妖怪図鑑
日本の妖怪大百科
稀少 涼み鬼
すずみおに
現代版
住居・器物昭和後期・家庭普及から都市部涼み鬼は、人々が夏の暑さを避けるためにエアコンを酷使することで生まれた妖怪。 普段は可愛らしい顔をしており、冷気を「ハァ〜」と吐き出して部屋を涼しくする。 しかし調子に乗ると、部屋を極寒にし、住人をくしゃみに追いやることもある。 冬にはコタツ妖怪と喧嘩する姿が見られるという。 一説には、寝るときにリモコンを切り忘れると、涼み鬼が夢に出てきて「もっと涼んでいけ」と囁くと言われる。
一般 滅法貝
めつほうかい
絵巻描写準拠
水の怪不詳滅法貝は文献上、川や沼などの水域に出没する得体の知れぬ貝の怪として図像のみが伝わる。殻の縁から眼が覗き、尾状の付属が揺れて移動するように描かれるが、行状・害意・吉凶は記されない。江戸後期の絵巻では詞書が省かれ、読者に名称と姿から由来を推量させる構成で、他の水妖群と並置される点が特徴である。名称の「めつほう」は常軌を逸するさまを連想させるが、典拠は明確でなく、表記の揺れや地名的背景も確認されていない。したがって、本項は図像学的特徴と所在史料に基づく最小限の整理に留める。
一般 滝霊王
たきれいおう
石燕図像系解釈
神霊・神格不詳鳥山石燕の図像を基点に、滝場における不動明王顕現の観念を妖怪図鑑上の項目として整理した解釈系。滝霊王という呼称は画題であり、実体は明王信仰の顕現形とみる立場を採る。諸国の滝壺に現れ、鬼魅や障りを降伏する存在として描かれる点が核で、修行者や参詣者が霊験譚として語る場で言及される。妖怪的恐怖よりも威徳・降魔の性格が前面に出るため、怪異項目の中でも神霊寄りの扱いとなる。具体的な出没地名や年代的事件の記録は限られ、主に図像資料と寺院縁起により語られる。
一般 瀬戸大将
せとたいしょう
図像・見立て由来版
付喪神・骸怪不詳(江戸時代の絵画作品)石燕の画譜を淵源とし、瀬戸・唐津といった陶磁の産地や意匠の競い合いを、武者像に仮託して描いた付喪神的表現。身体は盃・徳利・燗鍋・皿などの寄せ集めで、甲冑の意匠を成し、詞書は漢籍や軍談の語彙を交えた機知に富む。実地の怪異発生ではなく、器物に霊が宿るという観念と、流行り廃り・銘品の権勢を「合戦」に見立てる江戸的教養が結晶した像である。明治の浮世絵にも踏襲が見られ、百器夜行の系譜に連なる典型として鑑賞される。
一般 火消婆
ひけしばば
石燕図像準拠
人妖・半人半妖江戸鳥山石燕が示した老女像を基点に、江戸期の火気利用と夜の闇への畏れを背負う存在として整理した解釈。火は穢れを祓う陽の性を持つと信じられ、同時に失火は大災ともなったため、灯火の管理は厳格であった。火消婆は、そうした日常の緊張へ「不可視の手」を与える擬人化である。宴席や宿の座敷で灯がふと消える出来事を、怠りや不運ではなく妖の介入として物語化し、火の勢いを抑える象徴として働く。名称は資料により「ふっ消し」「吹消」など揺れがあるが、いずれも行為(吹いて消す)を名に負う。固有の氏神や特定地の縁起は伝わらず、口碑は二次資料的紹介が中心で、民俗事象としては「灯火の怪」「座敷の怪」の一変種に位置づけられる。
一般 火車
かしゃ
猫型火車(近世説話系)
霊・亡霊日本各地17世紀末頃に確立した猫又習合型。年老いた猫が雷雨や暗雲を伴い、葬列や通夜の隙を突いて棺から亡骸を奪うとされる。鳥山石燕の図像以降、猫姿が一般化。地域により二股尾・火の玉を従える・黒雲に紛れるなど差がある。特定の悪人に限らず標的は幅広い。防除は通夜の監視、刃物や剃刀を棺上に置く、数珠や読経、葬儀の攪乱策など土俗的実践が伝わる。
