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Kii Province 木の国と神々の辺境。紀伊国の妖怪

熊野権現・清姫・牛鬼。木の神の国と他界の入口に湧く怪

木の国と神々の辺境。
紀伊国の妖怪

Kii Province · きい

다른 이름: 紀州
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「木の国」と書いて、きのくに。これが紀伊国のいちばん古い名である。降る雨が多く森が深かったからとも、この地を治めた紀国造の名にちなむともいい、やがて好字二字の制で「紀伊」の字が当てられた[1]。木の神が棲む国──そう信じた古代人の感覚は、ただの語呂合わせではない。『日本書紀』は、素盞嗚命から木の種を託された五十猛命が、妹神の大屋都姫・都麻津姫とともに各地へ植樹し、最後にこの地を選んで鎮まったと伝える。三神を祀る伊太祁曽神社は、いまも紀伊国の総鎮守として木を司る[2]

紀伊国は、現在の和歌山県の全域と、三重県南部の熊野地方にまたがる令制国であった。律令制下では伊都・那賀・名草・海部・在田・日高・牟婁の七郡を置き、北部に紀国造、南の熊野に熊野国造という二つの古い首長がいた[1]。この「二つの古層」が紀伊を理解する鍵になる。北の紀ノ川流域は木と植樹神の国、南の牟婁・熊野は神々の上陸する辺境の他界──同じ令制国のなかに、性格の異なる二つの聖地が同居していたのである。

現在の県全体を束ねる事典は和歌山県の妖怪事典に譲り、この稿では令制国「紀伊」の古層、すなわち神武天皇の上陸する熊野、補陀洛の渡海僧が船出する那智の浜、上皇が百度通った参詣道、空海が開いた高野の山に分け入って、そこに棲む怪を読む。

구마노 곤겐

kumano-gongen

구마노 곤겐(Kumano Gongen)은 구마노 삼산(구마노 본궁 대사, 구마노 하야타마 대사, 구마노 나치 대사)에 모셔진 신들의 총칭으로, 일본 고래의 자연 숭배(신토)와 불교가 고도로 융합된 신불습합의 상징적 존재입니다. '곤겐(권현)'이란, 부처나 보살이 일본의 중생을 구제하기 위해 임시(권)로 일본 신의 모습을 취해 나타났다(현)는 의미를 가집니다. 구마노는 예로부터 험준한 산들과 깊은 숲, 바다로 둘러싸인 영지였으며, 거석이나 폭포, 대하(大河)에 대한 경외를 바탕으로 한 원초적인 산악 신앙이 숨 쉬고 있었습니다. 거기에 불교의 정토 사상이나 수험도의 수행 체계가 결합함으로써, 구마노 곤겐은 '현세의 구제'와 '내세의 극락왕생'을 모두 약속하는 강대한 신앙의 대상으로 발전했습니다. 헤이안 시대 후기부터 가마쿠라 시대에 걸쳐서는 역대 상황(상왕)들에 의한 구마노 행차가 빈번히 이루어졌고, 이윽고 신분이나 남녀, 나아가 정(淨)과 부정(不淨)을 불문하고 모든 사람을 끌어들여, 참배객의 행렬이 끊이지 않는 모습을 가리켜 '개미의 구마노 참배'라 일컬을 정도로 일본 최대의 영장이 되었습니다.

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神々の上陸する辺境──神武東征と八咫烏

紀伊国の古代を語るとき、まず据えねばならないのは、ここが「神々の上陸する辺境」だったという神話的位相である。『古事記』『日本書紀』の伝える神武東征で、初代天皇となるイワレヒコ(神武)は、難波での敗北ののち海路を南へ迂回し、熊野の地に上陸する。だがそこで荒ぶる神の化身たる大熊が現れ、軍勢はことごとく気を失って倒れた[3]

倒れた一行を救ったのが、熊野の土豪である高倉下であった。彼は夢の告げに従って一振りの太刀を献じる。この太刀──布都御魂と称えられる神剣──を手にした途端、イワレヒコは目覚め、熊野の荒神は切り倒された。そして天照大神と高木神が遣わした三本足の霊鳥、八咫烏の導きによって、一行は熊野の険路を抜け、大和の宇陀へと至る[3]

この神話が紀伊国にとって決定的なのは、熊野が「天皇という秩序が、いったん死に瀕してから蘇る地」として刻まれた点にある。荒神に倒れ、神剣で覚醒し、霊鳥に導かれて他界の山を抜ける──熊野上陸の一段は、のちの熊野信仰が抱く「擬死再生」の原型をすでに含んでいる。八咫烏はこののち熊野三山の神使として定着し、参詣者を導く霊鳥となった。

熊野権現とは、本宮・新宮・那智の三山に祀られる神々の総称である。原初の山と滝と巨石への畏怖の上に、仏が衆生を救うため日本の神の姿で現れたとする本地垂迹の思想と、修験道の修行体系が幾重にも積み重なって、この複合神格は生まれた[4]。神武を倒し、また蘇らせた熊野の荒ぶる神威は、馴致されて権現となってもなお、その底に「人を一度死なせてから生かす」辺境の力を宿し続けた。県全体の信仰史は和歌山県の事典に譲るとして、ここでは熊野が令制国紀伊の南半を占める「他界の入口」であった、という古層を確認しておきたい。

