妖怪図鑑

日本の妖怪大百科

121 妖怪|14 カテゴリ|3/6 ページ
並び替え: 五十音昇順
名妖
  • 件

    名妖

    くだん

    倉橋山の護符告示・件

    人妖・半人半妖京都府広島県

    倉橋山護符告示の件は、天保の飢饉を境に与謝郡の山間から現れたと伝えられる版で、半牛半人の姿ながら面相はやや若く、額広く眼はうるみ、口許はわずかに上がる。牛の身体は痩せて肋が浮くが、背に朝露のごとき白斑が散り、これが年の兆しを示す印とされた。出現は多く夜半から曙の間、山裾の田の畔、あるいは村境の祠前に限られ、見届け人はたいてい用足しや夜回りの者である。件は三度までしか言葉を発しない。その第一に「疫の路(みち)」を告げ、どの方角から病が入り、何月に強まるかを定める。第二に「貼り図の作法」を詳らかにする。すなわち自らの像を片紙に描き、戸口内側の梁、または米俵の上に北向きで貼ること、墨は新しい煤、紙は前年の秋祭りで供えた半紙を用いること、家ごとに一枚までとすること。第三に「年の相」を述べ、豊凶と屋内の守りごとを短句で遺す。語り終えるや、件は田畔の草を噛み、首を垂れて息を細め、日の出までに力尽きる。村はその体を山根へ運び、土を浅く掛け、上に笹一枝を挿す。七日を経て掘り返すと骨は柔らかく、爪のみ硬く残り、これを筆軸に差して護符の縁をなぞれば、厄が家外へ流れるとされた。護符の図様は定型があり、人面の額中央に一筋の縦皺、牛身の肩に三つの白点、尻尾は二股で左へ流す。図様を誤れば効験薄く、特に尻尾を右へ流すと病方角が逆転して災いを招くと恐れられた。件はまた、「貼り替えの時」を一年に二度、麦秋と霜月朔に限ると教える。図を描く者は手を塩で清め、夜は灯を弱く、声を交わさず描写し、描き終わりに「ただし此の家のみならず、隣里にも及ぶ」と小さく記す。これを守る家は家内の争い少なく、田の虫害も軽いという。倉橋山の件は、吉兆と疫災除けを併せて告げる点で予言獣の典型に近いが、商いの利得や戦の勝敗には触れず、あくまで家内と田畑に限って言葉を置く。倉橋山の瓦版には、件の像を蔵や土間に掲げれば「穀蔵の湿り退き、病気戸口に留まらず」とあり、遠村へ伝える際は写しを三夜のうちに回すべしと記される。写しが遅れると効果が萎むとされ、村々で夜走りの若者がこれを担った。後世、証文末尾の語を件に結びつける話も交じるが、この版では禁じ手とし、護符文言にその語を用いると効験を損なうと戒める。姿を見た者は一時熱にうなされるが、七日の後に軽くなり、以後三年は大病を避けるという。件の短命は世に長く留まらぬ誓いゆえで、土へ返るほどにその言は深まると伝えられる。

  • 件

    名妖

    くだん

    胎より人語の託生・件

    人妖・半人半妖京都府広島県

    この「牛の子・託生予言版」の件は、人牛の雑貌をもって生まれながら、母牛の胎より出るや即座に人語を操り、己が名を「くだん」と称すよう求める。出自は人家の牛舎、あるいは山裾の放牧場に限られ、野に忽然と現れる型とは区別される。顔は若き女面から痩せた老人面まで揺れ幅があるが、いずれも瞳は潤み、瞠目せずに聴き手の胸を射抜くように据わる。産声の代わりに短い嘆息を洩らし、まず母牛を屠るなと諭すのが通例で、続けて七年ほどの豊熟と家内の繁昌、あるいは流行病の退散を告げ、八年目に兵乱や凶変の影が及ぶと明言する。予言の終わりには自らの短命を淡然と述べ、三日を出でずに絶えると伝える。死骸は土に浅く納むれば禍を防ぐとし、見世物とすれば家門に陰が差すと戒める。されど、好事家により剥製や絵像として留められる例も古く、瓦版や記録書にその姿を写すことは、むしろ護符の役を果たすと容認する。託生予言版の言は、作柄や疫の流行、旱魃、戦雲といった広域の事象に限られ、個人の吉凶を問うときは黙して応えない。これは言の重さを汚さぬためで、無用の占筮と同列にならぬよう、聞き手の分別を試す作法でもある。予言が真となるほど、母牛は翌年以降も健やかで、家の牛馬は災に逢いにくいと伝える。一方、託生の刻を冗談視して騒ぎ立てれば、件は舌を噛み血を滲ませ、言葉を閉ざすとされる。姿を絵に写す際は、角は短く、首は太く、胴は仔牛の丸みを留める。脚は四、尾は藁縄のように細長く、蹄は小さい。額に渦毛が一つあり、そこへ墨印を押して家内に掲げれば、七年の間は火難盗難を避けると信じられた。生まれ落ちてから三日までのあいだ、夜更けに一度だけ外を見たがる。月の出にあわせて裏戸を少し開け、北東を向かせれば、言は濁らずに伝わるという口伝がある。件は己を神と称せず、ただ「世の移ろいを先に知る身」と名乗る。ゆえに供物は簡素がよく、塩一撮みに清水一椀で足りる。死後は藁筵に包み牛舎の隅、または田の畦の高みに葬る。雨に濡らさぬよう笠を伏せれば、家筋に穀の運が残るといわれる。伝承の主な土地は海辺の関所町や山裾の薬採りの路の近傍で、旅人が入り混じる境の里ほど出現が多い。これは、世の気配が集まりやすく、件がそれを読み取るためと解されている。

