🔤 かな別妖怪図鑑

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藤原千方の四鬼

藤原千方の四鬼

珍しい

ふじわらのちかたのよんき

太平記伊勢の四鬼

鬼・巨怪三重県岩手県

『太平記』巻十六に名が見える、藤原千方に従った四体の鬼。金鬼は兵具を通さぬ堅躯、風鬼は烈風を起こし、水鬼は洪水を起こし、隠形鬼は姿気配を隠して奇襲するという。千方は四鬼を率いて朝廷に背いたが、討伐に赴いた紀朝雄の和歌により四鬼は退散し、千方は滅ぼされたと語られる。地方伝承では火鬼・土鬼を数える異説もある。

藤原広嗣

藤原広嗣

名妖

ふじわらのひろつぐ

御霊信仰の前触れとなった反乱者の霊

霊・亡霊佐賀県

藤原広嗣は、奈良時代に大宰少弐として九州へ下り、天平十二年の反乱を起こして敗死した人物である。『続日本紀』は、広嗣が吉備真備・玄昉らを除くよう上表し、兵を挙げ、追討軍に敗れて処刑された経緯を伝える。妖怪・神霊の文脈で重要なのは、彼が単なる反乱者ではなく、死後に祟りや御霊信仰と結びつく「政治的敗者の霊」として語られた点である。 広嗣の霊は、平安以降に発達する御霊信仰の前史として読むことができる。早良親王、菅原道真、崇徳天皇、平将門のように、政治的に敗れた者の死が災厄や祟りと結びつき、鎮魂・祭祀の対象となる流れがある。広嗣もまた、九州の地で討たれた貴族として、鏡神社などの伝承に名を残す。中央政争と地方の記憶が交わるところに彼の怪異性がある。 このページでは、広嗣を怨霊として断定しすぎず、「怨霊化した歴史的人物」として慎重に扱うのがよい。記録上の反乱、政敵への批判、玄昉との因縁、九州での敗死、後世の鎮魂が層を成しているからである。YOKAI.JP の御霊ネットワークに加えることで、菅原道真や早良親王だけでは見えにくい奈良時代の政治的怨霊の入口を作れる。 広嗣を加える価値は、御霊信仰を有名どころだけで終わらせない点にある。菅原道真や平将門は広く知られているが、その前に政治的敗者が霊威を帯びる感覚はすでに芽生えていた。広嗣は、奈良時代の公的記録と後世の鎮魂伝承をつなぐ早い例として、怨霊カテゴリの厚みを増やす。地方に残る鎮魂の記憶まで含めて読むべき人物である。

衾

衾

珍しい

ふすま

夜道の白布・佐渡の衾

住居・器物石燕画図系の被り怪、佐渡·土佐に分布伝承だが一次出典確証できず

衾(ふすま)は、夜間に飛来する布の妖怪である。古典『枕草子』『源氏物語』にも見える寝具「衾」(一枚布の夜着)が、そのまま怪異化したかのような名で呼ばれる。代表的な伝承地は新潟県佐渡島で、夜道や宿の外を一人歩む者の頭に風呂敷大の白布がふいに飛来して被さり、視聴覚を塞ぎ、ときに息を詰まらせて命を奪うとされる。佐渡では正宗の名刀でも斬ることができず、ただ 鉄漿(かね、お歯黒)で染めた歯 でのみ噛み切れると伝わる。佐渡で男性も明治期までお歯黒を施していたという民俗事象は、しばしばこの怪との対処と関連づけて語られるが、両者の因果関係を直接示す一次資料は確認されていない。同名の伝承は高知県の土佐にもあり、こちらは四方の縁が見えぬほど巨大な布が全身を包み込むという形で、退治法も「煙草を吸う」「落ち着いて座って待つ」と佐渡型と大きく異なる。なお、「鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に衾が収録されている」とする紹介がしばしば見られるが、これは誤伝である ── 同書に載るのはムササビ系の獣怪「野衾」であって、寝具型の衾ではない。衾は江戸絵巻系統の妖怪ではなく、 『綜合日本民俗語彙』(1955) および 『妖怪談義』(1956) を経て近代民俗学が地方伝承から拾い上げた怪である点を、まず押さえておく必要がある。

