妖怪図鑑
日本の妖怪大百科
一般 猫娘
ねこむすめ
近世実見・見世物における猫娘
人妖・半人半妖江戸・上方・阿州(現・徳島県)猫娘は近世都市の見世物や実録風記事に現れる人の奇行を指す名称で、猫のような嗜好(魚腸を好む、鼠を追う)、身ごなし(塀や屋根を伝う)、所作(舌のざらつきに喩える)などが語られる。宝暦・明和期には浅草などで見世物として掲げられた例があるが、評判は長続きせず、安永・天明期の流行の只中でも特段大きな演目にはならなかったと伝わる。読本や狂歌本では「猫娘」「舐め女」などの語で奇人譚として描かれ、妖怪の化生とは扱われない。江戸後期の雑記には、牛込辺で鼠を捕って喜ばれた少女の挿話が見え、地域社会における鼠害対処や物見高い風潮、奇異への視線を映す資料として位置づけられる。
伝説 玄武
げんぶ
受容四神・玄武(日本伝存図像)
動物変化大陸渡来伝承(日本への受容地は主に都城・寺社)日本における玄武像は、中国の星宿信仰を背景に、陰陽道・天文道・風水系の知識と接合して受容された。図像では亀甲に身を縮めた亀に蛇が絡み合う形が典型で、相反する気の統合や堅固な守護を象徴する。宮廷・寺社・武家の保護を受け、屏風・扁額・天井画・曼荼羅系の図に配されることが多い。実践面では、都城や城郭の背後に安定した地形(山丘)を「玄武」に擬し、前面の水域を「朱雀」に見立てる地相観が語られた。信仰主体は特定の神社というより、方位除け・鎮護の観念と結び付き、祈祷や祭礼の補助象徴として機能した。日本語史料では中国名の転写を用い、神格名の変遷(真武・玄天など)は原土の事情として紹介されるに留まる。民俗的には、玄武は具体的に祟る存在ではなく、静的な守護の象徴として扱われ、怪異譚よりも図像・地相・方除けの文脈で理解される。
一般 玉藻前
たまものまえ
白面金毛の九尾
動物変化那須野(下野国)宮廷に現れ人心を惑わす女性相に化けるが、正体は白く輝く毛並みと九つの尾をもつ古狐。知略と妖力で病や禍を招く存在として恐れられ、退治後は霊石譚へ接続するのが代表的な伝承型。物語では教訓的に権勢と欺瞞の象徴として描かれることが多い。
一般 琴古主
ことふるぬし
鳥山石燕図の琴古主
付喪神・骸怪不詳石燕が『百器徒然袋』で示した標準像。筑紫箏が長年打ち捨てられ、音色を理解されぬ嘆きから霊性を帯び、夜陰に姿を現す。胴体は古箏そのもので、割れや欠けが口となり、節目が目に見立てられる。絃は切れ乱れて髪状に垂れ、わずかに掻き鳴らすだけで湿りを帯びた音を立てるという。図像上は同見開きに琵琶の付喪神「琵琶牧々」が配され、楽器妖怪の連関が意識される。伝承上の固有の名所や人物との直接的な結び付きは確認されず、器物霊観に基づく寓意的存在として理解されるのが妥当である。
一般 琵琶牧々
びわぼくぼく
伝統図像準拠
付喪神・骸怪不詳石燕の図像と室町絵巻の系譜に基づく標準的解釈。長年弾かれた琵琶が成霊し、座頭の装束で夜行に加わるとされる。音色は人心をひきつけ、古器への畏れと敬意を促す寓意を帯びる。特定の人物史や土地伝承に依拠せず、器物礼讃と戒めが主題。名器「玄上」「牧馬」に付随する奇談は付喪神観の背景を補強するにとどまり、琵琶牧々そのものの行状は絵画的表象として伝わる。図像では目を閉じ、杖を頼りに進み、同見開きに琴の付喪神が配される例がある。
一般 甘酒婆
あまざけばば
伝承準拠
人妖・半人半妖東北地方・関東地方甘酒婆は流行性疾患の到来を象徴する来訪者として語られた。真夜中に戸を叩き、甘酒の有無を問う所作自体が禁忌の試しであり、応答は災いの媒介と理解された。人々は門口にスギ葉、ナンテン、トウガラシなどの防疫的象徴物を掲げ、声掛けへの応答を避けた。江戸各地では咳を鎮める老婆像への参詣が行われ、祈願と民間信仰が結び付いた。伝承は疱瘡流行の記憶と重なり、疱瘡神の変相とみる見解がある一方、寒夜の行商女の像を取り込み地域差を生んだ。妖怪像は「返答すれば患う」という禁忌構造、そして戸口での結界儀礼を伴って伝えられ、病の気配を知らせる予兆譚として位置づけられる。
一般 生霊
いきりょう
生霊(伝統版)
