護法童子(乙天・若天)
ごほうどうじ(おとてん・わかてん)
基本説明
乙天(おとてん)・若天(わかてん)は、播磨国書写山の円教寺[1]を開いた性空上人(しょうくうしょうにん、九一〇〜一〇〇七)[1]に常に付き従い、これを守護したと伝える二体の護法童子(ごほうどうじ)である。護法童子とは、修験や密教の高徳の行者に使役され、その身を守り意を体して働く童形の鬼神をいい、乙天・若天はその代表的な一対として知られる。寺伝によれば、乙天は不動明王の化身、若天は毘沙門天の化身[1]とされ、青鬼・赤鬼の姿で性空上人の左右に侍したという。書写山の山中で長く籠居し厳しい修行を積んだ性空のもとに、天童のごとく現れて薪水を運び外敵を退け、上人の法力を体現する存在として崇められた。荒ぶる鬼神でありながら聖僧に従い仏法を護るという両義性 ── すなわち「鬼でありながら護法の善神」である点に、この童子たちの性格がよく表れている。
民話・伝承
性空上人は俗を捨てて諸国を遍歴したのち、康保三年(九六六)に播磨国書写山に入って草庵を結び、後の西国三十三所第二十七番札所円教寺[1]の基を開いた。山中の苛烈な修行を支えたのが乙天・若天の二童子であったと寺伝は語り、上人の徳の高さを物語る随侍として中世以来あつく信仰された。両童子はそれぞれ不動明王・毘沙門天の本地[1]をもつとされ、不動の眷属である矜羯羅・制吒迦のごとき護法童子像の系譜に連なる。円教寺の開山堂(奥之院)の傍らには、永禄二年(一五五九)の創建と伝える護法堂の乙天社・若天社[1]が春日造の社殿として並び立ち、いずれも重要文化財に指定されて今日も護法童子を祀る。護法童子の信仰は、行者に従う童形の鬼神という日本中世の宗教観 ── 鬼神を調伏し使役することが法力の証とされた山岳仏教の心性 ── を背景に広く行われ、書写山の乙天・若天はその播磨における代表例として、性空上人伝の霊験譚とともに語り継がれてきた。
コレクション収録
この妖怪は以下のコレクションに収録されています:
徹底解説
乙天・若天は、書写山円教寺の開祖・性空上人に随侍した一対の護法童子である。乙天は不動明王、若天は毘沙門天の化身とされ、それぞれ青鬼・赤鬼の姿で上人の左右を護り、山中修行の薪水を運び外敵を退けたと伝える。鬼神でありながら聖僧に従い仏法を護るという護法童子本来の両義性を、播磨の山岳仏教の文脈で体現する存在で、円教寺奥之院傍らの乙天社・若天社(永禄二年創建、重要文化財)に今も祀られる。荒ぶる力を調伏して善へ転じる ── 高徳の行者に使役される童形の鬼神という、日本中世の宗教的想像力を映す。
妖怪設定
この区画は物語を楽しむための当サイト独自の設定です。史実・考証ではありません。
- 性格
- 聖僧への絶対の忠と、鬼神ならではの剛猛を併せもつ。乙天は不動の如く不屈、若天は毘沙門の如く威武。荒々しくも私心なく、護るべきもののために働く。
- 相性
- 志を立てて修行・研鑽に励む者、守護を求める信心深い者と深く結ぶ。仏法や師への不敬を働く者には鬼神の貌で対する。
- 能力・特技
- 師に随侍し外敵を退ける守護薪水を運ぶなど行者を物理的に助ける不動明王・毘沙門天の威を帯びた調伏の力
- 弱点
- あくまで行者に使役される従属の存在で、独立しては力を振るわない。仕える聖僧の徳と法力に存立が依る。
- 生息地
- 播磨国書写山(現·姫路市書写)の山中、円教寺奥之院・護法堂。
出典・参考文献
1- 1
圓教寺(書写山円教寺) — (西国三十三所第二十七番札所, 966) [古典文献]康保3年(966)に性空上人(910〜1007)が播磨国書写山に開いた天台宗寺院。性空に随侍した護法童子の乙天・若天は、それぞれ不動明王・毘沙門天の化身とされる。奥之院傍らの護法堂・乙天社/若天社は永禄2年(1559)創建の春日造社殿で重要文化財。
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