宮崎県 神々が降り立った日向の国。宮崎県の妖怪と神話事典

瓊瓊杵尊・木花咲耶姫・海幸彦・山幸彦。天孫降臨の地に流れる神話と河童

神々が降り立った日向の国。
宮崎県の妖怪と神話事典

宮崎県 · みやざき

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九州の南東、日向灘に長く面した宮崎県は、かつて日向国(ひむかのくに)と呼ばれた。「日に向かう国」というその名のとおり、ここは『古事記』『日本書紀』が天上の神々を地上へ送り込んだ舞台である。天照大御神の孫・瓊瓊杵尊が高千穂の峰に降り立ち、その子・海幸彦と山幸彦が日向灘の渚で運命を分け、孫の代に初代神武天皇が東へ発つ ── 日本という国の始まりの物語は、ほとんどがこの地で語られる。

だからこそ宮崎の「妖怪」は独特の相貌を持つ。多くの土地で妖怪が暗がりや辻に湧く異形であるのに対し、ここで語り継がれるのはまず神々の系譜である。神話の主役たちが、千数百年を経てなお高千穂の夜神楽の面に宿り、西都原の古墳に眠り、青島の波打ち際で祀られている。本記事は、その記紀神話の神格群を軸に据えつつ、高千穂の荒神・鬼八や、日向の川に潜む河童・ひょうすんぼといった在地の異類までを束ね、「神話の国の妖怪文化」がどのように形づくられたかをたどる。

高千穂 ── 天孫が降り立った渓谷

宮崎の神話を語るなら、まず高千穂から始めねばならない。阿蘇山系が刻んだ深い峡谷(高千穂峡)を擁する西臼杵郡高千穂町は、天孫降臨の二大伝承地の一方である。もう一方は鹿児島県境にそびえる霧島連峰の。幕末、坂本龍馬が妻お龍とこの峰に登り、逆鉾を引き抜いて見せたという逸話は「日本初の新婚旅行」として知られる。神話の小道具が幕末志士の悪戯の対象になり、現代の観光名所になる ── 神話と現実が地続きであることを、この一本の鉾がよく示している。

瓊瓊杵尊

ににぎのみこと

瓊瓊杵尊 (ニニギノミコト) は『古事記』·『日本書紀』に登場する天照大御神の孫·天忍穂耳尊と高皇産霊尊の娘·栲幡千千姫命の子で、天照大御神の命によって高天原から葦原中国へ降臨した「天孫降臨」の主神である。古事記表記は「天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命 (アメニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギノミコト)」という日本神話最長の神名を持ち、日本書紀表記は「天津彦彦火瓊瓊杵尊 (アマツヒコヒコホノニニギノミコト)」等。三種の神器 (八咫鏡·八尺瓊勾玉·草那藝之大刀) を授けられ、天宇受売命·猿田彦命·五伴緒神 (アメノコヤネ·フトダマ·アメノウズメ·イシコリドメ·タマノオヤ) を従えて筑紫日向の高千穂峰 (現·宮崎県高千穂町と鹿児島県霧島山の二大伝承地) に降臨した。大山祇神の娘·木花之佐久夜毘売 (コノハナノサクヤビメ) と結婚し、火照命 (海幸彦)·火須勢理命·火遠理命 (山幸彦) を儲けた。姉·石長比売 (イワナガヒメ) を拒絶したことで邇邇藝命とその子孫は神としての永遠の命を失い、これが人間に寿命がある起源説話となる。神武天皇の曽祖父として古代天皇皇統の神話的源流を成し、宮崎県·鹿児島県の霧島神宮·新田神社·宮崎神宮·高千穂神社等を主要鎮座地として古代から現代まで篤く崇敬される。

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天降った主神・瓊瓊杵尊は、天照大御神から三種の神器(八咫鏡・八尺瓊勾玉・草那藝之大刀)を授かり、天宇受売命や猿田彦命、祭祀をつかさどる五伴緒神を従えて「筑紫の日向の高千穂」に降り立った。その古事記での神名は「」── 日本神話で最も長い神名であり、「天と国をやわらかに賑わす、稲穂のように栄える神」と解される。降臨神話の核心は、稲作とともに天上の権威が地上へ移される瞬間にあった。なお高千穂町と霧島のどちらが「本物の」降臨地かという論争は古代から続くが、これは決着すべき事実というより、日向国全体が降臨神話を共有してきた結果と見るのが穏当だろう ── 記紀が記すのは「日向の高千穂」までで、現在の比定地はいずれも後世の社伝・地名伝承に属する(FACT としての記紀記載と、LEGEND としての比定地は分けて考えたい)。

高千穂の夜神楽。毎年冬、氏神を民家に迎えて夜を徹して三十三番が奉納されるこの神事は、天岩戸神話などを面と舞で演じ直す装置である。宮崎では神話は単なる過去の物語ではなく、毎冬「上演」されることで土地の記憶として更新され、生き続けている。
高千穂の夜神楽。毎年冬、氏神を民家に迎えて夜を徹して三十三番が奉納されるこの神事は、天岩戸神話などを面と舞で演じ直す装置である。宮崎では神話は単なる過去の物語ではなく、毎冬「上演」されることで土地の記憶として更新され、生き続けている。

高千穂の神話が「生きている」ことを最も強く感じさせるのが、夜神楽である。。集落ごとに「神楽宿」となる民家のオモテの間が神庭(こうにわ)として飾られ、舞は神の降臨を祈ることから始まって、土地を清め、火の神・水の神・山の神・五穀の神・海の神を順に祭り、深夜には若者が神楽セリ唄をうたう。手力雄(たぢからお)の舞、岩戸を開ける鈿女(うずめ)の舞、伊邪那岐・伊邪那美が酒を酌み交わす「御神体」の舞 ── 天岩戸神話の場面が面と採物によって一晩かけて演じ直され、明け方の「雲下(くもおろし)」で注連(しめ)を払ってすべてが終わる。神楽は単なる芸能ではなく、神話を毎冬「上演し直す」ことで土地の記憶を更新する装置なのである。高千穂神社の神楽殿では観光客向けに代表四番が毎晩公開され、訪れる者は今も神話の現場に立ち会うことができる。

天岩戸神話そのものの舞台も、高千穂町にある。天照大御神が弟・須佐之男命の乱暴を嘆いて岩屋に隠れ、世界が闇に包まれたという神話 ── その岩戸を御神体とする天岩戸神社と、八百万の神々が相談したと伝わる天安河原(あまのやすかわら)の洞窟が、岩戸川の渓谷沿いに鎮座する。降臨神話の前史にあたるこの「世界が一度暗転し、再び光を取り戻す」物語まで含めて、高千穂は記紀神話の冒頭部を地理として体現する稀有な土地である。