霊・亡霊日本各地生霊の像は、怨恨による祟りと、臨終前の別れや礼参りといった穏やかな出現の二面を併せ持つ。平安の物怪観では、思いの強さが身を離れて「影」となり、寝所や輿車、門前に現れると考えられた。中世・近世には、夢中に見た景や、火の玉・抜け首としての目撃譚が離魂の証左とされた。医療観では離魂病・影の病として分類され、自分の分身を見たという証言も残る。呪詛作法の丑の刻参りは、生者が意図して念を遣う行いとしてしばし結び付けて語られるが、必ずしも同一ではない。地域伝承では名称や姿の解釈が異なり、足音を立てる人影として記す土地もある。これらは総じて「思いの凝り」が形を取る現象として把握され、死霊と対置される生者の霊的作用として語り継がれてきた。
一般 異獣
いじゅう
異獣(北越雪譜伝)
動物変化越後国魚沼郡(現・新潟県魚沼地方、十日町市池谷周辺)本バージョンは天保期刊『北越雪譜』に記された像に拠る。姿は猿類に近いが人より大きく、長髪が頭頂から背へ流れ、山中の根笹を分けて現れる。人家を襲う意図は見えず、もっぱら飯を乞い、施しに報い荷を担ぐなどの行為を示す。織の産地である越後縮の生産民俗と関わり深く、機織り娘の逸話では、家内の作業規範や穢れ観念の只中に介在し、結果として期日に間に合わせる転機をもたらす。これは山の霊的存在が人の営為を眺め、取引や生産の循環に調和を作ると受けとめられた類型で、山神・山の客人への供食の慣習とも通じる。以後もしばしば目撃されたとされるが、時とともに山に帰し、名のみ伝わる。不詳の獣でありながら、害をなさず恩を返す点で、怪異と福の境に立つ存在として地域の口伝に残る。
一般 疫病神
やくびょうがみ
伝統像(行疫神)
神霊・神格日本各地(京畿・畿内の記録が多い)宮廷儀礼と民間信仰の双方で意識された疫病神の古層的像。普段は不可視で、季節の変わり目や花の散る頃に勢いを得るとされ、里の境・辻・河岸を通って入り、家々の不浄や怠りを契機として病いを広める。絵画史料では鬼形・異形が群れて行く姿が描写され、説話では旅の老人や老婆として戸口に立ち、施しや応対の作法の乱れを嫌うと語られる。対策は境の祭、祓、供饗、護符掲示、人形送りなどの共同作法にあり、特定の期日に粥や供物を設けて遠ざける風が行われた。個別の姿形や名を固定せず、土地の作法と年中行事に即して現れるため、地域差が大きいが、いずれも「境を整え、穢れを祓う」実践と結びついて語り継がれる。
一般 白沢
はくたく
図像伝承準拠
神霊・神格中国伝来(日本各地に辟邪図として流布)白沢の像は時代・典籍で相違がみられる。『三才図会』や『和漢三才図会』では白い獅子状の瑞獣として描かれ、治世の清明を象徴する。江戸の絵師・鳥山石燕は額上に眼を加えるなど多眼表現を用い、災異を見通す象徴性を強めたが、古図では通常の二眼の例もある。白沢図は辟邪絵として門戸や携行品に刷られ、旅の道中・疫病流行時に守護を願って掲げられた。皇帝行列の旗や社寺の板戸絵など権威・聖域の護符的意匠にも取り入れられ、日本では日光の社寺絵にも見ることができる。伝承は倫理と防災知の擬人化とも評され、妖異を分類し対処を授ける存在として崇められた。
一般 白溶裔
しろうねり
石燕図譜準拠
付喪神・骸怪不詳鳥山石燕の図像を基準とし、古びた布巾が長く垂れて風に容裔(なび)く姿を妖と見立てた像。直接人を害する記述は原図に乏しく、古物への執着や無常観を象徴する存在として理解される。後世の怪談で語られる攻撃的性質は区別すべきで、本バージョンでは「動く古布」の怪異性と、夜灯の下で壁間を滑るように漂う視覚的印象を中心に記述する。
一般 白粉婆
おしろいばばあ
雪夜の白粉婆
人妖・半人半妖北国の雪深い地域(伝承分布は不詳)雪の降る夜に現れ、白粉で白く見える顔と破れ笠、徳利を携えた姿で戸口に立つ。酒や甘酒を所望し、わずかでも与えられれば礼を述べて去るが、無下にされると戸叩きや呼び声で家人を悩ませる。冬季の来訪神的観念と怪異譚が交差した像を保ち、分配と応対の作法を象徴する存在として語り継がれる。
伝説 白虎
びゃっこ
白虎(伝統図像版)
