妖怪図鑑

日本の妖怪大百科

24 妖怪|14 カテゴリ|1/1 ページ
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総称・汎称
  • 青坊主

    青坊主

    稀少

    あおぼうず

    山野の一つ目法師・青坊主

    総称・汎称長野県

    江戸の絵巻や各地の採訪資料に見える像を基調とする青坊主像。外見は青味を帯びた僧形、または一つ目の法師として示されることがあり、実体は動物の変化、山の神の権現、あるいは素性不詳の怪異として語られる。子どもの外出を戒める民俗的機能や、山野・空家での怪異譚、禁忌提示の口承を担う。特定の固有名や起源は定まらず、地域により出現条件・言行が異なる。石燕図は説明を欠くため、諸本の「目一つ坊」や未熟の僧を寓意する説が併記されてきたが、いずれも確説ではない。現代以前の口承に即し、具体像は「青い法師」「大坊主」「小坊主」など複数の呼称で並存する。

  • 赤足

    赤足

    珍しい

    あかあし

    路傍に絡む赤い足・赤足

    総称・汎称香川塩飽諸島·福岡·青森に類話散在、山道の辻の怪、単一発祥地なし

    各地の記録に見える赤足像を踏まえ、姿を見せる地域では赤い足のみが路傍から突き出し、驚きと足どりの乱れを誘う。姿を見せない地域では、乾いた綿や蜘蛛の巣のような感触が脛にまとわり、歩幅が縮み疲れが増す。害は致命的ではないが、転倒や道迷いの原因となると畏れられた。赤手児との対関係は資料上の指摘に留まり、同一視は断定されない。遭遇は辻、山道、藪際など人影の疎い場所が多く、夕暮れから夜半にかけて語られることが多い。祓い方としては深呼吸して足をととのえ、腰を下ろして草履の緒を締め直す、路傍の草を払うなど実践的な対処が伝えられる地域もあるが、詳細は地方差があり不詳とされる。

  • 赤舌

    赤舌

    名妖

    あかした

    水門上の黒雲大舌・赤舌

    総称・汎称石燕『画図百鬼夜行』、六曜赤口の語呂、絵巻発祥

    赤舌は文字史料よりも図像が先行する稀有な例で、核となるのは黒雲から突き出した巨大な舌と獣然たる顔面である。鳥山石燕は水門上にこの像を配し、後世研究者は「淦」「垢」といった汚れの観念、口・舌を禍の門とする諺などを手掛かりに象徴的な読みを提示したが、石燕自身の注記は無い。近世の他資料では水門が添えられない場合も多く、名称が「赤舌」「赤口」と揺れる。陰陽道における太歳方位の守護名「赤舌神」や六曜の「赤口」との連関は指摘止まりで、直接の系譜づけは困難である。昭和以降には寓話的説明や地域譚が普及したが、基礎史料の記述を超える確言は避けるべきとされる。

  • 燈無蕎麦

    燈無蕎麦

    珍しい

    あかりなしそば

    本所七不思議の燈無蕎麦

    総称・汎称東京都

    江戸本所の町場で噂された屋台怪異の類型。人を直接襲うのではなく、触れた者に遅れて災厄が及ぶ「触穢」的な恐れを伴う。行灯が消えたままの型と、油が減らず燃え続ける型の二様が並伝する点が特徴で、どちらも「常態から外れた灯火」を徴とする。屋台主不在は無人の屋敷怪談に通じ、狸の化かしと説明されることが多いが、地域伝承では正体断定を避ける叙述が一般的である。夜の水辺近く、往来が細る刻限に出没し、客を引き寄せず、ただ在ることで畏れを醸す。史料上は土地の昔話集や地元の口碑に記録が見られ、怪異の詳細は語り手により振れ幅がある。

