👹
珍しい
伝統妖怪

ふすま

カテゴリ
住居・器物
性格
無音で寄り、瞬時に覆い、容赦なく絞める
起源
新潟県佐渡島 (主) / 高知県土佐 (異形)

基本説明

衾(ふすま)は、夜間に飛来する布の妖怪である。古典『枕草子』『源氏物語』にも見える寝具「衾」(一枚布の夜着)が、そのまま怪異化したかのような名で呼ばれる。代表的な伝承地は新潟県佐渡島で、夜道や宿の外を一人歩む者の頭に風呂敷大の白布がふいに飛来して被さり、視聴覚を塞ぎ、ときに息を詰まらせて命を奪うとされる。佐渡では正宗の名刀でも斬ることができず、ただ 鉄漿(かね、お歯黒)で染めた歯 でのみ噛み切れると伝わる。佐渡で男性も明治期までお歯黒を施していたという民俗事象は、しばしばこの怪との対処と関連づけて語られるが、両者の因果関係を直接示す一次資料は確認されていない。同名の伝承は高知県の土佐にもあり、こちらは四方の縁が見えぬほど巨大な布が全身を包み込むという形で、退治法も「煙草を吸う」「落ち着いて座って待つ」と佐渡型と大きく異なる。なお、「鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に衾が収録されている」とする紹介がしばしば見られるが、これは誤伝である ── 同書に載るのはムササビ系の獣怪「野衾」であって、寝具型の衾ではない。衾は江戸絵巻系統の妖怪ではなく、 『綜合日本民俗語彙』(1955) および 『妖怪談義』(1956) を経て近代民俗学が地方伝承から拾い上げた怪である点を、まず押さえておく必要がある。

民話・伝承

佐渡の白布 ── お歯黒退治の系譜。佐渡島の伝承では、衾は夜道や雪道で何処からともなく飛来し、被さるが早いか視聴覚を塞ぐ。柳田國男「妖怪名彙」 および同系統の民俗誌が伝えるところによれば、これに遭遇した者が腰の刀を抜いて斬ろうとしても刃が通らず、唯一お歯黒で染めた歯のみが布を噛み切ることができたとされる。佐渡では明治期まで男性も鉄漿(かね)を入れる習俗が残り、これを衾対策の名残とする解釈が古くから繰り返されてきた。ただし、男性鉄漿習俗の存在自体は確かだが、それが妖怪退治のためであったと因果づける直接的な一次資料は確認できず、後世の合理化解釈とみるべき面もある。

土佐の巨大衾 ── 別形態の存在。同じ「衾」の名で語られる怪は、高知県土佐にも伝わるが形態が大きく異なる。土佐型は四方の縁が判らぬほど巨大で、覆い被さると気が遠くなるが、刃でも煙草でも防げると伝わり、落ち着いてその場に座り込めば自然に消えるとされる。佐渡の白布型と土佐の巨大型を同名で混同しないことが、研究上の最初の作法である。

「衾」という名 ── 日用品としての来歴。「衾」はもともと平安期から使われた寝具・夜着の古語で、大きな一枚布を体に掛けて寝具とした。『枕草子』『源氏物語』にも普通名詞として頻繁にあらわれる。さらに大嘗祭の神事装束、婚礼時に新郎新婦を一枚の衾で覆う「衾覆い」の儀礼など、衾は日用品でありながら神聖な布でもあった。最も身体に近い日用品が魂を持って人を覆うという妖怪化の発想は、こうした衾の両義性 ── 日常と神事の交差 ── から育つ土壌を持っていたとみられる。

鳥山石燕「野衾」との混同 ── 重要な誤伝。ネット上の妖怪紹介ではしばしば「衾は鳥山石燕『今昔画図続百鬼』(安永 8 年・1779) に収録された」と書かれるが、同書下之巻に載るのは 「野衾」 であって、これはムササビ・モモンガ系の獣怪 (滑空して人の顔を覆い目鼻を塞ぐ) であり、佐渡や土佐の布型「衾」とはまったく別系統である。語形が紛らわしく、近年の二次資料に誤って「石燕由来」と記されたものが流通してしまった。石燕は野衾を描いただけで、寝具型の衾は描いていない。