南海の彼方へ──補陀洛渡海という捨身

熊野が他界の入口であるという感覚を、これ以上ないほど極端に押し進めたのが、那智の浜から行われた補陀洛渡海である。これは紀伊国の古層を象徴する、世界にも類のない信仰実践であった。

南の海の彼方には、観音菩薩の住まう補陀落浄土があるという。その浄土を目指して、僧が小船に乗り、二度と還らぬ航海へ漕ぎ出す。これが補陀洛渡海と呼ばれた捨身行である。記録に残る最古は貞観十年(八六八)の慶龍上人とされ、平安から江戸期にかけて行われた。全国で約五十六例が確認され、その半数近い二十八例が熊野那智から船出したという[5]

渡海の様は凄絶であった。全長わずか六メートルほどの船の甲板に小さな屋形を組み、渡海僧はわずかな食料と灯油だけを携えて中へ入る。屋形の扉は外から釘で打ちつけられ、僧はもはや出ることができない。船は伴船に曳かれて沖へ運ばれ、綱を切り離されて黒潮のなかへ消えていった[5]。海のかなたに理想郷があるという熊野の自然信仰が、仏教の浄土思想と結びつき、那智の浜でこの究極の行が定着したのである。

神武の擬死再生も、補陀洛の渡海も、根は同じ一つの地理感覚に発している。紀伊国の南端は、生者の世界が尽き、海と山の向こうに他界が始まる「果ての地」であった。この感覚こそが、次に見る数々の怪を育てた苗床である。

参詣の道に湧く怪──蟻の熊野詣と夜道の妖

他界の入口たる熊野へ、人々は列をなして通った。上皇(法皇)の熊野詣を熊野御幸といい、白河・鳥羽・後白河・後鳥羽の院政期を中心に、総計およそ百度を数えた[6]。やがてその巡礼熱は身分を越えて庶民へ広がり、絶え間なく続く参詣の列は「蟻の熊野詣」と称された。女性や身体に障りのある者など、他の寺社が忌避した人々にまで門戸を開いたことが、熊野信仰の最大の特色であった[6]

誰もが歩いた道──そこにこそ怪は湧く。紀伊の妖怪の多くが、聖地そのものより「聖地へ通じる夜道」に現れるのは、この参詣の地理から必然的に導かれる。歩く者の不安と疲れと畏れが、峠や淵や辻の闇に形を結んだ。

その代表が、死者の登る霊山の麓に鳴く三体の怪である。

那智三峯のひとつ、標高七四九メートルの妙法山にある阿弥陀寺の周辺で語られた送り雀は、夜の山道で「チチチチ」と鳴きながら人の後を追う怪鳥である。妙法山は古来、死者の霊が最後に登る山として信仰され、亡者の鐘を撞きに登る習わしが伝わる、熊野でも屈指の他界に近い霊地であった。この鳴き声の後には狼、もしくは送り狼が現れる前兆とされ、声を聞いた者は転ばぬよう足元に注意を払って歩いたという。道で転倒すれば、すぐさまそれらに襲われると恐れられたからである。鳴き声を実在の鳥アオジになぞらえて「蒿雀」とも呼ぶが、夜間に飛ぶことからアオジとの同一視を疑う説も併存する[7]。死者の登る霊山の麓、巡礼の夜道だからこそ、こうした「人を送る」怪が育った。

同じ夜道に現れて、より直接に命を狙うのが肉吸いである。提灯を手に山道を行く者へ、十八、九の美しい女に化けて「火を貸して」と近づき、提灯を奪って暗闇に紛れ、人に食らいつくという。紀伊田辺に拠った民俗学の巨人、南方熊楠は、その『紀州俗伝』に肉吸いの記録を残した。明治二十六年(一八九三)に郵便脚夫が夜道で遭い、火縄を打ちつけて退散させた話、また果無山脈で猟師の源造が「源造、火を貸せ」と呼びかけられたとき、一匹の狼が袖を引いて危機を知らせた話などである[8]。火種や火縄を携える戒めは、紀伊の山深さがそのまま結晶した、夜道を生きるための知恵であった。

そして、紀伊国でただ一つの飛び地として知られる牟婁郡北山(現在の北山村)には、地形そのものに刻まれた狐の伝承がある。タメハチ狐は、男「タメハチ」に憑いたとされる狐で、滝の絶壁を渡りきる妖力を示したと語られ、断崖に残る筋状の跡をその証とする。もっとも北山には、絶壁を渡り競べたのは蛇と修験者(イカヅチ坊主)で、修験者は落ち、蛇が渡りきったため跡が残ったとする伝えもあり、語り手や家筋によって主体が狐にも蛇にも修験者にも入れ替わる[9]。実在の人物や年代は不詳で、地形伝承と憑き物観が結びついた逸話として読むのがよい。深山の崖一筋にすら幾通りもの物語を見出すこの想像力こそ、参詣と修験の山々に分け入った紀伊の人々が育てた語りの厚みである。