動物変化不詳(日本では奈良・飛鳥の古代壁画や寺院装飾に見られる)本バージョンは日本に受容された四神図像の白虎像に拠る。猛々しい虎を白色で表し、尾や鬣に風を孕む曲線を配す。西方・秋・金を象徴し、城郭や社寺、墓葬の方位を守護する標として据えられる。日本では星宿体系や陰陽道の枠組みを通じて理解され、武威や威光よりも境界の鎮静・禍除けの意味が強調される。単独で祀るより四神の一員として描かれ、青龍・朱雀・玄武と対置される。具体的な固有神話は乏しいが、図像は古代から連綿と継承され、絵画・彫刻・紋様に展開した。四神相応の思想では、西に白虎を充てる地取りが理想とされ、地形解釈や都城計画に応用された。
一般 百々目鬼
どどめき
石燕図像準拠
人妖・半人半妖江戸鳥山石燕の注に拠り、盗癖を戒める教訓的意匠を核とする解釈。腕に現れる多数の目は、銅銭の穴を鳥の目に見立てた語と連関し、盗みに手を伸ばす習性が外形化したものとされる。石燕が挙げた「函関外史」は実在未詳で、箱根以東以西を示す語遊びや、奇書とする自註からも、出典提示自体が作中の趣向と理解される。百々目鬼の姿は女体に集中するが、具体の氏名・家筋・土地の伝承は伝わらず、地域的固有譚よりも、図像と語義が結びついた都市的な寓話性が強い。昭和以降の解説では読みや解釈に揺れが見られるが、原像は石燕本に求められる。
一般 百目
ひゃくもく
図像由来・近代解釈
人妖・半人半妖不詳江戸末から明治期にかけて流布した多眼の鬼形図を原像とし、近代の妖怪書で性質づけられた像。強い光を嫌い、人目を避けて夜陰に潜む。人に気づくと一眼を遊離させて探りを入れるとされ、口部の不明さが不気味さを強める。伝承地は特定されず、図像の受容を通じて全国的に知られた観念的存在として扱われる。
一般 目目連
もくもくれん
石燕図会準拠版
住居・器物不詳鳥山石燕の図像と詞書を基調に、荒廃した住居の障子に群集する「目」の怪として再構成。主体的に害を加えるより、凝視して人を不安に陥れる存在として描かれる。住環境の荒れや未供養の念が媒介とされるが、特定人物史や地域固有名に依拠しない一般化された家怪の系譜に置かれる。後代の採話で見られる名称の揺れや、錯視現象との結びつきにも整合する解釈を採る。
一般 目競
めくらべ
石燕図像準拠
霊・亡霊摂津国(福原)鳥山石燕の図像と『平家物語』の怪異記述を基盤に整理した像。多数の骸が結集して一体の巨髑髏となり、無数の眼窩が生者を射るごとく対峙する。個々の亡者に固有名は付さず、合一した視線が権勢者の心胆を試す相と解される。現れは黎明や静寂の庭に多く、視覚的威圧で相手の恐怖心を増幅する。対処は動揺せず見返すこと。祈祷や退散法の詳細は史料に確証が乏しく、一種の心的幻視としても語られる。戦乱・変乱の地における集団死の記憶が形を取ったものとされ、具象化は見る者の心胆に応じ大小変ずると伝わる。
一般 硯の魂
すずりのたましい
伝統図像・文房霊
付喪神・骸怪山口県下関市(赤間ヶ関)石燕の画と添文に基づく解釈。赤間ヶ関の石硯は文房の佳品として知られ、平家終焉の地の記憶と結びつく。読書や写本に心を沈めた折、硯面が海辺のごとくひらけ、微細な武者群が合戦を演じると見えるという。これは硯を「海」に擬し、墨のたまる「海」に歴史の残響が浮かぶという文人的想像力の表現でもある。後代の妖怪解説では、この硯を用いると筆致が冴える、あるいは波音や語りが聞こえるとの言い伝えが併記されることがあるが、核となるのは石燕の記述と、徐玄之説話に見られる文房具上の小人兵の幻視である。付喪神としては、長年用いられた硯が霊性を帯び、持ち主の読書体験と土地の記憶を媒介して、歴史情景を顕わす存在と位置づけられる。
一般 磯女
いそおんな
苫避けの濡女子
