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化け猫(ばけねこ)

基本説明

化け猫は、年を経た家猫の変化、人の姿をとる猫、夜に立ち上がる猫、主人の仇を討つ怪猫など、時代も由来も異なる猫の怪異を広くまとめる名である。一匹の妖怪に共通する伝記ではなく、中世の猫胯・猫また、近世の怪談と妖怪画、幕末以後の芝居と錦絵、近代の怪猫映画という複数の層から、現在の多彩な姿を読み取ることができる。

古い前史として、藤原定家『明月記』天福元年八月二日条には、南都から来た使者が「猫胯」と呼ばれる獣の噂を伝えたことが記される。猫のような目と犬のような体を持つとされるが、年老いた飼い猫が変化したとも、尾が二本だったとも書かれない。およそ一世紀後の『徒然草』第八十九段では、山奥の猫またと、飼い猫が年を経て猫またになるという二つの噂が語られる。ところが法師を襲った正体は、暗闇で主人を見つけて飛びついた飼い犬だった。猫怪異への恐れと、噂が見間違いを生む可笑しさを同時に描いた話である。

家の中で暮らす老猫の変化は、近世の怪談で輪郭を強める。荻田安静『宿直草』巻四には「ねこまたといふ事」「年へしねこはばくる事」が続き、猫が母の姿をとる話と、年月を経た猫の異変が収められる。身近な飼い猫が家族に似た姿を見せるという場面は、山野の正体不明の獣とは異なる、家の内部の怪異として読者の前に現れる。

十八世紀の資料は、猫に与えられた印が一つではなかったことを示す。『和漢三才図会』「猫」は「十有余年」を経た老いた雄猫が妖をなすという記述を載せ、油を舐めることをその性質が表れるしるしの一つに挙げる。これは特定資料の記述であり、すべての化け猫に共通する年齢規則や力の源ではない。倉本昭が引用する『大和怪異記』の猫は、赤い手巾をかぶり、後足と尾で立って周囲を見回す寛延二年(一七四九)刊『新著聞集』には、猫が集まって踊る話がある。立つ猫と踊る猫は近い印象を与えるが、同じ文章の一場面ではない。

二本に分かれた尾は、近世に「猫また」と名付けられた図像でとりわけ有名になった。鳥山石燕『画図百鬼夜行』「猫また」は、手拭いをかぶり、二本の尾を見せて後足で立つ猫を描く。中世の猫胯・猫またに尾の数は記されないため、二尾は猫怪異すべての古来の特徴ではない。「一尾なら化け猫、二尾なら猫又」という区別も、現代の整理としては分かりやすいが、すべての古い資料には当てはまらない。

江戸後期には、怪猫が舞台と芝居絵の大きな見せ場になった。文政十年(一八二七)初演の『独道中五十三驛』では、老婆おつたの正体が怪猫であるという趣向が組み込まれた。後世に「岡崎の猫」と呼ばれる一方、場割には鞠子の古寺や猫石の怪異が見え、岡崎の実地伝承をそのまま上演した作品ではない。歌川国芳の約一八五〇年の二枚続は、巨大な猫の顔、女性、亡霊、炎を一画面に配する。ここで見るのは、自然観察の記録ではなく、怪猫の正体を一目で伝える劇場的な図像である。

鍋島物も、一つの事件記録から直線的に生まれたのではない。早川由美の研究は、歌舞伎の『花嵯峨猫魔稿』と実録・講談の鍋島猫騒動が当初は直接結びつかず、後者が道中記、武勇譚、軍書的要素を加えて長編化した過程を示す。明治十三年(一八八〇)市村座の『嵯峨奥妖猫奇談』では、怪猫そのものが俳優似顔錦絵の中央に置かれた。実在の家名や土地を背景にしても、怪猫の復讐を歴史上の事件として扱うことはできない。

