妖怪図鑑

日本の妖怪大百科

148 妖怪|14 カテゴリ|6/7 ページ
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珍しい
  • 衾

    珍しい

    ふすま

    夜道の白布・佐渡の衾

    住居・器物石燕画図系の被り怪、佐渡·土佐に分布伝承だが一次出典確証できず

    佐渡型と土佐型のうち、より広く知られる 佐渡の白布型 に焦点を絞った版本。夜道での出現状況、お歯黒退治の作法、男性鉄漿習俗との伝承的結び付きを中心に据える。佐渡では夜の野道・雪道・宿の周辺で、月明かりに浮かぶように白い風呂敷大の布が音もなく舞い降り、頭から肩へと被せかかる。刀で斬ろうとしても刃が通らず、口にお歯黒を含んだ者が布の一端を噛み切ったとき、はじめて怪は萎えて落ちると伝わる。佐渡では明治期まで一部の男性が鉄漿を入れたという事実があり、これを衾対策の名残と説く伝承が古老の口に残るが、男性鉄漿習俗それ自体は祭礼装束・成人儀礼など別系統の動機も指摘されており、衾退治のためという因果づけは後世の合理化を含むとみるべきである。冬の佐渡では雪原に風が吹き上げると、軒先や物干しの白布が舞い上がって視界を覆うことがあり、そうした自然現象が在地で衾という名のもとに語り直された側面もあったかもしれない。

  • ブナガヤ

    ブナガヤ

    珍しい

    ぶながや

    やんばるの森の精・ブナガヤ

    山野の怪沖縄県

    ブナガヤは、やんばるの深い森と渓流に宿る赤髪の精霊である。半裸の子供の姿で、夜には火(ブナガヤ火)を灯して山あいにあらわれ、人々はその灯を見に行く「アラミ」に肝を冷やした。樹の古木を宿とするキジムナーと近縁ながら、ブナガヤは森そのもの・川そのものの主であり、火を扱う点で輪郭を異にする。相撲を好み、魚を獲り、人を化かす一方、木を傷つける者には祟る。大宜味村は今、この赤毛の精霊を「ブナガヤの里」の象徴として迎えている。

  • 震々

    震々

    珍しい

    ぶるぶる

    襟元を凍らす震々

    霊・亡霊石燕『今昔画図続百鬼』、恐怖の身震いを擬人化した観念的妖怪、絵巻発祥

    石燕の図像に拠る観念的な妖怪像を基軸に再構成。震々は姿形を定めず、人気の薄い場所や背後の気配として現れる。人の襟元に触れ、冷ややかな感覚を走らせ、心胆を寒からしめる働きをもつ。臆病神・ぞぞ神という別称は、戦場や夜道などで生起する心理・生理反応の擬人化を示し、恐怖の兆候そのものを「取り憑き」と解した前近代的理解を反映する。具体的な祓い方は一定せず、火や灯り、仲間との同行などで気を紛らわせるといった民間の実践が記される例があるが、体系だった儀礼は不詳である。実体を持たぬため捕縛や討伐の対象とはなりにくく、あくまで人の心身に及ぶ寒気・粟立ちの因として説明されてきた。

  • 豊後河太郎

    豊後河太郎

    珍しい

    ぶんごのかわたろう

    豊後の毛深い河童・豊後河太郎

    水の怪大分県

    この版では、河童という大きな括りのなかで、豊後河太郎がもつ土地の色あいに目を向ける。九州では河童を広く「河太郎」と呼び、豊後河太郎もその一つだ。本州でよく描かれる蛙や亀に近い河童に対し、豊後をはじめ九州の河童は、毛深く猿に似た体つきで語られることが多い。これは、河童の姿が地方ごとにずいぶん違っていたことをよく示している。 性質は河童らしく、水辺を縄張りにして相撲や悪戯を好むが、礼節を重んじる一面も残す。供物を捧げ、約束を守る相手には、流れの見分け方や用水の扱い、天気の崩れの兆しといった、川とともに生きる人々に役立つ実利の知恵を授けるとされた。腸を抜くといった猟奇的な恐ろしさを強めすぎず、恐れと頼みの両方を向けられる存在として語られてきたのが、豊後河太郎の持ち味である。日田の『河童聞合』に見える目撃の記録は、こうした河太郎が単なる空想ではなく、土地の暮らしのなかで生きた怪だったことを伝えている。

