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布袋

ほてい

カテゴリ
神霊・神格
性格
太鼓腹を露わに破顔大笑、大袋一つを背負って市井を歩く飄々とした風。怒りも欲も持たず、ただ分け与え、ただ笑う気質。
起源
明州奉化県岳林寺 (現·中国浙江省寧波市奉化区) / 鎌倉期に禅宗経由渡来 / 関東·近畿の七福神巡り札所
  • 岳林寺(中国浙江省 寧波市奉化区)実在の禅僧·契此の入滅地、 弥勒祖庭
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基本説明

唐末·五代の実在の禅僧·契此 (かいし、?-917)を本源とする神格。太鼓腹を露わにし、大きな頭陀袋 (布袋) を背負って杖をつき、赤い顔で破顔大笑する僧形が定型図像である。「弥勒真弥勒、分身千百億」と臨終偈に詠じたと伝わることから弥勒菩薩の化身とみなされ、仏弟子としての位置と民間福神としての位置を兼ね備える。鎌倉期に禅画の画題として日本へ渡来し、室町後期に七福神の一柱として定着、江戸期に至って笑門来福·夫婦円満·子宝·商売繁盛の神として庶民信仰を広く集めた。大度量·無所有·分け与えの徳を肥満体と大袋に象徴させる珍しい類型の福神である。

民話・伝承

布袋の本相は唐末·五代の禅僧·契此である。北宋·道原撰『景徳伝灯録』 (1004) 巻 27、また北宋·賛寧撰『宋高僧伝』 (988) 巻 21に記載があり、明州奉化県 (現·浙江省寧波市奉化区) の出身、ただし俗姓·生年は不明。太鼓腹·大袋·杖をもって市井を歩き、雪中に臥しても身が温かく、占ト·予言を能くしたと伝わる。後梁·貞明二年 (916) 三月、岳林寺の磐石に坐して「弥勒真弥勒、分身千百億、時時示時人、時人自不識」と偈を遺して入滅した。この臨終偈ゆえに弥勒菩薩の化身と仰がれるに至り、中国では宋代以降の禅林を中心に水墨画題として定着、元代の画僧らがこれを大いに描いた。日本への渡来は鎌倉期の禅宗渡来に伴うもので、牧谿·因陀羅らの宋元禅画を模倣する形で日本の画僧 (黙庵·良全·黙堂宗英ら) が布袋図を制作した。室町後期に至り、東山文化期の七福神画題に組み入れられ、在地化していた恵比寿·大黒·毘沙門天·弁才天と、同じく渡来神の福禄寿·寿老人と並ぶ。江戸期には宝船絵·初夢宝船の構成神として庶民層に深く浸透し、とくに肥満体は「広い度量·円満な人格」を、大袋は「無所有でありながら万人に分け与える徳」を象徴するものと解された[5]。また各七福神巡りの札所には禅宗·黄檗宗系の寺院が多く当てられ、ことに子授け·商売繁盛·夫婦円満の参詣が盛んである。

室町後期に成立、江戸期に庶民化した七柱の福徳神

七福神

室町後期、[[cite:tozan-bunka]]東山文化期[[/cite]]の禅僧·画僧層が、在地化していた恵比寿·大黒·毘沙門天·弁才天と、同じく渡来神の福禄寿·寿老人·布袋を組み合わせて束ねた七柱の福徳神セット。在地神 (恵比寿)·インド由来神 (大黒·毘沙門·弁才)·道教神 (福禄寿·寿老人)·禅僧由来神 (布袋) という多元的構成を、「福徳を司る七神」という一つの枠で囲んだ点に文化習合の妙がある。江戸期に宝船絵·初夢宝船·七福神巡りとして庶民層に深く浸透し、現在も関東·近畿の各地で正月の七福神参詣が盛んである。

