日本の神話において、神々の住まう天上の世界 ── それが「高天原(たかまがはら)」である。太陽の女神·天照大神(あまてらすおおみかみ)を主宰の神とし、数えきれぬ神々がこの天の高みに集うとされた。
地上の人の世「葦原中国(あしはらのなかつくに)」、地の底の死の国「黄泉(よみ)」── 日本神話が描く三層の世界の、最も高きところに位置するのが、この高天原である。天照が岩戸に隠れた天岩戸の物語も、皇統の起源とされる天孫降臨も、すべてはこの天上の世界から始まった。本稿は、日本神話の源流ともいうべき神々の天界をたどる。
天つ神の世界
高天原は、天上にあるとされた神々の国である。『古事記』では、天地のはじめに、まずこの高天原に造化三神(ぞうかさんしん)をはじめとする神々が次々と成り出でたと語られる[1]。世界の創成が、この天の高みから始まったのである。最初に現れた天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)をはじめとする造化三神は、姿を見せることなく身を隠したと伝わる。続いて男女の対をなす神々が次々と生まれ、やがてイザナギ·イザナミの二神が、国生み·神生みの大業を担うことになる。
ここに住まう神々を「天津神(あまつかみ)」と呼び、地上に現れた「国津神(くにつかみ)」と区別した。日本神話の世界は、天上の高天原、地上の葦原中国、そして地中の根の国·黄泉という三つの層から成る[1]。高天原は、そのいただきに位置する、最も清らかで神聖な世界とされた。地の底の暗い死の国である黄泉とは、まさに対極をなす場所であった。
天照大神の統べる天界
高天原を統べるのは、太陽の女神·天照大神である。天照大神は、父神イザナギが黄泉の穢れを清める禊(みそぎ)によって生まれ、そのとき「高天原を治めよ」と命じられた[1]。光をつかさどる女神が、最も高き天の世界を治める ── そのことに、古代の人々の世界観がよく表れている。このときイザナギの禊からは、天照大神とともに、夜をつかさどる月読命(つくよみのみこと)、海原をつかさどる須佐之男命も生まれた。三柱はあわせて「三貴子(みはしらのうずのみこ)」と呼ばれ、なかでも天照大神が、最も貴い神とされたのである。
神話に描かれる高天原は、神々の住む天上界でありながら、どこか地上の営みを映してもいる。そこには天之安河(あめのやすかわ)が流れ、水田が広がり、機織りをする忌服屋(いみはたや)もあったと記される[1]。神々もまた稲を育て、布を織る ── 天界は、稲作に生きた古代日本人が、自らの世界を映して思い描いた、理想の天上であった。
天岩戸の物語
高天原を舞台とする神話のなかで、最もよく知られるのが「天岩戸(あまのいわと)」の物語である。
天照大神の弟·須佐之男命(すさのおのみこと)が、高天原で田の畔を壊し、機織り小屋に皮を剥いだ馬を投げ入れるなど、乱暴のかぎりを尽くした。これを嘆いた天照大神は、天岩戸と呼ばれる岩の洞窟に閉じこもってしまう。太陽の女神が姿を隠したことで、高天原も葦原中国も、ことごとく闇に包まれた[1]。
困り果てた八百万(やおよろず)の神々は、天安河原(あめのやすかわら)に集まって会議を開く。そして、常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を鳴かせ、八咫鏡(やたのかがみ)や勾玉を木の枝に捧げて、岩戸の前で盛大な祭りを執り行った。そして、岩戸の前で天宇受売命(あめのうずめ)が舞い、神々がどっと笑い、その声につられて天照がわずかに岩戸を開けたところを、力自慢の天手力男神(あめのたぢからお)が岩戸を一気に引き開けた ── こうして世界に光が戻った。なお、このとき投げ放たれた岩戸が、はるか信濃の地に落ちて山になったとする伝説が、戸隠山に伝わっている。
天孫降臨
高天原の神々の物語は、やがて、地上の統治へと向かっていく。
天照大神は、葦原中国を治めるべき地と定め、その平定を進めた。出雲を治める大国主神(おおくにぬしのかみ)が、天津神に国を譲り渡す「国譲り」がなされ、地上は天津神の治める世界となった。地上の平定が成ると、天照大神は孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)を地上へ遣わした。これが「天孫降臨」である。ニニギは高天原から、筑紫の日向(ひむか)の高千穂峰(たかちほのみね)へと天降った[2]。
このとき天照大神がニニギに授けたのが、八咫鏡(やたのかがみ)·草薙剣(くさなぎのつるぎ)·八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の「三種の神器」である[2]。皇位継承の象徴とされるこの神宝は、高天原から地上へともたらされた。そして、ニニギの子孫が初代·神武天皇となり、皇統につながっていくとされる[2]。天上の世界と地上の王権を結ぶ ── それが天孫降臨の神話であった。
三つの世界の、いただきに
天上の高天原、地上の葦原中国、地下の黄泉。この三層の世界観のなかで、高天原は、光と秩序と生命をつかさどる、最も高き神聖な世界として描かれた。
その主宰神·天照大神は、今も伊勢神宮の内宮に祀られ、日本の総氏神として崇敬を集めている。神話の天上世界は、目には見えずとも、伊勢の杜(もり)を通じて、今を生きる私たちの世界とたしかに結ばれている。天照を祀る聖地については伊勢神宮内宮に、地の底の死の国については黄泉に詳しい。天と地と地下 ── 三つの世界をあわせて見わたすとき、日本人が思い描いた壮大な神話の宇宙が、その全き姿をあらわすだろう。
