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からかさ小僧(からかさこぞう)

基本説明

からかさ小僧は、紙を張った傘が顔や手足を得たように描かれる、日本を代表する器物妖怪である。現在広く知られるのは、開いた傘の中央に大きな一つ目があり、口から長い舌を出し、一本の脚で立つ姿だ。絵によっては左右に腕が伸び、脚に下駄を履く。しかし、この姿が古くから同じ名前、同じ物語とともに伝わってきたわけではない。史料を年代順に見ると、名前と図像が異なる媒体のなかで少しずつ重なり、現在の定型像がつくられたことがわかる。

名の歴史と姿の歴史は、同じ場所から始まらない。宝暦12年(1762)刊の奇談集『咡千里新語』には、奈良の興福寺にいる化物を列挙した箇所に「東花坊のからかさ」と記されている。ところが、そこには「小僧」という名も、一つ目、一本足、長い舌といった姿の説明もない。この一文は、傘にまつわる怪異の名が18世紀の印刷物に現れた証拠ではあるが、現在のからかさ小僧がそのまま記録された証拠ではない。

現在の姿へ近づく資料は幕末に現れる。安政4年(1857)の役者絵「写絵七化ノ内 とうふかひ 壱本足ノお化」には、閉じた傘のような胴から人の顔と両腕を出し、一本脚で立つ舞台扮装が描かれている。翌安政5年(1858)、歌川芳員『百種怪談妖物双六』の「鷺淵の一本足」では、一つ目の傘が一本脚で立ち、赤い舌を出している。画中名はいずれも「からかさ小僧」ではないが、現代の定型像へ通じる特徴を年代の確かな資料で確認できる早い実例である。

ただし、一つ目だけが古来の決まりだったわけではない。刊年未詳の歌川芳盛『しん板化物尽し』に描かれた傘妖怪は、二つの目、二本の腕、一本脚、下駄、長い舌を備えている。1857年の舞台型では閉じた傘のような胴から役者の顔と両腕が出ており、別のおもちゃ絵では傘そのものに顔が付く。現在では一つ目の姿がもっとも有名だが、古い図像には複数の型が並行していたのである。

からかさ小僧について確認できる古い記録は、まとまった物語よりも、化物の名を並べた一語、役者絵の役名、双六の一枠といった短いものが中心である。それらの短い記録だけからは、何をしたのか、なぜ現れたのかまではわからない。古傘が百年を経て必ず付喪神になる、人の顔を舐める、驚かすだけで害はない、灯りに弱いといった説明も、今回確認した古典資料からは裏づけられない。からかさ小僧は、長い説話によってではなく、歌舞伎、錦絵、双六、児童文化を通じ、ひと目で覚えられる姿によって広まった妖怪なのである。

民話・伝承

名より先に歩いていた傘の異類。 からかさ小僧の歴史は、完成した名前からではなく、道具が身体を得て動き出す図像から始まる。室町時代以後に数多く制作された百鬼夜行絵巻には、器物と人や獣の身体を組み合わせた異類が列をなして進む。傘を頭や身体の一部にしたような姿も含まれるが、百鬼夜行絵巻の多くは個々の妖怪名を記す詞書を欠き、複数の系統が混在する。作者、制作目的、原型、諸本相互の関係にも、なお不明な点が多い。

東京大学総合図書館所蔵の『百鬼夜行図』も、江戸中期に模写された一巻である。こうした絵巻に傘の異類が見えることは、傘を妖怪の身体として想像する発想が古くから存在したことを示す。しかし、無名の傘怪へ後世の「からかさ小僧」という名を当て、幕末の一つ目・一本足へ直線的につながる祖先とみなすことはできない。古い傘怪は、直接の前身ではなく、器物を異類へ変える想像力の広い背景として見るべきである。

1762年の「東花坊のからかさ」。 文字で確認できる早い記録として重要なのが、松木主膳『咡千里新語』である。宝暦12年(1762)刊、全5巻5冊の奇談集で、奈良の興福寺にいる化物を列挙した箇所に「東花坊のからかさ」と記されている。

