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月の兎(つきのうさぎ)

基本説明

月の兎は、満月の明暗を兎の姿に見立てる想像から生まれた、アジア各地で知られる月の象徴である。月面の暗い部分は玄武岩に覆われた「海」と呼ばれる地形で、その輪郭は文化によって兎、蟹、人の顔など、さまざまな姿に見立てられてきた。日本で親しまれる、杵を手に餅を搗く兎も、この月面の見立てに長い説話と図像の歴史が重なって生まれた姿である。

月と兎の結びつきは、仏教説話だけに始まるものではない。古代インドの『シャタパタ・ブラーフマナ』には、月の斑点を兎に結びつける記述がある。一方、仏教の本生譚では、食物を持たない兎が客人をもてなすため、自らの身を差し出そうとする。パーリ語の『チャリヤーピタカ』では猿、ジャッカル、カワウソ、兎の四獣が登場し、兎が飛び込んだ火は冷たい水のようになったと語られる。別の註釈やサンスクリット、漢訳の伝承では、兎の姿を月に描く、またはその跡を月輪へ移すという結末が加わる。月の兎の由来譚には、一つだけの定まった筋があるわけではない。

中国では、月中の白兎・玉兎は蟾蜍や嫦娥、桂樹などとともに月宮を形づくる存在となった。古い詩文や唐代の鏡に表された兎が杵と臼で搗くものは、餅ではなく、長寿や不死に関わる薬である。玉兎は、月の神秘だけでなく、人が願い続けた不老長寿を担う霊獣として、詩歌、工芸、絵画へ広がっていった。

日本では、弘仁9年(818)の漢詩集『文華秀麗集』に「月兎」の語が見えるが、ここでは物語上の一匹というより月の雅称として用いられている。平安時代末頃の『今昔物語集』巻5第13は、兎、狐、猿が老人を助けようとする三獣の物語を伝え、兎の捨身と月に残る印を結びつけた。大治2年(1127)の国宝「十二天像 月天」では、脇侍が掲げる半月の中に小さな兎が描かれている。この兎は単独で地上に現れる怪物ではなく、仏教的な月天の図像に組み込まれた月のしるしであった。

今日の日本で最も馴染み深い餅搗きの姿は、中国の搗薬像と同じ意味のまま伝わったものではない。近世の版本を比較すると、兎の前に置かれた臼が中国風の筒形から日本の餅搗きに使うくびれた形へ近づき、18世紀前半頃から餅を搗く姿として理解されやすくなった可能性が指摘されている。ただし、薬の解釈が消えて餅へ一度に置き換わったわけではない。「望月」と「餅」の音が似ているから生まれたという説にも、確認できる文献的根拠はない。

月の兎は、月面に見いだされた一匹の影に、自己を差し出す兎の物語、不死の薬を搗く玉兎、日本の餅搗きと秋の親しみが幾重にも重なった存在である。固定した攻撃能力や弱点を持つ妖怪ではなく、同じ月を眺めた人々が、慈悲、長寿、季節、食、そして遠い天体への想像を託してきた文化の像なのである。

民話・伝承

月の斑点に生き物を見る。 月の兎の歴史は、夜空の月に実際の兎が住むという一つの物語から始まるのではない。満月には明るい高地と暗い「海」があり、その境界は肉眼でも大きな模様として見える。月面の暗部は玄武岩質の溶岩に覆われた地形であり、人々はその輪郭を兎、蟹、人の顔、薪を担ぐ人など、文化ごとに異なる姿へ見立ててきた。同じ天体を見ながら別の像を読み取るという人間の知覚が、月兎を支える最も広い土台である。

この見立ては、月面の模様を説明する物語、月を象徴する動物、宗教的な徳を示す兎、長寿をもたらす薬を搗く玉兎へと枝分かれした。時代が下ると、それらは絵画、鏡、詩歌、説話、工芸、季節行事の意匠のなかで再び重なった。そのため、月の兎には一冊の原典や一か所の発祥地を定めることができない。

