伝統妖怪図鑑

古来より語り継がれてきた妖怪たち

475 妖怪|10 カテゴリ|2/20 ページ
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油赤子

油赤子

稀少

あぶらあかご

行灯油を嘗める油赤子

住居・器物滋賀県

本バージョンは、石燕の図像とその脚注が引用する江戸期随筆を基礎に、怪火譚の人格化としての赤子像を最小限に解釈する。核は「油盗みの火」であり、赤子姿は石燕の造形的示意と見るのが妥当である。行灯油は当時の生活必需で、寺社の供油は殊に尊ばれた。油を盗む振る舞いは宗教的・倫理的禁忌に触れ、死後に迷う火として語られた。後代の解説書には、火の玉が家に入り赤子となって油を嘗めるとする再話が見られるが、地域固有の口承の実例は限られ、広域に通有する定型は確認しにくい。従って本バージョンでは、怪火の発生(辻や社寺境内)、赤子像の顕現(行灯前で油を嘗める仕草)、再び火となって去る、という三段の型を提示しつつも、典拠未詳の細部は避け、象徴性(供物の油を穢すことへの戒め)を前面に置く。

油すまし

油すまし

稀少

あぶらすまし

草隅越の声 ── 油すまし

山野の怪熊本県

油すましの核心は「姿」ではなく「応答」にある。峠で誰かが噂を口にした瞬間に「今も出るぞ」と返す ── 語ることそのものが召喚になる、言葉に憑く妖怪である。蓑笠·芋頭の図像は水木しげるを経て広まった後世の造形で、天草の原伝承はあくまで声と気配だった。 背景には、天草で椿·山茶花の実から「片子油(かたしあぶら)」を搾った暮らしがある。乏しい油を盗み、あるいは無駄にした者への戒めが、峠の闇に油を提げた影として結晶したとみる説が有力で、油坊·油坊主など各地の油にまつわる怪と系譜を同じくする。栖本の草隅越に残る無名の石像が「墓」と結びついたのは近代の再解釈だが、在地の記憶が物に宿った好例といえる。

油日大明神

油日大明神

神格

あぶらひだいみょうじん

油日岳に火光とともに降臨せし甲賀の総社神

神霊・神格滋賀県

油日大明神は、自然霊·仏教·武家信仰が一柱に折り重なった甲賀固有の神格である。出発点は油日岳という神体山への山岳信仰で、山頂の岳神社に水神·罔象女神をまつる古層をとどめる。そこへ「油の火のような光とともに神が降った」という降臨譚が重なり、社名の由来として語られる。さらに室町期の縁起が聖徳太子を創建者·本地仏(如意輪観音)と結び、中世には甲賀武士が軍神としてあおぐ「甲賀の総社」へと展開した。「渡辺家文書」の起請文に名が挙がることは、油日大明神が甲賀の忍びにとって誓詞を立てる神であったことを示す。火光·神体山·軍神·火と油の守護という多面性は、甲賀という諜報·火術·修験の交わる土地の精神史を映す。

油坊

油坊

珍しい

あぶらぼう

比叡山麓の油盗み・油坊

人妖・半人半妖滋賀県

油坊の核は、寺社の灯火に供する油を私した咎が霊火となって顕れる点にある。近世の記録や地元伝承では、出現域は比叡山の山麓や近江各地の寺社周辺で、時刻は夕刻から夜半、季節は晩春から初夏に多いと語られる。形態は橙から黄の小火球、あるいは油壺を抱いた僧影として現れ、一定の径路を辿って門前・堂宇・池堤を越え、ふと消える。音声は不詳だが、地方伝承には不明瞭な声を伴うとする記述がある。呼称は地域により「油坊」「油盗人」「油返し」などと分化し、いずれも油に対する禁忌と供養の必要を示す民俗的教訓性を帯びる。由来人物や具体の寺名は史料ごとに異同があるため特定は避けられるが、油料の管理が厳格だった寺社社会の背景が怪異譚の成立を支えたと解される。鎮め方は読経や埋納、灯明の供え直しなどが語られるが、定式は不詳である。