ここで見落としてはならないのは、原文が「からかさ」であって「からかさ小僧」ではないことである。傘が開いていたのか、閉じていたのか、目や足があったのか、何をしたのかも書かれていない。この短い記録から確かに言えるのは、18世紀の印刷物に「からかさ」と呼ばれる化物が現れたことまでである。一つ目、一本足、長い舌という現在の姿や、いたずら好きという性格まで同書へ遡らせることはできない。

石燕の「骨傘」は別の妖怪。 江戸の妖怪画を代表する鳥山石燕にも傘の妖怪がいるが、それは「からかさ小僧」という題ではない。石燕が天明4年(1784)に刊行した『百器徒然袋』には、骨だけになった傘を思わせる「骨傘」が収められている。川崎市市民ミュージアム所蔵の文化2年(1805)の版本でも、「白容裔・骨傘」の見開きを確認できる。

骨傘とからかさ小僧は、傘という器物を共有するため比較には向いている。しかし、名前も姿も別に構成された妖怪であり、骨傘をからかさ小僧の古名や別名とする根拠はない。江戸の傘妖怪を一つの系図へまとめず、それぞれの作品名と姿を保つことが重要である。

1857年、舞台で踊る一本足。 現在のからかさ小僧に近い身体は、幕末の舞台芸術のなかで明瞭になる。安政4年9月21日、江戸・中村座で上演された『松朝扇うつし絵』は、変化舞踊として演じられた。同年の歌川国貞による「写絵七化ノ内 とうふかひ 壱本足ノお化」には、閉じた傘のような胴から人の顔と両腕を出し、一本脚で立つ舞台扮装が描かれている。

この舞台型では、傘そのものに一つ目があるのではなく、閉じた傘のような胴から役者の顔と両腕が突き出している。それでも、傘と一本足を一つの身体に結びつけ、跳躍や舞踊を連想させる姿を、年代の確かな資料で確認できる。からかさ小僧の造形には、絵師の想像だけでなく、役者の身体、舞台装置、変化舞踊の見せ場も関わっていたのである。

1858年、「鷺淵の一本足」。 翌安政5年9月、歌川芳員の『百種怪談妖物双六』が刊行された。25種の妖怪を並べた盤面の第17枠には、「鷺淵の一本足」と題する傘の化物が描かれている。同作の解説によれば、その姿は一つ目、鷺を思わせる一本足、赤い舌を備える。現在のからかさ小僧を見分ける主要な特徴が、ここではほぼ揃っている。

ただし、画中名はあくまで「鷺淵の一本足」であり、「からかさ小僧」ではない。「鷺淵」も現実の出没地として確認された場所ではなく、鷺が片脚で立つ姿と一本足の傘を結びつけた、作品内の趣向名とみられる。双六は長い説話を語る媒体ではなく、妖怪を一枚の絵と短い名前に縮めて遊ぶ媒体である。一つ目、一本足、赤い舌という簡潔な組み合わせは、小さな枠のなかでも強く記憶に残った。

一つ目だけが古い姿ではない。 幕末前後の傘妖怪には、単一の完成形があったわけではない。歌川芳盛『しん板化物尽し』の「からかさのおばけ」は、目と口のある傘が舌を出し、二本の腕を伸ばし、下駄を履いた一本脚で立っている。画像上、その目は二つに見える。なお、公開書誌は作品の刊年を示していないため、絵師の活動時期だけから制作年を決めることはできない。

1857年の舞台型では傘のような胴から出る人面、1858年の双六では一つ目、芳盛の図では二つ目という違いがある。腕や下駄も、すべての作例に共通するわけではない。現在の一つ目型は、初めから唯一の正統な姿だったのではなく、複数の表現から選び取られ、もっとも覚えやすい形として後世に定着したと考えられる。

付喪神との距離。 からかさ小僧は現在、古傘が化けた付喪神として説明されることが多い。器物妖怪という分類としては理解しやすいが、個別の伝承と付喪神一般の物語は分ける必要がある。『付喪神絵巻』では、百年を経た古道具が、捨てられたことへの怒りから妖怪となり、人間へ復讐したのち、調伏されて出家する。

しかし、そこに「からかさ小僧」という名は現れない。1762年の「からかさ」、1857年の「壱本足ノお化」、1858年の「鷺淵の一本足」にも、古傘が百年を迎えた場面、主人に捨てられた場面、恨みによって変化した場面はない。したがって、からかさ小僧は後世に付喪神の一種として理解されるようになったと説明できても、「百年を経た傘が必ずこの妖怪になる」という固有伝説としては扱えない。