仏教以前の月と兎。 南アジアには、仏教の兎捨身譚より前から月と兎を結ぶ記述がある。白ヤジュル・ヴェーダ系の祭式文献『シャタパタ・ブラーフマナ』第11巻第1章第5節3には、月に兎があるとする語が記されている。ただし、ここには客人のため火へ身を投じる兎も、杵と臼も、不死の薬も餅も登場しない。この古い結びつきは月と兎を結ぶ観念の古さを示す一方、後世の捨身説話がその一節から直接発展したことまで証明するものではない。

四獣のなかの賢い兎。 仏教の本生譚では、兎は布施の徳を究極まで実践する存在となる。パーリ語聖典『チャリヤーピタカ』第10話「賢い兎の行」には、猿、ジャッカル、カワウソ、兎の四獣が登場する。満月の布薩の日、兎は仲間に善行と布施を勧めるが、自分には草しかなく、人へ差し出せる食物を持っていない。そこで客人が来れば自分の身体を施そうと決める。

客人に姿を変えた帝釈が食物を求めると、兎は火を用意させ、身についた小さな生き物を害さないよう毛を振ってから炎へ飛び込む。ところが火は冷たい水のようになり、兎を焼かない。ここで中心となるのは、炎に耐える力ではなく、何も持たない者が自分に可能な布施を尽くそうとする誓願である。また、この正典詩そのものには、帝釈が兎の姿を月面へ描く結末はない。

月に残る兎の印。 兎の行為と月面の模様を結びつける結末は、別の文献層に現れる。パーリ『ジャータカ註』第316話では、兎の徳を後世へ伝えるため、帝釈が山から色材を取り、月輪に兎の姿を描く。アーリヤシューラのサンスクリット『ジャータカ・マーラー』第6話も、兎の印を帯びた月が今なお空に見えるという結末を持つ。

一方、玄奘訳・辯機撰『大唐西域記』巻7では、狐、兎、猨の三獣が老人に姿を変えた帝釈を助けようとする。食物を得られなかった兎は火へ入り、この型では命を落とす。帝釈は兎の跡が失われないよう月輪へ移し、土地の人々は月中の兎がこの出来事から生じたと語ったという。

さらに、漢訳仏典『撰集百縁経』の「兔燒身供養仙人緣」では、飢えた仙人を救うため兎王が焼身し、その骨が塔に祀られるが、月面の兎を説明する結末はない。四獣か三獣か、兎が死ぬか生きるか、月に像を描くか跡を移すか、そもそも月へ結びつけないかは、伝本ごとに異なる。これらを一つの標準物語へ整えてしまうと、月兎説話が広がる過程で生まれた重要な違いが見えなくなる。

中国で薬を搗く白兎・玉兎。 中国では、捨身する兎とは別に、月宮で薬を搗く白兎・玉兎の像が発達した。後漢の王充は『論衡』説日篇で「月中に兎と蟾蜍がいる」という当時の説に触れ、これを批判的に論じている。王充自身がその説を信奉したのではないが、1世紀後半には月中の兎と蟾蜍が論じられていたことがわかる。

唐初の類書『藝文類聚』が伝える傅咸「擬天問」には、「月の中に何があるのか。白い兎が薬を搗き、福を興して喜びをもたらす」という趣旨の句が残る。ここで杵と臼が担うのは、不老長寿や仙界への願いである。月の兎が何かを「搗く」という動作は早くから確認できるが、その中身が日本の餅だったことにはならない。

文献だけでなく、金属工芸にもこの月宮世界は表された。メトロポリタン美術館所蔵の8~9世紀中国鏡では、樹を挟んで月神と兎が表されている。蟾蜍、嫦娥、桂樹、玉兎は同じ月宮の画面に組み合わされることがあるが、互いに同一の存在ではない。

日本語の三獣説話と月天の兎。 日本では、まず「月兎」という語が月そのものを指す雅称として確認できる。『日本国語大辞典』が掲げる早い用例は、弘仁9年(818)成立の漢詩集『文華秀麗集』にある。ただし、この語があることだけで、その時点に三獣の物語や餅搗きの姿まで広まっていたとはいえない。名前の用例、説話の受容、図像の出現は、それぞれ別に年代を確かめる必要がある。

