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近江国 淡海の都に妖異が畳まれる。近江国の妖怪

瀬田の龍と大百足・三井寺の鉄鼠・地底をめぐる甲賀三郎。水と道が結ぶ古代の国

淡海の都に妖異が畳まれる。
近江国の妖怪

近江国 · おうみ

别称: 江州
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近江(おうみ)という国の名は、湖から生まれた。古代の人々は琵琶湖を「淡海(あふみ)」── 真水の海と呼び、都に近いこの湖を、遠江(とおとうみ)の浜名湖に対して「近(ちか)つ淡海」と名づけた[1]。やがて「近淡海」が「近江」へと縮まる。国の名そのものが、中央に横たわる巨大な湖の存在証明なのである。

近江国は東山道に属し、湖の東を東山道が、西を北陸道が貫き、平安期には東海道もここを通った。東国と西国を分かつ境であり、都へ入る者も都を出る者も、必ずこの水と道の国を踏む ── 近江は、日本列島の交通の臍(ほぞ)であった。この稿では、現代の滋賀県の妖怪事典が湖国全体の怪を見渡したのを承けて、もう一段だけ時を遡る。古代に都が置かれ、英雄が斃れ、最古の人魚が記された「淡海の都」── 令制国としての近江に、妖怪と怪異がどう根を張ったかをたどりたい。

淡海の都 ── 大津宮と壬申の乱の記憶

湖と道が交わる近江は、東国と西国の境であった。古代の都・戦・神話が、この水の国に幾重にも記憶を畳んでいる。
湖と道が交わる近江は、東国と西国の境であった。古代の都・戦・神話が、この水の国に幾重にも記憶を畳んでいる。

近江を語るとき、避けて通れないのが、ここがかつて日本の都であった事実だ。天智天皇六年(六六七年)、中大兄皇子は飛鳥から近江へ都を遷し、翌年、天智天皇として即位する[2]。白村江の敗戦(六六三年)で唐と新羅の脅威にさらされた朝廷が、湖に守られた要害の地を選んだのだといわれる。この近江大津宮で、全国規模では初の戸籍とされる庚午年籍(こうごねんじゃく)が編まれた。

だが都の命は短かった。六七一年に天智が崩じると、翌六七二年、天智の子・大友皇子と弟・大海人皇子のあいだで皇位を争う壬申の乱が起こる[3]。激戦の末に大海人皇子(のちの天武天皇)が勝ち、都は再び飛鳥へ戻った。近江大津宮は、わずか五年余で歴史から退場する。古代最大の内乱が決した地 ── その記憶が、近江の地層の最も古い層に刻まれている。妖怪や怨霊の物語が、のちにこの国でかくも濃く育つのは、ここが「都であったが都でなくなった土地」だったことと、けっして無縁ではないだろう。

その大津宮と畿内とをつなぐ咽喉(のど)が、瀬田の唐橋であった。琵琶湖から流れ出る川はただ一本、瀬田川しかない。湖の水がすべてここを通る以上、橋は天然の関門になる ──「唐橋を制する者は天下を制す」と称され、壬申の乱でも、橋をめぐる攻防が乱の帰趨を決した[4]。橋の架設は、大津宮遷都のころにさかのぼると伝わる。湖と道と都を一点で結ぶこの橋が、後世、龍と大百足の物語の舞台になるのは、地理の必然であった。

瀬田唐橋の龍と三上山の大百足 ── 道の妖怪

瀬田唐橋から三上山へ。橋・川・山という近江の地形そのものが、龍と大百足の劇場になる。
瀬田唐橋から三上山へ。橋・川・山という近江の地形そのものが、龍と大百足の劇場になる。

近江国を象徴する妖怪退治譚は、この瀬田唐橋から始まる。平安の武将・俵藤太(たわらとうだ)こと藤原秀郷(ふじわらのひでさと)が、橋に横たわる大蛇に道をふさがれた。ひるまず踏み越えると、大蛇は人の姿に転じ ── 瀬田川と琵琶湖を支配する龍王の化身であった。

大蜈蚣

Ōmukade

大蜈蚣是巨大的蜈蚣妖。其甲壳坚硬,能弹开刀矢;身长可盘绕数重山岭,足如火焰般赤亮,毒牙据说连铠甲也能咬碎。它与作为水神的大蛇、龙族相互敌对,常出没湖沼与山野争斗。蜈蚣也被视为勇猛不退的象征,于武家与商人间被当作吉兆。然而各地记述差异甚多,真实形貌难以定论。

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龍王は、近江富士とも呼ばれる三上山(みかみやま)を七巻き半する大百足に一族を喰われ、困り果てていた。秀郷は龍王の願いを容れ、二本まで弾かれた矢の三本目に唾をつけ、神仏の加護を得たその一矢で百足の眉間を射抜く。礼として龍宮へ招かれた秀郷は、尽きることのない米俵や巻絹を贈られた ── これが「俵藤太」の名の由来だとも伝わる[5]。武勇譚は『太平記』巻十五にも組みこまれているが[6]、興味深いことに、その『太平記』本では大百足の棲み処を三上山ではなく比良山とする。同じ近江の山でも、語り手によって舞台が湖の東から西へ動く ── このあたりの異伝の機微は、湖国全体を見渡す滋賀県の妖怪事典に詳しい。ここで確かめておきたいのは、橋の下の龍、湖を渡る矢、山に横たわる百足という、近江の地形そのものが物語を動かしているという一点である。道の妖怪は、道のかたちに従って生まれる。

その瀬田唐橋の東詰には、近江国一宮の建部大社(たけべたいしゃ)が鎮まる。祀られるのは古代最大の英雄神・倭建命(やまとたけるのみこと)── だが各地の荒ぶる神を平定したこの英雄ですら、近江の山の神には敗れた。