安倍晴明

安倍晴明

伝説

あべのせいめい

宮廷陰陽師・安倍晴明

霊・亡霊京都府

史料に基づく宮廷陰陽師像を核に、後世の説話が付会して形成された晴明像。天文・暦道・卜占・祓の実務家としての側面が強く、反閇や禊、方違えなどの儀礼を司った。式神は本来、陰陽道の術理や補助的な霊的存在として語られ、家門伝授の秘法として象徴化された。祈雨や疫病平癒は、季節・星辰・方位の知と公的祭祀の実施により社会不安の調整機能を果たしたものと理解される。近世以降、晴明は土御門家の祖として権威化され、都鄙の社寺縁起や講談で霊験譚が増加。実在の官人としての記録と、妖怪譚における術者像が重なり、陰陽道の代表的名として固定化した。

甘酒婆

甘酒婆

名妖

あまざけばば

夜叩きの疫病婆・甘酒婆

人妖・半人半妖長野県

甘酒婆は流行性疾患の到来を象徴する来訪者として語られた。真夜中に戸を叩き、甘酒の有無を問う所作自体が禁忌の試しであり、応答は災いの媒介と理解された。人々は門口にスギ葉、ナンテン、トウガラシなどの防疫的象徴物を掲げ、声掛けへの応答を避けた。江戸各地では咳を鎮める老婆像への参詣が行われ、祈願と民間信仰が結び付いた。伝承は疱瘡流行の記憶と重なり、疱瘡神の変相とみる見解がある一方、寒夜の行商女の像を取り込み地域差を生んだ。妖怪像は「返答すれば患う」という禁忌構造、そして戸口での結界儀礼を伴って伝えられ、病の気配を知らせる予兆譚として位置づけられる。

天逆毎

天逆毎

名妖

あまのざこ

素戔嗚の猛気・天逆毎

神霊・神格『和漢三才図会』素戔嗚が吐いた猛気から生まれた神、高天原

本バージョンは『和漢三才図会』に見える記事を骨子とし、天逆毎を荒ぶる気から成った怪神として描く。容貌は人獣相で、鼻高く耳長く牙強しとされる。心気は常に逆立ち、筋道に従うことを厭い、あべこべを好む。強力な霊威を有し、強神をも遥かへ投げ散らすほどの腕力・気勢を誇ると記される。天邪鬼との観念的近縁は語られるが、系譜は一定せず、天狗の祖と断ずる見解は限定的である。天魔雄の母とする条は図会の引用範囲にとどまり、時代や地域の口承に広汎な裏付けは見出し難い。ここでは、典籍上の怪神としての性質—逆言・逆行・剛猛—を中心に整理し、近世図像や記述に即した範囲で像を保つ。

天邪鬼

天邪鬼

名妖

あまのじゃく

逆言逆行の小鬼・天邪鬼

鬼・巨怪岡山県静岡県

天邪鬼は、仏教図像における踏み付けられる悪鬼像と、民間での声まね・逆言を好む小鬼像が重なって成立したと理解される。寺社の四天王像・執金剛神像の足下に小鬼が置かれる例は多く、煩悩や邪心の制圧を示す。物語世界では、人心の裏を読み、頼み事に逆らい、命令の反対を実行して混乱を招く役回りが定型化している。一方で山野の説話では巨力をもつ存在として語られ、未完の石積や橋脚跡、山上の転石をその失敗譚に帰す。音の反響を天邪鬼の声とする解釈は、自然現象への擬人化の一例であり、地域により木霊や山彦と名称が交錯する。童話では『うりこ姫』に代表されるように、油断や欲心につけ入る試金石的な敵役として配され、教訓性を担う。総じて、天邪鬼は人の心の隙や逆意を映す存在として、像法・昔話・方言伝承にまたがって生きている。

アマビエ

アマビエ

伝説

あまびえ

肥後沖の予言光霊・アマビエ

人妖・半人半妖熊本県

弘化三年に出版されたと考えられる瓦版記事を基礎に、海上に現れて光を放ち、役人に予言を与えた像として再構成する。容姿は史料本文が「図の如く」として図版に依存するため、鱗状の身に長髪、くちばし様の口、三本状の脚部など、後世のアマビコ資料で指摘される要素との混同は避け、図像参照に留める。重点は予言と図像の頒布であり、疫病を直接鎮める旨の明言は見られない。諸国豊作六年と疫病流行の並行を知らせ、絵姿を示すことが民間の除災行為として受容された。地域的には肥後国起源として伝えられるが、同類譚は各地で確認され、名称や細部は異同がある。