  • クネクネ

    クネクネ

    名妖

    くねくね

    田園の遠景に立つ白い人影·クネクネ

    霊・亡霊2000年頃のネット発の現代怪談

    「見ること自体が呪い」 という認識論的恐怖。 基本説明では物語構造と造形要素に触れたが、 徹底解説ではクネクネの最大の独自性 ── 認識それ自体への罰 ── を深掘りする。 従来の日本の怪谈の多くは、 物理的接触 (足を切られる·首を取られる·下半身を切断される) や具体的場所への接近 (廃屋·峠·トンネル) で害が発生する型を取ってきた。 クネクネは違う。 遠景に立つ姿は害をなさず、 双眼鏡や目を凝らして「正体を見ようとする」 ──認識を完成させようとする ──時点で発狂する。 これは観察者の主体性 (理解·解釈·言語化) そのものが罰せられる構造で、 怪谈に哲学的次元を持ち込んだ点が独特である。 ラブクラフト的宇宙恐怖との通底。 ハワード·フィリップス·ラブクラフト(1890-1937)は1920-30年代に「人間の認識能力を超えた存在を理解しようとすると正気を失う」 という宇宙的恐怖 (cosmic horror) を確立した。 代表作『クトゥルフの呼び声』 (1928) 『狂気の山脈にて』 (1936) 等。 クネクネはこの構造を日本の田園風景に置き換えて再構築した存在と読める。 日本のネット怪谈作家がラブクラフトを直接参照したかは不明だが、 「認識の罰」 という発想がアメリカ怪奇文学の中心テーマと並行する点は、 戦後日本ホラー文化の知的厚みを示す。 「田園」 という空間選択の意味。 クネクネが現れるのは必ず「田圃·河原·海辺」 等の開放的な田園空間である。 都市怪谈の多くが「閉ざされた空間」 (廃屋·学校·トイレ·駅) を舞台とするのと対照的に、 クネクネは見通しの効く遠景に現れる。 これは戦後高度成長期に都市部出身者が増え、 都会の若者が「田園」 を経験する機会が休暇·帰省·夏期キャンプに限定されたことと無関係ではない。 夏休みに祖父母宅を訪れた都市の若者にとって、 田圃の遠景は日常から切断された「非日常の風景」 そのものであり、 そこにクネクネを配置することで都市住民の「田舎への漠然たる不安」 が形を取る。 2003年2ちゃんねるオカルト板の文化的背景。 2003年当時の2ch オカルト板は、 後の2008年八尺様·2004年きさらぎ駅と並ぶネット投稿型怪谈の黄金期を支えた。 2chの匿名性·創作と実話の境界の曖昧さ·コピペ拡散性が、 クネクネのような「フィクション注記が脱落して実話化する」 怪谈の発生母体となった。 民俗学者廣田龍平(ASIOS)はこれを「インターネット民俗」 と呼び、 口承時代の都市伝説とは異なる新しい怪谈生成のメカニズムとして整理している。 映像化困難という特性。 2010年映画版『クネクネ』 (吉川久岳監督) は、 原典の「見ること自体が呪い」 構造を映像で再現することの困難を浮き彫りにした。 映画は「見せる」 メディアであるため、 「見ない方が良い」 ものを描くと自己矛盾を抱える。 同じ問題は SCP Foundation 系の「視覚的接触で罰せられる存在」 が映像化されにくいのと共通する。 クネクネはむしろ文字·イラスト·朗読といった「想像力に余白を残すメディア」 で生命力を持つ稀有な怪谈である。 「2ch三大投稿型怪谈」 の一体として。 クネクネ (2000/2003)·きさらぎ駅 (2004)·八尺様 (2008) は、 2000年代前半~後半の2ちゃんねるオカルト板で生まれた代表的投稿型怪谈として、 後年「三大投稿型怪谈」 と並べられることが多い。 クネクネは認識論的恐怖、 きさらぎ駅は異界往来の不気味さ、 八尺様は民俗的結界の構造化と、 三者がそれぞれ独自の物語装置を提示している。 2020年代の TikTok·YouTube 怪谈チャンネルでも反復再生産され、 Z 世代が「2000年代日本ネット怪谈」 を再発見する経路となっている。

