妖怪図鑑
日本の妖怪を名前・種類・土地から探す


髪鬼
稀少 かみおに
逆立つ怨念の髪・髪鬼
付喪神・骸怪特定伝承地なしこの版本は、「逆立つ怨念の髪」という読みを、石燕図像の範囲を越えすぎないように整える。髪鬼は『画図百器徒然袋』の中で、土地の事件を説明する怪談としてではなく、髪がひとまとまりの妖怪になる絵として現れる。そのため、退治法や出現地を細かく語るより、髪が人の身体から離れた瞬間に何へ変わるのかを読むほうが、この妖怪の核に近い。 髪は、切れば捨てられるほど日常的なものだが、完全な無生物にも見えにくい。長く伸び、絡まり、濡れると重くなり、暗がりでは生き物のように見える。鏡台、櫛、寝具、納戸など、髪が残りやすい場所は生活の奥まった場所でもある。髪鬼の恐怖は、そこに残った髪束が、持ち主の感情や記憶をまだ失っていないように感じられる点にある。 この版本では、髪鬼を「髪を操る怪物」よりも「髪そのものが主体化した妖怪」として扱う。切っても伸びる、絡め取る、締めつけるといった能力は、石燕の原図に直接書かれた設定ではなく、髪が妖怪化した場合に自然に派生する後世的な解釈である。したがって本文では断定を避け、図像から広がった性質として示す。英語圏で見られるKamikkiという表記は、確認できる伝統名ではなく、Kami-oniの誤読・誤綴として扱うのが妥当である。

髪切り
珍しい かみきり
江戸夜の頭髪切り・髪切り
この版本は、江戸の夜に流行した「頭髪を切られる」都市怪談として髪切りを読む。重要なのは、髪切りの伝承では加害者の姿よりも、被害後に発見される髪束のほうが強く語られる点である。『諸国里人談』系の話では、被害者は髪を切られた瞬間に気づかない。元結や髻を保った髪が道に落ちていることで、はじめて「何かに切られた」とわかる。怪異の中心は目撃ではなく、身体から切り離された痕跡にある。 図像の髪切りは、この見えない怪異に形を与えたものと見られる。『百怪図巻』や『Bakemono no e』では、長い嘴と鋏状の手を持つ虫鳥めいた妖怪が、髪を断つ動作として描かれる。しかし歌川芳藤『髪切りの奇談』では、はさみ手の妖怪ではなく、「真黒なるもの」「猫の如く」「天鵞絨のごとく」とされる黒い接触体が現れる。ここには、絵巻の分類妖怪と、町で語られた遭遇怪談とのずれがある。 都市怪談として見ると、髪切りは夜道と厠の怪である。松坂や江戸紺屋町の往来、下谷・小日向の商家や屋敷、番町辺の屋敷、本郷三丁目の便所など、舞台はいずれも人目の薄い移動の途中や、家の内外が切り替わる場所に置かれる。被害者には奉公人・女中が目立ち、髪は乱された容貌であると同時に、奉公先・家・町の秩序を乱す証拠にもなる。だから髪切りは、髪を食う狐、屋根裏に潜む髪切り虫、祈祷札を売る山伏、人間の犯行など、さまざまな説明を引き寄せた。 網切は網を切る妖怪、髪鬼は髪そのものが怨念を得て動く妖怪である。それに対して髪切りは、人間の髪を外から切る不可視の加害者として語られる。近年の検索で見られる「kamikure」は、確認できる伝統名ではなく、kamikiriの誤綴・混同として扱うのが妥当である。読者導線としては、髪を切る怪を探しているなら髪切り、網を切る怪なら網切、髪が妖怪化する話なら髪鬼へ進むのが最も正確である。

紙舞
珍しい かみまい
紙片自ら宙を舞う・紙舞
住居・器物藤沢衛彦が複数の話を統合した創作、特定発祥地なし紙舞は独立した実体というより、家内で紙類が自発的に舞い散る怪異の呼称として後年に整理された概念である。典拠とされる藤沢衛彦は神無月の出現とするが、その挿絵は『稲生物怪録』の一場面の流用であり、原史料自体は特定の月に限定しない。昭和以降の民俗・怪談書で、証文や原稿が舞い上がる事例が「紙舞」と名づけられ紹介されるが、実見談としての信憑性や地域分布は確定していない。従って本項では、住居・器物にまつわる不可解な動作(紙の自走・浮遊)を示す総称的妖怪像として扱い、固有の姿形や明確な起源地は「不詳」とする。伝承上は人畜に害をなす描写は少なく、驚愕・嘲弄の性格を帯びる程度にとどまる。