  • 封豨

    封豨

    珍しい

    ほうき

    桑林の異国獣・封豨

    動物変化中国『山海経』由来の異国獣。江戸の異国奇談で名のみ引用、日本の地理伝承と結びつかない

    中国古典から輸入され、長らく博物誌の中で眠っていた「桑林の異国獣」としての解釈版である。このバージョンにおける封豨は、日本の妖怪のように「夜道で人を驚かす」「家に棲みついて富をもたらす」といった人間サイズの怪異ではなく、国家規模の災害をもたらす「神話的スケールの荒ぶる神(自然災害の象徴)」として位置づけられる。 分厚く硬質な皮膚はあらゆる物理攻撃を跳ね返し、その突進は森を平野に変え、水に浸かれば豪雨を呼ぶ。古代中国においては、人間の手に負えない大自然の猛威(洪水や獣害)そのものが「巨大な猪」の姿を借りて顕現したものであった。羿(げい)による退治伝説は、圧倒的な自然の暴威を人間の英雄が「文化(弓術)」によって屈服させ、さらにそれを「食す(供物にする)」ことで完全に人間のコントロール下に置くという、文明の勝利を語る神話的装置として機能している。 日本においては、こうした大陸的なスケールの怪獣は土着化しにくく、「異国の奇獣」として知識の引き出しに仕舞われていた。しかし、現代のエンターテインメントがこの「硬く、巨大で、無敵に近い突進力」という属性を発掘し、最強の敵キャラクターのモチーフとして再解釈したことで、図らずも古代中国人が封豨に抱いていた「圧倒的な暴力への絶望と畏怖」が、現代人にもリアルな恐怖として共有されることとなった。伝承の途絶えた化け物が、ポップカルチャーの力で本来の威圧感を取り戻した、妖怪受容史における非常にドラマチックな事例である。

  • 彭侯

    彭侯

    珍しい

    ほうこう

    老樹に宿る人面犬・彭侯

    自然現象・自然霊中国『捜神記』『白沢図』の木の精、渡来

    江戸時代、日本の学者・絵師が中国説話を摂取し、木霊観の枠で整理した彭侯像。外見は人の顔を備えた犬形として図られ、寄る辺は古樟などの老樹。山中での声の反響は木の霊の働きと解され、山彦図像の一部に犬形が現れる背景として彭侯の記載が参照された。近世の博物誌は中国書からの引用を明示し、在地伝承の上に異国の条を重ねて解説するにとどまるため、具体的な地域的怪異談は乏しい。日本側の記述は、木魅=木霊の同義語的理解のもとで「木の精」として扱い、伐木禁忌や老樹信仰の文脈に接続される。形態・性情は史料ごとに細部の差はあるが、老樹から血を流して顕れる点、人面犬形である点は共通要素として踏襲された。創作色の強い脚色を排し、中国原典の条と和漢博物誌の受容関係を示すのが、この版の特徴である。

  • 魔鬼女

    魔鬼女

    珍しい

    まきじょ

    牧山の大嶽丸の妻・魔鬼女

    鬼・巨怪宮城県

    魔鬼女は、石巻周辺の寺社縁起や郷土誌に現れる鬼女像で、箟岳山の大嶽丸と対になって語られる。退治譚の中心は大嶽丸で、魔鬼女はその配偶者として名が挙がり、供養・鎮魂の対象へと転じる。田村将軍が延鎮由来とされる観音像で諸鬼を鎮め、各山に観音を安置したという縁起の中で、牧山では魔鬼女の遺髪奉納の説が伝えられる。地名・寺名の由来伝承(魔鬼山→牧山)や観音移座の経過が信仰史として語り継がれ、鬼女の実像は語られ過ぎないが、山の畏れと観音信仰の折衷を象徴する存在として位置付けられる。創作色の強い逸話は避けられ、資料によっては魔鬼女の記載自体が省略されるなど伝承の幅がある。

