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妖怪図鑑

日本の妖怪大百科

592 妖怪|14 カテゴリ|25/25 ページ
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  • 羅城門の鬼

    羅城門の鬼

    名妖

    らじょうもんのおに

    渡辺綱に腕斬らるる・羅城門鬼

    鬼・巨怪京都府

    羅城門や都の辺境に現れる鬼として武士の武威を際立たせる存在。中世軍記・能楽により舞台や細部が異なる複数の語りが伝わるが、核心は「武者が門(あるいは橋)で鬼と一騎打ちし、腕を落とす」点にある。腕は不浄と霊威の象徴として扱われ、後日の奪還譚と結び付く。茨木童子との混交は近世以降の整理過程で強まり、名や場所の転位が生じたが、総体として都の境域にひそむ異界的脅威を体現する。図像では鉄杖・角・赤黒い肌、乱髪で描かれ、荒天や黒雲の演出が定番。武家譚・能楽・絵巻に根ざした表象が現在まで影響している。

  • 龍蛇神

    龍蛇神

    稀少

    りゅうじゃしん

    神在祭の先導神使·龍蛇さま

    神霊・神格島根県

    龍蛇神は、 出雲の神在祭という具体的な祭祀の場で機能する「神使」 として独自の位置を占める。 一般の龍神 (水·雨·海を司る複合的水神) が全国の祈雨·止雨信仰を基層とするのに対し、 龍蛇神はあくまで出雲大社·佐太神社等の神在神事に限定された、 八百万の神の先導役という職能神である。 その実体は信仰上の抽象ではなく、 晩秋に出雲沿岸へ実際に漂着するセグロウミヘビという実在の海蛇であり、 自然現象 (暖海性海蛇の対馬海流による漂着) と神話的時間 (神在月の神来集) が一致する稀有な季節儀礼の核となっている。 漂着個体は大社に奉納され、 出雲大社教の龍蛇神講を通じて火難·水難·盗難除けと招福の神札として庶民に頒たれ、 神使から独立した崇敬対象へと発展した。 海の彼方の常世·異界から来訪する点で、 出雲を他界との通路と見る古代的世界観を体現する。

  • 龍女

    龍女

    珍しい

    りゅうじょ

    水際の鱗ある女・龍女

    水の怪日本各地 (水域に縁ある龍が女と化す)

    水域に近づく旅人や漁労者の前に現れるとされる龍女像を抽出した民俗的類型。人の姿で言葉を交わし、供物や誓いを求める。約定が守られれば水害を退け魚群を寄せるが、破られれば濁流や暴風で戒める。神仏との対立はなく、しばしば祈雨の場で龍神として遇される。人と龍の姿を使い分け、鱗や湿った衣の手触りなどに本性の兆しが表れるとされる。

  • 龍神

    龍神

    神格

    りゅうじん

    嵐を鎮める水神・龍神

    神霊・神格神奈川県京都府

    「嵐を鎮める水神」としての龍神は、海と空の境で天候を握る存在として、漁師と船乗り、そして稲を作る里人に最も切実に祈られてきた。その力は両刃である。時に慈雨を恵んで田を潤し、時に大波と暴風を起こして船を砕く。だからこそ人は、荒ぶる面を鎮め、恵みの面を引き出そうと、さまざまな作法で龍神に向き合った。 海の龍神が手にする最大の神宝は、潮の満ち干をあやつる潮満珠・潮干珠である。山幸彦は海神からこの二玉を授かり、満珠で兄を溺れさせ、干珠で助けて服従させた。潮を自在にするこの力こそ、海を統べる龍神の本質を示す。沿岸の社では時化の鎮まりと豊漁を、内陸では雨を願い、旱には黒馬を献じ、淵には供物を沈めて機嫌をうかがった。芦ノ湖や各地の池に伝わる人身御供の縁起は、荒ぶる龍を高僧が調伏して守護神へ転じさせる筋立てを共有し、恐れと敬いが表裏であったことを物語る。 龍宮の主としての顔も、この水神性と地続きである。海の彼方、水底にある龍神の宮は富と時間の異界であり、そこを訪れた者は宝を得るか、玉手箱のように戻れぬ歳月を負う。龍神は単なる怪物ではなく、水という生死の資源そのものを体現する神格であり、嵐を鎮めるとは、すなわち人と自然のあいだに辛うじて結ばれた約束を守らせることでもあった。

