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Awa Province (Shikoku) 麻と忌部の古国。阿波国の妖怪事典

粟国・長国から阿波へ。天日鷲命の麻、剣山の神剣、麻桶の毛と吉野川の獣たち

麻と忌部の古国。
阿波国の妖怪事典

Awa Province (Shikoku) · あわ

Aussi appelé: 阿州
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本州の妖怪が狐に化かされるなら、四国の阿波(あわ)は狸の国である ── そう語られてきた。だが、その狸が義に殉じて大明神となり、化け猫が恨みを晴らして福の神となる阿波の怪の世界の、さらにその下には、もう一枚の古い地層が横たわっている。狸合戦の天保よりはるか以前、ここはまだ「粟(あわ)の国」と「長(なが)の国」に分かれた、麻(あさ)と穀(かじ)を植える忌部(いんべ)の古国であった。

令制国としての阿波は、その忌部の記憶のうえに立っている。麻を植えた一族が国の名を生み、神を祀る桶が妖となり、平家の神剣が山の名となった ── 阿波国の妖怪を語るには、まずこの古層へ降りていかねばならない。現代の徳島県全体に広がる狸文化の宏観は徳島県の妖怪事典に譲り、ここでは令制国・阿波の古い貌、すなわち忌部と麻の国に根を張った怪たちをたずねたい。

粟国と長国 ── 阿波という名の古層

阿波国の古さは、まずその名にあらわれている。古代、いまの徳島県北部は粟(あわ)の産地であったことから「粟国」と呼ばれ、南部は「長国」と称された。やがて律令制のもとでこの二つが統合され、ひとつの国を成す。さらに和銅六年(七一三年)、元明天皇の好字令(こうじれい)── 一字の地名を縁起のよい二字に改めよという令 ── によって、「粟」は同音の「阿波」へと書き改められた。いまに伝わる国名は、このとき定まったのである。

「粟」と「長」── 穀物の名と、長く伸びる地の名。阿波という国号そのものが、農耕と開拓の記憶を刻んでいる。そして、その開拓を担ったと伝えられるのが、忌部氏(いんべうじ)であった。忌部とは、朝廷の祭祀に用いる神具や幣帛(へいはく)を調える、神事専門の氏族である。平安初期、その一族の斎部広成(いんべのひろなり)が大同二年(八〇七年)に『古語拾遺(こごしゅうい)』を著し、自家の由緒を朝廷に訴えた。この一巻が、阿波という土地の神話的な来歴を、いまに伝える最古層の文献となっている。

麻と忌部の国 ── 大麻比古神社と安房へ渡った一族

『古語拾遺』によれば、忌部氏の遠祖・天富命(あめのとみのみこと)は、よき土地を求めて阿波の斎部(いんべ)を率い、ここに麻と穀(かじのき、楮のこと)を植えたという。麻の最もよく茂った地はのちに麻植郡(おえぐん、現·吉野川市と美馬市の一部)と呼ばれ、その郡名は阿波忌部に由来すると伝わる。阿波忌部の祖神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)── 麻植神(おえのかみ)とも称される、繊維と織物の神である。吉野川市山崎の忌部神社(いんべじんじゃ)は、延喜式にも載るこの天日鷲命を祀る古社だ。

阿波忌部を語るうえで欠かせないのが、鳴門市大麻町(おおあさちょう)に鎮座する大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)である。延長五年(九二七年)成立の『延喜式』に名神大社として列し、阿波国の一宮に数えられたこの社は、忌部の祖神を祀り、社名の「大麻」そのものが、この国が麻の国であったことを今日に伝えている。文献上は『日本三代実録』貞観元年(八五九年)の記事に初めて見え、社伝はその創建を神武天皇の御代にまで遡らせる ── ただしこれは伝承であり、史実としての創建年代は定かでない。

この麻の一族の物語には、海を越える壮大な続きがある。『古語拾遺』は、天富命がさらによき麻の地を求め、阿波の斎部の一部を率いて東国へ渡ったと記す。一行は黒潮に乗って房総半島の南端に上陸し、その地にも麻と穀を植えた。麻がよく育ったので、麻の古語「総(ふさ)」をとってその地を総国(ふさのくに)と呼び、阿波の斎部が住み着いた一帯は、母なる国の名にちなんで安房(あわ)と名づけられた ── これが、四国の阿波と房総の安房という、同じ「あわ」を名にもつ二国のつながりの由来である。安房国(現·千葉県南部)には、天富命が祖神・天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀って創建したと伝わる安房神社が、いまも鎮座する。麻を植える一族が、ひとつの「あわ」から、海の彼方にもうひとつの「あわ」を生んだ ── 阿波という国の古層には、こうした開拓神話が分かちがたく織りこまれているのである。