平安時代末から鎌倉時代初め頃に成立したとされる『今昔物語集』巻5第13「三獣行菩薩道兎焼身語」は、兎、狐、猿の三獣型を日本語で伝える。兎の姿は帝釈によって月へ移され、月に見える曇りは焼身の煙の跡だと説明される。この物語は日本の月兎を考える重要な資料だが、猿、ジャッカル、カワウソ、兎が登場するパーリ正典の四獣型と同じ本文ではない。

図像では、大治2年(1127)の国宝「十二天像 月天」に、兎を含む半月が描かれている。画面中央の月天ではなく、向かって右の脇侍が掲げる半月の内部に小さな兎が見える。ここで兎は地上を徘徊する怪物ではなく、月天と天体を示す宗教画上のしるしである。

搗薬の図が餅搗きにも見えるまで。 近世の日本では、中国の月兎知識が図入り百科や版本を通して読み継がれた。寺島良安『和漢三才図会』の月兎は、月輪の中で長い杵を持ち、小さな臼へ向かう姿で描かれる。同書の説明は中国の搗薬伝承を受け継いでいるため、図だけを見て最初から餅を搗いているとは断定できない。

しかし、日本の読者にとって杵と臼は餅搗きにも直結する身近な道具だった。17世紀から18世紀の版本図像を比較した研究では、兎の前の臼が中国風の筒形から、日本の餅搗きに用いるくびれた臼へ近づく変化が重視され、18世紀前半頃から餅搗きとして理解されやすくなった可能性が示されている。これは複数の図像から導かれた推論であり、一冊の本や一年を「餅搗き兎の発明」とするものではない。

また、「満月」を意味する望月と「餅」の音が似ているため餅搗きになった、という説明は広く知られるが、同じ研究では、その起源を裏づける文献は確認されていない。語呂が後世の覚え方として親しまれた可能性と、その語呂が古い図像を生んだという因果は分けて考える必要がある。近世以後も薬を搗く玉兎の説明は残り、搗薬と餅搗きは単純に交代したのではなく、同じ杵と臼を異なる意味で読む形で併存した。

秋の月と親しみのある兎へ。 江戸後期から近代にかけて、月と兎は宗教説話や中国の仙界だけでなく、版画や工芸の季節意匠としても広がった。19世紀前半の印籠にも、月の兎と秋草が小さな器面へ表されている。月兎は経典の登場者や不老薬の霊獣であるだけでなく、秋、月見、機知、かわいらしさを感じさせる視覚記号になっていった。

近現代には、餅を搗く兎が児童文化、菓子、広告、十五夜の飾りなどに取り入れられ、日本で最も馴染み深い月兎像となった。ただし、十五夜の月見団子は満月を表し、収穫への感謝を示す供物として説明される。それだけで十五夜が兎の捨身を祀る行事だった、あるいは月見団子と餅搗き兎が同じ起源から生まれたとはいえない。歴史的な直接関係と、後世に相性よく組み合わされた意匠は別のものである。

月の兎の伝承史は、一つの物語が姿を変えずに運ばれた歴史ではない。月面の影、身を施す兎、薬を搗く玉兎、月天のしるし、餅を搗く秋の兎が、それぞれ異なる場所と時代から集まり、互いの意味を失わずに重なった歴史である。その違いを残して読むと、満月の中の一匹が、慈悲、不死、季節、食、科学的な月面観察までを結ぶ、きわめて豊かな文化の像であることが見えてくる。

妖怪カード3

月の兎 を様々な画風のカードで

カード一覧

マヤ暦守護KIN

月の兎が守護しているマヤ暦のKINを一覧で表示しています。

徹底解説

月の兎は、
いつから餅を搗いたのか

満月の中で兎が杵を振り上げる姿は、日本では説明を要しないほど親しまれている。それでも、兎が最初から餅を搗いていたわけではない。杵と臼を備えた古い月兎像が示すのは、中国の仙薬である。日本の餅搗き像は、その図が海を渡り、別の道具文化と季節感の中で読み替えられた結果として現れた。