物語よりも輪郭が残った。 現存する古い資料から見えてくるのは、一人の主人公をめぐる長い伝説ではなく、短い名前と変化する姿の連続である。「東花坊のからかさ」「壱本足ノお化」「鷺淵の一本足」「からかさのおばけ」は、互いに似ていながら同じ名を持たない。現在の「からかさ小僧」という標準名がいつ定着したのかも、これらの資料だけでは決められない。

それでも、傘の円、一つ目、舌、一本足という輪郭は、双六、役者絵、化物尽くし、のちの児童文化へ移しやすかった。詳しい物語を知らなくても、一目で妖怪だとわかるからである。からかさ小僧の歴史的な面白さは、失われた伝説を想像で補うことではなく、舞台と印刷物が異なる姿を試し、そのなかから今日の愛嬌ある一つ目の傘が育っていった過程にある。

妖怪カード4

からかさ小僧 を様々な画風のカードで

カード一覧

マヤ暦守護KIN

からかさ小僧が守護しているマヤ暦のKINを一覧で表示しています。

徹底解説

物語が少ないのに、
なぜ誰もが知っているのか

からかさ小僧の最大の特徴は、古い物語の少なさと、現代の知名度が釣り合っていないことである。河童や雪女には、遭遇した人物、怪異の経過、助かる方法、物語の結末まで備えた説話が数多くある。それに対して、からかさ小僧につながる資料は、化物一覧の一語、役者絵の役名、双六の一枠、化物尽くしの一図といった短いものが中心である。何を望み、誰を襲い、最後にどうなったのかを語る共通の物語はほとんど見えてこない。

それでも広く知られるようになったのは、姿そのものに強い記憶力があるからだ。丸い傘、一つ目、一本足、長い舌という輪郭は、細かな説明を読まなくても識別できる。『百種怪談妖物双六』のような小さな画面にも収まり、舞台では一本足の踊りとして見せ場をつくる。からかさ小僧は、長い物語より先に、ひと目で伝わる視覚記号として成長した妖怪なのである。

傘そのものが身体の設計図になる

からかさ小僧の造形は、実物の傘の構造をほとんど壊さずに生き物へ変えている。開いた傘の円は大きな頭や顔になり、中央には一つの目を置ける。傘の縁の下へ口と舌を加えれば、少ない線だけで表情が生まれる。中心から伸びる一本の柄は、そのまま一本脚として読める。

この変換の巧みさは、単なる奇抜さにとどまらない。人間の身体をすべて与えるのではなく、目、口、脚など最低限の部分だけを付け加えるため、見る側は最後まで「傘である」と理解できる。道具と生物の境界が一枚の絵のなかに残ることが、器物妖怪らしい不思議さを生んでいる。

一つ目は最初からの決まりではない

現在もっとも有名な一つ目型を、年代の確かな資料で確認できる早い例が、安政5年(1858)の「鷺淵の一本足」である。傘の中央に一つ目を置き、赤い舌と一本脚を加えた姿は、今日のからかさ小僧にきわめて近い。

歌川芳員『百種怪談妖物双六』第17枠「鷺淵の一本足」。一つ目の傘が赤い舌を出し、一本脚で立つ
歌川芳員『百種怪談妖物双六』の「鷺淵の一本足」
歌川芳員『百種怪談妖物双六』の「鷺淵の一本足」。一つ目の傘が赤い舌を出し、鷺を思わせる一本脚で立つ。画中名は「からかさ小僧」ではない。
歌川芳員『百種怪談妖物双六』(安政5年9月、東京都立中央図書館蔵、部分)
Public Domain
第17枠全体を使用。

しかし、その前年の「壱本足ノお化」では、閉じた傘のような胴から役者の顔と両腕が突き出している。歌川芳盛の『しん板化物尽し』では、傘の面に二つの目があるように見える。わずかな作例を比べるだけでも、人面、一つ目、二つ目という三つの型が並ぶ。