  • 流星憑き

    流星憑き

    一般

    りゅうせいつき

    喝采を喰む流星・流星憑き

    人妖・半人半妖流星と憑依を組合せた近現代創作、固有典拠なし

    都市の夜、イベントや大ニュースの直後に増える。発光は単なる装飾ではなく、境界層で生む熱を「喝采」に変換する呪技で、尾はトレンドの伸びと同期して伸縮する。人々がスマホを一斉に掲げるほど速度が増し、街の外灯を一瞬だけ暗くする「喝采喰い」を行う。フェス上空を周回して撮影者の願いを一つだけ拾うが、願いは「見られたい」「バズりたい」といった上向きの欲ほど通りやすい。逆に、静かな祈りや内省は撥ねられ、翌日の空虚感だけを残す。災厄を呼ぶわけではないが、過度に追う者は睡眠の淵で閃光残像に心を引かれ、現実の手触りを失うとされる。

  • 両面宿儺

    両面宿儺

    伝説

    りょうめんすくな

    飛騨の前後二面・両面宿儺

    鬼・巨怪岐阜県

    『日本書紀』の原文は、宿儺の身体をきわめて具体的に刻む。「一體にして兩面あり、面おのおの相背けり。頂合ひて項なし。おのおの手足あり。其れ膝ありて膕踵なし」――胴はひとつ、顔は前後に背を向けて二つ、頭頂で合わさってうなじがなく、手足は各々の側に備わる。素直に読めば手も足も四本ずつ、計八肢の怪異である。ところが在地に残る像容の多くは、ふたつの顔に腕は四本、脚は二本の「二面四臂」で造られる。『新撰美濃志』が日龍峰寺の開基を「両面四臂の異人」と記すのもこの系統で、文献の記述(八肢)と図像の伝統(四臂二脚)が食い違う点は、宿儺像を読むうえで見落とせない。 その図像をひとつの芸術にまで高めたのが円空である。千光寺の両面宿儺坐像は、二面を前後ではなく左右に並べて彫り、一面に忿怒、一面に慈悲をたたえる。忿怒のなかに救いをにじませるこの造形は、宿儺が救世観音や千手観音の化身とされた信仰と響き合う。 実在性をめぐっては慎重な議論が要る。討伐者とされる難波根子武振熊は、本来は神功皇后の段に現れる人物で、仁徳朝の記事に置かれること自体が時代として整合しない。仏教渡来以前のはずの仁徳朝に観音化身譚が接ぐのも後世の構成で、記事全体を編纂段階の造形とみる説が有力である(永藤靖)。その永藤は、宿儺を位山の本来の祭神=中央史書に隠された英雄と読み、宝賀寿男は飛騨国造の祖に系譜づける。身体描写の異形も、八賀晋は飛騨山民の脛当てなどの装備が誤認・誇張されたものと解する。 名の由来にも諸説がある。「スクナ」の音から少彦名命との縁を説く所伝があり、大林太良はスクナビコナを大国主の「第二の自我」とみる比較神話の枠組みを示した。対で現れる神という主題は、ふたつの顔をもつ宿儺の造形とも通い合う。古代の飛騨が匠丁(飛騨工)を中央へ貢いだ特殊な「技の国」であったことと、異能の宿儺像を重ねる見方もあるが、これは史料に直接の連関があるわけではない。確かなのは、ひとつの名が中央と地方で正反対に語り継がれ、その分裂そのものが両面宿儺という存在を形づくっているということである。

  • 冷蔵守

    冷蔵守

    一般

    れいぞうもり

    冷蔵庫マグネット付喪・冷蔵守

    住居・器物冷蔵庫に宿る付喪神を想定した近現代創作

    昔から団地やアパートに住む人々の間では「冷蔵庫のマグネットが勝手に落ちたり動いたら、冷蔵守の仕業だ」と囁かれてきた。 ある家では、夜中に冷蔵庫の扉を開けると、磁石の飾りが一つだけ別の場所に動いており、翌日その家の主人は冷凍庫の肉を使い忘れて腐らせてしまったという。 また別の家では、子供が夜中に冷蔵庫の前で泣いていたが、理由を聞くと「冷蔵庫から声がして、お菓子を食べろって言った」と答えたと伝わる。 こうした話から、冷蔵守は人の食のリズムを乱す現代の妖怪として知られるようになった。