この変化を読み解く鍵は、月面そのものではなく、兎の手元にある。月の暗部は、玄武岩質の平原と明るい高地がつくる模様であり、そこに杵や臼の輪郭までが実在するわけではない。人々は兎の姿を見いだしたうえで、さらに何をしているのかを物語と絵の中で補った。兎が搗くものが薬にも餅にもなり得たのは、月面の形が変わったからではなく、絵を見る側の知識と暮らしが変わったからである。

中国の月宮で搗かれていた仙薬

中国の月兎は、不死をめぐる月宮世界の一員として姿を整えた。唐初の類書『藝文類聚』に引かれた傅咸「擬天問」は、月中の白兎が薬を搗くと記す。ここでの杵と臼は調理具ではなく、長寿や不死を願う仙薬を作る道具である。

唐代の鏡は、その場面を文字よりも具体的に見せる。メトロポリタン美術館所蔵の8~9世紀「Mirror with moon goddess and rabbit」では、鏡背の樹を挟み、月の女神と杵を持つ兎が向かい合う。兎の周囲には月宮に属する人物や植物が組み合わされ、単独の動物図ではなく、不死の世界を凝縮した画面になっている。兎の動作だけを日本の餅搗きとして見ると、この鏡が持つ仙界の文脈が失われてしまう。

中央の大樹を挟み、嫦娥、蟾蜍、杵で仙薬を搗く兎を配した唐時代7世紀の八稜鏡
唐時代の月宮文八稜鏡
唐時代の「月宮文八稜鏡」。中央の大樹を挟み、嫦娥と蟾蜍、仙薬を搗く兎が月宮の一景として表されている。
月宮文八稜鏡、唐時代(7世紀)、慶應義塾(センチュリー赤尾コレクション)、CC BY 4.0。
CC BY 4.0に基づき、作品名、年代、所蔵、ライセンスを表示して使用。
仙薬を搗く兎、蟾蜍、不死の桃を持つ嫦娥を月宮の一景として表した唐時代8世紀の八稜鏡
唐時代の月宮鏡
唐時代の八稜鏡。月宮の中で兎が杵を取り、蟾蜍や不死の桃を持つ嫦娥とともに表される。兎が搗くものは餅ではなく仙薬である。
Lobed Mirror with Images of the “Moon Palace”: Hare Pounding Elixir, Toad, and Chang E Holding Peaches of Immortality, Tang dynasty, 8th century, Art Institute of Chicago, Public Domain.
Art Institute of Chicagoがパブリックドメインとして公開する画像を使用。
樹を挟んで向かって左に月神、右に兎を表した唐代8~9世紀の青銅鏡
唐代の「月神と兎」青銅鏡
8~9世紀中国の月宮鏡。中央の樹を挟み、向かって左に月の女神、右に杵と臼で仙薬を作る兎が配されている。
Mirror with moon goddess and rabbit, China, 8th–9th century, The Metropolitan Museum of Art, Public Domain.
CC0 1.0

日本の月天像に見える小さな兎

日本で月兎が受容された早い図像を考えるとき、大治2年(1127)の国宝「十二天像 月天」が重要な基準となる。月天の脇侍が掲げる半月の中に、小さな兎が描かれている。しかし、この兎は画面の主人公ではなく、月を月として示すしるしである。後世の餅搗き兎のように、杵と臼を大きく見せる構図でもない。

この違いから、日本の月兎史には少なくとも二つの受容経路が見えてくる。一つは仏教の月天や捨身説話に組み込まれた兎、もう一つは中国の書物と工芸から伝わった搗薬の兎である。後代には同じ「月の兎」として親しまれるが、宗教画の小さなしるしと、月宮で薬を作る霊獣は、もともと同じ役割を担ってはいない。