Les Poils du Seau de Chanvre

a-sa-O-ke no ké

Étrangeté transmise au sanctuaire du village de Kamo, dans l’ancienne province d’Awa. L’entité est constituée de poils contenus dans un seau à chanvre déposé comme shintai (corps sacré) du sanctuaire. Lorsque la divinité est d’humeur troublée, les poils s’allongent, soulèvent le couvercle du seau et apparaissent à l’extérieur. Ils peuvent s’enrouler autour des gens et les étrangler. On raconte que les villageois repoussaient le phénomène en menant correctement les rites, apaisant ainsi la volonté divine. La principale source est l’ouvrage ancien « Ashū Kiji Zatsuwa ».

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麻の国・阿波だからこそ生まれた妖が、麻桶の毛(あさおけのけ)だ。江戸の絵師・鳥山石燕(とりやませきえん)が安永十年(一七八一年)の『今昔百鬼拾遺』に「麻桶毛」として描いたこの怪は、もとをたどれば阿波の地に根ざしている。三好郡加茂村(現·三好市)の彌都比売(やつひめ)神社では、神体として、麻を納める桶に毛が籠められていた。神の心が穏やかでないとき、その毛が桶からするすると伸び出して人に巻きつき、これを締め上げるという。ふだんは桶のなかで静まりかえった神聖な毛が、神意を察したかのように妖と化す ── 神体という最も尊いものが、最も恐ろしい怪へと転じうるという逆説を、この妖はそのまま体現している。

徳島の古書『阿州奇事雑話(あしゅうきじざつわ)』には、この毛の働きが具体に記されている── 社の祠に忍び込んで盗品を分けあっていた山賊たちを、桶から伸びた毛が人数分に裂けてそれぞれに巻きつき、締め上げたというのだ。罰を下す神意が、髪の毛というかたちをとって顕れる。麻は、藍と並ぶ阿波の特産であった。神に捧げる清浄な繊維をたくわえる麻桶は、それ自体が神聖な器である。その器に宿る霊が不正を裁く ── 麻桶の毛は、忌部の国・阿波の生業(なりわい)と信仰が分かちがたく結びついていたことの、何よりの証なのである。狐でも狸でもない、麻という一国の生業そのものから立ちのぼった、阿波ならではの妖といえる。

吉野川と藍の地 ── 川辺に立つ獣たち

阿波の地理の背骨は、四国山地を割って東へ流れる吉野川(よしのがわ)である。「四国三郎」の異名をもつこの暴れ川は、たびたび氾濫しては流域に肥沃な土を運び、その土が忌部の麻を、のちには阿波藍(あわあい)を育てた。藍の取引は文安二年(一四四五年)の『兵庫北関入船納帳』にすでに見え、天正十三年(一五八五年)に阿波の領主となった蜂須賀家政(はちすかいえまさ)が藍作を奨励すると、「阿波二十五万石、藍五十万石」とまで称される日本最大の藍産地へと育っていった。麻から藍へ ── 阿波の富は、つねに吉野川の水とともにあった。

その川辺と峡谷は、獣たちの棲みかでもあった。

吉野川をはじめ阿波の川には、かつてニホンカワウソが数多く棲んでいた。長く生きた獣は化けると信じられ、阿波ではカワウソが小僧や美女に化けて夜道の人を化かしたと伝わる ── いわば水辺に棲む狐狸である。捕らえた魚を頭に載せて子どもに化け、道行く人に問いかけてきたともいう。だが乱獲と環境の変化でその数は激減し、昭和五十四年(一九七九年)に高知県で目撃されたのを最後に姿を消し、平成二十四年(二〇一二年)には絶滅が宣言された。化けて人を騙したと恐れられた獣は、いまや幻となった ── カワウソの怪は、失われた四国の川の豊かさを伝える最後の記憶でもある。

