岐阜県ぎふ
中部・岐阜県に伝わる妖怪 12 体。その土地に根ざした物語と伝承地を辿ります。
この県の伝承地
山・神社・淵など、岐阜県内で妖怪が語られる具体的な伝承地。各地点の物語へ。

伝説 鎌鼬
かまいたち
辻風に裂く鎌鼬
動物変化北陸・信越 (辻風に裂く鎌鼬)鎌鼬は、江戸期の絵画や随筆、各地の口承に見える風の怪異名で、現象名と加害主体の双方を指す。北国や山間での旋風・寒風と結びつき、路上で転倒した際の鋭い裂創、痛みや出血の遅延、下肢の受傷が目立つと記される。正体は一定せず、見えぬ小妖、風に乗る獣、あるいは神の仕業とする型が併存する。信越では暦に関する禁忌を破ると遭うとされ、飛騨では三段の作用を語る説話が知られる。中部・近畿ではつむじ風そのものを鎌鼬と呼ぶ例があり、江戸の随筆には旋風後に獣の足跡が残った話が載る。土佐の野鎌のように、葬送に関わる道具が怪異化して同様の傷を与えるとする異名もある。句作では冬の季語として定着し、風災の象徴として用いられる。ここでは史料に見える範囲に留め、特定の土地や人物名を過剰に結びつけず、各地の型を併記して整理する。

伝説 口裂け女
くちさけおんな
赤マスクの女・1979 年の口裂け女
人妖・半人半妖岐阜県本巣郡真正町・加茂郡八百津町 (1978-1979 年発祥)1979 年現象の発生学的時系列を再構成する。本項の通論では 7 か月の推移の概観を示したが、ここではより細かい時系列に踏み込む。 1978 年 12 月初め岐阜県本巣郡真正町で農家の老婆の便所目撃譚 → 1979 年 1 月 26 日 岐阜日日新聞「編集余記」 (論説委員村瀬睦執筆) が「岐阜の子供たちの噂によると、ある女優似の美人」と記して全国紙以前の地方紙としての最古層をなす → 3 月 23 日号週刊朝日金内照男ほか「口裂け女伝説の東海道中膝栗毛」が全国誌初出 → 4-5 月に学校登下校でのパトロール強化が全国で実施 → 6 月 29 日号週刊朝日平泉悦郎大型特集 でピーク → 6 月 21 日兵庫県姫路市で 25 歳女性が口裂け女に扮し包丁を所持して徘徊し銃刀法違反で逮捕 (模倣犯第一号) → 7 月週刊女性・女性自身が後追い → 8 月夏休み入りで急速沈静化、という 7 か月の推移が新聞・週刊誌・警察記録で正確に追跡できる。並行して福島県郡山市・神奈川県平塚市でパトカー出動、北海道釧路市・埼玉県新座市で集団下校実施、銀座のホステスが客に「私、きれい?」と訊くサービスを始める等、大人世界への波及も観察された。これらの精密な時系列追跡は江戸期口承妖怪では原理的に不可能で、戦後マスメディア時代の妖怪が持つ「短期間で全国制覇し短期間で消える」起伏の構造を示す唯一無二の事例である。 学習塾と全国誌の二つの仕組み ── 飯倉義之の指摘。国学院大学の飯倉義之 (口承文芸学・現代民俗論) は、戦後の学習塾が口裂け女拡散の媒介役を果たしたと指摘する。戦前の子供の噂は基本的に学区内に閉じていたが、戦後の塾通いは学区を越えて子供が集まる場所を作り、マスメディア以前の段階で口コミを学区横断的に拡散する触媒となった。これに 1979 年 3 月以降の全国誌特集が乗ることで、口コミと活字が相互に増幅し合う拡散の仕組みが成立する。江戸期妖怪は基本的に口承メディア単独で広がり (浮世絵や絵本の介在はあるが、子供の日常的口コミと活字の相互増幅は起きていない)、近代民俗学採集は研究者の調査単独で記録されたのに対し、口裂け女は学習塾の口コミ + 全国誌の活字 + テレビワイドショーという三層構造で半年に全国を覆った。