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天照大御神(あまてらすおおみかみ)

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基本説明

天照大御神は、日本神話で高天原を治め、伊勢神宮の皇大神宮に祭られる日の神である。記紀には天照大神、日神、大日孁貴、大日孁尊などの名が見え、神宮では天照坐皇大御神、皇大御神とも称される。これらは単なる表記揺れではなく、典籍と祭祀の場で用いられてきた神名の層を示す。『古事記』では、黄泉国から帰った伊邪那岐命が禊をした時、左の目を洗うと生まれ、高天原を治めるよう命じられる。これに対して『日本書紀』本文は、伊弉諾尊と伊弉冉尊が日の神を生み、その光が天地を照らしたため天上へ送ったと記す。同書の一書には、鏡から生まれる話と、伊弉諾尊の左目から生まれる話も残る。同じ神の誕生にも複数の伝えがあり、どれか一つだけを古代からの唯一の由来とはできない。

弟の須佐之男命が高天原へ来た時、天照大御神は国を奪う意図を疑い、髪と腕に勾玉を巻き、弓矢を備えて迎えた。二神は剣と勾玉を物実とする誓約によって真意を確かめるが、その後、須佐之男命は田や祭殿を荒らし、神衣を織る場へ逆剥ぎの馬を投げ込む。天照大御神が天石屋戸へこもると天地は暗くなり、八百万の神々は思金神の策に従って鏡と玉を作り、祝詞を唱え、天宇受売命が舞い、天手力男神が戸を開いた。光の回復は一柱の万能な力ではなく、知恵、工芸、言葉、芸能、力を担う神々の協働によって実現する。

天孫降臨では、天照大御神は高木神とともに邇邇芸命を葦原中国へ遣わし、鏡を自らの御魂として祭るよう命じる。この系譜から皇室の祖先神とされ、皇大神宮では天照坐皇大御神として祭られてきた神嘗祭朝夕の神饌神御衣祭など食と衣を次代へ渡す祭祀や、建築と技術を継ぐ式年遷宮も長く受け継がれている。天照大御神は単なる「太陽を操る神」ではなく、光、農耕、衣、鏡、皇統、祭祀秩序が幾つもの時代を通して重なった神格である。

民話・伝承

天照大御神の神話は、まず『古事記』と『日本書紀』を分けて読むと輪郭が明瞭になる。『古事記』では、伊邪那岐命が黄泉国の穢れを落とす禊を行い、左の目から天照大御神、右の目から月読命、鼻から建速須佐之男命が生まれる。伊邪那岐命は三柱へそれぞれの領域を委ね、天照大御神には高天原の統治を命じた。[2]『日本書紀』本文では伊弉諾尊と伊弉冉尊がともに大日孁貴を生み、一書は鏡からの誕生、別の一書は伊弉諾尊の左目からの誕生を伝える。[3]親子関係と誕生の場面は、典籍ごとの異伝を保ったまま理解する必要がある。

須佐之男命との誓約では、天照大御神は弟の来訪を警戒して武装し、互いの剣と勾玉から神々を成して心の清明を判定する。『古事記』では、須佐之男命の剣を天照大御神が噛み砕いて宗像三女神を生み、天照大御神の勾玉を須佐之男命が噛み砕いて天忍穂耳命ら五柱の男神を生む。子神の帰属は、誰が生んだかではなく、誰の持ち物から成ったかによって語られる。[4]この違いを省くと、宗像三女神や五男神との関係が逆転してしまう。

須佐之男命の暴行と機織りの場も、記紀で同じではない。『古事記』は、神衣を織る建物へ逆剥ぎの馬が投げ込まれ、服織女が梭で身を突いて死んだと記すが、天照大御神自身が織っていたとは明記しない。[5]『日本書紀』本文では天照大神が神衣を織っていて梭で傷つき、一書では稚日女尊が死ぬ。[3]天石屋戸への退去は、単なる気分の変化ではなく、田、祭殿、神衣という秩序が破壊された後に起きる。

天石屋戸の前では、八百万の神々が天安河原に集まり、思金神の策をもとに役目を分担する。長鳴鳥を鳴かせ、伊斯許理度売命が鏡を、玉祖命が勾玉を作り、天児屋命と布刀玉命が祭具と言葉を整え、天宇受売命が舞う。笑い声を不思議に思った天照大御神が戸を開くと鏡が示され、天手力男神が外へ導き、再び戻れないよう境界が張られた。[5]この場面は、太陽の消失と回復だけでなく、知恵、工芸、祭祀、芸能、身体の力が共同体の危機を解く物語でもある。