獣の化けるさまは、徳島出身の民俗学者・笠井新也(かさいしんや)が昭和二年(一九二七年)の『阿波の狸の話』に詳しく書きとめた。三好郡の吉野川、青石瀬(あおいしせ)では、夜舟を停めた船頭の前に大煙管(おおぎせる)が巨大な煙管を差し出し、煙草を求める。詰めても詰めても足りぬほどの量で、応じきれないと舟を転覆させたという。青石瀬という名は、吉野川がもたらす青石(緑泥片岩)の瀬を指す ── 妖は、川そのものの地形に貼りついて語られた。一方、美馬(みま)の三ツ島に出る蚊帳吊り狸(かやつりだぬき)は、夜道に蚊帳を吊って見せ、まくり上げるとまた中に蚊帳、その奥にもまた蚊帳 ── と果てしなく続き、旅人を一晩じゅう歩かせて疲れさせた。これらの怪が、美馬・三好という吉野川中流の具体の地名に結びついている点が肝心だ。阿波の獣の妖は「どこかの山の化け物」ではなく、「あの淵の、あの瀬の、名を持つ一匹」として語られたのである。

名を持つ古狸たち ── 化かしの芸の古層

La Fille Fileuse

i-to-hi-ki-mu-su-mé

Yōkai apparaissant au bord des chemins sous l’apparence d’une jeune femme filant au rouet. Quiconque se laisse charmer par sa beauté la voit soudain se transformer en vieille femme aux cheveux blancs qui éclate de rire, provoquant l’effroi. Elle se distingue par ce changement d’apparence brutal qui trouble les voyageurs. Aucun préjudice concret n’est rapporté, mais elle est contée comme une surprise sur la route. Le nom vient de son geste de filer le fil, et la tradition est ancrée en province d’Awa.

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吉野川の流域は、狸たちの舞台でもあった。板野郡堀江村(現·鳴門市)の道端では、美しく糸を引く糸引き娘(いとひきむすめ)に見惚れていると、娘がふいに白髪の老婆に変じ、高笑いして人を驚かせたと伝わる。糸を紡ぐ娘という、麻と織物の国・阿波らしい姿で人を惑わすこの怪もまた、笠井新也が一つひとつに土地と名を添えて記録した名狸の一群に属している。店先の小僧に化けて品物をくすねる小僧狸、夜道で傘を差しかけてくる傘差し狸、白い徳利に化けて転がる白徳利 ── 阿波の狸は、いずれも具体の村と淵に根ざした固有名で語られた。

これら名を持つ古狸が、近世に金長(きんちょう)と六右衛門(ろくえもん)の壮大な合戦譚へと編まれてゆくのだが、その物語は天保以降の新しい層に属する。狸が義に殉じて正一位の神階を得る阿波狸合戦の顛末は、すでに徳島県の妖怪事典で詳しく語った。ここで見ておきたいのは、合戦譚という華やかな大伽藍を支えていたのが、こうした一匹一匹の小さな化かし話の堆積であったということだ。土地に根ざした無数の固有名の狸がいたからこそ、それらを束ねる「合戦」という物語が成り立ちえた。古層があってこその、近世の花だったのである。

祖谷と剣山 ── 山の古信仰と怪

吉野川を上流へ遡れば、四国山地の最も深い懐、大歩危(おおぼけ)・祖谷(いや、現·三好市)へ至る。平家の落人伝説とかずら橋で知られるこの秘境は、子泣き爺(こなきじじい、児啼爺)の故郷と伝わる土地だ。民俗学者・武田明が昭和十三年(一九三八年)に雑誌『民間伝承』へ報告したもともとの姿は、山道で赤子のような泣き声をあげるだけの怪であった。原地として記されたのは三好郡三名村(みなそん)字平(たいら)── 深い谷あいの集落である。山の夜道に響く赤子の声は、谷を渡る風の音や鳥獣の鳴き声を、孤独な旅人が聞き違えたものだったかもしれない。それを「子泣き爺」という一個の怪に結晶させたところに、山の闇と向きあってきた人々の想像力がある。「抱き上げると石のように重くなって人を押し潰す」という重量増加の趣向は後世に加わり、これを善玉として全国に広めたのは水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』であった ── 原伝承と近代の創作とが、子泣き爺には幾重にも積み重なっている。