  • 悪鬼

    悪鬼

    珍しい

    あっき

    四天王に伏す邪鬼・悪鬼

    総称・汎称漢訳仏典·漢籍由来の災いをなす鬼の総称、渡来概念

    悪鬼の伝統像は、疫病や天災など外在の災厄を象徴化した「鬼」観の総称的表現で、個体名ではなく調伏の対象として語られる。仏教受容以降、善神に対置される存在として整理され、四天王や明王の威徳を示すため踏まれ屈服する邪鬼像として表されることが多い。民間では節分の豆打ちや臭気・棘ある素材の掲出など、境界を護る行為を通じて家内に侵入する災いを退ける意識が共有された。文献上は「悪魔・邪鬼」と並称され語義が重なり、時代により外からの災厄のみならず、煩悩や動揺を生む内的な魔としても論じられるが、日常実践では専ら外難の擬人化として扱われた。

  • 網切

    網切

    稀少

    あみきり

    蚊帳を切る鋏手・網切

    総称・汎称特定伝承地なし

    この版本は、「蚊帳を切る鋏手」という後世的な読みを採りつつ、石燕図との距離を明確にする。石燕『画図百鬼夜行』の網切は、名と姿だけを提示する妖怪であり、原画だけからは「漁村の伝承妖怪」とも「蚊帳切りの怪談」とも断定できない。むしろ読者は、鋏状の前肢と「網剪」という名を手がかりに、何が切られるのかを補ってきた。 蚊帳は、夏の夜に人の眠りを守る薄い境界である。漁網は、水の中の獲物と人間の生活をつなぐ道具である。網切がそれらを切る妖怪として語られるとき、この妖怪は人を直接傷つけるより、暮らしを支える目の細かな仕組みを壊すものになる。裂かれた蚊帳の中で人が蚊に刺され、切られた漁網で漁ができなくなるという発想は、石燕の絵に生活上の損害を読み込む後世の想像力である。 髪切りとの違いも重要である。髪切りは人の身体に付いた髪を断ち、被害者の容貌や身分感覚に直接触れる。網切は、人の身体ではなく、網目・糸・布・境界を断つ。両者は鋏手と「切る」という働きで近いが、怪異の焦点はまったく違う。検索で髪を切る怪を探している読者は髪切りへ、網・蚊帳・漁具を切る怪を探している読者は網切へ進むのが正確である。

  • アヤカシ

    アヤカシ

    名妖

    あやかし

    西海の海上怪火・アヤカシ

    総称・汎称海上の怪異·船幽霊の総称、地域ごとに指す対象が異なる

    各地で海難に結び付けられた海上怪異の呼称としてのアヤカシ像を整理。姿は怪火・幻影・見女・海蛇など多様で、船を惑わせ進路を遮る、乗組員の注意を乱す、水を求める者を誘うなどの振る舞いが共通する。対馬では怪火が山に化すとされ、思い切って突き進むと霧散するという知恵が語られる。長崎では海上に漂う怪火、山口・佐賀では船幽霊として恐れられ、房総では井戸の女の怪として記録が残る。実在のコバンザメが船脚を鈍らせるとの俗信も名義を共有し、自然現象や航海不安の民俗的説明装置として機能した。鳥山石燕の図像では巨大な海蛇が示され、古来の海上怪の観念と結びつけられている。

  • 池袋の女

    池袋の女

    珍しい

    いけぶくろのおんな

    江戸雇うと祟る・池袋の女

    総称・汎称東京都

    池袋出身の女を雇った家で、投石音、雨戸破損、食器や行灯の飛翔、座敷への火の飛来などの騒がしい怪異が連続するという江戸後期の俗信的伝承。発端として主人と下女の密通が置かれる例が多く、下女を暇にすると収束する定型を持つ。解釈は複数あり、氏神の氏子拘束観、秩父方面のオサキ憑き系譚との連関、あるいは人為(自作自演・嫌がらせ)と見る見方が併存する。妖怪個体像というより、特定出自の女性雇用に付随する怪事の総称として記録され、池尻・沼袋・目黒など同類地名にも派生例がある。

