本州の妖怪が狐に化かされるなら、四国の阿波(あわ)は狸の国である ── そう語られてきた。だが、その狸が義に殉じて大明神となり、化け猫が恨みを晴らして福の神となる阿波の怪の世界の、さらにその下には、もう一枚の古い地層が横たわっている。狸合戦の天保よりはるか以前、ここはまだ「粟(あわ)の国」と「長(なが)の国」に分かれた、麻(あさ)と穀(かじ)を植える忌部(いんべ)の古国であった。
令制国としての阿波は、その忌部の記憶のうえに立っている。麻を植えた一族が国の名を生み、神を祀る桶が妖となり、平家の神剣が山の名となった ── 阿波国の妖怪を語るには、まずこの古層へ降りていかねばならない。現代の徳島県全体に広がる狸文化の宏観は徳島県の妖怪事典に譲り、ここでは令制国・阿波の古い貌、すなわち忌部と麻の国に根を張った怪たちをたずねたい。
粟国と長国 ── 阿波という名の古層
阿波国の古さは、まずその名にあらわれている。古代、いまの徳島県北部は粟(あわ)の産地であったことから「粟国」と呼ばれ、南部は「長国」と称された。やがて律令制のもとでこの二つが統合され、ひとつの国を成す。さらに和銅六年(七一三年)、元明天皇の好字令(こうじれい)── 一字の地名を縁起のよい二字に改めよという令 ── によって、「粟」は同音の「阿波」へと書き改められた。いまに伝わる国名は、このとき定まったのである。
「粟」と「長」── 穀物の名と、長く伸びる地の名。阿波という国号そのものが、農耕と開拓の記憶を刻んでいる。そして、その開拓を担ったと伝えられるのが、忌部氏(いんべうじ)であった。忌部とは、朝廷の祭祀に用いる神具や幣帛(へいはく)を調える、神事専門の氏族である。平安初期、その一族の斎部広成(いんべのひろなり)が大同二年(八〇七年)に『古語拾遺(こごしゅうい)』を著し[1]、自家の由緒を朝廷に訴えた。この一巻が、阿波という土地の神話的な来歴を、いまに伝える最古層の文献となっている。
麻と忌部の国 ── 大麻比古神社と安房へ渡った一族
『古語拾遺』によれば、忌部氏の遠祖・天富命(あめのとみのみこと)は、よき土地を求めて阿波の斎部(いんべ)を率い、ここに麻と穀(かじのき、楮のこと)を植えたという。麻の最もよく茂った地はのちに麻植郡(おえぐん、現·吉野川市と美馬市の一部)と呼ばれ、その郡名は阿波忌部に由来すると伝わる。阿波忌部の祖神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)── 麻植神(おえのかみ)とも称される、繊維と織物の神である。吉野川市山崎の忌部神社(いんべじんじゃ)は、延喜式にも載るこの天日鷲命を祀る古社だ。
阿波忌部を語るうえで欠かせないのが、鳴門市大麻町(おおあさちょう)に鎮座する大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)である。延長五年(九二七年)成立の『延喜式』に名神大社として列し、阿波国の一宮に数えられたこの社は、忌部の祖神を祀り、社名の「大麻」そのものが、この国が麻の国であったことを今日に伝えている。文献上は『日本三代実録』貞観元年(八五九年)の記事に初めて見え、社伝はその創建を神武天皇の御代にまで遡らせる ── ただしこれは伝承であり、史実としての創建年代は定かでない。
この麻の一族の物語には、海を越える壮大な続きがある。『古語拾遺』は、天富命がさらによき麻の地を求め、阿波の斎部の一部を率いて東国へ渡ったと記す。一行は黒潮に乗って房総半島の南端に上陸し、その地にも麻と穀を植えた。麻がよく育ったので、麻の古語「総(ふさ)」をとってその地を総国(ふさのくに)と呼び、阿波の斎部が住み着いた一帯は、母なる国の名にちなんで安房(あわ)と名づけられた ── これが、四国の阿波と房総の安房という、同じ「あわ」を名にもつ二国のつながりの由来である。安房国(現·千葉県南部)には、天富命が祖神・天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀って創建したと伝わる安房神社が、いまも鎮座する。麻を植える一族が、ひとつの「あわ」から、海の彼方にもうひとつの「あわ」を生んだ ── 阿波という国の古層には、こうした開拓神話が分かちがたく織りこまれているのである。

麻桶の毛
