長野市の北西、深い杉木立に抱かれてそびえる戸隠山。戸隠神社の五社が山中に点在する、北信濃きっての霊山である。この山には、三つの伝説が地層のように積み重なっている ── 天照大神を岩戸から導き出した神話、水を司る九頭龍の信仰、そして都から流された鬼女·紅葉の物語。
神と、龍と、鬼。本来まじわらぬはずの三者が、なぜ一つの山に同居するのか。本稿は、戸隠山に折り重なる伝説の層をたどる。
投げられた岩戸
戸隠という名は、日本神話の核心 ── 天岩戸の物語に由来する。天照大神が天岩戸に隠れて世が闇に閉ざされたとき、怪力の神·天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)が岩戸をこじ開け、大神を外へ導き出した[1]。このとき、天手力雄命が投げ飛ばした岩戸が、はるか信濃の地に落ちて戸隠山になった[1]と伝わる。「戸を隠した山」── 戸隠の名は、こうして生まれた。天岩戸の神話は、闇に呑まれた太陽がふたたび姿を現す ── 死と再生、光の回復をめぐる物語である。その岩戸が落ちた山とされることで、戸隠は神話的な力を帯びた特別な地として観念された。山そのものが、神々の事績を刻んだ証として崇められたのである。
戸隠神社は奥社·中社·宝光社·九頭龍社·火之御子社の五社からなり、その奥社の祭神が、岩戸を投げた天手力雄命である[1]。神話の一場面が、そのまま一つの山の縁起となり、五つの社へと展開している ── 戸隠は、神話を地形に刻みこんだ山なのである。
九頭龍の水神
戸隠には、天手力雄命が祀られるより古くから鎮まる神がいる。九頭龍大神である。九頭龍社に祀られる九頭龍大神は、戸隠の地主神であり、水を司る龍神として、雨乞い·縁結び·歯痛にご利益があるとされる[1]。
九つの頭をもつ龍 ── その姿は、水源の山に対する古い畏れを映している。山に降る雨は谷を満たし、里の田を潤す。その水の根源を握る存在として、龍はあがめられた。雨乞いの神であると同時に歯痛の神でもあるという、一見ふしぎな取り合わせも、荒ぶる水神を鎮めれば災いも除かれるという、素朴な信仰のあらわれであろう。戸隠は修験道·山岳信仰の一大霊場として栄え[1]、岩戸の神話と龍の信仰が、修験者たちの修行のなかで分かちがたく結びついていった。
五社をめぐる山
戸隠神社は、一つの社殿を指す名ではない。山中に点在する五つの社 ──奥社·中社·宝光社·九頭龍社·火之御子社[1]の総称である。岩戸を投げた天手力雄命を祀る奥社へは、樹齢数百年といわれる杉が立ち並ぶ長い参道をたどる。その途中に建つ朱塗りの随神門は、戸隠を象徴する景観として知られる。中社·宝光社には学問や開運の神が祀られ、九頭龍社には古い地主神·九頭龍大神が鎮まる。一つの山を歩きながら、神話の神、学問の神、水の龍神を順に詣でる ── 戸隠の参拝は、それ自体が伝説の層をたどる旅でもある。
鬼女紅葉と平維茂
神と龍の山には、もう一つ、鬼の物語が刻まれている。鬼女·紅葉(もみじ)の伝説である。

紅葉狩
「紅葉狩(もみじがり)」は、信濃国戸隠山に巣くう鬼女紅葉(もみじ)を平維茂(たいらのこれもち、惟茂とも)が討つ物語として、中世以降の芸能・文芸に広く伝承された主題であり、その演目名でもある。室町後期の謡曲『紅葉狩』を起点に、近世の歌舞伎・浄瑠璃へと展開し、紅葉狩りに興じる美しい女たちが実は鬼女であり、武将が神仏の加護を得て正体を見破り討伐するという筋立てが定型化した。 この主題の魅力は、艶やかな酒宴と凄惨な鬼退治とが一曲のうちに反転する点にある。錦秋の山に遊ぶ高貴な美女が舞い、酒を勧め、武将を眠りに誘う前半の優雅さが、後半で牙を剥く鬼女の本性と鋭く対をなす。能では前シテの美女と後シテの鬼女を同一の演者が演じ分け、紅葉という名そのものが「美しさの下に潜む鬼」という両義性を体現する。 鬼女紅葉の像は、戸隠・鬼無里(きなさ)・別所温泉といった信濃各地の地域伝承と、能を頂点とする芸能作品とが互いに影響しあって形づくられた。土地では薬・手芸・文芸に長けた貴女として慕われる一方、中央の物語では討たれるべき鬼として描かれ、その落差が紅葉伝説の厚みを生んでいる。
