🔤 かな別妖怪図鑑

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墓の火

墓の火

稀少

はかのひ

五輪塔の燐火・墓の火

自然現象・自然霊石燕『今昔画図続百鬼』、荒れた墓地の怪火、絵巻発祥

墓の火は、墓地や古い五輪塔の周囲に現れる怪火の一種。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』には、藪に囲まれ荒廃した墓所で、梵字の欠けた五輪塔に炎が燃え上がる姿が描かれる。梵字が欠けたため断たれるべき煩悩が炎となると解されることがある。近世の怪談では、屍体や墓から漏れた血や脂が燐火となって発する怪異として語られ、夜間にゆらめきながら漂うという。

白蔵主

白蔵主

名妖

はくぞうす

僧に化けて狐釣りを止める白狐・白蔵主

動物変化山梨県

白蔵主は、狐が僧の姿を借り、人間の殺生と狐の本能を同時に照らし出す化狐である。もっとも広く知られる筋は狂言『釣狐』で、猟師に一族を捕られた老狐が、猟師の伯父である僧・白蔵主に化け、狐釣りをやめるよう説きに来る。そこでは狐はただ人をだます獣ではない。狐は神に近いものとして語られ、玉藻前と殺生石の故事まで引きながら、人間の殺生を戒める言葉を操る。しかし帰り道、老狐は罠に置かれた餌の匂いに抗しきれず、ついに狐の姿をあらわす。白蔵主の怖さは、変化の巧みさだけではなく、智恵と本能、説法と飢え、信仰と獣性が一つの身体の中で裂ける瞬間にある。 白蔵主は、狐が人間社会へ入るときに選ぶ「姿」の意味を考えさせる妖怪でもある。美女や母、旅人に化ける狐譚では、変化は情や欲望の入口になる。ところが白蔵主は僧衣をまとい、説法の声で人間を止める。僧という姿は、村落で信頼される知識と戒めの形であり、狐はその権威を借りて猟師を動かす。天保十二年刊の『絵本百物語』にも白蔵主が収められていることから、この狐は舞台だけの役ではなく、江戸後期の怪談画集にも残る変化狐として読まれてきた。信太森の葛の葉が人間との愛と別れを背負う狐なら、白蔵主は僧衣と罠のあいだで破れる老狐であり、狐の霊性と危うさを舞台の身振りとして刻み込んだ存在である。 そのため白蔵主は、狐の変化能力を誇示する英雄ではなく、変化がどこで破綻するかを見せる妖怪である。人間に似るほど人間の法を語れるが、狐である以上、餌と匂いと復讐の衝動から離れられない。この矛盾が、狐譚を倫理劇にも怪談にも変えている。

白沢

白沢

神格

はくたく

万事を見通す瑞獣・白沢

神霊・神格中国 (『白沢図』由来・江戸期に辟邪図として流布)

白沢(はくたく)は、中国の古伝承に由来する瑞獣で、人語を解し天下の妖異・鬼神・病災のことごとくに通暁するとされる。麒麟や鳳凰と同じく、徳ある聖王の世にのみ姿を現す瑞祥の獣と位置づけられ、その口から授けられた知識を書き留めたのが妖怪除けの書『白沢図』であったと伝える。図像の典型は獅子に似た白い獣で、牛のような二本の角をもち、額や胴の側面に複数の眼を備える──鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』では頭部に三眼、左右の胴に各三眼を配した「九眼」の姿に描かれ、これが後世の日本の白沢像の基準となった。額の眼や全身の眼は、あらゆる妖異を見通す全知性の表象と解される。日本では江戸期にこの図そのものが辟邪(へきじゃ)の護符として流布し、旅の安全や病魔除け、さらには悪夢を食らうとされる獏(ばく)と並んで悪夢除けにも用いられた。重要なのは、白沢が妖怪を腕力で「退治する」獣ではなく、妖怪を知り尽くすことで人にその正体と防ぎ方を教える、知と分類の象徴としての神獣だという点である。すなわち未知の災いに名を与え、対処法を整理して人に手渡すところに本領があり、妖怪学の祖型ともいえる存在として尊ばれた。なお角や眼の数、獅子形か牛形かといった姿の細部は文献・絵師により差異があり、一定しない点には注意を要する。

