Divin
Yōkai

八幡神

はちまんしん

Catégorie
神霊・神格
Personnalité
雄大にして優しく、武勇と母性を併せ持つ気質。怒りを表さず、戦勝と安産を等しく賜う両義神格。
Origine
宇佐神宮 (現·大分県宇佐市南宇佐、八幡神総本宮、725 年神亀 2 年聖武天皇勅命創建) / 石清水八幡宮 (現·京都府八幡市八幡高坊、860 年貞観 2 年勧請) / 鶴岡八幡宮 (現·神奈川県鎌倉市雪ノ下、1063 年源頼義勧請) / 東大寺手向山八幡宮 (現·奈良県奈良市)
  • 宇佐神宮(大分県 宇佐市南宇佐)八幡神総本宮、 725 年神亀 2 年聖武天皇勅命創建
  • 石清水八幡宮(京都府 八幡市八幡高坊)860 年貞観 2 年勧請、 平安京南西鎮守·二所宗廟
  • 鶴岡八幡宮(神奈川県 鎌倉市雪ノ下)1063 年源頼義勧請·1180 年現在地遷宮、 鎌倉幕府宗廟
  • 東大寺手向山八幡宮(奈良県 奈良市雑司町)749 年東大寺大仏造立勧請、 神仏習合の起点
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Description de base

応神天皇 (第 15 代·誉田別命·ホムタワケノミコト)·神功皇后·比売神の三神を一体に祀る武運·国家鎮護の最大級神格総本宮·宇佐神宮 (大分県、725 年神亀 2 年聖武天皇勅命創建)を起点として、奈良期 (781) には早期の神仏習合により「八幡大菩薩」として東大寺·伊勢神宮に次ぐ国家宗教の中軸に組み込まれた。平安期に石清水八幡宮 (860 年貞観 2 年勧請)、源氏の関東進出後に鶴岡八幡宮 (1063 年源頼義勧請)が建立され、清和源氏の氏神となって以後·源氏·武田氏·北条氏·徳川氏ら武家の守護神として圧倒的な広がりをみせた。全国の八幡神社は 4 万 4 千社余 (神社数最大)に達し、武運長久·国家鎮護·安産·子育てを司る。

Folklore et légendes

八幡神の正体は応神天皇·神功皇后·比売神の三神一体である。応神天皇 (誉田別命·ホムタワケノミコト) は『古事記』『日本書紀』に登場する第 15 代天皇 (4 世紀後半~5 世紀前半在位とされる、皇統史上の半神話人物)、母·神功皇后は三韓征伐伝承で知られる女帝、比売神は宗像三女神あるいは応神天皇の姫君ともされる女神である。三神を一座に祀る祭祀形式は日本神社史で類を見ない特異な構造で、八幡神を母子三尊·安産神とする民俗的解釈の根拠ともなった。

信仰の起源·総本宮の宇佐神宮 (大分県宇佐市南宇佐) は、社伝によれば欽明天皇 32 年 (571 年) に大神比義 (おおがのひぎ) が宇佐の地で「我は誉田天皇広幡八幡麻呂なり」 という神託を受けたことに始まり、聖武天皇·神亀 2 年 (725 年) に勅命によって正式に社殿が建立された。 宇佐は古代の九州交易·渡来文化の要衝で、辛島氏·大神氏·宇佐氏の三氏が祭祀を担った。 八幡神は早くから渡来系·海人系の信仰要素を吸収しつつ、宇佐から畿内へ影響を拡げた。

決定的な転機は奈良期の神仏習合である。 天平勝宝元年 (749 年)、 聖武天皇による東大寺大仏 (盧舎那仏) 建立事業を支援するため、 八幡神は神輿に乗って宇佐から平城京に上洛し、大仏建立への協力を表明したという託宣譚を残した。 これを受けて 781 年 (天応元年) には朝廷から「護国霊験威力神通大自在王菩薩」 (略して八幡大菩薩) の神号が授けられ、 神仏習合の最早の事例となった。 これに先立つ 769 年 (神護景雲 3 年) の道鏡事件 (称徳天皇が道鏡の皇位継承を巡り宇佐託宣を求めた事件、 和気清麻呂が「天津日嗣は必ず皇緒を立てよ」 の託宣を持ち帰った) は、 八幡神を「皇統護持の神」 として国家祭祀の中軸に組み入れる決定打となった。