二口女

二口女

名妖

ふたくちおんな

後頭の蛇髪口・二口女

人妖・半人半妖千葉県東京都

二口女(ふたくちおんな)は、後頭部または項(うなじ)にもう一つの口をもつとされる女の妖怪。江戸後期の奇談集『絵本百物語』(桃山人夜話、天保十二年=一八四一年刊)の一図として広く知られ、編者桃山人(とうさんじん)の文に竹原春泉斎が挿絵を添えた。普段は長い黒髪で後ろの口を覆い、表向きは淑やかな女としてふるまうが、空腹になると後頭の口が二枚の唇をうごめかせて物を乞い、髪を蛇のように操って食物を口へ運ぶと描かれる。ただし髪を触手のごとく動かして食をむさぼる図像表現は本文には記されず、竹原春泉斎の絵による創意とされ、文と画の間には齟齬がある。人妖・半人半妖に分類され、外見は常人と変わらぬまま身体の一部に異形を宿す点に特徴がある。後ろの口は本人の意思とは無関係に飲食を求めて当人を苦しめ、悪行の報いとして身に生じた「奇病」「業病」として語られた。

布刀玉命

布刀玉命

神格

ふとだまのみこと

岩戸に御幣を取り持つ祭具神・布刀玉命

神霊・神格千葉県徳島県

布刀玉命(ふとだまのみこと)は、天岩戸の前で御幣を取り持ち、天孫降臨では忌部首の祖とされた、祭具と産業を司る神である。『古事記』天の石屋②では、天照大御神が岩戸に籠もった後、思金神の策のもとで天児屋命・布刀玉命が召され、天香山の鹿骨と波々迦による卜占、真賢木への玉・鏡・白丹寸手・青丹寸手の奉献が整えられる。そこで布刀玉命は、並べられた品々を布刀御幣登取り持ちて、天児屋命の祝詞とともに岩戸開きの祭祀を成立させる。天児屋命が声を担うなら、布刀玉命は物と手続きの側を担う神である。天孫降臨②では、布刀玉命は天児屋命・天宇受売命・伊斯許理度売命・玉祖命とともに五伴緒として天降り、忌部首等の祖と記される。安房神社公式由緒では、天太玉命として「上の宮」の主祭神に祀られ、日本の全ての産業創始の神と説明される。さらに同社は、天太玉命を天照大御神の近くに仕えた神、斎部氏・忌部氏の祖神とし、鏡・玉・幣帛・織物・矛楯・社殿造営に及ぶ職能を語る。大麻比古神社公式由緒も、天富命が阿波国で麻楮の種を播殖し、麻布木綿を製して殖産興業の基を開いたと伝え、太祖天太玉命をその守護神に位置づける。布刀玉命の本質は、神前に差し出される物を、ただの物ではなく祭祀と産業の働きへ変える力にある。

布団かぶせ

布団かぶせ

稀少

ふとんかぶせ

寝床に降る重み・佐久島の布団かぶせ

住居・器物愛知県

布団かぶせ(ふとんかぶせ)は、愛知県三河湾佐久島に伝わる夜具の怪である。何の前触れもなく寝床にふわりと布団が飛来し、人の上に被さって息を詰まらせるとされる。出現の時刻や場所、退治法の細部は古い記録に明記されておらず、佐渡の衾や鹿児島の一反木綿と同じく、夜具・布類が人を覆って窒息させるという骨格のみが短い民俗報告として伝わる。一次典拠は瀬川清子 (1895-1984) が三河湾の漁村を調査した採集ノートで、柳田國男編『海村生活の研究』(1949) に収められた一行ほどの記述に尽きる。江戸期の絵巻・絵本類にも、近世の地誌類にも姿が見えない、近代沿岸民俗学が拾い上げた地方の怪である。在地の漁業集落で語られた素朴な伝承であり、後世の妖怪事典がこれを「夜具系の怪」として枠付けたことで、衾・一反木綿と並ぶ類例として位置を得るに至った。

