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名妖
妖怪

赤マント

あかまんと

カテゴリ
霊・亡霊
性格
戦前は赤いマントで子供をさらう吸血鬼、 戦後は学校トイレで色を問う怪人
起源
1935-40 年戦前都市流言として全国流布 / 戦後 1950-90 年代に学校怪谈として再造形

基本説明

赤マントは、 戦前·昭和初期の日本に広まった都市怪谈に登場する、 赤いマントを纏った謎の人物·誘拐魔である。 戦前は「子どもを赤いマントに包んで連れ去る」 という都市流言として広まり、 社会学者大宅壮一が『中央公論』 1939 年 4 月号「赤マント社会学」 で同時代の現象として論じた ほどの社会問題となった。 戦後は学校トイレに出没する怪人として再造形され、 「赤い紙が欲しいか青い紙が欲しいか」 と問い、 赤と答えれば全身を血で染められ、 青と答えれば全身の血を抜かれて殺されるとされる派生型 (赤い紙·青い紙) が広く流通する。 戦前の流言と戦後の学校怪谈をつなぐ稀有な怪として、 日本の都市伝説史で特異な位置を占める。

民話・伝承

戦前の流言としての初期。 赤マントの噂は1935-36年頃に始まり、 当初は「赤いマントの男が人を襲って血を吸う」 「死体が各地に上がる」 等の吸血鬼·連続殺人鬼像で語られた。 1939年2月21日付『やまと新聞』 等に「赤マント」 の名称が現れ、 同年4月号の『中央公論』 に大宅壮一「赤マント社会学」 が掲載されて学術的議論の対象となった。 1940年1月頃には東京で本格的に流布し、 東海道·大阪へと拡散、 当時の日本領朝鮮の日本人小学生にまで噂が達した。 戦時下の流言として警察当局も無視できず、 紙芝居作家·加太こうじの『赤マント』 が大阪府警察に取締まりを受ける事態にまで発展した。

社会的背景。 1935-40年は日中戦争への拡大期で、 国民総動員·灯火管制·配給制度等が始まり、 都市生活に不安が広がっていた時期である。 戦時下の検閲が強まる中、 子どもが直面する不安·失踪事件への不信·軍国的時代精神の歪みを「赤いマントの誘拐魔」 という具体像に投影する社会心理学的機能を担ったと、 大宅壮一は社会学的に分析した。 戦前流言研究の代表的事例として、 後の柳田國男·南博·岸本英夫らの社会心理学·民俗学の流言研究でも繰り返し参照されている。

戦後の学校怪谈への変容。 1945年敗戦後、 赤マントの噂は一旦下火となるが、 1950-70年代の児童口承で再生し、 戦後高度成長期の学校怪谈の一系統として再構成された。 代表的な派生型は「学校トイレで個室に入っていると上から声がして『赤い紙が欲しいか、 青い紙が欲しいか』 と問う」 という質問型である。 赤と答えれば全身が血で染まり (背中を切られる·首を切られる等)、 青と答えれば全身の血を抜かれて青白く死ぬとされる。 「白」 「黄色」 「緑」 等別の色を答えても、 床に引きずり込まれる·黄泉に連れて行かれる等の派生がある。

「赤い紙·青い紙」 と花子さんの隣接。 戦後学校怪谈における赤マント = 「赤い紙·青い紙」 系の怪は、 常光徹『学校の怪談』 (講談社 KK 文庫、1990) にも収録され、 同書系統で全国に再流通した。 1980年代から並行して流行したトイレの花子さんとは「学校トイレ」 「赤の象徴」 「呼出·質問構造」 の三点で重なり、 地域によっては「赤マントが花子さんの正体」 とする統合解釈や、 花子さんに赤マント要素が混入した変奏が見られる。 北海道·東北等の花子さん異伝で赤マント色彩が強い背景には、 戦前以来の赤マント怪谈の残響がある。

現代継承。 1995-99年東宝『学校の怪談』 シリーズ等で赤マントは断続的に登場し、 児童文化のなかで継承された。 戦前の流言と戦後の学校怪谈をつなぐ稀有な事例として、 民俗学·都市伝説研究 (廣田龍平·朝里樹等) の重要な研究対象となっている。 戦前流言の社会心理学的解析 (大宅壮一 1939) と戦後児童口承の民俗学的整理 (常光徹 1990) の双方が学術的記録に残る、 日本の都市伝説のなかで最も時代的厚みを持つ一体である。

戦後·平成日本のネット·学校·都市から生まれた九体

現代都市怪谈の系譜

戦後日本の学校怪谈と平成期の 2 ちゃんねるオカルト板から派生した、 現代日本の都市怪谈を代表する九体。 江戸期百鬼夜行系の妖怪とは異なり、 初出年·初出媒体·投稿者名が辿れる近現代の怪谈である。 トイレの花子さん (1948 岩手県沢内) から、 1970 年代学校怪谈ブーム (赤マント·テケテケ·カシマレイコ·メリーさんの電話) を経て、 平成期 2 ちゃんねる発 (クネクネ·ヤマノケ·八尺様) のネット怪谈へ。 民俗学者·常光徹『学校の怪談』 (1990) や木原浩勝『都市の穴』 (2003) で学術整理された「現代怪異」 のラインナップ。

