民話・伝承
金毘羅 (こんぴら) の原語はサンスクリット Kumbhīra (クンビーラ)、 古代インド·ガンジス川に棲む鰐 (わに) を神格化した水神である[1]。 ヒンドゥー教ではガンジス川の女神ガンガー (Gaṅgā) のヴァーハナ (乗り物) で、 これが仏教に取り入れられて薬師如来十二神将の筆頭·宮毘羅大将 (くびら·宮比羅) となった。 日本では平安·中世以降に蛇身として描かれることが多い。 中世の本地垂迹説により、 象頭山 (ぞうずさん) 松尾寺の鎮守として祀られていた宮毘羅大将と、 在地神·大物主神 (大国主神の和魂、 海上·農業の神) が習合し、 「象頭山金毘羅大権現」 として一体化した。 本地仏には不動明王·千手観音·十一面観音など諸説併存する。
総本宮·金刀比羅宮の所在地は香川県仲多度郡琴平町字川西 892 番地 1、 鎮座地は象頭山 (琴平山、 標高 524m) 中腹[2]。 本宮は標高 251m、 奥社 (厳魂神社·いづたまじんじゃ) は標高 421m に位置する。 参道の石段は本宮まで 785 段·奥社まで 1368 段 ── 日本屈指の長石段参道で、 江戸期から駕籠 (籠かき)·杖の伝統がある。 主祭神は大物主命、 相殿に崇徳天皇。 創建については大物主命が象頭山に行宮を営んだ跡を祀ったとする説、 大宝年間 (701-704) 大宝元年に旗が舞い降りたとする伝承、 修験道の祖·役小角 (えんのおづの) が象頭山に登り護法善神金毘羅の神験を得たという開山縁起、 延喜式神名帳に讃岐国官社として登載とする説など複数あり、 上古不詳の社。
崇徳天皇 (1119-1164、 第 75 代天皇·在位 1123-1141) の配祀は御霊信仰の典型例である[3]。 保元元年 (1156) 保元の乱に敗れ讃岐国へ配流された崇徳上皇は、 配流中に金毘羅大権現を深く崇敬し、 境内の「古籠所 (こもりしょ)」 に参籠、 近隣の「御所之尾」 を行宮とした (長寛元年 1163 頃)。 長寛二年 (1164) 讃岐で崩御、 京都に帰還することなく終わる。 その翌年の永万元年 (1165) に金毘羅大権現の相殿に合祀された ── これは神仏分離 (1868) より約 700 年前の出来事で、 怨霊鎮魂の御霊信仰の典型例である (菅原道真·平将門と並ぶ日本三大怨霊の一柱)。
明治神仏分離による改称は信仰史で最大の転機[7]である。 明治元年 (1868) 3 月の神仏分離令発布で、 第 19 代金光院別当·琴陵宥常 (ことおか ひろつね) が、 神仏混淆の「象頭山金毘羅大権現」 を「琴平山金刀比羅宮」 に改称、 神道神社化を断行した。 主祭神を大物主神に確定し (「金毘羅権現は大物主と同体」 とする論理)、 相殿に崇徳天皇。 明治元年 9 月 13 日に勅祭神社に列格、 明治 4 年 (1871)「事比羅宮」 へ一時改表記、 明治 22 年 (1889)「金刀比羅宮」 に復称して現在に至る。
江戸期の流行神化は海上守護神としての大躍進である[4]。 クンビーラの水神性と大物主神の海上信仰が結合し、 江戸期には「海上守護·航海安全の絶大神」 となった。 商船·廻船·漁師·船員の信仰を集め、 各船は「金毘羅船」 と呼ばれた金毘羅参詣船を仕立てた。 江戸期庶民の参拝熱は「お伊勢参り」 に次ぐ全国第二位の規模で、 各地で金毘羅講が結成され、 講員が積み立て金で代表を派遣する代参制度が機能した。 参道奉納が爆発的に増えた結果、 元々直線だった参道を曲げて配置せざるを得なくなったほど。
「金毘羅船々 (こんぴらふねふね)」 民謡は元禄期 (1688-1704) 頃から金毘羅参道唄として歌われ、 幕末から明治初期にかけて全国に大流行した[5]。 「こんぴら船々 追手 (おいて) に帆かけて シュラシュシュシュ まわれば 四国は 讃州那珂の郡 象頭山 金毘羅大権現 一度まわれば」 ── 「追手」 は追風 (おいて)、 「シュラシュシュシュ」 は帆を受けて船が滑走する擬音。 1 番のみで「一度まわれば」 で冒頭に戻る循環構造を持つ「騒ぎ唄·お座敷唄」 の代表で、 発祥は大阪港 (金毘羅参詣船の起点) とも伝わる。