不動明王

不動明王

神格

ふどうみょうおう

忿怒の大日教令·不動明王

神霊・神格インド密教 Acalanatha 由来、空海が請来した渡来尊

不動明王(ふどうみょうおう)は、仏教(特に密教)の核心的な尊格であり、日本の民俗信仰において「お不動さん」として極めて広く、かつ深く信仰されてきた存在です。サンスクリット語名はアチャラナータ(揺るぎなき守護者)であり、密教における最高位の仏である大日如来の化身(教令輪身)とされています。穏やかな姿では救済しがたい衆生に対し、あえて恐ろしい憤怒の相をとることで、強制的にでも正しい道へと導こうとする「慈悲の極致」を体現しています。その名の通り、悟りへの決意が「磐石」のように揺るがないことを意味し、修行者がいかなる過酷な状況下でも仏道を諦めない誓いの象徴でもあります。右手に持つ剣は煩悩を断ち切る「智慧」を、左手に持つ羂索(縄)は衆生を縛り上げてでも救い出す「慈悲」を、背後の猛火はすべての煩悩を焼き尽くす力を意味し、これらはすべて人々を救済するための手段として体系化されています。

船幽霊

船幽霊

名妖

ふなゆうれい

壇ノ浦の提子乞い・船幽霊

船幽霊(ふなゆうれい)は、水難で命を落とした者の霊が海上に現れる怪異である。船や亡霊、怪火、海坊主のような影など、その姿は地域や伝承によりさまざまに語られる。多くは時化の夜や霧のかかった晩に現れ、ひしゃくで船内へ海水を注ぎ込んで沈めようとする、あるいは進路を惑わせて座礁させるとされる。底を抜いたひしゃくを渡す、握り飯や灰を投げる、睨み据えるなど、地域ごとに異なる対処法が伝えられる。亡者船・ボウコ・アヤカシなどの呼称もある。鳥山石燕も『今昔画図続百鬼』に船幽霊を描いている。

船幽霊

船幽霊

名妖

ふなゆうれい

いなだ貸せの船幽霊

船幽霊(ふなゆうれい)は、水難で命を落とした者の霊が海上に現れる怪異である。船や亡霊、怪火、海坊主のような影など、その姿は地域や伝承によりさまざまに語られる。多くは時化の夜や霧のかかった晩に現れ、ひしゃくで船内へ海水を注ぎ込んで沈めようとする、あるいは進路を惑わせて座礁させるとされる。底を抜いたひしゃくを渡す、握り飯や灰を投げる、睨み据えるなど、地域ごとに異なる対処法が伝えられる。亡者船・ボウコ・アヤカシなどの呼称もある。鳥山石燕も『今昔画図続百鬼』に船幽霊を描いている。

船幽霊

船幽霊

名妖

ふなゆうれい

隠岐都万のムラサ・船幽霊

船幽霊(ふなゆうれい)は、水難で命を落とした者の霊が海上に現れる怪異である。船や亡霊、怪火、海坊主のような影など、その姿は地域や伝承によりさまざまに語られる。多くは時化の夜や霧のかかった晩に現れ、ひしゃくで船内へ海水を注ぎ込んで沈めようとする、あるいは進路を惑わせて座礁させるとされる。底を抜いたひしゃくを渡す、握り飯や灰を投げる、睨み据えるなど、地域ごとに異なる対処法が伝えられる。亡者船・ボウコ・アヤカシなどの呼称もある。鳥山石燕も『今昔画図続百鬼』に船幽霊を描いている。

船幽霊

船幽霊

名妖

ふなゆうれい

九州西岸のウグメ・船幽霊

船幽霊(ふなゆうれい)は、水難で命を落とした者の霊が海上に現れる怪異である。船や亡霊、怪火、海坊主のような影など、その姿は地域や伝承によりさまざまに語られる。多くは時化の夜や霧のかかった晩に現れ、ひしゃくで船内へ海水を注ぎ込んで沈めようとする、あるいは進路を惑わせて座礁させるとされる。底を抜いたひしゃくを渡す、握り飯や灰を投げる、睨み据えるなど、地域ごとに異なる対処法が伝えられる。亡者船・ボウコ・アヤカシなどの呼称もある。鳥山石燕も『今昔画図続百鬼』に船幽霊を描いている。