橋姫

橋姫

名妖

はしひめ

宇治橋鉄輪の鬼女・橋姫

人妖・半人半妖京都府

橋姫(はしひめ)は、古い大橋を司る女神・鬼女として語られる存在で、水神・土地神の信仰と橋の境界をまもる観念が結びついて成立した。代表は山城国宇治川の宇治橋に祀られる橋姫で、ほかに摂津の長柄橋、近江の瀬田の唐橋にも橋姫の伝承がある。古来、橋はこの世とあの世、村と外界を分かつ境であり、そこに坐す女神は嫉妬深く一途とされ、橋の上で他の橋を褒めること、夫婦連れで渡ること、嫉妬や恋の歌を口ずさむことを忌む俗信が各地に伝わった。『古今和歌集』巻十四には「さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらむ宇治の橋姫」の一首が見え、独り寝で恋人を待つ女神の面影を伝える。中世以降はこの面影が一転し、嫉妬のあまり生きながら鬼と化す「生成(なまなり)」の鬼女像が語られて、橋を守る女神と人を呪う鬼女という二面を併せもつに至った。縁切り・縁結びの両方の霊験を説く信仰も、この二面性に根ざす。

機尋

機尋

稀少

はたひろ

布に宿る蛇身の恨・機尋

付喪神・骸怪石燕『今昔百鬼拾遺』、機織りの布が蛇になる、言葉遊び創作

機尋は、鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に描かれた布の妖怪。機で織られた布にこもった怨念が蛇身となり、人を捜してさまよう姿として示される。作中解説では、外出して戻らぬ夫を恨みつつ機を織る女の情念が布を変じさせたとされる。実在の口承は確認されず、石燕の創意に基づく観念的怪として美術史的に位置づけられる。

八幡神

八幡神

神格

はちまんしん

三神一体·武運国家の守護神·八幡神

神霊・神格大分県

八幡神(はちまんしん/やはたのかみ)は、日本で最も広く信仰されている神の一つであり、全国に約四万社あるとされる八幡宮(八幡神社)の主祭神です。その起源は九州・豊前国の宇佐(大分県宇佐市)に祀られていた地方神・土着神であったとされますが、『古事記』や『日本書紀』といった日本神話には一切登場しないという、極めてミステリアスな出自を持ちます。奈良時代から平安時代にかけて、第15代天皇である応神天皇(誉田別命)の神霊と同一視(習合)されるようになり、皇室の祖先神(皇祖神)としての地位を確立しました。また、日本の神として初めて仏教の「菩薩」の号を授けられ「八幡大菩薩」となった、神仏習合の歴史の最先端を突き進んだ神でもあります。中世以降は源氏の氏神となり、全国の武士から「武運長久の神(武神)」として圧倒的な崇拝を集めました。

八郎太郎

八郎太郎

伝説

はちろうたろう

三湖伝説の龍神・八郎太郎

水の怪秋田県

八郎太郎は、秋田県の八郎潟(八郎湖)を主とする龍神である。もとは鹿角地方のマタギ(狩人)であったが、仲間と分け合うべき岩魚三匹を一人で焼いて食べたために激しい渇きに襲われ、谷川の水を飲み続けるうちに大蛇・龍へと姿を変えたと伝わる。龍となった八郎太郎は十和田湖を堰き止めて自らの棲み処としたが、のちに熊野からの僧・南祖坊と湖の主の座を争って敗れ、北西へ落ちのびて八郎潟を開き、その主となった。秋田三湖(十和田湖・八郎潟・田沢湖)をまたぐ壮大な龍神譚「三湖伝説」の中心に立つ存在で、田沢湖の辰子姫と結ばれる後日譚を含めて、北東北の湖沼信仰を体系づける物語の主役となっている。