これは 1970 年代日本の都市空間が生んだ妖怪の発生形態として、戦後マスメディア時代に固有のものである。 「マスク + 整形 + 都市」という現代社会の記号の凝結。口裂け女の像が「マスクで口元を隠した美しい女」という外見で定型化したことは社会学的に解読価値が高い。 1970 年代日本の美容整形ブーム ── 当時東京・大阪で美容外科が急増し、二重まぶた手術や鼻の整形が一般化した社会的背景 ── が、「整形した綺麗な女」への複雑な恐怖を生み、マスクで隠された口元 = 整形痕という連想が成立した。起源説の一つ「整形手術失敗説」はこの連想を後づけで物語化したもので、 1990 年代の口裂け女再流行期に普及した。さらに戦後核家族化 + 共働き + 女性社会進出が、母親不在の家に独りで居る子供の不安、「母」「女性」表象の不安定化、「夜道で会う未知の女性」への警戒心を生み、これらが口裂け女像に投影された。つまり口裂け女は「1970 年代日本の都市・家族・身体の不安」が一体の妖怪像に凝結した記号で、江戸期妖怪が在地共同体の秩序維持 (子供への教訓、道徳的戒め) を担ったのとは別系統の、戦後個人化社会に固有の妖怪の働きを持つ。 江戸期口裂け女前史との距離 ── 連続体か独立発生か。本項の通論で触れた江戸期の「口が裂けた女」譚 ── 『怪談老の杖』 大窪百人町の傘男譚、『絵本小夜時雨』吉原太夫譚、『新著聞集』中橋高野庄左衛門の妻譚、滋賀県信楽のおつや明治実例 ── は確かに「口が耳まで裂けた女」という主題の祖型をなすが、 1979 年現象との直接の系譜は学術的に確証されていない。 常光徹『学校の怪談』 や飯倉義之は、 1979 年口裂け女を江戸期の連続体としてではなく独立に発生した戦後現象として読み、江戸期祖型は古層に控えるだけで直接の親縁関係ではない、という立場を採る。これは妖怪研究における重要な区別で、「連続性」を強調するのは在地観光資料 (岐阜・出雲などの郷土史) の傾向、「独立性」を強調するのは民俗学・現代社会学の傾向と整理できる。江戸期祖型を古層の主題として紹介しつつ、 1979 年は戦後固有の条件下で再発生した独立の現象として位置付けるのが学術的に誠実である。 現代受容 ── 妖怪辞典編入と東アジア横断的再造形。 水木しげる『図説日本妖怪大全』(1991) が口裂け女を妖怪辞典の一項として収録したことは、「現代の怪異が正式に妖怪の枠組みに編入された」象徴的な契機としてしばしば指摘される。これによって戦後マスメディア発の都市怪谈が、江戸期付喪神や近代民俗採集と並ぶ「妖怪」の枠組みに正式に組み込まれた。映画化は 白石晃士監督『口裂け女』(2007) が代表作で、 1979 年現象を真正面から扱う戦後ホラー映画として制作された。韓国版 『ゴーストマスク 〜傷〜』(2019、監督曽根剛) は日韓共同で韓国の整形文化と口裂け女を結合し、東アジア横断的な現代怪異の生命力を示した。漫画では真倉翔・岡野剛『地獄先生ぬ〜べ〜』第 31 話が代表的な同情的再造形で、「妖怪」と決めつけられた女性に憑依した動物霊をぬ〜べ〜が祓い元の美しい姿に戻すという、排除ではなく回復の物語として書き直した ── これは戦後妖怪文化が江戸期と異なる近代倫理 (個人の尊厳、少数派表象) を内蔵していることを示す。 1970 年代に発生した現代妖怪が、 50 年経った 2020 年代に至っても妖怪文化の中で生命力を保ち続けているという事実そのものが、戦後マスメディア発生型妖怪の持続力を証明している。