一般 火間虫入道
ひまむしにゅうどう
石燕図像準拠
住居・器物江戸鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』の図と註を基点に編纂した準拠版。縁の下から伸びる入道の上半身は痩せ、口元はぬらつき、行灯の皿に舌をのばす。由来は、怠惰で働きを怠った者の霊が夜ごと現れ、灯の油を嘗めて火を弱め、筆や針仕事を妨げるという教訓的解釈が核。名称は文字絵「ヘマムシヨ入道」に通じ、落書き遊戯が語源的背景にあると理解される。生活実感では、竈や台所に現れる油好きの虫のイメージが重なり、暗所と油の匂いに誘われる存在として語られる。過度な害は与えず、火を揺らし、灯心を湿らせ、気を削ぐことを好む。見咎められると縮み退くなど、陰に潜む性が強い。
一般 灯台鬼
とうだいき
説話図像版・石燕準拠
霊・亡霊不詳(説話上は唐土)鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』などの図像解釈に基づく版。唐風の衣をまとい、頭上の台に蝋燭を据えられた人影として表される。声は薬で潰され、身体には刺青が施されると伝えられ、言葉の代わりに涙や指先の血で詩を記す。正体は妖異そのものではなく、異郷で使役された人の成れの果てとして理解される点が特色で、妖怪図譜に収められつつも、人倫と受難を主題とする説話的性格が強い。描写は資料により異同があるが、灯火を掲げ夜陰に立ち尽くす姿は一貫する。救済や最期については諸本で一定せず、詳細は明示されない。
一般 無垢行騰
むくむかばき
伝統版
住居・器物江戸江戸期の絵画資料に基づく無垢行騰像を整理した版本。行騰は狩装束の防寒・防刃のため腰から脚に巻く毛皮装具で、長年の使用や主との離別を契機に霊性を帯びると考えられた器物怪異の系譜に置かれる。石燕図では、脚部のみが独立して歩むかのように描かれ、詞書で『曽我物語』の河津三郎の行騰へと連想が及ぶ。ただしこれは絵師の文芸的示唆であり、特定個体の怨霊譚としての展開は史料上確認されない。近世の百鬼夜行・付喪神絵巻には行騰を装着した妖怪像が散見され、行騰という具の異形性が視覚的に強調される。性質はおおむね夜分に現れて人を驚かす程度と解され、害益の具体は伝わらない。土地的な固有伝承は乏しく、作例の多くは都市的な絵画文化圏に属する。器物が齢を経て霊を宿すという観念の典型として理解される。
一般 煙々羅
えんえんら
薄羅の煙精
住居・器物不詳石燕の図像に基づき、薄布のように幾重にも重なる煙が人面を結ぶ相を強調した解釈。害をなすより、家内の気の偏りや火の扱いの戒めを示す存在として語るのが民俗的整合性にかなう。一定の姿を保たず、風や温度で形を変え、視た者の心持ちに応じて面相が現れては消えるとされる。
一般 燈無蕎麦
あかりなしそば
本所七不思議型
総称・汎称江戸・本所(現・東京都墨田区)江戸本所の町場で噂された屋台怪異の類型。人を直接襲うのではなく、触れた者に遅れて災厄が及ぶ「触穢」的な恐れを伴う。行灯が消えたままの型と、油が減らず燃え続ける型の二様が並伝する点が特徴で、どちらも「常態から外れた灯火」を徴とする。屋台主不在は無人の屋敷怪談に通じ、狸の化かしと説明されることが多いが、地域伝承では正体断定を避ける叙述が一般的である。夜の水辺近く、往来が細る刻限に出没し、客を引き寄せず、ただ在ることで畏れを醸す。史料上は土地の昔話集や地元の口碑に記録が見られ、怪異の詳細は語り手により振れ幅がある。