天孫降臨では、天照大御神は高木神とともに葦原中国への派遣を進める。『古事記』では天忍穂耳命の子である邇邇芸命が降臨し、天照大御神は鏡を自らの御魂として祭るよう命じる。[6]『日本書紀』の一書には、皇孫の国が天地とともに栄えるとする命、鏡を御魂として同じ殿に祭る命、高天原の斎庭の稲穂を授ける命が、それぞれ別の伝えとして収められる。[12]後世には一組の神勅として読まれてきたが、古典本文では異なる一書に属する。

伊勢鎮座の由緒は『日本書紀』の崇神天皇紀と垂仁天皇紀に見える。豊鍬入姫命が宮中から天照大神を移し、のちに倭姫命が鎮座地を求め、五十鈴川上に祭ったと伝える。[13]皇大神宮はこの由緒を受け継ぐ主要祭祀地だが、伝承上の紀年をそのまま考古学的な創建年とはできない。制度としての斎王は天武朝の大来皇女から明瞭になり、未婚の皇族女性が斎宮で暮らし、伊勢の祭祀に奉仕した。[14]

中世には天照大神を大日如来と重ねる神仏習合説や、外宮を重視する伊勢神道が発達した近世には御師、伊勢講、参宮の広がりを通じて信仰が各地へ届き、国学者は記紀を読み直した明治以後は神宮が国家祭祀の中心に置かれ、天照大御神は皇祖神として国民教化とも結びついた1945年の神道指令後、国家による神道の管理は廃止され、神宮は宗教法人として祭祀を続けている。神嘗祭、日別朝夕大御饌祭、神御衣祭、式年遷宮は、神話が各時代の制度、労働、技術、信仰の中で受け継がれてきたことを示している。

徹底解説

日の神の誕生は一つではない

『古事記』の天照大御神は、伊邪那岐命が禊で左の目を洗った時に生まれ、月読命、須佐之男命とともに三貴子とされる。[2]『日本書紀』本文では、伊弉諾尊と伊弉冉尊が日の神を生み、その光が世界を照らしたため天上へ送る。名は大日孁貴である。同書の一書には鏡から生まれる話と、伊弉諾尊の左目から生まれる話もある。[3]天照大御神の来歴は、最初から複数の神話が並び立つ形で伝えられてきた。

武装して弟を迎えた姉神

須佐之男命が高天原へ上ると、天照大御神は善意の訪問とは考えず、国を奪う意図を警戒した。髪を男性の髻のように結い、勾玉を巻き、弓矢を持ち、大地を踏み抜くほどの勢いで待ち受ける。二神は誓約を行い、剣と勾玉から子神を成して真意を確かめた。[4]この場面の天照大御神は、穏やかな慈母という一面だけでは捉えられない。領域と秩序を守り、来訪者へ証しを求める統治者である。

神衣の場と天石屋戸

須佐之男命は田や祭殿を荒らし、神衣を織る建物へ逆剥ぎの馬を投げ入れた。『古事記』では服織女が死に、『日本書紀』本文では天照大神が神衣を織っていて負傷し、一書では稚日女尊が死ぬ。[5][3]誰が織り、誰が傷ついたかは資料ごとに違う。その後、天照大御神が天石屋戸へ隠れると世界は暗くなり、災いが起こる。洞窟への退去は、田、祭、衣を支える秩序が破壊された結果として描かれている。

光を戻した神々の協働

八百万の神々は思金神の案をもとに、鏡、勾玉、榊、布、祝詞、長鳴鳥、舞を用意した。天宇受売命の舞で神々が笑うと、天照大御神は外が明るい理由を尋ねて戸を開く。鏡に映る輝く神を示され、さらに身を乗り出したところを天手力男神が外へ導いた。[5]一柱の英雄が救うのではなく、考える者、作る者、祈る者、舞う者、力を出す者がそれぞれの役目を果たして光を取り戻す。

洞窟口の光の中に現れる天照大御神と、前景で舞う天宇受売命、楽器と祭具を持つ神々を描いた縦長画面。
幸野楳嶺《天照大御神を岩戸から誘い出す場面》右幅
幸野楳嶺の二幅対右幅。洞窟口の光の中に天照大御神が現れ、前景では天宇受売命が舞う。
Kōno Bairei, late 19th century. The Metropolitan Museum of Art. Public Domain.