  • 牛の首

    牛の首

    伝説

    うしのくび

    語れば戻れない禁断の怪談

    総称・汎称語ることを禁じる都市伝説 / 小松左京作品を通じた受容

    この版本の牛の首は、語られない本文を妖怪化した姿である。怪談にはふつう、起承転結がある。どこで、誰が、何を見て、どうなったのかが語られる。牛の首はその中心を抜き取る。残るのは題名、禁忌、聞いた者の異変、語り手の沈黙だけである。にもかかわらず怖い。むしろ何も示されないからこそ、読者は自分の中で最も耐えがたい絵を勝手に描いてしまう。 小松左京「牛の首」が強いのは、この空白の仕組みを物語として自覚的に扱った点にある。読者は恐ろしい話の中身を読みたい。しかし作品は、その欲望そのものを見返してくる。恐怖は対象にあるのではなく、対象を求める読者の姿勢に宿る。牛の首は、怪談を消費したい心を罰する怪談でもある。 牛という語も、具体的な怪物像を確定させないために働く。牛頭天王、牛鬼、件、牛頭馬頭など、日本の怪異文化には牛の頭部をめぐる強いイメージが多い。だが牛の首は、それらのどれかへ直結しない。むしろ既存の牛頭イメージを遠くから響かせるだけで、読者に「何か古くて重いものがある」と感じさせる。内容の不在を、文化的な連想が支えるのである。 都市伝説としての牛の首は、伝聞形式と相性がよい。誰かが聞いた、昔は語れた、ある教師だけが知っていた、聞いた生徒が大変なことになった。こうした前置きは、本文の欠落を補うための額縁である。松山ひろしが収集した学校・都市怪談の語り口にも、伝聞の距離によって恐怖を増幅する技法が多い。牛の首では、距離が遠すぎて中心が見えないこと自体が怖さになる。 禁忌怪談として見ると、牛の首は「知るな」という命令を持つ。紫鏡が言葉を覚えていることを禁じ、コックリさんが軽い気持ちの召喚を禁じるように、牛の首は内容への接近を禁じる。禁じられると、人は知りたくなる。ここに怪談の罠がある。本文が存在しないのか、存在するが失われたのか、誰かが隠しているのか。その判断不能が、読者を物語の外へ出さない。 YOKAI.JPでは、牛の首を特定の牛頭妖怪としてではなく、怪談の空白を守る現代怪異として扱う。姿を描くなら、それは巨大な牛の頭ではなく、語り出そうとして止まる口、白紙の原稿、静まり返ったバスの車内である。牛の首は現れない。現れないことによって、どの妖怪よりも読者の想像力の奥へ入り込む。 この怪異を現代の情報環境へ置くと、さらに別の顔が見える。検索すれば何でも出るはずの時代に、検索しても本当の中身が出てこない話がある。まとめ記事、考察、創作版は見つかるが、決定的な本文は掴めない。情報過多の時代に、欠落そのものが珍しい価値を持つ。牛の首は、秘密が消えた時代に残った、秘密という形式の妖怪である。そしてその秘密は、誰かが語らない限り守られるのではなく、誰もが語れないと信じることで守られ続ける。

  • 大頭小僧

    大頭小僧

    珍しい

    おおあたまこぞう

    豆腐屋脅かす大頭・大頭小僧

    総称・汎称黄表紙『夭怪着到牒』(1788)初出、江戸版本文化の創作

    天明から寛政期の黄表紙・絵草子に見える像を基準とする整理。『夭怪着到牒』では、見越入道の孫としての位置づけと、豆腐屋を脅して豆腐を得たとする科白が示され、図像は過大な頭部と幼児風の体躯が特徴。『化物夜更顔見世』にも名称こそ異なるが同傾向の大頭の小僧が現れ、当時の見世物・町芸能「ちょろけん」との語の近接が指摘される。近代以降は豆腐小僧との混同が散見されるが、民俗学的には同一視を避け、資料ごとの呼称・造形差を尊重するのが妥当とされる。水木しげるは獣のような裸足と大頭を強調し、豆腐小僧とは別と位置づけた解釈が紹介される。

  • 大禿

    大禿

    稀少

    おおかぶろ

    菊文振袖の童形・大禿

    総称・汎称石燕『今昔画図続百鬼』、菊慈童を遊里の禿に見立てた風刺、創作

    石燕本来の図像解釈に基づく大禿。実体的怪異というより、遊里の禿や菊慈童の図像を借りた諷刺的キャラクターとして構成される。菊文様の振袖は長命譚や隠語連想を喚起し、剃り上げた頭部は童形と老衰像の倒錯を示す。那智山・高野山への言及は修道の規範と破戒の矛盾を示す比喩で、画中の大柄な童姿は観者に逆説的な不気味さと可笑しみを与える。史料上、特定の能力や害益は記されず、出没地も画面内に限定される。後世の「大かむろ」とは名称が似るのみで別系統。

