メドチ
めどち
津軽の水に潜む河童・メドチ
この版では、メドチが「河童の方言名」でありながら、津軽という土地に固有の相をもつことを掘り下げる。 まず名である。メドチは蛟(みづち)に由来し、もとは水の蛇神を指す言葉だった。それが河童の名に転じた背景には、水神が時代とともに零落し、敬われる神から畏れられる妖怪へと姿を変えていった、という水辺の信仰の大きな流れがある。メドチという名は、その零落の記憶を今に伝えている。 図像のうえでも、津軽のメドチは独特である。江戸の絵師が描く嘴と甲羅の河童に対し、津軽で語られるのは猿のような顔と黒い体。十和田には顔の赤いメドツの話もあり、色や姿は土地ごとに揺れる。共通するのは、子どもほどの背丈と、人を水へ誘う妖しさである。 信仰のうえで見落とせないのが、水虎様との二面性である。津軽では、人を引くメドチ(魔物)と、それを鎮める水虎様(水神)とが、しばしば同じ存在の二つの顔として語られる。折口信夫は昭和九年、永田の水虎像を実見して写しを作らせ、國學院で川祭りを営んだ。一体の水虎様が四十八匹を束ねるという数は学術には裏づけられないが、メドチが「親方」に統べられるという階層の感覚そのものは、津軽の水神信仰に確かに根づいている。 弱点や鎮めの作法も、すべて川との関わりに根ざす。麻幹に触れれば溶け、初物の胡瓜を先に供えれば人を取らず、水虎様を祀れば淵は穏やかになる。メドチは、津軽の人々が水の恵みと水の恐れの両方とともに生きてきた、その記憶の結び目のような河童である。