  • 毛羽毛現

    毛羽毛現

    名妖

    けうけげん

    希有希見の毛獣・毛羽毛現

    総称・汎称石燕『今昔百鬼拾遺』、希有希見の語呂、絵巻発祥

    石燕の画図を一次とする素性不詳の毛の怪。名義は「稀に見る」意で、その稀少性こそが特色とされる。後世の解説にある湿気や病との結び付きは注釈的な解釈で、確たる口承の裏付けは示されていない。ここでは原典主義に立ち、外観と稀出性のみを確実な要素として記す。

  • 毛倡妓

    毛倡妓

    名妖

    けじょうろう

    髪に顔覆われる遊女・毛倡妓

    住居・器物石燕『今昔画図続百鬼』、吉原題材の風刺創作

    鳥山石燕の図像と江戸黄表紙に基づく代表的イメージ。遊廓の女郎を思わせる衣装に、頭髪が異様に伸びて身体を覆い、顔貌が判別できない。吉原を中心とする都市文化への風刺や、女郎と化生を掛けた語呂から生まれた作中存在で、固有名や出自譚は示されない。のっぺらぼう的な解釈も提示され、見る者の欲や思い込みを反転させる象徴として扱われる。史料は版本中心で、口承伝承は乏しい。

  • 木霊

    木霊

    名妖

    こだま

    老樹に応える・木霊

    山野の怪東京都沖縄県

    古来の木神観を背景にもつ木霊像。老樹に宿り、音や気配を媒介に応じる存在として理解される。実体は定まらず、姿を見せぬ点を保ちつつ、山の掟を破らぬよう人を戒める働きを担う。やまびこ現象の民俗的解釈を踏まえ、樵や参詣者の作法と関わる面を強調する。伝承に即し、過度な人格化や具体的逸話の付会は避ける。

  • 木霊

    木霊

    名妖

    こだま

    青ヶ島のキダマサマ・木霊

    山野の怪東京都沖縄県

    伊豆諸島・青ヶ島に伝わる木霊で、島人は古来「キダマサマ」「コダマサマ」と敬称で呼び、スギの大木の根元に小祠を据えて祀ってきた。海風と火山の息を吸う島の森は浅い土に深く根を張る。そこに宿るキダマサマは、ただ声を返すやまびこではなく、木そのものの齢を織り込んだ古い記憶の精である。朝霧の頃、祠前で名を呼べば、返事は一度きり、わずかに湿った音で戻る。それは承諾のしるしであり、二度三度と乱れて返れば、時節でない、刈るな、の戒めであると解される。島では木を刈る際、まず祠に米一握りと海塩、焼酎の盃を供え、幹を三度叩き、由(わけ)と数(かず)を告げる作法がある。キダマサマはその律を重んじ、礼が尽くされれば風向きを整え、刃を鈍らせず、作業の道筋を迷わせない。無礼に及べば、山中の音が濁り、刃は節に跳ね、労に病が添うと恐れられた。姿は定かでないが、島の古老は「年輪の影」と言い、夕照に幹肌が朱に染まるとき、木目の奥に水鏡のような淡い瞳がひとつ生まれ、すぐ溶けると語る。ひとたび大風や地鳴りの前には、祠の小石が自ずと並び替わるという。これは森の息の乱れを知らせる前触れで、聞き分ける者は畑と舟の手を止め、被害を軽くしたと伝わる。また、島外から来た者にも閉鎖的ではない。名乗りと土産の塩を忘れず、祠の前で声を低く保てば、返るやまびこは柔らぎ、山道は迷いを減ずる。逆に笑い騒ぐと、返り声は遅れて高く割れ、耳の奥に残り、方角の感覚を崩す。キダマサマは木の齢が尽きようとすると、夢に現れて「今は世を替える」と告げるという。村人はその言を瑞祥とし、倒木の後には若木を三本植え、根元の祠を移して息を継ぐ。こうして島の森林は世代を重ね、精もまた薄れず移ろう。古典にいう木の神の余映が海上の孤島で色濃く生き、山の礼と海の糧をつなぐ媒介として、今日も静かに耳を澄ませている。