蛇身に変ずる情念──道成寺の鐘

参詣の道の途上で、人の情念が怪へと転じた最も名高い物語が、日高川のほとりの古刹、道成寺に伝わる安珍清姫伝説である。道成寺はこれを延長六年(九二八)の出来事とし、十一世紀の『大日本国法華験記』に記され、『今昔物語集』にも採られたと整理する[10]

奥州白河から熊野本宮を目指す若い僧、安珍が、紀伊の真砂に一夜の宿を借りる。宿の娘、のちに清姫と呼ばれる女は安珍に恋い焦がれたが、僧は参詣の帰路に再び立ち寄ると偽って去り、約束を違えて逃げた。裏切られたと知った女の追跡は、人間の走りから異類の変化へと移ってゆく。日高川では渡し守が舟を出さず、女は怒りのまま川へ身を投じ、蛇体となって水を渡った[11]

기요히메

きよひめ

기요히메는 기이국 도조지에 전해지는 안친 기요히메 전설의 뱀 여인이다. 구마노 참배를 가던 승려 안친을 사랑하여, 약속을 어겼다고 생각하자 히다카가와 강을 넘어 쫓아가 뱀의 몸으로 변해 도조지의 종에 숨은 안친을 태워 죽였다. 도조지는 이 이야기가 엔초 6년(928)의 사건이라고 전하며, 11세기의 『법화험기(法華験記)』에 기록되고 훗날 노(能), 닌교조루리, 가부키의 '도조지모노'로 퍼졌다고 설명한다. 오래된 설화에서는 여인의 이름이 정해져 있지 않았으나, 후대의 사찰 연기, 에토키(그림 풀이), 무대 예능을 통해 '기요히메'로 정착되었다. 요괴로서의 기요히메는 뱀 신 그 자체가 아니라 인간의 연모가 질투와 집착에 불타 뱀의 몸으로 변한 경계적 존재이며, 한냐(般若)나 하시히메(橋姫)와 마찬가지로 여인의 원한이 얼굴과 신체, 불을 얻어 나타나는 대표적인 귀녀(鬼女)이다.

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道成寺へ逃げ込んだ安珍は、僧たちによって梵鐘の中に隠される。だが蛇となった清姫は鐘に幾重にも巻きつき、その身の炎熱で鐘もろとも安珍を焼き尽くした。重要なのは、清姫がはじめから怪物ではなかった点である。破られた約束、恋慕、羞恥、嫉妬、宗教者への不信が一気に重なって、ひとりの人間の女が蛇へ転じる。原初の大蛇怪とは異なり、清姫は般若面が表す「怒りと哀しみの同居」に近い存在なのだ[12]

そして物語のもう一方の主役が、焼かれた鐘そのものである。

도조지의 종

Dōjōji no kane

도조지 연기로 유명한 대형 범종. 승려 안진이 종 속에 숨자, 연정이 원념으로 바뀐 여인이 뱀으로 변해 몸을 휘감고 불길로 종을 태웠다고 전한다. 전승에는 종이 끓는 물처럼 변해 승려를 삼킨다는 노가쿠적 묘사와, 물로 불을 끄고 종이 남았다는 연기 설이 나란히 전한다. 도리야마 세키엔은 『금석백귀습유』에서 ‘도조지의 종’이라 하여 이 이설을 도해했다.

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道成寺鐘の伝承は、諸本で大きく揺れる。『道成寺縁起』では、女が蛇身となって鐘に巻きつき火を吐き、長く燃えたのちに水で消火して鐘を除けたとする[11]。一方、能『道成寺』では「鐘は即ち湯となつて」と語り、熱で鐘が融け去る描写が強調される[12]。鳥山石燕は『今昔百鬼拾遺』に「道成寺鐘」を図示し、「鐘とけて湯となる」と記しながら、当時その鐘が他寺に納められていた事実をも併記した。怪異がいかに伝承の過程で変奏されてゆくかを、この鐘ほどよく示す器物はない。

この物語が紀伊国に固有なのは、それが熊野参詣という具体的な信仰の道のうえに据えられている点にある。安珍は奥州白河から熊野本宮を目指す参詣僧であり、清姫の宿は熊野古道沿いの真砂にあった。前節で見た「蟻の熊野詣」の巡礼路を舞台装置として、この悲劇は成立している。聖地へ向かう清浄な道であればこそ、そこで破られた約束と裏切られた情念が、いっそう深い罪と怪へ転じた。日高川町には、いまも清姫の墓と伝えられる塚や、安珍ゆかりの地が点在し、物語が土地に深く根を下ろしていることを示す。近世にはこれが人形浄瑠璃・歌舞伎・舞踊へ展開し、「娘道成寺」をはじめとする道成寺物の巨大な系譜をつくった[13]