倭建命

Yamato Takeru

倭建命(Yamato Takeru)是《古事记》《日本书纪》中最重要的古代日本英雄神格之一,被写成第12代景行天皇之子,也是一位带有浓重悲剧色彩的英雄。《古事记》称他为“倭建命”“小碓命(Ousu)”,《日本书纪》则写作“日本武尊”“小碓尊”“倭男具那(Yamatooguna)”等。因为杀死兄长大碓命,他遭父亲景行天皇忌惮,接连被派往西方的熊袭(南九州)、出云,以及东方的东国(东海、关东、东北)远征,一路平定当地土地神和豪族。征讨熊袭时,他女装潜入营中,杀死兄弟首领熊袭建;熊袭建临死前把“Yamato Takeru”这个名字献给他。后来,他从姑姑倭姬命(伊势神宫斋宫之祖)那里得到草薙剑,这把神剑传说出自八岐大蛇尾中。他凭此逃过骏河国烧津的野火围攻;在走水海上,妃子弟橘比卖为平息海神之怒投海而死;最后,他因近江伊吹山山神作祟而病重,在伊势国能褒野(今三重县龟山市)去世。死后化作白鸟飞去的“白鸟传说”,是古代日本英雄升天、转生故事中最有代表性的一个,并在三重县、爱知县、岐阜县、静冈县等地留下陵墓传承、白鸟神社、热田神宫(草薙剑传承地)等圣地。

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『古事記』によれば、ヤマトタケルは伊吹山の神を素手で討とうと登り、道で出会った白い大猪(『日本書紀』では大蛇)を「神の使いだろう、帰りに殺す」と侮った[7]。怒った神は大氷雨(おおひさめ)を降らせて彼の正気を奪う。山を下りた英雄は、伊吹山南麓の醒井(さめがい、現·米原市)の「居醒(いさめ)の清水」でわずかに息を吹き返したと伝わるが、ついに病を得て、伊勢の能煩野(のぼの)で力尽きた。澄んだ湧水はいまも街道沿いに流れ、英雄の最期を近江の地に結びつけている。琵琶湖を見おろす伊吹の山は、英雄を殺すほどの荒神(あらがみ)の坐す山として、この国の北東にそびえていた。建部大社が彼を武運の神として祀るのは、敗れてなお神格を得た英雄への、近江の人々の敬意のかたちであろう。

湖底の最古の人魚と、
湖を掘った巨人 ── 水の妖怪

淡海=真水の海。日本最古の人魚も、湖を掘った巨人も、この巨大な水の器をめぐって語られた。
淡海=真水の海。日本最古の人魚も、湖を掘った巨人も、この巨大な水の器をめぐって語られた。

近江が「淡海の海」と呼ばれた水の国であることは、妖怪の系譜にもくっきりと刻まれている。日本最古の人魚の記録は、ほかでもない近江のものだ。

人鱼

ningyo

人鱼(Ningyo)是栖息于海洋与河流中的半人半鱼妖怪,在日本的民俗传说中,它是一个兼具“不老长寿”与“灾厄预兆”这两种截然相反面貌的特异存在。与西方故事里美丽的“美人鱼(Mermaid)”不同,日本古文献中出现的人鱼大多被描绘成“长着像猴子一样的脸和鱼的身体”、“拥有尖锐的牙齿和犄角”等极其怪异的模样,一旦它们被冲上海岸,就被视为会发生战争或瘟疫等不祥之事的凶兆。但另一方面,民间又强烈地相信人鱼的肉具有“不老不死灵药”的功效,因为吃了人鱼肉而活了800年的“八百比丘尼”的传说,在日本全国各地广为流传。进入江户时代后,人鱼从令人敬畏的对象一转变成了“供人观赏的展品”或引发好奇心的“珍奇异兽”;工匠们将猴子的上半身与鱼的下半身巧妙地拼接在一起,大量制作出“人鱼木乃伊”,在国内外掀起了一股巨大的流通热潮。

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『日本書紀』推古天皇二十七年(六一九年)の条に、近江国の蒲生河(がもうがわ)に「其の形(かたち)人の如し」というものが現れたと記される[8]。海ではなく、湖へ注ぐ淡水の川に現れたところが、いかにも近江らしい。同じ年、摂津国の堀江でも「児(わかご)の如し、魚にも非ず人にも非ず」というものが網にかかったと併記されるが、近江の蒲生河の例は、文献に裏づけられた人魚の最古例として知られる。もっとも当時「人魚」という語はまだ成立しておらず、後世の人々がこれを人魚と読みかえたものだ。明治の博物学者・南方熊楠は、この古例をオオサンショウウオの誤認だろうと推測している ── 怪異の記録は、しばしば、まだ名を持たぬ何かへの戸惑いから始まる。

水の妖怪は、湖の創成譚にまで遡る。近江には、琵琶湖そのものを掘ったという巨人の伝説が伝わる。

大太法师

Daidarabotchi

大太法师是日本巨人传说中最有代表性的名字之一。人们把洼地、池沼、水井、土冢和山岳说成巨人身体留下的痕迹。以关东和中部为主,各地又有Daidarabō、Daidabocchi、Dairabocchi、Deedarabocchi等叫法,并写作“大太法师”“大多罗法师”等。“大太法师”并不指一位在全国各地都有相同经历和面貌的固定巨人。各地借巨人的动作解释眼前地貌,讲出了许多相似故事;名称相近,后来才被归到这一名称之下。 传说关心的不是巨人的脸或衣服,而是它经过后留下的痕迹:一步踩下,地面陷成池沼;双脚撑住地面,土就隆起;搬运的泥土或鞋上掉下的土,堆成丘陵和土冢。背山、挖土搬到别处、以杖触地、排泄,这些动作把相隔甚远的山、海、洼地和涌泉连到同一具巨大的身体上。不过,各地讲述的动作和随身物并不相同,对它的善恶、才智和待人态度,也没有全国一致的说法。 《常陆国风土记》和《播磨国风土记》也记下了古代故事:巨大的“上古之人”或“大人”以身体、脚印和排泄解释地形。这些故事和后世大太法师传说的构造很相近,但古代本文并没有“大太法师”这个名字。它们不能证明同一种妖怪从古至今未曾改变地流传下来,只是可供对照的材料,显示人们很早就会用巨人的身体来解释土地的形状。