網切

網切

稀少

あみきり

蚊帳を切る鋏手・網切

総称・汎称特定伝承地なし

この版本は、「蚊帳を切る鋏手」という後世的な読みを採りつつ、石燕図との距離を明確にする。石燕『画図百鬼夜行』の網切は、名と姿だけを提示する妖怪であり、原画だけからは「漁村の伝承妖怪」とも「蚊帳切りの怪談」とも断定できない。むしろ読者は、鋏状の前肢と「網剪」という名を手がかりに、何が切られるのかを補ってきた。 蚊帳は、夏の夜に人の眠りを守る薄い境界である。漁網は、水の中の獲物と人間の生活をつなぐ道具である。網切がそれらを切る妖怪として語られるとき、この妖怪は人を直接傷つけるより、暮らしを支える目の細かな仕組みを壊すものになる。裂かれた蚊帳の中で人が蚊に刺され、切られた漁網で漁ができなくなるという発想は、石燕の絵に生活上の損害を読み込む後世の想像力である。 髪切りとの違いも重要である。髪切りは人の身体に付いた髪を断ち、被害者の容貌や身分感覚に直接触れる。網切は、人の身体ではなく、網目・糸・布・境界を断つ。両者は鋏手と「切る」という働きで近いが、怪異の焦点はまったく違う。検索で髪を切る怪を探している読者は髪切りへ、網・蚊帳・漁具を切る怪を探している読者は網切へ進むのが正確である。

雨女

雨女

名妖

あめおんな

雨夜に子を攫う雨女

天候・災異長野県

雨女は史料上、石燕の画に端緒が見えるが、同書では楚の故事を踏まえた寓意が強く、単独の怪異像は薄い。各地の口承では二つの類型が目立つ。ひとつは雨夜に現れて子を狙う女の怪(信州の「雨おんば」など)で、夜道で泣く子に近づく、袋を負う、といった断片的モチーフが語られる。もうひとつは旱天に雨を招く霊格で、雨乞い・社人の祈祷と結びつき、恵雨の象徴として畏敬される。これらは相互に矛盾するというより、雨がもたらす利益と災厄を両面から表した民俗的解釈とみられる。近世以降、「雨を呼ぶ人」を指す俗称として個人に貼られる呼び名も定着したが、これは人格評であり妖怪像とは区別される。資料は地域差が大きく、具体の名前や典拠が不詳とされる話も多い。

天探女

天探女

名妖

あめのさぐめ

天稚彦の随行神・天探女

人妖・半人半妖大阪府

天探女は記紀に名が見える巫的性格の女神で、吉凶を告げる言葉が事態を転回させる存在として描かれる。天稚彦(天若日子)に随行したとされ、鳴女の声を不吉と断じた場面は、神意の伝達と言挙げが政治祭祀と結びついた古層の観念を反映する。『古事記』では天佐具売とし、『日本書紀』では天探女と異字を用いる。摂津国風土記逸文や万葉歌により、天磐船で高津に泊した伝承が知られ、難波の地名説話と結び付く。天津神か国神かの属性は史料ごとに揺れ、尊称の付与も一様でない点が特異である。民間伝承研究では、逆らい・へそ曲がりの性を帯びる天邪鬼の原像と目されることがあるが、直接の習合を断定しない立場もある。今日伝わる祭祀例は少なく、和歌山の平間神社では天佐具売命、相模の照天神社では縁を探す女神として伝承される。創作的付加を避け、史料記載の範囲でその性格は「占断・言挙げにより事態を動かす女神」と要約できる。

雨降小僧

雨降小僧

珍しい

あめふりこぞう

雨師に仕う侍童・雨降小僧

住居・器物石燕『今昔画図続百鬼』、中国雨師の侍童設定、画集発祥

鳥山石燕の図像を基調に、雨師に仕える侍童としての性格を前面化したバージョン。中骨を抜いた和傘を頭巾のように被り、手に提灯を持つ姿で現れる。出自は民間の口承よりも版本に根差し、黄表紙では小間使い的に登場する。雨と貴人奉仕の観念が重なり、小さ子神系の従者像として理解されてきた。雨そのものを呼ぶ明示的な神格は持たず、あくまで雨の権能を司る存在への従属が示唆されるに留まる。描写は一つ目・笠・提灯など時期や本によって揺れがあり、確定的な統一像はない。土地固有の来歴は不詳で、江戸の出版文化に支えられて広まった点が特徴である。