瓶長
稀少 かめおさ
尽きぬ水の瑞兆・瓶長
付喪神・骸怪石燕『百器徒然袋』、水の尽きぬ瓶の付喪神、創作鳥山石燕『百器徒然袋』の図と詞書に基づく解釈。水瓶が正面を向き、口縁が口となり、胴の文様が目鼻に見立てられる。詞書は「わざわひは吉事のふくするところ」と転じ、災厄ののちに福が満ちる寓意を瓶に託す。図は本編末尾に置かれ、祝言的な結語を担うため、性質は凶よりも吉へ傾くと読まれる。近世風俗に親しい器物付喪神群の一員として位置づけられるが、独立した口承や怪異談は乏しい。後世には「汲めど尽きぬ」を能力的に拡張し、水量の増減や注ぎ分けの妙として再話されることがあるものの、原典は象徴性の強い画賛が中心で、行状譚は限定的である。

蚊帳吊り狸
珍しい かやつりだぬき
阿波の幻惑蚊帳・蚊帳吊り狸
動物変化徳島県阿波の狸が用いる幻惑の代表例として記録される型。屋外に不釣り合いな室内具を見せ、対象に「めくる」行為を反復させることで方向感覚と時間感覚を奪う。三十六という数は修験・数霊観と結びつけて語られる場合があるが、地域説話では具体的な理屈は示されず、実践的な対処として「慌てず腹に力を込めよ」と教える。危害は与えず、明け方に術が切れると何事もなかったように道が開けるとされる。

からかさ小僧
一般 からかさこぞう
幕末に形づくられた一本足の傘怪
住居・器物奈良県紙傘を擬人化した器物妖怪。現在は、一つ目、長い舌、一本脚を備えた姿で広く知られるが、年代の確かな幕末資料には、人面の「壱本足ノお化」、一つ目の「鷺淵の一本足」、二つ目で腕と下駄を備える傘怪など、異なる型が並ぶ。「からかさ小僧」という名と現在の姿は、こうした舞台、錦絵、双六の表現が後世に重なって定着したものと考えられる。

狩場明神
神格 かりばみょうじん
空海を高野へ導いた狩りの神・高野御子大神
神霊・神格和歌山県狩場明神は「導きの神」という性格を最も純粋に体現する高野山の鎮守神である。聖地は人が見つけるのではなく神が示す、という宗教的論理を、狩人と神犬が密教者を山へ案内する縁起として物語化したものといえる。高野御子大神という正名は丹生都比売の御子神を意味し、母子の両明神がそろって空海に神領を譲ることで、在地の神統が真言密教の聖地化を承認した形をとる。狩衣・弓矢・二匹の犬という図像は、山の生業 (狩猟) を司る古い山岳神の姿を残し、丹生氏が供犠の犬を連れた猟人集団であった史実とも響き合う。神犬は「みちびきのご神犬」として良縁と幸福へ人を導く信仰を生み、現代の丹生都比売神社の紀州犬・白丸黒丸のモチーフに受け継がれている。高野山町石道や丹生官省符神社など参詣路の各所に、この導きの神の足跡が刻まれている。