平安期に入ると都への遷祀が進んだ。 貞観元年 (859 年)·清和天皇の勅命で大安寺僧·行教が宇佐神宮に参籠して託宣を受け、 翌 860 年 (貞観 2 年) に山城国八幡 (現·京都府八幡市男山) に石清水八幡宮を勧請、 平安京の南西を護る都の鎮守となった。 これにより八幡神は伊勢神宮 (東方·皇祖神) と並んで「二所宗廟」 と称される朝廷の正統神となった。

源氏の氏神化は八幡信仰の最大の転機となった。 平安中期、 清和源氏 (源頼信·頼義·義家ら) が八幡神を一族の守護神に選び、 1063 年 (康平 6 年) に源頼義が前九年の役の勝利を機に鎌倉由比郷に石清水を勧請した。 これが鶴岡八幡宮の起源である。 1180 年に源頼朝が鎌倉に幕府を開く際に現在地 (雪ノ下) に遷宮、 鎌倉幕府の宗廟となった。 以降·関東·東国の武家社会は八幡神を「武運·武勇」 の守護神として勢いよく勧請した。 武田氏 (甲斐)·北条氏 (鎌倉)·足利氏 (室町幕府)·徳川氏 (江戸幕府) ら歴代武家政権はすべて八幡神を氏神·守護神に位置付けた。

中世以降、 八幡神社は急速に全国化した。 鎌倉~江戸期にかけて、 各地の領主·武家·村落が八幡宮を勧請し、 現代の八幡神社は 4 万 4 千社余に達し、 単独神社系統としては日本最大 (稲荷神社の約 3 万 2 千社を超える) を成す。

明治維新 (1868) 後の神仏分離令により「八幡大菩薩」 の称号は剥奪され、 仏教との習合形態は解消されたが、 信仰の中身そのものは温存され、 武運長久·国家鎮護·安産·子育てを司る神格として現代まで広く崇敬される。 鶴岡八幡宮·宇佐神宮·石清水八幡宮は通称「日本三大八幡」 と称される。 現代では神社結婚式·武道家·公務員 (警察·自衛隊) の参詣が多く、 サッカー日本代表ユニフォームの三本足の烏 (八咫烏) も実は八幡神信仰の系譜に属する象徴である。

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Apparenté1

Explication détaillée

八幡神の本相は応神天皇·神功皇后·比売神の三神一体である。 応神天皇 (誉田別命·ホムタワケノミコト) は第 15 代天皇 (4 世紀後半~5 世紀前半とされる) で、 母·神功皇后は『日本書紀』 神功皇后摂政紀に三韓征伐伝承を持つ女帝、 比売神は宗像三女神あるいは応神の姫君とされる女神である。 三神を一座に祀る祭祀構造は日本神社史において他に類を見ず、 八幡信仰特有の「母子三尊型」 として神道史·宗教史研究の重要主題となってきた。

信仰史の起点は九州·豊前国宇佐の地である。 宇佐神宮社伝によると、欽明天皇 32 年 (571 年) に菱形池 (現·宇佐神宮境内) に光輝く三歳児が降臨し、大神比義 (おおがのひぎ) が「我は誉田天皇広幡八幡麻呂なり」 という神託を受けたのを起源とする。 これを受けて、 聖武天皇·神亀 2 年 (725 年) に正式な社殿が勅命によって建立されたのが現·宇佐神宮 (大分県宇佐市南宇佐) である。 宇佐は古代の九州·瀬戸内·朝鮮半島を結ぶ海上交通の要衝で、辛島氏·大神氏·宇佐氏の三氏が祭祀氏族として奉仕した。 渡来系·海人系の信仰要素 (海·船·渡来神) と地母神的要素 (比売神) が一座に統合された複合神格として、八幡神は早期から特異な構造を持っていた。