八尺様

八尺様

伝説

はっしゃくさま

白っぽいワンピースの長身女・八尺様

霊・亡霊オンライン(2ちゃんねる・オカルト板)

春休みに入ったばかりの晴れた日、農家の広縁へ、意味の分からない人声が庭から届く。「ぽ」と「ぼ」の間を揺れるような音のあと、約2メートルの生垣の上を帽子が横切り、切れ目から白っぽいワンピースの女が現れる。頭は生垣よりも高い。八尺様は、この日常の寸法が突然合わなくなる場面から始まる、現代日本を代表するネット怪談の一つである。 語り手が目撃した女を祖父母へ話すと、二人の態度は一変する。祖母によれば、その地区にいる「八尺様」は名の通り八尺ほどの背丈を持ち、見る人によって喪服の若い女、留袖の老婆、野良着姿の年増にも見えるという。共通するのは女性の姿、異常な長身、頭に何かを載せていること、そして男の声にも似た奇妙な笑いである。近代の度量衡で1尺は10分の33メートルと定められ、8尺は約2.424メートルに相当する。帽子の色や形、髪、顔立ちを描き切らない文章の余白が、後世の多様な図像を育てた。 物語の舞台は、市名と旧村名を伏せられた、大字ほどの一地区である。東西南北の村境には4体の地蔵が置かれ、八尺様の通れる道を塞いでいる。魅入られた語り手は、札、窓の目張り、四隅の盛塩、小さな仏像と祈りを重ねた二階の部屋で、日没から翌朝7時までを過ごす。深夜には祖父に酷似した声が扉の外から呼び、窓を軽く叩く音が続く。翌朝は9人乗りの車の中央へ座り、薄い血縁のある7人の男たちと助手席のKさんに八方を囲まれ、その祈りと前後の車列に守られて地区外へ出る。さらに10年後、4体のうち自宅へ通じる道の地蔵が壊れたという電話が届き、声が再び来るかもしれないという不安を残して話は閉じる。 現在、起点として確認できるのは、2008年8月26日に匿名掲示板「2ちゃんねる」のオカルト板へ投稿された「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?196」のレス908から916である。同じIDの匿名利用者が、午前9時45分56秒から9時54分54秒までの約9分間に9件を連続投稿した。スレッドは体験談にも創作にも開かれた場であり、現実の地名や事件を裏付ける別資料は知られていない。八尺様は、古い土地の記憶を語る体裁と、匿名掲示板の一気読みできる連投形式が結び付いて生まれたネットロアである。 投稿から1か月足らず後の2008年9月22日までには、洒落怖まとめサイトへ「八尺様」の題で再掲されていた。八尺様はやがて民俗学や説話研究の対象となり、映像集『封印映像16 八尺様の呪い』、小説『裏世界ピクニック』とそのアニメなど、新しい語り手によって声、顔、衣服、動きを与えられてきた。公式の挿絵を持たずに始まった怪異が、読む身体から聴く身体、見る身体へ移りながら成長した点に、八尺様の文化史が表れている。

針女

針女

稀少

はりおなご

宇和島夜道の鉤髪女・針女

人妖・半人半妖愛媛県

針女は、愛媛県南部の宇和島地方に伝わるとされる、髪の先に鉤針のような鉤を備えた女の妖怪である。水木しげる記念館の水木しげるロード解説では、読みを「はりおなご」、出現地を「愛媛県宇和島地方」とし、美しい女の姿をしながら、ざんばら髪の先の鉤で男を引っかけて連れて行くものとして紹介される。人間とほとんど見分けのつかない姿で夜道に現れ、笑いかける、近づく、髪を振り乱すという順に怪異が開くため、怖さは異形そのものよりも、普通の出会いが一瞬で罠に変わるところにある。 針女の資料は多くない。水木しげるの『図説日本妖怪大全』は針女を妖怪辞典の一項として収め、国立国会図書館サーチで確認できる同書は、戦後の妖怪図鑑文化の中でこの名を広く流通させた資料である。一方で、『日本妖怪大事典』は、宇和島地方の「濡女子」と特徴が重なることから、水木が濡女子の性質を強調して「針女」と名づけた可能性を示す。したがって本頁では、針女を古典文献に古くから固定された大妖怪としてではなく、水木しげるの記述を通して輪郭が明確になった、南予の夜道型女性妖怪として扱う。