高野の深山と海辺の淵──天狗と牛鬼

熊野が南の海へ開く他界なら、紀伊国の北、紀ノ川の上流に屹立するのが高野の山である。弘仁七年(八一六)、空海が朝廷の許しを得て、標高およそ千メートルの峰々に囲まれた盆地を真言密教の根本道場として開いた。九世紀初頭に開かれたこの伽藍は、のちの真言寺院の規範となった[4]。深山に籠もって法力を練るこの土地の性格は、おのずと山の主たる天狗の領分と重なってゆく。

덴구

てんぐ

덴구는 일본의 산악에 깃든다고 하는 요괴이자 신격적 존재로, 수험도의 야마부시와 떼려야 뗄 수 없이 결부되어 온 산의 주인이다. 그 모습에는 크게 두 계통이 있다. 하나는 붉은 얼굴에 높은 코, 야마부시의 차림을 하고 깃부채와 외이 굽 높은 게다를 갖춘 하나타카 덴구(코 높은 덴구), 또 하나는 까마귀의 부리와 날개를 지닌 가라스 덴구이며, 그 아래로 고노하 덴구·곳파 덴구 같은 하위 권속이 이어진다. 예전에는 솔개 같은 새의 모습으로 관념되던 것이, 중세를 거치며 긴 코의 야마부시 상으로 굳어 갔다. 덴구는 불법을 방해하는 마이면서, 조복되면 불법을 지키는 호법신으로 바뀐다——이 양의성이야말로 덴구의 본질이다. 교만한 고승이 떨어져 덴구가 된다는 관념은 불교가 설하는 “덴구도”와 결부되어, 가마쿠라 말의 그림두루마리에도 풍자로 그려졌다. 한편 산악 신앙 안에서는 산의 수호자, 무예와 법력의 달인으로 외경받아, 수행자를 시험하거나 이끄는 존재로 여겨졌다. 교토의 구라마산·아타고산을 비롯해 제국의 영산에는 저마다 대덴구가 좌정한다고 전하며, 근세의 『덴구경』은 그 총수를 마흔여덟으로 헤아린다.

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天狗は山伏と分かちがたく結びついた山の主であり、仏法を妨げる魔でありながら、調伏されれば仏法を護る護法神に転じるという両義性を本質とする。慢心した高僧が堕ちて天狗になるという観念は、仏教の説く「天狗道」と結びついた。永仁四年(一二九六)頃の『天狗草紙』は、南都北嶺の名だたる寺の驕れる僧たちを天狗に擬えて風刺しており、天狗が中世に「仏道の慢心の象徴」として観念されたことをよく示している[14]。諸国の霊山にはそれぞれ大天狗が座すと信じられ、近世の『天狗経』はその総数を四十八に数え上げる[15]。修験の聖地である高野もまた、そうした天狗の棲む山として畏れられた。人が忽然と消える天狗攫い、伐られる大木の音が響くのに翌朝には何もない天狗倒し、山中にこだまする天狗笑い──深山の不可解は、ことごとく天狗の仕業として語られたのである。法力を練る行者と、その法力を試し、あるいは妨げる天狗とは、同じ深山の論理から生まれた対の存在であった。

紀伊にはもうひとつ、黒潮の洗う海の顔がある。その海辺と淵に現れるのが牛鬼である。

우시오니

ushi-oni

우시오니는 주로 서일본의 해안과 깊은 못, 산속에 나타나는 요괴로, 사납기와 신격에 가까운 위세가 모두 두드러진다. 모습은 하나로 정해져 있지 않다. 소의 머리에 오니의 몸을 붙인 형상도 있고, 거미 몸에 소머리를 얹은 모습도 있다. 헤이안 시대의 《마쿠라노소시》는 이미 우시오니를 무서운 것 가운데 하나로 꼽았다. 가장 큰 특징은 서로 반대되는 두 얼굴이다. 한쪽에서는 사람을 가리지 않고 잡아먹으며 독기를 퍼뜨리는 잔혹한 악귀이자 역병을 부르는 존재다. 다른 한쪽에서는 축제 행렬의 미코시를 이끌며 압도적인 힘으로 악령을 몰아내는 수호자가 된다. 문헌 속 공포의 대상이 지역 신앙과 축제 공연의 주역으로 바뀌어 온 것이다. 파괴적인 힘이 어떻게 공동체를 지키는 힘으로 받아들여지는지를 우시오니만큼 선명하게 보여 주는 요괴도 드물다.

