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戸隠山 岩戸·龍·鬼女の山 ── 戸隠山

天手力雄·九頭龍·紅葉。神話と鬼女が重なる北信の霊峰

岩戸·龍·鬼女の山 ── 戸隠山

戸隠山 · とがくしやま

別称: 戸隠
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長野市の北西、深い杉木立に抱かれてそびえる戸隠山。戸隠神社の五社が山中に点在する、北信濃きっての霊山である。この山には、三つの伝説が地層のように積み重なっている ── 天照大神を岩戸から導き出した神話、水を司る九頭龍の信仰、そして都から流された鬼女·紅葉の物語。

神と、龍と、鬼。本来まじわらぬはずの三者が、なぜ一つの山に同居するのか。本稿は、戸隠山に折り重なる伝説の層をたどる。

投げられた岩戸

戸隠という名は、日本神話の核心 ── 天岩戸の物語に由来する。天照大神が天岩戸に隠れて世が闇に閉ざされたとき、怪力の神·天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)が岩戸をこじ開け、大神を外へ導き出した。このとき、天手力雄命が投げ飛ばした岩戸が、はるか信濃の地に落ちて戸隠山になったと伝わる。「戸を隠した山」── 戸隠の名は、こうして生まれた。天岩戸の神話は、闇に呑まれた太陽がふたたび姿を現す ── 死と再生、光の回復をめぐる物語である。その岩戸が落ちた山とされることで、戸隠は神話的な力を帯びた特別な地として観念された。山そのものが、神々の事績を刻んだ証として崇められたのである。

戸隠神社は奥社·中社·宝光社·九頭龍社·火之御子社の五社からなり、その奥社の祭神が、岩戸を投げた天手力雄命である。神話の一場面が、そのまま一つの山の縁起となり、五つの社へと展開している ── 戸隠は、神話を地形に刻みこんだ山なのである。

九頭龍の水神

戸隠には、天手力雄命が祀られるより古くから鎮まる神がいる。九頭龍大神である。九頭龍社に祀られる九頭龍大神は、戸隠の地主神であり、水を司る龍神として、雨乞い·縁結び·歯痛にご利益があるとされる

九つの頭をもつ龍 ── その姿は、水源の山に対する古い畏れを映している。山に降る雨は谷を満たし、里の田を潤す。その水の根源を握る存在として、龍はあがめられた。雨乞いの神であると同時に歯痛の神でもあるという、一見ふしぎな取り合わせも、荒ぶる水神を鎮めれば災いも除かれるという、素朴な信仰のあらわれであろう。戸隠は修験道·山岳信仰の一大霊場として栄え、岩戸の神話と龍の信仰が、修験者たちの修行のなかで分かちがたく結びついていった。

五社をめぐる山

戸隠神社は、一つの社殿を指す名ではない。山中に点在する五つの社 ──奥社·中社·宝光社·九頭龍社·火之御子社の総称である。岩戸を投げた天手力雄命を祀る奥社へは、樹齢数百年といわれる杉が立ち並ぶ長い参道をたどる。その途中に建つ朱塗りの随神門は、戸隠を象徴する景観として知られる。中社·宝光社には学問や開運の神が祀られ、九頭龍社には古い地主神·九頭龍大神が鎮まる。一つの山を歩きながら、神話の神、学問の神、水の龍神を順に詣でる ── 戸隠の参拝は、それ自体が伝説の層をたどる旅でもある。