反魂香

反魂香

珍しい

はんごんこう

煙に亡き影・反魂香

住居・器物前漢武帝·李夫人故事が起源、『博物志』、渡来

焚くと煙の中に死者の姿が現れると伝えられる香。中国の故事に淵源を持ち、日本では江戸期の読本や浄瑠璃・歌舞伎、落語の題材として広まった。実在の薬物というより霊験譚に現れる象徴的な香で、亡者の影を一時見せる作用が語られる。陰陽師の秘薬とされる設定もあるが、実在性は疑問視される。

はんざき大明神

はんざき大明神

稀少

はんざきだいみょうじん

龍頭の淵の祟り神・はんざき大明神

水の怪岡山県

はんざき大明神は、美作国の旭川上流·向湯原村(現·岡山県真庭市湯原温泉)に伝わる大山椒魚(はんざき)の怪である。「はんざき」とは中国山地でオオサンショウウオを指す古い呼び名で、体を半分に裂いても生き続けると信じられたことに由来するという。龍頭の淵と呼ばれる深淵に長さ三丈六尺(約十メートル)に達する巨大なはんざきが棲み、尾で人馬を淵に叩き込んでは餌食にしたと語られる。退治されたのちに祟りをなし、これを鎮めるために祠に祀られて「はんざき大明神」となった。妖怪が神へと転じた典型例であり、毎年八月八日の「はんざき祭り」として今も湯原温泉郷に生きている。

般若

般若

名妖

はんにゃ

能『葵上』の白般若(六条御息所の鬼相)

鬼・巨怪

般若は、二本の角、金色に光る眼、牙、大きく裂けた口をもち、怒りのなかに悲哀を残す能の鬼女面である。能『葵上』『黒塚』『道成寺』に用いられる般若は、嫉妬や怨みで鬼となった女性、または女性の怨霊を舞台上に現すための面の型であり、雪女や河童のような一つの固有種の名称ではない。能楽協会は、般若を生霊・死霊を写す怨霊面の代表例として挙げる。 その表情は、怒りだけを造形したものではない。東京国立博物館所蔵の「近江打」般若の解説では、角、金色の眼、牙、裂けた口が怒りを示す一方、八の字の上瞼と額の乱れた毛描きには哀しみが含まれるとされる。鬼へ傾きながら人の面影を完全には失わないところに、般若面の怖さと痛ましさが同居する。 「般若」という語は本来、仏教の智慧を指す。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』の「般若」は、まず「経の名」と説明したうえで、鬼となった女を表す面名について、能『葵上』の「般若声」から転じたのではないかと「にや」と推し量る。般若坊の作に由来するという説は石燕の詞書には見えず、別に伝えられた面名由来説である。 般若が妖怪図鑑の一項目として読まれる根拠は、安永8年(1779)の『今昔画図続百鬼』で「般若」が独立した画題として掲載されたことにある。能の面が複数の役柄に掛けられるのに対し、石燕の本では鬼・橋姫・酒顛童子などと並ぶ一つの怪異名として示される。般若は、能面、鬼女役、江戸の妖怪画、現代の仮面図像という複数の層を行き来してきた文化的な怪異像である。

獏

獏

珍しい

ばく

枕獣の獏

神霊・神格中国『爾雅』『説文解字』の邪気払いの幻獣、蜀中産、渡来(夢食いは日本付加)