観音菩薩
神格 かんのんぼさつ
三十三化身·慈悲の救済菩薩·観音
神霊・神格大乗仏教の菩薩、浄土は南インド補陀落、渡来仏究極の変容(メタモルフォーゼ)と共感。観音菩薩の最大の特徴は、自らの固定された姿を持たず、相手を救うために最適な姿(仏、神、人間、さらには異類の姿まで)へと無限に形を変える「普門示現」の能力にあります。これは単なる魔法ではなく、苦しむ他者と完全に同じ目線に立ち、その痛みを自己のものとして共有する「究極の共感能力(慈悲)」の現れです。絶対的な超越者として君臨するのではなく、泥にまみれた人間の生活空間にまで降りてきて共に泣く存在だからこそ、観音は千年以上にわたり日本人の心の支えとなり得たのです。 阿弥陀如来の脇侍と死の看取り。観音菩薩は単独で信仰されるだけでなく、極楽浄土の主である阿弥陀如来の脇侍(アシスタント)としての重要な役割も担っています。人が臨終を迎える際、阿弥陀如来と共に雲に乗って迎えに現れ(来迎)、死者の魂を蓮台(蓮の花の台座)に乗せて極楽へと導くのが観音菩薩の役目です。現世のあらゆる苦難から救済するだけでなく、死の恐怖を和らげ、魂の行き先を保証する「究極の看取りの神仏」でもあったのです。 「隠れキリシタン」とマリア観音。観音信仰の懐の深さ(どのような姿にでもなれるという柔軟性)は、歴史の過酷な局面でも発揮されました。江戸時代のキリスト教禁教令の下、弾圧された潜伏キリシタンたちは、子を抱く「慈母観音(子安観音)」の像を聖母マリアに見立てて密かに礼拝を続けました。異教の神をも自らの姿のバリエーションとして包み込み、迫害される人々の祈りを受け止めた「マリア観音」は、観音信仰が持つアジール(避難所・聖域)としての機能の極致を示しています。

餓鬼憑き
珍しい がきつき
峠道の飢え憑き・餓鬼憑き
鬼・巨怪ヒダル神の一種、西日本に広く分布、山道·峠で憑く峠道や山中で遭うとされる典型的な餓鬼憑きの像。背景には合戦や行き倒れによる餓死者の霊があると理解され、旅人は少量の食を携え、通過前に峠へ供えることで難を避けた。発症は突然で、激しい空腹感、四肢の力抜け、足が前へ出ないといった訴えが中心で、しばしば日陰や風の通る場所で動けなくなる。対処は簡便で、米粒一つ、塩気のある握り飯の欠片、干物の端など、口に含むだけで憑きが弛むとされる。予防としては、弁当の一口分を山の神や行き倒れの霊へ撒く、道端の地蔵へ供えるなどが語られる。重い食を急にとることは避け、粥や雑炊で腹を慣らすとよいともいう。海辺では磯餓鬼、盆地や農村ではひだる神、四国ではジキトリなど名称は違えど、症状と対処はほぼ共通で、地域の死者供養や路傍供養の実践と密接に結びついている。

がしゃどくろ
伝説 がしゃどくろ
昭和の紙面から歩き出した大髑髏・がしゃどくろ
霊・亡霊創作由来(1966年『別冊少女フレンド』)1966年の怪奇特集で生まれた、夜の野を歩く巨大な全身骸骨妖怪。骨音を響かせ、人を威圧し襲う姿で知られる。弔われない死者の骨が集まる、吸血する、供養や夜明けに弱いといった設定は、後世の図鑑や創作で重ねられた。国芳『相馬の古内裏』の巨大骸骨は約120年前の別作品で、戦後に代表図として結びついた。

ガラッパ
名妖 がらっぱ
南九州の水神の零落・ガラッパ
柳田國男が『妖怪談義』などで指摘するように、ガラッパは「かつて水をつかさどる水神として信仰されていたものが、時代の変遷とともに妖怪へと零落した姿」を、日本全国の河童伝承の中でも最も生々しく留めている存在である。冬の訪れとともに山へ入って「ヤマワロ」となり、春に再び川へ戻るという季節的な変容は、稲作文化における田の神・山の神の循環そのものである。 彼らはしばしば人間に悪戯を働き、時には命を奪う水難の象徴として恐れられる一方で、人間側が礼を尽くせば、豊かな漁獲をもたらし、重労働である田植えを夜通し手伝ってくれる「頼もしい隣人」にもなる。この二面性こそがアニミズムの核心である。ガラッパは単なる川の妖怪にとどまらず、南九州の険しい山と豊かな川に囲まれた厳しい自然の中で生きる人々が抱いた「自然への畏怖」と「共生への祈り」が投影された、地域社会に不可欠な存在なのだ。