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ダイダラボッチは、山や湖をつくるほどの巨体を持つ国造りの巨人だ。富士山を盛り上げるために近江の土を掘り、その掘った跡が琵琶湖になったと語られる[9]。湖の輪郭と富士の山容が、一人の巨人の手仕事として一続きに想像されているのである。この伝説の縁から、昭和四十三年(一九六八年)に静岡の富士宮市と近江八幡市は夫婦都市の縁を結んだ。神話を都市交流に変えてしまうあたりに、伝説がいまも生きていることがうかがえる。掘った土が富士になり、その跡が湖になる ── 列島の地形を一つの物語で結ぶこの巨人は、近江が「水の国」であることの、最も雄大な説明になっている。

そして、夜の湖そのものが妖しい火をともす。彦根に伝わる蓑火(みのび)は、湖を渡る舟人の妖怪である。

蓑火

Minobi

“蓑火”指梅雨季的夜晚,在琵琶湖上行舟时,雨具蓑衣上点点浮现如萤的怪火。据说不灼热也不会蔓延,脱下蓑衣便会消失;若用手去拍打,反而会增多,像星子闪烁一般。有人说是溺死者怨灵所化,近代也有视为某种气体自发光的解释,各地都有相似记载。

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旧暦五月の雨の夜、琵琶湖の舟上で、蓑(みの)に蛍のような火の玉がいくつもまとわりつく。手で払えば払うほど数を増し、けれども熱くはなく、蓑を脱げば消えるという[10]。鳥山石燕も『今昔百鬼拾遺』にこれを描いた[11]。火でありながら水上にともるという矛盾を、そのまま静かな美しさに変えてしまうところが、湖国の怪らしい。水死者の魂が火になるという説もあれば、明治の井上円了は湖面から立つ燐(りん)やガスのなせるわざと説いた ── 怪異と科学のあわいで、蓑火はいまもほのかに光りつづけている。

三井寺の怨霊 ── 山門寺門の争いが生んだ鼠

三井寺の伽藍から比叡山へ押し寄せる頼豪の怨念・鉄鼠。生々しい寺院対立の歴史が、怪異へと重なった姿である。
三井寺の伽藍から比叡山へ押し寄せる頼豪の怨念・鉄鼠。生々しい寺院対立の歴史が、怪異へと重なった姿である。

都の記憶が古代の層なら、中世の近江に怪異を呼びこんだのは、寺と寺との争いである。大津の三井寺(園城寺)は天台寺門宗の総本山で、たびたび戦乱に焼かれては再興された「不死鳥の寺」として知られる。この寺の歴史に重なる怨霊譚が、頼豪(らいごう)と鉄鼠(てっそ)の物語だ。

赖豪

Raigō

平安中期天台宗僧人赖豪,以修法灵验著称,相传为白河天皇祈子而成。据说他后来企望在园城寺设立戒坛,却因延历寺强烈反对而未果,心怀怨恨,绝食入定。死后怨灵化为鼠,啮毁经藏,被称作“铁鼠”的怪异,《平家物语》《太平记》中均有记载。这是历史事迹与怨灵传说叠加的典型案例。

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頼豪は、白河天皇に皇子誕生を祈願し、百日の祈りの末にこれを成就させた三井寺の高僧だった。恩賞として三井寺に戒壇(かいだん ── 僧に戒を授ける場)を設けることを願ったが、これを嫌う比叡山延暦寺の強硬な反対で叶わず、憤死したと伝わる ──『平家物語』は、恨みのあまり怨霊と化した頼豪が、自ら祈り出した皇子を呪い殺したと語る[12]。承暦元年(一〇七七年)、皇子はわずか四歳で世を去ったという。

この怨念が、やがて鉄の牙を持つ鼠の群れへと姿を変える。

铁鼠

Tesso

铁鼠是传说中由园城寺僧人赖豪的怨灵化作的巨鼠妖怪。故事以延历寺与园城寺的对立为背景,描绘其啮食经卷与佛像。名称源自鸟山石燕《画图百鬼夜行》,旧传多称“赖豪鼠”或“三井寺鼠”。它把怨灵故事与民间对鼠患的观念结合起来,在比叡山与大津一带的社寺留有安魂与镇祟的传承。

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後世の物語では、頼豪の怨霊は八万四千の鉄鼠となって比叡山へ押し寄せ、経巻や仏像を食い荒らした[13]。江戸の妖怪画はこれを鉄鼠(てっそ)と名づけて結晶させ、三井寺には鼠の霊を祀る十八明神社(じゅうはちみょうじんしゃ)── 通称「ねずみの宮」が、いまも比叡山の方角をにらむように建っている。

怨霊が鼠に化けるという発想の背後には、近江の宗教史そのものがある。同じ天台でありながら、円珍(えんちん)門流の三井寺(寺門)と、円仁(えんにん)門流の延暦寺(山門)とは、座主の補任や戒壇の権をめぐって長く反目しあった ── これを「山門寺門の争い」と呼ぶ[14]。正暦四年(九九三年)には山門が寺門の坊舎を焼き、寺門の僧およそ一千人が山を下って三井寺に拠った。頼豪が望んで容れられなかった「戒壇」とは、まさにこの対立の核心であった。怪異は、ここでは空想の産物ではない。生々しい権力闘争の記憶が、鼠という小さな獣の姿を借りて語り直されたのである。

比良の天狗と、
地の底をめぐる三郎 ── 山と地下の妖怪

近江は道と湖の国であると同時に、湖を囲む山の国でもある。湖の西にそびえる比良山(ひらさん)には、大天狗が宿る。

比良山次郎坊

ひらさんじろうぼう(Hira-san Jirōbō)