  • 枕返し

    枕返し

    珍しい

    まくらがえし

    夜の寝所で枕を返す・枕返し

    住居・器物全国各地に類似伝承、石燕も地名を指定せず

    枕は魂の出入りや境界と結びつくという古い観念に支えられた枕返しの類型。特定の座敷・柱・仏間など聖俗の境に発現し、睡眠中の人の頭位を仏や本尊へ向け直したり、単に枕を翻して秩序の逆転を示す。江戸期以降の随筆・絵巻に散見し、寺院の七不思議や掛軸の怪談と結びつくことが多い。地域によっては座敷童子の戯れ、あるいはその家で死んだ者の霊の顕れとして解釈され、動物変化に仮託されることもある。恐れの程度は時代により変化し、かつては命に及ぶ祟りの前兆とも捉えられたが、近代以降は寝間の怪異として比較的軽い悪戯とみなされる傾向がある。

  • 箕借り婆

    箕借り婆

    珍しい

    みかりばば

    事八日の一つ目老婆・箕借り婆

    山野の怪神奈川県

    箕借り婆の伝承に即した像を整理した版。一つ目の老女として事八日に現れ、家々の仕事や外出を慎ませる機能を帯びる。箕や人の目を「借りる」行為は、編目の多い器物や多数の目を持つ象徴への忌避と結びつき、門口に籠・ざるを出す、目籠を竿に付けて棟に立てるなどの対策が生まれた。横浜港北の例では、落ち穂まで求める欲張り性が強調され、火をくわえる描写が火災忌避の教訓として機能する。千葉南部の「ミカリ(身変わり)」と呼ばれる物忌みや家籠もりの習俗は、祭事前の非日常を保つ規範を妖怪譚に読み替えたものと理解される。こうした語りは地域差を伴いつつも、冬から春にかけての節の変わり目における家内安全・火難避け・労働忌避の規範を伝える枠組みとして共有されている。創作的要素を排し、関東の実見記事・民俗記録に見られる要点のみを採用する。

  • 飯笥

    飯笥

    珍しい

    みしげー

    沖縄の杓子付喪・飯笥

    付喪神・骸怪沖縄県

    沖縄各地で語られる飯笥の付喪神像に基づく。長く用いられ、あるいは打ち捨てられた飯笥が精霊を宿し、夜分に活動する。単独でも現れるが、鍋笥など同類の器物と連れ立ち、人気のない広場やごみ捨て場で輪になって踊り、賑やかな音を立てるとされる。人の目には若い男女の姿に見えることがあり、近づけば宴に誘い、夜明けとともに実体は器物へ戻る。牛など異形へ見せかける幻惑で人を惑わす例も語られるが、命を奪う類ではなく、古道具を粗略に扱うことへの戒めとしての性格が強い。家々では古くなった飯笥や鍋笥をむやみに捨てず、静かに処分したり感謝を述べるなどの心構えが好ましいとされた。

  • 水乞幽霊

    水乞幽霊

    珍しい

    みずこいゆうれい

    夜に水を乞う霊・水乞幽霊

    霊・亡霊『絵本百物語』渇きで死んだ者の幽霊、仏教的観念の創作

    『絵本百物語』における遺言幽霊と水乞幽霊の並記関係を踏まえた伝統的解釈。臨終に言い遺せぬ思い、もしくは飢渇の苦を負ったまま亡くなった者の霊が、夜に姿を現し水を求めて訴える。個別の名や事績は語られにくく、供養という行為を促す道徳的譬喩として機能する。僧の読経や追善、施餓鬼、亡者への施しが届くと、経文に説く「甘露」の象徴とともに渇きが鎮まるとされる。都市町場でも農村でも語られ、井戸端・橋・墓所・路傍など人の往還と水の結節点に現れるとされる。過度な恐怖よりも哀れみを喚起する性格が強く、応対を誤って乱暴に扱えば祟りを招くと戒めるが、丁重に弔えば静まるという均衡が語り口の基本である。