鬼女紅葉と平維茂

神と龍の山には、もう一つ、鬼の物語が刻まれている。鬼女·紅葉(もみじ)の伝説である。

紅葉狩

もみじがり

「紅葉狩(もみじがり)」は、信濃国戸隠山に巣くう鬼女紅葉(もみじ)を平維茂(たいらのこれもち、惟茂とも)が討つ物語として、中世以降の芸能・文芸に広く伝承された主題であり、その演目名でもある。室町後期の謡曲『紅葉狩』を起点に、近世の歌舞伎・浄瑠璃へと展開し、紅葉狩りに興じる美しい女たちが実は鬼女であり、武将が神仏の加護を得て正体を見破り討伐するという筋立てが定型化した。 この主題の魅力は、艶やかな酒宴と凄惨な鬼退治とが一曲のうちに反転する点にある。錦秋の山に遊ぶ高貴な美女が舞い、酒を勧め、武将を眠りに誘う前半の優雅さが、後半で牙を剥く鬼女の本性と鋭く対をなす。能では前シテの美女と後シテの鬼女を同一の演者が演じ分け、紅葉という名そのものが「美しさの下に潜む鬼」という両義性を体現する。 鬼女紅葉の像は、戸隠・鬼無里(きなさ)・別所温泉といった信濃各地の地域伝承と、能を頂点とする芸能作品とが互いに影響しあって形づくられた。土地では薬・手芸・文芸に長けた貴女として慕われる一方、中央の物語では討たれるべき鬼として描かれ、その落差が紅葉伝説の厚みを生んでいる。

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美しい姫君が、山深い地で人を喰らう鬼へと変わる ── その落差の凄まじさが、紅葉の物語を忘れがたいものにしている。伝説によれば、紅葉はもと都に生きた女であったが、信濃の戸隠へ流され、やがて鬼女と化して土地の人々を苦しめたという。これを討ったのが、平維茂である。朝廷の命を受けた維茂が、戸隠山に分け入って鬼女紅葉を退治した ── 美しい女が、山の奥で恐ろしい鬼へと変わる。嫉妬や情念のはてに女が鬼となる物語は各地にあるが、紅葉の伝説は、それを戸隠という具体の霊山に結びつけた点に特色がある。戸隠周辺には、この伝説にちなむ地名が今も残ると語られる。紅葉の伝説には、いくつもの異伝がある。都で生まれた呉葉(くれは)という女が、のちに紅葉と名を変え、信濃の地で一党を率いて勢力を張ったとも語られる。鬼女とされたその姿の裏に、中央の支配に従わなかった在地の者の影を読む見方もある。維茂の討伐も一度では成らず、神仏の加護を得てようやく紅葉を斃したと伝わる ── 鬼を討つ物語には、しばしば、討たれる側の声が幽かに残っている。

能《紅葉狩》── 紅葉の宴の罠

紅葉の物語を、舞台の芸術へと昇華したのが、能《紅葉狩(もみじがり)》である。作者は観世小次郎信光── 大江山の酒呑童子を描いた《大江山》の作者でもあり、鬼を題材とする壮麗な能を得意とした人である。

物語はこう進む。平維茂が戸隠山で紅葉狩の宴に興じる美しい女たちに出会う。維茂はその舞と酒に酔い、眠りに落ちてしまう。だが夢のなかに八幡神の使いが現れ、神剣を授ける。目覚めた維茂は、女たちの正体が鬼女であることを見抜き、神剣をもってこれを討つ。紅葉に染まる秋の山の華やかな宴が、一転して鬼との死闘へと変わる ── その鮮烈な転換が、この曲を能のなかでも屈指の人気曲にした。五番目物(鬼物)に分類され、各流派で今も舞われている

三つの伝説が、
重なる山

戸隠山のおもしろさは、性格の異なる三つの伝説が、一つの山に積み重なっている点にある。

天照大神を救った神の岩戸が落ちた、神話の山。九つの頭をもつ龍が水を司る、水神の山。そして、美しい女が鬼と化し、武士に討たれた、鬼女の山。光の神話と、水の信仰と、鬼の物語 ── まるで地層のように、時代の異なる伝説が折り重なっている。修験の行者たちは、この重層した聖地を歩きながら、神と龍と鬼のすべてに祈りを捧げてきた。一つの山が、これほど多彩な顔をもつことは珍しい。

かつて戸隠は「戸隠十三谷三千坊」と称されるほど、多くの僧坊が谷々に立ち並ぶ一大霊場であった。全国から修験者と参拝者を集め、その賑わいは比叡·高野にもなぞらえられた。明治の神仏分離をへて寺は神社へと姿を変えたが、奥社へ続く杉並木の荘厳さも、九頭龍への篤い祈りも、今なお絶えていない。近年は屈指のパワースポットとして、また名高い戸隠そばの里として、四季を通じて多くの人がこの霊山を訪れている。