幸野楳嶺の二幅対右幅では、洞窟口の光の中に天照大御神が小さく現れ、前景で天宇受売命が舞う。[19]天照を単独の肖像として大きく描くのではなく、舞、音楽、祭具、群神を含む協働の場面として構成した明治期の作例である。

天石屋戸の場面を描く三枚続の左画面。八百万の神々、舞、楽器、洞窟の光景が横方向へ続く。
春斎年昌《岩戸開きの起源》左図
天石屋戸の場面を描く三枚続の中央画面。八百万の神々、舞、楽器、洞窟の光景が横方向へ続く。
春斎年昌《岩戸開きの起源》中図
天石屋戸の場面を描く三枚続の右画面。八百万の神々、舞、楽器、洞窟の光景が横方向へ続く。
春斎年昌《岩戸開きの起源》右図
春斎年昌《岩戸開きの起源》左図: 春斎年昌《岩戸開きの起源》三枚続の左画面。左196440・中196439・右196438の順で見る。
春斎年昌《岩戸開きの起源》中図: 春斎年昌《岩戸開きの起源》三枚続の中央画面。左196440・中196439・右196438の順で見る。
春斎年昌《岩戸開きの起源》右図: 春斎年昌《岩戸開きの起源》三枚続の右画面。左196440・中196439・右196438の順で見る。
Shunsai Toshimasa, Origin of the cave door dance, 1889, MAK – Museum of Applied Arts, Vienna, inventory 196440.
Shunsai Toshimasa, Origin of the cave door dance, 1889, MAK – Museum of Applied Arts, Vienna, inventory 196439.
Shunsai Toshimasa, Origin of the cave door dance, 1889, MAK – Museum of Applied Arts, Vienna, inventory 196438.

春斎年昌の1889年三枚続も、前景の舞手は天宇受売命、洞窟奥の光の中の女性が天照大御神、戸口の力持ちが天手力男神である。[20]三枚を左・中・右の正しい配置で見ると、後世の絵師が岩戸開きを一人の神の登場ではなく、群像劇として表したことが分かる。

鏡・皇孫・稲穂

天孫降臨で、天照大御神は高木神とともに邇邇芸命を葦原中国へ遣わす。『古事記』では八尺瓊勾玉、鏡、草薙剣を授け、鏡を自らの御魂として祭るよう命じる。[6]『日本書紀』の一書には、皇孫の国の永続を述べる命、鏡を同じ殿に祭る命、斎庭の稲穂を授ける命が伝わる。[12]これらは後世に一組の神勅として理解されてきたが、古典では別々の異伝に属する。伊勢の御神体とされる鏡は公開されず、外部から形状や年代を確かめることはできない。

伊勢と斎王

『日本書紀』は、豊鍬入姫命が宮中の天照大神を笠縫邑に祭り、倭姫命が鎮座地を求めて伊勢の五十鈴川上に祭ったと伝える。[13]この由緒は長く尊重されてきたが、伝承紀年を西暦へ換算して確定した創建年とはできない。制度としての斎王は天武朝の大来皇女から明瞭になり、未婚の皇族女性が伊勢の祭祀に奉仕した。斎宮跡は、この制度を考古学的にたどれる現実の遺跡である。[14]

神宮で続く食・衣・遷宮

皇大神宮では、新穀を奉る神嘗祭外宮から朝夕二度の食事を奉る日別朝夕大御饌祭絹と麻の神衣を奉る神御衣祭が行われる。神田、御園、御塩浜では祭祀に用いる米、野菜、果物、塩が作られる。式年遷宮では原則二十年ごとに正殿、装束、神宝を新たにし、祭祀と技術を次代へ伝える。二十年という周期の理由は古文書に明記されず、複数の説がある。第63回の諸祭は2025年に始まり、2033年秋の遷御が予定されている

中世から現代へ

中世には天照大神を大日如来と重ねる神仏習合説や、外宮を重視する伊勢神道が発達した近世には御師、伊勢講、参宮を通じて信仰が広がり、国学者は記紀を読み直した明治以後は神宮が国家祭祀の中心に置かれ、天照大御神は皇祖神として国民統合と結びついた戦後、国家による神道の管理は廃止され、神宮は宗教法人として再出発した。現在の信仰上の位置づけ、古代神話、祭祀制度、各時代の思想は互いに関係するが、同じ一つの時代の事実ではない。天照大御神の像は、それらが長い時間の中で重なって形成されてきた。