金毘羅犬 (こんぴらいぬ) は江戸代参文化の稀有な民俗である[6]。 自分が金毘羅参りに行けない者が飼い犬を代参させた江戸後期の民俗で、 犬の首には「金毘羅参り」 と記した袋が下げられ、 中には飼い主名の木札·初穂料·道中の食費が入れられた。 犬は街道筋の旅人から旅人へ託され、 沿道の人々が世話をして琴平まで届けた。 金毘羅犬の出身地は江戸以北に限定されており、 これは埼玉県秩父の三峰神社 (狼=お犬信仰) の布教圏との関連が指摘される。 江戸期の「里犬 (路地·堂宇に住み着く半野生の地域犬)」 文化がこの稀有な習俗を可能にした背景にある。 同じ習俗はお伊勢参りでも記録される (「おかげ犬」)。
「こんぴら」 の音写経路はサンスクリット Kumbhīra (ガンジス鰐の水神) → 漢訳仏典で「金毘羅」「宮毘羅」「金比羅」「倶毘羅」 と音写 → 中国経由で日本に到来 → 日本語訓み「こんぴら」 として庶民語化。 現在の正式表記は「金刀比羅 (ことひら)」 だが、 これは明治改称時の「琴平」←「こんぴら」←「金毘羅」 という音と当て字の往復で生まれた表記で、 神社名は「ことひら」、 信仰名は「こんぴら」 と読み分けるのが慣例。 信仰の三層構造 (鰐=蛇身の水神 → 仏教護法善神 → 神道神社祭神) は習合系神格の典型例として日本宗教史上重要な位置を占める。
徹底解説
金毘羅 (こんぴら) の原語はサンスクリット Kumbhīra (クンビーラ)、 古代インド·ガンジス川に棲む鰐 (わに) を神格化した水神である[1]。 ヒンドゥー教ではガンジス川の女神ガンガー (Gaṅgā) のヴァーハナ (乗り物) で、 これが仏教に取り入れられて薬師如来十二神将の筆頭·宮毘羅大将 (くびら·宮比羅) となった。 日本では平安·中世以降に蛇身として描かれることが多い。 中世の本地垂迹説により、 象頭山 (ぞうずさん) 松尾寺の鎮守として祀られていた宮毘羅大将と、 在地神·大物主神 (大国主神の和魂、 海上·農業の神) が習合し、 「象頭山金毘羅大権現」 として一体化した。 本地仏には不動明王·千手観音·十一面観音など諸説併存する。 信仰の三層構造 (鰐=蛇身の水神 → 仏教護法善神 → 神道神社祭神) は習合系神格の典型例として日本宗教史上重要な位置を占める。
総本宮·金刀比羅宮の所在地は香川県仲多度郡琴平町字川西 892 番地 1、 鎮座地は象頭山 (琴平山、 標高 524m) 中腹である[2]。 本宮は標高 251m、 奥社 (厳魂神社·いづたまじんじゃ) は標高 421m に位置する。 参道の石段は本宮まで 785 段·奥社まで 1368 段 ── 日本屈指の長石段参道で、 江戸期から駕籠 (籠かき)·杖の伝統がある。 主祭神は大物主命、 相殿に崇徳天皇。 創建については複数の社伝が並立し、 ① 大物主命が象頭山に行宮を営んだ跡を祀ったとする説、 ② 大宝年間 (701-704) 大宝元年に旗が舞い降りたとする伝承、 ③ 修験道の祖·役小角 (えんのおづの、 634-701) が象頭山に登り護法善神金毘羅の神験を得たという開山縁起、 ④ 延喜式神名帳に讃岐国官社として登載とする説など複数あり、 上古不詳の社。 学術的にいずれかを確定するのは不能で、 中世以降の信仰の集積として位置付けるのが妥当。