一般 燭陰
しょくいん
書物伝来・図巻所載版
神霊・神格不詳(『山海経』の記述に由来し、日本には書物を通じて伝来)日本では『山海経』およびそれを典拠とする博物誌的関心の中で紹介された外来の神霊として理解される。図像は人面に長大な赤蛇身として描かれ、目の開閉が昼夜を分かち、呼吸が季節風や寒暑をもたらすという要点が踏襲される。燭竜との混称は近世の解説にも見られるが、原典箇所差と記述差を併記する控えめな紹介が通例で、信仰対象としての痕跡は国内では確認しがたい。ゆえに在地の祭祀・禁忌・口碑は乏しく、閲読・写生・画題化による受容が中心となる。外つ国の神格を妖怪譜に編入する例としてしばしば引用され、時間や季節の擬人化像として位置づけられる。
一般 片輪車
かたわぐるま
京都の片輪車
住居・器物山城国・近江国ほか京の東洞院に出没したと伝わる片輪車のうち、特に言の葉をもって人心を戒める性を強く帯びた変種。延宝の頃、都人が夜歩きを好み、物見高く口さがなる風習を厭い、炎の輪ひとつとなって路上を横行する。姿は牛車の片輪のみ、檜の輻は煤けて赤く灼け、輪の中心には顎骨張った男の顔が据わる。眼は灯籠の火のごとく揺らぎ、歯は櫛の歯のように白く、しばしば小児の片足を噛み含んで現れる。出でて第一声に「我を見るより我が子を見よ」と吐くが、これは脅しの句であると同時に、家内を顧みよという直言で、応じて内に走れば未然に難を避ける例も稀にある。だが好奇の心で覗き見れば、噂が噂を呼ぶ前に、その家の幼子へ奇禍が及ぶ。片輪車が咥える足は、遠方の誰彼のものではなく、覗き見の家の子と縁付けられるのがこの変種の怖ろしさで、輪の火が門戸の隙より細く差し入り、寝間にいる子の脚気のごとく血を吸い、裂け目を作るという。口上片輪車は、輪入道と混同されやすいが、嘲笑や戯れよりも戒告を旨とし、声の一句が事の起こりと収まりを決する点で異なる。かつて東洞院沿いの女房が戸の隙より見たとき、輪は家前で止まり、顔は門戸に鼻先をつけ、句を吐いて去った。女房が急ぎ座敷に走れば、子はまだ浅手で、祈祷と湯薬で癒えた。以降、家々は落日の鐘よりのち、格子を固く閉し、内へ灯を低く掛け、口の端で怪を語らぬことを約した。これにより出没はやや減じたが、祭礼や物詣での賑わいが増す折にはまた現れ、行灯の影を踏むように転がり来る。口上片輪車は名指しの噂を何よりの餌とする。人が「かたわ車」と三度囁けば、輪の火はその家の軒端に舌を伸ばし、格子の隙を探る。ゆえに古老は名を避け、「片輪の火」「輪の声」と婉曲に語ったという。とはいえ、和歌や願文で門を固めれば、詞の力を尊ぶこの変種は足を止める。文言が子を思う情に満ち、句が整えば、輪は顔を歪めつつも咥えたものを落とし、火花だけを残して去る。噂を重ねる町では強く、言葉を慎み家を顧みる町では弱まるという、都人気質を映す怪異である。
一般 片輪車
かたわぐるま
滋賀県の片輪車