伝説 両面宿儺
りょうめんすくな
飛騨の前後二面・両面宿儺
鬼・巨怪飛騨国(現·岐阜県飛騨地方) ── 千光寺・位山を中心に、美濃国(現·岐阜県美濃地方)へも縁起が広がる『日本書紀』の原文は、宿儺の身体をきわめて具体的に刻む。「一體にして兩面あり、面おのおの相背けり。頂合ひて項なし。おのおの手足あり。其れ膝ありて膕踵なし」――胴はひとつ、顔は前後に背を向けて二つ、頭頂で合わさってうなじがなく、手足は各々の側に備わる。素直に読めば手も足も四本ずつ、計八肢の怪異である。ところが在地に残る像容の多くは、ふたつの顔に腕は四本、脚は二本の「二面四臂」で造られる。『新撰美濃志』が日龍峰寺の開基を「両面四臂の異人」と記すのもこの系統で、文献の記述(八肢)と図像の伝統(四臂二脚)が食い違う点は、宿儺像を読むうえで見落とせない。 その図像をひとつの芸術にまで高めたのが円空である。千光寺の両面宿儺坐像は、二面を前後ではなく左右に並べて彫り、一面に忿怒、一面に慈悲をたたえる。忿怒のなかに救いをにじませるこの造形は、宿儺が救世観音や千手観音の化身とされた信仰と響き合う。 実在性をめぐっては慎重な議論が要る。討伐者とされる難波根子武振熊は、本来は神功皇后の段に現れる人物で、仁徳朝の記事に置かれること自体が時代として整合しない。仏教渡来以前のはずの仁徳朝に観音化身譚が接ぐのも後世の構成で、記事全体を編纂段階の造形とみる説が有力である(永藤靖)。その永藤は、宿儺を位山の本来の祭神=中央史書に隠された英雄と読み、宝賀寿男は飛騨国造の祖に系譜づける。身体描写の異形も、八賀晋は飛騨山民の脛当てなどの装備が誤認・誇張されたものと解する。 名の由来にも諸説がある。「スクナ」の音から少彦名命との縁を説く所伝があり、大林太良はスクナビコナを大国主の「第二の自我」とみる比較神話の枠組みを示した。対で現れる神という主題は、ふたつの顔をもつ宿儺の造形とも通い合う。古代の飛騨が匠丁(飛騨工)を中央へ貢いだ特殊な「技の国」であったことと、異能の宿儺像を重ねる見方もあるが、これは史料に直接の連関があるわけではない。確かなのは、ひとつの名が中央と地方で正反対に語り継がれ、その分裂そのものが両面宿儺という存在を形づくっているということである。

名妖 猿神
さるがみ
山中の生贄要求・猿神
神霊・神格近畿・中国地方 (生贄要求の大猿)中世の猿神は、山の神格とサルの怪異が混交した存在として語られる。山域を支配し、生贄を所望する「年中行事」のような要求は、古層の神婚儀礼の反映と見なされる一方、物語化の過程で暴虐な妖怪像が強調された。退治譚では、通りすがりの猟師や法力ある僧が身代りとなり、訓練された犬が決定的な役割を果たす型が反復される。敗北した猿神が神職に憑いて赦しを請う転回は、神霊性の残滓を示す。地域によっては憑き物として伝わり、発作的な荒れや暴れを猿神の祟りとした。近世怪談では人肉を食らう兇性と、尻を撫でる滑稽さが併置され、サルへの軽侮と畏怖の両義性が描かれる。

名妖 覚
さとり
心を読む山中の獣・覚