崇徳天皇 (1119-1164、 第 75 代天皇·在位 1123-1141) の配祀は御霊信仰の典型例である[3]。 保元元年 (1156) 保元の乱に敗れ讃岐国へ配流された崇徳上皇は、 配流中に金毘羅大権現を深く崇敬し、 境内の「古籠所 (こもりしょ)」 に参籠、 近隣の「御所之尾」 を行宮とした (長寛元年 1163 頃)。 長寛二年 (1164) 讃岐で崩御、 京都に帰還することなく終わる。 その翌年の永万元年 (1165) に金毘羅大権現の相殿に合祀された ── これは神仏分離 (1868) より約 700 年前の出来事で、 怨霊鎮魂の御霊信仰の典型例である。 崇徳天皇は菅原道真·平将門と並ぶ日本三大怨霊の一柱で、 金毘羅信仰における崇徳合祀は中世御霊信仰の重要事例として宗教史上注目される。
明治神仏分離による改称は信仰史で最大の転機である[7]。 明治元年 (1868) 3 月の神仏分離令発布で、 第 19 代金光院別当·琴陵宥常 (ことおか ひろつね、 1840-1892) が、 神仏混淆の「象頭山金毘羅大権現」 を「琴平山金刀比羅宮」 に改称、 神道神社化を断行した。 主祭神を大物主神に確定し (「金毘羅権現は大物主と同体」 とする論理)、 相殿に崇徳天皇。 明治元年 9 月 13 日に勅祭神社に列格、 明治 4 年 (1871)「事比羅宮」 へ一時改表記、 明治 22 年 (1889)「金刀比羅宮」 に復称して現在に至る。 仏教系称号「金毘羅大権現」 は廃止されたが、 庶民の間では「こんぴらさん」 の愛称が温存され、 信仰の中身は連続している。
江戸期の流行神化は海上守護神としての大躍進である[4]。 クンビーラの水神性と大物主神の海上信仰が結合し、 江戸期には「海上守護·航海安全の絶大神」 となった。 商船·廻船·漁師·船員の信仰を集め、 各船は「金毘羅船」 と呼ばれた金毘羅参詣船を仕立てた。 江戸期庶民の参拝熱は「お伊勢参り」 に次ぐ全国第二位の規模で、 各地で金毘羅講が結成され、 講員が積み立て金で代表を派遣する代参制度が機能した。 参道奉納が爆発的に増えた結果、 元々直線だった参道を曲げて配置せざるを得なくなったほどの参詣狂躁を生んだ。
「金毘羅船々 (こんぴらふねふね)」 民謡は元禄期 (1688-1704) 頃から金毘羅参道唄として歌われ、 幕末から明治初期にかけて全国に大流行した[5]。 「こんぴら船々 追手 (おいて) に帆かけて シュラシュシュシュ まわれば 四国は 讃州那珂の郡 象頭山 金毘羅大権現 一度まわれば」 の歌詞 ── 「追手」 は追風 (おいて)、 「シュラシュシュシュ」 は帆を受けて船が滑走する擬音。 1 番のみで「一度まわれば」 で冒頭に戻る循環構造を持つ「騒ぎ唄·お座敷唄」 の代表で、 発祥は大阪港 (金毘羅参詣船の起点) とも伝わる。 現代でも香川県の代表的民謡として継承され、 観光宣伝の枢軸を成す。
金毘羅犬 (こんぴらいぬ) は江戸代参文化の稀有な民俗である[6]。 自分が金毘羅参りに行けない者が飼い犬を代参させた江戸後期の民俗で、 犬の首には「金毘羅参り」 と記した袋が下げられ、 中には飼い主名の木札·初穂料·道中の食費が入れられた。 犬は街道筋の旅人から旅人へ託され、 沿道の人々が世話をして琴平まで届けた。 金毘羅犬の出身地は江戸以北に限定されており、 これは埼玉県秩父の三峰神社 (狼=お犬信仰) の布教圏との関連が指摘される独自の民俗パターン。 江戸期の「里犬 (路地·堂宇に住み着く半野生の地域犬)」 文化がこの稀有な習俗を可能にした背景にある。 同じ習俗はお伊勢参りでも記録される (「おかげ犬」) が、 金毘羅犬は江戸以北限定という地理的偏りを持つ点が特異である。
「こんぴら」 の音写経路はサンスクリット Kumbhīra (ガンジス鰐の水神) → 漢訳仏典で「金毘羅」「宮毘羅」「金比羅」「倶毘羅」 と音写 → 中国経由で日本に到来 → 日本語訓み「こんぴら」 として庶民語化。 現在の正式表記は「金刀比羅 (ことひら)」 だが、 これは明治改称時の「琴平」←「こんぴら」←「金毘羅」 という音と当て字の往復で生まれた表記で、 神社名は「ことひら」、 信仰名は「こんぴら」 と読み分けるのが慣例。 現代も「こんぴらさん」 として親しまれ、 海上自衛隊·商船·漁業·海運業者の参詣が続き、 香川県·四国観光資源の頂点を成す讃岐の象徴神格である。