奈良時代に至り、八幡神は日本神道史で最も早期の神仏習合の対象となった。決定的契機は天平勝宝元年 (749 年) の東大寺大仏造立事業である。 聖武天皇が盧舎那仏 (大仏) 建立を発願したが、銅·黄金·人手の不足に苦しんでいた際、 八幡神が「金は我が国 (筑紫·宇佐) より出さん」 「我必ず神祇率いて誘い助けん」 と託宣し、 神輿に乗って宇佐から平城京に上洛、 大仏建立への協力を約束した。 大仏完成後の 781 年 (天応元年)、 朝廷から八幡神に「護国霊験威力神通大自在王菩薩」 (略して八幡大菩薩) の神号が授けられた。 これは日本神道史上、神に菩薩号が授けられた最初の事例で、神仏習合の理論的起源を成した。 東大寺の鎮守として手向山八幡宮 (奈良県奈良市) が建立された経緯もここに発する。

この神仏習合の流れに先立つ 769 年 (神護景雲 3 年)、 道鏡事件 (称徳天皇の寵僧·道鏡が皇位継承を企てた事件) で八幡神は日本史最大の託宣を発した。 朝廷が宇佐神宮に勅使·和気清麻呂を派遣し、神意を伺ったところ、清麻呂は「天つ日嗣は必ず皇緒を立てよ。 無道の人は宜しく早く掃ひ除くべし」 という託宣を持ち帰り、 道鏡の皇位継承を阻止した。 この事件で八幡神は「皇統護持·正統性付与の神」 として国家祭祀の中軸に組み入れられた。

平安期には都への遷祀が進んだ。 貞観元年 (859 年)、 清和天皇の勅命を受けた大安寺僧·行教が宇佐神宮に参籠して託宣を授かり、 翌 860 年 (貞観 2 年) に山城国男山 (現·京都府八幡市八幡高坊) に石清水八幡宮を勧請した。 これにより八幡神は平安京南西の鎮守として、 伊勢神宮 (東方·皇祖神) と並んで「二所宗廟」 (朝廷の正統神二座) と称される地位を獲得した。

中世の武家信仰化が八幡信仰の最大の転機である。 平安中期から、 清和源氏 (清和天皇の血統を引く源氏一族) が八幡神を一族の守護神と仰ぐようになった。 源頼信が河内国壺井八幡宮 (大阪府羽曳野市) を勧請、 1063 年 (康平 6 年) に源頼義が前九年の役の戦勝感謝で鎌倉由比郷に石清水を勧請、 これが鶴岡八幡宮の起源である。 1180 年に源頼朝が鎌倉に幕府を開いた際、 鶴岡八幡宮を現在地 (雪ノ下) に遷宮して鎌倉幕府の宗廟とし、 流鏑馬·相撲·神楽など武家儀礼の中心とした。 武田氏·北条氏·足利氏·徳川氏ら歴代武家政権はみな八幡神を氏神·守護神に位置付け、 鶴岡八幡宮を始め全国の八幡神社が爆発的に増殖した。

中世~江戸期にかけて、 各地の領主·武家·村落が八幡宮を勧請する流れは止まらず、 現代の八幡神社は約 4 万 4 千社余で、 神社単独系統として日本最大 (稲荷神社系の約 3 万 2 千社を上回る) を成している。

明治維新 (1868) の神仏分離令によって「八幡大菩薩」 の称号は剥奪され、 江戸期までの仏教との習合形態 (別当寺·僧形八幡像等) は解消された。 しかし信仰の中身そのものは温存され、 武運長久·国家鎮護·安産·子育てを司る神格として現代も広く崇敬される。 鶴岡八幡宮·宇佐神宮·石清水八幡宮は通称「日本三大八幡」 と称される最大の参詣聖地である。 現代では武道家·公務員·警察官·自衛官·スポーツ選手の参詣が多く、 神前結婚式·安産祈願·子育て祈願も最重要案件の一つである。 サッカー日本代表のシンボル「八咫烏 (やたがらす、 三本足の烏)」 は『日本書紀』神武東征譚に登場する八幡神系信仰の象徴で、 現代日本における八幡信仰の生命力を示す好例である。

Profil du personnage

Cette section est notre propre création pour le récit. Ce n'est ni un fait historique ni une étude savante.