地域には、それぞれ独立した猫怪異の記憶がある。隠岐諸島では、猫に人語、踊り、歌など人間と連続する文化を認める語りが、二〇一二年の民族誌研究に記録されている徳島県阿南市のお松大権現には、お松が愛猫に遺恨を伝えた後、怪猫が不正を行った者の家に現れたという縁起が伝わる熊本県水上村の生善院は、玖月善女と愛猫玉垂をめぐる伝説から「猫寺」と呼ばれる。これらは同じ化け猫の移動経路ではなく、それぞれの土地で伝えられてきた別の物語である。

近代には怪猫が映画の題材にもなった。国立映画アーカイブは中川信夫監督『亡霊怪猫屋敷』(一九五八)を紹介し、別の上映解説では『佐賀怪猫伝』(一九三七)から『山吹猫』(一九四〇)まで、鈴木澄子主演の怪猫映画が六作製作されたことを記す。この映画群も、中世以来変わらない一つの姿ではなく、怪猫表象の近代的な一層である。

化け猫には、共通の年齢、毛色、尾の数、性格、能力、弱点、退治法はない。人に化ける猫もいれば、立ち上がる猫、踊る猫、主人の仇を討つ猫もいる。どの時代、地域、作品の猫なのかを確かめることで、ひとまとめの能力表では見えない化け猫の広がりが見えてくる。

民話・伝承

化け猫の伝承史は、現在の名をそのまま古代へ遡らせるのではなく、猫胯・猫またの中世的前史、近世の家内怪異、立つ猫と踊る猫の母題、歌舞伎と錦絵の怪猫、地域ごとの復讐譚、近代の怪猫映画という層に分けると見通しがよい。

天福元年(一二三三)八月二日、藤原定家は『明月記』に、南都から来た使者が語った「猫胯」の噂を書き留めた。毎夜現れて七、八人を食らい、打ち殺して見ると目は猫のようで体は犬のようだったという。記録の地名は「南都」であり、「南都七郷辺」とは書かれていない。定家自身が見た出来事でもない。この猫胯は家の老猫というより、南都で語られた正体不明の獣であり、後世の化け猫の前史として位置づけられる。

十四世紀頃の『徒然草』第八十九段では、猫またをめぐる噂が二方向へ分かれる。奥山にいて人を食うものと、里で飼われた猫が年を経て人をさらうものだ。ところが、法師が猫またに襲われたと思った場面は、自分の飼い犬を見誤った出来事だった。老いた家猫の変化という発想と、恐怖に先回りされた人間の目を同時に描く話である。

近世に入ると、猫怪異の舞台は家の内部へ近づく。延宝五年(一六七七)の『宿直草』巻四には、猫が母の姿をとる「ねこまたといふ事」と、年月を経た猫の異変を描く「年へしねこはばくる事」がある山本綏子は、このうち「ねこまたといふ事」が巻四の冒頭に置かれた意味を論じている。遠くの山から怪獣が来るのではなく、見慣れた家族に似た姿を飼い猫が見せることが、この話の不気味さを生む。

この時点でも、化け猫と猫又は現代の図鑑のように明確な二種へ分かれてはいない。老いた家猫、人に似た姿、山の怪獣、猫またという名が作品ごとに異なる組合せを作る。「化け猫」はそれらを見渡す現代の見出しとして有用だが、各作品が実際に用いた名を消してはならない。

倉本昭が引用する、宝永五年(一七〇八)序の『大和怪異記』では、猫が赤い手巾をかぶり、後足と尾を支えにして立ち、四方を見る。そこに踊るという動作は書かれない。一方、小林光一郎が取り上げる寛延二年(一七四九)刊『新著聞集』には、猫が集まって踊る話が収められる。手拭いを載せる、後足で立つ、集まって踊るという要素は、似た印象を与えながらも別々の文章と場面に属している。

同じ頃、猫の年齢と油も怪異のしるしとして書かれた。寺島良安『和漢三才図会』「猫」は、「十有余年」を経た老いた雄猫が妖をなすという記述を載せ、油を舐めることをその性質が表れるしるしの一つに挙げる。ここにあるのは一資料の記述であり、「十年」が唯一の変身条件になるわけでも、油が妖力の燃料になるわけでもない。