鬼八 ── 高千穂神社が鎮める荒神

高千穂神社の祭神は瓊瓊杵尊だけではない。神武天皇の兄にあたる三毛入野命(みけいりのみこと)も祀られ、その三毛入野命が退治したと伝わる荒神が鬼八(きはち)である。

二上山の岩屋に潜む荒神・鬼八。神武天皇の兄・三毛入野命に退治されたと伝わるこの悪神は、本来は阿蘇・高千穂にまたがる強力な在地神であったと考えられる。斬られた亡骸を三つに分けて封じられ、今も慰撫の祭りが続く鬼八の姿は、皇統の神話に覆われきらなかった土着の信仰の深さを物語る。
二上山の岩屋に潜む荒神・鬼八。神武天皇の兄・三毛入野命に退治されたと伝わるこの悪神は、本来は阿蘇・高千穂にまたがる強力な在地神であったと考えられる。斬られた亡骸を三つに分けて封じられ、今も慰撫の祭りが続く鬼八の姿は、皇統の神話に覆われきらなかった土着の信仰の深さを物語る。

鬼八は二上山の岩屋に棲み、村人をさらい、鵜目姫(うのめひめ)を奪って隠した悪神とされる。三毛入野命は姫を救うために鬼八と激しく戦い、二度と蘇らぬよう亡骸を三つに斬って別々に埋めた ── 高千穂町にはその首塚・胴塚・手足塚が「鬼八塚」として今も点在する。それでもなお鬼八の祟りは恐れられ、その霊を鎮めるために高千穂神社では毎年「猪掛祭(ししかけまつり)」が営まれてきた。

鬼八は熊本県阿蘇の伝承(健磐龍命に追われた鬼)とも結びつき、本来は阿蘇・高千穂にまたがる山の神を、外来の皇統神が「退治される荒神」として語り直した姿だと考えられている。注目すべきは、鬼八が斬られた亡骸を三つに分けて埋められた点である。一つにまとめて葬れば祟ると恐れられたために、首・胴・手足を別々の塚に封じた ── これは強大な怨霊を物理的に分割して鎮める、古い御霊(ごりょう)信仰の発想を伝える。退治されてなお祭りで慰撫されつづける鬼八は、征服者の神話に組み込まれた在地神のかたちを生々しく示しており、神々の系譜のすぐ裏側に「妖怪化された土地の神」が控えていることを教えてくれる。高千穂の山深い椎葉村(しいばそん)や米良(めら)の山村にも、平家落人伝説や山の神の祭祀が色濃く残り、この一帯が「神話に塗りつぶされなかった土着の信仰」を今に伝える九州山地の懐であることがうかがえる。

西都 ── 花の女神と巨大古墳の盆地

高千穂の峡谷を下り、一ツ瀬川の流域に出ると、台地一面に古墳が広がる西都原(さいとばる)に至る。。実際の被葬者は5世紀の南九州を統べた大首長と考えられ、神話の神格と古墳の主が直接結びつく史実的根拠はない。だが「天孫夫妻の墓」と語り継がれてきたこと自体が、この地が神話の記憶をどれほど深く抱えてきたかを物語る。

木花咲耶姫

このはなのさくやびめ

木花咲耶姫 (コノハナノサクヤビメ) は『古事記』·『日本書紀』に登場する大山津見神 (オオヤマツミ) の娘で、天孫降臨を果たした邇邇藝命 (ニニギノミコト) の妃となった女神である。名は「木の花が咲くように美しい」ことに由来し、桜花の象徴とされる。古事記表記は「木花之佐久夜毘売」、別名「神阿多都比売 (カムアタツヒメ)」。邇邇藝命に求婚された際、父·大山津見神は姉·石長比売 (イワナガヒメ) とともに二柱を差し出したが、邇邇藝命は美しい木花咲耶姫のみを娶り醜い姉を返した。このため天孫の子孫 (=人間) は桜花のように咲き栄えるが散る、すなわち有限の寿命を持つことになったと語られる。一夜の契りで懐妊したことを邇邇藝命に疑われた木花咲耶姫は、産屋に火を放ち燃え盛る炎のなかで火照命 (海幸彦)·火須勢理命·火遠理命 (山幸彦) の三柱を無事に出産し、身の潔白を証明した (火中出産)。この火難をくぐる出産神話から安産·火防 (ひぶせ)·五穀豊穣の女神として信仰され、富士山を神体とする全国約一三〇〇社の浅間神社の主祭神でもある。日向国の都萬神社 (現·宮崎県西都市妻) はその古社で、邇邇藝命と出会い結ばれた地として「妻 (つま)」の地名起源を伝える。

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その女狭穂塚の主とされる木花咲耶姫を祀るのが、西都市妻に鎮座する都萬神社(つまじんじゃ)である。社伝によれば、降臨した瓊瓊杵尊がこの地で木花咲耶姫に出会い「あなたを妻にしたい」と告げたことから、一帯が「妻(つま)」と呼ばれるようになったという ── 地名そのものが神話の婚姻に由来する。木花咲耶姫の名は「木の花(=桜)が咲くように美しい姫」の意で、桜花の盛りと儚さを体現する女神である。

この女神には、日本人の生死観の根に触れる二つの神話がある。一つは寿命の起源譚。瓊瓊杵尊が求婚したとき、父・大山津見神は姉の。岩のように永遠の命を象徴する姉を退けたために、天孫の子孫 ── つまり人間 ── は花のように咲いては散る有限の命を負うことになった、と語られる。もう一つは火中出産。一夜の契りで身ごもった木花咲耶姫が夫に貞節を疑われ、戸のない産屋に火を放ち、燃え盛る炎のなかで火照命(海幸彦)・火須勢理命・火遠理命(山幸彦)の三柱を無事に産み落として潔白を証した。この火難をくぐる出産から、安産と火防(ひぶせ)の女神となり、やがて噴火を鎮める力を見込まれて富士山の浅間信仰へと結びつき、全国約1300社の浅間神社の主祭神にまで信仰圏を広げた。日向の山と花の女神が日本一の霊峰の守り神になった ── そのはるかな出発点が、この西都の盆地である。