閉じた傘のような胴から人の顔と両腕を出し、一本脚で立つ「壱本足」と、豆腐を売る人物を描いた1857年の錦絵
歌川国貞「うつしゑ所作の内 壱本足・とうふかひ」
歌川国貞(三代豊国)「うつしゑ所作の内 壱本足・とうふかひ」(安政4年)。「壱本足」は、閉じた傘のような胴から人の顔と両腕を出し、一本脚で立つ舞台の化物として描かれる。
歌川国貞(三代豊国)「うつしゑ所作の内 壱本足・とうふかひ」(安政4年、国立国会図書館デジタルコレクション、PID 1302545、第3画像、部分)
Public Domain Mark 1.0
作品画面全体を使用。

一つ目は、古来の傘妖怪すべてに共通する身体的条件ではなかった。大きな目を中央へ一つ置けば、小さな印刷物でも顔だとわかりやすく、左右対称の傘ともよく合う。現在の一つ目型は、複数の試みのなかから、もっとも簡潔で記憶しやすい姿として選ばれていったと考えられる。

一本足はどこから来たのか

一本足は妖怪を異形に見せる強い記号であり、一本だたらなど、ほかの一足の怪異との関係が想像されることもある。しかし、姿が似ているだけで、山の神や鍛冶の伝承からからかさ小僧が生まれたと結論づけることはできない。直接の系譜を示す文献は確認されていない。

傘妖怪の場合、もっとも素直な説明は傘の構造そのものにある。中央の柄を脚へ読み替えれば、一本足の身体が自然に成立する。さらに1857年の舞台では、「壱本足」が役者の踊る身体として演じられていた。一本足には、絵のなかで傘らしさを保つ働きと、舞台で跳ねたり回ったりする動きを強調する働きの両方があった。

1858年の「鷺淵の一本足」では、鷺が片脚で立つ姿も重ねられている。一本足を一つの古い信仰だけに求めるより、傘の柄、役者の身体、鷺の姿、絵の簡潔さが重なった造形として見るほうが、現存資料にはよく合う。

長い舌は「人を舐める能力」ではない

長い舌は、一つ目と並んで現代のからかさ小僧を特徴づける部分である。1858年の「鷺淵の一本足」には赤い舌があり、芳盛の傘妖怪も口から舌を出している。舌を突き出した顔は、笑い、挑発、愚弄、驚き、異様さを一度に表現できる。静止した絵に動きと感情を与える、効果的な造形だった。

だが、舌が描かれていることと、舌で人を舐めたという物語は同じではない。確認できる古い資料には、夜道で通行人の顔を舐める場面も、その舌に毒や麻痺などの力があるという記述もない。図像から想像しやすい行動が、後世の創作や妖怪図鑑で具体的な能力へ育った可能性はあるが、それを古来の伝承として遡らせることはできない。

腕と下駄がつくと、
道具が役者になる

腕も下駄も、すべての傘妖怪に備わる部分ではない。芳盛の「からかさのおばけ」には二本の腕があり、一本脚の先には下駄が履かされている。一方、1858年の「鷺淵の一本足」では、傘、目、口、舌、脚が中心となり、腕や下駄は目立たない。

二つの目と口を備えた傘が長い舌と二本の腕を出し、下駄を履いた一本脚で立つ「からかさのおばけ」
歌川芳盛『しん板化物尽し』の「からかさのおばけ」
歌川芳盛『しん板化物尽し』の「からかさのおばけ」。傘の面には二つの目と口があり、長い舌を出す。二本の腕を伸ばし、一本脚には下駄を履いている。刊年は不詳。
歌川芳盛『しん板化物尽し』(国際日本文化研究センター蔵、部分)
Public Domain Mark 1.0
「からかさのおばけ」の一枠全体を使用。

腕を加えると、傘は物を持ったり身振りをしたりできる人型へ近づく。下駄を履かせると、一本の柄にすぎなかった部分が、地面を踏む脚としてはっきり見える。これらは固定した生態ではなく、道具を舞台役者のように振る舞わせるための造形上の選択だった。作品ごとの差を残すことで、傘が少しずつ人間の身体を獲得していく過程が見えてくる。

「小僧」は子どもの姿を意味しない

現在名に含まれる「小僧」は、この妖怪が少年の姿をしているという意味ではない。一つ目小僧や豆腐小僧のように、妖怪名の「小僧」は、小型で親しみや滑稽味のある化物を示す呼び名としても用いられる。