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牛鬼は西日本の海岸や淵に現れる屈指の凶悪な怪で、牛の頭に鬼の胴、あるいは蜘蛛の胴に牛の首など、多様な異形に描かれる。平安の『枕草子』に「おそろしきもの」として名指しされるほど古くから畏怖された存在だ。和歌山では各地の淵や滝に牛鬼が語られ、その性質は土地ごとに少しずつ異なる。牟婁の牛鬼淵は底が海に通じるとされ、淵の水が濁ると「牛鬼がいる」と恐れられ、夕暮れに現れて、見ただけで人を病ませ、あるいは狂わせるという。すさみの琴の滝の牛鬼は人の影を嘗め、影を嘗められた者はほどなく死ぬといい、串本の笹の平の牛鬼は美しい鳥に化けて人を惑わすと伝えられた[16]。淵・滝・海という水の境界に現れ、影や視線を介して命を奪うこの怪は、紀伊の海辺の人々が抱いた水難と風土病の恐怖を、そのまま異形に凝らせたものであった。

紀伊の牛鬼で興味深いのは、それに対抗する呪文が残されていることである。出会ったとき「石は流れる、木の葉は沈む、牛は嘶く、馬は吼える」と、ことごとく逆さまの言葉を唱えれば命が助かるという。これは、牛鬼という存在の理を反転の言葉で攪乱しようとする、海辺の民の切実な防御の知恵であった[16]

果無の雪に残る片足──一本だたら

紀伊国の最奥、牟婁の山深く、和歌山と奈良の境をなす果無山脈には、皿のような一つ目に一本足の山霊が棲むと伝えられた。

일본다타라

Ippon-datara

일본다타라는 한쪽 눈에 외다리로 나타난다고 전해지는 산의 요괴로, 기이의 구마노와 나라의 오바가미네 등지에서 이야기된다. 눈 위에 넓고 큰 단일 발자국만 남기는 것으로 유명하며, 실제 모습을 본 사람은 드물다고 한다. 출현일을 12월 20일 ‘하테노 하츠카’로 한정하여 그날은 산에 들지 말라 경계하는 설이 널리 알려져 있다. 대장간과 타타라 제철과의 관련성, 한쪽 눈의 대장장이 신이 몰락한 형상이라는 해석도 전한다.

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一本だたらは、十二月二十日の「果ての二十日」にのみ現れるとされ、姿を見た者はなく、雪上に幅一尺ほどの単跡を残すのみだという。一本足で飛ぶように走り、出会えば病を得るとして山入りを厳しく忌んだ。「果無」の名すら、この時期に人通りが絶えることに由来するという説が伝わる[17]。その核には、伯母ヶ峰の猪笹王の物語がある。背に熊笹の生えた巨大な猪が狩人に撃ち倒され、亡霊が一本足の鬼と化して峰越えの旅人を襲った。これを丹誠上人が封じ、年に一度この日だけ解放を許したため、果ての二十日が峰の厄日となったと語られる[17]。名の「だたら」を製鉄のたたら師に通わせ、片足で鞴を踏み片目で炉火を見続けた職能者の零落と見る近代の解釈もあるが、これはあくまで一説にすぎない。

興味深いのは、一本だたらが今なお語り継がれる生きた伝承だという点である。西牟婁では、河童の一種が山に入って化したカシャンボを一本だたらと呼ぶ例もあり、二〇〇四年春には白浜の富田で一本足の足跡が見つかって話題になった[17]。果無という地名の重い響きと、年に一度の厄日という禁忌が、この山霊を紀伊の山岳信仰のなかへ深く織り込んでいる。

むすび──二つの古層が育てた怪

紀伊国は、ひとつの令制国のなかに性質の異なる二つの聖地を抱えていた。北の紀ノ川流域は木の神の鎮まる「木の国」であり、高野の深山が真言密教の法力を練る場であった。南の牟婁・熊野は、神武が荒神に倒れて蘇り、渡海僧が南海の浄土へ消えてゆく「他界の入口」であった。

この稿で辿った怪は、どれもこの二つの古層から生まれている。神々の上陸する辺境だからこそ熊野権現の荒ぶる神威があり、他界へ通う参詣の夜道だからこそ送り雀が鳴き肉吸いが火を乞い、その清浄な道のうえで破られた約束が清姫を蛇へと変え、鐘を湯へと融かした。深山の法力が天狗を呼び、海と淵の境界が牛鬼を生み、果無の禁忌が一本だたらの片足を雪に刻んだ。

聖が極まる土地にこそ、異形は最も濃く生まれる──木の神の国にして神々の上陸する辺境、紀伊国の妖怪は、その二つの古い記憶の上に立っている。現代の県域全体の妖怪文化については、和歌山県の妖怪事典を併せて読まれたい。

Kii Province의 모든 요괴9

Kii Province와 관련된 요괴 전체 목록. 본문에서 다루지 못한 전승도 포함됩니다.