安永五年(一七七六)初刊の鳥山石燕『画図百鬼夜行』は、「猫また」を二本の尾で描いた。猫は手拭いをかぶり、二本の尾を見せて後足で立ち、画面奥にも別の猫の姿が配される。今回掲載する国立国会図書館本は文化二年(一八〇五)の刊本であり、一七七六年の初版本そのものではない。作品名、初刊年、掲載画像の刊年を分けることで、資料の位置づけが明確になる。

江戸後期には、怪猫が劇場の視覚表現を得る。四代目鶴屋南北の『独道中五十三驛』は文政十年(一八二七)に初演され、老婆おつたの正体を怪猫とする場面を含む。通称「岡崎の猫」で知られるが、場割に見える鞠子の古寺、猫石などを岡崎の民話地点へ読み替えることはできない。後世の上演資料や芝居絵には、女性から猫への変身、大きな猫の顔、亡霊、炎などの見せ場が確認できる。

歌川国芳が約一八五〇年に描いた岡崎怪猫の二枚続では、画面の背後いっぱいに巨大な猫の顔が迫る。これは猫の自然な外形を記録した図ではなく、舞台が作り出した圧倒的な尺度と変身の恐怖を錦絵へ移した作品である。山の獣や家の老猫とは別の、観客の前で一瞬に正体を現す怪猫がここにいる。

鍋島家を背景とする怪猫譚は、幕末から明治にかけて別の大きな流れを作った。国立国会図書館の展示解説は、嘉永六年(一八五三)に計画された『花野嵯峨猫魔稿』が佐賀藩の抗議によって上演中止となったことを紹介する。なお、早川由美の論文題名では同作を『花嵯峨猫魔稿』と記すため、本稿ではそれぞれの資料上の表記をそのまま残す。明治十三年(一八八〇)には市村座で『嵯峨奥妖猫奇談』が上演され、楊洲周延の三枚続に怪猫と登場人物が描かれた。実在の家名や土地を背景にしても、怪猫の復讐劇を史実の事件として扱うことはできない。

鍋島物の筋は一つではない。早川由美の研究によれば、歌舞伎『花嵯峨猫魔稿』と実録・講談の系統は当初直接結びついておらず、実録講談は老母を食って化けた猫又という基本形へ、道中記、藩士の武勇、軍書などを加えて長編化した。怪猫が殺された者の血を舐め、女性の姿を借りて仇を討つという広く知られた像も、この受容の中で強くなった。

地域ごとの猫怪異は、鍋島系だけではない。徳島県阿南市のお松大権現は、不当な裁きを受けて処刑されたお松の愛猫が仇をなしたという縁起を伝え、現在も猫神として信仰を集める熊本県水上村の生善院は、玖月善女と愛猫玉垂の伝説から「猫寺」と呼ばれ、文化庁の日本遺産構成文化財にも位置づけられている。二つの縁起は似た復讐の形を持つが、登場人物も土地も異なる。

隠岐諸島では、猫に人語、踊り、歌、婚姻、相撲など人間と連続する文化を認める語りが、二〇一二年の民族誌研究にまとめられた。これは全国の古い化け猫に共通する能力表ではなく、隠岐の人と猫の関係を伝える地域資料である。近世版本だけで終わらず、猫をめぐる語りが近現代の生活の中にも続いたことを示す。

昭和期には、怪猫が映画の題材にもなった。国立映画アーカイブの上映解説は、『佐賀怪猫伝』(一九三七)から『山吹猫』(一九四〇)まで、鈴木澄子主演の怪猫映画が六作製作されたヒットシリーズだったと記す。また、同館は中川信夫監督『亡霊怪猫屋敷』(一九五八)の作品情報を公開している。これらの記録は、怪猫が近代の映像文化にも独自の層を持つことを示す。