  • 六右衛門

    六右衛門

    稀少

    ろくえもん

    阿波狸を束ねる総領·六右衛門

    動物変化徳島県

    津田浦に棲む阿波狸の総領·六右衛門の姿。四国じゅうの狸を束ねる総大将として君臨し、正一位の位階を競い合う狸の序列の頂に立つ老練の長である。かつて弟子として迎え、娘との縁組で跡目を継がせようとした金長を、その出奔の後にはやがて宿敵として勝浦川の岸辺で迎え撃つ。両軍六百匹余りが三日三晩を戦い抜いた大合戦の末、一騎討ちに敗れて散ったと伝わるが、その名は講談·映画·アニメへと語り継がれ、阿波狸合戦のもう一方の主役として今に残っている。

  • ろくろ首

    ろくろ首

    伝説

    ろくろくび

    飛頭蛮・抜け首(小泉八雲解釈版)

    人妖・半人半妖日本全国 ── 特定地を持たない人里の怪

    小泉八雲が世界に紹介し、中国の「飛頭蛮」の系譜を最も色濃く受け継ぐ、凄惨にして凶悪な「抜け首(飛ぶ首)」としての解釈版である。江戸期の見世物小屋で親しまれた「首が伸びるお化け」という滑稽なイメージとは完全に一線を画し、人間の血肉や虫を喰らう恐ろしい魔物として位置づけられる。 このバージョンにおけるろくろ首は、昼間はごく普通の人間に擬態しているが、夜間、眠りにつくと首だけが胴体から切り離され、空を飛び回って獲物を襲う。首の付け根には、切断されたことを示す赤い筋や「梵字(ぼんじ)」のような不気味な傷跡が隠されている。首が飛び去っている間の胴体は完全に無防備であり、もしその間に胴体を別の場所へ動かされたり、首の断面を隠されたりすると、戻ってきた首は肉体と再結合できずに地面に落ちて死滅してしまう。 その性質は極めて残忍で執念深く、獲物を見つけると歯を剥き出して群れで襲いかかる。しかし同時に、自らの意志とは無関係に夜な夜な首が抜け出てしまうという「業の深さ」を背負った哀れな被害者としての側面も併せ持つ。人間の内側に潜む「獣性」や「制御不能な抑圧された情念」が、肉体という檻を抜け出して物理的な暴力として顕現した、呪術的かつ心理的な恐怖の体現である。

  • わいら

    わいら

    珍しい

    わいら

    牛似の鉤爪獣・わいら

    山野の怪茨城県

    18〜19世紀の妖怪絵巻に基づく、解説文を伴わない像を再構成した準拠版。巨大な獣体の上半身のみが画かれ、左右の前肢に一本爪の大鉤を有する。体色は作例により暗緑から土色まで幅があるが一定せず、両生類的に見える作例もある。名称は恐れを意味する語義との連想が指摘され、『百怪図巻』『画図百鬼夜行』では「おとろし」と並置される。行動、生態、善悪は記されず、山間の不気味な存在として提示されるに留まる。民間伝承の具体像は未詳で、後代の補説は史料的裏付けに乏しいため採らない。