なお、都萬神社の境内には「日本酒発祥の地」の碑が立つ。木花咲耶姫が三皇子に乳の代わりとして甘酒を造って飲ませたという伝承にちなむもので、神話の母なる女神が酒の起源神でもあるという、土地ならではの語りがここに息づいている。

日向灘 ── 海幸と山幸が運命を分けた渚

西都から南へ、日向灘の海岸線を下る。宮崎の神話の第二幕は、木花咲耶姫が炎のなかで産んだ兄弟、海幸彦と山幸彦の物語である。海の幸を取る兄と山の幸を取る弟が、ある日たがいの道具を交換したことから、日本神話で最も有名な兄弟譚が動き出す。

弟・山幸彦は借りた釣り針を海で失い、兄・海幸彦は「」と頑として赦さなかった。山幸彦は千本の代わりの鉤を作っても拒まれ、途方に暮れて渚で泣く。そこへ塩椎神(しおつちのかみ)が現れ、隙間なく編んだ無目籠に乗せて海神・綿津見大神の宮へ送り届けた。海宮で山幸彦は海神の娘・豊玉姫と出会って結ばれ、三年を過ごす。やがて望郷の念にかられた山幸彦のために、海神は鯛の喉から失われた釣り針を見つけ出し、さらに。

地上へ帰った山幸彦は、呪いの言葉とともに釣り針を兄へ返す。以後、貧しくなって攻めかかる海幸彦を、山幸彦は潮盈珠で潮を満たして溺れさせ、潮乾珠で潮を引かせて救う ── これを繰り返して屈服させた。敗れた兄・海幸彦は弟に永代仕えることを誓い、その溺れもがく所作が、後の宮廷儀礼・隼人舞(はやとまい)の起源になったと伝わる。

この兄弟譚は、ただの神話ではない。。一方で。すなわち「勝った弟=皇統」「負けた兄=辺境の隼人」という非対称が、この物語の骨格になっている。7〜8世紀の律令国家が薩摩・大隅・日向南部の隼人を服属させていった歴史が、兄弟の勝敗という神話のかたちに翻訳された ── 学術的にはそう解釈される。神話を史実として鵜呑みにはできないが、神話が「誰が誰を治めるか」という政治の記憶を抱え込んでいることは確かである。

この海宮譚には、もう一つ忘れがたい場面が続く。地上で出産することになった豊玉姫は、夫・山幸彦に「産屋を覗かないでほしい」と願うが、山幸彦はその禁を破って覗き、八尋和邇(やひろわに ── 巨大な鰐、日本書紀では龍)の姿で身をくねらせる妻の本体を見てしまう。見られた豊玉姫は恥じて海へ帰り、二度と戻らなかった。残された御子・鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)は、豊玉姫の妹・玉依姫が育てる。「見るな」という禁忌を破ったために妻を失うこの神話は、鶴の恩返しなど後世の異類婚姻譚の祖型として、民俗学でも繰り返し論じられてきた。日南市の鵜戸神宮には、海へ帰る豊玉姫が御子の養育のため岩に貼りつけたと伝わる「お乳岩(おちちいわ)」があり、そこから滴る水で作る「おちちあめ」が今も授与品として知られる ── 神話の悲しい別れが、母乳と安産の祈りへと姿を変えて受け継がれている。

青島と「鬼の洗濯板」。山幸彦が海神の宮から帰り着いた地と伝わるこの小島の周囲には、波に削られた泥岩と砂岩の互層が幾何学的な模様を描いて広がる。神話の壮大な舞台が、そのまま数千万年の地質学が造り出した天然記念物に重なる宮崎ならではの海景である。
青島と「鬼の洗濯板」。山幸彦が海神の宮から帰り着いた地と伝わるこの小島の周囲には、波に削られた泥岩と砂岩の互層が幾何学的な模様を描いて広がる。神話の壮大な舞台が、そのまま数千万年の地質学が造り出した天然記念物に重なる宮崎ならではの海景である。

兄弟をめぐる非対称は、二人を祀る神社の規模にもそのまま現れている。皇統祖たる山幸彦(彦火火出見命)は、海岸絶壁の岩窟に本殿を構える鵜戸神宮や、宮崎市の青島神社など複数の大社に祀られる。とりわけ青島神社は山幸彦が海宮から上陸した地と伝わり、周囲1.5キロの島全体が境内をなす。島を取り巻く奇岩 ── 砂岩と泥岩の互層が波に削られて洗濯板状に並ぶ「鬼の洗濯板」(隆起海床と奇形波蝕痕)は、約2400万年前から200万年前の宮崎層群が隆起して露出したもので、昭和9年(1934)に国の天然記念物に指定された。山幸彦が海神の宮から戻り着いたという神話の渚が、そのまま地質学の天然記念物に重なる ── 神話と科学が同じ波打ち際で出会う、宮崎ならではの景観である。

対して敗者・海幸彦を主祭神とする神社は、全国でただ一社しかない。日南市北郷町の潮嶽神社(うしおだけじんじゃ)がそれで。勝者は三大社に、敗者は一社に ── 祭祀の規模そのものが神話の支配・被支配の構造を映す。海幸彦の名「ホデリ(火照命)」、山幸彦の名「ホオリ(火遠理命)」、そして中子の「ホスセリ(火須勢理命)」がいずれも「火」を冠するのは、母・木花咲耶姫が炎のなかで三柱を産んだ火中出産に由来し、ホデリ(燃え盛り)→ホスセリ(最高潮)→ホオリ(鎮まり)と、火勢の三段階を兄弟の名に刻んだものと読まれている。海と山、勝者と敗者、燃え立つ火と鎮まる火 ── 一組の兄弟に幾重もの対比が織り込まれているのが、この物語の奥行きである。だが近年は、この「敗者の物語」を中央=勝者の視点から読み解き直し、隼人=辺境の側から再評価しようという学術的な動きも進んでいる。征服された側の祖神が、ただ一社とはいえ千数百年にわたって祀られつづけてきたこと自体が、日向という土地の重層性を物語っていよう。

日向の水辺 ── 河童ひょうすんぼと水神の信仰

神々の系譜が宮崎の神話の表通りだとすれば、その裏路地の水辺には、もっと土くさい異類が棲んでいる。日向地方を中心に南九州に伝わる河童の一種、ひょうすんぼ(ひょうすぼ)である。