  • 木霊

    木霊

    名妖

    こだま

    山原のキーヌシー・木霊

    山野の怪東京都沖縄県

    日本各地に響く木霊のうち、南の島々、とりわけ沖縄島の山原や御嶽に宿るとされる変種が「キーヌシー憑き木霊」である。名のとおり一本の樹ごとに主のように鎮まり、その樹の呼吸や樹液の巡り、根の張りに同調して生きる。古い伝えでは、伐り手が斧を入れる前に幹を軽く叩き、名乗りと祈りを捧げれば、木霊は幹内で音を整え、倒れる向きに風を合わせ、作業の安全を導くという。逆に無言で刃を振るえば、樹はきしみ鳴り、山へと遅れて響く空木の音が乱れ、数日のうちに周囲の葉が焼けたように色を失う。不審の夜、山里に倒木もないのに重たく響く「ドン」という音が渡ることがあり、これはキーヌシー憑き木霊が耐え難い傷みに声を放つ徴とされた。その音が聞こえた樹はほどなく樹冠から枯れが降り、根元に白い菌糸が集まり、やがて命を閉じるという。これを見た古人は、音こそ木霊の真の姿と悟り、森の入口で声を荒げぬこと、樹の名を呼ぶ際は一音置いて返りを待つことを戒めとして伝えた。 この木霊は姿を持たぬが、稀に夕まぐれ、根際の空気が水面のように揺らぎ、そこへ子の笑い声に似た高音が二度三度返ることがある。島の者はこれを瑞祥とし、その樹に供えの塩と黒砂糖を捧げる。幼子がその樹陰で昼寝すると、蚊や羽虫が寄らず、潮風が急にやわらぐとも。古老は、海の彼方から来た風が山の神々を巡り歩く折、木霊は風と響き合って里の境を守ると語る。やまびこと混同されるが、キーヌシー憑き木霊は声をただ返すだけでなく、返す時機と調べで吉凶を告げる点が異なる。澄んだ一音で速やかに返るときは作業日和、重く遅れれば休めの徴、幹の内でこもるように返れば病葉の兆しである。 島々では、樹を移す際にも作法がある。根回しの前夜、幹を三度撫でて移し先の土の名を告げると、木霊は根の先をたたみ、旅のあいだ水を求めぬよう身を細めるという。これを怠れば、移した先で夜な夜な空音が鳴り、家人が熱に伏すとも。海辺のガジュマルには、子らと遊ぶ精が棲むとされるが、彼らを人はキジムナーと呼ぶ。古くは、キーヌシー憑き木霊のうち、とりわけ人姿の想念を帯びたものがキジムナーであり、木霊はその根の声、キジムナーは枝の笑いと解かれた。いずれも根本は樹の神霊であり、礼を尽くす者には道を教え、粗略な者には音をもって諫める。こうして南島の森では、音が掟となり、人と樹とが互いの息を計って暮らしてきたのである。

  • コックリさん

    コックリさん

    名妖

    こっくりさん

    狐·狗·狸の合成神·コックリさん

    霊・亡霊西洋テーブルターニング由来、明治17年伊豆下田から流行

    観念運動効果と「偽怪」 の意義。 基本説明で円了の分類に触れたが、 徹底解説ではその科学的解明の意義を深掘りする。 観念運動効果(ideomotor effect)は、 1852年にイギリスの生理学者ウィリアム·カーペンターが命名した現象で、 ヒトが自覚なしに筋肉を微細に動かしてしまう不随意運動を指す。 テーブル·ターニング、 ダウジング、 ウィジャ盤、 そしてコックリさん ── これらは全て同じ原理で硬貨や指針が動く。 円了は明治期の日本でこの欧米最新理論を独自に検証し、 「妖怪は科学で説明できる」 ことを示した点で、 戦前日本の啓蒙的合理主義の代表的事例となった。 コックリさんの不思議は「物理的不思議」 ではなく「無意識という心理的不思議」 へと移し替えられた。 「狐狗狸」 三獣の選択。 「こっくり」 という音にどんな漢字を当てるかは恣意的選択だが、 「狐·狗·狸」 の三獣が選ばれた背景には日本の動物霊信仰の系譜がある。 狐は稲荷信仰·玉藻前等で人を化かす能力の代表、 狸は変化·腹鼓·分福茶釜等で同じく化けの名手、 狗 (犬) は犬神·御犬様等で土俗的に憑霊の媒介となる動物として知られる。 三獣の合成は江戸期以来の動物変化譚の三大代表を一括召喚するという発想で、 1884年下田起源説の異質性 (西洋テーブル·ターニング) を、 日本の伝統的霊観念で包み直した知的工夫の産物である。 学校空間における呼出儀礼の継承。 1970年代の児童ブーム以降、 コックリさんは小学校·中学校の休み時間や放課後の重要な遊戯となった。 民俗学者宮田登は『妖怪の民俗学』 (岩波書店、 1985) で、 戦後日本の学校が新しい「呼出儀礼の場」 となったと指摘する。 コックリさん (1970代-) → 花子さん (1980代-) → 八尺様 (2008-)。 これらは全て「学校空間で霊を呼び出す/封じる」 という共通構造を持ち、 平安期以来の呪術儀礼 (丑の刻参り·尊勝陀羅尼の唱誦等) が世俗化·遊戯化された現代版と読める。 禁止令と「正しい終わり方」 の伝承。 1970年代後半から80年代にかけて、 多くの学校でコックリさん禁止令が出された。 これは児童の異常行動 (集団ヒステリー·過呼吸·トランス状態) の頻発に対応するもので、 観念運動効果が集団心理と結合した時の効果を示す事例である。 それと並行して「正しい終わり方」 の伝承が児童間で精密化した ── 「ありがとうございました」 と全員で唱える、 硬貨を鳥居に戻す、 紙を破って捨てるか焼く、 等。 これらの儀礼的手順は中世以来の呪詛解除作法 (反閇·散米·散塩) と構造的に類似しており、 現代の児童が無自覚に古典呪術儀礼を再演している事例として民俗学的に注目される。 漫画·アニメでの再造形。 つのだじろう『うしろの百太郎』 (1973-1980) 以降、 コックリさんは漫画·アニメで反復登場する定番モチーフとなった。 1995年東宝『学校の怪談 2』 (平山秀幸監督) でも重要な要素として登場し、 2012年TVアニメ『妖狐×僕SS』 では主人公の血筋にコックリさんが組み込まれた。 近年では『繰繰れ! コックリさん』 (遠藤ミドリ作、 スクウェア·エニックス『月刊 G ファンタジー』 2011-2016連載、 2014年 TVアニメ化) のように、 コックリさんを擬人化したコメディ漫画も大ヒットしている。 明治の科学的解明と現代のサブカル受容が同じ怪を媒介に交差する稀有な事例となっている。 2010年代の現代版コックリさん。 2015年頃には中高生のあいだで現代版コックリさんが再流行した。 これはスマートフォンアプリで五十音盤を表示し、 友人と複数の指を画面に置いて動かす形式で、 一部学校では生徒が大声を上げたり奇声を発する事例が報じられ、 指導に踏み切った学校が現れた。 140年前に伊豆下田で漂着船員が見せたテーブル·ターニングが、 形を変えながら現代日本の児童·中高生文化に脈々と継承されている ── これがコックリさんの最も特異な点である。

