🔤 かな別妖怪図鑑

ひらがな順で妖怪を探す

81 妖怪|12 カテゴリ|2/4 ページ

ひらがな行で絞り込み

並び替え: 五十音昇順
彦山豊前坊

彦山豊前坊

伝説

ひこさんぶぜんぼう

九州の天狗の頭目・彦山豊前坊

山野の怪福岡県

彦山豊前坊は、豊前国の英彦山(ひこさん)に座す大天狗であり、九州の天狗の頭目(元締)とされる。八大天狗の一に数えられ、室町期の謡曲『鞍馬天狗』に「筑紫には彦山の豊前坊」と唱えられる。 英彦山は、出羽三山・大峰とともに日本三大修験道の一とされる北部九州随一の修験霊場である。その名と所在の文献初出は、鎌倉期の縁起『彦山流記』(一二一三)で、英彦山の四十九窟のうち第十八「豊前窟」として豊前坊が記される。豊前坊は、現在の高住神社(福岡県添田町、江戸期まで「豊前坊」と称した)に祀られ、欲深い者には罰を、心正しき者には加護を与える賞罰両面の天狗として、九州の山岳信仰に深く根を張ってきた。

ヒチゲー

ヒチゲー

稀少

ひちげー

節替りに島を巡る来訪神・ヒチゲー

神・精霊鹿児島県

ヒチゲー(ヒッチゲー)は、鹿児島県トカラ列島に伝わる「節替り(せつがわり)」の神聖な時間と、そこに来訪する神霊そのものを指す。トカラの島々では旧暦の節目に神が島へ渡り来るとされ、人々はこの日を畏れ慎んで過ごした。稲垣尚友『十島村誌』によれば、悪石島の盆の来訪神ボゼは、もともと冬の節替りの夜に現れる仮面神「ヒチゲー」であり、かつてトカラの各島に現れたその名残が悪石島に残ったものだという。すなわちヒチゲーは、ボゼの母胎ともいうべき古層の来訪神信仰である。

人魂

人魂

名妖

ひとだま

夜空に漂う魂火・人魂

霊・亡霊死者の魂の火の玉、『万葉集』既出、全国共通

人魂は、夜間に空中を漂う小さな火の玉として目撃される霊的現象で、古くは「人の体から離れた魂」と解される。色は青白・橙・赤など諸説あり、尾を引いて低く漂うとされる。鬼火・狐火と混同されがちだが、人魂は人の魂の発光として語られ、死や生死の境に関わる前兆ともされる。『万葉集』をはじめ古典や近世の随筆・地方伝承に頻出し、近代以降も各地で目撃談が続く。

一つ目小僧

一つ目小僧

名妖

ひとつめこぞう

額の単眼坊主・一つ目小僧

山野の怪片目片足の山神信仰の零落、事八日俗信、全国分布

額の中央に大きな一つ目を据えた、坊主頭の童子の姿で現れる妖怪。人に害を加えるよりも、夜道や辻、空き屋敷などに不意に現れて「わっ」と人を驚かす程度の、比較的おとなしい部類に数えられ、からかさ小僧などと同様、ユーモラスに描かれることも多い。豆を嫌うとする俗信は、節分の豆まきや語呂合わせに由来するとみられ、これがのちに豆腐を好む像へ転じて、近世末以降「豆腐小僧」と重ねて語られるようにもなった。江戸の絵巻や随筆には一つ目の小坊主の怪が散見され、屋内の掛物に戯れる姿から、路傍にぬっと立つ姿までさまざまに記される。舌を長く垂らし、片手に番傘や盆を持つ図様は、同じく一つ目の妖怪である豆腐小僧と通じ合い、近世後期の黄表紙や錦絵では両者の像がしばしば重ね描きされた。一方で民俗学では、この愛嬌ある妖怪の背後に古い信仰の影が見いだされてきた。柳田國男は、一つ目という異形を単なる怪異とみず、かつて神に捧げられた者の片目を損なう古俗や、製鉄など特殊な生業の痕跡が、神の零落とともに妖怪へと姿を変えた残響として読み解いた。

飛縁魔

飛縁魔

稀少

ひのえんま

色欲滅亡の妖女・飛縁魔

人妖・半人半妖『絵本百物語』由来の説話的寓意。特定の地名に結びつかない

江戸時代の奇談集『絵本百物語』に見える妖怪名。仏教的戒めから説かれ、女の色香に惑うことの愚を示す比喩として描かれる。見目は菩薩のごとく美しく、内は夜叉のごとく恐ろしいとされ、心を乱された男は家を失い、身を滅ぼすと戒められる。名称は「因縁に魔障が飛び来る」の意とも解され、丙午生まれの女性観への俗信とも結び付けて語られた。