画霊
珍しい がれい
破損屏風から出る女・画霊
付喪神・骸怪随筆『落栗物語』勧修寺家の画の怪、独立伝承地なし江戸後期の随筆に拠る画霊像。老いた屏風絵から女の姿が出没し、像に加えた処置が現実の怪異に反映する「像と実の連動」が核とされる。器物の劣化に由来する兆しが怪として知覚され、修復・敬護により鎮静する点は付喪神伝承の枠内に収まる。筆者は具体の地名・家名を挙げるが、怪異の目的は語られず、警告・顕現は短期的で、鑑定・修繕を境に終息する。画工の名気が霊性を強めるというより、名品を粗末にすることへの戒めが主題と見られる。人を襲う害話は乏しく、視覚的顕現と所在への回帰(屏風前で消える)が特徴。のちの解釈では、器物供養の重要性を説く例話として引用される。

岸涯小僧
珍しい がんぎこぞう
川岸で魚を捕る・岸涯小僧
水の怪石燕『今昔百鬼拾遺』、河童系だが在地伝承未確認、絵巻発祥鳥山石燕の図像とその簡素な註記に基づく再構成。河岸や崖下の浅瀬に潜み、機を見て魚を捕える。体は小僧の体躯に近いが全身に粗い体毛があり、口内の歯はやすり状で、獲物を削ぐように食むとされる。河童と通底する特徴(水掻きの存在や水辺性)が想起される一方、甲羅や皿といった決定的属性は資料上確認できないため付与しない。名称中の「岸・崖」は出没環境を示す記述的要素と解され、地域名や氏族名ではない。近代の解説では、山の怪異語彙に見える「崖」を名に持つ類例(タキワロ)との連関が指摘されるが、同定は控えめに留める。現存の一次資料は石燕の画と文であり、行状・祟り・供物などの儀礼的要素は伝わらない。ここでは、水辺の小怪として、静かに魚を狙う存在像を基本とする。

元興寺の鬼
名妖 がんごうじのおに
奈良元興寺の鐘楼鬼
霊・亡霊奈良県本項は平安期説話集に見える筋を基調とし、元興寺の鐘楼怪異として定着した型を示す。鬼の正体は寺に縁ある下男の死霊で、僧形や童子を脅かす姿に表象される。出現は夜半で、灯を用いて姿を確かめ得るという語りは、神霊の秘匿性と顕現の条件を示す民俗観に沿う。前段の雷神譚は怪力童子誕生譚として結びつき、雷の威力が人に宿るという観念を補強する。退治は斬殺ではなく「髪を掴む」「引き剥ぐ」という接触的制圧で、痕跡としての髪が寺宝となる点が特徴である。以後、怪は鎮まり、童子は出家して道場法師と称したと伝わる。ガゴゼ・ガゴジ等の語は各地で妖怪の総称として分布するが、語源は諸説あり特定はしない。

加牟波理入道
珍しい がんばりにゅうどう
厠の入道・加牟波理入道
水の怪石燕『今昔画図続百鬼』、厠の妖怪、山都と便所神習合、全国の厠怪鳥山石燕の図像と、各地の厠にまつわる禁忌・唱え言の伝承を基礎とする像をまとめたもの。厠は古来、穢と境界が交わる処とされ、夜半や大晦日など境の時に怪異が出没するとされた。石燕は口より鳥を吐く入道として描き、解説で「がんばり入道郭公」と唱えるまじないを記す。民俗資料では、唱え言が禍福を分かち、黄金化・小判化の譚と、不吉の徴としてのホトトギス聴聞が併存する。郭公の字義連関や中国の厠神名への言葉遊びが指摘され、和歌山の「雪隠坊」、岡山の見越入道との混交など、地域差と名称の揺れが顕著である。厠に入る作法や時間帯への戒め、子供の肝試し的な習俗とも結びつき、唱えるべき語を巡るタブーと招福譚が一体となって伝わる。