詳しく見る美しい姫君が、山深い地で人を喰らう鬼へと変わる ── その落差の凄まじさが、紅葉の物語を忘れがたいものにしている。伝説によれば、紅葉はもと都に生きた女であったが、信濃の戸隠へ流され、やがて鬼女と化して土地の人々を苦しめたという。これを討ったのが、平維茂である。朝廷の命を受けた維茂が、戸隠山に分け入って鬼女紅葉を退治した ── 美しい女が、山の奥で恐ろしい鬼へと変わる。嫉妬や情念のはてに女が鬼となる物語は各地にあるが、紅葉の伝説は、それを戸隠という具体の霊山に結びつけた点に特色がある。戸隠周辺には、この伝説にちなむ地名が今も残ると語られる。紅葉の伝説には、いくつもの異伝がある。都で生まれた呉葉(くれは)という女が、のちに紅葉と名を変え、信濃の地で一党を率いて勢力を張ったとも語られる。鬼女とされたその姿の裏に、中央の支配に従わなかった在地の者の影を読む見方もある。維茂の討伐も一度では成らず、神仏の加護を得てようやく紅葉を斃したと伝わる ── 鬼を討つ物語には、しばしば、討たれる側の声が幽かに残っている。
能《紅葉狩》── 紅葉の宴の罠
紅葉の物語を、舞台の芸術へと昇華したのが、能《紅葉狩(もみじがり)》である。作者は観世小次郎信光[2]── 大江山の酒呑童子を描いた《大江山》の作者でもあり、鬼を題材とする壮麗な能を得意とした人である。
物語はこう進む。平維茂が戸隠山で紅葉狩の宴に興じる美しい女たちに出会う。維茂はその舞と酒に酔い、眠りに落ちてしまう。だが夢のなかに八幡神の使いが現れ、神剣を授ける。目覚めた維茂は、女たちの正体が鬼女であることを見抜き、神剣をもってこれを討つ[2]。紅葉に染まる秋の山の華やかな宴が、一転して鬼との死闘へと変わる ── その鮮烈な転換が、この曲を能のなかでも屈指の人気曲にした。五番目物(鬼物)に分類され、各流派で今も舞われている[2]。
三つの伝説が、
重なる山
戸隠山のおもしろさは、性格の異なる三つの伝説が、一つの山に積み重なっている点にある。
天照大神を救った神の岩戸が落ちた、神話の山。九つの頭をもつ龍が水を司る、水神の山。そして、美しい女が鬼と化し、武士に討たれた、鬼女の山。光の神話と、水の信仰と、鬼の物語 ── まるで地層のように、時代の異なる伝説が折り重なっている。修験の行者たちは、この重層した聖地を歩きながら、神と龍と鬼のすべてに祈りを捧げてきた。一つの山が、これほど多彩な顔をもつことは珍しい。
かつて戸隠は「戸隠十三谷三千坊」と称されるほど、多くの僧坊が谷々に立ち並ぶ一大霊場であった。全国から修験者と参拝者を集め、その賑わいは比叡·高野にもなぞらえられた。明治の神仏分離をへて寺は神社へと姿を変えたが、奥社へ続く杉並木の荘厳さも、九頭龍への篤い祈りも、今なお絶えていない。近年は屈指のパワースポットとして、また名高い戸隠そばの里として、四季を通じて多くの人がこの霊山を訪れている。
戸隠は、信濃の山岳信仰の奥深さを、もっともよく示す霊山の一つである。信濃国全体については信濃国の妖怪事典、長野県全体については長野県の妖怪事典も併せて読まれたい。