祖谷のさらに奥にそびえるのが、剣山(つるぎさん)である。標高一九五五メートル、西日本第二の高峰にして、古来、修験道(しゅげんどう)の山として山岳信仰の対象であった。この山は、もとは石立山(いしだてやま)あるいは太郎笈(たろうぎゅう)と呼ばれていたという。それが「剣山」と称されるようになったのは、屋島の戦いに敗れた平家が幼い安徳天皇を奉じてこの地へ落ち延び、三種の神器のひとつ、宝剣を山頂の宝蔵石(ほうぞうせき)の下に納めた ── という伝説に由来すると語られる。山頂には剣山本宮宝蔵石神社が鎮座し、巨岩・宝蔵石そのものを神体として祀る。壇ノ浦で入水したはずの安徳天皇が密かに生き延びたという秘話と、神剣を呑んだ霊峰という古い信仰とが、この山では分かちがたく溶けあっている。

特定の説話に結晶する以前の、深い山がもたらす漠とした畏怖こそが、阿波の山の怪の母胎であった。年を経た猫が美しい娘に化けるという猫娘(ねこむすめ)の話も、阿波の里には伝わる。山の獣は獲物であると同時に、いつ化生に転じるとも知れぬ畏れの対象であった。忌部が麻を植えた里から一歩奥へ、吉野川の源へと分け入れば、そこには国家の神話にも記録の妖にも回収されきらない、山そのものの古い気配が、いまも濃く漂っているのである。

麻と狸 ── 阿波という古層

粟と長の二国が統べられて阿波となり、忌部が麻を植えて国の名と神社の名を生み、その一族が海を渡って房総に安房を開いた。麻桶に神威が宿って妖となり、吉野川の瀬と淵には名を持つ獣がひそみ、源流の剣山には平家の神剣が眠る ── 令制国・阿波の妖怪は、狸合戦という近世の華やかな物語の、さらに下にある古い地層から立ちのぼってくる。

天日鷲命の麻、大麻比古神社の社名、彌都比売神社の麻桶 ── 阿波の怪の根には、つねに麻と忌部の記憶が透けて見える。やがてこの古層のうえに、狸が義に殉じて神となる近世の物語が花開くのだが、その宏観の貌は徳島県の妖怪事典にゆずろう。忌部の麻と平家の剣を底に沈めた令制国・阿波 ── それが、徳島という現代の県名の下に横たわる、もうひとつの古い貌である。

Tous les yokai de Awa Province (Shikoku)8

Liste complète des yokai liés à Awa Province (Shikoku), y compris ceux non traités dans l'article ci-dessus.

  • Ogetsuhime-no-Kami

    Ogetsuhime-no-Kami

    Divin

    おおげつひめのかみ

    Ogetsuhime-no-Kami, la Déesse de la Nourriture d'Awa Qui Porte les Cinq Céréales de Son Corps

    神霊・神格Province d'Awa (Actuelle préfecture de Tokushima, Awa no Kuni)