  • 和久産巣日神

    和久産巣日神

    神格

    わくむすひのかみ

    火と尿から穀物を結ぶ若き産霊・和久産巣日神

    神霊・神格神話上の神生み

    和久産巣日神は、表に立つ食物神ではなく、食物神を生み出す奥の力として読むと姿が見えてくる。『古事記』では、伊耶那美神が火之迦具土神を産んで焼かれ、病み臥したとき、尿から弥都波能売神と和久産巣日神が成る尿から成る和久産巣日神。ここで神は清らかな天空から降りるのではない。火傷、病、尿という、生命の危機と汚れに近い場所から生じる。そのため和久産巣日神の生成力は、最初から土臭く、身体的で、農耕に近い。 「ワク」という名は、若さを帯びている。國學院は、『日本書紀』の「稚」表記を手がかりに、和久を若いの意とし、「ムスヒ」を高御産巣日神・神産巣日神と同じ語とする。ムスヒは、ものを発生させ、結び、成らせる力である。高御産巣日神・神産巣日神が宇宙の初発に近いムスヒなら、和久産巣日神は、伊耶那美神の身体が壊れていく場面に立つ若いムスヒである。創造は完成した秩序からではなく、傷ついた身体の底から再び起動する。 この神が尿から成ることは、単なる奇怪な出生ではない。農耕の目で見ると、尿や糞は肥料となり、水は灌漑となり、火は焼畑や土壌の更新につながる。國學院は、火・肥料・水を受けて若々しい農業生産力が生まれると見る説、また焼畑農法の反映と見る説を紹介している火・肥料・水から生まれる農業生産力。和久産巣日神は、この読みでは、汚れを避ける神ではなく、汚れを作物へ変換する神である。生活の底にある循環を神話化した存在と言える。 『日本書紀』の稚産霊は、その性格をより具体的に示す。軻遇突智と埴山姫の間に稚産霊が生まれ、頭上には蚕と桑が、臍中には五穀が生じる蚕桑と五穀を宿す稚産霊。火神と土神から生まれる点も、農耕的である。焼く火、受け止める土、そこから生じる桑・蚕・五穀。これは保食神や大宜都比売神のような殺害後の死体化生とは違うが、身体の部位に食物や養蚕の源が宿るという神話感覚を共有している。和久産巣日神は、食物起源神話の前段階にある生成力である。 豊宇気毘売神との関係は、和久産巣日神を食物神の系譜へしっかり結びつける。國學院の豊宇気毘売神条目は、彼女を和久産巣日神の子神とし、「宇気」は食物あるいは稲の意と説明する。豊宇気毘売神は後の豊受大神信仰を考える上でも重要な名であり、御饌・食物・稲霊の領域に接続する。和久産巣日神はその親神として、食物そのものではなく、食物を成らせる根の働きを担う。食卓の手前に田があり、田の手前に水と肥料と火があり、そのさらに神話的な奥に和久産巣日神がいる。 この神は、水の読みも引き寄せる。尿から成ること、同じ尿から水神の弥都波能売神が成ること、そして「ワク」が湧くという感覚を連想させることから、温泉や冷泉の湧出をめぐる説もある湧水・温泉との関係。火山活動が火と水を同時に見せるように、神話でも火神誕生の直後に水と生成の神が現れる。火に焼かれた身体から、水と生産力が出る。この反転は、災厄のあとに生活を支える資源が現れるという古い感覚をよく表している。 和久産巣日神を読むうえで、出番の短さは欠点ではない。むしろ、短い記述の中に、火神誕生、伊耶那美神の死、排泄物からの神々、豊宇気毘売神、五穀、蚕桑、焼畑、水、肥料が重なっている。彼は物語の主役として叫ぶ神ではなく、複数の神話を奥で結ぶ神である。保食神や大宜都比売神が「食物は身体や死から出る」と見せるなら、和久産巣日神は「その食物を生む生成力は、汚れの底から若く起こる」と告げる。そこに、若き産霊という名の深さがある。

  • 忘れ物小僧

    忘れ物小僧

    一般

    わすれものこぞう

    物隠す悪戯小僧・忘れ物小僧

    人妖・半人半妖古典·民俗典拠なし、小僧系の近現代創作

    忘れ物小僧は、ランドセルやポケットから落ちた鉛筆や消しゴムなどを集め、自分の宝物にしてしまう。人が探し物で右往左往している姿を見るとケラケラ笑い、満足げに消えていく。 しかし、完全に意地悪というわけではなく、持ち主が本当に困って涙ぐむと、忘れ物をそっと机の上に戻すこともある。 古くは寺子屋の時代から存在し、子供たちの間で「忘れ物をすると小僧に持っていかれるぞ」と囁かれてきた。