妖怪設定

この区画は物語を楽しむための当サイト独自の設定です。史実・考証ではありません。

妖怪タイプ
神々
カテゴリ
神霊・神格
レアリティ
神格
性格
警戒心と判断力を備えた威厳ある統治者。秩序を乱す行為には厳しく、誓約によって真意を確かめる。深く傷ついた時には天石屋戸へ退くが、他の神々の知恵、技、舞、力を受け入れて再び外へ出る。全知全能というより、祭祀と役割の秩序を重んじる神である。
相性
約束を守り、役割を引き受け、食、衣、農、工芸、芸能を丁寧に扱う人と相性がよい。異なる技能を持つ人と協力し、言葉と行いを一致させる姿勢を尊ぶ。他者の仕事や聖域を面白半分に壊し、権威だけを振りかざす人とは相容れにくい。
能力・特技
日の神としての光高天原の統治誓約による真意の確認高木神と進める皇孫派遣鏡による御魂の奉斎神衣・織物との結びつき稲穂・神饌・祭祀秩序との結びつき
弱点
田、祭殿、神衣の場を破壊する暴行は天照大御神を天石屋戸へ退かせる。外界を閉ざせば自らの光も共同体へ届かず、危機の解決には思金神、天宇受売命、天手力男神、祭具を作る神々の働きが必要となる。固定の退治法や属性弱点はない。
生息地
神話では高天原を治め、天石屋戸へ退く。現実の主要祭祀地は三重県伊勢市の皇大神宮である。高天原と天石屋戸は神話上の場所であり、各地の「天岩戸」はそれぞれの地域伝承として区別する。

出典・参考文献

20
  1. 國學院大學古事記学センター「天照大御神」國學院大學古事記学センター(國學院大學, 現行(2026年8月確認)) [大学研究データベース] 二次資料
  2. 『古事記』「みそぎ②」「三貴子の分治」太安万侶撰(國學院大學古事記学センター, 和銅5年(712)成立) [古典本文・大学校訂]備考: 「三貴子の分治」への深リンクも同センター内で照合。
  3. 『日本書紀』神代巻上舎人親王ら撰(京都大学附属図書館, 養老4年(720)成立) [古典籍画像・一次資料]
  4. 『古事記』「うけひ」太安万侶撰(國學院大學古事記学センター, 和銅5年(712)成立) [古典本文・大学校訂]
  5. 『古事記』「天の石屋①〜③」太安万侶撰(國學院大學古事記学センター, 和銅5年(712)成立) [古典本文・大学校訂]備考: 「天の石屋①」から③までを同センター内で照合。
  6. 『古事記』「天孫降臨①〜②」太安万侶撰(國學院大學古事記学センター, 和銅5年(712)成立) [古典本文・大学校訂]備考: 「天孫降臨①」と②を同センター内で照合。
  7. 神宮「皇大神宮(内宮)」神宮司庁(神宮, 現行(2026年8月確認)) [祭祀主体による公式資料] 参考資料
  8. 神宮「神嘗祭」神宮司庁(神宮, 現行(2026年8月確認)) [祭祀主体による公式資料] 参考資料
  9. 神宮「日別朝夕大御饌祭」神宮司庁(神宮, 現行(2026年8月確認)) [祭祀主体による公式資料] 参考資料
  10. 神宮「神御衣祭」神宮司庁(神宮, 現行(2026年8月確認)) [祭祀主体による公式資料] 参考資料
  11. 神宮「式年遷宮とは/第63回神宮式年遷宮」神宮司庁(神宮, 現行(2026年8月確認)) [祭祀主体による公式資料] 参考資料備考: 「式年遷宮とは」と第63回の諸祭・日程ページも神宮公式内で照合。
  12. 『日本書紀』神代巻下舎人親王ら撰(京都大学附属図書館, 養老4年(720)成立) [古典籍画像・一次資料]
  13. 『日本書紀』崇神・垂仁天皇紀舎人親王ら撰(日本書紀全文検索, 養老4年(720)成立) [古典本文・検索補助]備考: 崇神天皇紀と垂仁天皇紀を照合。検索補助用の翻刻であり、公的校訂版としては扱わない。
  14. 三重県立斎宮歴史博物館「斎王・斎宮年表」斎宮歴史博物館(三重県, 現行(2026年8月確認)) [公立博物館資料] 参考資料
  15. 國學院大學「伊勢神道」國學院大學(國學院大學デジタルミュージアム, 現行(2026年8月確認)) [大学学術事典] 参考資料
  16. 國學院大學「伊勢信仰」國學院大學(國學院大學デジタルミュージアム, 現行(2026年8月確認)) [大学学術事典] 参考資料
  17. 國學院大學「State Shintō」國學院大學(國學院大學デジタルミュージアム, 現行(2026年8月確認)) [大学学術事典] 参考資料
  18. アジア歴史資料センター「神道指令」アジア歴史資料センター(国立公文書館, 現行(2026年8月確認)) [公的歴史資料解説] 参考資料
  19. 幸野楳嶺《Luring the Sun Goddess Amaterasu Out of a Cave with Music》二幅対右幅幸野楳嶺(The Metropolitan Museum of Art, 19世紀後半) [美術館所蔵作品]
  20. 春斎年昌《Origin of the cave door dance》三枚続春斎年昌(MAK – Museum of Applied Arts, Vienna, 1889年) [美術館所蔵作品]備考: 三枚続は左196440・中196439・右196438の順。

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