    La fascination d'Ogetsuhime réside dans la façon dont la terre, la nourriture et le corps sont superposés sur un seul nom. Dans la "Naissance de la Terre" dans le *Kojiki*, la province d'Awa — un visage de l'île d'Iyo-no-Futana — est nommée Ogetsuhime, agissant comme Ogetsuhime comme nom de la province d'Awa. Dans la "Naissance des Dieux", Ogetsuhime-no-Kami naît. Puis, dans l'épisode du bannissement de Susanoo, elle produit de la nourriture de son corps et est tuée, donnant naissance aux cinq céréales et aux vers à soie. Ce chevauchement indique que les anciens conteurs ressentaient la terre non seulement comme une carte, mais comme un corps qui génère de la nourriture. La province d'Awa est lue non seulement comme un nom de lieu, mais comme le nom d'une déesse de la nourriture. Son festin commence exactement à l'opposé des offrandes sacrées pures et immaculées. Lorsqu'on lui demande de la nourriture, Ogetsuhime produit divers articles de son nez, de sa bouche et de son rectum, et les cuisine pour les servir — fournissant de la nourriture provenant du nez, de la bouche et du rectum. Ici, les orifices du corps sont simultanément des lieux de souillure et les portes par lesquelles la nourriture entre dans le monde. Que Susanoo ait considéré cela comme répugnant n'était pas simplement un malentendu ; cela exprime une révulsion fondamentale envers la nourriture étant trop proche du corps. La nourriture soutient la vie, mais ses racines touchent la chair, le sang et l'excrétion. Ogetsuhime l'offre sans effacer cette proximité inconfortable. À travers son meurtre, le corps de la divinité se transforme en un catalogue de graines. Des vers à soie poussent de sa tête, des graines de riz de ses deux yeux, du millet de ses deux oreilles, des haricots adzuki de son nez, du blé de ses parties génitales et du soja de son rectum — formant des graines générées par des parties du corps. C'est une transformation de cadavre grotesque, pourtant elle illustre parfaitement comment les sociétés agricoles percevaient la nourriture. Les graines ne viennent pas de rien. Elles apparaissent comme ce qui reste après que quelque chose ait été brisé, déchiré et meure. En faisant ramasser ces graines par Kami-musubi, le cadavre n'est pas seulement une perte, mais est transféré vers un avenir cultivable. Placé aux côtés d'Ukemochi-no-Kami, le contour d'Ogetsuhime devient plus net. Ukemochi dans le *Nihon Shoki* est tuée par Tsukuyomi, et Amaterasu intègre ce qui a poussé de son cadavre dans l'ordre de l'agriculture et de la sériciculture — l'origine des cinq céréales et de la sériciculture à partir d'Ukemochi. Là, même la séparation du jour et de la nuit est narrée. Dans le cas d'Ogetsuhime, le meurtrier est Susanoo, et l'histoire est placée au tournant où le récit passe de Takamagahara à Izumo. Plutôt que dans le silence du dieu lunaire, les graines de la nourriture sont placées dans le vide juste avant que le dieu banni et violent ne se dirige vers la terre. En raison de cette différence, Ogetsuhime penche beaucoup plus profondément vers le début de la terre et de l'agriculture que vers la cosmologie. Comme le souligne le commentaire de Kokugakuin, cette histoire est difficile à relier directement au contexte environnant, conduisant à la théorie qu'il s'agissait à l'origine d'une tradition distincte ajoutée de manière épisodique — la théorie du placement épisodique. Cependant, cette qualité même "insérée" parle de la fonction du mythe. Après la grotte céleste, et avant que Susanoo n'entre pleinement dans l'histoire d'Izumo, le *Kojiki* place une petite histoire sombre sur l'origine de la nourriture. Avant d'entrer dans les récits héroïques de la création de la terre, un monde où les humains pouvaient manger était d'abord nécessaire. Dans les crevasses de l'histoire, Ogetsuhime prépare les conditions de la vie terrestre. Sa figure apparaissant dans la généalogie d'O-toshi-no-Kami ne peut pas non plus être négligée. Avec Haya-mato-no-Kami, Ogetsuhime donne naissance à Wakayamakui, Wakatoshi, Wakasaname, Mizumaki, Natsutakatsuhi, Akibime, Kukutoshi et Kukiki-wakamuro-tsunane — ses huit enfants divinités avec Haya-mato-no-Kami. Cette généalogie, alignant des noms associés aux montagnes, aux années, à l'été, à l'automne et aux racines de kuzu, l'empêche de rester simplement un dieu tué une fois. Même après avoir donné naissance à l'origine des céréales, elle soutient le temps du monde alimentaire en tant que déesse mère s'étendant aux saisons des montagnes, au cycle des cultures et à la fertilité tout au long de l'année. Du point de vue de la mythologie comparée, Ogetsuhime a longtemps été lue comme un mythe de type Hainuwele. Kokugakuin introduit la typologie où diverses cultures sont générées à partir d'un cadavre, et note les similitudes entre le mythe de la jeune Hainuwele de l'île de Céram en Indonésie et les mythes Kojiki/Nihon Shoki d'Ogetsuhime et Ukemochi — une comparaison avec les mythes de type Hainuwele. Cependant, cette comparaison ne signifie pas "c'est simple de les assimiler parce que c'est étranger". Kokugakuin avertit qu'il est difficile de limiter l'origine à une région en raison de la réalité des traditions pré-Kiki et des limites des données. Ce qui est important, c'est que la sensation que les aliments de base naissent d'un corps mort est devenue une forme puissante pour narrer l'origine de l'agriculture à travers le monde. Le mythe d'Ogetsuhime ne raconte pas la nourriture uniquement comme une bénédiction lumineuse. La nourriture est quelque chose dont il faut être reconnaissant, mais c'est aussi quelque chose qui sort d'un corps. Les graines ouvrent l'avenir, mais elles naissent aussi d'un cadavre. La terre nourrit les gens, mais elle est gravée du nom de la déesse de la nourriture, la province d'Awa. Ogetsuhime est une divinité qui embrasse toute la souillure, la mort, les champs secs, les montagnes et les saisons qui se cachent derrière l'acte de manger. C'est exactement pourquoi sa fertilité n'est pas simplement douce. C'est une forte fertilité proche du sol, offerte à partir des frontières du nez, de la bouche et du rectum, germant d'un corps assassiné.