しかも、1762年の表記は「東花坊のからかさ」、1857年は「壱本足ノお化」、1858年は「鷺淵の一本足」であり、いずれにも「小僧」は付かない。「からかさ小僧」という標準名がいつ定着したかは、現存するこれらの資料からは決められない。古い作品を紹介するときは原題を保ち、現在名を過去へさかのぼって書き込まないことが、この妖怪の変化を正しく見るうえで欠かせない。

「唐傘」は中国の妖怪という意味ではない

「唐傘」は妖怪固有の言葉ではなく、柄を持って差す和風の傘を指す普通名詞である。『日本大百科全書』の「唐傘」項目は、柄が付くことから「柄傘」とする説明と、舶来品であることを示す「唐」の字を当てた説明を紹介している。ほかにも古くから複数の語源説があり、一つに定まってはいない。

したがって、「唐」の字を根拠に、中国から来た妖怪と解釈することはできない。また、「からかさ」という普通名詞が古くから使われていたことと、「からかさ小僧」という妖怪名が同じ時代に成立していたことも別問題である。表記は現在「からかさ小僧」と「唐傘小僧」の両方が用いられるが、原典の名称とは区別して考える必要がある。

付喪神という分類と、
個別の来歴

からかさ小僧を付喪神の一種と考えることには、器物妖怪を整理するうえで一定の妥当性がある。古傘という道具が顔と脚を得て動く姿は、器物が生命を持つという付喪神の考え方とよく響き合う。

ただし、分類上の近さは、そのまま個別の伝記にはならない。『付喪神絵巻』に描かれる、百年を経た古道具、持ち主に捨てられた怒り、人間への復讐、仏道への帰依という筋書きは、からかさ小僧の古い記録には現れない。からかさ小僧を「器物妖怪」または「後世に付喪神の一種とされる妖怪」と説明することと、「百年を経た傘が怨念でこの姿になった」と断定することの間には、大きな違いがある。

滑稽な顔から性格は決められない

からかさ小僧の図像は、恐ろしいというより、滑稽で愛嬌深く見えることが多い。舌を出した顔、一本足で跳ねそうな姿、舞台で踊る役者の身体は、見る者を楽しませる。双六や化物尽くしのような遊びの媒体に入ったことも、親しみやすい印象を強めただろう。

しかし、楽しげに見えることは、本人が陽気で善良だという証拠ではない。古い資料には、人を助ける、殺す、騙す、驚かして喜ぶといった一貫した行動が記されていない。「害を与えた話が見つからない」ことと、「絶対に無害である」ことも同じではない。歴史上の性格は不詳であり、現在親しまれているいたずら者の人格は、後世の受容によって育ったものと見るのが適切である。

能力、
弱点、
住処はわかるのか

一本足で跳ぶ、踊る、舌を伸ばすといった動きは、図像や舞台から容易に想像できる。だが、超自然的な速度で追跡する、空を飛ぶ、雨を呼ぶ、傘の骨や紐を操るといった力を裏づける古い記録はない。絵に描かれた姿と、物語のなかで実際に使った能力を区別する必要がある。

弱点についても同様である。紙が破れれば弱る、骨が折れれば力を失う、火や強い光を恐れるという説明は、傘という道具の物性から連想されたものにすぎない。伝承上の退治法、封じ方、嫌うものはわかっていない。

決まった住処も確認できない。1762年には興福寺の東花坊に名が現れるが、そこを唯一の発祥地とは呼べない。軒下、蔵、夜道、路地の辻といった場所は傘妖怪に似合う舞台ではあっても、古い記録に共通する生息地ではない。からかさ小僧は、特定の土地に棲み続けた妖怪というより、舞台や印刷物を渡り歩くことで広まった妖怪だった。

異なる時代の部品から生まれた名姿

今日のからかさ小僧は、一つの古典作品を忠実に再現した姿ではない。一つ目は1858年の双六に明瞭で、一本足はそれ以前の舞台にも現れ、長い舌や下駄、腕は作品ごとに組み合わせが異なる。そこへ後世の「小僧」という親しみやすい名前と、付喪神という分類が重なった。