比良山次郎坊是在近江国比良山扎根的大天狗,在四十八天狗与八大天狗中,名列次于爱宕山太郎坊的次席(第二位)。他被画成鼻子高耸的大天狗,相传操纵山气与风,统领麾下的天狗。 他以耸立于琵琶湖西岸的比良山系为据,中世时这座山的天狗便以实名见于文献。庆政于延应元年(1239)所著《比良山古人灵托》,记下与比良山老天狗(古人)的问答,传达出比良自古就被视为天狗栖居的灵山。在以爱宕太郎坊为首的天狗界序列中,次郎坊身居次席,常与太郎坊成对而被提起。

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比良山次郎坊(ひらさんじろうぼう)は、愛宕山の太郎坊に次ぐ大天狗とされる。注目すべきは、天狗が単なる人を化かす妖怪としてではなく、宗教を論じる存在として一次史料に現れることだ。鎌倉時代の僧・慶政(けいせい)が著した『比良山古人霊託(ひらさんこじんれいたく)』(一二三九年)には、ある女房に憑いた比良山の大天狗と慶政とが、仏法をめぐって長く問答するさまが記されている[15]。日本を代表する八天狗を数えるとき、その筆頭が愛宕の太郎坊、これに次ぐのが比良の次郎坊だとされた。琵琶湖を見おろす比良の高嶺は、それほどの大天狗が坐すにふさわしい山と仰がれたのである。

天狗という存在そのものについては、近江の比良に限らず、修験の山すべてにまたがる広がりを持つ。

天狗

てんぐ(Tengu)

天狗是据说栖身日本山岳的妖怪兼神格般的存在,是与修验道的山伏分不开的山中之主。它的形态大体有两路:一路是赤红脸、高鼻、身着山伏装束、手持羽团扇、脚踏独齿高木屐的鼻高天狗;另一路是有鸦喙与翅膀的乌天狗,其下还连着木叶天狗、木屑天狗这类下位的眷属。早先被想象成鸢一样的鸟,经过中世,渐渐定型为长鼻的山伏之相。 天狗既是妨碍佛法的魔,一旦被降伏又会转成护持佛法的护法神——这一两义性正是天狗的本质。“高傲的高僧堕落而成天狗”这一观念,与佛教所说的“天狗道”相连,在镰仓末的绘卷里也被当作讽刺来画。另一方面,在山岳信仰里它被敬畏为山的守护者、武艺与法力的高手,是试炼乃至引导修行者的存在。自京都的鞍马山、爱宕山起,诸国的灵山都被传说各有大天狗坐镇,近世的《天狗经》把它们的总数数到四十八。

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験力、飛行、慢心、そして護法 ── 天狗は、聖と魔の両方を一身に背負う、修行の山の住人である。鼻高の山伏天狗、烏天狗、木の葉天狗と図像も多彩で、ときに人をたぶらかし、ときに仏法を守護する。比良山次郎坊は、その天狗類のなかでも、近江という土地に固有の名を与えられ、正統な大天狗として語り継がれた一例だといえる。

同じ近江の南東、甲賀の地からは、地の底をめぐる異形の英雄が生まれた。

甲贺三郎

Koga Saburo

甲贺三郎是中世传说故事集《神道集》中“诹访缘起之事”篇章里,一位经历地底游历并化身为蛇身的英雄主人公。故事中他被描述为近江国甲贺郡权贵的第三子,为了寻找妻子春日姬而进入信浓国蓼科山的洞穴,却因兄长的嫉妒而被困于地底。在经历了漫长的地下异界巡游后,他终于回到地面,但身体却变成了蛇或者龙的姿态,并最终与诹访上社的明神信仰联系在一起。相较于《古事记》中的建御名方神,甲贺三郎应被视为由中世诹访缘起所孕育出的另一体系——“武士历经蛇身最终成神”的典型故事模式。

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中世の説話集『神道集』の「諏訪縁起」によれば、甲賀の領主の三男・甲賀三郎(こうがさぶろう)は、天狗にさらわれた妻・春日姫(かすがひめ)を救うべく、信濃の蓼科山(たてしなやま)の人穴へと分け入った[16]。だが地上へ引き上げる綱を兄に切られ、地の底に取り残されてしまう。地下には七十二もの国があったと語られ、三郎はそのひとつ維縵(いかん)国の王女と契りながらも、なお地上を恋いつづけた。長い帰路の末にようやく地上へ帰り着いたとき、その身はすでに蛇(龍)へと変じていた ── やがて人の姿を取り戻した三郎は、諏訪の明神になったと語られる。武士が地底をめぐり、蛇身を経て神へと昇る ── 甲賀の地は、こんな壮大な転生譚の出発点でもあった。地下を旅する英雄という発想が、湖と山にはさまれた近江の地から立ち上がっているのは、暗示的である。

灯火の妖怪と、
湖国を歩いた商人たち ── 近世の近江

油赤子

abura akago

江户中期由鸟山石燕绘入《今昔画图续百鬼》。形如婴儿,传说会舔吸行灯里的灯油。其渊源多指近江国大津一带的俗信:有卖油者盗取地藏菩萨前的供油,死后化为怪火(见《诸国里人谈》《本朝故事因缘集》关于“偷油之火”的记载)。石燕承接怪火传说,将对油的执念拟形为婴儿之像。

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近世に入ると、近江の妖怪は街道や町の暮らしのなかに溶けこんでいく。その代表が油赤子(あぶらあかご)だ。鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』(一七七九年)に描かれたこの妖怪は、赤子の姿で行灯(あんどん)の油を舐め取る[17]。石燕の図像の背後には、近江国大津の俗信がある ── 大津で地蔵の灯明油を夜ごと盗んで売っていた油売りが、死後に迷って怪火(油坊)と化したという話だ[18]。火の玉が家に入りこんで赤子の姿となり、油を舐め、また火に戻って飛び去る。「灯(あかり)」が怪を呼ぶという発想は、油という商品が貴重で、寺社の灯明や行灯の灯が暮らしの中心にあった時代の感覚から生まれている。