山野の怪岐阜県飛騨・美濃 (心を読む山中の獣)石燕『今昔画図続百鬼』の記事と、和漢の博物誌的記述に見られる猿状の怪を参照した像。深山の獣道に現れ、杣人や旅人の心を即座に察して口に出し、相手の挙動を見極める。本質的に人害を好まず、危難を悟れば素早く退くという性格づけは石燕本文に合致する。民話においては、語り手の地域によって姿は猿・山男・天狗・狸などへと置換されるが、核は「心読み」と「不意の物音に退く」という二点に集約される。心読みは相手の思念を鏡のように映して反復するもので、挑発よりも警告に近い。山中の静寂で相手の気配を読み、焚火の爆ぜや木片の跳ね返りなど、人の予期しない偶発に脆い点が語られる。名称「覚」は「玃」との通仮の影響が指摘され、読みの転訛から独立の妖怪像が定着したと理解される。伝承は中部から関東・東北・中国・九州に及び、山の境界で人と異界の距離を量る存在として語り継がれた。

名妖 小豆洗い
あずきあらい
谷川夜更けの小豆洗い
霊・亡霊関東・中部・近畿の山間や谷筋谷川や樋の水音にまぎれ、夜半に小豆を洗い続ける在来像に基づく小豆洗い。音で人を誘い、覗く心を試す存在として語られる。数に強く、器量の加減や粒の多少を即断するという近世資料の特徴を踏まえ、過度な害はなすまいが、水際の禁忌を守らせる役どころを担うと理解されてきた。

名妖 狒々
ひひ
老猿化けの女攫い・狒々
動物変化各地山間 (中部山地を中心に老猿化け譚)江戸期の図像や民俗記録に基づく狒々像。山地に棲み、老猿が変じて巨体・怪力を得た存在と語られる。人前で高笑いし、反り返った長い唇が目を覆うため隙が生じるという特徴が各地の語りに共有される。女性攫いの逸話、樵との格闘譚、風雲を起こし人を投げる話が伝わる。『和漢三才図会』など博物書は黒い体毛・大柄・人語の伝聞を記すが、具体の出現地や実物性は定かでない。名称は笑い声に由来する説が流布し、山童・猿神と混称される場合があるが、狒々は猿形の山の怪として区別されることが多い。

稀少 隠里
かくれざと
山奥の福授集落・隠里
山野の怪中部山中 (福を授ける隠れ里譚)鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』の「隠れ里」を典拠とする解釈。画面右下の鼠と小判は、地下の鼠が福財を運ぶとする説話(いわゆる鼠浄土譚)を想起させ、里と冥・地下的世界の連関を示唆する。暖簾に「嘉暮里(かくれざと)」と掲げ、里が日常の延長に突然口を開く結界であることを表現している。隠里は特定の個体妖怪ではなく、境界そのものが意志をもつかのように働く存在で、道迷い・時のずれ・福授与・顕現と消失を反復する。入る者の言動や欲深さに応じて、手厚い饗応から財の変質(木葉化)まで結果が振れる点が特徴であり、山中異界譚や他界観と響き合う。

稀少 青坊主
あおぼうず
山野の一つ目法師・青坊主
総称・汎称各地 (西国・中部・東北を含む広域)江戸の絵巻や各地の採訪資料に見える像を基調とする青坊主像。外見は青味を帯びた僧形、または一つ目の法師として示されることがあり、実体は動物の変化、山の神の権現、あるいは素性不詳の怪異として語られる。子どもの外出を戒める民俗的機能や、山野・空家での怪異譚、禁忌提示の口承を担う。特定の固有名や起源は定まらず、地域により出現条件・言行が異なる。石燕図は説明を欠くため、諸本の「目一つ坊」や未熟の僧を寓意する説が併記されてきたが、いずれも確説ではない。現代以前の口承に即し、具体像は「青い法師」「大坊主」「小坊主」など複数の呼称で並存する。

稀少 八百比丘尼
やおびくに