火之迦具土神

火之迦具土神

神格

ひのかぐつちのかみ

死と再生を生む火の神

神霊・神格京都府静岡県

火之迦具土神は、火を人格化した神であり、誕生そのものが死と再生を引き起こす激しい神格である。『古事記』では伊邪那美が火神迦具土を産んだために陰部を焼かれて亡くなり、怒った伊邪那岐が迦具土を斬る。そこから流れた血や身体の部分から、さらに多くの神々が生まれる。火は生活に不可欠だが、出産の場では母神を死へ導くほど危険でもある。この二面性が、迦具土を単なる火の神ではなく、神話の転換点にする。 『日本書紀』にも火神誕生と伊邪那美の死に連なる異伝があり、記紀神話全体で火は創造の終端と黄泉の始まりを結ぶ力として扱われる。迦具土の後には黄泉国訪問、禊、三貴子誕生へ物語が進む。つまり火神は、国生みの秩序をいったん破壊し、死、穢れ、浄化、太陽神の誕生へ連鎖を開く存在である。妖怪図鑑では神格として扱いながら、災厄の神、火伏せ信仰、山岳信仰との接点も強い。 後世の信仰では、迦具土は火産霊神などの名で火伏せ・防火の神として祀られる。京都愛宕山の愛宕信仰や、秋葉山本宮秋葉神社に代表される秋葉信仰は、火を恐れつつ火から守ってもらう民間信仰の大きな柱である。火を生む神が火を鎮める神にもなるのは矛盾ではない。制御できない力を、その力自身の神格に委ねるところに、日本の火の信仰の深さがある。 近縁の火の怪異と比べると、迦具土は規模がまったく違う。狐火や不知火が人の目に映る怪火であるのに対し、迦具土は神話世界の構造を変える火である。火を見る怪談ではなく、火によって死者の国、禊、太陽神誕生が連続して開かれる。そこに神格としての格の高さがある。

狒々

狒々

名妖

ひひ

老猿化けの女攫い・狒々

動物変化長野県

狒々(ひひ)は山深くに棲むとされる大猿の怪で、年を経た老猿が化けたもの、あるいは猿を巨大にした異獣と考えられた。その像はもと中国の本草書に由来し、明の『本草綱目』は狒々を大陸西南の山に棲む獣とし、人に似た形で身の丈一丈余り、全身黒い毛に覆われ、人を見て笑うときはめくれ上がった上唇が目を覆うほどだと記す。さらに人語を解し、人の生死を予知し、その血を飲み、長い髪は鬘の材になるという。江戸期の百科『和漢三才図会』もこれを引いて狒々を載せ、怪力で人を襲い食らう獣として広く知られた。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』は黒毛の大猿として描く。日本では各地の山に怪力の狒々が現れて女や娘を攫い、村に生贄を求める猿神として語られ、これを退治する英雄譚が全国に分布する。名は笑い声に由来する説があり、「山で笑うもの」から「山童(やまわろ)」へ転じたとする語源説もあって、山の怪との混同も見られる。

火間虫入道

火間虫入道

稀少

ひまむしにゅうどう

縁の下の油嘗め・火間虫入道

住居・器物石燕『今昔百鬼拾遺』、ヘマムシヨ入道の文字絵遊び、創作

江戸期の絵師・鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』に見える妖怪。縁の下から上半身を現し、行灯の油を嘗めて夜業を妨げる姿で描かれる。石燕は、生前に勤めを怠り閑を盗んで過ごした者の霊が、死後に「火間虫夜入道」となって灯の油を舐め、夜なべを邪魔すると記す。名は文字絵遊戯「ヘマムシヨ入道」との連関が指摘され、怠惰や横着への戒めを含意する解釈が一般的である。

百目

百目

稀少

ひゃくもく

全身に眼の異形・百目

人妖・半人半妖創作 (昭和中期に水木しげるが造形した近代妖怪)