獏は、中国の漢籍に記された霊獣「貘」を母胎とし、日本で「悪夢を食う獣」として独自に育った想像上の生き物である。その姿は古来「象の鼻、犀の目、牛の尾、虎の足、熊の体」という複数の獣を寄せ合わせた複合獣として描かれ、この定型は唐の詩人白居易が屏風に寄せた「貘屏賛」の序文の「象鼻・犀目・牛尾・虎足」に遡る。さらに古くは『説文解字』が「熊に似て黄黒色、蜀の地に棲む」と記し、『爾雅』の郭璞注は「銅鉄や竹の骨を食う」と伝える。この鉄を食らうという奇異な性質は、もともと四川の実在の獣すなわちジャイアントパンダを反映したものと考えられており、現実の動物「バク」の和名は、のちにこの伝説の獏に姿が似ることから付けられた、いわば逆向きの命名である。 中国における貘は、本来は疫病や邪気を退ける辟邪の獣であった。その毛皮を敷いて眠れば流行り病を避け、その姿を図に描いて掛ければ邪を払うと信じられた。日本へは平安朝以来愛読された『白氏文集』を通じてこの霊獣の観念が伝わり、室町の頃までに「悪い夢を食らい、祓ってくれる益獣」へと性格を変えていった。江戸時代には獏の絵札や、枕に獏の字を記した獏枕が、安らかな眠りを守り邪気を遠ざける縁起物として庶民にまで広く用いられた。眠る者に悪夢をもたらす西洋の夢魔とはちょうど作用が逆で、獏は夢を奪う側ではなく、悪夢を食べて消してくれる側に立つ瑞獣である。

化け鯨

化け鯨

名妖

ばけくじら

雨夜に浮かぶ骨だけの鯨・化け鯨

水の怪島根県

化け鯨は、雨夜の海上に白く巨大な鯨の影として現れ、近づくと肉も皮もない骨格だけの姿をあらわす海の妖怪である。隠岐沖の雨夜に現れた骨鯨の話では、漁師たちが鯨と思って船を出し、銛を投げても手応えがなく、やがてそれが骨だけの鯨であると知る。周囲には見慣れぬ魚が群れ、空には奇妙な鳥が飛び、海そのものが別の国へ変わったように揺らぐ。化け鯨は人を食う怪魚ではない。鯨を獲り、肉を分け、骨を残す沿岸社会の前に、獲られたはずの鯨が「骨のまま生きている」ものとして戻ってくる怪である。 この妖怪の輪郭は、近世の定番妖怪画集よりも、近現代の妖怪図鑑と水木しげるの図像記憶によって強く知られるようになった。水木しげる『図説日本妖怪大全』や『水木しげるの世界幻獣事典』は、化け鯨を骨だけの巨大な海獣として読者の前に置いた。鯨は海の恵みであり、同時に殺された巨大な生命でもある。だから化け鯨は、単なる怪物というより、捕鯨、漂着、供養、魚群の豊穣が一つに重なった姿である。銛が通じない骨鯨は、獲物であることをやめ、人間を見返す海の霊へ変わる。 同じ海の怪でも、化け鯨は船幽霊や海坊主とは働きが違う。船幽霊は死者の群れとして船に水を求め、海坊主は巨大な影として海面に立ち上がる。化け鯨は、かつて獲物であった動物の霊である。骨という姿は死を示すが、同時に、死んだものが共同体の記憶から消えないことも示す。隠岐・出雲の海に浮かぶ骨鯨は、海の恵みを受け取る人間に、感謝だけでなく畏れも必要だと告げる。

化地蔵

化地蔵

稀少

ばけじぞう

数えるたび数が変わる・憾満ヶ淵の並び地蔵

霊・亡霊栃木県

化地蔵(ばけじぞう)は、日光・大谷川の渓谷「憾満ヶ淵(かんまんがふち)」の岸に並ぶ地蔵の群れで、「数えるたびに数が合わない」ことから化地蔵、あるいは並び地蔵と呼ばれる。行きに数えた数と帰りに数えた数が一致しないと伝わり、正確な数を知ることができない。妖怪というより、信仰の場に生じた「数え怪異」── 確かにそこに在るのに数として捉えきれない、という不可解さそのものが怪として語られてきた。男体山の溶岩がつくる奇勝の地に並ぶ石仏の群像は、霊地の静けさと相まって、訪れる者に数の眩暈を起こさせる。