船幽霊

船幽霊

名妖

ふなゆうれい

銚子の亡霊ヤッサ・船幽霊

船幽霊(ふなゆうれい)は、水難で命を落とした者の霊が海上に現れる怪異である。船や亡霊、怪火、海坊主のような影など、その姿は地域や伝承によりさまざまに語られる。多くは時化の夜や霧のかかった晩に現れ、ひしゃくで船内へ海水を注ぎ込んで沈めようとする、あるいは進路を惑わせて座礁させるとされる。底を抜いたひしゃくを渡す、握り飯や灰を投げる、睨み据えるなど、地域ごとに異なる対処法が伝えられる。亡者船・ボウコ・アヤカシなどの呼称もある。鳥山石燕も『今昔画図続百鬼』に船幽霊を描いている。

船幽霊

船幽霊

名妖

ふなゆうれい

久慈小袖の黒船・船幽霊

船幽霊(ふなゆうれい)は、水難で命を落とした者の霊が海上に現れる怪異である。船や亡霊、怪火、海坊主のような影など、その姿は地域や伝承によりさまざまに語られる。多くは時化の夜や霧のかかった晩に現れ、ひしゃくで船内へ海水を注ぎ込んで沈めようとする、あるいは進路を惑わせて座礁させるとされる。底を抜いたひしゃくを渡す、握り飯や灰を投げる、睨み据えるなど、地域ごとに異なる対処法が伝えられる。亡者船・ボウコ・アヤカシなどの呼称もある。鳥山石燕も『今昔画図続百鬼』に船幽霊を描いている。

ふらり火

ふらり火

稀少

ふらりび

無縁仏の炎鳥・ふらり火

自然現象・自然霊出自不詳 ── 鳥山石燕『画図百鬼夜行』の怪火

ふらり火は、江戸期の妖怪画に描かれた怪火で、炎に包まれた鳥の姿として示される。鳥山石燕『画図百鬼夜行』の画は顔がインド神話の迦楼羅を思わせ、佐脇嵩之『百怪図巻』や作者不詳『化物づくし』にも作例が見られる。いずれも解説文は乏しく性状は明確でない。一般には供養を受けぬ霊が彷徨い、火として顕れる現象と解され、異形の鳥面はその象徴的表現とされる。

振袖の怪

振袖の怪

稀少

ふりそでのかい

江戸を焼いた振袖・振袖火事

住居・器物東京都

振袖の怪(振袖火事)は、若い娘の死を次々に呼んだとされる一枚の振袖をめぐる江戸の都市怪談である。同じ振袖に袖を通した娘が、年も月日も同じくして三人つづけて死に、寺がこれを焼いて供養しようとしたところ、火のついた振袖が狂風に舞い上がって堂宇に燃え移り、江戸の大半を焼く大火を引き起こした――と語られる。この大火こそ、明暦三年(一六五七年)正月、江戸の市街の大半・多くの大名屋敷・江戸城天守までを焼き、三万から十万ともいわれる死者を出した明暦の大火であり、その俗称が「振袖火事」である。火元は本郷丸山の本妙寺とされ、振袖の因縁譚はこの火元伝承と分かちがたく結びついている。物として人を祟る器物の怪であると同時に、江戸という巨大都市そのものを焼いた災厄の記憶を、一枚の衣に凝縮した怪異でもある。

古空穂

古空穂

稀少

ふるうつぼ

那須野武功の古靫・古空穂

付喪神・骸怪石燕『百器徒然袋』、靫の付喪神、絵巻発祥

古空穂は、鳥山石燕『百器徒然袋』に描かれる靫(うつぼ)の付喪神。矢を収め背負う武具の靫が、時を経て自らはい回るように擬人化した姿で表される。石燕は詞書で「奈須野の原の野干」を射た三浦介・上総介に触れ、彼らの古い靫が変じたものかと示唆する。室町の『百鬼夜行絵巻』に見える弓矢を帯びた器物妖怪の系譜に連なる図像と解される。