  • 溝出

    溝出

    珍しい

    みぞいだし

    鎌倉由比ヶ浜の歌う白骨・溝出

    霊・亡霊神奈川県

    竹原春泉挿画の『絵本百物語』に見える溝出の像を基調とする。遺体遺棄に対する譴責として、白骨が自律し歌い踊る描写が象徴的で、死者の扱いを誤れば怪異が起こるという民俗的規範を視覚化する。物の怪というより、無供養の死者が現世に徴を示す「怨霊譚」の範疇に近い。舞い歌う所作は滑稽の体裁を取りつつも教訓性が強く、聞き手に弔いの実践を促す。地名・人名(由比ヶ浜、戸根の八郎、北条時行など)が具体的で、軍記物の記憶を踏まえた説話構成となっている。寺僧が白骨を葬ることで怪が鎮まる筋立ては、供養による鎮魂という寺院の社会的役割を示す典型である。

  • 蓑火

    蓑火

    珍しい

    みのび

    琵琶湖雨夜の蓑光・蓑火

    自然現象・自然霊滋賀県

    琵琶湖起源の記録を典型とし、雨夜に蓑・傘・衣に微光が点在してまとわる怪火の総称的相。熱を持たず、払う動作に応じて増光・増数するが、衣を外す、火を灯す、時間経過などで自然消散する。各地の呼称や解釈は異なり、水死者の霊と見る地域もあれば、動物の仕業や自然発光と見なす伝もある。荒事を起こすよりも目惑い・気味悪さを与える性質が語られ、単独者のみが知覚する例も多い。

  • 無垢行騰

    無垢行騰

    珍しい

    むくむかばき

    曽我河津の行騰付喪・無垢行騰

    住居・器物石燕『百器徒然袋』、行騰の付喪神、夢心の連想創作

    江戸期の絵画資料に基づく無垢行騰像を整理した版本。行騰は狩装束の防寒・防刃のため腰から脚に巻く毛皮装具で、長年の使用や主との離別を契機に霊性を帯びると考えられた器物怪異の系譜に置かれる。石燕図では、脚部のみが独立して歩むかのように描かれ、詞書で『曽我物語』の河津三郎の行騰へと連想が及ぶ。ただしこれは絵師の文芸的示唆であり、特定個体の怨霊譚としての展開は史料上確認されない。近世の百鬼夜行・付喪神絵巻には行騰を装着した妖怪像が散見され、行騰という具の異形性が視覚的に強調される。性質はおおむね夜分に現れて人を驚かす程度と解され、害益の具体は伝わらない。土地的な固有伝承は乏しく、作例の多くは都市的な絵画文化圏に属する。器物が齢を経て霊を宿すという観念の典型として理解される。

  • 滅法貝

    滅法貝

    珍しい

    めつほうかい

    目尾ある跳ねる貝・滅法貝

    水の怪石燕系と推定されるが典拠未確認、付喪神的存在で地名なし

    滅法貝は文献上、川や沼などの水域に出没する得体の知れぬ貝の怪として図像のみが伝わる。殻の縁から眼が覗き、尾状の付属が揺れて移動するように描かれるが、行状・害意・吉凶は記されない。江戸後期の絵巻では詞書が省かれ、読者に名称と姿から由来を推量させる構成で、他の水妖群と並置される点が特徴である。名称の「めつほう」は常軌を逸するさまを連想させるが、典拠は明確でなく、表記の揺れや地名的背景も確認されていない。したがって、本項は図像学的特徴と所在史料に基づく最小限の整理に留める。