天降女子

天降女子

珍しい

あもろうなぐ

奄美の魂奪い天女・天降女子

霊・亡霊鹿児島県

天降女子は奄美大島の天女譚の派生として記録され、来訪女性が人の魂を奪う側面が強調される。出現は晴天でも細雨を伴い、白い風呂敷を負う異装が目印とされる。対象は主に若い男で、微笑と色香で近づき、応じれば命や魂を奪う。媒体として柄杓の水が用いられ、飲ませて天上へ連れ去るという禁忌が語られる。一方、民俗的防衛として「睨み返す」「飲み方の作法を守る」などの実践的知恵が添えられ、単なる怪異譚に留まらず、夜間外出や色事への戒め、客人応対の作法伝承と結び付く。名称は天降女・亜母礼女・羽衣美女など多様で、語形の差は地域的呼称の揺れと見られるが、核は「天より降る女・細雨・誘惑・魂奪取」で一貫する。近世以降の羽衣説話と混在するが、奄美の来訪神観念の影を濃く残す。

アヤカシ

アヤカシ

名妖

あやかし

西海の海上怪火・アヤカシ

総称・汎称海上の怪異·船幽霊の総称、地域ごとに指す対象が異なる

各地で海難に結び付けられた海上怪異の呼称としてのアヤカシ像を整理。姿は怪火・幻影・見女・海蛇など多様で、船を惑わせ進路を遮る、乗組員の注意を乱す、水を求める者を誘うなどの振る舞いが共通する。対馬では怪火が山に化すとされ、思い切って突き進むと霧散するという知恵が語られる。長崎では海上に漂う怪火、山口・佐賀では船幽霊として恐れられ、房総では井戸の女の怪として記録が残る。実在のコバンザメが船脚を鈍らせるとの俗信も名義を共有し、自然現象や航海不安の民俗的説明装置として機能した。鳥山石燕の図像では巨大な海蛇が示され、古来の海上怪の観念と結びつけられている。

生霊

生霊

伝説

いきりょう

嫉妬離魂の生霊

霊・亡霊生きた人の魂が抜け祟る汎日本的観念、『源氏物語』六条御息所

生霊の像は、怨恨による祟りと、臨終前の別れや礼参りといった穏やかな出現の二面を併せ持つ。平安の物怪観では、思いの強さが身を離れて「影」となり、寝所や輿車、門前に現れると考えられた。中世・近世には、夢中に見た景や、火の玉・抜け首としての目撃譚が離魂の証左とされた。医療観では離魂病・影の病として分類され、自分の分身を見たという証言も残る。呪詛作法の丑の刻参りは、生者が意図して念を遣う行いとしてしばし結び付けて語られるが、必ずしも同一ではない。地域伝承では名称や姿の解釈が異なり、足音を立てる人影として記す土地もある。これらは総じて「思いの凝り」が形を取る現象として把握され、死霊と対置される生者の霊的作用として語り継がれてきた。

伊草の袈裟坊

伊草の袈裟坊

珍しい

いぐさのけさぼう

落合橋の袈裟河童・伊草の袈裟坊

水の怪埼玉県

伊草の袈裟坊は地域の水辺ネットワークに属する河童として語られ、袈裟を象徴とする法体風の外見が特異点である。悪戯は通行妨害や重量付与など実害を伴い、ときに腸をめぐる供犠的観念と結びつく。近隣の河童名が併記される点は、各水系に点在する個別名を持つ河童群像の典型で、相互往来や縁組の観念が付随する。舞台は主に落合橋付近の流路で、夜分の往来が忌まれた。後代の記録では宮城県の例との混同記載も見られるが、当地では伊草の名で伝承が定着している。

池袋の女

池袋の女

珍しい

いけぶくろのおんな

江戸雇うと祟る・池袋の女

総称・汎称東京都

池袋出身の女を雇った家で、投石音、雨戸破損、食器や行灯の飛翔、座敷への火の飛来などの騒がしい怪異が連続するという江戸後期の俗信的伝承。発端として主人と下女の密通が置かれる例が多く、下女を暇にすると収束する定型を持つ。解釈は複数あり、氏神の氏子拘束観、秩父方面のオサキ憑き系譚との連関、あるいは人為(自作自演・嫌がらせ)と見る見方が併存する。妖怪個体像というより、特定出自の女性雇用に付随する怪事の総称として記録され、池尻・沼袋・目黒など同類地名にも派生例がある。