  • おとろし

    おとろし

    名妖

    おとろし

    前髪に顔覆う・おとろし

    総称・汎称江戸期妖怪絵巻発祥の語呂先行の怪。鳥居上の図像から近代に意味が後付けされ、一次伝承の裏づけを欠く

    江戸時代の絵巻・絵双六に描かれる造形を基準とした整理。長髪が全身を覆い、前髪が垂れて顔貌は判然としない。『百怪図巻』や『画図百鬼夜行』では同頁に「わいら」と並置され、恐れを体現する語感の連関が指摘される。名称は「おとろし」「おどろおどろ」「毛一杯」などが併記され、踊り字の読解差から表記が変化した可能性がある。具体的な出現場所・所業・吉凶は絵からは読み取れず、鳥居上に描かれる例もあるが、そこから神罰的機能を断定する史料は残らない。民俗的には「おどろがみ(棘髪)」の観念と恐怖の語感が造形に反映した像とみなされるにとどまる。

  • 黒坊主

    黒坊主

    珍しい

    くろぼうず

    寝息吸う夜の坊主・黒坊主

    総称・汎称神田·熊野·能美等に独立した別個の黒坊主伝承、単一発祥地なし

    黒坊主の名は地域ごとに異相を指し示す総称として使われてきた。江戸東京では寝所荒らしの怪で、女性の口元に近づき寝息を吸い、生臭さを残して去る存在として記事化された。視認は朧で、のっぺらぼうの一類と解されることもある。紀伊熊野では山中で遭遇すると背丈が急伸し、追撃を受けるほど巨大化して高速で遁走する。加賀の長田川付近では、輪郭のみ黒い塊のごとく現れ、杖を受けると水へ逃げ、獺の仕業と解く土地解釈も伝わる。さらに各地で大入道・海坊主などの呼び替えとして「黒坊主」の語が用いられ、黒色・法師風・伸長・水辺という特徴のいずれかを共有する。いずれの型も持続的な定住は示さず、出没の報はやがて止むのが通例である。

  • 毛羽毛現

    毛羽毛現

    名妖

    けうけげん

    希有希見の毛獣・毛羽毛現

    総称・汎称石燕『今昔百鬼拾遺』、希有希見の語呂、絵巻発祥

    石燕の画図を一次とする素性不詳の毛の怪。名義は「稀に見る」意で、その稀少性こそが特色とされる。後世の解説にある湿気や病との結び付きは注釈的な解釈で、確たる口承の裏付けは示されていない。ここでは原典主義に立ち、外観と稀出性のみを確実な要素として記す。

  • サンドワーム

    サンドワーム

    珍しい

    さんどわーむ

    砂中を進む大虫・サンドワーム

    総称・汎称創作・外来の砂中を進む大虫(サンドワーム)

    ゲームやファンタジー作品を通じて現代人の脳裏に焼き付いた、「振動を探知して襲い来る砂海の頂点捕食者」としての解釈版である。このバージョンにおけるサンドワームは、視覚を持たない代わりに、地表を歩く人間のわずかな「足音(振動)」を鋭敏に感知し、足元から突如として巨大な顎(あぎと)を開いて丸呑みにするという、極限のパニック・ホラーを体現している。 日本固有の地中の怪異といえば、地震を引き起こす「大鯰(おおなまず)」や「大ミミズ」が存在するが、それらが「災害そのもの」の象徴であるのに対し、サンドワームはあくまで「過酷な生態系の頂点に君臨する生物」として設定されている点に、外来モンスターとしての合理主義が表れている。 何層にも連なる同心円状の鋭い牙、鎧のように硬い体表、そして剣や魔法(あるいは近代兵器)すら通じない圧倒的な質量。それは、海に囲まれた島国に住む日本人が、生涯一度も足を踏み入れたことのない「果てしない砂漠」に対して抱く、底知れぬ恐怖とロマンの結晶である。土着の神霊としての背景を持たないからこそ、純粋な「生存競争における絶望的な強敵」として、今もなお新たな創作物の中で進化と巨大化を続けている。