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徹底解説

布袋の本源は唐末·五代の実在の禅僧·契此 (かいし、?-917 没)である。北宋·道原撰『景徳伝灯録』 (1004) 巻 27 が彼に独立した一伝を立てており、これが布袋伝承の根本資料となる。また北宋·賛寧撰『宋高僧伝』 (988) 巻 21·感通篇にも記載があり、明州奉化県 (現·浙江省寧波市奉化区) の出身、俗姓·生年は不明と伝える。形姿は短軀·太鼓腹·額の皺深く、常に布袋 (頭陀袋·大背袋) を負って市井を遊行し、雪に伏しても身は温く、飯食を乞うては袋に蓄え、占卜·予言を能くしたという。後梁·貞明二年 (916) 三月、奉化岳林寺の磐石に坐して「弥勒真弥勒、分身千百億、時時示時人、時人自不識」 (まことの弥勒は分身千百億にして、折々に時の人に身を示せども、時の人はみずから識らず) という偈を遺して入滅したと伝わる。この臨終偈をもって弥勒菩薩の化身と仰がれるに至り、以後の中国仏教 (とくに禅宗) においては布袋=弥勒というイメージが定着、寺院の山門·天王殿に大腹の弥勒坐像 (=布袋形の弥勒) が安置される慣習も生じた。中国では宋代以降、水墨画題として圧倒的に好まれ、元代の画僧 (因陀羅·孟玉澗ら) や禅僧画家がこれを大いに描いた。日本への渡来は鎌倉期の禅宗渡来に伴うもので、入宋僧·入元僧によって宋元禅画 (牧谿·因陀羅らの作) が請来され、鎌倉末·南北朝期の日本の画僧 (黙庵·良全·黙堂宗英ら) がこれを倣って日本固有の布袋図系譜を成立させた。室町後期に至り、東山文化期の禅僧·画僧層 (能阿弥·相阿弥·雪舟ら) が七福神画題を整理した際、既に渡来していた福禄寿·寿老人と並んで布袋を組み込み、在地化していた恵比寿·大黒·毘沙門天·弁才天と合わせて「福徳七神」を成立させた。江戸期に入ると、七福神宝船絵·初夢宝船の構成神として庶民層に深く浸透し、葛飾北斎·歌川国芳·月岡芳年らの版画に頻出する。図像的特徴 ── 太鼓腹·大袋·破顔大笑 ── は、中国伝統では「肥満=広き度量·円満な人格」「大袋=無所有でありながら必要なものを際限なく与える徳」を象徴するもので、道教的長寿神 (福禄寿·寿老人) とも、武神系 (毘沙門天) とも、在地神 (恵比寿·大黒) とも異なる、「禅的無所有の福徳」という独自の類型を提示する。江戸·東京の各七福神巡り (谷中·浅草·日本橋·隅田川等) では禅宗·黄檗宗·曹洞宗系の寺院に札所が当てられ、とくに子授け·商売繁盛·夫婦円満·笑門来福を願う庶民の信仰を厚く集めてきた。なお岳林寺は現在も奉化区に現存し、布袋誕生·入滅の地として「弥勒祖庭」と称される。

妖怪設定

この区画は物語を楽しむための当サイト独自の設定です。史実・考証ではありません。

性格
太鼓腹を露わに破顔大笑、大袋一つを背負って市井を歩く飄々とした風。怒りも欲も持たず、ただ分け与え、ただ笑う気質。
相性
笑顔と寛容で家庭を満たしたい者、商売を細かく回したい者、子授け·夫婦円満を願う者と相性が良い。緊張·焦りを手放したい者にも応える。
能力・特技
笑門来福 (大笑の気で福を引き寄せる)頭陀袋の徳 (無尽蔵の袋から必要なものを取り出す)弥勒感応 (未来仏としての慈悲を地上に降ろす)予言占卜 (天候·吉凶を見抜く)
弱点
厳粛·禁欲を旨とする祈願 (修験·苦行) には合わない。怒りや競争心を煽る祈願にも本来応えない。
生息地
禅宗·黄檗宗系の寺院、七福神宝船図、元日の枕下、関東·近畿の七福神巡り札所、中国浙江省寧波市奉化区岳林寺 (実在の入滅地)。

弥勒の化身·笑門の僧·布袋についてさらに詳しい情報や診断結果については、こちらをご覧ください。

出典・参考文献

5
  1. 景徳伝灯録道原 (北宋·禅僧)(北宋·勅命纂修, 1004) [古典文献]北宋·景徳元年成立。禅宗灯史の根本資料、巻 27 に布袋和尚·契此の独立した伝記。臨終偈「弥勒真弥勒、分身千百億」 を載せ、後世の弥勒化身説の典拠となった。
  2. 鎌倉期禅宗渡来と禅画請来日本中世仏教史·美術史研究(入宋僧·入元僧経由の禅文化伝入, 鎌倉期 (13 世紀)) [文化史·美術史]栄西·道元らの入宋·入元僧によって禅宗とともに宋元禅画 (牧谿·因陀羅·梁楷ら) が日本にもたらされ、布袋·寒山拾得などの禅画題が定着した経緯。
  3. 宋高僧伝賛寧 (北宋·律僧)(北宋·勅命纂修, 988) [古典文献]北宋·端拱元年成立。唐~宋初の高僧伝記集、巻 21·感通篇に布袋和尚·契此の伝。出身地·異能·入滅譚を伝える布袋伝承の最古層資料。
  4. 東山文化と七福神画の成立室町後期·禅林·画僧(足利義政期文化圏, 15 世紀後半) [文化史] 参考資料足利義政の東山殿 (銀閣) 中心に展開した文化期。禅僧·画僧 (能阿弥·相阿弥·雪舟ら) が中国渡来の道釈画を再編し、福徳七神 (七福神) の画題を成立させた。
  5. 七福神信仰の整理近世~現代の民俗·宗教研究(通俗百科·民俗学整理, 近世以降) [民俗学] 参考資料室町後期成立·江戸期普及の七福神信仰についての総合的整理。福禄寿と寿老人の同体異名問題、宝船絵·七福神巡りの成立等を扱う。

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