ひょうすんぼ

ひょうすんぼ

ひょうすんぼ (ひょうすぼ) は、宮崎県日向地方を中心に南九州に伝わる河童 (かっぱ) の一種である。名は「ひょい、ひょい」と鳴き声を立てて水中を泳ぐさまに由来するといい、九州一帯で河童を指す「ひょうすべ」系の方言名にあたる。水辺に棲んで川で泳ぐ子どもを水中へ引き込み命を奪う悪戯者として恐れられた。日向市東郷町の蕨 (わらび) 地区を流れる椎谷川 (しいやがわ) に棲んだと伝わり、村人と交わした「ある岩が朽ち果てるまでは川の子どもの命を取らない」という約束で名高い。ひょうすんぼはその岩を何度も触って朽ち具合を確かめたため、岩は撫でられて磨かれたようになり「ひょすぼ岩」と呼ばれた (河川改修で埋没)。春から秋は川に棲み冬は山へ移るという山·川を行き来する季節移動の信仰を伴い、坪谷川の水神淵では水神に奉じる相撲が毎年とられたと伝わる。南九州の河童をガラッパ·かわんたろうと呼ぶ系譜のなかでも、約束と岩の伝承を持つ日向固有の水の怪である。

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その名は、水中を泳ぎながら「ひょい、ひょい」と声を立てるさまに由来するという。九州では河童をひょうすべ・ガラッパ・かわんたろうなど多様に呼ぶが、ひょうすんぼはその日向方言形にあたる。水辺に潜んで泳ぐ子どもを引き込み命を奪う悪戯者として恐れられた点は、全国の河童と変わらない。だが日向のひょうすんぼには、この土地だけの細やかな伝承がある。

椎谷川の「ひょすぼ岩」。村人と「この岩が朽ち果てるまで人の命は取らない」と約束した河童(ひょうすんぼ)が、岩の無事を確かめるために幾度も撫でてなめらかになったと伝わる。天孫降臨という巨大な国家神話の影で、こうしたささやかな水神との交渉譚が村々の水辺に息づいている。
椎谷川の「ひょすぼ岩」。村人と「この岩が朽ち果てるまで人の命は取らない」と約束した河童(ひょうすんぼ)が、岩の無事を確かめるために幾度も撫でてなめらかになったと伝わる。天孫降臨という巨大な国家神話の影で、こうしたささやかな水神との交渉譚が村々の水辺に息づいている。

。困り果てた村人はこの河童と一つの約束を交わす ── 「川辺のある岩が朽ち果てるまでは、子どもの命を取らない」。ひょうすんぼは律儀にも、その岩がまだ朽ちていないかを幾度となく手で触れて確かめた。長い歳月のあいだ撫でられつづけた岩は、磨かれたようになめらかになり、村人はこれを「ひょすぼ岩」と呼んだ(惜しくも後年の河川改修で埋もれたと伝わる)。人と妖怪が交わす契約と、その証としての一つの岩 ── 神々の壮大な系譜とは対照的な、ささやかで在地的な水神交渉譚である。

ひょうすんぼはまた、春から秋は川に、冬は山へと、水路を伝って山と川を行き来すると信じられた。これは河童を、季節ごとに姿を変えて移動する水神・山神とみる南九州の信仰に連なる。近隣の坪谷川の「水神淵」では、水神に奉じる相撲が毎年とられたとも伝わる ── 河童が相撲を好むという全国的な観念と、水神を相撲で慰める在地の祭祀が一つに重なった事例である。ひょうすんぼは、鹿児島・川内川のガラッパや熊本・人吉の川ん太郎といった南九州河童系譜のなかにありながら、「ひょい」と鳴く名、ひょすぼ岩の約束、坪谷川の奉納相撲という日向固有の細部を備える。神話の国の片隅で、こうした水の怪がひっそりと「妖怪らしい妖怪」の役割を担ってきたのである。

神話の国の妖怪たち ── 結びにかえて

宮崎県の妖怪文化は、こうして二つの層に分かれて流れている。一つは記紀神話の神格群 ── 高千穂に降りた瓊瓊杵尊、西都に眠る木花咲耶姫、日向灘で運命を分けた海幸彦と山幸彦。彼らは『古事記』『日本書紀』に明記された神々であり(ここは FACT である)、その降臨地・婚姻地・墓と比定される高千穂峰や都萬神社、西都原古墳、青島・潮嶽は、いずれも後世の社伝と地名伝承が支える聖地である(ここは LEGEND として区別したい)。もう一つの層は、その神話の足元に生きる在地の異類 ── 退治されてなお祭りで鎮められる荒神・鬼八と、川の岩に約束を刻んだ河童・ひょうすんぼである。

国の始まりを語る神話の主役たちと、村の水辺で子どもを脅かす河童とが、同じ「日向の国」の記憶のなかに同居している ── これが宮崎の妖怪文化の核心である。隣の鹿児島県(薩摩・大隅)が天孫降臨のもう一方の伝承地でありながら、隼人=被征服民の側の記憶を強く残すのに対し、宮崎は皇統の出発点という「勝者の神話」を全面に掲げてきた土地である。それでもなお、退治される鬼八や、約束を律儀に守る河童ひょうすんぼが消えずに語り継がれてきたところに、神話に覆われきらなかった土着の声が聞こえる。

神々が降り立った地であればこそ、その神話の影として荒神や水の怪が語り継がれ、夜神楽の面のなかで、西都原古墳の沈黙のなかで、青島の波打ち際で、そして川辺の「ひょすぼ岩」の手触りのなかで、宮崎の妖怪たちは今も生き続けている。神話を史実と取り違えず、しかし神話が抱え込んだ土地の記憶を丁寧に読み解くとき、日向の国はそのもっとも豊かな貌を見せてくれるだろう。