  • 木の葉天狗

    木の葉天狗

    名妖

    このはてんぐ

    大井川夜漁の小天狗・木の葉天狗

    山野の怪静岡県

    江戸時代の随筆・怪談に基づく像。鼻高の山伏型より下位とされ、雑役を担う一方で、鳥のような外形または人面鳥身とされる。駿河の大井川において夜に群れて魚を捕える目撃談、天狗界では白狼とも称され老狼が昇格した存在とする記述、岩国の猟師を小僧に化けて弄ぶ話など、地域・史料で性状がゆらぐ。総じて人畜に大害を為すより、変化・幻惑をもって関わる例が多い。錦絵では樹上で憩う姿も描かれ、必ずしも凶暴ではない。性質は山の境域に結びつき、人の侵入に敏く退去しやすい。

  • 金毘羅坊

    金毘羅坊

    名妖

    こんぴらぼう

    象頭山の大天狗·金毘羅坊

    山野の怪香川県

    金毘羅坊は、単なる山の妖怪ではなく、金毘羅大権現の神威を体現する護法善神 (眷属神) として理解されるべき大天狗である。『和漢三才図会』が「当山ノ天狗ヲ金比羅坊ト名ヅク」と記すように、象頭山という特定の霊山に固有の名を持つ点が、不特定の山に出没する一般の天狗と決定的に異なる。海上守護神·金毘羅と、山岳修験の天狗信仰 ── 海と山という相反する信仰圏が象頭山という一山で交わる、その結節点に立つのが金毘羅坊である。白峯相模坊·中将坊と並ぶ讃岐三大天狗として、瀬戸内の山岳信仰の頂点を占める。

  • 逆柱

    逆柱

    名妖

    さかばしら

    上下逆の家鳴る柱・逆柱

    住居・器物木材を逆さに立てる建築俗信、全国流布

    大工・宮大工が木の「根張り」を尊ぶ作法に反し、上下逆に立てた柱が家に不具合をもたらすとする近世以降の怪異観。夜半の家鳴り、梁のきしみ、得体の知れぬ囁きなどの兆しが続くと「逆柱の祟り」と解され、柱の据え直しや祈祷が試みられた。水木しげるは、逆さの柱から木の葉の妖が生じる、または柱自体が化すと紹介しているが、古記録では音・不運・不吉の徵として語られることが多い。意図的な逆意匠による魔除け(陽明門)は、建築儀礼の「作り残し」の思想に属し、怪異としての逆柱と区別される。建築民俗に根差した禁忌の象徴であり、地域の大工口伝や寺社の記録、随筆類に散見される。

  • 栄螺鬼

    栄螺鬼

    名妖

    さざえおに

    貝より変ずる海の鬼・栄螺鬼

    動物変化石燕『百器徒然袋』、造化変化の創作、在地伝承なし

    鳥山石燕が『礼記』の変化譚を踏まえ、海の貝が鬼的相へ変ずる理を戯画化した作例。人の腕を備え、蓋に眼を持つサザエとして描かれ、実害を加える怪異というより、変身観・物怪観を視覚化する役割が強い。近世の百鬼夜行図における貝類の擬人像とも通じ、海辺の自然物に霊性をみる心性を伝える。後世に流布した艶怪談的エピソードは創作色が濃く、原像からは切り離して理解されるべきである。

  • 覚

    名妖

    さとり

    心を読む山中の獣・覚

    山野の怪岐阜県

    石燕『今昔画図続百鬼』の記事と、和漢の博物誌的記述に見られる猿状の怪を参照した像。深山の獣道に現れ、杣人や旅人の心を即座に察して口に出し、相手の挙動を見極める。本質的に人害を好まず、危難を悟れば素早く退くという性格づけは石燕本文に合致する。民話においては、語り手の地域によって姿は猿・山男・天狗・狸などへと置換されるが、核は「心読み」と「不意の物音に退く」という二点に集約される。心読みは相手の思念を鏡のように映して反復するもので、挑発よりも警告に近い。山中の静寂で相手の気配を読み、焚火の爆ぜや木片の跳ね返りなど、人の予期しない偶発に脆い点が語られる。名称「覚」は「玃」との通仮の影響が指摘され、読みの転訛から独立の妖怪像が定着したと理解される。伝承は中部から関東・東北・中国・九州に及び、山の境界で人と異界の距離を量る存在として語り継がれた。

