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早良親王

さわらしんのう

早良親王

早良親王

この子の魂が、あなたの言葉に応える

基本説明

奈良末から平安初の皇族。光仁天皇の皇子で、桓武天皇の同母弟にあたる。幼くして東大寺で出家し親王禅師と称されたが、天応元年(781)に還俗して立太子した。延暦4年(785)の藤原種継暗殺事件に連坐して廃され、乙訓寺に幽閉ののち淡路へ配流される途上、飲食を絶って薨じたと伝わる。死後、宮廷を襲った疫病や近親の相次ぐ死がその祟りとみなされ、崇道天皇の尊号を追贈された。御霊信仰の起点に位置づけられる存在である。

民話・伝承

『日本紀略』によれば、延暦4年(785)に長岡京造営の中心人物藤原種継が暗殺されると、桓武天皇は大伴・佐伯氏らとともに皇太子早良親王の関与を疑い、同年廃太子して乙訓寺に幽閉した。親王は淡路配流の途上、絶食のすえ高瀬橋頭(現在の大阪府守口市付近)で薨じ、遺骸は淡路に葬られたとされる。

のち延暦7年(788)以降、皇太子安殿親王の発病、皇后藤原乙牟漏や母高野新笠の死、疫病の流行が相次ぐと、神祇官の卜占はこれを早良親王の怨霊によるものと示したという。朝廷は守冢を充て、淡路の霊前に僧を遣わして謝し(延暦16年=797)、延暦19年(800)には崇道天皇の尊号を追贈して墓を山陵に改めた。

さらに貞観5年(863)、都に疫病が広がると神泉苑で御霊会が修され、崇道天皇をはじめ非業に倒れた六所の御霊が鎮められた。早良親王は御霊信仰の代表的存在として、京都の上御霊神社・下御霊神社、奈良の崇道天皇社などに祀られ、畏れ敬われてきた。

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徹底解説

早良親王の怨恨が御霊として顕れたと受けとめられた在地・宮廷の記憶を基礎にする像。罪科をめぐる疑惑の中で絶食により世を去り、その後の疫や飢饉、皇統の病難が祟りと解された。朝廷は守戸の寄進、読経・修法、改葬と尊号追贈を重ね、御霊として丁重に祀ることで和解を図った。御霊は理非を糾す霊威として畏敬され、社寺への奉祭、季節ごとの法会、山陵での陳謝が続いた。後年、崇道天皇社に代表される祭祀が整えられ、都と大和の間で鎮護の信仰が広がる。怨みは私怨にとどまらず、政治の乱れや讒言を戒める徴と受け止められ、為政者は潔白と公正を誓うしるしとして供犠・誓紙・経供養を行った。御霊は荒ぶる一面と、祟りを鎮めれば守護へ転ずる一面を併せ持つ。

妖怪設定

この区画は物語を楽しむための当サイト独自の設定です。史実・考証ではありません。

妖怪タイプ
伝統妖怪
カテゴリ
霊・亡霊
レアリティ
名妖
性格
寡黙・峻烈・理非を糾す
相性
誠実と鎮魂を尽くす者に和し、慢心と讒言に厳しい
能力・特技
災異の兆を示す病難・飢饉を招くと畏れられる霊威鎮魂供養に応じ守護神へ転ずる
弱点
読経・修法・改葬などの鎮魂儀礼, 誠実な謝罪と恒常的な奉祭
生息地
大和国八嶋周辺, 淡路国の旧跡, 京畿の社寺

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出典・参考文献

4
  1. 続日本紀菅野真道ほか((勅撰の正史), 延暦16年 (797)) [古典文献]
  2. 日本紀略(編者未詳)((平安期の編年体史書), 11〜12世紀成立) [古典文献]
  3. 日本三代実録 (神泉苑御霊会条)藤原時平ほか((六国史の一), 延喜元年 (901)) [古典文献]
  4. 怨霊とは何か(日本三大怨霊の研究)山田雄司(中公新書ほか, 2014) [研究書] 参考資料道真・将門・崇徳を三大怨霊とする枠組が江戸期の通俗成立であることを整理。

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