徹底解説

戦前流言研究の対象としての赤マント。 species 通覧では戦前·戦後の変容を辿ったが、 ここでは戦前赤マントが日本社会学の流言研究にどう位置づけられたかを掘り下げる。 大宅壮一(1900-1970)は戦前から戦後にかけて活躍した社会評論家で、 戦前のジャーナリズム研究·流言研究の先駆者であった。 1939年4月号『中央公論』 に掲載された大宅の「赤マント社会学」 は、 同時代の都市流言を学術的に分析した稀有な事例で、 戦時下の社会不安·情報統制の歪み·都市住民の集合心理を、 一つの流言事例から読み解いた。 戦後の南博·岸本英夫·川島武宜らの社会心理学研究は、 大宅のこの先駆的論文を起点として戦前·戦時下の流言を体系化していった。 赤マントは戦前日本社会学が最初に本格分析した都市流言として、 学術史的にも重要な位置を占める。

「赤」 という色彩象徴。 戦前の赤マントは「赤いマントを翻して走る男」 という強烈な視覚的記号を持つ。 戦前·戦時下の日本で「赤」 は (一) 血·暴力·危険の象徴、 (二) 共産主義·反国家思想の暗喩 (戦時下の検閲文脈)、 (三) ロシア·西洋の異質性 (赤軍·赤い悪魔)、 等の複合的意味を担った色である。 戦時下に赤マントが流布したことは偶然ではなく、 軍国主義時代の都市民の不安が「赤」 という色に集約されて表出した社会心理学的事象と読める。 戦後学校怪谈での「赤い紙·青い紙」 への変奏は、 戦前の赤マントが持つ象徴的重みが弱まり、 単に「色を問う質問型」 として児童遊戯化されたとも解釈できる。

戦時下流言と児童口承の連続性。 赤マントは戦前の都市流言が戦後の学校怪谈に直接連続した稀有な事例である。 戦前の口承が戦後の児童文化にそのまま受け継がれた背景には、 (一) 1930年代に幼少期を過ごした世代が戦後親·教師となって自分の子どもや生徒に語ったこと、 (二) 戦時の都市混乱が戦後高度成長期の急速な都市変容と類似の不安を生んだこと、 (三) 学校空間が戦前から戦後を通じて児童口承の継承装置として機能し続けたこと、 という三層の連続性がある。

「赤い紙·青い紙」 の質問構造。 学校怪谈版赤マントの中心装置は「色を選ぶ質問」 である。 赤と答えれば血で染まる、 青と答えれば血を抜かれる ── どちらを答えても死ぬという無解の二択構造は、 古典的なトリックスター神話 (どちらの答えも罠) や精神分析的な「強迫的選択 (Forced Choice)」 と通底する。 民俗学者宮田登は『妖怪の民俗学』 (岩波書店、 1985) で、 戦後学校怪谈における「無解の質問構造」 は児童期の不安·無力感の儀礼的表現と分析した。 コックリさん (狐狗狸さん) の「答えを求める呼出」、 カシマさんの「足どこ?」 質問と並ぶ、 児童口承怪谈の三大質問型の一体として位置づけられる。

花子さんとの統合·分岐。 1980年代以降の児童口承では赤マントとトイレの花子さんが部分的に統合される傾向が見られた。 花子さんが赤いスカートや赤いマントを着る異伝、 花子さんの正体を「赤マント」 と説明する派生、 赤マントを「青マント」 と組ませる兄妹·対の構造 ── これらは戦後学校怪谈が単一の怪ではなく、 関連する怪同士の生態系として展開したことを示す。 現代の都市伝説研究では、 赤マント·花子さん·カシマさん·テケテケ·口裂け女を「戦後日本の女性·身体·学校空間に紐づく怪の系譜」 として一括して扱う傾向が定着している。

戦前·戦後の流言史の交点。 赤マントは日本の都市伝説のなかで、 戦前(1935-40)と戦後(1950-90)の両時代に明確な文献記録を持つ稀有な怪である。 戦前は社会学·流言研究 (大宅壮一·南博)、 戦後は民俗学·学校怪谈研究 (常光徹·宮田登)、 と異なる学術分野が独立に同じ怪を記録してきた。 1939年の中央公論論文と1990年の講談社 KK 文庫が時間軸上で五十年をまたいで同じ怪を扱うという事実そのものが、 日本の都市伝説研究の連続性を担保している。

妖怪設定

この区画は物語を楽しむための当サイト独自の設定です。史実・考証ではありません。

性格
戦前は赤いマントで子供をさらう吸血鬼、 戦後は学校トイレで色を問う怪人
相性
色彩の選択を強いる、 どちらの色を答えても殺す無解の質問者
能力・特技
戦前型: 赤いマントを翻して子どもを連れ去る戦後型: 学校トイレで「赤い紙·青い紙」 と問う赤を答えた者を血で染める青を答えた者の全身の血を抜く他の色や無回答にも独自の罰を持つ派生がある
弱点
戦後型では正規の応答を避ける、 戦前型では集団移動·明るい場所への退避
生息地
戦前は都市路地·夜道、 戦後は学校の男女トイレ個室

戦前の赤い誘拐魔·戦後の赤い紙青い紙·赤マントについてさらに詳しい情報や診断結果については、こちらをご覧ください。

出典・参考文献

2
  1. 赤マント社会学大宅壮一(中央公論, 1939 年 4 月号) [学術論文]戦前社会学者·ジャーナリストの大宅壮一が、 1939 年同時代に流布した「赤マント」 都市流言を社会学的に分析した先駆的論文。 戦前·戦時下日本の流言研究の代表的事例として、 後の南博·岸本英夫·川島武宜らの研究へ継承された。
  2. 学校の怪談常光徹(講談社 KK 文庫, 1990) [民俗学書] 参考資料民俗学者常光徹のフィールドワーク成果。「学校怪談」という学術用語を定着させた書。花子さん怪谈の地理的・心理的基盤を分析する。

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