様(はっしゃくさま)は、 平成期インターネット発の都市怪谈に登場する女性の怪である。 身長およそ八尺(約二·四メートル)、 白いワンピース姿の長身女性として描かれ、 「ぽぽぽぽ」 という独特の笑い声で人を、 特に少年期の子どもを狙うとされる。 初出は2008年8月26日に2ちゃんねるオカルト板「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?196」 に投稿された一話で、 投稿者ハンドル名はnonaと伝わる。 田舎の祖父母宅を訪れた少年が八尺様に目を付けられ、 地蔵による結界と部屋籠もりで七日間しのぐという物語構造が原型である。 2010年代以降TwitterやYouTube・TikTokの怪谈チャンネルで反復再生産され、 海外の英語圏ホラーフォーラム(Reddit r/nosleep等)でも「Hachishakusama」 として認知される、 ネット発都市怪谈の代表格となった。

異様に背の高い女と独特の声をもつ、匿名掲示板から広がったネット怪談。

クネクネ

クネクネ

名妖

くねくね

田園の遠景に立つ白い人影·クネクネ

霊・亡霊2000年頃のネット発の現代怪談

クネクネは、 2000年代初頭インターネット発の都市怪谈に登場する、 田園地帯に現れる白い人型の怪である。 真夏の日中、 田圃や河原·海辺の遠景に、 紙の人形のように細く白い人影が左右にくねくねと身体をうねらせて立つ姿で目撃されるとされる。 「遠くから見るぶんには害は無いが、 双眼鏡等で正体を理解しようとすると発狂する」 という認識ベースの恐怖構造を持つ点が最大の特徴である。 2000年に怪谈投稿サイトへ書き込まれた創作が、 2003年に2ちゃんねるオカルト板へ転載される過程で「フィクション注記」 が抜け落ち、 実体験談として独立流通した経緯 が知られる、 ネット発「投稿型怪谈」 の代表例の一つ。 八尺様 (2008) に先行する2000年代前半の2ch怪谈ブームを象徴する一体である。

遠くの田畑で白いものが身をくねらせ、正体を理解すると危険だとされる。