山野の猫胯、家の老猫、手拭いをかぶって立つ猫、踊る猫、二尾の猫また、舞台の巨大怪猫、復讐を担う愛猫、映画の怪猫は、互いに重なる部分を持ちながらも同じ一匹の履歴ではない。一つの年齢や能力へ狭めず、どの時代のどの資料が何を語ったかをたどることが、化け猫の伝承史を最も豊かに見せてくれる。

妖怪カード1

化け猫 を様々な画風のカードで

カード一覧

マヤ暦守護KIN

化け猫が守護しているマヤ暦のKINを一覧で表示しています。

徹底解説

化け猫は一つの姿ではない

「化け猫」と聞けば、年老いた猫、二本の尾、行灯の油、女性への変身、主人の仇討ち、青い火などが一度に思い浮かぶかもしれない。しかし、それらは同じ時代の一匹へ最初から備わっていた特徴ではない。中世の猫胯、家の老猫をめぐる近世怪談、猫またの絵、歌舞伎の怪猫、鍋島物、怪猫映画が、それぞれ別の場面を加えてきた。

化け猫は、固定した生物種というより、猫が人間の理解を越える瞬間を集める大きな名前である。家の中で最も身近な動物の一つでありながら、夜に活動し、音を立てずに歩き、人の指図だけでは動かない。古い記録、怪談、妖怪画、舞台、映画は、その身近さと分からなさをそれぞれ異なる姿で表してきた。

一二三三年、
南都から届いた猫胯の噂

猫怪異の古い記録として重要なのが、藤原定家『明月記』天福元年八月二日条である。南都から来た使者は、猫胯と呼ばれる獣が毎夜現れ、人を食らい、殺して見ると猫のような目と犬のような体をしていたと語った。定家はその風聞を京都で聞き、都へ広がることを恐れて記した。

この獣は、飼い猫が長生きして人へ化けたものとは説明されない。尾の数も書かれず、「南都七郷」と範囲を広げる言葉も原文にはない。現在の化け猫の初目撃ではなく、中世に「猫胯」という名で恐ろしい獣が語られた前史である。

猫まただと思ったものは飼い犬だった

『徒然草』第八十九段は、猫またの噂を語りながら、その噂に飲み込まれる人間を描く。奥山には人を食う猫またがいる、里の飼い猫も年を経ると猫またになる。そう聞いた法師は、夜道で足元へ飛びついたものを怪物だと思い、川へ転げ落ちる。だが正体は、暗闇でも主人を見つけた自分の犬だった

ここには、老猫の変化という考えが十四世紀頃に語られていた証拠と、恐怖が見慣れた動物さえ別物に見せるという笑いが同居する。犬は猫またを倒したのではない。この話から「犬が化け猫の弱点」という規則を作ることはできない。

家族の姿を借りる猫

延宝五年(一六七七)の『宿直草』巻四では、猫の怪異が家の中へ入る。「ねこまたといふ事」では猫が母の姿をとり、「年へしねこはばくる事」では年月を経た猫が異変を起こす山本綏子は、前者が巻四の冒頭に置かれた意味を論じている

見知らぬ妖怪が戸口を破るのではなく、毎日餌を与えてきた猫が、最も親しい人物に似た姿を見せる。作品が用いる名は猫またなどであり、現在の化け猫と完全に同一の分類ではないが、年経た家猫をめぐる怪異が家の内部で語られた重要な例である。

何年生きれば化けるのか

猫が長寿によって変化するという考えは古いが、共通する年数はない。寺島良安『和漢三才図会』「猫」は、「十有余年」を経た老いた雄猫が妖をなすという記述を載せる。ほかの資料や後世の解説には別の年齢、体重、尾の長さが現れる。

「十有余年」はこの資料に現れる目安であり、化け猫全体を判定する時計ではない。十年、十二年、十三年、二十年のどれかを一律の規則にすると、個別の資料が持つ違いを失ってしまう。