異獣

異獣

珍しい

いじゅう

越後魚沼の長髪獣・異獣

動物変化新潟県

本バージョンは天保期刊『北越雪譜』に記された像に拠る。姿は猿類に近いが人より大きく、長髪が頭頂から背へ流れ、山中の根笹を分けて現れる。人家を襲う意図は見えず、もっぱら飯を乞い、施しに報い荷を担ぐなどの行為を示す。織の産地である越後縮の生産民俗と関わり深く、機織り娘の逸話では、家内の作業規範や穢れ観念の只中に介在し、結果として期日に間に合わせる転機をもたらす。これは山の霊的存在が人の営為を眺め、取引や生産の循環に調和を作ると受けとめられた類型で、山神・山の客人への供食の慣習とも通じる。以後もしばしば目撃されたとされるが、時とともに山に帰し、名のみ伝わる。不詳の獣でありながら、害をなさず恩を返す点で、怪異と福の境に立つ存在として地域の口伝に残る。

磯女

磯女

名妖

いそおんな

磯女 ── 艫綱を伝う海辺の怪

磯女は、九州北西部の海辺に語られる女の海怪である。その姿は、上半身こそ潮に濡れた黒髪を垂らす若い女に見えるが、腰から下は輪郭が定まらず、波や霧に溶けて足跡を残さないとも、蛇の身であるともいう。背後にまわれば、ぬれた岩にしか見えないとも伝わる。長崎県南島原では、磯女は沖を凝視して立ち、声をかけた者に甲高い叫びを返し、長い髪を絡めて生血を吸うとされる。 その本領は、停泊中の舟を襲う点にある。熊本県天草では、夜半に艫綱(ともづな)を伝って舟に忍び込み、眠る者の顔に髪を被せて害する。そのため見知らぬ港で夜を明かすときは、艫綱を岸に取らず、錨だけを下ろす習いが守られた。艫綱という「岸と舟を結ぶ縄」を磯女が道として伝う、という観念がこの作法の根にある。 避けの呪いも各地に伝わる。島原半島では、屋根の苫(とま)から抜いた茅(かや)を三本、着物に乗せて眠れば、磯女の髪が絡まず守られるとされた。柳田國男監修『綜合日本民俗語彙』も、九州の沿岸に分布するこの女の海怪を、磯女・磯女房などの名で書きとめている。 磯女は、海坊主や船幽霊のように沖の只中で舟を直接襲う怪とは性格を異にする。磯辺・停泊地という、陸と海の境にあらわれる点にこそ磯女の特質があるとされ、水死者の怨霊や、夫を待ちわびて果てた女の念と結び付けて語る土地も多い。西日本では、同じ海辺の怪である牛鬼と組んで現れ、牛鬼が人を襲う前に磯女が近づいて油断させるとも伝わる。 髪と血、そして「境界」── これが磯女の像の核である。艫綱を伝い髪を被せるという化けの手順も、錨のみを下ろし苫の茅を供えるという避けの作法も、いずれは漁村の夜の海に対する畏れと、その畏れを御するための知恵として語り継がれてきたものである。