阿波国三好郡加茂村の社に伝わる怪異。社殿の神体として納められた麻桶に入る毛が本体とされ、神の心が穏やかならぬ折に毛が伸長し、桶の蓋を突き上げて外へ現れるという。人に絡み付き締め上げる力を持ち、村人は社の祭祀を正しく行い、神慮を鎮めることで怪異を退けたと伝えられる。古書『阿州奇事雑話』に見える記録が主要典拠である。
詳しく見る麻の国・阿波だからこそ生まれた妖が、麻桶の毛(あさおけのけ)だ。江戸の絵師・鳥山石燕(とりやませきえん)が安永十年(一七八一年)の『今昔百鬼拾遺』に「麻桶毛」として描いた[2]この怪は、もとをたどれば阿波の地に根ざしている。三好郡加茂村(現·三好市)の彌都比売(やつひめ)神社では、神体として、麻を納める桶に毛が籠められていた。神の心が穏やかでないとき、その毛が桶からするすると伸び出して人に巻きつき、これを締め上げるという。ふだんは桶のなかで静まりかえった神聖な毛が、神意を察したかのように妖と化す ── 神体という最も尊いものが、最も恐ろしい怪へと転じうるという逆説を、この妖はそのまま体現している。
徳島の古書『阿州奇事雑話(あしゅうきじざつわ)』には、この毛の働きが具体に記されている[3]── 社の祠に忍び込んで盗品を分けあっていた山賊たちを、桶から伸びた毛が人数分に裂けてそれぞれに巻きつき、締め上げたというのだ。罰を下す神意が、髪の毛というかたちをとって顕れる。麻は、藍と並ぶ阿波の特産であった。神に捧げる清浄な繊維をたくわえる麻桶は、それ自体が神聖な器である。その器に宿る霊が不正を裁く ── 麻桶の毛は、忌部の国・阿波の生業(なりわい)と信仰が分かちがたく結びついていたことの、何よりの証なのである。狐でも狸でもない、麻という一国の生業そのものから立ちのぼった、阿波ならではの妖といえる。
吉野川と藍の地 ── 川辺に立つ獣たち
阿波の地理の背骨は、四国山地を割って東へ流れる吉野川(よしのがわ)である。「四国三郎」の異名をもつこの暴れ川は、たびたび氾濫しては流域に肥沃な土を運び、その土が忌部の麻を、のちには阿波藍(あわあい)を育てた。藍の取引は文安二年(一四四五年)の『兵庫北関入船納帳』にすでに見え、天正十三年(一五八五年)に阿波の領主となった蜂須賀家政(はちすかいえまさ)が藍作を奨励すると、「阿波二十五万石、藍五十万石」とまで称される日本最大の藍産地へと育っていった。麻から藍へ ── 阿波の富は、つねに吉野川の水とともにあった。
その川辺と峡谷は、獣たちの棲みかでもあった。
吉野川をはじめ阿波の川には、かつてニホンカワウソが数多く棲んでいた。長く生きた獣は化けると信じられ、阿波ではカワウソが小僧や美女に化けて夜道の人を化かしたと伝わる ── いわば水辺に棲む狐狸である。捕らえた魚を頭に載せて子どもに化け、道行く人に問いかけてきたともいう。だが乱獲と環境の変化でその数は激減し、昭和五十四年(一九七九年)に高知県で目撃されたのを最後に姿を消し、平成二十四年(二〇一二年)には絶滅が宣言された。化けて人を騙したと恐れられた獣は、いまや幻となった ── カワウソの怪は、失われた四国の川の豊かさを伝える最後の記憶でもある。
獣の化けるさまは、徳島出身の民俗学者・笠井新也(かさいしんや)が昭和二年(一九二七年)の『阿波の狸の話』に詳しく書きとめた[4]。三好郡の吉野川、青石瀬(あおいしせ)では、夜舟を停めた船頭の前に大煙管(おおぎせる)が巨大な煙管を差し出し、煙草を求める。詰めても詰めても足りぬほどの量で、応じきれないと舟を転覆させたという。青石瀬という名は、吉野川がもたらす青石(緑泥片岩)の瀬を指す ── 妖は、川そのものの地形に貼りついて語られた。一方、美馬(みま)の三ツ島に出る蚊帳吊り狸(かやつりだぬき)は、夜道に蚊帳を吊って見せ、まくり上げるとまた中に蚊帳、その奥にもまた蚊帳 ── と果てしなく続き、旅人を一晩じゅう歩かせて疲れさせた。これらの怪が、美馬・三好という吉野川中流の具体の地名に結びついている点が肝心だ。阿波の獣の妖は「どこかの山の化け物」ではなく、「あの淵の、あの瀬の、名を持つ一匹」として語られたのである。
名を持つ古狸たち ── 化かしの芸の古層

糸引き娘
糸車で糸をひく若い女の姿で路傍に現れる妖怪。行き交う者がその美しさに見とれると、たちまち白髪の老婆へと変じ、高笑いして相手を驚愕させるという。姿形の急変で人を惑わす点が特徴で、具体的な害は伝えられないが、道中の不意打ちとして語られる。阿波国に伝承があり、名はその所作に由来する。