  • 猿神

    猿神

    名妖

    さるがみ

    山中の生贄要求・猿神

    神霊・神格滋賀県岡山県

    中世の猿神は、山の神格とサルの怪異が混交した存在として語られる。山域を支配し、生贄を所望する「年中行事」のような要求は、古層の神婚儀礼の反映と見なされる一方、物語化の過程で暴虐な妖怪像が強調された。退治譚では、通りすがりの猟師や法力ある僧が身代りとなり、訓練された犬が決定的な役割を果たす型が反復される。敗北した猿神が神職に憑いて赦しを請う転回は、神霊性の残滓を示す。地域によっては憑き物として伝わり、発作的な荒れや暴れを猿神の祟りとした。近世怪談では人肉を食らう兇性と、尻を撫でる滑稽さが併置され、サルへの軽侮と畏怖の両義性が描かれる。

  • 早良親王

    早良親王

    名妖

    さわらしんのう

    絶食死の崇道天皇・早良親王

    霊・亡霊奈良県京都府

    早良親王の怨恨が御霊として顕れたと受けとめられた在地・宮廷の記憶を基礎にする像。罪科をめぐる疑惑の中で絶食により世を去り、その後の疫や飢饉、皇統の病難が祟りと解された。朝廷は守戸の寄進、読経・修法、改葬と尊号追贈を重ね、御霊として丁重に祀ることで和解を図った。御霊は理非を糾す霊威として畏敬され、社寺への奉祭、季節ごとの法会、山陵での陳謝が続いた。後年、崇道天皇社に代表される祭祀が整えられ、都と大和の間で鎮護の信仰が広がる。怨みは私怨にとどまらず、政治の乱れや讒言を戒める徴と受け止められ、為政者は潔白と公正を誓うしるしとして供犠・誓紙・経供養を行った。御霊は荒ぶる一面と、祟りを鎮めれば守護へ転ずる一面を併せ持つ。

  • 三鬼大権現

    三鬼大権現

    名妖

    さんきだいごんげん

    弥山を守る日本唯一の鬼神·三鬼大権現

    鬼・巨怪広島県

    三鬼大権現の核心は、 本来畏怖の対象である鬼を「魔を払う守護神」 へと転じた逆転の神格にある。 追帳·時眉·魔羅の三鬼神がそれぞれ福徳·智慧·降伏を担い、 大日如来·虚空蔵菩薩·不動明王を本地仏とする三身一体の構造は、 真言密教の本地垂迹思想と山岳·天狗信仰の融合を示す。 大小の天狗を眷属とする点は、 弥山を天狗の霊山とする民間伝承 (福島正則の天狗退治譚) と直結する。 空海開基·消えずの霊火·須弥山に擬えられた奇岩群という弥山の聖性そのものを体現し、 海上の厳島神社 (市杵島姫命·弁財天) と山上の三鬼大権現が、 宮島という一島の海と山の二極をなす守護神として対をなす。

  • ザン

    ザン

    名妖

    ざん

    津波を告げる人魚・ザン

    水の怪沖縄県

    野底の漁師の網にかかり、涙ながらに命を乞うたという人魚・ザンの姿を映した版。放してくれた恩へ津波の到来を告げ、信じた村を丸ごと救ったと伝わる。その正体はジュゴンであり、神の使いとして琉球の海に長く敬われてきた海獣でもある。荒れ狂って災いを招くのではなく、迫る災厄を先んじて人へ知らせ、海と陸とのあいだに立って人を守る—ザンは琉球の海が生んだ、もっとも慈悲深い予言者として今も語り継がれてきた存在である。

  • しやうけら

    しやうけら

    名妖

    しょうけら

    庚申待の天窓覗き・しょうけら

    霊・亡霊『百怪図巻』『画図百鬼夜行』、庚申信仰、絵巻発祥

    鳥山石燕の図像に拠り、天窓から庚申待の様子を窺う監視的存在として整理する解釈。三尸と同一視、もしくはその働きを代弁する霊的作用体とみなし、人の怠惰や約定破りを検め、破れば鋭い爪で災いを及ぼすと伝承される。名称は歴史的仮名遣いで「しやうけら」「せうけら」とも書かれ、具体像は地域差や典拠により揺れがあるが、庚申信仰の規範意識を可視化した妖怪として位置づけられる。近世資料に説明文は乏しく、後代の民俗的読解が補っている。