この合成性は、由来が曖昧だという欠点ではない。むしろ、絵師、役者、版元、遊ぶ子ども、妖怪を語り直す人々が、時代ごとに傘の身体をつくり替えてきた証拠である。からかさ小僧の魅力は、失われた長い物語ではなく、一本の傘からどれほど多様な顔と動きを引き出せるかという、視覚文化の豊かさにある。

妖怪設定

この区画は物語を楽しむための当サイト独自の設定です。史実・考証ではありません。

妖怪タイプ
伝統妖怪
カテゴリ
住居・器物
レアリティ
一般
性格
物語より姿で人を引きつける、見世物役者のような存在。一本足で跳ね、舌を出す姿には愛嬌があるが、古い記録には共通した善悪や性格は記されていない。
相性
奇抜な造形や舞台の変化を楽しみ、同じ妖怪にも複数の姿があることを面白がれる人と好相性。静かな怪談より、絵や芝居の遊び心に惹かれる人向き。
能力・特技
傘の面に一つ目と口を現す型がある一本脚で立ち、舞台では踊る長い舌を突き出す作品によって二本の腕を備える一本脚に下駄を履く型がある
弱点
共通する弱点や退治法は伝わっていない。紙の破れ、傘骨の損傷、火、強い光を妖力上の弱点とする説明は、古い記録では確認できない。
生息地
固定した住処は伝わっていない。1762年の文献には奈良・興福寺の東花坊が現れる一方、軒下、蔵、夜道、路地を共通の生息地とする伝承は確認できない。

出典・参考文献

10
  1. 咡千里新語松木主膳(東京大学霞亭文庫, 宝暦12年(1762)) [原本資料]巻三第一「茶碗児の化物」で、奈良・興福寺の化物として「東花坊のからかさ」を列挙する。原文に「小僧」や現在の図像説明はない。
  2. 写絵七化ノ内 とうふかひ 壱本足ノお化歌川国貞(三代豊国)(早稲田大学演劇博物館/文化遺産オンライン, 安政4年(1857)) [図像資料]閉じた傘のような胴から人面と両腕を出す一本足の舞台扮装。画中名を現在の種名へ置き換えない。資料画像には国立国会図書館公開の別版を用いる。
  3. 百種怪談妖物双六歌川芳員(東京都立中央図書館, 安政5年9月(1858)) [図像資料]第17枠「鷺淵の一本足」を含む妖怪双六。作品書誌と画中名を確認する。
  4. しん板化物尽し「からかさのおばけ」歌川芳盛(国際日本文化研究センター, 19世紀・刊年不詳) [図像資料]二つの目、口、舌、二本腕、下駄を履く一本脚を備えた「からかさのおばけ」。データベース公開年を作品年にはしない。
  5. 異界・異類の描かれ方国立国会図書館(国立国会図書館, 2024) [公的解説]百鬼夜行絵巻の諸系統、詞書を欠く作例、付喪神絵巻の一般背景を解説する。からかさ小僧固有の直接系譜には用いない。
  6. 百鬼夜行図藤原行秀[原]筆・源廣迢[模]写(東京大学総合図書館, 江戸中期) [図像資料]傘に関わる無題の異類を含む百鬼夜行図。後世のからかさ小僧の直接祖先とは断定しない。
  7. 百器徒然袋「骨傘」鳥山石燕(川崎市市民ミュージアム, 天明4年(1784)初刊/文化2年(1805)所蔵本) [図像資料]独立した傘妖怪「骨傘」の図像資料。からかさ小僧の別名や祖先とはしない。
  8. 松朝扇うつし絵不詳(江戸中村座/立命館大学アート・リサーチセンター, 安政4年9月21日(1857)) [演劇番付]変化舞踊『松朝扇うつし絵』の上演日、劇場、舞台背景を確認できる番付資料。
  9. 百種怪談妖物双六 第17枠「鷺淵の一本足」公文教育研究会(くもん子ども浮世絵ミュージアム, 不詳) [所蔵機関解説]第17枠の一つ目、鷺を思わせる一本足、赤い舌という画面特徴を解説する。
  10. 唐傘日本大百科全書・世界大百科事典(コトバンク, 不詳) [辞典]普通名詞「唐傘」と複数の語源説を確認する辞典項目。妖怪名の成立時期を直接示す資料ではない。

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