ブナガヤ

ブナガヤ

珍しい

ぶながや

やんばるの森の精・ブナガヤ

山野の怪沖縄県

ブナガヤは、沖縄本島北部のやんばる(山原)の森に棲むとされる精霊で、赤い髪に半裸の子供の姿で語られる。広くキジムナーと同系とされるが、ガジュマルの古木そのものを宿とする樹霊のキジムナーに対し、ブナガヤは森や川そのものに宿る精霊として語られる点に違いがある。とりわけ火(ブナガヤ火)を扱うとされ、夜の山あいに灯のように現れる怪火がブナガヤのしわざと考えられた。人を化かし、相撲を好み、魚を獲り、木を傷つける者には祟るといった性質はキジムナーと重なるが、その活動はやんばるの深い森と渓流に強く結びついている。

不落不落

不落不落

稀少

ぶらぶら

竹提灯の不落不落

付喪神・骸怪石燕『百器徒然袋』、提灯の付喪神、典拠不明

鳥山石燕『百器徒然袋』に描かれた提灯の妖怪。竹に結わえられ、裂け目を口のように開いた提灯が道へ覆いかぶさる姿で示される。画中詞には田の提灯火に見ゆれど狐火かもしれぬとの含意が添えられるが、石燕の巻では器物の妖怪群に配されるため、提灯が化した付喪神として理解される。名称は画中に「不々落々」とも記され、一般には「不落不落」と表記される。

震々

震々

珍しい

ぶるぶる

襟元を凍らす震々

霊・亡霊石燕『今昔画図続百鬼』、恐怖の身震いを擬人化した観念的妖怪、絵巻発祥

震々は、鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれた恐怖の兆しを人格化した妖怪。人が不意の畏れに襟元から寒気を覚え、首筋がぞっと粟立つのは、この震々が取り憑くためと解される。別名に臆病神・ぞぞ神が挙げられ、恐怖が身体感覚として現れる機微を示す象徴的存在として語られる。具体的な姿形や出自は明確でなく、概念化された「おそれ」の霊格に近い。

豊後河太郎

豊後河太郎

珍しい

ぶんごのかわたろう

豊後の毛深い河童・豊後河太郎

水の怪大分県

豊後河太郎(ぶんごのかわたろう)は、九州の豊後(ぶんご)地方、いまの大分県に伝わる河童の一種である。九州では河童を「河太郎(かわたろう)」と呼ぶことが多く、豊後河太郎もその土地の呼び名にあたる。川や淵に棲み、頭には水をたたえた皿をいただく。体は毛におおわれて猿に似るが、嘴(くちばし)のような口や甲羅も備えるとされる。相撲や水中での悪戯を好み、漁の獲物を奪う一方、約束を守れば用水や薬の知恵を授けるなど、河童らしい二面性をもつ。皿の水が失われると力をなくすと信じられた。

幣六

幣六

稀少

へいろく

御幣を振る荒鬼・幣六

付喪神・骸怪石燕『百器徒然袋』、御幣の付喪神、絵巻発祥

幣六は、鳥山石燕の『百器徒然袋』に描かれる妖怪。右手に御幣を掲げ、上半身裸で荒々しい姿に表される。解説文は「花のみやこに社さだめず…」とあり、祭祀の乱れや騒擾を暗示するが詳細は不明。室町期の『百鬼夜行絵巻』に見える御幣を持つ赤鬼風の像が下敷きとされ、後世には御幣に宿る精、あるいは祭礼の混乱を擬人化した存在として解釈されることがある。