  • メドチ

    メドチ

    珍しい

    めどち

    津軽の水に潜む河童・メドチ

    水の怪福島県

    この版では、メドチが「河童の方言名」でありながら、津軽という土地に固有の相をもつことを掘り下げる。 まず名である。メドチは蛟(みづち)に由来し、もとは水の蛇神を指す言葉だった。それが河童の名に転じた背景には、水神が時代とともに零落し、敬われる神から畏れられる妖怪へと姿を変えていった、という水辺の信仰の大きな流れがある。メドチという名は、その零落の記憶を今に伝えている。 図像のうえでも、津軽のメドチは独特である。江戸の絵師が描く嘴と甲羅の河童に対し、津軽で語られるのは猿のような顔と黒い体。十和田には顔の赤いメドツの話もあり、色や姿は土地ごとに揺れる。共通するのは、子どもほどの背丈と、人を水へ誘う妖しさである。 信仰のうえで見落とせないのが、水虎様との二面性である。津軽では、人を引くメドチ(魔物)と、それを鎮める水虎様(水神)とが、しばしば同じ存在の二つの顔として語られる。折口信夫は昭和九年、永田の水虎像を実見して写しを作らせ、國學院で川祭りを営んだ。一体の水虎様が四十八匹を束ねるという数は学術には裏づけられないが、メドチが「親方」に統べられるという階層の感覚そのものは、津軽の水神信仰に確かに根づいている。 弱点や鎮めの作法も、すべて川との関わりに根ざす。麻幹に触れれば溶け、初物の胡瓜を先に供えれば人を取らず、水虎様を祀れば淵は穏やかになる。メドチは、津軽の人々が水の恵みと水の恐れの両方とともに生きてきた、その記憶の結び目のような河童である。

  • 紅葉狩

    紅葉狩

    珍しい

    もみじがり

    戸隠山の鬼女紅葉・紅葉狩

    鬼・巨怪長野県

    室町から江戸にかけての能・浄瑠璃・歌舞伎で定着した鬼女像。紅葉見物を口実に都人風の女房や姫君の一行として現れ、器楽や舞で油断を誘う。酒宴で武士を酔わせるが、夜半、神の加護や霊剣により正体を見破られ、戸隠山中で本性を顕す。名は一般に紅葉とされ、作品により更科姫などの異名も見える。退治譚は武徳の顕彰と山岳の畏れを映し、戸隠信仰や鬼退治譚の語法を継承する。舞台芸能では前場の艶やかな仮の姿と、後場の荒々しい鬼相の対照が特徴。

  • 茂林寺の釜

    茂林寺の釜

    珍しい

    もりんじのかま

    守鶴狸の尽きぬ釜・茂林寺の釜

    動物変化群馬県

    上州・茂林寺に伝わる守鶴の話に拠る像。湯が尽きぬ茶釜は施与と法喜を示す象徴で、僧衆や来客に茶を分ける行為が徳を広めるものと理解される。守鶴は長命の狸で、人の世に交わりつつ仏縁に結ばれた存在として描かれる。正体が露見すると寺を辞すが、別れに際し幻術をもって古戦や仏事の景を示し、人々に無常と法の徳を諭したとされる。後代、この説が昔話の「分福茶釜」へと整理され、見世物的な曲芸譚に転じた系統と、寺縁起にとどまる系統が併存する。地域では寺宝の釜と結びつけて語られ、狸信仰や講談・随筆の影響を受けつつも、根幹は「尽きぬ湯」と「去る賢狸」の二点に要約される。

  • 野狐

    野狐

    珍しい

    やこ

    九州群行の下位狐・野狐

    動物変化中国道教の狐階位最下位、九州に野狐憑き信仰、概念は渡来

    この版では、野狐が仏教、とくに禅の世界でどう語られたかに目を向ける。禅には「野狐禅(やこぜん)」という言葉がある。まだ悟りきっていないのに、悟ったつもりになっている半端な境地を、戒めをこめてそう呼ぶ言葉である。 もとになったのは、宋の時代の禅の問答集『無門関』に載る「百丈野狐」という有名な話だ。唐の禅僧・百丈懐海(ひゃくじょうえかい)の説法に、毎回ひとりの老人が聞きに来ていた。あるとき老人は身の上を明かす。昔この寺の住職だったころ、「悟りを開いた者も因果(報い)に落ちるか」と問われ、「落ちない(不落因果)」と答えてしまった。そのたった一語の誤りのために、五百回もの生まれ変わりのあいだ、野狐の身に堕とされたのだ、と。老人は百丈に正しい答えを乞う。百丈が「因果をくらましはしない(不昧因果)」と言い直してやると、老人はその場で迷いを解かれ、野狐の身を脱して成仏したという。 ここでの野狐は、生半可な悟りに落ちた者が姿を変えられてしまう、いましめの象徴になっている。人を化かす里の野狐とはまた別に、野狐は「半端な賢(さか)しらの行き着く先」として、禅の言葉のなかにも長く生きつづけてきたのである。