椿と入定洞·永遠の少女·八百比丘尼
霊・亡霊空印寺 (現·福井県小浜市男山·曹洞宗·小浜藩酒井家菩提寺·寛文 8 年 (1668) 寺号·入定洞現存) / 諸国遊行 (全国 28 都県 89 区市町村 121 地点 166 伝承·石川·福井·埼玉·岐阜·愛知に集中)不老不死という「呪い」の神話。八百比丘尼の伝説は、人類が普遍的に抱く「老いへの恐怖」と「永遠の命への渇望」に対する、日本民俗学からの最も残酷で美しい回答です。不老不死は一見すると究極の恩恵のようですが、この説話では明確に「呪い」として描かれます。彼女の悲劇は、自分が死なないことではなく、「自分以外の全ての人間が必ず死ぬこと」にあります。愛する者が老衰していく傍らで、自分だけが10代の美しい娘の姿のまま取り残されるという圧倒的な時間的孤立は、死以上の苦痛を彼女に与えました。彼女が全国を巡って善行(インフラ整備や植樹)を行ったのは、単なる慈悲からではなく、終わりのない時間に何らかの意味を見出し、己の業(カルマ)を昇華するための痛切な贖罪の旅であったと解釈できます。 若狭・空印寺と「入定」の思想。八百比丘尼の旅の終着点とされる福井県小浜市の空印寺には、彼女が最期を迎えたとされる洞穴(八百姫宮)が現在も残されています。注目すべきは、彼女の最期が単なる「死(餓死)」ではなく、「入定(にゅうじょう)」として語られている点です。入定とは、高僧が衆生救済のために生きたまま深い瞑想状態に入り、永遠の存在(ミイラ=即身仏)となることを指します。人魚の肉によって物理的な死を奪われた彼女は、自らの意志で洞穴に籠もり、食事を絶つことでしか「存在を終わらせる(あるいは神聖なものへと次元を上昇させる)」ことができなかったのです。 現代における「八百比丘尼」のメタファー。現代の文学、漫画、アニメーションなどのサブカルチャーにおいて、八百比丘尼(またはそのモチーフ)は非常に人気のある題材です。「永遠の若さと美貌」「終わらない孤独」「死ねない苦悩」という要素は、現代人が抱えるアンチエイジングへの狂信や、長寿社会における「老いと孤立」というリアルな社会問題と深く共鳴します。彼女は単なる昔話の登場人物ではなく、人間が時間と死にどう向き合うべきかという究極の命題を突きつけ続ける、永遠のヒロインなのです。

珍しい 釣瓶落とし
つるべおとし
古木から落ちる生首·釣瓶落とし
山野の怪京都府南桑田郡曽我部村 (現·亀岡市曽我部町)·船井郡富本村 (現·南丹市八木町)·大井村字土田 (現·亀岡市大井町) / 岐阜県揖斐郡久瀬村 (現·揖斐川町) / 滋賀県彦根市 / 和歌山県海南市黒江 / 兵庫県丹波篠山市 / 愛知県三河山間部学術的訂正点 (本 species の最重要事項): 鳥山石燕『今昔画図続百鬼』 (安永 8 年/1779) の「明」 巻に収録された妖怪は鵺·以津真天·邪魅·魍魎·狢·野衾·野槌·土蜘蛛·狒々·百々目鬼·震々·骸骨·天井下り·お歯黒べったり·大首·百々爺·金霊·天逆毎 (計 18 体) で、 釣瓶落としは収録されていない。 石燕が描いたのは類縁妖怪の 釣瓶火 (つるべび) で、 これは『画図百鬼夜行』 (安永 5 年/1776) ── 続百鬼の前作 ── に収録される。 釣瓶火の原典は山岡元隣『古今百物語評判』 (天和 3 年/1686 刊。 京都西山岡「西の岡の釣瓶おろし」 譚) で、 大木の精霊が雨夜に火の玉となって木より降りる怪を、 元隣が五行説 (木生火) で理論化したものである。 