『今昔物語集』巻5第13の題名と、兎、狐、猿が老人を助けようとする発端を収めた鈴鹿本画面110
『今昔物語集』鈴鹿本・画面110
食物を持たない兎が自らを施すため、薪を集めて火を用意するくだりを収めた鈴鹿本画面111
『今昔物語集』鈴鹿本・画面111
兎の焼身と、その姿が月に残ったという結末を収めた『今昔物語集』鈴鹿本画面112
『今昔物語集』鈴鹿本・画面112
『今昔物語集』巻5第13「三獣行菩薩道兎焼身語」の本文。画面110から112にかけて、兎、狐、猿が老人を助けようとする発端、兎の焼身、兎の姿が月に残ったという結末が記される。
『今昔物語集』鈴鹿本、巻5、京都大学附属図書館所蔵。京都大学貴重資料デジタルアーカイブ。
京都大学附属図書館所蔵を表示し、資料ページへリンクして自由利用条件に基づき使用。
『今昔物語集』鈴鹿本、巻5、京都大学附属図書館所蔵。京都大学貴重資料デジタルアーカイブ。
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『今昔物語集』鈴鹿本、巻5、京都大学附属図書館所蔵。京都大学貴重資料デジタルアーカイブ。
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版本が運んだ杵と臼

江戸時代に入ると、中国の図入り書物が日本の出版文化へ深く取り込まれ、月兎の杵と臼も版本の中で繰り返し描かれるようになった。寺島良安『和漢三才図会』巻1「天文」の月図では、月輪の兎が長い杵を持ち、小さな筒形の臼へ向かっている。国立国会図書館所蔵本の第3冊、画面10では、見開き左頁の上部にその小図が置かれ、本文には中国の月兎知識が記される。

この画面を現代の目で見ると、餅を搗いているようにも見える。けれども、絵の由来と同書の知識体系をたどれば、まず搗薬像として読むのが自然である。杵と臼が描かれていることと、その中身が餅であることは同じではない。何を搗いているかは、器具の形、説明文、同時代の用語、読者が知る日常の作業を重ねて初めて判断できる。

左頁上部の月輪内に杵と臼を備えた兎を描き、周囲に天文の本文を収めた『和漢三才図会』画面10の見開き
『和漢三才図会』巻之一「天文」の月兎図(見開き全図)
寺島良安『和漢三才図会』巻1「天文」の月兎図。見開き左頁の上部で、月輪の中の兎が長い杵を小さな臼へ下ろしている。
寺島良安『和漢三才図会』第3冊、国立国会図書館デジタルコレクション、Public Domain Mark。
著作権保護期間満了の公開資料として、作品名と所蔵を表示して使用。

臼の形が変えた物語

日本で餅搗きの理解が広がる過程を、文字の「初出」だけで追うのは難しい。そこで有力な手掛かりになるのが、臼の形である。庄司大悟の研究を紹介したJAXA宇宙科学研究所の記事は、17世紀から18世紀の版本を比較し、中国風の直線的な筒形の臼が、日本の餅搗きに馴染み深い、側面のくびれた臼へ近づく変化を指摘する。その変化から、18世紀前半頃には兎の動作が餅搗きとして理解されやすくなった可能性が示されている。

図を作る側が餅搗きを意図したから臼を変えたのか、読者が餅搗きとして読むようになったため図が変わったのかは、一本の資料だけでは決められない。出版物が広がり、杵と臼の図を見る人が増えれば、中国の仙薬を知らない読者が日常の餅搗きを連想する機会も増える。道具の輪郭と読者の経験が互いに作用し、月兎の仕事を少しずつ変えていったと考える方が、突然の「発明」を想定するより史料に合う。

「望月」と「餅」は魅力的だが、
起源の証拠ではない

満月を表す「望月」と「餅つき」の音が似ているため、兎が餅を搗くようになったという説明は覚えやすい。だが、同じJAXAの研究紹介は、この語呂を歴史的起源として裏づける資料が確認されていないことも明記する。

語呂合わせが無意味なのではない。成立後のイメージを広め、子どもにも覚えやすくする働きはあり得る。しかし、後世に親しまれた説明と、図像を最初に生み出した理由は別である。薬を搗く玉兎の知識も近世以後に消えたわけではなく、同じ杵と臼を知識人は仙薬として、別の読者は餅として見るような重なりが続いた。