住居・器物山城国・近江国ほか甲賀の山裾と湖風の通い路に出没するという片輪車の変種で、寛文の頃より村人に語り伝えられた。炎は篝火のように静かで、焦げた漆黒の輪がひとつ、夜の土塀沿いをかすめる。輪の中心には女の面が浮かび、眉目は凛として古雅、鬢は風に乱れず、口はわずかに笑むとも、嘲るにも似る。これが村の戸前を巡るとき、たちまち家々の灯は揺れ、寝静まる子の名を遠くから呼ぶ声がするという。もっとも畏れられたのは姿そのものより「見目」と「噂」で、夜半に扉の隙から覗き見る者、あるいは翌朝に面白半分で語る者に禍が及ぶ。禍は大仰ではなく、家内の子が忽然といなくなる、乳の出が止む、稲架の稲が片側だけ湿るなど、家の片端に欠けを生じさせる。これを里人は「片(かた)を奪う」と言い習わした。されどこの片輪車は無道の怪ではない。人の側が礼を尽くせば理に応ずる。ある夜、覗き見の罪を悔いて戸口に短歌を貼る女があり、片輪車は翌晩それを高らかに詠み返し、「やさしの者かな」と言って子を返したと伝える。ここに甲賀里返しの片輪車の本質がある。すなわち、夜の禁忌を破った者を諌め、言葉の力で秩序を繕う存在である。村境の道祖神や辻の祠の役目が薄れた折、代わって夜警のように現れ、出歩く者の足を引き留め、家々に戸締まりと沈黙の作法を思い起こさせる。顔が女相となるのは、子の出入りを司る産の神への古い畏れが重ねられたためとも、甲賀の里で女手が家を守る夜が多かったためとも言われる。輪そのものは古い牛車の片輪で、軸木の焦げ目に梵字めいた筋が走り、火は照らすが熱をもたらさぬ。もし人に姿を見透かされ、その名残を面白がって語られれば、片輪車は「所在がありがたし(所在が知れた)」としてその地を去る。ゆえに一度の出現で長逗留せず、噂が鎮まればまた路傍の闇に紛れる。輪入道との混同もあるが、本種は嘲笑よりも戒めに重きがあり、捕らえた子を必ず返すのを矜持とする。歌、祝詞、静かな戸口の祈りに敏く、人の言葉の端正さを好むため、近在では夜更けに声高に語らぬこと、戸の隙を作らぬこと、子の名を呼び交わさぬことが家伝として残った。こうして片輪車は、災いをもって礼を教え、礼によって災いを解く、甲賀里の陰なる守りと見なされてきた。
稀少 牛鬼
うしおに
牛鬼(伝承像)
動物変化四国・中国地方沿岸(特に愛媛県・高知県など瀬戸内海沿岸)牛鬼はその外見が地方ごとに異なるが、共通して「恐怖の象徴」として語られてきた。海から現れ、旅人や漁師を不意に襲うことから、人々に畏れられ、祀りや禁忌の対象となる。 また、牛鬼の首を切り落としてもなお暴れ続けるという伝承もあり、その執念深さと怪力は妖怪の中でも上位に位置づけられる。
一般 犬神
いぬがみ
犬神(伝統像)
動物変化四国・中国・九州一帯犬神は家筋に連なる憑き物として恐れられ、富貴をもたらす一方で祟り神として忌避も受けた。飼い方は地域により異なり、納戸や床下、水甕に祀るとされる。姿は一定せず、斑のある鼠状、白黒の鼬状、口の長い鼠、蝙蝠に似るなどの記録がある。犬神持ちの家では家族数に応じて増えるといい、他家へ走って欲物を得るとも語られた。憑依を受けた者は吠える、肩を震わせる、激食になるなどの異状を示すとされ、牛馬や道具にまで憑く例が語られる。祓いは祈祷・加持により行われ、とくに徳島の祈祷所が知られる。起源は蠱術や禁令の伝承、犬首を呪物化する法などが語られるが、詳細は地域ごとに異なる。
一般 狂骨
きょうこつ
石燕図会版
付喪神・骸怪江戸江戸期の絵師・鳥山石燕が井戸の中の白骨を「狂骨」と名指して図示した型。白装の骸骨が釣瓶に連なり、井戸底から浮上する姿が主題で、怨念の激しさを示す文言が添えられる。固有名の口承は乏しく、図像と語の連関(方言「きょうこつ」、白骨を指す語「髐骨」など)から成立したと考えられる。後世には「井戸に捨てられた骨」「溺死・転落死者の霊」という説明が付会されるが、一次史料は性質を限定しない。骸骨像としての不気味さが強調され、霊格よりも象徴性が前面に出る。