磯女

磯女

名妖

いそおんな

磯女の地方異称 ── ヨロヅナセノ・磯姫・ダキ・浜姫

磯女は土地ごとに異なる名で呼ばれ、その呼称と細部の伝えに地方色がある。柳田國男監修『綜合日本民俗語彙』や村上健司『妖怪事典』は、九州を中心に分布するこの女の海怪の、各地の異称を書きとめている。 有明海のヨロヅナセノ ── 有明海の沿岸では、磯女をヨロヅナセノと呼ぶ土地がある。凪の折にあらわれ、艫綱を伝って舟に近づくという磯女の性質を、この地でも共有する。 鹿児島・長島の磯姫 ── 鹿児島県出水郡長島町では、磯女を「磯姫(いそひめ)」と呼ぶ。磯際の岩礁に立って沖を見つめ、近づく舟で眠る者を髪で害するとされ、浜の者はその名を口にすることを忌んだと伝わる。 佐賀・加唐島のダキ ── 佐賀県の加唐島では、磯女を「ダキ」と呼ぶ。ここでも、外来の舟は艫綱を陸に取らず碇のみを下ろす習いが守られた。「ダキ」の名は、眠る者に抱きつくように髪を被せるその所作に通うとされる。 石川・橋立の浜姫 ── 九州を離れ、石川県江沼郡橋立町(現・加賀市)では、同類の海辺の女怪を「浜姫」と呼ぶ。北陸の浜にも、磯女と通じる女の海怪の像が伝わっていたことを示す。 長崎・小値賀の水死者霊 ── 長崎県北松浦郡の小値賀では、磯女を風波にさらわれた水死者の霊とする説が語られる。五島列島の宇久島や、熊本の御所浦島にも、磯女の伝えがある。 北九州の蟹の化身説 ── 北九州の漁村には、磯女を蟹が化けたものとする説があり、福岡の沿岸には水上を歩くという話も伝わる。磯辺の岩陰や潮溜まりという蟹の棲む境に磯女があらわれることと、響き合う伝えである。 これらの異称は、磯女が九州北西部から北陸にいたる広い沿岸で、土地ごとの海の記憶とともに語り継がれてきたことを物語る。名は違っても、髪と血、艫綱、凪の夜という核は共通しており、海辺の女怪という一つの像が、各地で名を変えて結晶したものといえる。

磯撫で

磯撫で

名妖

いそなで

北風の海に撫づる・磯撫で

水の怪佐賀県

江戸期の奇談や本草の記述に基づく磯撫で像を整理した版。海面を乱さず寄せ、海の色や風の変化のみを兆しとして示す点を重視する。身体はサメ様で、尾から背にかけて粗い突起や針状の器官を持つと語られる。現れる時節は寒風の立つ折が多く、特に北風が強い日に警戒された。船人は賑やかな作業を避け、網や縄を整理し甲板の縁に身を寄せぬなど、海難回避の作法と結びつけて語り継いだ。土地ごとに名称や細部は揺れがあるが、核心は「気づけば遅し」という不可視の接近と、尾の一撃による転落の恐怖である。近世の記録は、海上の危険認識と戒めの語りとしての性格も示す。

板鬼

板鬼

珍しい

いたおに

棟より伸びて圧す・板鬼

住居・器物『今昔物語集』の板の鬼、特定伝承地なし、説話発祥

『今昔物語集』の記述に拠り、名称は後世の整理で「板鬼」とする。主体は板そのもの、もしくは板に宿った怪異として扱われ、形は建物の棟や格子から突き出す板状。動機や意思は語られず、結果として眠る者を圧殺する点が核である。平安期の宮廷・貴族邸宅では、夜間の宿直や門警が重要で、怪異譚は規律維持の教訓を帯びやすい。本例でも、武具を携える二人を避け、無防備な寝所を襲った流れが「怠りは死を招く」という倫理に結びつく。器物に宿る怪異という性格上、付喪神的理解とも接点はあるが、古物化や自立成長の説話は伴わず、特定の一枚が場に応じて出没する一過性の現象として語られる。追跡や捕縛の記録はなく、現出と消失が迅速で、痕跡を残さない点も特徴である。

市杵島姫命

市杵島姫命

神格

いちきしまひめのみこと

海上を守る斎き島の女神·市杵島姫命

神霊・神格広島県福岡県

市杵島姫命の神格は「斎き島の姫」 ── 神を斎き祀る島そのものに宿る女神という点に核心がある。 宗像 (玄界灘) では大陸との海上交通を、 安芸 (瀬戸内) では内海の航路を守護し、 「海北道中」 の神勅が示すように、 国家と海をつなぐ境界守護の女神として位置づけられる。 弁才天との習合により水·財·芸能·美·智慧の徳が重層し、 厳島神社の海上社殿·朱の大鳥居という荘厳な舞台装置がその神格を象徴する。 干満する潮に社殿が浮かび、 また陸続きとなる景観そのものが、 海と陸·神域と俗界の境を司る女神の表現である。 宗像三女神としての姉妹神 (田心姫·湍津姫)、 習合相手の弁才天、 同じ海·福徳の神である恵比寿と神格上の縁が深い。

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