妖怪設定
この区画は物語を楽しむための当サイト独自の設定です。史実・考証ではありません。
- 性格
- 強い水神性·航海加護の信頼感·崇徳天皇の御霊と並ぶ威厳·讃岐の象徴神格。
- 相性
- 海上守護·航海安全·商船·漁業·海運業·海上自衛隊·海外旅行を願う者と最も相性が良い。 巡礼·登山·階段参道に挑む者にも。
- 能力・特技
- 海上守護·航海安全 (江戸期最大級の海神信仰)金毘羅船の加護 (江戸代参船の守護)象頭山 1368 段の修行加護崇徳天皇御霊との合祀パワークンビーラ·宮毘羅大将の薬師十二神将筆頭
- 弱点
- 明治神仏分離で仏教系名称「金毘羅大権現」 は廃止された経緯。 「金刀比羅·金毘羅·こんぴら」 の三層表記の煩雑さ。
- 生息地
- 金刀比羅宮 (香川県琴平町·象頭山中腹)·全国 600 社余の金刀比羅·金比羅·琴平·事比羅神社·全国の港湾·漁港·船員寮·商船。
出典・参考文献
7- 1
金毘羅·Kumbhīra クンビーラ三層構造 — サンスクリット原語·仏教経典·神道習合史(神社·中世史·民俗·近世史, 古代インド~中世日本) [宗教·神社·民俗·御霊信仰]ガンジス鰐の水神 Kumbhīra → 薬師十二神将筆頭·宮毘羅大将 → 大物主神 (大国主和魂) と中世習合した三層構造の神格。
- 2
金刀比羅宮·象頭山中腹·総本宮 — 金刀比羅宮公式·讃岐(神社·中世史·民俗·近世史, 上古不詳·中世~現代) [宗教·神社·民俗·御霊信仰]香川県仲多度郡琴平町字川西 892·象頭山 (標高 524m) 中腹·本宮 251m·奥社 421m·参道 785/1368 段。 主祭神大物主命+崇徳天皇相殿。 創建諸説併存。
- 3
崇徳天皇·讃岐配流·1165 永万元年合祀 — 日本中世史·御霊信仰(神社·中世史·民俗·近世史, 1156-1165) [宗教·神社·民俗·御霊信仰]1156 保元の乱で讃岐配流、 1164 崩御、 1165 永万元年に金毘羅大権現相殿合祀。 神仏分離より 700 年前の御霊信仰典型例。 道真·将門と並ぶ日本三大怨霊。
- 4
江戸期金毘羅参り (お伊勢参り次の流行神) — 近世民俗史(神社·中世史·民俗·近世史, 江戸中後期) [宗教·神社·民俗·御霊信仰]お伊勢参りに次ぐ全国第二位の参拝熱。 金毘羅講·代参制度。 商船·漁師·船員の信仰、 金毘羅船と呼ばれる参詣船。 参道奉納で参道が曲げられたほどの参詣狂躁。
- 5
金毘羅船々民謡 — 近世大衆民謡(神社·中世史·民俗·近世史, 元禄期~) [宗教·神社·民俗·御霊信仰]「こんぴら船々 追手に帆かけて シュラシュシュシュ」 の歌詞。 元禄期 (1688-1704) 起源、 幕末~明治大流行。 騒ぎ唄·お座敷唄の代表。 大阪港発祥説あり。
- 6
金毘羅犬·江戸代参文化 (江戸以北限定) — 近世民俗·里犬文化(神社·中世史·民俗·近世史, 江戸後期) [宗教·神社·民俗·御霊信仰]飼い主に代わって金毘羅参りする犬。 首に袋·木札·初穂料·食費。 出身地は江戸以北限定 ── 秩父三峰神社のお犬信仰布教圏との関連説。 おかげ犬 (お伊勢参り版) と並ぶ稀有な民俗。
- 7
明治神仏分離·金毘羅大権現 → 金刀比羅宮改称 — 明治政府·琴陵宥常別当(神社·中世史·民俗·近世史, 1868·1871·1889) [宗教·神社·民俗·御霊信仰]1868 神仏分離令で琴陵宥常別当が「象頭山金毘羅大権現」 → 「琴平山金刀比羅宮」 へ改称·神道化。 1871 「事比羅宮」 一時表記·1889 「金刀比羅宮」 復称。
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下図はガンジス鰐由来の海上守護神·金毘羅の診断評価図です。各項目の値が高いほど、その特性が強く表されていることを示しています。