妖怪図鑑
日本の妖怪大百科
一般 正吉河童
しょうきちかっぱ
豊後伝承・正吉河童
水の怪豊後国(日田郡竹田村、現・大分県日田市周辺)豊後国における河童像の一系譜で、相撲への執心、集団での悪戯、憑依的な後日譚が一連のモチーフとして現れる。河童は水辺で子供を誘い、勝負を仕掛けるが、人の側が力や威信を示すと退散する。また、祟りは長引くことがあり、刀剣の威や修験者の祈祷など、地域の信仰実践によって鎮められると理解された。『川太郎伝』などの文献に見える河童一般の性質—相撲好み・水難の原因・恐れを抱く対象(鋭利な刃、法力)—と合致し、日田地方の地誌にも河童譚の集積が記される。後世、水木しげるらの整理で「正吉河童」の呼称が知られるが、核となる筋は在地の口碑と古記録に基づく。伝承は具体的な地名・時期を詳らかにしない部分も多く、要素は類話として広域に共有される。
一般 殺生石
せっしょうせき
那須の殺生石(伝統譚)
住居・器物下野国(現・栃木県那須郡那須町)那須の温泉地に据わる怪石として語られ、噴気地帯の有毒な瘴気が「毒気」として理解されてきた。九尾狐の物語では、都を騒がせた妖狐が東国に走り、討伐ののち石と化して害をなしたとされる。石は僧の法力により打ち砕かれたが、その破片が諸国に散ったとする筋は、名所伝承と在地の怪異譚を結びつける機能を持つ。俳諧や紀行文にも見え、景観・宗教禁忌・獣害の記憶が重層的に残った。現地では温泉神社の祭祀が山の火と石の霊威を鎮める語りと響き合い、参詣道沿いの硫気や荒涼たる地形が物の怪の気配として体験されてきた。怪異要素は石自体が意思を持つというより、近づけば命を落とす「境域」としての性格が強く、結界を破る行為が災いを招くという民俗的理解に根ざす。打ち砕かれた後日譚として各地の小石や祟り物への転化が語られ、犬神・オサキなど在地の憑き物譚と接続する異伝も知られるが、細部は地域ごとに異なり一定しない。
一般 毛羽毛現
けうけげん
毛羽毛現(伝統版)
総称・汎称不詳石燕の画図を一次とする素性不詳の毛の怪。名義は「稀に見る」意で、その稀少性こそが特色とされる。後世の解説にある湿気や病との結び付きは注釈的な解釈で、確たる口承の裏付けは示されていない。ここでは原典主義に立ち、外観と稀出性のみを確実な要素として記す。
一般 水虎
すいこ
伝統記載準拠版
水の怪中国・湖北省の伝承に由来/日本では江戸期の書誌を通じて流入水虎は本草・地誌に拠る記載が中心で、口承民話よりも書誌的伝承の色合いが濃い。外形は幼児大で、堅鱗を備え、秋に砂上で甲を曝すという要点が繰り返し記録される。虎に似た要素は頭部や膝・爪に及ぶとされるが、常に水中に隠れて見えにくいという注もある。日本では近世の学者が中国記事を引用しつつ、河童とは「相似し同じからず」と区別した。図像は『和漢三才図会』の説明と合致する膝頭の表現が影響力を持ち、石燕もこれを踏まえた。捕獲や効能に関する記事は諸本で解釈が分かれ、使役や薬効の語は見えるが、具体の実践や成果は確証に乏しく、慎重な読解が求められる。現地伝承の細部や習性の詳細は資料により差があるため、断定は避けられてきた。
一般 水虎様
すいこさま
津軽・水虎大明神(伝承準拠)
神霊・神格青森県津軽地方(岩木山周辺)明治初期、西津軽の寺院と在地の祈祷が結びつき、水難多発の川を鎮めるために河童の性を神格化して祀ったとされる系統。水虎様は龍宮の眷属として理解され、河童(メドチ)の統率者、あるいは河童そのものと観念が往還する。祠には河童像・弁才天像が安置され、旧暦初夏には初なりの胡瓜を供え水へ流す。四十八匹の配下を持つという口承は、地域の戒めと結びつき、子どもの水辺遊びの節度を教える機能を果たしてきた。中国由来の「水虎」とは名のみ同字だが、当地の水神信仰として独自に展開したものと整理される。具体の神事・唱文は地区差が大きく、詳細は不詳とされる部分が多い。