  • 山本五郎左衛門

    山本五郎左衛門

    珍しい

    やまもとごろうざえもん

    稲生物怪録の魔王・山ン本

    山野の怪広島県

    本版は寛延二年の三次怪異を核とする記録伝を基盤とする。頭領は三十日の怪異の締めくくりに武士姿で名乗り、神野悪五郎との賭けに言及する。自ら天狗や狐狸に非ずと述べる一方、絵画資料では三眼の烏天狗風に表される例があり、表象と本文との間に乖離が見られる。諸写本により名は「山本五郎左衛門」「山ン本五郎左衛門」「山本太郎左衛門」と揺れ、別伝では別の授与品(木槌、あるいは祈祷法の巻)を渡す。三次周辺には勇者試し型の類話が複数伝存し、一定期間の怪異、当主の不動心、頭領の出現と賞詞、去る際の証拠品という配列が共通する。具体の正体や出自は定まらず、魔王格としての統率者像のみが強調される。近世随筆や絵巻の伝本差を踏まえ、固有名や細部は本ごとの異同として扱われるべき存在である。

  • 雪爺

    雪爺

    珍しい

    ゆきじじい

    吹雪の山の老体・雪爺

    自然現象・自然霊水木しげる以前の一次典拠未確認、雪国の老爺像だが在地典拠なし

    吹雪の帳が下りるとき、雪爺は白装束の老体で現れ、遠間から呼びかけて人の方向感覚を奪う。雪にまつわる怪異譚の系譜に属し、雪女・雪入道と機能が重なるが、老形である点が特徴。姿ははっきりせず、近づくほど霞み、声のみが背後から響くと語られる。民俗的には雪害の戒めとして機能する象徴的存在と解される。

  • 雪童子

    雪童子

    珍しい

    ゆきわらし

    越後の雪に来る童・雪童子

    自然現象・自然霊新潟県岐阜県

    越後国に伝わる雪童子像に拠る。姿は雪の日に現れる小児で、吹雪の晩に戸口から訪れ、囲炉裏端で温をとる。世話を受けると家人を慰め、家事の手伝いをすることもあるが、春の兆しとともに力を失い姿を薄くする。害意は示さず、むしろ客神的に季節の訪れを告げる来訪者の性格を帯びる。来訪は反復するが永続せず、最後には訪れが絶える点に、雪そのものの無常観が映る。名称は「雪わらし」「雪子」などの異称があるが、いずれも雪と童形を結び付ける点で共通する。

  • 夢のせいれい

    夢のせいれい

    珍しい

    ゆめのせいれい

    寝所に夢運ぶ・夢のせいれい

    自然現象・自然霊民俗典拠なし、夢の精霊を想定した近現代創作

    絵画資料における「夢のせいれい」という名は伝聞的で、特定の図像への比定は定まっていない。杖を突き手招く姿の老体として描かれるとされる点から、夢を導く象徴的存在と理解される。文字形の似合から草の精霊や樹木の妖の誤読に通じる説もあるが断定はできない。ここでは夢を媒介し吉凶の兆しを告げる自然霊として整理し、占いや験担ぎにおける夢の位置づけと結び付けて解釈する。過度な人格化や固有名の伝承は避け、夢そのものの力に宿る霊格として位置づける。

  • 夜雀

    夜雀

    珍しい

    よすずめ

    山道で付きまとう鳥・夜雀

    動物変化高知県

    夜雀は西日本の山間部に広く語られる夜の随行怪で、鳴き声により存在を示す点が特色である。土佐では小鳥状、北川村や伊予では蛾・蝶状ともされ、姿は一定しない。単独行の時に背後や前方を交互にとりまき、耳許で細かく鳴いて歩行の調子を乱す。富山村では退散の唱え言が伝わり、軽挙に捕らえると夜盲に罹ると戒める。和歌山では逆に狼の出現を知らせ、山の魔からの守護の徴と捉える例がある。類話として奈良・紀伊の送り雀、高知・愛媛の袂雀があり、特に津野山・城辺では同一視され、袂を握る、枝を三本立てる、特定の真言を唱えるなどの回避法が語られる。視覚的実体の曖昧さ、音による干渉、地域ごとの吉凶解釈の差が民俗的特徴である。

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