  • 燭陰

    燭陰

    名妖

    しょくいん

    山海経北方の蛇身神・燭陰

    神霊・神格中国『山海経』の燭龍·燭陰、北海鍾山の人面赤蛇、渡来

    日本では『山海経』およびそれを典拠とする博物誌的関心の中で紹介された外来の神霊として理解される。図像は人面に長大な赤蛇身として描かれ、目の開閉が昼夜を分かち、呼吸が季節風や寒暑をもたらすという要点が踏襲される。燭竜との混称は近世の解説にも見られるが、原典箇所差と記述差を併記する控えめな紹介が通例で、信仰対象としての痕跡は国内では確認しがたい。ゆえに在地の祭祀・禁忌・口碑は乏しく、閲読・写生・画題化による受容が中心となる。外つ国の神格を妖怪譜に編入する例としてしばしば引用され、時間や季節の擬人化像として位置づけられる。

  • 白溶裔

    白溶裔

    名妖

    しろうねり

    古布なびく怪・白溶裔

    付喪神・骸怪石燕『百器徒然袋』、古布巾の付喪神、絵巻発祥

    詞書原文と「夢の中の徒然」という枠。出典 『画図百器徒然袋』 (天明 4 年・1784) の版本上の細部に踏み込むと、白溶裔がこの妖怪画集の中で持つ位置がさらに鮮やかに見えてくる。石燕の詞書はわずか二文で、「白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ」とある。「白うるり」が 『徒然草』のことばに由るらしい と石燕自ら告げ、続けて「夢のうちに」と結ぶ ── 同書全項を貫く「夢の中で出会った付喪神」という枠組みが、白溶裔ほど濃く体現される項は他にない。書名『徒然袋』が『徒然草』の戯けを引き受ける、その応答が一書を通じて最も澄み切る一節として、白溶裔は読まれるべきである。 上巻第 10 項 ── 「天井嘗 → 白溶裔 → 骨傘」家屋内三連。白溶裔は同書上巻 14 項目のうち第 10 番、前項が「天井嘗(てんじょうなめ)」、後項が「骨傘(ほねからかさ)」という配列に置かれる (一部の二次資料に「中巻所収」とする記述があるが、原本系統の検証では上巻が正しい)。上巻は宝船で始まり栄螺鬼で終わる構成だが、その中盤に「家屋内・身辺の朽ちた物が次々と化す」三連 ── 古い天井の塵 → 古布巾 → 古傘 ── が密に集まる。石燕は付喪神の主題を、雅な道具 (古籠火・文車妖妃) から卑近な日用品へと序列を下げてみせ、その最も卑近な位置に白溶裔を据えた。台所の隅の雑巾という、屋内で最も顧みられない物が霊を得るという落差が、この配置で立ち現れる。 「容裔」という漢語の典拠 ── 『文選』系の旗・幢。「容裔(ようえい)」は古典中国語で水波が揺れる様・風になびく軽やかな様・ゆるやかな歩み・女性の優雅な姿態という四義を持つ漢語で、典拠は曹丕『済川賦』 (「洪波の容裔」)、張衡『東京賦』 (旗・幢が風に翻る描写)、曹植『洛神賦』、左思『呉都賦』等、『文選』系統に複数の用例を持つ。とりわけ張衡『東京賦』の旗のなびく用法が、石燕の「ぼろ布が空中にうねる図像」と意味的にほぼ一致する。石燕が直接『文選』を踏まえたかは確証できないが、「容裔」という漢字 2 字を選んだ時点で、彼が漢籍の旗・幢の意味場を引き寄せていたことは明らかで、白い古布が龍体のように空をうねる図像は、まさにこの漢語の字義を絵に翻訳したものと読める。「白容裔」という複合語自体の中国古典での典拠は確認できず、石燕の和製造語の可能性が高い。 徒然草第六十段と語呂のからくり。 『徒然草』第六十段 の主人公は仁和寺真乗院の盛親僧都(じょうしんそうず)で、芋頭(里芋)を異常に好んで僧坊と銭二百貫を売り払い貪り食う奇人として描かれる。その僧都がある法師の顔を見て、「しろうるり」という綽名を付けた ── 何の意味かと問われ「さる者を我も知らず。若しあらましかば、この僧の顔に似てん」と答えた、という挿話である。「しろうるり」は意味不詳の即興造語で、僧都が法師を貶す戯けの命名にすぎない。石燕はこれを受け、漢語「容裔(ようえい)」に独自に「うねり」という訓を当て (この訓は辞書には登録がない石燕の独自当て訓)、「しろ + ウ段の意味不明音 + リ」という兼好の音骨格を「しろ + うね + リ」に置換した。兼好の「意味不明な造語であえて法師を貶す」戯けと、石燕の「意味不明な漢語に独自訓を当てて卑近な布巾を妖怪化する」戯けが、語呂の上で二重写しになる ── これが石燕の眼目で、単なる地口を超えて「徒然草の戯けを徒然袋で受ける」書名次元の応答になっている。 山田野理夫『古ぞうきんの仇討ち』 ── 創作怪談が与えた性格。後世の脚色源として知られる 山田野理夫『東北怪談の旅』(1974) の「古ぞうきんの仇討ち」 の筋立てを具体に追うと、白溶裔が現代の妖怪事典で持つ「悪臭と粘液で人を襲う」像の出自が見えてくる。話の舞台は岩手県、藩士の下女が主人の藩士を殺害して逃げようとした際、家にあった古雑巾が下女の顔に飛びついて窒息死させる ── これが「仇討ち」の名の由来である。古雑巾は殺された主人の代わりに犯人を討つ、付喪神でありながら忠義の道具という位置づけが、ここで初めて与えられる。石燕の原典には「布巾が人を襲う」要素は一切無く、 水木しげる『図説日本妖怪大全』(1994) や村上健司『妖怪事典』(2000) を含む戦後妖怪事典が定着させた現代の白溶裔像は、山田『古ぞうきんの仇討ち』を実質的な起源としている。「妖怪界の山田起源像」 ── 民俗伝承体で書かれた創作怪談が二次資料を経て伝承化していく ── の代表的事例として、白溶裔は研究上重要な位置を占める。 現代受容 ── ギュギュと水木しげるロード。戦後妖怪百科の系譜は、 水木しげる『図説日本妖怪大全』 、村上健司『妖怪事典』、 多田克己『百鬼解読』(2002) へと引き継がれ、いずれも石燕図と山田挿話を要約する形で項を立てる。テレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』シリーズには複数期で登場し、特に第 5 期では「ギュギュ」という個性的な愛称を与えられて鬼太郎ファミリーの脇役となった。1994 年放映の特撮『忍者戦隊カクレンジャー』第 11 話「ボロこそ最高!!」では妖怪白溶裔をモチーフにした怪人が出るなど、子供向けエンタテインメントの題材としても流通している。鳥取県境港市の水木しげるロードには白溶裔のブロンズ像が据えられ、観光客が日常的に名を知る妖怪となった ── 石燕の図と『徒然草』の戯けから出発し、山田の創作怪談を経て、戦後の子供番組と観光地のブロンズ像にまで届く約 240 年の経路を持つ、卑近な布巾の妖怪である。