そして油という商品は、近江のもう一つの顔へとつながっていく。湖と東西の街道に恵まれた近江は、近世日本を代表する商人 ── 近江商人を生んだ土地であった。

八幡商人、日野商人、五個荘商人らは、天秤棒一本をかついで全国へ行商に出た。日野商人は売薬や醸造を得意とし、油もまた彼らの扱った重要な商品の一つであった[19]。「近江の千両天秤」という言葉は、天秤棒一本から千両の身代を築く気概と、富を得ても行商の初心を忘れぬ戒めを、同時に伝えている。妖怪の世界では油を盗む怪火が語られ、現実の世界では油を商う商人が街道を歩く ── 油という一つの品をめぐって、怪異と経済とが同じ近江の街道の上で交差していたのである。湖が交通の臍であったからこそ、ここでは物も人も怪も、同じ道の上を行き来した。

結び ── 湖と道が記憶を畳む国

近江国の妖怪をたどると、この国がいかに「境の国」であったかが見えてくる。東国と西国の境、水と陸の境、聖と魔の境 ── そのいずれもが、湖と道という近江の地理に根ざしている。瀬田唐橋に龍と大百足が立ちあがり、伊吹山に英雄を斃す荒神が坐し、蒲生河に最古の人魚が記され、巨人が湖を掘り、三井寺に怨霊の鼠が群れ、比良に大天狗が宿り、甲賀から地底をめぐる三郎が現れ、大津の街道に油の怪火がともる。

古代の都が置かれ、壬申の乱が決し、英雄が斃れた近江は、その後も都の神仏・軍記・怪談を湖と山で受けとめ、独自の怪異に編みなおしてきた。令制国としての近江がたたんだこれらの記憶は、いまも現代の滋賀県の妖怪事典へと地続きに流れこんでいる。淡海の都は、わずか五年で都であることをやめた。だが、都であった記憶も、英雄が敗れた記憶も、商人が街道を歩いた記憶も、この水の国はけっして手放さなかった。近江の妖怪とは、その畳まれた記憶が、湖面にほのかに灯した火なのである。

近江国全部妖怪12

近江国相关全部妖怪的完整清单,包括正文未细写的传承。

  • 瀬織津姫

    瀬織津姫

    神格

    せおりつひめ

    速川の瀬に立つ祓戸の水神・瀬織津姫

    神霊・神格大祓詞の速川の瀬/佐久奈度神社 (現·滋賀県大津市、祓戸信仰)

    解读濑织津姬的关键,在于将“清净”理解为“使其移动”而非“使其变白”。大祓词中的罪孽污秽,并不只是在心中反省就了事的。它们会被转移到祓禊的物品上,在祝词中被点名,然后移交给从山上奔流而下的水中。濑织津姬就是这最初的搬运工。她所在的场所,不是平静的湖面,而是水流湍急的险滩。在水流湍急、波涛翻滚、立足不稳的地方,罪孽被剥离出人类的领域。 这位神明的运作方式,有别于温柔的抚慰。濑织津姬不会将污秽包裹起来保存。她接收被祓除之物,然后原封不动地将其带向大海。这里蕴含着一种古代的智慧:与其不断地分析罪孽,不如在某个时间点改变它的位置。如果人类共同体只是将罪孽污秽囤积在内部,最终必定会崩溃。因此,祓禊用话语使罪孽显现,让物品背负它,然后将其送回自然的循环中。濑织津姬正是掌管这种“切换”的神明,是让停滞之物重新回归流动的力量本身。 观察祓户四神的连锁反应,濑织津姬的角色就更加明确了。当她将其从河流运向大海后,速开津比咩会在海潮的漩涡中将其吞没,气吹户主用气息将其吹向根之国・底之国,最后速佐须良比咩使其彻底消失。也就是说,濑织津姬不是消灭的终点,而是迈向消灭的移送的起点。承担第一步的神明,往往也是最接近人类的。在人们放手罪孽污秽的瞬间,它其实还没有消失。但是,它已经不在主人的手中了。濑织津姬就站在这悬置的时间里。 濑织津姬作为水神的魅力,也由此而生。水之所以尊贵,不在于它的清澈,而在于它的流动才能祓除污秽。不是拒绝浑浊,而是运送浑浊。对瀑布和急流的向往自然而然地指向濑织津姬。落下的水,从上到下,从山到河,从河到海,不断跨越着边界。站立在那里的女神,不是固定圣域的守护神,而是让人通过边界的神。她的清净,不是停滞的无垢,而是依靠流动来维持的秩序。 另一方面,我们应该与想要将濑织津姬说成是天照大御神“被隐藏的本体”的诱惑保持距离。伊势神宫的官方解说指出,荒祭宫是祭祀天照大御神荒御魂的内宫第一别宫,荒御魂被解释为格外显著的神威显现。那里并没有放上濑织津姬的名字。因此,将两者联系起来的说法,安全起见应作为后世的注释、民间信仰和现代接受来处理。我们不需要否定这些层面,但如果将其与文本中的神格混为一谈,濑织津姬自身的轮廓反而会丧失。 濑织津姬的独特性,不在于她是否是太阳的别名,而在于水的程序。如果天照大御神是照亮世界并赋予其秩序的神明,那么濑织津姬就是将那种秩序中必然产生的罪孽污秽交给水流进行循环的神明。光明的秩序,需要处理阴影的制度。在大祓词中濑织津姬所工作的地方,正是这样一个所在。为了维持光所支配的世界,水必须运走污垢。她不是光的对立者,而是为了防止光之世界崩溃而存在的水路。 向这位神明祈祷,并不是将自己心中的阴暗面当作从未发生过。相反,是赋予它名字,赋予它形态,然后将其移交给该流向的地方。濑织津姬不会去谴责怀有罪孽的人,但也绝不允许他们永远将罪孽抱在怀中。悲伤、后悔、愤怒、旧有关系的浑浊。她会让你将这些东西运到水边,创造一个放手的瞬间。她的祓禊,不是忘却而是移送,不是原谅而是流动的路径。所以濑织津姬在作为一位纯洁的女神之前,首先是一位驱动事物的女神。 从这个意义上说,濑织津姬的神威很容易被转化为现代的情感整理,但不应将其局限在肤浅的心理学中。大祓词的祓禊,不仅仅是为了个人的内心,更是为了重振包括共同体、官员、国土在内的宏大秩序的官方话语。濑织津姬将那句话语连接到水中。她是一位将仅靠心灵无法解决的事物,移交给空间、水流和时间的神明。