戸隠は、信濃の山岳信仰の奥深さを、もっともよく示す霊山の一つである。信濃国全体については信濃国の妖怪事典、長野県全体については長野県の妖怪事典も併せて読まれたい。

戸隠山の妖怪一覧3

戸隠山ゆかりの妖怪を網羅したリスト。記事内で取り上げきれなかった伝承も含む。

  • 天手力男神

    天手力男神

    神格

    あめのたぢからをのかみ

    岩戸を開く力の神・天手力男神

    神霊・神格高天原・天岩戸神話 / 伊勢国佐那県 (現·三重県多気郡周辺) / 戸隠神社奥社・戸隠山 (現·長野県長野市戸隠)

    天手力男神を「力の神」と呼ぶだけでは、この神の本当の鋭さは見えてこない。『古事記』の天の石屋③で彼が動くのは、八百万の神々が騒ぎ、天宇受売命が舞い、天児屋命と布刀玉命が鏡を差し出し、天照大御神が戸の内側から外をうかがい始めた、まさにその瞬間である。手力男神は場を支配する演出家ではない。知恵を出す思金神、舞で笑いを起こす天宇受売命、祝詞と鏡を担う天児屋命・布刀玉命の働きが積み重なったのち、脇に隠れていた彼だけが、神の御手を直接取る。神話のなかで「触れる」ことは重い。太陽神を無理に引きずり出すのではなく、外へ向かいかけたそのわずかな動きを逃さず、世界の側へ確定させる。彼の力は、腕力であると同時に、時機を読む力である。 天岩戸神話の解決は、複数の神々の共同作業として組み立てられている。國學院大學の器物データベースが指摘するように、この場面には卜骨、鍛冶、鏡、玉、布、榊といった古代祭祀の要素が重なっている。思金神は考え、伊斯許理度売命は鏡を作り、玉祖命は勾玉を作り、天児屋命と布刀玉命は儀礼と言葉を担い、天宇受売命は笑いと舞によって内に閉じた天照の意識を外へ向ける。手力男神はこの全体のなかで、もっとも短く、もっとも不可逆な動作を担う。準備された祭祀が現実を変えるには、最後に「開く」身体が必要だった。だから彼の神格は、単独の怪力よりも、儀礼が世界へ接触する最後の一点に宿る。 『古事記』では、手力男神が天照の御手を取って引き出すと、すぐに布刀玉命が尻久米縄を後方に引き渡し、「これより内へ戻ることはできない」と告げる。この順序は重要である。開くことと、戻れなくすることが連続しているからだ。光の復帰は、扉を一時的に開けるだけでは成立しない。閉じこもりの状態を終わらせ、その境界を注連縄で封じ、闇が再び世界を覆わないようにする必要があった。手力男神は、岩戸の内と外、闇と光、隠退と再臨の境目に手をかける神であり、布刀玉命の縄と組になることで、神話上の「復光」を完成させる。 『日本書紀』系の異伝を踏まえると、この神の働きはさらに立体的になる。國學院大學の天の石屋③注釈は、『日本書紀』七段本書では手力雄神が天照大神の手を承けて引き出し、一書三では天手力雄神が磐戸の側に侍り、磐戸を引き開ける形で描かれることを紹介している。『古事記』が「御手」に焦点を置くなら、『日本書紀』の一書は「磐戸」そのものへ焦点を移す。どちらにしても、彼は閉塞を開く神である。対象が神の手であれ、岩の戸であれ、手力男神の働きは境界の突破にある。名に含まれる「手」は、ただ筋力の象徴ではなく、神と世界のあいだに直接介入する器官として読める。 天孫降臨②における再登場は、天岩戸の一場面を伊勢祭祀へ結び直す。本文では、五伴緒が天降るのに加え、八尺勾玉・鏡・草那芸剣、そして常世思金神・手力男神・天石門別神が副えられる。さらに鏡は天照大御神の御魂として祭るべきものとされ、手力男神は佐那々県に坐すと記される。ここで彼は、岩戸を開いた一瞬の英雄から、天照の御魂を地上へ移す祭祀秩序の一員へ変わる。思金神が祭祀と政を支え、天石門別神が御門の神として置かれるなら、手力男神は神宝が天から地へ降りる際の境界移行を支える力である。天岩戸を開いた手は、今度は高天原から葦原中国へ降る神宝の列に添えられる。 戸隠神社は、この神話的役割を山のかたちに変えた聖地である。公式由緒によれば、戸隠神社は高天原の天岩戸開き神話ゆかりの神々を祀り、奥社には天手力雄命、中社には天八意思兼命、火之御子社には天鈿女命を祀る。これは、神話の配役が戸隠の五社に展開されたような構造である。さらに、手力雄命が押し開いた岩戸が下界に落ちて戸隠山になったという伝説は、「戸を隠す」という地名そのものを天岩戸の記憶に接続する。古事記のなかで一瞬だけ開いた戸は、戸隠では山として残る。手力男神は、見えない高天原の出来事を、登拝できる山岳信仰へ変換する神でもある。 現代において天手力男神が開運、心願成就、五穀豊熟、スポーツ必勝の神として信仰されるのは、名義から見れば自然である。だが、ここでいう力は、相手をねじ伏せる力ではない。天岩戸の物語では、力だけで戸を破壊しても天照は戻らなかっただろう。知恵、祭具、笑い、鏡、言葉が揃い、天照自身が外へ意識を向けた時にだけ、手力男神の手は世界を変える。だからこの神に祈るとは、闇雲な突破を願うことではなく、準備を尽くしたうえで、最後の一歩を迷わず引き出す力を願うことに近い。閉じた扉がある。だが、扉の前で待つ力もまたある。天手力男神は、その静かな待機と決定的な一手の神である。