全身に無数の――名のとおり百ほどの――目を生やした異形の妖怪。昼の強い光をまぶしがって嫌い、おもに夜に出歩くとされ、人が出会うと体じゅうの目のうち一つが抜け出して後をつけてくる、といった説明が広く流布する。ただしこの形姿と性質は、古典の文献にさかのぼれる確かな典拠をもたない。妖怪研究家の村上健司によれば、現在知られる「百目」の像は昭和中期に水木しげるの手で形づくられたもので、水木の周辺で妖怪記事の制作に携わった大伴昌司も「百目は水木が考え出した妖怪」と明言している。その造形の参照元としては、江戸末期から明治初期に描かれた「百目鬼」と称する一枚の絵が指摘され、同図は『日本のユーモア(Japanischer Humor)』(1910)に「DER HUNDERTAUGIGE(百の目をもつもの)」と独語の題を添えて掲載されている。つまり百目は、近世の異形の絵を出発点に、近代の妖怪図鑑によって性格づけられた、比較的新しい妖怪とみるのが穏当である。

へうすへ

へうすへ

珍しい

ひょうすべ

九州川辺の毛河童・へうすへ

へうすへ(ひょうすべ)は、九州各地に伝わる、水辺にかかわる毛深い妖怪である。河童と同類、あるいは近い仲間とされ、彼岸のころに川から山へと行き来するともいう。「ヒョーヒョー」と鳥のように鳴くことから、その名がついたと語られる。茄子(なす)を好み、初物の茄子を供える習俗が一部に残る。人家の風呂に忍び込んで湯を使い、あとの湯に体毛が大量に浮いていた、という話がよく知られ、その姿を見た者は熱病にかかるとも伝えられる。

ひょうすんぼ

ひょうすんぼ

稀少

ひょうすんぼ

日向の川河童・ひょうすんぼ

水の怪宮崎県

ひょうすんぼ (ひょうすぼ) は、 宮崎県日向地方を中心に南九州に伝わる河童 (かっぱ) の一種である。 名は「ひょい、 ひょい」 と鳴き声を立てて水中を泳ぐさまに由来するといい、 九州一帯で河童を指す「ひょうすべ」 系の方言名にあたる。 水辺に棲んで川で泳ぐ子どもを水中へ引き込み命を奪う悪戯者として恐れられた。 日向市東郷町の蕨 (わらび) 地区を流れる椎谷川 (しいやがわ) に棲んだと伝わり、 村人と交わした「ある岩が朽ち果てるまでは川の子どもの命を取らない」 という約束で名高い。 ひょうすんぼはその岩を何度も触って朽ち具合を確かめたため、 岩は撫でられて磨かれたようになり「ひょすぼ岩」 と呼ばれた (河川改修で埋没)。 春から秋は川に棲み冬は山へ移るという山·川を行き来する季節移動の信仰を伴い、 坪谷川の水神淵では水神に奉じる相撲が毎年とられたと伝わる。 南九州の河童をガラッパ·かわんたろうと呼ぶ系譜のなかでも、 約束と岩の伝承を持つ日向固有の水の怪である。

瓢箪小僧

瓢箪小僧

稀少

ひょうたんこぞう

瓢箪頭の小僧・瓢箪小僧

付喪神・骸怪石燕『百器徒然袋』、瓢箪の付喪神、絵巻発祥

鳥山石燕『百器徒然袋』に描かれる瓢箪を題材とした妖怪。頭部が瓢箪の小僧として表され、しばしば乳鉢坊と並ぶ。石燕の挿図以外に性質の詳細は乏しいが、加工された瓢箪(ふくべ・ひさご)が長年の使用で霊性を帯びた付喪神と解されることが多い。『百鬼夜行絵巻』の瓢箪の怪を下敷きとした命名・造形と見られる。

日和坊

日和坊

稀少

ひよりぼう

常陸晴天司る・日和坊

天候・災異茨城県

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれる晴天を司るとされた妖怪。晴の日に現れ、雨天時には姿を見せないと解説される。石燕の記述以外に確たる民間伝承の報告は少なく、実在の口承例は不詳とされる。てるてる坊主との関係が示唆されるが、起源と断定できる資料はない。名称は各地の「日和坊主」など天気祈願の語彙と関連づけて論じられる。

比良山次郎坊

比良山次郎坊

伝説

ひらさんじろうぼう

次席の大天狗・比良山次郎坊

山野の怪滋賀県

比良山次郎坊は、近江国の比良山に根を張る大天狗であり、四十八天狗・八大天狗において、愛宕山太郎坊に次ぐ次席(第二位)に名を連ねる。鼻高の大天狗として描かれ、山気と風を操り配下の天狗を統べる存在とされる。 琵琶湖西岸にそびえる比良山系を拠とし、中世にはこの山の天狗が実名で文献に現れる。慶政(けいせい)が延応元年(一二三九)に著した『比良山古人霊託』は、比良山の老天狗(古人)との問答を記し、比良が古くから天狗の棲む霊山と観念されていたことを伝える。愛宕太郎坊を筆頭とする天狗界の序列のなかで、次郎坊はその次席として、しばしば太郎坊と対で語られてきた。