  • 甲贺三郎

    甲贺三郎

    传说

    Koga Saburo

    游历地底化身蛇身的诹访明神·甲贺三郎

    人妖·半人半妖近江国甲贺郡 (现·滋贺县甲贺市周边) / 蓼科山 (现·长野县) / 诹访大社

    甲贺三郎传说的趣味所在,并非仅仅在于它是一个英雄故事,而在于它将诹访明神的起源讲述为“坠入地下的凡人之回归”。相比于《古事记》中作为让国神话的败者而退避至诹访的建御名方神,甲贺三郎则是从近江来到信浓,从蓼科山的洞穴坠入地下世界,并化身蛇体归来。诹访的神明不仅是从天而降,也不仅仅来自于中央神话,而是穿过深山的洞穴、地下的国度以及蛇的身体才显现于世的。这一故事情节,将诹访信仰中的水、山、龙蛇、狩猎以及神佛习合等元素融为了一个完整的故事。在作为祭神的建御名方神之外,单独设立甲贺三郎这一形象的意义便在于此。

  • 天狗

    天狗

    传说

    てんぐ(Tengu)

    何谓天狗——类型与图像的总论

    山野之怪京都府·滋贺县·和歌山县(诸灵山的大天狗各座)

    这一版讲的不是某座灵山的一座天狗,而是一篇总论,要从图像与类型的历史里,把“天狗究竟是什么”彻底解开。各座的个别传承,留给各自大天狗的页面。 天狗之姿并不划一。第一类是鼻高天狗——赤红脸、高鼻,戴山伏的兜巾、披铃悬,手执羽团扇、脚踏独齿高木屐。第二类是乌天狗,有鸦喙与翅膀,执剑或金刚杖。第三类是被称作木叶天狗、木屑天狗的下位天狗,力弱而数多,被视为眷属。与其说是固定的分类,不如说是映出天狗之像随时代与地域而有的宽度。 图像随时代而变迁。平安时期的天狗,先是被想象成鸢一样的鸟,乌天狗之像便留着这一痕迹。长鼻变得突出,是在镰仓末以后;《是害房绘卷》里就画着一幕:化作人形的天狗,在变回鸟形时鼻子伸长。关于鼻高的起源,有学说说它源自伎乐面里高鼻的治道面,又把乌天狗系于迦楼罗面;也有看法把长鼻看作鸟喙的图像遗存——但都谈不上是定论。它又与《日本书纪》里被写作鼻长七咫的猿田彦神相叠,祭礼上以天狗面充猿田彦之役的风气,也由此而生。 天狗的两义性,根在佛教天狗道的观念。因学佛道而不堕地狱,因弄邪法而又去不了极乐——这一中间的境地,堕进去的被说成是傲慢的僧人。《天狗草纸》把这观念画成对七大寺僧人的讽刺,不过“只有高傲的僧人才会变天狗”这种简单化,知切光岁也提醒说过了头。它虽是魔,一旦被降伏便转成护法;据说修验者诵《天狗经》,便能招来诸国的天狗成就所愿——护法与魔之间这道摆幅,正是天狗的内核。 “八大天狗”这一归束,确切的中世典据在室町时期的谣曲《鞍马天狗》的词章里。大天狗把麾下诸国的天狗,按地理之序唱将出来——“筑紫有彦山的丰前坊,四州有白峰的相模坊、大山的伯耆坊、饭纲的三郎……大峰的前鬼一党,葛城高间”——这一段说明,八大天狗并非江户的创作,而是把根扎在中世的信仰与艺能里。不过它的构成因资料而摇摆,还有加上石锤山法起坊的异传,并非固定的名簿。

  • 比良山次郎坊

    比良山次郎坊

    传说

    ひらさんじろうぼう(Hira-san Jirōbō)

    次席的大天狗・比良山次郎坊

    山野之怪近江国・比良山(滋贺县,琵琶湖西岸)

    读解比良山次郎坊的关键,在于「次于太郎坊的次席」这一序列的含义,以及比良山固有的中世典据。 在天狗界的序列中,次郎坊被定为仅次于爱宕山太郎坊的第二位。这一序列在《天狗经》的四十八天狗里、在八大天狗的框架里几乎共通,而「太郎坊」「次郎坊」这两个称呼本身就来自「一」「二」的序数。次郎坊与其单独被讲,更多是与太郎坊成对,作为天狗界的双璧而出现。 比良天狗确切的古层,在《比良山古人灵托》(庆政著,1239)里。比良山的老天狗回答庆政之问,讲述天狗的世界与来世,这段问答是比良山固有的一手史料,表明比良在中世已稳居天狗灵山之位。 这里要纠正一处常见的混同。次郎坊常被与中国天狗智罗永寿(即是害房)的传说相连,但《今昔物语集》卷二十的原话讲的是震旦天狗败于比叡山僧人,并未指名日方天狗的所在为比良山。把智罗永寿当作比良天狗,是后世的整理;比良山自身的固有传承,反倒应到前述的古人灵托里去寻。来自比叡山的移座之说同样不是史实,而应解作讲述灵山主导权交替的后世说话。据近江灵峰比良山而立,既畏佛法,又试人之骄慢——这份慎与刚的并存,正是次郎坊的形象。天狗研究的知切光岁,也把次郎坊放在仅次于太郎坊的位置。

