大山祇神は『古事記』 上巻所載の山の総元神[1]で、 伊邪那岐·伊邪那美の神生み段で「風神·志那都比古神 → 木神·久久能智神 → 山神·大山津見神 → 野神·鹿屋野比売神 (カヤノヒメ)」 の順で生まれた自然神四柱の中核を成す。 『日本書紀』 神代上 第五段一書七では「大山祇神」 と表記され、 第九段一書二·五·六·八で複数の場面に登場 ── 邇々芸命の結婚譚 (木花咲耶姫·磐長姫の父として)·八俣大蛇退治譚 (足名椎·手名椎を子に持つ)·須佐之男の系譜 (神大市比売を介して大年神·宇迦之御魂神=稲荷の祖) で皇統と国土の根源神話に深く関与する。 國學院大学古典文化学事業の解釈では、 神名の「ツ」 は古代日本語の連体助詞 (=「の」)、 「ミ」 は「神霊」 「神秘な力を持つ存在」 を示す古語 (別解として「見守る主宰者」 説)、 「大」 は美称で、 総合「偉大なる山の神霊」 「山の総元」 を表す。 『古事記』 表記「大山津見神」 と『日本書紀』 表記「大山祇神」 の用字差はあるが同神格。
異称「和多志大神 (ワタシオオカミ)」[2]は『伊予国風土記』 逸文 (『釈日本紀』 所引) に「大山積神は百済国より渡来し、 摂津国御嶋に初めて鎮座、 後に伊予国に遷座、 別名·和多志大神と称す」 とある。 「ワタ」 は海の古語 (綿津見=ワタツミと同源)、 「ワタス」 は「渡す」 で航海·結びの動詞でもある。 山神の性格に加えて、 大三島という瀬戸内海の島に鎮座する地理から海上守護神·航海神としての性格も古代から付与され、 神道の重層性を体現する稀有な二重神格となった。
総本宮·大山祇神社は愛媛県今治市大三島町宮浦 3327 に鎮座する[3]、 伊予国一宮·式内名神大社·旧国幣大社·別表神社·「日本総鎮守」 と尊称される。 創建伝承は複数あり: ① 推古天皇 2 年 (594 年) に摂津国から大三島に遷座、 ② 神武東征に随行した大山祇神の子孫·小千命 (乎千命·おちのみこと) が伊予二名国に渡って大三島を神地と定めたとする社伝『大三島記文』、 ③ 『伊予国風土記』 逸文の「百済 → 摂津国御嶋 → 伊予国」 経由説、 などが社伝レベルで並立し一次史料での確定は不能。 現社地造営は大宝元年 (701) 開始 → 霊亀 2 年 (716) 完成 → 養老 3 年 (719) 4 月 22 日遷宮と記録される (公式由緒)。
大山祇神社の最大の特徴は武家奉納の宝物群である[6]。 国宝 8 件·重要文化財 76 件·天然記念物 1 件の計 85 件指定 (2016 年時点) を擁し、 日本の国宝·重要文化財指定武具のうち約 4 割を所蔵する。 旧来「8 割」 説が流布していたが、 大山祇神社公式·日本遺産ポータル·Wikipedia 注記が「正確には 4 割」 と訂正済で、 学術的にはこの 4 割数字を採用するのが正しい。 主要遺品は源頼朝奉納·紫綾威鎧 (国宝)、 源義経奉納·赤糸威鎧 (国宝)、 河野通信奉納·紺糸威鎧 (国宝)、 河野通有奉納·萌黄綾威腰取鎧 (重文) 等。 治承 4 年 (1180) 旗挙げの源頼朝が三嶋大社で源氏再興を祈願した『吾妻鏡』 記録、 河野氏 (伊予守護) の歴代奉納など、 武家信仰の集積地として中世以降に発展した。