化け草履

化け草履

珍しい

ばけぞうり

夜跳ねる古草履・化け草履

付喪神・骸怪『百鬼夜行絵巻』草履の付喪神、昔話発祥で在地伝承なし

古くなった草履に霊性が宿ったとされる付喪神。民間では履物を粗末に扱う戒めの象徴として語られる。近世の絵画資料には手足の生えた草履の姿が見られる一方、口伝では草履と下駄の混同も多い。妖怪図鑑では夜に音を立てる、歌うなどの挙動が紹介されるが、地域的な遭遇譚は乏しく、教訓的な昔話の要素が強いとされる。

化け猫

化け猫

一般

ばけねこ

年経た飼い猫の化け猫

動物変化島根県佐賀県

化け猫は、年を経た家猫の変化、人の姿をとる猫、夜に立ち上がる猫、主人の仇を討つ怪猫など、時代も由来も異なる猫の怪異を広くまとめる名である。一匹の妖怪に共通する伝記ではなく、中世の猫胯・猫また、近世の怪談と妖怪画、幕末以後の芝居と錦絵、近代の怪猫映画という複数の層から、現在の多彩な姿を読み取ることができる。 古い前史として、藤原定家『明月記』天福元年八月二日条には、南都から来た使者が「猫胯」と呼ばれる獣の噂を伝えたことが記される。猫のような目と犬のような体を持つとされるが、年老いた飼い猫が変化したとも、尾が二本だったとも書かれない。およそ一世紀後の『徒然草』第八十九段では、山奥の猫またと、飼い猫が年を経て猫またになるという二つの噂が語られる。ところが法師を襲った正体は、暗闇で主人を見つけて飛びついた飼い犬だった。猫怪異への恐れと、噂が見間違いを生む可笑しさを同時に描いた話である。 家の中で暮らす老猫の変化は、近世の怪談で輪郭を強める。荻田安静『宿直草』巻四には「ねこまたといふ事」「年へしねこはばくる事」が続き、猫が母の姿をとる話と、年月を経た猫の異変が収められる。身近な飼い猫が家族に似た姿を見せるという場面は、山野の正体不明の獣とは異なる、家の内部の怪異として読者の前に現れる。 十八世紀の資料は、猫に与えられた印が一つではなかったことを示す。『和漢三才図会』「猫」は「十有余年」を経た老いた雄猫が妖をなすという記述を載せ、油を舐めることをその性質が表れるしるしの一つに挙げる。これは特定資料の記述であり、すべての化け猫に共通する年齢規則や力の源ではない。倉本昭が引用する『大和怪異記』の猫は、赤い手巾をかぶり、後足と尾で立って周囲を見回す。寛延二年(一七四九)刊『新著聞集』には、猫が集まって踊る話がある。立つ猫と踊る猫は近い印象を与えるが、同じ文章の一場面ではない。 二本に分かれた尾は、近世に「猫また」と名付けられた図像でとりわけ有名になった。鳥山石燕『画図百鬼夜行』「猫また」は、手拭いをかぶり、二本の尾を見せて後足で立つ猫を描く。中世の猫胯・猫またに尾の数は記されないため、二尾は猫怪異すべての古来の特徴ではない。「一尾なら化け猫、二尾なら猫又」という区別も、現代の整理としては分かりやすいが、すべての古い資料には当てはまらない。 江戸後期には、怪猫が舞台と芝居絵の大きな見せ場になった。文政十年(一八二七)初演の『独道中五十三驛』では、老婆おつたの正体が怪猫であるという趣向が組み込まれた。後世に「岡崎の猫」と呼ばれる一方、場割には鞠子の古寺や猫石の怪異が見え、岡崎の実地伝承をそのまま上演した作品ではない。歌川国芳の約一八五〇年の二枚続は、巨大な猫の顔、女性、亡霊、炎を一画面に配する。ここで見るのは、自然観察の記録ではなく、怪猫の正体を一目で伝える劇場的な図像である。 鍋島物も、一つの事件記録から直線的に生まれたのではない。早川由美の研究は、歌舞伎の『花嵯峨猫魔稿』と実録・講談の鍋島猫騒動が当初は直接結びつかず、後者が道中記、武勇譚、軍書的要素を加えて長編化した過程を示す。明治十三年(一八八〇)市村座の『嵯峨奥妖猫奇談』では、怪猫そのものが俳優似顔錦絵の中央に置かれた。実在の家名や土地を背景にしても、怪猫の復讐を歴史上の事件として扱うことはできない。 地域には、それぞれ独立した猫怪異の記憶がある。隠岐諸島では、猫に人語、踊り、歌など人間と連続する文化を認める語りが、二〇一二年の民族誌研究に記録されている。徳島県阿南市のお松大権現には、お松が愛猫に遺恨を伝えた後、怪猫が不正を行った者の家に現れたという縁起が伝わる。熊本県水上村の生善院は、玖月善女と愛猫玉垂をめぐる伝説から「猫寺」と呼ばれる。これらは同じ化け猫の移動経路ではなく、それぞれの土地で伝えられてきた別の物語である。 近代には怪猫が映画の題材にもなった。国立映画アーカイブは中川信夫監督『亡霊怪猫屋敷』(一九五八)を紹介し、別の上映解説では『佐賀怪猫伝』(一九三七)から『山吹猫』(一九四〇)まで、鈴木澄子主演の怪猫映画が六作製作されたことを記す。この映画群も、中世以来変わらない一つの姿ではなく、怪猫表象の近代的な一層である。 化け猫には、共通の年齢、毛色、尾の数、性格、能力、弱点、退治法はない。人に化ける猫もいれば、立ち上がる猫、踊る猫、主人の仇を討つ猫もいる。どの時代、地域、作品の猫なのかを確かめることで、ひとまとめの能力表では見えない化け猫の広がりが見えてくる。