手拭いをかぶる猫と踊る猫

倉本昭が引用する、宝永五年(一七〇八)序の『大和怪異記』では、猫は赤い手巾をかぶり、後足と尾で立ち、周囲を見回す。原文はここで踊るとは書かない。一方、小林光一郎が取り上げる寛延二年(一七四九)刊『新著聞集』には、猫が集まって踊る話がある

手拭い、直立、踊りは近い印象を与えるが、同じ文章の一場面ではない。小林の研究は、踊る猫が錦絵にどのように描かれたかを考察する。また、隠岐の猫をめぐる近現代の語りにも、話す、踊る、歌うという姿が記録されている。似た動作でも、資料と地域を分けて読む必要がある。

二本の尾は猫またの代表図像

二本の尾は、現在の猫又を見分ける最も有名な印である。鳥山石燕『画図百鬼夜行』「猫また」では、猫が手拭いをかぶり、二本の尾を見せて後足で立つ。だが一二三三年の猫胯にも、『徒然草』の猫またにも、尾の数は書かれていない。

手拭いをかぶり、二本の尾を見せて後足で立つ鳥山石燕の猫また
鳥山石燕『画図百鬼夜行』の「猫また」(1805年刊本)
作品上の名称は「猫また」。『画図百鬼夜行』初版は安永五年(一七七六)、掲載画像は文化二年(一八〇五)刊本であり、化け猫一般の姿を示す図ではない。
鳥山石燕『画図百鬼夜行』「猫また」、文化二年(一八〇五)刊、国立国会図書館所蔵。出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」
掲載画像は、国立国会図書館「NDLイメージバンク」が示す「猫また」の主体範囲を使用しています。

この図の作品上の名は、あくまで「猫また」である。初版は安永五年(一七七六)、掲載画像は文化二年(一八〇五)刊本であり、化け猫一般の原典画ではない。化け猫と猫又は歴史上重なる部分を持つが、「一尾から二尾へ進化する」という共通の成長段階は確認できない。

行灯の油は力の源なのか

『和漢三才図会』「猫」は、油を舐めることを、その猫の性質が表れるしるしの一つに挙げる。書かれているのは観察のしるしであり、油を飲めば妖力を得るという仕組みではない。

手拭い、直立、行灯の油を一画面に組み合わせた現代画は、複数の近世資料に見える母題をまとめた再構成である。古い文章の一節と、後世に構成された一枚の絵を区別すれば、どの要素にどの根拠があるかを正確にたどれる。

「岡崎の猫」が舞台で巨大になる

文政十年(一八二七)初演の『独道中五十三驿』は、東海道をめぐる長い筋の中に老婆おつた実は怪猫という趣向を置いた。後世には「岡崎の猫」と呼ばれるが、場割には鞠子の古寺や猫石の怪異が記される。通称をそのまま愛知県岡崎の実在事件や古い民話地点へ変えることはできない。

巨大な猫の顔と尾を背景に、女性と亡霊、炎を配した歌川国芳の怪猫芝居絵二枚続
歌川国芳「Scene from a Ghost Story: The Okazaki Cat Demon」
歌川国芳、約一八五〇年。歌舞伎の通称「岡崎の猫」に関わる怪猫場面を、巨大な猫の顔として現した芝居絵。掲載画像はThe Metropolitan Museum of Art所蔵の二枚である。
Utagawa Kuniyoshi, Scene from a Ghost Story: The Okazaki Cat Demon, ca. 1850, The Metropolitan Museum of Art, JP1563

歌川国芳の約一八五〇年の二枚続では、背景いっぱいの猫の顔、輪を描く尾、女性、亡霊、炎が一度に現れる。The Metropolitan Museum of Artは作品名を「Scene from a Ghost Story: The Okazaki Cat Demon」とし、二枚続として所蔵する。これは猫の自然な姿を記録した図ではなく、通称「岡崎の猫」に関わる舞台の怪猫を大きな尺度で見せる芝居絵である。

