守鶴狸の尽きぬ釜・茂林寺の釜についてさらに詳しい情報や診断結果については、こちらをご覧ください。
茂林寺の釜
もりんじのかま
茂林寺の釜
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茂林寺の釜
もりんじのかま
基本説明
群馬県館林市の曹洞宗寺院茂林寺[1]に伝わる、湯の尽きぬ不思議な茶釜。寺伝では、開山大林正通に従って館林へ来た老僧守鶴[1]が、その正体を古狸(縁起では狢)とされ、茶釜の奇瑞も守鶴の法力によるものと語られる。松浦静山の随筆『甲子夜話』[2]など近世の文献にも守鶴の話が見え、俗に言う日本三大狸の一つに数えられる。茶釜から手足や顔を出して綱渡りや軽業を演じる現行の昔話像は、明治・大正期の巖谷小波[3]がお伽噺に翻案して以降に広まったもので、寺伝の守鶴譚とは筋立てを異にする。
民話・伝承
茂林寺の縁起によれば、元亀元年(1570)、七世月舟正初の代に千人法会が営まれた折、来客を賄う湯が必要となると、守鶴は一夜のうちにどこからか茶釜を持参して茶堂に据えた[1]。この釜はいくら湯を汲んでも尽きることがなく、福を分かつ「分福茶釜」と称されたと伝わる[1]。やがて十世天南正青の代、天正十五年(1587)二月、守鶴は昼寝の折に狢の姿を覗かれて正体が露見し、別れに屋島の合戦と釈迦説法の幻を現して見せ、寺を去ったという[1]。守鶴は遠く印度・唐土を経て幾百年を生きた古狸と語られる[2]。一方、茶釜から手足を出した狸が綱渡りや曲芸で恩を返すという親しみやすい筋は巖谷小波[3]の童話によるもので、原伝承の守鶴=狢の老僧像とは区別される。なお茂林寺には分福茶釜と称する寺宝が伝わり、地域の名所伝承として今に語られている。
コレクション収録
この妖怪は以下のコレクションに収録されています:
徹底解説
出典・参考文献
3- 文福茶釜と茂林寺(寺伝・縁起) [temple_tradition]群馬県館林市の茂林寺公式縁起。守鶴が元亀元年(1570)の千人法会に出した尽きぬ茶釜、天正十五年(1587)に狢の正体を現して去ったとする寺伝、巖谷小波の童話化を記す。
- 甲子夜話 [古典文献]
- 文福茶釜(お伽噺) [literary]巖谷小波が寺伝を翻案したお伽噺。茶釜から手足や顔を出し綱渡りや軽業を演じる狸という現行の昔話像を定着させた。原伝承(守鶴=狢)とは筋立てが異なる。
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