  • 蛇骨婆

    蛇骨婆

    名妖

    じゃこつばばあ

    蛇を纏う老婆・蛇骨婆

    総称・汎称石燕『今昔百鬼拾遺』、絵巻発祥、在地伝承欠如

    蛇骨婆は鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』(天明頃)に掲出された図像・短文解説にもとづく名称で、固有の口承地は示されない。図は蛇を纏う老女の姿で、解説では『山海経』海外西経の巫咸国に触れ、「右に青蛇、左に赤蛇」を持つ人々の説を参照しつつ、当該老女との直接の同定は「未詳」と断つ。名称自体は近世の黒本や芝居に卑罵的な老女称として見え、石燕はこの通俗語を妖怪として造形化したと考えられる。近代以降の図鑑類では、蛇五右衛門の妻、青蛇は凍らせ赤蛇は焼くといった解説が流布するが、これは石燕文言からの連想的脚色で、伝承根拠は明示されない。民俗学的には「鬼婆」「蛇女房」系譜と視覚的連関を持つが、蛇骨婆固有の儀礼・禁忌・地名は同定されていないため、学術的記述では典拠未詳を前提に扱われる。

  • 土蜘蛛

    土蜘蛛

    伝説

    つちぐも

    葛城山年経の蜘蛛・土蜘蛛

    総称・汎称奈良県京都府

    中世以降の物語で確立した妖怪像。病に伏す源頼光の枕辺へ僧形の怪が現れ、白き血を流して逃れた跡を追うと、塚や岩屋に巨大な蜘蛛が潜むという筋立てが広まった。能では「葛城山に年経し精」と自ら語り、絵巻では多様な変化や幻術で人を惑わす。腹より無数の首や小蜘蛛があふれる異相は、魑魅の総体を象徴化した表現と解される。近世の浄瑠璃・歌舞伎はこの系譜を踏まえ、頼光四天王の武勇譚と結び付けて展開した。古代の在地勢力を指す土蜘蛛の語と、物語上の妖怪土蜘蛛は系譜を異にしつつ、名称のみが継承されたと理解される。

  • 撫で座頭

    撫で座頭

    稀少

    なでざとう

    目なき盲僧姿・撫で座頭

    総称・汎称石燕『百器徒然袋』、撫物の言葉遊び、絵巻発祥

    本バージョンは、絵巻資料に現れる図像と最小限の注記のみを拠り所とする。撫で座頭は名と姿が伝わるが本文資料が欠落しており、性質・行状は確定できない。図像は剃髪し目の描写を欠く座頭風の人物で、長い指や爪状の手つきが強調される例がある。関連として、江戸の『百妖図』に「無眼」と題した同型があり、名義の異同が指摘される。多田克己は「撫」を穢れを写す「撫物」に通じる語義連関、さらに「猫」の別称との関わりを挙げ、温順を装い本性を隠す像を示唆するが、これは学術的解釈であって固有伝承の断言ではない。従って、能力・弱点・出没習俗は記録に乏しく、不詳として整理するのが妥当である。

  • 肉吸い

    肉吸い

    珍しい

    にくすい

    熊野の火を乞う女・肉吸い

    総称・汎称和歌山県

    熊野・果無山周辺に伝わる類型に即し、若い女に化けて提灯の火を所望し、奪って闇に紛れ相手の肉や精気を吸う在り方を中核とする。遭遇譚では、火縄・火打石など手許の火を振るって追い払う、あるいは仏名を刻んだ弾をもって正体を白骨の怪として示すなど、山の禁忌と携行の知恵が強調される。屋内に忍び寄り寄り添って精気を奪う近世の図像も知られるが、本バージョンは山野での邂逅と夜道の戒めを主眼とし、提灯・火種・念仏の語が護符的に機能する点を押さえる。過度な異国譚との混同は避け、紀伊の口碑と記録に基づく。