  • 倭建命

    倭建命

    传说

    Yamato Takeru

    悲剧英雄、古代日本最大的战士:倭建命

    神灵、神格大和国(今奈良县)/能褒野(今三重县龟山市,离世地)/河内国古市(今大阪府羽曳野市,白鸟陵)

    “悲剧英雄”这一古代神话类型。基本说明已经讲到 Yamato Takeru 的神话故事;进一步看,他是古代神话中“悲剧英雄”这一类型在日本的典型例子。Yamato Takeru 少见地把“悲剧英雄、短命战士、父子冲突、爱的牺牲、升天转生”集中到一个英雄神格身上。他的故事从杀死兄长开始,随后被父亲疏远,被派往远征,经历妻子的牺牲,最后死于山神作祟。这一轨迹和赫拉克勒斯、齐格弗里德、阿周那等古代世界的悲剧英雄故事有相近之处,可以看作“英雄的宿命、悲剧与升天”这一普遍叙事在日本神话中的形态。 父子冲突与“英雄被放逐”的神话。Yamato Takeru 被父亲景行天皇疏远,并不断被命令远征,这种故事在世界神话中常被归入“英雄被放逐、经受试炼、完成征服”的类型。父亲把“危险的儿子”送往远方,在大卫、齐格弗里德、中国郑和等故事比较中也常被拿来讨论,背后牵涉古代社会中的父权、世代交替与王权继承。故事一面写出杀兄的残酷,一面也写出父亲的冷酷;正是这种双重性,让倭建命不只是善恶分明的英雄,而是一位真正意义上的悲剧人物。 女装成少女奇袭:古代战术被写成故事。征讨熊袭时,Yamato Takeru 女装成少女潜入营中,斩杀首领,这一情节把古代日本的军事战术、变装和奇袭写成了一段神话故事。女装并不只是计谋,也触及古代日本关于性别、边界和仪式越界的想象。在神话和民俗里,颠倒、边界、雌雄同体常被视为咒力和神圣性的来源。倭建命的女装因此也可以读作一种“颠倒之力”的仪式动作,而不只是单纯欺骗。后来歌舞伎、能乐、神乐中关于女装的宗教传统,也可在这里找到一个神话源头。 草薙剑与古代日本的三神器。Yamato Takeru 从倭比卖命那里得到草薙剑,凭它逃出烧津野火,死后草薙剑又被奉祀于热田神宫。草薙剑是三神器之一,关系到古代日本国家正统性的核心。它从须佐之男命斩杀八岐大蛇时出现,被献给天照大御神;天孙降临时传给迩迩艺命;再经倭比卖命交到 Yamato Takeru 手中,最后奉祀于热田神宫。这条传承把神话、神器和天皇皇统连在一起。倭建命少见地真正把三神器用于战斗,因此承担了“神器、英雄、国家”三者相连的象征意义。 弟橘比卖投海与“东(Azuma)”的语源。弟橘比卖投海牺牲,倭建命悲叹“吾妻はや”,由此被视为“东(Azuma、东国、东日本)”的语源神话。古代神话不只是故事,也会为地名、地理、土地和风俗赋予意义。弟橘比卖的牺牲,使东日本的名称与一位女性的献身连在一起;走水神社至今祭祀她,也说明这个故事并没有停留在典籍里,而是继续存在于地名、祭祀和地方记忆中。 辞世歌“倭は国のまほろば”与古代日本的乡愁。Yamato Takeru 在能褒野吟出的辞世歌“倭は国のまほろば・たたなづく青垣・山隠れる倭しうるはし”,自古以来被视为日本人表达故乡、乡愁和爱国之情的源头性诗句。“まほろば”意为卓越、美好的地方,浓缩了古代日本人对故乡和国土的感情,也影响了后来的《万叶集》《古今集》《新古今集》等和歌传统。英雄临死前歌咏故乡,把死亡和归乡紧紧连在一起。直到现代,这首歌仍在教育、文学、音乐和政治演说中被反复引用。 白鸟传说:古代日本的升天与转生观。Yamato Takeru 死后化作白鸟,从陵墓飞起,经过大和琴弹原、河内志几,飞向高空。这一传说是古代日本“英雄升天、转生”观念的代表。白鸟在古代日本常被视为运送灵魂的鸟、神的使者;死后魂魄化作白鸟升天的信仰,也和北方亚洲、西伯利亚、朝鲜半岛的鸟葬与灵魂信仰有相通之处。它影响了后来的净土信仰、神道死生观、武士道乃至神风特攻队等精神文化。白鸟传说因此不只是英雄故事,也是古代日本人理解死亡、宗教和美感的重要叙事。 21世纪的 Yamato Takeru:古代英雄如何被继续讲述。今天,Yamato Takeru 仍在古代史研究、地方旅游、神道祭祀和亚文化中被不断提起。能褒野墓、琴弹原、热田神宫、烧津神社、走水神社的参拜从古代延续到现代;游戏《大神》、电影《ヤマトタケル》(1994)、漫画《鬼灭之刃》等作品也反复重塑他的形象。在两千多年文化传承中,他一直是“悲剧英雄、短命战士、爱与牺牲、升天转生”的象征。经历战前国家神道的政治强调,战后转为文化素材并被重新整理,再到21世纪的多元再创作,倭建命仍是古代神格如何进入现代文化的代表。

  • 大蜈蚣

    大蜈蚣

    名妖

    Ōmukade

    大百足(三上山传说)

    恶鬼巨怪近江国(琵琶湖・三上山)及各地

    在近江的三上山与琵琶湖畔的传说中以此形象闻名。据说其身巨至可盘绕山体七圈半,外壳坚逾金石,箭矢刀刃皆难以伤。夜间足部会放出红光,长影横拖湖面与山麓。其被讨伐的故事常与武勇颂扬相连,并与龙神信仰及桥梁的灵威相关。有人指出其与采矿、冶炼传承有关,但细节已不可考。

  • 赖豪

    赖豪

    名妖

    Raigō

    铁鼠(赖豪怨灵谈)