鍋島の猫はどのように長編になったか

鍋島怪猫譚には、実在する家名、御家騒動、忠義、女性の怨念、仇討ち、猫の変身が重ねられた。国立国会図書館の展示解説によれば、嘉永六年(一八五三)に計画された『花野嵯峨猫魔稿』は佐賀藩の抗議で上演中止となった。早川由美の論文題名では同作を『花嵯峨猫魔稿』と記すため、二つの表記を混同せず、それぞれの出典どおりに示す。

怪猫へ向き合う小森半之丞役の助高屋高助を描いた左枚
楊洲周延〔鍋島の猫〕〔嵯峨奥妖猫奇談〕(1880年)
浪島大守と、人面の白い怪猫として現れた坂東彦十郎を描いた中央枚
楊洲周延〔鍋島の猫〕〔嵯峨奥妖猫奇談〕(1880年)
愛妾お豊の方を演じる沢村百之助を描いた右枚
楊洲周延〔鍋島の猫〕〔嵯峨奥妖猫奇談〕(1880年)
楊洲周延「鍋島の猫」(歌舞伎『嵯峨奥妖猫奇談』、明治十三年〔一八八〇〕十月、市村座)、版元・松下平兵衛、三枚続。画面左から、小森半之丞(助高屋高助)、浪島大守(中村時蔵)と怪猫(坂東彦十郎)、愛妾お豊の方(沢村百之助)。
楊洲周延〔鍋島の猫〕〔嵯峨奥妖猫奇談〕、明治十三年(一八八〇)、国立国会図書館デジタルコレクション(PID 1302601)
楊洲周延〔鍋島の猫〕〔嵯峨奥妖猫奇談〕、明治十三年(一八八〇)、国立国会図書館デジタルコレクション(PID 1302601)
楊洲周延〔鍋島の猫〕〔嵯峨奥妖猫奇談〕、明治十三年(一八八〇)、国立国会図書館デジタルコレクション(PID 1302601)

楊洲周延の三枚続は、明治十三年(一八八〇)十月に市村座で上演された『嵯峨奥妖猫奇談』を描く。中央に坂東彦十郎演じる怪猫、左右に浪島大守、小森半之丞、愛妾お豊の方らが配される。錦絵は当時の舞台受容を伝える資料であり、城内で怪猫事件が実際に起きた証拠ではない。

早川由美の研究は、歌舞伎と実録・講談の系統が当初は直接結びつかなかったこと、後者が道中記や藩士の武勇譚などを加えて長編化したことを示す。一つの完成済み伝説がそのまま複製されたのではなく、媒体ごとに人物、動機、見せ場が増えていったのである。

土地ごとに異なる猫の記憶

徳島県阿南市のお松大権現は、お松が処刑前に愛猫へ遺恨を伝え、その後に怪猫が不正を行った者の家へ現れたという縁起を伝える。現在の社には狛猫や多数の猫像が奉られ、勝負や訴訟の神として参拝を集める

熊本県水上村の生善院には、非業の死を遂げた盛誉法印、その母玖月善女、愛猫玉垂をめぐる伝説がある。猫の供養も兼ねて寺が建てられたと伝わり、「猫寺」の通称で親しまれる。佐賀の鍋島物、阿南のお松、水上村の玉垂、隠岐の踊り語りは、猫という主題を共有しても、同じ猫の生涯ではない。それぞれの土地の記憶として読むことで違いが鮮明になる。

近代の怪猫映画

国立映画アーカイブは、中川信夫監督の一九五八年『亡霊怪猫屋敷』を所蔵作品として紹介している。また、『佐賀怪猫伝』(一九三七)から『山吹猫』(一九四〇)まで、鈴木澄子主演の怪猫映画が六作製作されたヒットシリーズだったとする。

これらの作品情報から、怪猫が昭和の映画でも継続的に扱われたことが分かる。映画に現れる映像表現は、中世から不変の外見ではなく、化け猫表象の近代的な一層として位置づけられる。