水の怪九州沿岸(長崎・熊本・福岡など)九州北西の海沿いに語られる磯女のうち、苫や茅の扱いを殊のほか嫌う変種を「苫避けの濡女子」という。浜に凪が訪れる夜、砂の上に足跡を残さぬまま現れ、上半身は潮に濡れた黒髪の若い女、肌は月を含んだ貝殻色で、目だけが遠い沖の白波を映している。腰から下は波霧のように定まらず、踏みしだけば砂が見えるばかりで形がない。背に寄れば、崩れた岩陰と見紛うごつりとした影を背負い、近づく者の視線が揺れればただの磯岩と化して見える。 彼女は凪の静けさに誘われて沖を凝視し、名を呼ばれたり、背へ不用意に声を投げられると、甲高い叫びで応じる。叫びは潮鳴りと重なって耳を裂き、解き放たれた長髪は濡れ藻のごとく伸び、声の主へからみつく。髪は潮気を帯び、毛筋一本ずつが釣糸の返しのように肌へ食い込み、毛を伝って温い血を吸い上げるという。だが、古い苫の茅を三本、胸元に十字ではなく「川」の字に置いて眠れば、髪は茅を避けて撥ね、濡女子は苫の縁を踏むこともできず、舟縁で悔しげに潮を滴らせるのみと語られる。 船に対しては、艫綱を頼りに上がるのを好む。見知らぬ港で艫綱を張ったままにすると、夜半、綱を這い上がって舷側から忍び込み、眠る者の顔へ髪をふわりと被せて息を奪う。ゆえに古い漁師は、寄港の折に艫綱を取らず錨だけを落とし、舳で風を読みつつ見張りを置く作法を守った。濡女子は人の手で編まれた綱の「結び目」と「名付け」に弱く、綱に主の名を三度囁きながら固く締めると、彼女はその名を解けず綱を伝れないという。 この変種は水死者の怨に引かれはするが、むやみに誰彼を害すのではない。粗末に捨てられた苫や茅、潮に漂う切り綱を見ると、それを編んだ手の怠りを嗅ぎ分け、持ち主の舟に寄る。反対に、網や苫を干すとき、端を海に垂らさず、潮の道をまたがぬ者には、見えぬまま近寄り、舫いの鳴きで凪の崩れを告げることがあると老い船頭は語る。福岡沿岸の一部では、彼女が水面を歩くのは、足を持たぬためではなく、苫を避けて波の薄皮だけを踏む術ゆえとされる。北九州には蟹の化身説もあるが、この濡女子は蟹を嫌わず、むしろ磯蟹が走るときは自らの髪をすぼめて岩に戻るともいう。 名は磯女子・濡女子・海姫と土地ごとに変わるが、茅と綱の作法に結びつく点が共通する。彼女に遭わぬためには、夜の浜で女の背に声を掛けぬこと、見知らぬ港では艫綱を取らぬこと、寝所には苫の茅を三本「川」の形に置くこと。これらを守れば、濡女子は沖の白い目をこちらに向けるだけで、岩影に紛れ、潮霧の中へほどけて消える。彼女の気配だけが、翌朝の砂に残らぬ足跡として語り継がれる。
一般 磯女
いそおんな
艫綱渡りの磯女
水の怪九州沿岸(長崎・熊本・福岡など)天草から島原半島にかけて恐れられる変種で、艫綱を伝って舟に忍び込むことからこの名がある。姿は潮の匂いをまとった若い女の上半身に、下は朧ろで波影のように定まらない。濡れた長い黒髪は常に胸元から床面へと流れ、細い糸のように枝分かれして人肌に吸い付く。夜半、港に静かな凪が訪れると、岸陰や艫先に立って沖を凝視し、声をかけた者の名を真似るか、甲高い叫びを返す。叫びを合図に、艫綱へ白い手をのばして音もなく船へ渡り、眠る者の顔に髪を被せ、髪一本一本で血を撚り上げるという。翌朝、死者の枕元には潮のしみと細い髪の環だけが残る。彼女は溺れ死んだ者の未練、あるいは港で待ちわびて果たせなかった恋慕が形を得たものと語られ、名は磯女のほか濡女子とも呼ばれる。艫綱を避ける習いは、この変種の性向が綱を道とみなして移動することに由来する。綱に触れていればどこへでも攀じるが、むやみに海を泳ぎ回ることはせず、静かな水面を好む。まれに月の薄い夜、岸から水面を歩く姿を見た者もあるが、それは港口の潮が眠っているときだけだという。彼女は灯りと祈りに弱く、漁師は見知らぬ港では艫綱を取らず、錨のみ下ろし、舷端の灯を絶やさぬ。島原ではさらに、家の苫から抜いた茅を三本、着物に乗せて眠れば髪が絡まず守られると伝える。髪に触れた者は冷えと倦怠に襲われ、数日のあいだ海鳴りが耳から離れない。彼女は嘲りや無礼に対し容赦なく、名を呼び捨てた者、口笛でからかった者を優先して狙う。反面、海難供養に手を合わせる者の船には近づかないとも言われる。背後に回れば岩影に見えるという語りも残り、月下では背が濡れた磯石の輪郭に変じて波をやりすごす。艫綱渡りの磯女は、港という境目に生まれた怨念であり、掟を守る者には近づき難く、慢心には容赦なく髪を落とす。
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