類例妖怪との関係 ── 布の怪の系譜。衾は、鹿児島県大隅の一反木綿 (反物状の細長い白布が夜空を舞う)、愛知県佐久島の布団かぶせ (布団が覆い被さる)、鳥山石燕の小袖の手 (衣桁の小袖から手が伸びる) など、布や夜具が顔を覆って人を窒息させる類型と兄弟関係にある。一反木綿が縦長の反物、衾が風呂敷ほどの正方布、布団かぶせが寝具という形態差はあるが、いずれも「夜間に布が飛来して顔を覆い、息を絶つ」という骨格を共有する。小袖の手のみは付喪神 (持ち主の念が衣に宿る) として人格化されている点で例外的であり、衾・一反木綿・布団かぶせは特定個人の念に基づかない「無主の布の妖異化」として括れる。

現代受容。水木しげるの妖怪事典類に収録されて以後、衾は妖怪百科の常連となった。藤田和日郎の漫画『うしおととら』(1990-1996) では火とお歯黒に弱い設定で登場し、後続のサブカルチャー作品にも影響を与えている。お歯黒で噛み切るという独特の退治法は、現代の妖怪ファンの間でこの怪を記憶に残す印象的な要素となっており、近世以前の歯黒文化が妖怪を通じて現代まで参照され続けている例として興味深い。

同類・一族

布の怪

夜、顔を覆い息を奪う布の怪たち。古布が齢を経て霊を得る付喪神系 (白溶裔・小袖の手) と、出自不詳のまま夜空を舞う無主系 (一反木綿・衾・布団かぶせ) の二筋が、同じ「布が人を覆う」一点で結ばれる。

徹底解説

佐渡型と土佐型のうち、より広く知られる 佐渡の白布型 に焦点を絞った版本。夜道での出現状況、お歯黒退治の作法、男性鉄漿習俗との伝承的結び付きを中心に据える。佐渡では夜の野道・雪道・宿の周辺で、月明かりに浮かぶように白い風呂敷大の布が音もなく舞い降り、頭から肩へと被せかかる。刀で斬ろうとしても刃が通らず、口にお歯黒を含んだ者が布の一端を噛み切ったとき、はじめて怪は萎えて落ちると伝わる。佐渡では明治期まで一部の男性が鉄漿を入れたという事実があり、これを衾対策の名残と説く伝承が古老の口に残るが、男性鉄漿習俗それ自体は祭礼装束・成人儀礼など別系統の動機も指摘されており、衾退治のためという因果づけは後世の合理化を含むとみるべきである。冬の佐渡では雪原に風が吹き上げると、軒先や物干しの白布が舞い上がって視界を覆うことがあり、そうした自然現象が在地で衾という名のもとに語り直された側面もあったかもしれない。

妖怪設定

この区画は物語を楽しむための当サイト独自の設定です。史実・考証ではありません。

性格
無音で寄り、瞬時に覆い、容赦なく絞める
相性
夜更けに独り歩む者と不和、火と鉄漿を備えた者と相剋
能力・特技
音もなく頭上に降りる視聴覚を塞ぐ首・口を絞めて息を奪う刀の刃を弾く
弱点
鉄漿(お歯黒)で染めた歯, 火を焚いた灯り, 騒がず布の隙を読む沈着さ
生息地
夜道・雪道・宿の周辺, 軒下・物干し, 寒夜の野山

夜道の白布・佐渡の衾についてさらに詳しい情報や診断結果については、こちらをご覧ください。

出典・参考文献

3
  1. 妖怪談義 (妖怪名彙)柳田國男(修道社 (のち講談社学術文庫ほか), 1956) [古典文献] 参考資料
  2. 綜合日本民俗語彙 [古典文献] 参考資料
  3. 今昔画図続百鬼 [classical] 参考資料

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