  • Konaki-jijii

    Konaki-jijii

    Légendaire

    konaki-jiji

    Le Vieillard Pleureur de Tokushima : Konaki-jijii

    山野の怪阿波国·三好市山城町(現·徳島県) ── 柳田國男『妖怪談義』、現代の発祥地認定

    Le cliché folklorique du « nourrisson pleurant dans la montagne ». Alors que l'introduction pose la structure de la légende, cette analyse approfondie se penche sur la part d'ombre du trope de l'« enfant qui pleure ». Autrefois, dans les zones montagneuses japonaises, l'infanticide rituel (*mabiki*), l'abandon d'enfants et la mort en bas âge faisaient tristement partie du quotidien. Les hallucinations auditives de pleurs de bébés dans la solitude des forêts étaient un traumatisme psychologique partagé par de nombreuses communautés. C'est la même genèse qui explique la répartition nationale des mythes de l'Ubume (le spectre d'une mère morte en couches). Entendre un enfant pleurer dans des zones liminales (cols, sentiers isolés, lits de rivières) est le socle émotionnel commun de très nombreux contes de fantômes japonais. Le Konaki-jijii est la variante composite et unique de Shikoku, née de la fusion de cette peur auditive primale avec la « figure d'un vieil homme » et la « menace du poids écrasant ». La méthodologie structurale de Kunio Yanagita. L'essence de la méthode de Yanagita dans son *Yōkai Dangi* (1956) n'est pas d'étudier un yōkai de manière isolée, mais de le décrypter structurellement aux côtés de ses mythes cousins. En rapprochant la capacité d'écrasement du Konaki-jijii avec celle de l'Obariyon et de l'Ubume, il a mis en lumière une trajectoire d'évolution : « la fusion d'un motif sonore originel avec un motif meurtrier de poids ajouté plus tard ». Cette approche comparative est devenue la référence incontestée de la folkloristique d'après-guerre, héritée par d'éminents chercheurs tels que Kazuhiko Komatsu et Noboru Miyata. Le Gogya-naki et la sphère folklorique de Shikoku. La vaste répartition géographique du Gogya-naki, un variant du Konaki-jijii, révèle la spécificité de la sphère culturelle de Shikoku. Dans le district de Mima, on raconte l'existence d'un Gogya-naki bondissant sur une seule jambe, dont les pleurs déclencheraient des séismes, une créature que Yanagita a directement associée au Konaki-jijii. Le folklore des montagnes de Shikoku diffère fondamentalement de celui de Honshū ou de Kyūshū. Il s'y déploie un écosystème religieux complexe où le Shugendō (ascétisme des montagnes), le pèlerinage des 88 temples et le culte shinto local s'entremêlent. Le Konaki-jijii est le fruit direct de cette richesse spirituelle propre à l'île de Shikoku. La théorie du « véritable vieillard » et les mécanismes de la monstrification. La légende locale, compilée par l'historien Masahiro Takita, affirmant qu'un véritable vieillard excentrique imitait les pleurs de bébé, offre un éclairage fascinant sur la création des monstres. Le phénomène par lequel un membre marginal de la communauté (atteint de maladie mentale, isolé, sénile) est digéré par la mémoire collective pour renaître sous forme de yōkai quelques générations plus tard est documenté dans tout le pays. Le « yōkai » fonctionne souvent comme un dispositif social permettant de sublimer ou d'exorciser la mémoire des populations périphériques (personnes âgées, vagabonds, infirmes). Le cas local du Konaki-jijii rend ce processus folklorique visible, fournissant un matériel d'étude exceptionnel pour analyser les yōkai sous le prisme de l'histoire sociale. Le mouvement de renaissance des yōkai par Shigeru Mizuki. Shigeru Mizuki (1922-2015) fut l'artisan principal du renouveau de la culture yōkai dans le Japon d'après-guerre. Grâce à *GeGeGe no Kitarō* (publié en feuilleton dans le *Weekly Shōnen Magazine* à partir de 1968), il a sorti de l'anonymat des croyances locales en voie d'extinction pour en faire des icônes nationales. Au sein de la famille Kitarō, le Konaki-jijii a été redéfini comme « le bon vieux de Tokushima », acquérant une immense popularité sous les traits d'un vieillard à barbe portant canne et habit de moine. La transformation d'un meurtrier sournois issu du folklore en justicier au cœur pur est au centre des débats académiques, illustrant parfaitement comment l'intervention d'un auteur de fiction peut altérer le code génétique d'une croyance traditionnelle. La revitalisation régionale par l'exploitation des yōkai. L'édification de la statue du Konaki-jijii en 2001 dans le village de Yamashiro (Tokushima) a marqué le début d'une vaste stratégie de marketing territorial centrée sur l'identité de « Village des Yōkai ». À travers des attractions touristiques, des mascottes et des parcours culturels, la recherche folklorique a quitté le domaine purement académique pour devenir le moteur économique d'une région. Ce schéma structurel — des monstres locaux (tels que l'Ittan-momen de Kagoshima ou la Sunakake-baba de Nara) popularisés par *Kitarō*, puis exploités par la suite comme capital culturel de revitalisation — est caractéristique du développement local du Japon d'après-guerre. De la légende rurale à la mascotte touristique : une histoire moderne. L'histoire contemporaine du Konaki-jijii résume parfaitement la trajectoire de la culture yōkai au Japon. C'est une métamorphose culturelle en trois actes : d'abord récit oral cantonné à une seule montagne avant la guerre, puis star nationale propulsée par le manga de Mizuki, pour enfin revenir à son point d'origine et y être monétisée en ressource touristique. Ce cycle est partagé par les figures de proue de la famille Kitarō et illustre avec brio comment le Japon moderne recompose son propre patrimoine folklorique. Le Konaki-jijii n'est donc plus un simple « conte du passé », mais une créature incarnant les processus de production culturelle et de marketing territorial du monde contemporain.