共通の性格、
弱点、
退治法はない

化け猫の性格は物語ごとに大きく異なる。主人を守り仇を討つ猫も、家族を害する猫も、人のように踊るだけの猫もいる。正体を見破られる、武士に斬られる、祈祷を受けるといった結末も、各作品の筋書きであって、すべての化け猫に効く攻略法ではない。

二本の尾、一定の年齢、油、魚、犬、火、経文のどれか一つで化け猫を判定したり退けたりすることはできない。各資料に繰り返し現れるのは統一された能力一覧ではなく、身近な猫が人の知らない振る舞いを見せる場面である。

身近な猫から生まれる怪異

化け猫の話で繰り返し目に入るのは、遠い異界ではなく、人家、灯、手拭い、食事、寝所といった日常の道具や場所である。夜中に歩く、物陰を見つめる、音を立てずに部屋を移るという猫の身近な動きが、人のように立つ、話す、踊る、家族の姿を借りるという怪談の場面へ接続される。

その猫が言葉を話したら何を語るのか。人の姿を借りたら誰に見えるのか。恩を受けた者が傷つけられたらどう動くのか。こうした問いが、各時代の作者や語り手に異なる化け猫を描かせてきた。身近な動物が突然よく知らない存在に見える、その境目こそが化け猫の物語を読み解く鍵である。

妖怪設定

この区画は物語を楽しむための当サイト独自の設定です。史実・考証ではありません。

妖怪タイプ
伝統妖怪
カテゴリ
動物変化
レアリティ
一般
性格
一定しない。人に親しむ猫、家族を害する猫、主人の仇を討つ猫、夜に踊る猫など、物語ごとに異なる。
相性
一定しない。恩を受けた相手へ忠義を示す話も、人へ成り代わり害をなす話もある。
能力・特技
個別譚では人の姿をとる個別譚では人語を話す個別譚では後肢で立つ個別譚では集まって踊る個別譚では主人の仇を討つ
弱点
共通する弱点・退治法は不詳。犬、魚、刀、火、祈祷、供養は個別の作品や後世の解説に属する。
生息地
人家と夜の室内を中心に、山野、寺、城、宿場など作品ごとに異なる。単一の発祥地・生息地はない。