  • 蜃気楼

    蜃気楼

    名妖

    しんきろう

    蜃の吐く楼閣・蜃気楼

    自然現象・自然霊中国『史記』『本草綱目』蜃が気を吐く楼閣、渡来観念

    鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に拠る系譜では、蜃=大蛤が海辺で気を吐き、その気が空に満ちて楼台・宮闕の像をなすと解される。図像は海上に城郭や楼門が反転・伸長して漂う様を描き、しばしば蜃そのもの、あるいは龍と併記される作例も見られる。江戸後期には摺物・浮世絵の画題として反復され、見物の話柄となった。伝承は特定の地名に固定せず、越中などの海岸や干潟での目撃談が語られるに留まる。妖怪としては実体を持たず、現れては消え、人を惑わすが害は少ない存在と位置付けられる。

  • 蛇骨婆

    蛇骨婆

    名妖

    じゃこつばばあ

    蛇を纏う老婆・蛇骨婆

    総称・汎称石燕『今昔百鬼拾遺』、絵巻発祥、在地伝承欠如

    蛇骨婆は鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』(天明頃)に掲出された図像・短文解説にもとづく名称で、固有の口承地は示されない。図は蛇を纏う老女の姿で、解説では『山海経』海外西経の巫咸国に触れ、「右に青蛇、左に赤蛇」を持つ人々の説を参照しつつ、当該老女との直接の同定は「未詳」と断つ。名称自体は近世の黒本や芝居に卑罵的な老女称として見え、石燕はこの通俗語を妖怪として造形化したと考えられる。近代以降の図鑑類では、蛇五右衛門の妻、青蛇は凍らせ赤蛇は焼くといった解説が流布するが、これは石燕文言からの連想的脚色で、伝承根拠は明示されない。民俗学的には「鬼婆」「蛇女房」系譜と視覚的連関を持つが、蛇骨婆固有の儀礼・禁忌・地名は同定されていないため、学術的記述では典拠未詳を前提に扱われる。

  • 水虎

    水虎

    名妖

    すいこ

    幼児大の鱗甲・水虎

    水の怪中国『襄沔記』『本草綱目』の水怪、河童の漢語別称、渡来

    この版では、水虎が口伝の妖怪ではなく「書物のなかで形づくられた怪」である点を掘り下げる。河童が川辺の暮らしの恐れから生まれ、地方ごとに無数の姿と名をもつのに対し、水虎の像はもっぱら中国の本草・地誌の引用を通じて伝わった。だから語られる要点もほぼ一定している――幼児ほどの体、堅い鱗、秋に砂上で甲をさらすこと、そして膝だけを水面に見せること。 日本の知識人は、この中国の記述を引きながらも、目の前の河童とどう関係づけるかに頭を悩ませた。『和漢三才図会』は両者を並べて「似ているが同じではない」と慎重に区別し、『水虎考略』は各地から集めた水の怪の報告を「水虎」の枠で整理しようとした。鳥山石燕の『画図百鬼夜行』の図も、この大陸由来の知識を絵にしたものである。捕獲や薬効をうたう記事もあるが、本ごとに解釈が分かれ、実際のところは判然としない。水虎とは、河童という身近な怪を、漢籍の知識でとらえ直そうとした近世の試みが残した、もう一つの水の怪の姿だといえる。

49 - 72 / 121 件の妖怪を表示中