ガータロー
珍しい がーたろー
火伏せの神となった五島の河童・ガータロー
水の怪長崎県ガータローは、九州河童の一系統でありながら、火伏せの守護神という独自の信仰を結んだ点に五島ならではの像がある。福江島大円寺川の水神社に五島中の河童の大将が棲むとされ、享保8年(1723年)の江戸藩邸火災で河童の火消しが屋敷を守ったという伝説は、水神=火伏せという日本各地の水天宮信仰と結びつき、五島藩邸を介して江戸にまで知られた。 形姿は頭の皿、腕の抜けやすさ、相撲好き、人への憑依など九州河童の典型を備えるが、ガアタロ・キャタロ・ガッパドンといった島内の呼称差や、三井楽白良ヶ浜の弁天島に残る河童の足跡など、在地の地名と結んだ伝承が厚い。山童と季節ごとに去来する表裏の存在として語られることもあり、海に囲まれ清流の限られた五島にあって、ガータローは水と火、いたずらと守護という対照を一身に宿す、島の暮らしに根ざした河童である。

気狐
珍しい きこ
「気」となった中位の妖狐・気狐
動物変化中国道教の狐仙思想由来の狐階位(天狐·空狐·気狐·野狐)、渡来概念この版では、四段の狐の位のなかで気狐が担う「境界」という役割を掘り下げる。 狐の位階は、ただ強さの順位ではなく、獣がいかにして霊・神へと近づくかという一本の階梯である。その階梯で気狐が立つのは、肉体をもつ野狐と、形を捨てた空狐・天狐とを分ける、まさにその切れ目である。野狐が道に迷わせ人に化けるという目に見える悪さで知られるのに対し、気狐はすでに体を脱いでいるぶん、その業はより内へ――人に取り憑き、心を惑わす方へと向かう。狐憑きの伝承で語られる狐を、たんなる野狐ではなく一段力をつけた気狐とみる見方は、ここに根をもつ。 もう一つ気狐に見えるのは、未完成ということである。空狐がこの気狐の倍の霊力をもち、やがて天狐に至って人の世を離れるのに対し、気狐はまだ人への執着を断てずにいる。獣の本能と神の超然のあいだで揺れ、化かしと憑きをくり返すその姿は、修行半ばの狐とも言える。上位の狐が静かに世を見守る存在であるなら、気狐は人にもっとも近いところで、なおあがき続ける狐なのである。

きさらぎ駅
伝説 きさらぎえき
異界へ滑り込む無人駅
住居・器物静岡県この版本のきさらぎ駅は、駅そのものを妖怪として読むための姿である。姿形のある怪物を描くのではなく、ホーム、線路、トンネル、車内放送、携帯の電波といった要素を組み合わせ、日常空間がほんの少し別の規則へ変わった瞬間を捉える。異界は遠い山奥にあるのではない。いつもの帰路で一駅ぶん眠り過ごしたと思った時、すでに列車は知らない秩序へ入っている。 最初の恐怖は、時間感覚の破綻から始まる。駅間が長すぎる、停まるはずの駅を通過する、車窓が知らない風景に変わる。この段階ではまだ「乗り間違えた」「寝ぼけている」と説明できる。だが説明可能性が一つずつ潰れていくことで、読者は投稿者と同じ閉じた車内に置かれる。掲示板形式はここで大きな働きを持つ。第三者が助言しているのに助からないため、理性の声そのものが怪異の一部へ取り込まれてしまう。 駅名の平仮名表記も重要である。「如月駅」と漢字にすれば雅な地名や月名へ寄るが、「きさらぎ駅」と書くことで、駅名標に印字された無機質な記号になる。子どもにも読める柔らかさと、どの自治体にも属さない空白が同時に立つ。朝里樹の現代怪異整理に照らせば、ここには学校怪談の「赤い紙・青い紙」や電話怪談の「メリーさん」と同じ、短い言葉だけで記憶に刺さる命名の力がある。 きさらぎ駅を古典妖怪の系譜に接続するなら、神隠しと道の怪である。人を山へ連れ去る天狗、狐に化かされて同じ場所を回る旅人、辻で聞こえる祭囃子。それらはみな、道が人間の支配を離れる瞬間を語ってきた。きさらぎ駅では、その道が線路になった。線路は本来、行き先と時刻を保証する近代の約束だが、この怪談では保証の強さそのものが裏返る。降りても戻れず、乗っていても目的地へ着かない。 後続の派生が多い理由は、舞台装置が非常に拡張しやすいからである。駅名を変え、路線を変え、スマートフォンや地図アプリを加えれば、すぐに別のきさらぎ駅が生まれる。ASIOS編の都市伝説論が示すように、現代怪談は固定した原典を保存するだけでなく、検証、否定、再演を含めて流通する。きさらぎ駅はその流通形式まで含めて怪異であり、検索する読者の行為すら物語の延長になる。 だからこの無人駅に対する最も誠実な態度は、実在駅を断定しないことである。静岡県西部らしい輪郭はある。しかし輪郭を現実の駅名へ潰した瞬間、きさらぎ駅の本質は失われる。YOKAI.JPでは、創作由来の異界として扱い、同時に鉄道網という現実の肌触りを残す。地図にない駅は、地図の外にあるから怖いのではない。地図を信じている人ほど、そこへ着いてしまうから怖いのである。 もう一つの読みどころは、助言が救済にならないことである。掲示板住人は合理的に考え、警察、駅員、家族、現在地確認といった現実的な手段を提案する。しかし異界へ入った後では、その合理性がすべて少し遅れて届く。きさらぎ駅は、近代の安全装置を否定するのではなく、機能しているように見せたまま空転させる。そこに平成ネット怪談らしい冷たさがある。