  • 구마노 곤겐

    구마노 곤겐

    신격

    kumano-gongen

    삼산일체・정토의 성지・구마노 곤겐

    神霊・神格紀伊国熊野本宮大社(現·和歌山県田辺市本宮町) ── 熊野三山(本宮·速玉·那智)の核

    본지수적(本地垂迹)의 완성형. 구마노 곤겐은 일본의 신불습합 사상인 '본지수적설'이 가장 정교하게 체계화된 실례입니다. 구마노 삼산의 주신(主祭神)들에게는 각각 불교의 '본지불'이 배정되었습니다. 예를 들어, 본궁의 케츠미미코노 오카미는 아미타여래, 하야타마 대사의 구마노 하야타마노 오카미는 약사여래, 나치 대사의 구마노 후스미노 오카미는 천수관음으로 여겨졌습니다. 이로 인해 구마노를 참배하는 것은 과거세의 죄를 소멸하고(약사여래), 현세의 이익을 얻으며(천수관음), 내세에서의 극락왕생(아미타여래)을 약속받는, 과거·현재·미래 삼세(三世)에 걸친 완전한 구제 시스템으로 기능했던 것입니다. 수험도의 교단화와 네트워크. 구마노는 수험도 발상지 중 하나로, 단순한 기도의 장소가 아니라 가혹한 수행의 실천장이었습니다. 중세 이후 수험도는 혼잔파(천태종 계열)나 토잔파(진언종 계열)와 같은 거대한 교단 조직으로 발전했고, 구마노의 신앙 권위를 배경으로 전국 규모의 네트워크를 구축했습니다. 각지에 '구마노 신사(십이소 곤겐)'가 권청(신령을 나누어 모심)된 것은 이 수험자들의 네트워크를 통한 포교 활동의 성과이며, 그 수는 현재에도 전국에 수천 곳에 달하여 구마노 곤겐이 지역 사회에 얼마나 깊이 침투했는지를 보여줍니다. '길' 자체가 가지는 종교성. 구마노 곤겐 신앙을 말할 때 빼놓을 수 없는 것이 '구마노 고도(옛길)'의 존재입니다. 구마노로 향하는 여정은 극히 가혹했으며, 길 도중에는 구주쿠 오지(九十九王子)라 불리는 다수의 작은 사당이 마련되어 있었습니다. 참배자는 단지 목적지를 향해 가는 것이 아니라, 험준한 산길을 걸으며 난행고행을 거듭하는 것 자체가 죄장을 소멸시키는 수행(도중 수행)으로 간주되었습니다. 현대의 공공 역사학(Public History) 관점에서도 구마노 고도는 단순한 역사적 유산이 아니라, 자신의 신체를 사용하여 정신을 정화하는 '신앙을 실천하는 공간'으로서의 가치를 계속 지니고 있습니다.

  • 우시오니

    우시오니

    전설

    ushi-oni

    깊은 물에 숨은 소머리 거미 우시오니

    동물 변신 요괴시코쿠·주고쿠 지방 해안에서 무사시까지, 특히 세토 내해 일대

    에도 시대 요괴 두루마리와 현대 요괴 도감은 우시오니를 흔히 소의 머리와 거미의 몸을 지닌 바다 오니로 그린다. 어둡고 깊은 바닥을 알 수 없는 물에 대한 원초적인 공포와, 거미줄에 걸린 것을 놓아주지 않는 집요함이 하나의 형상으로 합쳐진 것이다. 옛 일본에서 소는 농경과 물을 다스리는 일에 깊이 얽힌 동물이었으며, 수신의 사자나 고즈텐노 같은 신성한 존재로 숭배되기도 했다. 그래서 깊은 못에 숨은 우시오니를 한때 두려움과 공경을 받던 거친 수신이 신앙의 쇠퇴와 함께 요괴로 내려온 모습이라고 보는 해석도 있다. 우시오니는 단순히 난폭한 짐승이 아니다. 물에 비친 그림자를 핥기만 해도 사람을 죽이고, 누레온나를 미끼로 삼아 방심한 틈을 노린다고 한다. 이런 무차별적이고 절대적인 힘에는 위험한 신격의 흔적이 남아 있다. 잘린 몸 일부도 원한으로 계속 움직일 만큼 생명력이 강해 보통 사람은 맞설 수 없다. 사람들은 센주관음 같은 더 높은 불교의 힘에 기대거나, 반대로 우시오니를 미코시 행렬의 앞에 세워 축제 속에 정중히 받아들였다. 거칠고 사나운 아라미타마로 제대로 모시면, 그 힘을 다른 악으로부터 마을을 지키는 데 돌릴 수 있다고 본 것이다.

  • 기요히메

    기요히메

    전설

    きよひめ

    도조지를 태우는 뱀 여인・기요히메

    인요・반인반요기이국(현재의 와카야마현) / 도조지(현재의 와카야마현 히다카군 히다카가와초 카네마키)