出典・参考文献

18
  1. Kôji Watanabe, « Le chat-monstre dans Meigetsu-ki de Fujiwara no Teika : première occurrence du terme nekomata dans la littérature japonaise ? »Kôji Watanabe(Iris, no 41, UGA Éditions, 2021) [研究論文・古典本文翻訳] 二次資料『明月記』天福元年八月二日条の猫胯と『徒然草』第八十九段の猫またを本文、仏訳、注釈とともに検討する。中世の前史を確認するために用いる。
  2. 荻田安静『宿直草』荻田安静(富山大学附属図書館ヘルン文庫, 延宝5年(一六七七)刊) [古典籍画像・一次資料]猫が母の姿をとる話と、年月を経た猫の異変を収める。近世の家内怪異を確認する一次資料。
  3. 寺島良安編『和漢三才図会』中之巻寺島良安(中近堂/国立国会図書館所蔵, 明治18年(一八八五)刊本/原著は正徳2年(一七一二)成立) [古典籍画像・一次資料]「十有餘年老牡猫有妖為災」と、油を舐める猫を怪異の表れとする記述を直接確認する。原著成立年と閲覧刊本の刊年を分ける。
  4. 『画図百鬼夜行』の構成に関する一考察倉本昭(山口県立大学学術情報リポジトリ, 2015) [研究論文] 二次資料宝永五年序『大和怪異記』の、赤い手巾をかぶり後足と尾で立つ猫の条を引用する。一次資料の所在と引用範囲を明示して用いる。
  5. 神谷養勇軒編『新著聞集』18巻神谷養勇軒(国立国会図書館サーチ, 寛延2年(一七四九)原刊記) [古典籍書誌]猫が集まって踊る話を収める作品の書誌。該当場面の説明は小林光一郎の研究と併用する。
  6. 鳥山石燕『画図百鬼夜行』鳥山石燕(長野屋勘吉/国立国会図書館所蔵, 文化2年(一八〇五)刊本/初版安永5年(一七七六)) [古典籍画像・一次資料]手拭いをかぶり、二本の尾を見せて後足で立つ「猫また」の図。作品名、初刊年、掲載刊本の刊年を分ける。
  7. 四代目鶴屋南北『独道中五十三驛』四代目鶴屋南北(立命館大学アート・リサーチセンター ArtWiki, 文政10年(一八二七)初演) [演劇資料]演目の初演情報と場割を確認し、通称「岡崎の猫」と実地の民間伝承を区別する。
  8. Scene from a Ghost Story: The Okazaki Cat DemonUtagawa Kuniyoshi(The Metropolitan Museum of Art, ca. 1850) [美術作品・一次資料]巨大な猫の顔、女性、亡霊、炎を配した怪猫芝居絵の二枚続。The Met所蔵作品の書誌とPublic Domain表示を確認する。
  9. 鍋島猫騒動の変遷 : 実録・講談と『花嵯峨猫魔稿』早川由美(名古屋大学国語国文学, 2000) [研究論文] 二次資料歌舞伎と実録・講談系統の関係、道中記・武勇譚・軍書的要素を加えた長編化を論じる。
  10. 「おっちゃん、それは化け猫に化かされとっだわ」 : 隠岐島の猫にまつわる語りから見る人間と動物の連続性近藤祉秋(文化人類学 76巻4号, 2012) [民族誌研究] 二次資料隠岐諸島の猫にまつわる語りを、人語、踊り、歌、婚姻、相撲など人間と動物の連続性から検討する。
  11. お松大権現の縁起お松権現社(お松権現社, 現行公式解説) [寺社公式縁起]不当な裁きを受けたお松と愛猫の復讐、現在の猫神信仰を伝える神社公式縁起。歴史事件の証明ではなく地域伝説の所在として用いる。
  12. 生善院観音堂及び本堂と庫裏文化庁(日本遺産ポータルサイト, 現行) [公的文化財解説]玖月善女と愛猫玉垂の伝説、生善院が「猫寺」と呼ばれる由来、日本遺産構成文化財としての位置づけを確認する。
  13. 『亡霊怪猫屋敷』(一九五八)作品資料国立映画アーカイブ(国立映画アーカイブ, 1958) [公的作品資料] 二次資料中川信夫監督『亡霊怪猫屋敷』の作品情報を確認する。
  14. 鈴木澄子の怪猫映画国立映画アーカイブ(国立映画アーカイブ, 2005) [公的上映解説] 二次資料『佐賀怪猫伝』から『山吹猫』まで鈴木澄子主演の怪猫映画六作を紹介する上映解説。
  15. 怪異を射る : 『宿直草』巻四の一「ねこまたといふ事」の位置山本綏子(広島大学学術情報リポジトリ, 2025) [研究論文] 二次資料『宿直草』巻四冒頭の「ねこまたといふ事」を作品構成の中で論じる研究。
  16. 国立国会図書館関西館第29回小展示「ニャンとも楽しい古典籍」資料解説国立国会図書館関西館(国立国会図書館, 2022) [公的展示解説] 二次資料石燕の猫また、嘉永六年に計画された『花野嵯峨猫魔稿』の上演中止など、猫をめぐる古典籍の受容を解説する。
  17. 楊洲周延〔鍋島の猫〕〔嵯峨奥妖猫奇談〕楊洲周延(松下平兵衛/国立国会図書館所蔵, 明治13年(一八八〇)) [錦絵画像・一次資料]明治十三年十月、市村座『嵯峨奥妖猫奇談』の怪猫と登場人物を描く三枚続。舞台受容の一次資料として用いる。
  18. 「踊り歌う猫の話」における「踊る猫」のイメージ―錦絵に描かれた踊る猫―小林光一郎(神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター, 2011) [研究論文] 二次資料『新著聞集』などの踊る猫の話と、錦絵における図像の展開を検討する。

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