一般 猪口暮露
ちょくぼろん
伝統図像準拠
動物変化江戸石燕本の図像・詞書を手掛かりに、器物付喪神としての性格を前面に置く解釈。猪口を被る虚無僧風の小鬼が箱から現れる点は、長年使われた酒器や道具に霊性が宿り、一定の時期に姿を現すという付喪神観に即する。詞書が引く玄宗・墨の精の故事は、書画・文房具・酒器といった器物群に霊が立つという観念の補強として機能し、猪口暮露はその一類として絵画的に構成されたとみられる。虚無僧や暮露の宗教的実体を直接指すのではなく、半僧半俗の外見的徴を借りた戯画的表現で、名前は洒落と連想に拠る。伝承地の特定はできず、江戸の版本文化における図像的怪としての性格が強い。
一般 猫又
ねこまた
古猫変化の猫又
動物変化日本各地長年人家に飼われた猫が齢を重ね、尾が二股となって言語と妖火の力を得た姿。夜更けに囲炉裏の陰で踊り、人の貌に化けて家人を試すとされる。粗末な扱いには祟り、手厚い飼い主には怪異を退けて助けるとも語られる。火付けの怪として恐れられた一方、家内の穢れを吸い取る存在視もあり、二面性が伝承に残る。
一般 猫又
ねこまた
囲炉裏守りの古猫又
動物変化日本各地囲炉裏守りの古猫又は、長年ひとつ所に飼われ、煤と灰に染みた囲炉裏端で齢を重ねたネコが、ある夜ふいに尾を二股に割って顕れる版である。山の荒ぶる猫又に比せられながらも、この者は家の息や歴代の手習いを吸い込み、火の気と炊煙を身に宿すため、家内神めいた振る舞いをとる。古記の通り言葉を解し、人語は用いずとも、鍋の蓋をちろりと鳴らし、灰を描いて合図をなす。夜更け、座敷の隅に走る青白い怪火は、この古猫又が火難を試みに先んじて舐め取り、悪しき気を焼き落とす印である。尾の一本は家筋を、もう一本は火の神気を繋ぐと信じられ、二股は単なる奇形ではなく、務めを二つ持つ徴と説く里もある。 古猫又は、家人が亡骸を囲む折に必ず近くへ来る。俗にネコは死者を蘇らすという畏れがあるが、この版は荒立てず、ただ鼻先で息の乱れを嗅ぎ、未練を払うために小さな火点を灯す。ゆえに火車と混同されぬよう、家人は猫又の前で刃物を振りかざさず、香を一筋焚いて「送り火」とするのが作法とされる。長く飼われたネコを粗略に扱うと、夜半に竈が空焚きとなり、壁に湿った足跡が幾重にも現れる。対して、丁重に弔った家では、雪の朝に障子の下だけ温み、米びつに鼠の影が絶えるという。 この版は、かつて山へ消えた老猫が家を慕い戻った姿とも、初めから家を出ぬ古猫が自然と尾割れした姿とも語られる。尾を切って二股を防ぐ風も伝わるが、囲炉裏守りの地ではこれを忌み、尾を傷つけると家徳も割けると戒める。容姿は背皮が垂れて外套のごとく見え、灯の少ない部屋では人影のように映る。これが死人に化けると誤認される所以だが、古猫又は無用の化けを好まない。たまに祖母の姿を借りるのは、幼子を寝かしつけるためであり、声は出さず、灰の匂いだけを残す。 旅人には姿を見せぬが、婿取りや新築の初夜など家の節目には、床下で小さく爪を打ち、吉凶を告げる。三つ打ちは吉、二つは火の用心である。灯心が湿れば舌で整え、竈の火が強すぎれば尾であおぎ弱める。こうして日々の小さな災いを受け持つ代わり、家人には「食の端」を分け与える作法が残る。米粒三つ、塩ひとつまみ、湯気を少々。これさえ守れば、猫又は人を惑わさず、夜の怪音も家鳴りで済むとされた。
141 - 160 / 276 件の妖怪を表示中