早良親王
一般
伝統妖怪

早良親王

さわらしんのう

又称・別名

崇道天皇(すどうてんのう)

性格

寡黙・峻烈・理非を糾す

カテゴリ

御霊・怨霊

起源

大和国

基本説明

奈良末から平安初にかけての皇族。光仁天皇の皇子、桓武天皇の同母弟。皇太子となるも、藤原種継暗殺事件への連坐で廃され、淡路へ流される途中に絶食の末に薨ず。のち疫病や飢饉、宮廷内の病死が続くと、その祟りとみなされ、崇道天皇の尊号を追贈されて鎮魂が進められた。御霊信仰の代表的存在として畏れ敬われる。

民話・伝承

延暦年間、宮中や都に凶事が相次ぐと、卜占は親王の怨霊を示したという。朝廷は守戸の付与、法会・読経、官社での奉祭を重ね、淡路の霊前に僧を遣わして謝罪した。のち山陵に改めて祀り、諸国にも小社を建て供物を納めた。興福寺僧が修法して病の平癒を得た話や、八嶋の寺に手厚く祀られた伝えが知られる。

徹底解説

早良親王 崇道天皇・御霊譚伝統版

早良親王の怨恨が御霊として顕れたと受けとめられた在地・宮廷の記憶を基礎にする像。罪科をめぐる疑惑の中で絶食により世を去り、その後の疫や飢饉、皇統の病難が祟りと解された。朝廷は守戸の寄進、読経・修法、改葬と尊号追贈を重ね、御霊として丁重に祀ることで和解を図った。御霊は理非を糾す霊威として畏敬され、社寺への奉祭、季節ごとの法会、山陵での陳謝が続いた。後年、崇道天皇社に代表される祭祀が整えられ、都と大和の間で鎮護の信仰が広がる。怨みは私怨にとどまらず、政治の乱れや讒言を戒める徴と受け止められ、為政者は潔白と公正を誓うしるしとして供犠・誓紙・経供養を行った。御霊は荒ぶる一面と、祟りを鎮めれば守護へ転ずる一面を併せ持つ。

性格特徴については、寡黙・峻烈・理非を糾すまた、相性の良い人については、誠実と鎮魂を尽くす者に和し、慢心と讒言に厳しい

主な能力・特技としては、災異の兆を示す、病難・飢饉を招くと畏れられる霊威、鎮魂供養に応じ守護神へ転ずるなどが挙げられます。

一方で弱点もあり、読経・修法・改葬などの鎮魂儀礼, 誠実な謝罪と恒常的な奉祭とされています。

主な生息地は大和国八嶋周辺, 淡路国の旧跡, 京畿の社寺とされています。

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