  • 偽汽車

    偽汽車

    珍しい

    にせきしゃ

    鉄路に現れ消える幻・偽汽車

    総称・汎称東京都愛媛県

    偽汽車の語りは、蒸気機関車という異質な音響と光景が地方社会に入った時期に集中し、獣の変化や音真似の信仰と結び付けて理解された。各地の筋立てはほぼ同型で、夜間に前方から汽笛と車輪の響きが近づき、灯りまで見えるが、衝突直前に掻き消える。その後に狸や狢の轢死が発見され、供養の対象となる。民俗学では、小豆洗い・砂かけのように「得体の知れぬ音」を獣の仕業とみなす思考の延長に置かれる。噂は口承だけでなく新聞記事によって広く拡散し、分布と内容の均一性を生んだと考えられる。具体的地名や寺社に結び付く場合でも、核心は音と幻視の一致、そして実体としての獣の遺骸という三点で保たれる。近代以降の交通網の伸長に伴い衰退したが、沿線の怪談として記録に残る。

  • ぬっぺふほふ

    ぬっぺふほふ

    名妖

    ぬっぺふほふ

    一頭身の皺肉塊・ぬっぺふほふ

    総称・汎称江戸期絵巻発祥で筋立てある古説話を欠く肉塊妖。駿府城肉人や廃寺出没は昭和以降の付会で一次史料に乏しい

    江戸期の妖怪絵巻に基づく典型像。皺の多い白っぽい肉塊が一頭身で立ち、四肢は短く、顔面の器官が判然としない。名と図像のみが伝わるため、行動や目的は定まらない。文献上は、のっぺらぼうの古形とみなす解釈や、古いヒキガエル・狐狸の変化とする注記が見られる。洒落本では「死人の脂を吸う」「医者に化けた」といった記述もあるが、地域的伝承としての広がりは確認しにくい。寺院出現説や腐臭の言説は後代の解釈に由来する可能性が指摘され、実見談は限定的である。像容は、白粉を塗りたくったような白い皮膚感と、皺の連なりが特徴。

  • ぬりかべ

    ぬりかべ

    名妖

    ぬりかべ

    九州夜道の見えぬ壁・ぬりかべ

    総称・汎称福岡県大分県

    目視できぬが、手触りだけが確かな壁として感じられる型。九州北部の道迷い怪談に即し、強い害は与えず進行を止めることに特化する。足元から肩口ほどの高さで広がる感覚があり、正面突破はかなわない。脇へそれる、少し休む、地面や路端を杖で探るなど、従来の対処で薄れる。人を試す路の霊的障害として理解される。

  • ムジナ

    ムジナ

    名妖

    むじな

    夜道で人を惑わす・ムジナ

    総称・汎称福島県千葉県

    諸国のムジナ譚を基にした化かし専門の像。姿は犬ほどの大きさの獣で、前脚がやや短く、老成すると背に十字の色毛が交わるといわれる。人の注意や方向感覚を乱す術に長け、夜道で田と川、畦と水面、藁塚と人影を取り違えさせる。質の悪い者は食物や便所を別物に見せ、恥や災いを招く。人の形を取る場合は小僧、旅人、里女など目立たぬ姿を好み、声だけで誘う場合もある。地域によりタヌキや狐の譚と混交し、名のみがムジナである例も多いが、総じて「化かす獣」の範疇に含まれる。武芸や呪法で退けられる話よりも、正体を見破られれば霧散し、その後は近づかなくなるという結末が一般的である。ことわざ「同じ穴のムジナ」は同類のたとえで、巣穴の共用という観察と、化かし譚の連想とが重なったものと解される。伝承は東国に豊富で、江戸期の絵画資料にも「貉」の題で描かれた。

  • ももんがあ

    ももんがあ

    稀少

    ももんがあ

    二階窓辺の脅かし・ももんがあ

    総称・汎称野衾の異称、ムササビの怪異化、地域呼称差はあるが全国汎存在

    版本に見える図像を基準とした像。二階口や障子際から大きな丸目と裂けた口を突き出し、鋭い歯を見せて威を借すか、白い肉塊に短い手足を備えて四つんばいでうごめく。名は呼び声めいた響きを持ち、夜分の訪客を退ける怪として描かれる。固有の名乗りや系譜は持たず、見世物的な怪相の提示に重きが置かれる。

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