苗代期の雷鳴に伴い降り、田を荒すと畏れられた在地像。追儺のため割竹を鳴らす所作や、田に竹を立て帰路を示す民俗が随伴する。人に直接害を加えるより、落雷による災いの擬人化として理解され、近づいた者は気を奪われると語られる。食性や容貌は一定せず、鼬・狸・猫に似るなど多様な言い伝えがある。
妖怪設定
この区画は物語を楽しむための当サイト独自の設定です。史実・考証ではありません。
🔮妖怪相性診断
久慈雷鳴の獣・雷獣についてさらに詳しい情報や診断結果については、こちらをご覧ください。
らいじゅう
この子の魂が、あなたの言葉に応える
らいじゅう
雷獣は、激しい雷雨や落雷とともに天から落ち来たると信じられた獣状の妖怪で、近世の各地に広く伝承された。姿は一定せず、曲亭馬琴『玄同放言』[1]では狼に似て前脚二本・後脚四本、尾は二股に分かれた異形として図示される一方、駿河国の地誌『駿国雑誌』[2]は高草山の雷獣を全長二尺ほどで「鼬に類し、また猫のようにも見える」と記すなど、狸・鼬・猫・狐に擬する諸説が並び立った。毛は灰色ないし黒みを帯び、日中は黄茶に輝くとも、体毛が長く獣臭いとも伝わり、地域ごとに大きさも鼠ほどから二尺五寸、因幡では「雷龍」と呼んで八尺に及ぶとするものまで振れ幅が大きい。共通して語られるのは鷲のごとく鋭い爪で、雷雲に乗って飛び、墜落の際にはその爪で樹皮を引き裂き、幹に焦げ跡や裂け目を残すという点である。落雷の近くにいた人は気を奪われて呆然となるとも伝えられ、その怪異は天候や雷神への畏れと結びついて理解された。雷が収まれば再び雲に乗って天へ帰るとされ、捕獲・飼育・見世物の記録も近世博物趣味のなかで数多く残された。
近世の随筆・地誌は雷獣を博物学的好奇の対象として競って記録した。松浦静山『甲子夜話』[3]は、出羽国秋田で雷とともに降りた雷獣を捕らえて煮食らった逸話や、火の塊とともに落ちた雷獣に頬を掻きむしられ毒気にあてられた者の話を載せ、画家谷文晁の説として落雷近辺の者は気がふれるが玉蜀黍で癒えると伝える。竹原春泉画『絵本百物語』[4]は「かみなり」の題のもと、下野筑波あたりの山に棲み夕立雲とともに空を駆ける獣として描き、人々が行う「かみなり狩り」の存在に触れる。谷川士清『和訓栞』[5]は信州の雷獣を灰色の子犬のようで狐より太い尾と鷲のごとき爪を持つとし、地域ごとに猫・鼠・水掻きある獣など記述が大きく揺れた。江戸両国や尾張などでは信州産の「千年鼬」と称する雷獣が見世物に供されたが、後世にはこれらの多くが鼬・穴熊などを細工した作り物と指摘されている。正体については白鼻心・貂・鼯鼠・川獺などの誤認とする説が有力で、落雷に驚いて木から落ちた小獣の姿が想像を膨らませたとも考えられている。さらに中国の『山海経』[6]に見える雷神・夔(き)を起源に結びつける説もあり、山梨岡神社に夔神の像が伝わるなど、雷獣伝承は和漢の博物知が交錯する場でもあった。なお寺島良安『和漢三才図会』[7]など本草・博物の書が雷や雷神を扱う体系のなかで、雷獣はその周縁に置かれて語られ、近世人の自然認識と怪異への想像力が分かちがたく結びついた所産であったといえる。
雷獣 を様々な画風のカードで
苗代期の雷鳴に伴い降り、田を荒すと畏れられた在地像。追儺のため割竹を鳴らす所作や、田に竹を立て帰路を示す民俗が随伴する。人に直接害を加えるより、落雷による災いの擬人化として理解され、近づいた者は気を奪われると語られる。食性や容貌は一定せず、鼬・狸・猫に似るなど多様な言い伝えがある。
この区画は物語を楽しむための当サイト独自の設定です。史実・考証ではありません。
久慈雷鳴の獣・雷獣についてさらに詳しい情報や診断結果については、こちらをご覧ください。
妖怪診断で、あなたの性格に最も近い妖怪を発見しましょう