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宮崎県の妖怪一覧7

宮崎県ゆかりの妖怪を網羅したリスト。記事内で取り上げきれなかった伝承も含む。

この県の伝承地

山・神社・淵など、宮崎県内で妖怪が語られる具体的な伝承地。各地点の物語へ。

  • 海幸彦

    海幸彦

    神格

    うみさちひこ

    海の幸を司る兄·隼人祖·海幸彦

    神霊・神格潮嶽神社 (現·宮崎県日南市北郷町) ── 全国唯一、海幸彦を主祭神とする社

    海幸彦の正体は『古事記』上巻末·『日本書紀』神代下 第十段の主役·火照命 (ホデリ、『日本書紀』別名·火闌降命=ホノスソリ)である。邇邇芸命 (天孫·ニニギ) と木花咲耶姫 (大山祇神の娘) の三柱の御子のうち長子で、中子·火須勢理命 (ホスセリ、古事記では事績記述なしの「隙間の神」)·末子·火遠理命 (ホオリ=山幸彦) と火中出産で生まれた。三柱すべて「火」を冠するのは木花咲耶姫が一夜孕みの清純を証するため燃え盛る産屋で出産した神話に由来する。神名「ホデリ」は「ホ (火·穂)」+「デリ (照り·燃え盛り)」で火勢の最強段階を、『日本書紀』別名「ホノスソリ」は「火の盛り (隆=スソリ)」で同様の意味を持つ。海幸彦の通名「ウミサチヒコ」は「海の幸 (=海産物·海の恵み) を司る彦 (男神)」という職能名で、漁を主な生業とする神格を示す。 物語の核心は海幸山幸譚の兄役としての位置である。兄·海幸彦は海の漁を司り、弟·山幸彦は山の猟を司って各々の道具 (兄の釣り針·弟の弓矢) で生計を立てていた。ある日、弟·山幸彦が幾度も乞うて道具を交換、海に出かけたが釣り針を失った。 兄は「元の釣り針を返せ、別の鉤では受け取らぬ」と厳しく拒絶し、山幸彦が代わりに作った千本の鉤も受け取らなかった。ここから山幸彦は海宮 (綿津見大神の宮) へ赴き、海神から潮盈珠·潮乾珠を授かって帰還、兄に呪言「この鉤は、淤煩鉤·須須鉤·貧鉤·宇流鉤」 (心塞ぐ·荒れ狂う·貧する·愚かなる釣り針) を唱えて後ろ手で釣り針を返した。 以後、海幸彦は次第に貧しくなり、山幸彦を恨んで攻めかかったが、山幸彦が潮盈珠で潮を満ちさせて溺れさせ、救いを求めた時に潮乾珠で潮を引かせて助けた、これを繰り返して屈服させた。海幸彦は遂に山幸彦に永代仕えること (「俳優 (わざおぎ) の民」として) を誓ったとある。古代の呪詛文化·神威示現·屈服儀礼の集約的物語で、古事記·日本書紀の中でも最も劇的な兄弟譚の一つ。 海幸彦は南九州·隼人 (はやと) 族の祖神として位置付けられる。隼人は古代日本の薩摩国 (現·鹿児島県西部)·大隅国 (現·鹿児島県東部)·日向国南部 (現·宮崎県南部) に居住した在地民で、律令制下では宮廷の隼人司に属して儀礼·守衛·歌舞を担った。海幸彦が山幸彦に屈服した神話は、 山幸彦が神武天皇祖父=皇統直系祖先である一方、海幸彦は被支配辺境民の祖となる、という決定的非対称構造を生んだ。 7-8 世紀律令国家による南九州辺境民 (薩摩·大隅) 服属の政治神話化と学術的に解釈される (古田史学·正木裕『隼人の古代史』·平凡社·明石書店等の研究)。隼人の朝廷服属は『日本書紀』天武 11 年 (682) 条·『続日本紀』養老 4 年 (720) 大隅隼人反乱条等に記録があり、神話と歴史の接続点をなす。 海幸彦が潮で溺れる際の「足占 (あしうら)」 ── 足擦り·胸擦り·頬擦りの所作は宮廷儀礼·隼人舞 (はやとまい) の起源とされる。隼人舞は古代日本の朝廷で隼人司が天皇に奉仕した歌舞で、大嘗祭·新嘗祭·朝賀儀礼で奉納された (記紀·『延喜式』神祇官式·『江家次第』等に所作詳細)。隼人司は宮内省に属し、京畿七郷 (山城·大和等) に居住する隼人が交替で奉仕した。現代の宮内庁式部職楽部にも一部所作が継承されていると伝わる。海幸彦の屈服譚は単なる神話を超えて、古代日本の宮廷儀礼の神話的根拠として機能した。 主祭神社の中軸は潮嶽神社 (うしおだけじんじゃ、宮崎県日南市北郷町大字北河内) で、全国で唯一海幸彦を主祭神とする神社である。社伝では海幸彦が弟との戦いに敗れて辿り着いたとされる地に鎮座、海幸彦伝承の在地化を象徴する稀有な祭祀。神社所在の北郷町は日南市の山間部に位置し、海から離れた場所で海幸彦を祀る独特な配置 ── これは海幸彦が「敗者として山に追われた」という民俗的解釈の現れとも、隼人系氏族の在地分布の反映とも解釈される。ほかに諸縣神社系 (鹿児島県·宮崎県南部の隼人系統神社群)·薩摩国諸縣郡の在地神社で配祀される事例があるが、海幸彦単独を主祭神とする神社は潮嶽神社が唯一。山幸彦が皇統祖として鵜戸神宮·青島神社·鹿児島神宮の三大社で祀られるのと、海幸彦の主祭神社が一社しかない非対称性は、神話の支配/被支配構造を神社祭祀の規模で如実に反映する。 民俗信仰では、海幸彦は漁業·海運·隼人系氏族の在地守護神として、とくに鹿児島県·宮崎県南部の漁村で深く信仰されている。阿多·肝属·薩摩·大隅の隼人系氏族 (阿多氏·薩摩氏·大隅氏·肝付氏·禰寝氏等) の祖先信仰の中軸でもあり、中世·近世に薩摩藩 (島津氏) が支配を確立した後も、在地民俗としての海幸彦信仰は脈々と継承された。現代では宮崎神話街道·南九州観光の文脈で「海幸彦譚」が紹介され、兄·海幸彦の「敗者の物語」を再評価する学術的議論 (中央=皇統=勝者 vs 辺境=隼人=敗者の二項対立を解体する解釈) が進行している。アニメ·ゲーム·小説では「兄弟譚」の悲劇的兄役として山幸彦と並んで頻繁に登場し、とくに現代日本人の判官贔屓 (敗者への同情) 感情と結びつく重要な神話キャラクターとして位置付けられる。