  • Loutre yōkai (Kawauso)

    Loutre yōkai (Kawauso)

    Épique

    ka-wa-ou-so

    Loutre métamorphe conforme aux récits traditionnels

    動物変化Rives et zones humides à travers le Japon

    Figure fondée sur les « loutres qui se transforment » des archives et traditions orales. Elle imite la parole humaine mais avec des inflexions et des finales étranges, et répond de façon incohérente lorsqu’on la met au pied du mur. Ses métamorphoses sont variées—belle femme, enfant, moine—pour détourner l’attention, éteindre les lanternes, inviter au sumo, ou faire prendre des pierres et des racines pour des personnes. Parfois mêlée aux récits de kappa, elle est puissante dans l’eau et incite l’adversaire à lever le regard pour prendre l’avantage. Dans le cadre des esprits possessifs, elle est crainte pour saper la vitalité et plonger les gens dans l’atonie. Des actes brutaux sont rapportés, mais le plus souvent il s’agit d’effroi et de farces.

  • Le Tanuki aux moustiquaires suspendues

    Le Tanuki aux moustiquaires suspendues

    Peu commun

    ka-ya-TSU-ri DA-nou-ki

    Tanuki à moustiquaire suspendue (conte traditionnel)

    動物変化Mima, préfecture de Tokushima (ancien village de Mishima, Mainakajima)

    Type d’illusion emblématique des tanuki d’Awa. Il fait apparaître, en plein air, du mobilier intérieur incongru et pousse la cible à « soulever » ou « relever » à répétition, jusqu’à lui ôter le sens de l’orientation et du temps. Le nombre trente-six est parfois relié aux pratiques ascétiques et à la numérologie, mais les récits locaux donnent peu d’explications et recommandent surtout une riposte pragmatique : ne pas paniquer et engager la force dans le ventre. Il ne blesse pas et, à l’aube, le charme se défait et le chemin se rouvre comme si de rien n’était.