キジムナー
伝説 きじむなー
ガジュマルの精霊·キジムナー
自然現象・自然霊沖縄県南西諸島の樹精系譜と「ガジュマル文化」。 基本説明では呼称の地域差と食物嗜好に触れたが、 徹底解説ではキジムナーが立脚する「南西諸島におけるガジュマル文化」 の深層を掘り下げる。 ガジュマル (Ficus microcarpa) は熱帯·亜熱帯気候に生育するクワ科イチジク属の常緑高木で、 多数の気根 (アール) を垂らして独特の樹形を作る。 樹齢数百年を超える古木は神宿る木として畏怖され、 沖縄各地の御嶽 (うたき) では信仰対象として保護されてきた。 キジムナーはこのガジュマル古木と分かちがたく結ばれており、 御嶽の樹を伐ると村に災厄が及ぶという信仰と一体化している。 奄美ケンムンとの比較民俗学。 同じく赤色·樹宿·漁業·相撲好きの特徴を持つ奄美大島のケンムンとは、 民俗学者の間で比較研究の対象となってきた。 両者の差異: - ケンムンは河童の同類とされ「水の怪」 寄り、 キジムナーは樹精として「自然霊」 寄り - ケンムンは相撲を好むが、 キジムナーは漁業協力が中心 - ケンムンは雌雄·夫婦の伝承が多いが、 キジムナーは個体単位が基本 両者を「南西諸島の樹精」 という上位概念で括れば、 沖縄·奄美の島嶼民俗が単一の文化圏として浮かび上がる。 これは民族移動史·言語史 (琉球諸語·奄美方言) とも対応する重要な分布である。 「魚の目玉」 と霊魂観。 キジムナーが魚の左目 (一説に両目) のみを食すという独特の食習は、 単なる怪奇趣味ではない。 古代日本·琉球の霊魂観では「目」 は魂の宿る部位の一つとされ、 動物の目を食すことは魂を取り込む行為と解釈された。 キジムナーは魚体ではなく魂を吸う精霊だという解釈が成立し、 残された魚は「魂の抜けた身」 として珍重される地域民俗が生まれた。 これは縄文期からの汎日本的な「目=霊」 観念の琉球的変奏である。 「友になり、 喧嘩で終わる」 物語型の構造。 キジムナーと人間の関係譚は「漁業協力で大漁→人間の小さな失敗 (約束破り·ガジュマル損傷·屁)→決裂→終生の祟り」 という定型を辿る。 この物語型は単なる勧善懲悪ではない。 樹精との「取引関係」 を通じて、 自然との節度ある共生を村落の倫理として伝える機能を持つ。 「ガジュマルを伐るな」 「魚を独り占めするな」 「異界の存在には礼を尽くせ」 といった生活倫理が、 物語の形で次世代へ伝承される構造である。 柳田國男·伊波普猷以来の沖縄研究と妖怪。 島袋源七『山原の土俗』(1929 年) は柳田國男·伊波普猷以来の沖縄民俗研究の系譜に連なる重要文献で、 山原 (やんばる) 地方の口承を体系的に採録した。 戦前の沖縄民俗学は本土学界からも注目され、 キジムナーは「日本本土には無い特有の精霊」 として、 日本妖怪学の比較研究上重要な位置を占めてきた。 戦後は崎原恒新を含む地元研究者が継承し、 現在の村上健司編『日本妖怪大事典』 (角川書店、 2005 年) 等の総覧書にも一項目として収録されている。 現代観光·ポップカルチャーでの再生。 戦後沖縄の村おこし運動 (1970-90 年代) でキジムナー·ブナガヤは地域 identity の象徴として再構築された。 大宜味村喜如嘉の「ぶながやの里」、 沖縄テレビ放送のマスコット「ゆ〜たん」、 1989 年公開の映画『ウンタマギルー』 (高嶺剛監督、 キジムナーが登場)、 毎年開催の「キジムナーフェスタ」 等、 観光·メディアの両面で現代まで持続している点は、 多くの本土妖怪が文献内の存在となった中で例外的である。 沖縄の自然観·樹木観·共生倫理を体現する精霊として、 21 世紀の今日も生きている。