  • 山幸彦

    山幸彦

    神格

    やまさちひこ

    海宮の婿·神武祖父·山幸彦

    神霊・神格青島神社 (現·宮崎県宮崎市) ── 日向神話の海幸山幸、山幸彦を主祭神とする

    山幸彦の正体は『古事記』上巻·『日本書紀』神代下 第十段の主役·天津日高日子穂穂手見命 (アマツヒダカヒコホホデミノミコト、略称ホホデミ·別名火遠理命=ホオリ)である。邇邇芸命 (天孫·ニニギ) と木花咲耶姫 (大山祇神の娘) の三柱の御子のうち末弟で、兄·火照命 (ホデリ=海幸彦)·中子·火須勢理命 (ホスセリ、古事記では事績記述なしの「隙間の神」) と火中出産で生まれた。三柱すべて「火」を冠するのは木花咲耶姫が一夜孕みの清純を証するため燃え盛る産屋で出産した神話に由来する。神名「火遠理」は「ホ (火·穂)」 + 「オリ (火の鎮まり·居)」で、火勢の三段階 (ホデリ=燃え盛り → ホスセリ=最高潮 → ホオリ=鎮まり) を象徴する古代日本語の解釈が定説。別名「天津日高日子穂穂手見命」の「ホホデミ」は「火火出見」と書かれ、「火の中から現れた者」を意味する。 物語の核心は『古事記』上巻末·『日本書紀』神代下 第十段の海幸山幸譚である。兄·海幸彦は海の漁を司り、弟·山幸彦は山の猟を司って各々の道具で生計を立てていたが、ある日山幸彦が幾度も乞うて兄と道具を交換 (海幸彦の釣り針と山幸彦の弓矢) し、海に出かけたが釣り針を失った。兄が「元の釣り針を返せ、別の鉤では受け取らぬ」と厳しく求めたため、山幸彦は途方に暮れて海辺で泣いていたところ、 塩椎神 (シオツチ、別名·塩土老翁神、海の翁神) が現れて事情を聞き、無目籠 (まなしかたま=隙間なく目を細かく編んだ籠舟) を作って山幸彦を乗せ、海中の海宮 (綿津見大神の宮殿) へ送った。塩椎神は神武天皇東征譚でも神武に道を示す役を演じる、古代日本神話の「水先案内人」神格である。 海宮では海神·綿津見大神の娘·豊玉姫と出会って結婚し、三年間 (一説で十年) 海宮に滞在した。三年後、故郷を思い出した山幸彦は涙を流し、これを豊玉姫が父·綿津見大神に報告。海神は鯛 (一説で赤海鯽魚) の喉から失われた釣り針を見つけ出して山幸彦に返した。さらに海神は山幸彦に潮盈珠 (しおみつたま=潮を満ちさせる珠) と潮乾珠 (しおふるたま=潮を引かせる珠) の二つの霊珠を授け、兄に釣り針を返す時の呪言と、兄が攻めてきた時の潮の干満を操って屈服させる方法を授けた。古事記の呪言原文「この鉤は、淤煩鉤 (オボチ·心塞ぐ釣り針)·須須鉤 (ススチ·荒れ狂う釣り針)·貧鉤 (マヂチ·貧する釣り針)·宇流鉤 (ウルチ·愚かなる釣り針)」と唱えて後ろ手で渡したと記される ── これは古代日本の呪詛文化を示す貴重な史料。 兄·海幸彦は次第に貧しくなり、山幸彦を恨んで攻めかかったが、山幸彦が潮盈珠で潮を満ちさせて溺れさせ、救いを求めた時に潮乾珠で潮を引かせて助けた、これを繰り返して屈服させた。海幸彦は山幸彦に永代仕えること (「俳優 (わざおぎ) の民」として) を誓い、これが南九州·隼人 (はやと) 族服属の起源神話となった。海幸彦が潮で溺れる際の「足占 (あしうら)」 ── 足擦り·胸擦り·頬擦りの所作は宮廷儀礼·隼人舞の起源とされる。 7-8 世紀律令国家による南九州辺境民 (薩摩·大隅) 服属の政治神話化と学術的に解釈される (古田史学·正木裕論考、平凡社『隼人の古代史』等)。「山幸 (中央) が海幸 (辺境) を屈服させる」構造で大和朝廷の南九州統治を正統化する政治神話。 山幸彦の皇統系譜上の重要性は決定的である。豊玉姫が地上で出産する際、「我が本身を覗くな」のタブー破り (見るな禁忌) で本体 (古事記=八尋和邇=鮫·日本書紀=龍) を露わにし山幸彦に見られて海宮へ戻る悲劇譚の後、鵜葺草葺不合命 (ウガヤフキアエズ) を地上に遺した。妹·玉依姫が代わりに鵜葺草葺不合命を育てる経緯となり、成長後の鵜葺草葺不合命は叔母にして養母の玉依姫と結婚、神武天皇 (初代天皇) を生んだ。すなわち山幸彦は神武の祖父にあたる、皇統の直系祖先の中核神格である。鹿児島神宮由緒では「山幸彦が高千穂宮で 500 余年治めた」と記される地上統治神格でもあり、単なる神話の主役を超えた歴史的位置を持つ。 主祭神社の代表は鵜戸神宮 (宮崎県日南市大字宮浦 3232) である。海岸絶壁の岩窟内に本殿が鎮座する独特な構造で、主祭神は鵜葺草葺不合命 (山幸彦·豊玉姫の子) だが、山幸彦·豊玉姫·彦五瀬命·神日本磐余彦尊 (神武天皇) 等も配祀される。「お乳岩 (おちちいわ)」 = 豊玉姫が海宮へ戻る際、御子の養育のため左の乳房を岩に貼り付けたとされる岩 ── から滴り落ちる「お乳水」で作られる「おちちあめ」が現在も授与品として有名。「運玉投げ」 (亀石の窪みに素焼の玉を投げ入れる願掛け) も人気。創建は社伝では崇神天皇代に六所権現として創祀、推古天皇代に岩窟内社殿創建、延暦元年 (782) 天台僧·光喜坊快久が別当として再建 (異説並存)。本殿は八棟造権現造 (1711 年改築·宮崎県有形文化財)、鵜戸海岸は国指定名勝 (2017 年)、鬼の洗濯板 (千畳敷奇岩) は県天然記念物。 青島神社 (宮崎県宮崎市青島) は山幸彦海宮帰還の上陸地とされ、主祭神は彦火火出見命 (山幸彦)·豊玉姫命·塩筒大神の三柱。国天然記念物「鬼の洗濯板」 (隆起海床) が青島周辺の象徴的景観。鹿児島神宮 (霧島市国分) は主祭神·天津日高彦穂穂出見尊 (=山幸彦) の高千穂宮跡伝承を持ち、島津氏由緒の神社で、大隅国一宮·名神大社。 民俗信仰では、山幸彦は「山の幸·海の幸両方を司る神」として、漁業·農耕·狩猟·安産·縁結びの幅広い御利益を持つ。鵜戸神宮の「おちちあめ」は乳児の健康·母乳分泌祈願に効くと信じられ、全国から参詣者を集める。現代では宮崎神話街道·しまなみ海道·南九州観光資源として、神武天皇祖父神として観光·学術両面で注目される。兄·海幸彦と並べた「兄弟譚」は能·神楽·歌舞伎·絵巻物·現代アニメ·小説で何度も再解釈される。

