筑後川に伝わる妖怪 1 体。その土地に根ざした物語と伝承地を辿ります。
かっぱ
川辺の皿頭・河童
河童とは、実は一匹の決まった妖怪の名ではない。川や池に棲む水の霊を、日本じゅうがそれぞれの言葉で呼んできた、その総称にほかならない。南九州ではガラッパ、東北ではメドチ、四国ではエンコウ、中部ではカワランベ、近畿ではガタロ、九州ではヒョウスベ――土地ごとに名も姿も少しずつ違い、その数は八十をこえるとも言われる。猿に近いもの、毛深いもの、群れをなすもの。だが、どれも「水辺にいて、頭の皿に水をたたえ、人や馬を引く」という芯を分かちもつ。河童とは、いわば全国の水の霊が寄り集まった大きな一族の、共通の呼び名なのである。 これほど多彩な変種を一本に束ねているのが、民俗学の見立てである。柳田國男や折口信夫は、河童をもともと水をつかさどる神(水神)だったものが、信仰の衰えとともに妖怪へ零落した姿だと考えた。駒引きの伝説で河童がきまって馬や牛を水へ引こうとするのも、もとは水神に馬牛を捧げて豊作を祈った祭りの記憶ではないか――石田英一郎は『河童駒引考』(1948)で、この馬と水神の結びつきをユーラシア各地の神話と比べてみせた。水をつかさどる神だからこそ、河童は田に水を引き、魚を恵み、接骨の妙薬まで伝える一方で、人を溺れさせ、尻子玉を抜く。恵みと祟りの両面は、零落した水神の表と裏なのである。 水神の名残は、季節のめぐりにも見える。西日本では、河童が秋の彼岸に山へ入って山童(やまわろ)となり、春の彼岸にまた川へ下りて河童に戻る、と広く語られる。春に山から里へ下りる田の神、秋に山へ帰る山の神――その去来の観念と、河童と山童の交替はぴたりと重なる。一族の変種どうしも、こうして互いに地続きにつながっている。 一族には、頭領の伝説まである。九州の球磨川には、九千匹もの眷属を率いて大陸から渡ってきた河童の大将「九千坊(くせんぼう)」の話が伝わる。加藤清正の怒りを買って一帯を追われ、筑後川へ移って久留米の水天宮の眷属になったという。河童がただ一匹の化け物ではなく、川から川へと連なる一族として想像されていたことが、この親分伝説によく表れている。 河童ゆかりの土地は全国にある。岩手の遠野には河童が出るという「カッパ淵」があり、火事を頭の皿の水で消した功により、頭が皿の形をした「かっぱ狛犬」が常堅寺に据えられている。茨城の牛久沼では、生涯河童を描いた画家・小川芋銭が「河童の芋銭」と呼ばれ、福岡の田主丸は「河童族発祥の地」を名のる。東京の合羽橋には、治水を進める商人を隅田川の河童が夜ごと助けたという伝説が残る。今も各地で河童祭が開かれ、酒の銘柄や町のマスコットにもなって、河童は日本でもっとも愛される水の妖怪でありつづけている。