Caractère
雄大にして優しく、武勇と母性を併せ持つ気質。怒りを表さず、戦勝と安産を等しく賜う両義神格。
Affinités
武運長久·勝負事·国家奉仕を願う者、安産·子育てを願う妊婦·若い家族、武道·スポーツに励む者と高相性。
Capacités
武運長久 (戦勝·勝負事の加護)国家鎮護 (皇統護持の神威)安産·子育て (母子三神の福徳)皇統正統化の託宣 (道鏡事件で実証)東大寺造営 (神仏習合の極致)
Faiblesses
「八幡神に偽りなし」と古来から伝わる ── 偽誓·虚言を立てた者は八幡神に祟られるとされる。 武運を私利私欲のために祈ると逆効果。
Habitat
宇佐神宮 (大分)·石清水八幡宮 (京都)·鶴岡八幡宮 (鎌倉)·東大寺手向山八幡宮 (奈良) を始め全国 4 万 4 千社余の八幡神社·八幡宮。

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Sources et références

7
  1. 八幡三神 (応神天皇·神功皇后·比売神) の構造記紀·神社祭祀史(伝統文献·神社史·武家史, 奈良期~現代) [宗教·神社·武家史]八幡神の本相は三神一体。 応神天皇 (誉田別命·第 15 代天皇)·母神功皇后 (三韓征伐伝承の女帝)·比売神 (宗像三女神あるいは応神の姫君)。 母子三尊型の特異な祭祀構造。
  2. 宇佐神宮·八幡神総本宮縁起宇佐神宮社伝·『八幡宇佐宮御託宣集』(伝統文献·神社史·武家史, 571·725~) [宗教·神社·武家史]571 年に大神比義が宇佐で「我は誉田天皇広幡八幡麻呂なり」 と神託、 725 年 (神亀 2 年) 聖武天皇勅命で正式社殿建立。 渡来系·海人系祭祀の本宮。
  3. 八幡大菩薩·神仏習合の最早期『続日本紀』·東大寺·朝廷(伝統文献·神社史·武家史, 749·781) [宗教·神社·武家史]749 年東大寺大仏造立への八幡神協力託宣、 781 年朝廷から「護国霊験威力神通大自在王菩薩」 (八幡大菩薩) の神号下賜。 日本神仏習合の理論的起源。
  4. 石清水八幡宮·勧請縁起行教 (大安寺僧)·清和天皇勅命(伝統文献·神社史·武家史, 859·860) [宗教·神社·武家史]859 年 (貞観元年) 清和天皇勅命で行教が宇佐参籠、 860 年 (貞観 2 年) 山城国男山に勧請。 平安京南西鎮守、 伊勢神宮と並ぶ二所宗廟。
  5. 鶴岡八幡宮·源氏鎌倉勧請源頼義·源頼朝(伝統文献·神社史·武家史, 1063·1180) [宗教·神社·武家史]1063 年源頼義が前九年の役戦勝感謝で鎌倉由比郷に石清水を勧請、 1180 年源頼朝が現在地 (雪ノ下) に遷宮。 鎌倉幕府宗廟·武家信仰の象徴。
  6. 清和源氏·八幡氏神化日本武家史研究(伝統文献·神社史·武家史, 平安中期~) [宗教·神社·武家史]清和天皇の血統を引く源氏一族 (頼信·頼義·義家ら) が八幡神を一族の守護神とした。 武田·北条·足利·徳川ら歴代武家政権の氏神信仰の起源。
  7. 全国八幡神社統計近代~現代神社調査(伝統文献·神社史·武家史, 現代) [宗教·神社·武家史]全国の八幡神社は約 4 万 4 千社、 神社単独系統として日本最大 (稲荷系の約 3 万 2 千社を上回る)。 武家·庶民·国家三層の信仰が中世~江戸期に拡大。

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