  • 天宇受売命

    天宇受売命

    神格

    あめのうずめのみこと

    岩戸を開く笑いの舞姫

    神霊・神格高天原・天岩戸神話 / 猿田彦神社・佐瑠女神社 (現·三重県伊勢市)

    この版本の天宇受売命は、世界を救う力が「戦い」ではなく「場を変える芸」に宿ることを示す。天照大御神が岩戸に隠れた時、力ずくで扉を壊すだけでは太陽は戻らない。宇受売は、神々の注目を集め、笑いを起こし、天照自身に外を見たいと思わせる。相手を直接動かすのではなく、場の条件を変えるのである。 岩戸前の舞は、秩序だった宮廷舞踊というより、神懸かりの身体表現である。桶を踏み鳴らす音、衣の乱れ、神々の笑いが一体となり、暗闇の世界に過剰な生命感を流し込む。この過剰さこそが宇受売の武器である。危機に対して真面目さだけで向かうのではなく、笑いと逸脱で閉じた扉を揺さぶる。 『日本書紀』の天鈿女命像を重ねると、宇受売は神話の中で儀礼演出を担う専門神だと分かる。鏡や玉が祭具として準備される中、彼女は身体そのものを祭具にする。声、足、胸、笑い、視線。すべてが神を動かす道具になる。この点で、宇受売は芸能の祖神であるだけでなく、身体を通して世界を調律する神である。 猿田彦との対面では、宇受売の大胆さが別の形で現れる。天の八衢に立つ異様な神を前に、彼女は退かずに問いかける。道を開くには、未知の相手と向き合わなければならない。宇受売はその役目を果たし、猿田彦の導きを引き出す。岩戸の内と外をつなぐ力が、ここでは天と地をつなぐ力へ変わる。 佐瑠女神社などの信仰では、宇受売は芸能上達や縁の神として親しまれる。しかしその根には、ただ上手に踊る神ではなく、境界を越える神という性格がある。舞台に立つ、声を出す、相手に名を問う、閉じた空気を破る。どれも少し怖く、同時に世界を開く行為である。 現代的には、宇受売は創作・表現・コミュニケーションの守護神として非常に扱いやすい。内向きに閉じた状況、組織の沈黙、個人の迷いに対し、彼女は明るさだけでなく儀礼的なしたたかさを持ち込む。妖怪診断では、空気を読んで壊せる人、笑いで重さをほどける人、舞台に立つことで他者を動かす人の象徴になる。 宇受売の強さは、他者の視線を恐れないところにある。岩戸前の舞では、神々の前で身体を使い切り、笑いを引き出す。猿田彦の前では、異様な相手に向かって名を問う。どちらも、見られること、近づくこと、問いかけることへの勇気を必要とする。表現とは、ただ美しいものを見せるだけではない。 この版本を神楽の祖として読むなら、神楽は神を慰める芸であると同時に、神を動かす技術でもある。太鼓、鈴、足拍子、面、衣。後世の神楽に見られる要素は、岩戸前の場面を思わせる。宇受売は、舞台と神域の境を最初に踏み越えた存在として理解できる。 YOKAI.JP の中では、宇受売は重い怨霊や荒ぶる神の流れに対する明るい反転点になる。怖さを笑いでほどき、閉じた物語を開く。ユーザーが神話ネットワークを巡る時、彼女のページがあることで、天照・猿田彦・瓊瓊杵の関係がずっと立体的になる。

  • 木花咲耶姫

    木花咲耶姫

    神格

    このはなのさくやびめ

    桜花の国母神・木花咲耶姫

    神霊・神格都萬神社 (現·宮崎県西都市妻) / 日向国

    木花咲耶姫は、日本神話のなかで「美と生命の有限性」を一身に体現する女神である。永遠を象徴する姉·石長比売と対をなし、散るがゆえに美しい桜花として人間の寿命の起源を背負う。一夜の懐妊を疑われたとき、彼女は弁明ではなく行動を選んだ ── 戸のない産屋を土で塗り塞ぎ、自ら火を放ち、燃える炎のなかで三柱の御子を産み落とすことで潔白を証した。この火中出産の凄絶さこそが、安産·火防·五穀豊穣を司る女神としての信仰の核にある。日向国の都萬神社では邇邇藝命と結ばれた「妻」の地として、また三皇子に甘酒を授けた母として祀られ、のちに富士山の鎮護神·浅間大神として全国一三〇〇社に広がった。花の儚さと炎の烈しさ、そのどちらも併せ持つ点に、この女神の比類なき魅力がある。