鬼女
珍しい きじょ
情念極まり鬼に化す女・鬼女
鬼・巨怪日本各地の鬼女伝承を束ねる総称(個別は紅葉・黒塚・橋姫等の各項)各地の説話で見られる典型的な鬼女像を整理した標準型。人間界の情念が極まり鬼性に転じるという因果観を体現し、外見は美女から老女まで変化する。夜、山野や辻で旅人を誘い、宿や庵に招き入れてから正体を現す。仏法や加持祈祷により退散・成仏する筋立てが多く、恐怖譚であると同時に教化譚として機能した。地域により人食い・嬰児狙い・血を啜るなどの描写に強弱があるが、いずれも禁忌破りや疑心、妄執の果てとして理解される。能・説経・縁起絵巻などで図像化され、角や牙、逆立つ髪を伴う鬼形と、人姿の落差が重要な見せ場となる。

鬼童丸
名妖 きどうまる
市原野で牛胎に潜む・鬼童丸
鬼・巨怪京都府本バージョンは『古今著聞集』を主軸とし、鬼童丸を頼光・綱と対峙する鬼として整理する。捕縛から脱出、標的の動向を窺い、鞍馬参詣の途上で市原野に先回りして牛の体内に潜伏する奇策を用いるが、頼光の用心深さにより看破される。綱の矢により潜伏が破られると、鬼形を現して斬りかかるも、頼光の一刀に斃れる。図像上は鳥山石燕が雪中に牛皮を被る姿で定着させ、近世の武者絵では術競べの相手として描かれることも多い。系譜は確定せず、雲原伝承では酒呑童子の子、軍記類では比叡山の稚児出と分岐する。いずれも山野に潜伏し、膂力と変化・潜匿の術で機を伺う存在として理解されてきた。創作的脚色を避け、潜伏・変化・待ち伏せという行動特性を核に再構成する。

絹狸
稀少 きぬたぬき
八丈絹を纏う狸・絹狸
付喪神・骸怪石燕『百器徒然袋』、八丈絹·狸·砧の掛詞、言語遊戯創作絹狸は版本に端を発する見立て妖怪で、八丈絹(黄八丈)と狸譚の語彙を折り重ねた図像的創作と位置づけられる。石燕の作例では絹の意匠をまとった狸が描かれ、添文により八丈の名と化け狸の俗説が想起される構成となる。民俗資料に独立の口承は乏しく、のちの解釈で砧の音や布打ちの所作が付与されるが、いずれも図像の読み替えの範疇にある。したがって、性質は物の霊や見立ての付喪的性格に近く、実地の怪異というより版本文化における言葉遊びと意匠の結晶とみなされる。描写上は黄八丈の縞をまとい、人前に姿をさらすよりも夜陰に布を打つ音で存在を示すとされるが、あくまで解釈的付会であり、確定的な像は定まらない。
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