一般 水蝹
けんむん
奄美伝承・水陸往還のケンムン
水の怪奄美群島奄美各島で語られる典型像をまとめた像。子供ほどの背丈で赤味の肌、猿に似た体毛をもち、黒または赤の髪。頭の皿に力水を湛え、涎や指先、皿が光を発するとされる。季節により海と山を往還し、夜に岩間で漁をする。ガジュマルを住処とし、伐採には祟りがあると畏れられる。古くは人を助ける話も多いが、後には悪戯や脅かしの譚が増える。
一般 池袋の女
いけぶくろのおんな
江戸俗信・池袋の女
総称・汎称武蔵国豊島郡池袋(現・東京都豊島区周辺)池袋出身の女を雇った家で、投石音、雨戸破損、食器や行灯の飛翔、座敷への火の飛来などの騒がしい怪異が連続するという江戸後期の俗信的伝承。発端として主人と下女の密通が置かれる例が多く、下女を暇にすると収束する定型を持つ。解釈は複数あり、氏神の氏子拘束観、秩父方面のオサキ憑き系譚との連関、あるいは人為(自作自演・嫌がらせ)と見る見方が併存する。妖怪個体像というより、特定出自の女性雇用に付随する怪事の総称として記録され、池尻・沼袋・目黒など同類地名にも派生例がある。
一般 沓頬
くつつら
図像考証版
付喪神・骸怪不詳鳥山石燕の挿話と図像に基づき、器物(沓)を象徴的に載せた獣人風の姿として整理する版。『百器徒然袋』では対向ページの長冠とともに、ことわざ「瓜田に履を入れず、李下に冠を正さず」を寓意化した構成となり、行為の嫌疑を避ける戒めを妖怪図として示す。実在の出没譚や害の具体は伝わらず、瓜畑で瓜を食う怪の系譜に連ねられる程度で、退散手段も霊符の故事に限って語られる。日本固有の名所・地名との結びつきは資料上不詳で、造形面では室町の妖怪絵巻に見られる浅沓を載せた獣形のモチーフが参照源と考えられる。
一般 河童
かっぱ
河童(伝承像)
水の怪河川緑色の肌に甲羅を背負い、頭に水の入った皿がある愛らしい姿。川遊びと相撲が得意で、きゅうりが大好物。子供のような純真さを持ちながら、水の神としての力も秘めている。人間との約束は絶対に破らない義理堅さも持つ。
一般 油坊
あぶらぼう
油坊(伝統型)
人妖・半人半妖近江国・山城国ほか油坊の核は、寺社の灯火に供する油を私した咎が霊火となって顕れる点にある。近世の記録や地元伝承では、出現域は比叡山の山麓や近江各地の寺社周辺で、時刻は夕刻から夜半、季節は晩春から初夏に多いと語られる。形態は橙から黄の小火球、あるいは油壺を抱いた僧影として現れ、一定の径路を辿って門前・堂宇・池堤を越え、ふと消える。音声は不詳だが、地方伝承には不明瞭な声を伴うとする記述がある。呼称は地域により「油坊」「油盗人」「油返し」などと分化し、いずれも油に対する禁忌と供養の必要を示す民俗的教訓性を帯びる。由来人物や具体の寺名は史料ごとに異同があるため特定は避けられるが、油料の管理が厳格だった寺社社会の背景が怪異譚の成立を支えたと解される。鎮め方は読経や埋納、灯明の供え直しなどが語られるが、定式は不詳である。
一般 油赤子
あぶらあかご
石燕図譜準拠