つまり「妖怪·釣瓶落とし (生首·鬼面が木から落ちる)」 と「石燕の釣瓶火 (大木から下がる怪火)」 は昭和以降に分化した別系統であり、 石燕は前者を直接描いていない。 江戸期文献には「釣瓶落とし」 という名で図像化された一次史料は確認できず、 もっぱら明治~大正期の郷土誌·口承採集に登場する在地伝承である。 これは yokai.jp の学術品質維持上、 必ず明記すべき重要な訂正点で、 流布する「石燕 1779 年図像化説」 は明確に否定すべき。 釣瓶落としの主要記録は大正期の郷土資料·口承採集である。 京都府の郷土研究『口丹波口碑集』 (大正期·南桑田·船井郡の口碑集成) が中軸的史料で、 中部·近畿の山間街道·峠道·古木の在地伝承として記録された。 一次史料が江戸期の図像系統でなく、 在地民俗の口承採集である点は本妖怪の特色で、 「妖怪は江戸期図像化」 という一般化が当てはまらない例外的存在。 釣瓶落としの在地伝承の分布は中部·近畿に集中する: ① 京都府 ── 南桑田郡曽我部村字法貴 (現·亀岡市曽我部町、 カヤの木から落ちて「夜業すんだか、 釣瓶下ろそか、 ぎいぎい」 とゲラゲラ笑い再び上る)、 同曽我部村字寺 (古松から生首が降りて人を喰らい、 飽食して 2-3 日現れず)、 船井郡富本村 (現·南丹市八木町、 ツタの絡まる松)、 大井村字土田 (現·亀岡市大井町、 人を食う) ── 出典は大正期の郷土研究『口丹波口碑集』。 ② 岐阜県揖斐郡久瀬村 (現·揖斐川町) ── 昼でも薄暗い大木の上から釣瓶を落とす。 ③ 滋賀県彦根市 ── 木の枝から通行人目がけて釣瓶を落とす。 ④ 和歌山県海南市黒江 ── 同型伝承。 ⑤ 兵庫県丹波篠山市。 ⑥ 愛知県三河山間部 (豊根村等の口承)。 中部·近畿の山間街道·峠道·寺社境内の古木 (松·カヤ·杉·欅) に集中する地理的特徴を持つ。 行動は地域で二分される: 京都系は捕食型 (人を食い 2-3 日満腹) で殺害妖怪、 岐阜·滋賀系は脅嚇型 (釣瓶を落として驚かすのみ) で実害低い。 京都系では「飽食した日は 2-3 日現れない」 という具体的な捕食パターンが伝わり、 単なる脅嚇妖怪を超えた殺害妖怪として恐れられた。 一方、 岐阜·滋賀系は文字通り「釣瓶 (井戸の桶)」 を木の上から落として驚かす程度の害の少ない妖怪で、 「怪異の脅威」 と「物笑い」 の中間に位置する。 同じ「釣瓶落とし」 名でも実体は地域によって大きく異なるという、 在地伝承の地域多様性を示す好例。 現代の「赤ら顔·髭·乱れ髪の老人型」 ビジュアルは水木しげる作画系統依存で、 在地伝承本来の標準形ではない。 伝承本来の姿は地域差大で、 ① 生首単体 (京都曽我部村字寺)、 ② 釣瓶 (井戸用桶) そのものを落とす無形の怪 (岐阜·滋賀彦根)、 ③ 笑い声と発話を伴う精霊型 (京都曽我部村字法貴) の三系統に分かれる。 水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』 や『悪魔くん』 等の漫画·アニメで「赤い顔の生首」 として大衆化された image が現代の一般像として定着したが、 民俗学的には水木以前·以後で標準形が変わったと見るべき。 これは「水木妖怪文化」 が日本人の妖怪 image に与えた決定的影響を示す好例である。 