詳しく見る吉野川の流域は、狸たちの舞台でもあった。板野郡堀江村(現·鳴門市)の道端では、美しく糸を引く糸引き娘(いとひきむすめ)に見惚れていると、娘がふいに白髪の老婆に変じ、高笑いして人を驚かせたと伝わる。糸を紡ぐ娘という、麻と織物の国・阿波らしい姿で人を惑わすこの怪もまた、笠井新也が一つひとつに土地と名を添えて記録した名狸の一群に属している。店先の小僧に化けて品物をくすねる小僧狸、夜道で傘を差しかけてくる傘差し狸、白い徳利に化けて転がる白徳利 ── 阿波の狸は、いずれも具体の村と淵に根ざした固有名で語られた。
これら名を持つ古狸が、近世に金長(きんちょう)と六右衛門(ろくえもん)の壮大な合戦譚へと編まれてゆくのだが、その物語は天保以降の新しい層に属する。狸が義に殉じて正一位の神階を得る阿波狸合戦の顛末は、すでに徳島県の妖怪事典で詳しく語った。ここで見ておきたいのは、合戦譚という華やかな大伽藍を支えていたのが、こうした一匹一匹の小さな化かし話の堆積であったということだ。土地に根ざした無数の固有名の狸がいたからこそ、それらを束ねる「合戦」という物語が成り立ちえた。古層があってこその、近世の花だったのである。
祖谷と剣山 ── 山の古信仰と怪
吉野川を上流へ遡れば、四国山地の最も深い懐、大歩危(おおぼけ)・祖谷(いや、現·三好市)へ至る。平家の落人伝説とかずら橋で知られるこの秘境は、子泣き爺(こなきじじい、児啼爺)の故郷と伝わる土地だ。民俗学者・武田明が昭和十三年(一九三八年)に雑誌『民間伝承』へ報告した[5]もともとの姿は、山道で赤子のような泣き声をあげるだけの怪であった。原地として記されたのは三好郡三名村(みなそん)字平(たいら)── 深い谷あいの集落である。山の夜道に響く赤子の声は、谷を渡る風の音や鳥獣の鳴き声を、孤独な旅人が聞き違えたものだったかもしれない。それを「子泣き爺」という一個の怪に結晶させたところに、山の闇と向きあってきた人々の想像力がある。「抱き上げると石のように重くなって人を押し潰す」という重量増加の趣向は後世に加わり、これを善玉として全国に広めたのは水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』であった ── 原伝承と近代の創作とが、子泣き爺には幾重にも積み重なっている。
祖谷のさらに奥にそびえるのが、剣山(つるぎさん)である。標高一九五五メートル、西日本第二の高峰にして、古来、修験道(しゅげんどう)の山として山岳信仰の対象であった。この山は、もとは石立山(いしだてやま)あるいは太郎笈(たろうぎゅう)と呼ばれていたという。それが「剣山」と称されるようになったのは、屋島の戦いに敗れた平家が幼い安徳天皇を奉じてこの地へ落ち延び、三種の神器のひとつ、宝剣を山頂の宝蔵石(ほうぞうせき)の下に納めた ── という伝説に由来すると語られる。山頂には剣山本宮宝蔵石神社が鎮座し、巨岩・宝蔵石そのものを神体として祀る。壇ノ浦で入水したはずの安徳天皇が密かに生き延びたという秘話と、神剣を呑んだ霊峰という古い信仰とが、この山では分かちがたく溶けあっている。
特定の説話に結晶する以前の、深い山がもたらす漠とした畏怖こそが、阿波の山の怪の母胎であった。年を経た猫が美しい娘に化けるという猫娘(ねこむすめ)の話も、阿波の里には伝わる。山の獣は獲物であると同時に、いつ化生に転じるとも知れぬ畏れの対象であった。忌部が麻を植えた里から一歩奥へ、吉野川の源へと分け入れば、そこには国家の神話にも記録の妖にも回収されきらない、山そのものの古い気配が、いまも濃く漂っているのである。
麻と狸 ── 阿波という古層
粟と長の二国が統べられて阿波となり、忌部が麻を植えて国の名と神社の名を生み、その一族が海を渡って房総に安房を開いた。麻桶に神威が宿って妖となり、吉野川の瀬と淵には名を持つ獣がひそみ、源流の剣山には平家の神剣が眠る ── 令制国・阿波の妖怪は、狸合戦という近世の華やかな物語の、さらに下にある古い地層から立ちのぼってくる。
天日鷲命の麻、大麻比古神社の社名、彌都比売神社の麻桶 ── 阿波の怪の根には、つねに麻と忌部の記憶が透けて見える。やがてこの古層のうえに、狸が義に殉じて神となる近世の物語が花開くのだが、その宏観の貌は徳島県の妖怪事典にゆずろう。忌部の麻と平家の剣を底に沈めた令制国・阿波 ── それが、徳島という現代の県名の下に横たわる、もうひとつの古い貌である。