  • La Fille Fileuse

    La Fille Fileuse

    Peu commun

    i-to-hi-ki-mu-su-mé

    Conforme aux traditions

    山野の怪Province d’Awa, village de Horie (actuelle ville de Naruto, préfecture de Tokushima)

    Synthèse fondée sur les récits d’Horie, province d’Awa. La Fille au rouet apparaît au bord du chemin comme une jeune femme filant, puis, dès qu’on la regarde, se mue instantanément en vieille et éclate d’un rire haut perché. Aucun tort autre que la frayeur n’est rapporté, sans contact ni poursuite. On la raconte surtout du crépuscule à minuit, aux lisières du village, sur les levées ou aux carrefours peu fréquentés. Elle relève des contes de routes, liés aux avertissements « ne te laisse pas séduire par l’apparence, ne t’attarde pas ». Le déclic est l’acte de « s’absorber à la regarder » ou de « s’approcher », la mutation silencieuse nourrissant l’effroi. Le rouet, outil domestique, ancre la scène dans le réel et renforce l’étrangeté de la rencontre. Des parallèles existent ailleurs, mais l’exemple nommé d’Awa est le plus représentatif.

  • La Grande Pipe (Ōgiseru)

    La Grande Pipe (Ōgiseru)

    Peu commun

    ô-ghi-sé-rû

    Grande Pipe à Tabac (tradition d’Awa, Se d’Aoishi)

    動物変化Province d’Awa (village de Keida, district de Miyoshi, aujourd’hui Tokushima)

    Récit de tanuki métamorphe lié au gué d’Aoishi sur la Yoshino, en province d’Awa. À minuit, il tend une pipe géante et exige une grande quantité de tabac haché, motif répandu des « êtres qui réclament du tabac » croisé avec le culte local du tanuki. Faute d’offrande, il provoque malédictions et désastres. On dit qu’il réclame jusqu’à dix sacs de quarante monme, quantité impraticable, ce qui servait d’avertissement à éviter les haltes nocturnes au gué. Une fois la pipe bien remplie, il s’éloigne sans dommage, révélant une vision folklorique des frontières de l’échange et de la promesse. Sa forme n’est guère décrite, souvent seule une main géante et la pipe sont perçues. Les bateaux sont menacés par bruits et remous, parfois jusqu’au naufrage, mettant en récit la crainte de l’eau nocturne et l’imprudence à bord. Il admoneste la curiosité excessive et la négligence, transmettant la dangerosité du lieu.

  • Fille-chat

    Fille-chat

    Peu commun

    NE-ko-mou-sou-mé

    La jeune fille-chat dans les spectacles et récits d’observation de l’époque moderne

    人妖・半人半妖Édo, Kamigata et Awa (actuelle préfecture de Tokushima)

    La « jeune fille-chat » désigne, dans les villes de l’époque moderne, des cas de conduite singulière rapportés par spectacles populaires et articles à tonalité documentaire : goûts félins (appréciation des abats de poissons, chasse aux rats), agilité (circuler le long des murs et sur les toits), gestes (langue décrite comme râpeuse). À l’ère Hōreki–Meiwa, elle fut parfois montrée à Asakusa, mais la vogue fut brève et, même au cœur de la mode des ères An’ei–Tenmei, elle ne devint pas un grand numéro. Dans les yomihon et kyōka, on la dépeint comme « jeune fille-chat » ou « lécheuse » dans des histoires de personnages étranges, sans en faire une métamorphose de yōkai. Des notes de la fin d’Edo rapportent l’anecdote d’une fillette à Ushigome félicitée pour avoir attrapé des rats, source utile sur la lutte locale contre les nuisibles, le goût du spectacle et le regard porté sur l’étrange.

  • Les Poils du Seau de Chanvre

    Les Poils du Seau de Chanvre

    Peu commun

    a-sa-O-ke no ké

    阿波加茂社の神桶毛・麻桶の毛

    Esprits DomestiquesProvince d’Awa (village de Kamo, district de Miyoshi ; actuelle préfecture de Tokushima)

    阿波の古記録に拠る像。麻桶に納められた毛が神体の一部または神威の顕現として振る舞い、社の秩序を乱す者を拘束する。自立して徘徊するより、社域内での発動が中心と解される。毛は静かに伸び、複数に裂けて標的一人ずつを絡め取る描写が核で、見物人を無差別に襲うよりも、穢し・盗みなどの行為に反応する点が特徴。水木しげるは「麻桶毛」の名で巨大な毛塊として図像化したが、実伝承では容貌より機能の記述が濃い。信仰実践と禁忌遵守を促す社内規範の象徴として理解されることが多い。

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