もう一つの主要拠点·三嶋大社 (静岡県三島市大宮町 2-1-5) は伊豆国一宮·名神大社[4]·旧官幣大社で、 主祭神は大山祇命と積羽八重事代主神 (事代主神=大国主の子) の二柱を「三嶋大明神」 として総称する独特な祭祀形式。 史料初見は天平宝字 2 年 (758) の『続日本紀』、 国史天長 9 年 (832) でも神異記載、 『延喜式』 神名帳 (927) に「伊豆三島神社 名神大 月次新嘗」 と正式登載される。 大三島からの勧請説と、 伊豆諸島噴火信仰·海上交通信仰を背景とする独自系譜説の両説が学界で並立し、 確定していない。
三島·大山祇信仰の全国分布は約 400 社余[7]で、 都道府県別では愛媛 111 社·静岡 36 社·福島 35 社·福岡 24 社·高知 19 社·神奈川 19 社·大分 16 社の順。 中世以降の勧請拡大の担い手は河野氏 (伊予守護)·源氏·御家人系武家·瀬戸内海運業者で、 鎌倉幕府の御家人による全国拡大が確認できる (三浦氏関与説は文献での確証なし)。
民俗信仰での性格は極めて多面的である。 山岳信仰では「山の神総元」 として全国の山の神祭祀の最終的源流に位置し、 林業·木地師·炭焼·鉱山·鍛冶 (金山彦神·金山姫神と並祀される例多数、 修験道経由で伝播) の守護神。 農耕民俗の「山の神 ⇔ 田の神」 循環信仰 (春に山から下り田の神となる) の頂点に立ち、 鹿屋野比売神 (野槌·カヤノヒメ) との間に四対八柱の山野神を生んだ (『古事記』) という創世神話を背負う。 大三島が瀬戸内海の島であることから航海·武運の神性も付加され、 中世以降は「武の神」 として全国の武家社会で勧請が爆発した。
主要祭礼として旧暦 5 月 5 日の御田植祭·旧暦 9 月 9 日の抜穂祭·旧暦 4 月 22 日の例大祭 (霊亀 2 年遷宮の日に由来) があり、 御田植祭·抜穂祭で奉納される一人角力 (ひとりずもう)[8] ── 力士役 (1 名) が見えない「稲の精霊」 と三本勝負を取り、 稲精霊が必ず 2 勝 1 敗で勝つことで豊作を約束する独特の神事 ── が知られる。 一人角力は昭和 59 年 (1984) に一旦途絶していたが、 平成 11 年 (1999) しまなみ海道開通を機に若手力士役·行司役で復活した。 現代では大三島·しまなみ海道観光の聖地として年間多くの参詣客を集め、 武家史·神道史·民俗学の研究者にも重要な拠点であり続けている。
妖怪設定
この区画は物語を楽しむための当サイト独自の設定です。史実・考証ではありません。
性格 - 雄大にして寛厚、山の総元としての威厳と海·武家·農耕への配慮を兼ね備える両義的気質。
相性 - 山岳·林業·鉱山·農耕·武運·航海·縁結びを願う者と高相性。 とくに武道·武士道·神社結婚式を志す者。
能力・特技 - 山岳総元の権能海神性 (和多志大神·航海守護)武運·武家守護 (国宝甲冑奉納の証)山の神⇔田の神循環の頂点鉱山·鍛冶守護 (金山彦神と並祀)一人角力·稲精霊との豊作神事
弱点 - 「山·海·武の三面神」 ゆえ、 一面のみに特化した祈願は他の二面が薄まる。 「磐長姫を選ばなかった邇々芸命に短命を告げた」 神話を背負うため、 不死·永遠を欲張る祈願には冷淡。
生息地 - 大山祇神社 (愛媛大三島)·三嶋大社 (静岡三島)·全国 400 社余の三島神社·大山祇神社·全国の山の神祭祀拠点。
山·海·武の総元神·大山祇神についてさらに詳しい情報や診断結果については、こちらをご覧ください。