  • 渡辺綱

    渡辺綱

    名妖

    わたなべのつな

    羅城門の鬼腕を斬る武者・渡辺綱

    人妖・半人半妖京都府大阪府

    この版本では、渡辺綱を「鬼の腕を斬る境界の武者」として読む。綱の名を最も強く残したのは、羅城門または一条戻橋で鬼に出会い、その腕を斬り落とす物語である。場所が門や橋であることは偶然ではない。門は都の内外を分け、橋は此岸と彼岸をつなぐ。鬼は、まさにその境界に現れる。 綱の武勇は、鬼を一太刀で完全に消すものではない。腕を斬ることはできるが、鬼そのものは逃げる。残された腕は、戦利品であると同時に、怪異がまだ終わっていない証拠である。ここに鬼腕譚の面白さがある。斬られた腕は物として屋敷に入り、人間側の管理下に置かれるが、鬼はそれを取り返すために再び人の世界へ戻ってくる。 老女に化けた鬼の再訪は、綱の弱点を明らかにする。彼は武力には優れるが、親族の姿をした相手には礼を失いにくい。鬼はそこを突く。妖怪退治譚では、怪異を見破る眼力が武力と同じくらい重要である。綱は腕を斬ることには成功したが、変装した鬼を完全に防ぐことはできない。この不完全さが、彼を人間的な英雄にしている。 頼光四天王としての綱は、大江山退治でも重要な位置を占める。単独譚では境界の鬼を斬り、集団譚では頼光の指揮下で酒呑童子へ向かう。つまり綱は、個人の武勇とチームの鬼退治をつなぐ人物である。彼の刀は一対一の怪異にも、大きな討伐物語にも参加する。 この版本の綱は、勝利と取り逃がしの間に立つ。鬼の腕を斬る場面は鮮烈だが、鬼が腕を取り戻す展開は、怪異が単純には封じられないことを示す。境界で怪を斬っても、怪は家の中へ、親族の姿へ、記憶の中へ戻ってくる。渡辺綱の物語は、鬼退治の爽快さと、鬼がなお人間世界に入り込む粘り強さを同時に語っている。 鬼の腕は、境界を越えた物である。鬼の体から切り離された瞬間、それは異界の一部でありながら人間の屋敷に保管される。綱は勝利の証として腕を持つが、その腕は鬼が戻ってくるための目印にもなる。戦利品は、同時に呪物なのである。 老女に化けた鬼は、綱の人間性を攻める。武者は鬼には強いが、親族への礼を捨てられない。ここで物語は、力の勝負から認識の勝負へ移る。相手が鬼だとわかれば斬れる。しかし鬼が家族の顔を借りたとき、人は簡単には斬れない。 この版本の綱は、完全無欠の退治者ではなく、境界で勝ち、家の中で揺らぐ英雄である。だからこそ説話に厚みが出る。鬼退治は外で終わらず、持ち帰ったもの、信じた相手、開けてしまった封印によって、日常へ戻ってからもう一度始まる。 綱の魅力は、この揺らぎを含めて武者であるところにある。強いだけなら怪談は短く終わる。だが彼は強く、同時に騙される。だから物語は、刀の一撃から屋敷の会話へ移り、外の鬼退治から内側の疑念へ深まっていく。 その余韻が、綱の武勇をただの勝利譚にしない。

  • 輪入道

    輪入道

    名妖

    わにゅうどう

    燃ゆる車輪の入道顔・輪入道

    住居・器物京都府

    鳥山石燕の図像に拠る像を基準とする解釈。夜道や辻にて、燃えさかる車輪が低空を巡行し、轂に据わった入道面が通行人を凝視する。視線を合わせたり恐怖に囚われると魂気を奪われ、茫然となると語られる。由来は京都の車輪怪談に遡り、片輪車と素材を共有する可能性が高いが、石燕は入道面を採用し男性像として定着させた。出自は不詳で、怨霊・付喪神・怪火のいずれとも断定できない。対処は戸口に「此所勝母の里」と認めた紙札を貼ること、あるいは直視を避け身を隠すこととされる。地域名や人名を特定する異聞は少なく、古典記録の範囲で語られる素朴な妖怪像が中核である。

  • 笑般若

    笑般若

    珍しい

    わらいはんにゃ

    角牙浮かぶ笑みの鬼・笑般若

    鬼・巨怪長野県

    江戸後期の浮世絵・戯画に見られる笑般若像を基礎にまとめた版本。角・牙・逆立つ髪、見開いた眼と引きつる笑みが核となる。手にするものはしばしば生と死を連想させ、観者に不安を与える意匠が施される。鬼女はもとは人であり、妬心・怨恨・執着が積もって変化すると解される点で、般若面の観念に通じる。具体的な土地伝承の細部は乏しいが、夜席の語り物や絵本で恐れと戒めの象徴として扱われ、女の怨の極相を示す図像として継承された。現地口承では名のみ残る例があり、像容の伝達は主として絵画資料に依拠する。

  • 和霊

    和霊

    名妖

    われい

    宇和島の御霊・山家清兵衛公頼

    霊・亡霊愛媛県

    和霊は、怨霊が御霊へ、そして守護神へと転化する御霊信仰の力学を、近世宇和島の歴史のなかで体現する存在である。生前の山家清兵衛は藩政改革に身を捧げた家老であり、その非業の死(和霊騒動)と、関与者を襲った落雷・海難の連鎖が、人々に祟りの実感を与えた。畏怖から祀られた霊は、無実が公に認められたことで性格を反転させ、「和霊さま」として漁業・産業を守る神格を得た。和霊神社の和霊大祭で練り歩く牛鬼の群れは、この御霊を慰め鎮める祭礼装置であり、宇和島では妖怪(牛鬼)と御霊(和霊)とが祭りのなかで分かちがたく結びついている。

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