    幽魂亡灵近江国(园城寺)

    以中世纪传说为基础的版本,称高僧赖豪之灵化为鼠群或披铁色皮毛的怪鼠“铁鼠”,啮破延历寺的经藏。寺社势力的对立被投射为怨灵化的叙事结构,修法灵验与报复观念相互勾连。文献以军记物语的记载为主,真实僧传与怨灵故事交织定型。后世读本与绘画放大其形象,以鼠害与经卷毁损为象征,然其核心在于“含恨之灵祸及器物与经典”的民俗类型。

  • 大太法师

    大太法师

    稀有

    Daidarabotchi

    串起洗足池与武藏野洼地的巨人

    恶鬼巨怪以关东和中部为主的日本各地

    武藏野关于大太法师的传说,把钵山、狢洼、洗足池和小池连到巨人的双脚与手杖动作上。1919年记录的版本把洗足池说成杖痕;1983年出版资料所收的另一版本则称小池是杖孔、洗足池是排尿留下的痕迹。这些异文给各处地名讲出不同的来历,也借巨人的身体重新理解武藏野的起伏,形成多幅“故事地图”。它们并非解释池塘的自然地貌成因,而是在讲这片土地的记忆如何被编织成传说。

  • 人鱼

    人鱼

    稀有

    ningyo

    从古代至现代演变的水妖・人鱼

    水之怪近江国蒲生川(现・滋贺县东近江市~近江八幡市・《日本书纪》推古27年/619年初次出现)/摄津国堀江(现・大阪市中央区~北区・《日本书纪》推古27年/619年)/观音正寺(现・滋贺县近江八幡市安土町繖山・圣德太子人鱼成佛缘起・西国32番札所)

    与西方美人鱼在图像学上的断裂。现代日本人脑海中浮现出的“拥有美丽女性上半身与鱼下半身”的人鱼形象,实际上是近代以后输入并扎根的西方美人鱼传说(如安徒生的《海的女儿》等)的产物。在此之前的日本传统人鱼图像,正如《海国兵谈》等典籍中所描绘的那样,是“长着像人(或像猴子)一样的脸庞,以及覆盖着鳞片的鱼身”这种极其异形且猎奇的姿态。其面部构造也未必是美丽的女性,通常被描绘成拥有尖牙的恐怖老幼男女。正是这种造型上的丑陋,强调了人鱼作为“异界生物”的生猛感,以及食用其肉这一行为所带来的禁忌与荒诞感。 作为原型生物的博物学视角。日本的人鱼传说的核心部分,被认为在很大程度上包含着对真实生物的误认。例如,有一个非常有力的说法认为,儒艮或海牛等海牛目动物、以及海狮和海豹等海兽,是海坊主和人鱼的原型生物。此外,在内陆地区(河流或沼泽)的人鱼传说中,也有推测认为其真面目是巨大的大鲵(日本大鲵)。江户时代的本草学者们仔细地收集并对这些未知海洋生物的漂流记录进行了分类,试图用“科学(博物学)”的视角来重新审视妖怪。 名为“永生”的诅咒。人鱼之肉所带来的“不老长寿”,既是人类普遍的愿望,但在日本的传说中,它总是作为与“悲剧”互为表里的事物被描绘出来。正如八百比丘尼的传说所展示的那样,吃下人鱼肉而获得永远青春的人,必须反复目送自己深爱的家人和丈夫一个个老去并死亡,从而品尝到难以忍受的孤独与绝望(时间上的孤立)。人鱼,就是一个犹如残酷镜子般的妖怪,它将“免于死亡的恐怖”直白地戳穿在人类面前。

  • 油赤子

    油赤子

    稀有

    abura akago

    依石燕图谱

    居家器物近江国(今滋贺县)大津周边

    本版本以鸟山石燕的图像及其引述的江户随笔为基础,将怪火传说最小化地人格化为赤子形象。核心为“偷油之火”,赤子之姿更应视为石燕的造型暗示。行灯油为当时生活必需,寺社供油尤受尊崇。偷油触犯宗教与伦理禁忌,故被说为死后迷走之火。后世解说常述火球入室化作赤子嘬油,但可据的在地口述个案有限,难证广域定型。因此本版本提示三段式:怪火先于路口与社寺境内生起,其次在行灯前显赤子嘬油之状,复化火而去;对来源未详之细节予以回避,突出其象征性——戒人亵渎供油与浪费。

  • 铁鼠

    铁鼠

    少见

    Tesso

    依江户画谱的传统形象

    幽魂亡灵近江国(今・滋贺县)

    以鸟山石燕画题“铁鼠”的形象为基调。巨鼠披着仿佛法衣的阴影, 眼赤如火, 牙齿坚若铁。其起源出自围绕园城寺戒坛之争的赖豪怨灵传说, 把山门与寺门为寺领与戒坛权益的对立故事化, 并与寺院典籍与什物遭鼠害的现实认知相叠合而成。称呼随时代与资料而异, 有“赖豪鼠”“三井寺鼠”等并存。中世纪军记夸大其数为群体灾异, 近世以后又与镇魂与祈福的社传结合。史料年代并不完全相合, 传说色彩浓厚, 然而寺社所存社名、连歌与口碑为其核心传承作证。作为退治谈, 有地域叙述比叡山一侧的大猫或守护神介入, 映现了相克两社寺的结界意识。

  • 蓑火

    蓑火

    少见

    Minobi

    传承标准型

    自然现象与自然精怪近江国(今・滋贺县)彦根与琵琶湖周边

    以琵琶湖起源的记载为典型,指雨夜里附着在蓑衣、伞、衣物上点点微光缠绕的怪火之总称。无热度,随人拍打动作而增亮增多,但脱下衣物、点起明火或随时间流逝会自然消散。各地称谓与解读不同,有视为溺亡者之灵者,也有说是动物作祟或自然冷光者。多被叙述为制造目眩与寒意而非闹事,且常仅被独自行路者所感知。

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