毘沙門天

毘沙門天

伝説

びしゃもんてん

六段階の多層的信仰を担う武装福神·毘沙門天

神霊・神格奈良県

毘沙門天 (ビシャモンテン) は古代インド神話の財宝·北方守護の神クベーラ (Kubera) の別名ヴァイシュラヴァナ (Vaiśravaṇa) を起源とする仏教守護尊で、 四天王の北方守護「多聞天 (タモンテン)」 と同一視される。 中央アジア·中国を経由して奈良·平安期に日本へ伝来し、 甲冑を身につけた唐代武将姿で宝塔·宝棒 (または鉾) を持ち·邪鬼を踏みつけて立つ図像で広く崇敬される。 主要鎮座地は奈良県·信貴山朝護孫子寺 (聖徳太子の物部守屋討伐祈願·寅·トラ信仰の起源)、 京都府京都市·鞍馬寺 (国宝の毘沙門天立像·平安初期)、 奈良県·東大寺 (大仏殿の毘沙門天像) 等。 聖徳太子が物部守屋追討時に寅の年·寅の日·寅の刻に毘沙門天から戦勝の秘宝を授かったという信貴山縁起から、 戦勝·武運·虎との結びつきが確立し、 戦国期には上杉謙信が自身を毘沙門天の生まれ変わりと信じ「毘」 の旗印を掲げ、 武田信玄·豊臣秀吉·徳川家康ら戦国武将の戦勝祈願の守護神となった。 室町期末に七福神の一柱に組み込まれ、 「五穀豊穣·商売繁盛·家内安全·長命長寿·立身出世·勝運」 の現世利益神として現代まで広く信仰される。

白虎

白虎

神格

びゃっこ

西方を護る四神・白虎

動物変化奈良県

白虎(びゃっこ)は、西方を守護する四神の一にして、天の西方七宿を虎の形に象った神獣である。五行では「金」、五色では「白」、季節では秋に配され、白毛の猛虎として表される。中国の星宿・五行思想に発し、『淮南子』天文訓では西方の獣を白虎とした。古代日本に受容されたのちは、青竜と対をなして方位鎮護・結界の標として図像化された。

屏風闚

屏風闚

稀少

びょうぶのぞき

寝所覗きの屏風闚

付喪神・骸怪石燕『今昔百鬼拾遺』、屏風からのぞく妖怪、漢籍依拠の創作

江戸期の絵師・鳥山石燕が『今昔百鬼拾遺』に描いた妖怪。屏風の陰から人事を覗き見る存在とされ、七尺の屏風越しすら覗くと解説される。中国古典の故事に材を取った図像的創作との見解がある一方、寝所で長年秘事を見続けた屏風が変じた付喪神とする説もある。固有の名所伝承は乏しく、成立は絵画資料に負うところが大きい。

琵琶牧々

琵琶牧々

名妖

びわぼくぼく

琵琶頭の盲僧姿・琵琶牧々

付喪神・骸怪石燕『百器徒然袋』、琵琶の付喪神、言葉遊び創作

琵琶牧々(びわぼくぼく)は、鳥山石燕の妖怪画集『画図百器徒然袋』(天明4年・1784年刊)に描かれた付喪神で、古い琵琶が霊を得て、座頭(盲僧)の姿に化したものとされる。図では、頭部を琵琶とし、僧体に剃り上げた身で杖をつき、目を閉じて歩む姿に描かれる。これは『平家物語』などを語り歩いた琵琶法師・盲僧琵琶の像を下敷きにした造形である。石燕は詞書に「玄上(げんじょう)・牧馬(ぼくば)といへる琵琶は、いにしへの名器にしてふしぎたびたびありければ、その牧馬の転にて、ぼくぼくといふにや」と記す。すなわち名は、宮中に伝わった名琵琶「玄上(玄象)」と並び称された名器「牧馬」に由来し、その「牧馬」を重ねた語呂から「牧々(ぼくぼく)」と名づけたという、石燕一流の言葉遊びによる。古器が長い年月と人の手を経て霊を得るという付喪神の観念を、語り物と縁深い琵琶に当てはめた一例である。