    이 판본은 도조지 전설 중에서도 '기요히메'라는 인물성을 전면에 내세운다. 그녀는 단순한 뱀 괴물이 아니다. 사랑을 고백한 여자, 도망침을 당한 여자, 강을 넘는 여자, 종을 태우는 뱀 여인이라는 네 가지 층이 겹쳐 있다. 도조지에서는 이야기를 두루마리 그림의 에토키(그림 풀이)로 전하고, 노(能) 『도조지』에서는 후일담의 시라뵤시가 종 밑으로 사라졌다가 다시 뱀의 몸을 한 귀녀로 나타난다. 즉 기요히메의 무서움은 과거에 일어난 사건이 끝나지 않고, 예능의 자리에서 몇 번이나 현재화된다는 데에 있다. 요괴 분류상 기요히메는 '뱀 여인'인 동시에 '한냐가 되어가는 여인'이기도 하다. 한냐가 가면에 새긴 분노와 슬픔, 하시히메가 다리와 강에 깃들게 한 질투, 야마타노오로치가 신화적으로 보여준 뱀의 재액성을, 기요히메는 한 인간의 신체에 모으고 있다. 사찰의 종은 안전한 은신처여야 하지만 기요히메의 집념에 닿으면 도망칠 곳이 아니라 화로가 된다. 여기에 도조지 전설의 상징성이 있다. 불법의 절, 구마노 참배의 길, 히다카가와 강의 물, 종의 금속음, 여인의 불이 한 점에서 부딪쳐 연애담이 요괴담으로 변하는 것이다.

  • 덴구

    덴구

    전설

    てんぐ

    덴구란 무엇인가——유형과 도상의 총론

    산야의 괴이교토부·시가현·와카야마현 (각 영산의 대덴구 여러 좌)

    이 판은 특정 영산의 한 좌가 아니라, “덴구란 무엇인가”를 도상과 유형의 역사에서 철저히 풀어내는 총론이다. 각 좌의 개별 전승은 저마다 대덴구의 페이지에 넘긴다. 덴구의 모습은 한결같지 않다. 첫째 유형은 하나타카 덴구——붉은 얼굴에 높은 코, 야마부시의 도킨과 스즈카케를 두르고, 깃부채를 손에 외이 굽 높은 게다를 신는다. 둘째는 가라스 덴구로, 까마귀의 부리와 날개를 지니고 검이나 금강장을 쥔다. 셋째는 고노하 덴구·곳파 덴구라 불리는 하위 덴구로, 약하고 수가 많은 권속으로 여겨진다. 이것들은 고정된 분류라기보다, 시대와 지역에 따른 덴구 상의 폭을 비춘다. 도상은 시대와 함께 변천했다. 헤이안기의 덴구는 먼저 솔개 같은 새로 관념되었고, 가라스 덴구의 상은 그 자취를 간직한다. 긴 코가 두드러지는 것은 가마쿠라 말 이후로, 『제가이보 그림두루마리』에는 사람으로 둔갑했던 덴구가 새 모습으로 돌아갈 때 코가 길어지는 장면이 그려진다. 하나타카의 기원에 대해서는, 기가쿠 가면 가운데 코 높은 지도(治道) 가면에서 유래한다 하고 가라스 덴구를 가루라(가루다) 가면에 잇는 학설이 있으며, 긴 코를 새 부리의 도상적 잔존으로 보는 견해도 있으나, 어느 것도 정설이라 하기 어렵다. 『일본서기』에 코 길이 일곱 척(七咫)이라 그려진 사루타히코 신과 겹쳐져, 제례에서 사루타히코 역에 덴구 가면을 쓰는 풍습도 생겨났다. 덴구의 양의성은 불교 덴구도의 관념에 뿌리내린다. 불도를 배우기에 지옥에 떨어지지 않고, 사법을 다루기에 극락에도 가지 못하는 중간의 경지——거기에 떨어지는 것은 교만한 승려로 여겨졌다. 『덴구조시』는 이 관념을 칠대사 승려에 대한 풍자로 그리지만, “교만한 승려만이 덴구가 된다”는 단순화에는 지키리 고사이도 지나치다고 못 박는다. 마이면서도 조복되면 호법으로 바뀌고, 수험자가 『덴구경』을 외면 제국의 덴구를 불러 소원을 이룬다고 여겨졌다——호법과 마 사이의 이 진폭이야말로 덴구의 핵이다. “팔대덴구”라는 묶음의 확실한 중세 전거는 무로마치기의 요곡 『구라마 덴구』의 사장(詞章)에 있다. 대덴구가 거느린 제국의 덴구를 지리 순으로 불러 올리는 대목——“쓰쿠시에는 히코산의 부젠보, 사주(시코쿠)에는 시라미네의 사가미보, 오야마의 호키보, 이즈나의 사부로…… 오미네의 젠키 일당, 가쓰라기 다카마”——이 그것으로, 팔대덴구가 에도의 창작이 아니라 중세의 신앙과 예능에 뿌리내렸음을 보여 준다. 다만 그 구성은 자료에 따라 흔들리며, 이시즈치산 홋키보를 더하는 이전(異傳)도 있는 등 고정된 명부는 아니다.