十五夜の兎は、
異なる歴史が出会った姿

現代の十五夜では、満月、兎、すすき、月見団子が一組の季節記号として使われる。ところが、農林水産省の十五夜解説が示す月見団子は、満月を表し、収穫への感謝を込めて供えるものとされる。兎の捨身を祀る供物とは説明されていない。

月見団子と餅搗き兎は、今日の感覚ではよく似合う。それでも、似合うことと同じ起源を持つことは異なる。月を眺める行事、丸い団子、秋の意匠、餅を搗く兎が長い時間をかけて寄り集まり、現在の親しみ深い場面を作ったのである。

同じ兎が、
薬と餅の両方を搗く

19世紀前半の「兎月秋草蒔絵鞘印籠」では、月の兎と秋草が小さな工芸品の中に組み合わされる。月兎は宗教説話や仙界の住人にとどまらず、秋の風情、吉祥、機知、かわいらしさを帯びた意匠へ広がっていた。ここまで来ると、兎が何を搗くかだけでなく、月と兎の組合せ自体が季節を呼び起こす。

赤漆の印籠に月を表す円形と黒い兎、秋草を描き、上部に兎形の根付を添えた全体像
「兎月秋草蒔絵鞘印籠」正面
赤漆の印籠の裏面に秋草を描いた19世紀前半の工芸品
「兎月秋草蒔絵鞘印籠」裏面
19世紀前半の「兎月秋草蒔絵鞘印籠」。第一図では赤漆の印籠に月輪を思わせる円窓と兎を配し、第二図では裏面に秋草を描く。月兎が仙界の物語から、秋の風情を担う工芸意匠へ広がった姿を示す。
Kyūkoku, Inrō with Rabbit in the Moon and Autumn Grasses, first half of the 19th century, The Metropolitan Museum of Art, Public Domain.
CC0 1.0
Kyūkoku, Inrō with Rabbit in the Moon and Autumn Grasses, first half of the 19th century, The Metropolitan Museum of Art, Public Domain.
The Metropolitan Museum of ArtがOpen Accessで公開するパブリックドメイン画像を使用。

月の兎の面白さは、薬が餅に完全に置き換わったという単純な交代にはない。インドの捨身兎、中国の搗薬玉兎、日本の餅搗き兎は、それぞれの由来を残しながら同じ満月の中で重なった。夜空の模様は変わらないのに、そこへ託された仕事と価値は、慈悲、不死、食、季節へと変わり続けた。月の兎を見ることは、月面の影だけでなく、その影を読み替えてきた人間の歴史を見ることでもある。

妖怪設定

この区画は物語を楽しむための当サイト独自の設定です。史実・考証ではありません。

妖怪タイプ
伝統妖怪
レアリティ
一般
性格
仏教説話では思慮深く慈悲深い布施の実践者、中国では黙々と仙薬を搗く玉兎、日本では秋を彩る親しみ深い働き者として受け取られる。時代と物語ごとに異なる顔を持つ。
相性
月を眺める時間、昔話の異文、食や季節の由来を楽しめる人と好相性。一つの正解を急がず、同じ影に複数の物語を見いだす人に寄り添う。
能力・特技
月面の暗い模様に兎の姿として見いだされる仏教説話では客人のため自らの身を施そうとする中国の月宮図像では杵と臼で仙薬を搗く日本の近世以後は餅を搗く姿として表される月天像では脇侍が掲げる半月の中に描かれる
弱点
退治や封印を受ける怪物ではなく、特定の弱点は伝わらない。火や月の満ち欠け、杵や臼の損傷を弱点とする物語も確認できない。
生息地
満月の面、月宮を表す中国の鏡、仏教の月天像、近世の版本や工芸、十五夜を彩る季節意匠の中に現れる。