ばけの皮衣

ばけの皮衣

稀少

ばけのかわごろも

北斗祈念の化生狐・ばけの皮衣

動物変化在地伝説をもたない石燕の図像系妖怪で、狐の化生譚は中国の志怪書に由来する

ばけの皮衣(ばけのかわごろも)は、鳥山石燕の絵本『百器徒然袋』上巻に描かれた妖狐である。三千年を経た古狐が、頭に藻草(もくさ)をかぶって北斗七星を拝み、その修法によって美女へと化けるとされる。石燕は詞書に「三千年を経たる狐、藻草をかぶりて北斗を拝し、美女と化するよし、唐(もろこし)のふみに見へし」と記し、これを中国の古書に見える話だと夢のなかで思いめぐらす体裁をとる。 『百器徒然袋』はもともと、古道具に魂が宿る付喪神(つくもがみ)を集めた絵本である。狐がそこに紛れこめたのは、ひとえにその名による。「皮衣(かわごろも)」は毛皮の衣を指す言葉で、まるで一着の衣裳=「物」であるかのように読める。同時に「化けの皮」という慣用句を響かせ、化けた正体がいまにも剥がれそうな狐を言いあてている。石燕はこの言葉遊びによって、本来は獣である化け狐を、道具の妖怪たちの列にそっと忍ばせた。 名は化生の華やかさを思わせるが、特定の土地や人物に結びついた在地の伝説をもたない。あくまで石燕の画と詞書を典拠とする図像系の妖怪であり、中国以来の「狐は年を経て美女に化ける」という観念を一枚の絵に凝縮した、象徴的な存在である。