住居・器物近江国(現・滋賀県)大津周辺本バージョンは、石燕の図像とその脚注が引用する江戸期随筆を基礎に、怪火譚の人格化としての赤子像を最小限に解釈する。核は「油盗みの火」であり、赤子姿は石燕の造形的示意と見るのが妥当である。行灯油は当時の生活必需で、寺社の供油は殊に尊ばれた。油を盗む振る舞いは宗教的・倫理的禁忌に触れ、死後に迷う火として語られた。後代の解説書には、火の玉が家に入り赤子となって油を嘗めるとする再話が見られるが、地域固有の口承の実例は限られ、広域に通有する定型は確認しにくい。従って本バージョンでは、怪火の発生(辻や社寺境内)、赤子像の顕現(行灯前で油を嘗める仕草)、再び火となって去る、という三段の型を提示しつつも、典拠未詳の細部は避け、象徴性(供物の油を穢すことへの戒め)を前面に置く。
一般 波小僧
なみこぞう
伝承準拠・遠州灘の波告げ
水の怪遠江国(静岡県西部)遠江国の海辺や河口域に結びつく伝承像で、由来は行基が流した藁人形とされる系統、あるいは干天に悩む農民へ波音で合図を送る系統が主である。姿は小童または小さき人形として語られ、明確な容貌は固定されない。波小僧の役割は天候告知にあり、方角と響きの強さで雨風の接近を知らせるため、漁師は出舟の可否を、農民は作業の段取りを早めに判断できたという。水と人形の観念、河童譚との接合、海坊主名での語りなど、周辺の民話類型との重なりが見られるが、いずれも海鳴を民俗知として解釈する枠内に収まる。信仰対象というよりは畏敬すべき自然の徴の擬人化であり、供饌や祀りの具体は地域により異同がある。記録は郷土資料や口承に依拠し、細部は不詳とされる部分が残る。
一般 波山
ばさん
伝承準拠・伊予型
動物変化伊予(現在の愛媛県)本バージョンは伊予に記された像を基準とし、山中の竹薮に潜む怪鳥として描く。外見は鶏に似て赤い鶏冠が際立ち、闇中で冠と吐く火のみが目立つ。吐火は怪火で熱を持たず、物に燃え移らないとされ、夜道や村境でふいに明滅し、羽音だけを強く残す性質が語られる。行動は夜行性で、人が戸を開ける気配や灯り(松明など)の動きに敏感に反応し、すぐ藪へ退く。人への加害伝承は乏しく、驚かしの類にとどまる点が特徴で、村落では山の気配を示す瑞兆とも不祥とも定まらぬ存在として受け止められた。近世の書誌には、火を食む鳥に擬する見解や、羽音に由来する呼称が併記され、博物的知見と怪異譚が混在して記録されたことも本像の一端をなす。民俗的には山と里の境を示す「境の怪」として位置づけられ、怪火譚・鳥怪譚の双方の類型に接する穏やかな怪異として語り継がれた。
稀少 流星憑き
りゅうせいつき
現代版
人妖・半人半妖高層大気と衛星軌道のはざま都市の夜、イベントや大ニュースの直後に増える。発光は単なる装飾ではなく、境界層で生む熱を「喝采」に変換する呪技で、尾はトレンドの伸びと同期して伸縮する。人々がスマホを一斉に掲げるほど速度が増し、街の外灯を一瞬だけ暗くする「喝采喰い」を行う。フェス上空を周回して撮影者の願いを一つだけ拾うが、願いは「見られたい」「バズりたい」といった上向きの欲ほど通りやすい。逆に、静かな祈りや内省は撥ねられ、翌日の空虚感だけを残す。災厄を呼ぶわけではないが、過度に追う者は睡眠の淵で閃光残像に心を引かれ、現実の手触りを失うとされる。
一般 海人
かいじん
文献伝承版 海人
水の怪各地沿岸(主に長崎を中心とする西国の伝聞)海人の像は、近世日本に流入した西洋記事と国内博物誌の記載が交差して形成された。記録では、外形はほぼ人だが、指間の水かきと全身の垂れ皮が特徴とされ、腰で袴状に見える点が繰り返し言及される。言語能力は不詳で、人語を解さず応答もしないとされる一方、長期に陸上で生存したとする異伝も残る。食性は不明だが、人の与える食を拒む例が多い。捕獲後は水辺から離すと衰弱し、数日にして絶えるという報告がある。正体については、アシカやアザラシなど海獣の見誤り、あるいは海藻の付着を衣服のように見た解釈が挙がるが、確証はない。伝承は主として長崎を経由した舶載情報と、在地の見聞が混在し、固有名や年代の細部は資料により差があるため、一般化は避けられている。海辺での異形遭遇譚の一典型として把握される。