ベトベトさん

ベトベトさん

名妖

べとべとさん

夜道に続く足音・ベトベトさん

山野の怪奈良県静岡県

ベトベトさんは、姿を見せずに足音だけで人の背後へ付き添う夜道の妖怪である。奈良県宇陀郡を中心に知られ、暗い道を歩いていると「べとべと」「ぺたぺた」と湿った足音が後ろから続くが、振り返っても誰もいない。恐ろしさは形の奇怪さではなく、足音の距離がいつまでも変わらないことにある。追いつくでも離れるでもなく、人の歩幅にぴたりと合うため、歩く者は自分の背後に見えない同行者を背負わされる。 ベトベトさんは、危害を加える妖怪というより、見えないものへ礼を尽くすことで通過できる境界の怪である。「ベトベトさん、お先へお越し」と声をかけて道を譲ると、足音が前へ移り、やがて消えるとされる。この作法は、恐怖を力で排除するのではなく、相手を存在として認め、道の順番を譲る民俗的な知恵を示す。水木しげるの図像化は丸く親しみやすい姿を与えたが、本来のベトベトさんは、夜道の音、湿った土、背後の空白から生まれる無形の気配である。 この妖怪は、可視化された近代妖怪キャラクターと、無形の民俗経験との距離が大きい。絵では小さな姿を得たが、伝承の中心はあくまで背後の足音である。だからベトベトさんを読むときは、姿を探すより、暗い道で自分の歩行音がもう一つ増える感覚を想像する必要がある。

弁財天

弁財天

伝説

べんざいてん

古代インド由来·中世日本変容の女神·弁財天

神霊・神格神奈川県滋賀県

弁才天 (ベンザイテン·弁財天) は古代インドのヒンドゥー教女神サラスヴァティー (Sarasvatī) を起源とする仏教守護神で、 日本では中世以降に独自の発展を遂げた神格である。 サンスクリット名「サラスヴァティー」 が漢訳経典で「弁才天·辨財天」 と訳された。 原型のサラスヴァティーは音楽·学芸·言語·川の女神で、 仏教受容後は法華経·金光明経等で守護尊化された。 日本では鎌倉時代以降、 日本古来の人頭蛇身の宇賀神 (うがじん) と習合して宇賀弁才天 (うがべんざいてん) という独自の神格が成立、 これが本来「弁才天」 から「弁財天」 へと呼称が変化する財福神化の決定的契機となった。 日本三大弁天 (神奈川県·江島神社·滋賀県·竹生島宝厳寺·広島県·厳島神社) を中心に、 銭洗弁財天宇賀福神社 (神奈川県鎌倉市)·天河大弁財天社 (奈良県天川村) 等の主要鎮座地を持つ。 江戸期には七福神唯一の女神として広く崇敬され、 現代では蛇神化·財福神化·カップル参拝禁忌等の俗信も含めて妖怪学·民俗学の重要素材となっている。

火明命

火明命

神格

ほあかりのみこと

嵐を呼ぶ荒御子・火明命

神霊・神格兵庫県

火明命(ほあかりのみこと)は、天孫の系譜に置かれる天津神であり、丹後では開拓と農桑をもたらす祖神、播磨では父神に背いて嵐を起こす荒ぶる御子神として語られる。『古事記』天孫降臨の段では、天忍穂耳命が高木神の娘・万幡豊秋津師比売命と結ばれて生んだ二柱のうち、先に天火明命、次に日子番能邇邇芸命が挙げられる。天照大御神の御子筋と高御産巣日神の家筋をつなぐこの位置づけは、火明命を天孫降臨の直前に現れる「光の神」として読ませる。丹後一宮・籠神社の由緒では主祭神を彦火明命とし、別名を天照国照彦火明命、天孫邇邇藝命の兄弟神とする。さらに天祖から息津鏡・邊津鏡を授かり、冠島に降臨して丹後・丹波に養蚕や稲作を広めた神と伝える。一方、『播磨国風土記』飾磨郡では、火明命は大汝命の子として現れ、因達神山で置き去りにされた怒りから波風を起こし、父の船を覆す。散った船具や荷は姫路周辺の丘の名となり、蚕子の落ちた地は日女道丘、すなわち姫山の名へつながる。ここで重要なのは、これらを無理に一つの直線的な系譜へ押し込まないことだ。古事記の天火明命、籠神社の彦火明命、播磨の火明命は、同じ神名を共有しながら、それぞれ天上の光、海上降臨と農桑、怒りによる地名創生を担う。火明命を一つの由緒だけに閉じ込めると、その姿はかえって細くなる。天の光、丹後の農桑、播磨の暴風が重なってこそ、この神名が古代日本の各地で担った厚みが見えてくる。

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