「秋の日は釣瓶落とし」 慣用句 (秋の日没の急速な暗転を、 井戸の釣瓶が縄一気に落下する動きに喩えた表現) は妖怪の釣瓶落としとは直接の系統関係なし。 両者は「井戸の釣瓶 = 急速落下するもの」 という同一比喩源を共有するが、 慣用句は気象表現として独立成立。 ただし、 妖怪命名の発想 (落下速度·暗闇·驚愕の三要素) が慣用句と同じ比喩基盤に立つ点は文化史的に注目に値する ── 「井戸の釣瓶」 という日常的器具が、 気象表現·妖怪命名の両方に展開した日本語の比喩文化の豊かさを示す。 類似妖怪との区別: ① 釣瓶火 (石燕『画図百鬼夜行』 木から下がる怪火、 上述の通り江戸期の原典系統で釣瓶落としと近世以降分化)、 ② 木霊 (こだま、 樹木の精霊一般、 釣瓶落としは「特定の古木に宿る個別の怪」 で木霊系統の一変種)、 ③ 古杣 (こそま、 山中で斧音·倒木音を立てる音響系怪異、 視覚的な落下襲撃を主とする釣瓶落としとは異質)、 ④ 首落とし系統 (落とし首·首切れ馬等、 共通点は「首」 だが釣瓶落とし京都系の生首は独立した妖怪本体であり、 首切断行為の妖怪ではない)。 鳥山石燕の妖怪四部作シリーズは『画図百鬼夜行』 (1776) → 『今昔画図続百鬼』 (1779) → 『今昔百鬼拾遺』 (1781) → 『百器徒然袋』 (1784) で、 国立国会図書館 NDL イメージバンクで全画像公開済。 釣瓶火は『画図百鬼夜行』 「陰」 巻に収録。 yokai.jp で釣瓶落としを掲載する場合、 typeOfSource = 「在地口承 (中部·近畿)」、 firstAttestedSource = 大正期『口丹波口碑集』 と明記すべきで、 「江戸期石燕図像化説」 という流布する誤情報は明確に否定する必要がある。 現代妖怪文化では水木しげる『妖怪図鑑』『水木しげるロード』 (鳥取県境港市) ブロンズ像で大衆化、 『ゲゲゲの鬼太郎』 (3 期声優: 平野正人、 5 期: 江川央生)、 『ぬらりひょんの孫』 等で京都妖怪枠として登場。 在地口承を起点とする草の根妖怪が、 水木しげる作画によって大衆化した好例として、 釣瓶落としは日本妖怪文化の近代化のメカニズムを示す重要事例である ── 江戸期図像化なしの在地伝承が、 大正期口承採集 → 水木しげる大衆化 → 現代アニメ·ゲーム という近現代的な妖怪流通経路を示す例として、 民俗学·美術史·メディア論の交差点に位置する興味深い妖怪である。

珍しい 頽馬
たいば
馬を急死させる風・頽馬
天候・災異本州各地 (美濃・遠州等・馬を急死させる風)頽馬は風と砂煙を伴い突発的に現れる怪異として記録される。発生期は四月から七月、特に五月から六月に多いとされ、晴曇が交錯する日に注意が促された。地域により被害馬の毛色や性別の違いが語られ、美濃では白馬、遠州では栗毛・鹿毛が狙われ、老婆や牝馬は免れるとの伝承もある。実見談では、馬のたてがみが一本ずつ逆立ち、赤光が差し、倒れると風が鎮むという。尾張・美濃の「ギバ」は頽馬の擬人化ともされ、小女の姿で空から馬を絡め取り微笑とともに姿を消し、標的の馬は右回りに数度回って絶命すると語られる。民間の対処は、馬の首を布で覆う、虻よけ腹当てや鈴を付すほか、急変時には耳に少量の血を出す、尾骨中央へ針を打つ、刀で前方を斬り払い光明真言を唱える等が伝わる。寺社では馬病鎮護を祈る信仰が生まれ、馬神への護符や腹掛けが頽馬除けとして用いられた。