  • 일본다타라

    일본다타라

    에픽

    Ippon-datara

    기이·구마노 전승 준거

    산림정령기이국(구마노)을 중심으로 한 산간 지역

    기이·구마노에서 나라에 이르는 기록을 바탕으로 한 ‘잇폰닷타라’ 상. 모습은 외눈 외다리로 전해지나 실견 사례는 드물며, 눈이 내린 뒤 남는 큰 단일 발자국이 출현의 증거로 여겨진 곳이 많다. 가장 유명한 특징은 12월 20일의 출현으로, 이 ‘끝의 스무 날’은 산의 신과 길의 금기와 겹쳐 산에 드는 일을 삼가게 하는 날로 기능했다. 대장장이와의 연관에서는 다타라풀무를 한쪽 발로 밟고 한쪽 눈으로 노를 보는 동작에서 유래한 외다리·외눈의 모습으로 민속학적으로 설명되곤 한다. 또한 오바가미네 계통에서는 이노사사오우라는 귀신과 동일시되어 한때 봉우리를 위협했으나 승려에게 봉인되어 해에 한 번만 풀린다는 이야기가 전한다. 구마노·이쓰쿠시마 등지에서는 ‘모습은 보이지 않고 발자국만 남긴다’고 하여 두려워하면서도 직접적 가해는 제한적이라 전하는 예도 있다. 각지의 외다리 설화(눈유령·눈동자 등)와의 습합과 혼동이 보이지만, 본 항은 구마노·나라 계열의 요소를 골격으로 삼아 기일과 단일 발자국, 대장장이 기원설을 핵심으로 둔다.

  • 도조지의 종

    도조지의 종

    희귀

    Dōjōji no kane

    석연도회·도조지의 종

    가옥과 기물의 요괴기이국(와카야마현 히다카군 유라정·도조지)

    도리야마 세키엔의 『금석백귀습유』에 그려진 도조지의 종을 도상적으로 해석한 것. 안진이 몸을 숨긴 큰 종에 뱀으로 변한 여인이 휘감겨 열기로 종이 녹아 뜨거운 물이 되었다는 이설을 각주처럼 덧붙이면서도, 종 그 자체는 역사적으로 잔존했다는 전언도 보인다. 여기서의 ‘요괴성’은 기물이 요사스러워졌다는 뜻보다는, 집념이 그릇에 들러붙어 이변을 일으킨다는 민속적 관념의 가시화에 있다. 능, 설경, 연기의 차이가 혼재된 에도기의 수용상으로 위치 지어진다.

  • 타메하치여우

    타메하치여우

    드문

    Tamehachi-gitsune

    키타야마무라 전승판

    동물요괴와카야마현 히가시무로군 키타야마촌

    키타야마무라의 지형 설화에 맞춘 상. 여우가 사람에게 빙의해 비범한 경쾌함으로 단애를 건넜다고 전한다. 뱀이나 수험자와 겨루었다는 이설이 공존해 승부 상대와 술법의 세부는 일정치 않다. 물증으로 이야기되는 절벽의 흔적을 근거 삼아, 마을 경계의 영위와 금기를 환기하는 역할을 한 것으로 이해된다. 의례나 인명 등 세부는 전승상 불분명하며, 서사는 개괄적이다.

  • 보내는 참새

    보내는 참새

    드문

    Okuri-suzume

    전승 정리판

    산림정령기이국·야마토국(현 와카야마현, 나라현 요시노군 히가시요시노촌)

    오쿠리스즈메는 산길에서 위험을 알리는 전조·흉조로 여겨져 왔다. 울음소리가 앞서 들리고 이내 늑대나 오쿠리가미(보내는 늑대)의 출몰로 이어진다는 전승 구조는 산야에서의 넘어짐이나 느린 보행을 피하게 하는 규범을 촉구한다. 실재 조류인 아오지에 따른 호칭 ‘쑥참새(蒿雀)’가 전하나, 야행성 여부에는 이견이 남는다. 모습을 봤다는 예가 드물어 구체상은 확정되지 않았고, 나라의 일부에서는 야스즈메와 혼칭된다. 와카야마 묘호산 일대 출현담이 있으며, 등불에 끌린다고 한다. 전승은 위협 자체보다 ‘전조로서의 울음’을 핵으로 하며, 소리의 괴물이라는 성격이 강하다.

  • 육흡이

    육흡이

    드문

    Nikusui

    산중에서 불을 구하는 고기빨이

    일반분류기이국(구마노·하테나시산 주변)

    구마노·하시나시산 주변에 전하는 유형에 따라 젊은 여인으로 변해 등불의 불씨를 청하고, 이를 빼앗아 어둠에 숨어 상대의 살과 정기를 빠는 방식을 핵심으로 한다. 조우담에서는 화승줄이나 부싯돌 등 손에 가진 불을 요란히 다뤄 쫓아내거나, 불교의 이름을 새긴 탄환으로 정체를 백골의 괴물로 드러내는 등 산의 금기와 휴대 지혜가 강조된다. 실내에 숨어들어 몸을 붙이고 정기를 빼앗는 근세 도상도 알려져 있으나, 본 버전은 들판과 산중의 조우와 밤길의 경계를 중점으로 하며, 등롱·불씨·염불의 말이 부적으로 기능한다는 점을 짚는다. 과도한 이국담과의 혼동을 피하고, 기이 지역의 구전과 기록에 근거한다.

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