一般 海坊主
うみぼうず
海坊主(漁師伝承)
水の怪漁村・航海伝承海坊主は、航海中の人々が海の恐怖と不安を具現化した妖怪とされる。 その姿は一定せず、ただ黒い影のように現れることもあれば、巨大な僧形で海面から立ち上がることもある。 船に近づき「油を貸せ」と囁く話が有名で、油を渡すと炎を起こし船を沈めるとも言われる。 一方で、近年の伝承では「沈んだ船や網を集め、海底に積み上げている収集癖がある」「時折光る瓶やランタンを手にして現れる」などのバリエーションも語られている。 人を驚かせる存在でありながら、海の神秘を象徴する存在として畏敬の対象にもなっている。
珍しい 海坊主
うみぼうず
九州・四国の海坊主
水の怪漁村・航海伝承九州・四国沿岸に伝わる海坊主。船に現れて柄杓を求めるが、艫(船尾)からは決して登らず、舳(船首)から現れるという。櫓にしがみついた時には、漕ぎ続けると刃のように櫓が食い込み「アイタタ」と悲鳴をあげるとも伝えられる。宇和島では人に害を与える話が多い一方で、海坊主を見た者は長寿になるとも言われる。
珍しい 海坊主
うみぼうず
中国地方の海坊主
水の怪漁村・航海伝承中国地方の各地に伝わる海坊主。長門では篝火を消そうと現れ、岡山の備讃灘では「ぬらりひょん」と呼ばれる玉状の姿で人を翻弄する。山陰では浜辺を歩く者にまとわりつき、海に引きずり込もうとする。鳥取県の『因幡怪談集』には、一つ眼で棒杭のような姿をした海坊主が登場し、人をヌルヌルした体で苦しめると伝えられている。
一般 海座頭
うみざとう
伝承図像準拠
水の怪不詳海座頭は、現存の江戸期絵巻・妖怪画に図像のみ残る存在で、性質・行動は伝えられていない。波間に直立する座頭の姿が主題で、琵琶と杖という座頭の持ち物が強調される。視覚的特徴から、海上で遭遇する不可思議さや、不安定な水面に立つ不条理を表象した図と解されることが多い。村上健司は「絵画のみ存在する妖怪」と位置づけ、海坊主系統のイメージと通底する可能性に言及する。したがって本項の記述は図像的情報に限られ、具体的な害益・儀礼・退散法などは伝承未詳である。
一般 海難法師
かいなんほうし
伝承準拠・伊豆七島型
水の怪伊豆七島(伊豆大島・三宅島・神津島ほか)海難法師は、伊豆七島における一月二十四日の物忌みと結びついた水難死者の怨霊像である。起源として、島役人への怨恨や暴風雨下で命を落とした若者たちの集団死が語られ、恨みを残した霊が盥に乗り沖から来訪し、見た者に災いが及ぶと恐れられた。家々は門口に籠をかぶせ、雨戸に柊・トベラを挿し、外便を避けるなどの禁忌を徹底した。翌日に挿したトベラを焚き、音と膨れで作柄を占う例もある。地域差も大きく、伊豆大島泉津では「日忌様」と称して祠の祭祀が続き、特定の家が海辺で一夜待受ける役を担うとされる。神津島では闇夜に神職が迎える厳粛な作法が伝わり、怨霊でありつつ来訪神的相を帯びる。三宅島では戸口に皿や土器を供え、幼子を早寝させる。いずれも海と共同体の境を守るための物忌みの制度化が背景にあり、軽侮や破りに対しては怪異・不調が生じると戒められる。南部では同類伝承が乏しい点も指摘され、分布には偏りがみられる。
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