貧乏神

貧乏神

珍しい

びんぼうがみ

押入の渋団扇・貧乏神

住居・器物中国の窮鬼起源、日本各地の民間信仰に融合した汎存在の厄神

家や人に取り付き、家運を傾けるとされる神。痩せた薄汚れの老姿、青ざめた顔で渋団扇を持つ像が知られる。怠惰や乱れを好み、倹約と勤労、清潔を嫌うと俗信される。押入れや座敷の隅に潜むと伝え、味噌を好むという説がある。追い払うよりも、礼を尽くして送る・改心して住み心地を悪くするなどの対処が説かれてきた。

風神

風神

伝説

ふうじん

風袋を担ぐ緑鬼·風神

神霊・神格中国の風伯由来、仏教尊像として渡来した風神図像

風を司る日本神話の神格。主祭神は志那都比古神 (シナツヒコ、級長津彦命)で、『古事記』『日本書紀』ともに伊邪那岐·伊邪那美の間に生まれた神と記す。図像学では俵屋宗達『風神雷神図屏風』 (1620 年代頃、京都·建仁寺旧蔵、現·国宝)が決定版で、緑色の鬼神姿で風袋 (ヘレニズム由来)を両手で広げ持つ造形が以後の標準となった。雷神 (= 建御雷神/雷公) と一対で描かれ、嵐·豊穣·疫病·風送り (病送り) を司る両義神格として全国に信仰された。主要祭祀地は龍田大社 (奈良県三郷町、古代から国家祭祀の風神祭の本宮)、伊勢神宮内宮別宮·風宮、諏訪大社等。

風狸

風狸

珍しい

ふうり

風を起こす獣怪・風狸

動物変化中国『本草綱目』の風母·風生獣、渡来

風狸は中国の博物誌や志怪に見える獣妖の名で、日本でも江戸期の博物学・随筆に記載が散見される。外見は小猿・貂・狸・兎などに似すと諸説あり、尾が短く赤眼、黄緑や暗色で斑を有するともされる。風を起こして人畜を驚かす、または不意に現れて引っかき傷を負わせると語られるが、実在は不詳で地域や書により解釈が大きく異なる。

福禄寿

福禄寿

伝説

ふくろくじゅ

三星合一の長頭神·福禄寿

神霊・神格中国道教の南極老人星の化身。室町期に渡来、日本に発祥地なし

道教の三星信仰に由来する長寿·財禄·子孫繁栄の神。本相は南極老人星 (カノープス)の化身で、宋の道士天南星の姿で顕現するともいう。背が低く頭が異様に長く、白く長い髭を蓄え、杖に経巻を結びつけて鶴 (時に亀) を伴う図像が定型である。福 (子孫繁栄)·禄 (財産·俸禄)·寿 (健康な長寿) の三徳をひとつの躯に宿す存在として、室町後期に七福神に組み入れられた。寿老人と本来同源 (ともに南極老人星) ゆえ江戸期には重複が問題視され、寿老人を吉祥天·福助·稲荷神等に差し替える時期もあった。

袋狢

袋狢

稀少

ふくろむじな

宿直袋を担ぐ・袋狢

付喪神・骸怪石燕『百器徒然袋』、宿直袋を担ぐ狢、絵巻発祥

江戸時代の絵師・鳥山石燕『百器徒然袋』に描かれた妖怪。宿直袋を担ぐ女姿のムジナとして表されるが、器物妖怪中心の同書の性格から、袋そのものが本体とも解される。諺「穴のむじなの直をする」(得ていない物の価値判断は難しい)への風刺が込められ、百鬼夜行絵巻に見える袋を負う女官風の像を典拠として意匠化されたと考えられる。

文車妖妃

文車妖妃

稀少

ふぐるまようひ

積年恋文の女霊・文車妖妃

付喪神・骸怪鳥山石燕の画図による創作的妖怪。固有名の在地伝承を欠く。

鳥山石燕の『百器徒然袋』に描かれる妖怪。文を運ぶ車「文車」にちなみ、古い恋文に積もった執着・情念がかたちを得たものと解される。巻紙を手にした女性像として示され、徒然草第七十二段の「文車の文」を典拠に意匠化された創作的妖怪で、恋文と器物の霊性が結びついた付喪神的解釈が広く流布している。

25 - 48 / 81 件の妖怪を表示中