  • 平維茂

    平維茂

    稀少

    たいらのこれもち

    鬼女紅葉を討つ余五将軍

    人妖・半人半妖信濃国戸隠·荒倉山 (現·長野県) / 別所温泉北向観音 (現·長野県上田市)

    平維茂は、妖怪の側ではなく妖怪を討つ側に立つ「鬼退治英雄」型の存在である。坂上田村麻呂が鈴鹿御前と大嶽丸を、源頼光が酒呑童子を平らげたように、維茂は戸隠の鬼女紅葉を討つ者として伝承に名を刻む。彼を英雄たらしめるのは純粋な武力ではなく、紅葉の妖術に一度は敗れ、神仏に祈って初めて鬼を制しうるという「人の力の限界」を物語が織り込んでいる点にある。 維茂像の面白さは、加護の主が伝承の媒体によって入れ替わる柔軟さにある。能では八幡神、別所系の実録では北向観音 ── 同じ武将が、土地の信仰や興行の都合に応じて異なる神仏に守られる。これは維茂が特定の神に固く結びついた存在ではなく、「神仏の加護で鬼を討つ武人」という型そのものを担う器であることを意味する。鬼無里が紅葉を貴女として慕うのに対し、維茂はあくまで中央の命を遂行する征討者であり、両者を併せて初めて紅葉伝説の善悪二面が立ち上がる。鬼を主役とする本図鑑において、維茂は「鬼を成立させる対の存在」として収録される稀な討伐者である。

  • 紅葉狩

    紅葉狩

    珍しい

    もみじがり

    戸隠山の鬼女紅葉・紅葉狩

    鬼・巨怪信濃国荒倉山·戸隠鬼無里(現·長野県) ── 『太平記』鬼女紅葉討伐

    室町から江戸にかけての能・浄瑠璃・歌舞伎で定着した鬼女像。紅葉見物を口実に都人風の女房や姫君の一行として現れ、器楽や舞で油断を誘う。酒宴で武士を酔わせるが、夜半、神の加護や霊剣により正体を見破られ、戸隠山中で本性を顕す。名は一般に紅葉とされ、作品により更科姫などの異名も見える。退治譚は武徳の顕彰と山岳の畏れを映し、戸隠信仰や鬼退治譚の語法を継承する。舞台芸能では前場の艶やかな仮の姿と、後場の荒々しい鬼相の対照が特徴。

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