馬骨

馬骨

珍しい

ばこつ

土佐の歩く馬骨

付喪神・骸怪高知県

馬骨(ばこつ)は、火災で焼け死んだ馬の遺骸が妖気を帯びて妖怪化したとされる骸怪(むくろの妖怪)であり、江戸時代中期から後期にかけて土佐国(現在の高知県)で制作された妖怪絵巻『土佐お化け草紙』にその姿が描かれている。完全に白骨化した馬の巨大な骨格が、ボロボロに擦り切れた古衣を腰にまとい、人間のように二本足で直立するという特異かつ不気味な造形を持つ。日本各地に伝わる妖怪の中でも「馬の骨格」が自立して活動する例は極めて珍しい。人を積極的に襲ったり呪い殺したりするような凶悪な怨霊としての記録はなく、不慮の死を遂げた家畜の無念さや、使役され尽くした末に不要となれば見捨てられる「畜生」の悲哀を具現化した存在である。夜の旧道などに現れて人を驚かせる怪異でありながら、同時に動物の魂を慰める「畜生供養」や、命あるものを最後まで敬うべきであるという民衆の倫理観を説く教訓的な妖怪として位置づけられており、当時の四国地方の土着信仰や死生観を色濃く反映している。

波山

波山

名妖

ばさん

伊予竹薮の火喰い鳥・波山

動物変化愛媛県

波山は伊予に伝わる怪鳥で、婆娑婆娑・犬鳳凰とも呼ばれる。赤い鶏冠を持ち、口から赤々とした火を吐くが、その火は狐火の類とされ熱を伴わず物を焼かない。山奥の竹薮に潜み、人前に出ることは稀だが、深夜に村里へ飛来して羽音を大きく立て、姿はすぐに掻き消えるという。人を驚かすが、実害は与えないとされる。江戸期の奇談集や図像に記述が見られる。

芭蕉精

芭蕉精

稀少

ばしょうのせい

大葉に宿る化女・芭蕉精

自然現象・自然霊長野県

芭蕉の葉に宿る精霊、または老いた芭蕉の気が人の形をとったものと解される怪異。鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に図像があり、解説に唐土の説話と能・謡曲『芭蕉』への言及が見える。美女に化け僧を試す、夜道で行人を脅かすなどの話型が各地に伝わるが、直接の害は少ないとされる例も多い。

魃

魃

名妖

ばつ

在所に雨を止む・魃

神霊・神格中国神話『山海経』の旱魃神、黄帝の娘、渡来

魃は旱魃をもたらす存在として中国古典に記され、日本では『和漢三才図会』や鳥山石燕の画集を通じて「ひでりがみ」として知られる。女神としての魃(妭)は『山海経』に見え、黄帝の娘で雨を止める力を持つ。他方、人面獣身・手足一本などの獣形像も後代文献に見られ、日本でもその像が紹介された。所在に雨が降らぬ禍神として畏避される。

パーントゥ

パーントゥ

伝説

ぱーんとぅ

泥をまとい厄を祓う来訪神・パーントゥ

神霊・神格沖縄県

パーントゥは沖縄県宮古島に伝わる仮面の来訪神である。「パーントゥ」は宮古方言で鬼神や化け物を指す語で、全身に黒い泥を塗りつけ、シイノキカズラ(キャーン)という蔓草を頭から足まで幾重にも身にまとい、植物の繊維で作った仮面で顔を覆った異形の姿をとる。村のなかを歩いては人びとに泥をつけて回り、その年の厄を祓う神とされる。海の彼方や地底にある他界から定期的に村を訪れ、災厄を祓って豊穣と幸をもたらす来訪神信仰の系譜に連なる存在で、その姿を見せるのは厳しく定められた季節の祭りのときに限られると伝わる。

火消婆

火消婆

稀少

ひけしばば

灯を吹き消す老女・火消婆

人妖・半人半妖石燕『今昔画図続百鬼』、灯火を消す老婆、創作

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれた、灯火を吹き消す老女の妖怪。提灯や行灯、蝋燭の火を遠くからふっと吹き消すとされ、陽気である火を忌む陰の存在として解釈される。実地の口承は乏しく、石燕の創作性が高いと論じられてきた。後世の書や絵本で名の揺れ(ふっ消し婆・吹消婆)が見られ、宴席や夜道の灯が不意に消える怪異と結び付けて語られる。

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