  • 瓊瓊杵尊

    瓊瓊杵尊

    伝説

    ににぎのみこと

    天孫降臨の主神·古代日本建国の祖·瓊瓊杵尊

    神霊・神格霧島神宮 (現·鹿児島県霧島市) / 高千穂神社 (現·宮崎県高千穂町) ── 天孫降臨の二大伝承地

    「天孫降臨」という古代国家神話の構造。基本説明では天孫降臨の概要に触れたが、徹底解説では「天孫降臨」という古代日本国家神話の構造を掘り下げる。 天孫降臨は高天原 (天上世界·清浄·秩序) から葦原中国 (地上世界·混沌·征服対象) への神格降臨を、古代日本の建国·支配権確立·農耕文明の起源として描く中核神話である。三種の神器·五伴緒神·神勅·真床追衾という具体的器物·従者·命令·寝具を伴う精緻な構造は、古代天皇即位儀礼·新嘗祭·大嘗祭等の宗教儀礼の根本的根拠を成す。単なる神話譚を超え、古代から現代まで日本の国家·宗教·政治·文化を貫く根源的物語装置である。 世界神話学における降臨神話の比較。 天孫降臨神話は世界神話学では「天降り (テンコウ)·神格降臨」神話の代表例として位置づけられる。朝鮮半島の檀君神話 (天帝の子·桓雄が太白山に降臨)·モンゴルのチンギス·カン伝承·北方ツングース諸民族のシャマン降臨譚·インドのクリシュナ降臨·キリスト教の受肉等、古代世界各地に「天から地上への神格降臨」型神話が広く分布する。とりわけ朝鮮半島·モンゴル等の北東アジアの天降り神話との類似性は、古代日本神話が北東アジア広域文化圏の中で形成された可能性を示唆する重要な比較宗教学的問題である。天孫降臨を孤立した日本固有の現象ではなく、古代北東アジア共通の神話的想像力の日本的バリエーションとして読み解く視座は、戦後日本神話学の重要な達成である。 降臨地論争の歴史性。 邇邇藝命の降臨地「筑紫日向の高千穂峰」の比定地が宮崎県高千穂町と鹿児島県霧島山系の二大伝承地に分裂している事実は、古代国家神話が地域民俗·地理的具象化·政治的競合の中で多層的に展開した結果である。古代の中央政権 (大和朝廷) は具体的地理を確定せず「日向の高千穂」という抽象的呼称を採用したが、中世·近世·近代を通じて南九州各地で「我が地こそ降臨地」とする伝承が独自に発達した。現代の観光ブランド競争·郷土史研究·神社祭祀の継承体制の中で、二大伝承地は併存しつつ独自の文化資源として機能している。古代神話が地域文化に複層的に組み込まれる過程の典型事例である。 木花之佐久夜毘売と寿命の起源神話 ── 美と永遠の選択。 邇邇藝命が木花之佐久夜毘売 (桜花の女神) を選び石長比売 (岩のように永遠の女神) を拒絶したことで、子孫の天皇皇統·人類が永遠の命を持たない起源神話となった点は、古代日本における「美と永遠の根源的緊張」を表現する。桜花は美しいが散る·岩は醜いが永遠という対比は、古代日本人の生命観·美意識·無常感の根源的構造を示す。これは仏教伝来以前の古代日本固有の無常観として、後の浮世·桜文化·武士道·茶道等の日本文化全体を貫く根源的思想として継承されてきた。「散るからこそ美しい」という日本的美意識の神話的根拠を提供する重要素材である。 海幸彦·山幸彦から神武東征へ。邇邇藝命と木花之佐久夜毘売の三柱の子のうち、山幸彦 (火遠理命) が海神宮を訪ねて豊玉毘売と結婚し、鵜葺草葺不合命を儲け、鵜葺草葺不合命と玉依毘売の間に神武天皇が生まれた四代の系譜は、古代日本国家正統性の中核を成す。神武東征 (神武天皇が日向から大和へ東進して即位した神話) は天孫降臨の論理的帰結で、古代日本国家成立を「高天原 → 日向 → 大和」という三段階の地理的移動として描く。邇邇藝命は古代日本国家神話の出発点として、神武東征·歴代天皇即位·古代律令制·戦前国家神道·戦後皇室·現代天皇制までの二千年を超える政治史を貫く根源的神格である。 南九州の天孫降臨文化圏。 邇邇藝命の主要鎮座地である南九州 (宮崎県·鹿児島県·熊本県南部) は古代から「天孫降臨の地」として独自の宗教·文化·民俗を発展させてきた。高千穂町の夜神楽 (国指定重要無形民俗文化財·岩戸開きを再現する伝統芸能)、霧島神宮の御神楽·祭礼、新田神社の御陵参拝、宮崎神宮の神武即位祭等、古代神話を現代に継承する宗教·芸能·祭礼の重層的体系を保持する。現代の「神話のふるさと宮崎」「霧島観光」等の地域 brand 形成は、古代神話が現代地方創生·観光産業·教育素材に展開する流れの代表事例である。古代神話が二千年を超えて生きた文化資源として機能する稀有な事例である。 21 世紀の邇邇藝命 ── 古代神話と現代日本。 21 世紀現在、邇邇藝命と天孫降臨神話は古代史研究·南九州観光·神道祭祀·サブカルチャーの素材として継承されている。戦前·戦中の国家神道での政治的強調から、戦後の政教分離体制下での文化的素材化、 21 世紀の観光·サブカル·教育素材という多層的展開を経て、古代神話と現代日本の精神文化が連続性を保つ。ゲーム『大神』·『女神転生』·漫画『鬼滅の刃』等のサブカルチャー作品で繰り返し再造形され、古代の天孫降臨神話が二千年を超えて 21 世紀日本人の精神文化を駆動し続けている。古代から現代までの文化的継承の連続性を体現する、日本神話の象徴的神格である。

  • ひょうすんぼ

    ひょうすんぼ

    稀少

    ひょうすんぼ

    日向の川河童・ひょうすんぼ

    水の怪椎谷川·坪谷川 (現·宮崎県日向市東郷町) / 日向国

    ひょうすんぼは、全国の河童伝承のなかでも「約束を守る河童」として際立つ日向の水の怪である。川で遊ぶ子どもを引き込む危険な存在でありながら、村人と「ある岩が朽ち果てるまで命を取らない」という契約を結び、その岩を律儀に何度も触って確かめ続けたために岩が磨かれた ── この「ひょすぼ岩」の細部が、単なる恐怖譚を超えた人と水神の交渉の記憶を伝える。春秋は川に冬は山にと、水路を伝って山·川を行き来する季節移動の信仰は、河童を水神·山神の化身とみる南九州の民俗観を映す。坪谷川の水神淵で毎年とられた奉納相撲は、荒ぶる水神を相撲で慰める在地祭祀の名残である。ガラッパやかわんたろうと連なる南九州河童文化のなかで、ひょうすんぼは日向固有の名と伝承を持つ一柱として、水と人の境界を物語る。

  • 山童

    山童

    稀少

    やまわろ

    山と川を去来する九州の山の童・山童

    山野の怪九州山間部 (筑前・五島列島・肥後・日向) / 五島列島

    山童は、九州の山地に固有の山の怪でありながら、河童と一身二相をなす点に最大の独自性を持つ。寺島良安が『和漢三才図会』で筑前と五島に山童の生息を記したのは、近世の知識人が西国山間の異形伝承を博物学の枠に取り込んだ証であり、五島列島が早くから山童伝承の地として名指されたことを示す。 去来信仰では、春秋の彼岸を境に川の河童と山の山童が入れ替わるとされ、これは農耕暦・水神信仰と山の神信仰が一つの存在像に結晶したものと考えられる。樵への助力と駄賃の握り飯、相撲好き、塩や蟹を好む食性、犬耳・赤髪・一つ目という異形は、いずれも和漢三才図会や九州各地の口碑に裏づけられる。海と山に囲まれた五島の暮らしのなかで、山童は河童(ガータロー)と分かちがたく語られ、水辺と山地を貫く土地の霊性を体現する存在となった。

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