出典・参考文献

17
  1. 暦Wiki/いろいろな月たち国立天文台暦計算室(国立天文台, 2026年5月7日更新) [公的科学解説]月面の明暗が地形と反射率の差から見え、文化ごとに兎、蟹、人の顔などへ見立てられることを説明する。
  2. Śatapatha Brāhmaṇa 11.1.5.3Julius Eggeling英訳(Sacred Books of the East, 1885) [一次テキスト翻訳]仏教の兎捨身譚より前の文献層に月と兎の結びつきがある一方、捨身、搗薬、餅搗きは語られない。
  3. Cariyāpiṭaka, Sasapaṇḍitacariya (cp10)SuttaCentral Bilara校訂本文(SuttaCentral, 不詳) [一次テキスト]四獣、満月の布薩、兎の自己布施、冷たい火を語る。正典詩そのものには月面へ兎を残す結末がない。
  4. 藝文類聚巻一・月部所引 傅咸「擬天問」傅咸(Chinese Text Project, 3世紀/唐初類書所引) [一次引用文]月中の白兎が薬を搗き、福を興して喜びをもたらすという句。東京大学U-PARLの翻刻とも照合した。
  5. 月兎日本国語大辞典(コトバンク, 不詳) [歴史辞書]弘仁9年(818)成立の『文華秀麗集』に見える「月兎」を、月の雅称として用いた早い例として掲げる。
  6. 今昔物語集鈴鹿本 巻五不詳(京都大学貴重資料デジタルアーカイブ, 平安時代末~鎌倉時代初め頃成立) [一次写本資料]巻五第十三「三獣行菩薩道兎焼身語」の原資料所在。巻五開始画面を確認し、精密な当該画面の画像利用は保留する。
  7. 国宝 十二天像 月天不詳(京都国立博物館/e国宝, 大治2年(1127)) [公的文化財資料]脇侍が掲げる半月の内部に兎を描く、日本の年代確定可能な早期月兎図像。
  8. 月のうさぎはいつどのようにして餅をつき始めたのかJAXA宇宙科学研究所(宇宙航空研究開発機構, 2022年2月3日) [公的研究紹介]近世版本の臼形変化、18世紀前半頃の餅搗き理解という研究推論、「望月=餅」説の文献的根拠不足を紹介する。
  9. Sasa-Jātaka (Jātaka no. 316)W. H. D. Rouse英訳(The Jātaka, 1895) [一次伝承の学術英訳]帝釈が兎の徳を世に知らせるため、その姿を月輪へ描く註釈物語。
  10. Jātakamālā 第6話 ŚaśajātakaĀryaśūra(GRETIL, 不詳) [一次テキスト]兎の印を帯びる月を結末に置くサンスクリット系の兎捨身説話。
  11. 大唐西域記 巻七玄奘訳・辯機撰(CBETA, 646) [一次テキスト]狐、兎、猨の三獣、兎の焼身、帝釈が兎の跡を月輪へ移す型を伝える。
  12. 撰集百縁経「兔燒身供養仙人緣」不詳(CBETA, 不詳) [一次テキスト]兎王が焼身して仙人を救い、骨が塔へ祀られる一方、月面結末を持たない型。
  13. 論衡 説日篇王充(Chinese Text Project, 後漢・1世紀後半) [一次テキスト]月中の兎と蟾蜍の説を取り上げ、王充自身は批判している。
  14. Mirror with moon goddess and rabbit不詳(The Metropolitan Museum of Art, 唐代・8~9世紀) [所蔵館資料]鏡背の樹を挟んで月神と兎を配した唐代の青銅鏡。館方APIでも作品名、年代、Public Domainを確認した。
  15. 和漢三才図会 巻之一「天文」寺島良安(国立国会図書館デジタルコレクション, 自序1712年・序跋1713年/所蔵本は江戸時代) [一次版本資料]月輪の中で杵を持ち臼へ向かう兎と、中国の搗薬伝承を受けた説明を収める。
  16. Inrō with Rabbit in the Moon and Autumn GrassesKyūkoku(The Metropolitan Museum of Art, 江戸時代・19世紀前半) [所蔵館資料]月の兎と秋草を、印籠と兎形根付へ組み合わせた季節意匠。作者名は館方の現行表記を用いる。
  17. 十五夜農林水産省(農林水産省, 2017年12月号) [公的行事解説]月見団子が満月を表し、収穫への感謝を示す供物であることを説明する。

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